異世界からチート系勇者様が来たけど、平凡な城兵の俺は色々と複雑な件。

鶏肉シチュー



 魔王が誕生して早くも五年。
 ロコナ王国は魔王城から生み出されている魔物のおかげで荒れ果てかつての栄光を見るまでもない...訳でもなかった。
 魔物に襲われるので人々は一つの地点でまとまって生活をするようになった。それもあって、ロコナ王国の王様が住むカブン城の城下町は五年前とは比べ物にならないほど賑わっている。
 この王国の富を表すような赤い絨毯の上で膝をついて頭を深々と下げていた俺は、ガシャンと皿が割れる音に身を震わせた。
「全滅じゃと! 兵士どもは何をやってるんだ!」
「大変、申し訳ありません」
 隣にいた侍女が床に落ちて粉々になった皿をすぐに片付ける。
「なぜ魔物一匹すら倒せないのだ!」
「しかしっ、魔物は強大で天候も悪く」
「言い訳は聞きたくないわい!」
 投げつけられた皿が目の前の床で割れた。
 侍女がすぐに近寄ってきて皿の破片を拾い上げる。その手が赤く血に染まっていて思わず顔を上げた。
 黙々と手を動かしている侍女が、口だけ動かした。それは傍にいる俺にようやく聞こえるほどのか細い声だったのに、不思議なほど心に染みわたる。
「がんばって」
 頷き返す代わりに、上体を起こした。
「もう一度、機会をお与えください。次こそは倒してみせますゆえ、次こそはっ」
「もうよい! こうなったら、異世界から勇者様を呼び出して魔王を倒させるのじゃっ」
「...は、はい?」
 王座から立ち上がった王様が指を鳴らすとすぐに奥から魔法使いが現れた。
「如何いたしましたか、王様」
 胸に手を当てかしずく様子は、優雅で気品がある。男にしては長い髪が、さらりと肩から流れ落ちる。
「あの術をするぞ! 準備せい!」
「と申しますと...」
「異世界から人を呼ぶ秘術を行うのじゃ!」
「...かしこまりました。では城の最上階へ向かいましょう」
 そう言ってほほ笑む魔法使いと目が合って思わず視線を逸らした。魔法使いは俺のことなど目に映ってもないかのように、王様に手順の説明を始めている。
「城中の兵士を集めてまいれ!」
「はっ」
 突如、王様が俺を指さす。一礼して、王の間を退出した。

「これ、私達はどうすればいいんでしょうか」
「知らん」
「今から何が起こるのですか」
「知らん」
「我々、食事中だったのですが...」
「それはすまん」
 広場に集まった兵士達から上がる疑問の声は止まらない。隊長たちもよく分かってないので答えようがない。
 最初に隊長たちの元へ王からの指令を伝達したら、もっと詳しく伝えろと詰め寄られたのが一刻前。俺も俺で全然分かってないことが伝わると、またお得意の暴走かと溜息をついていた。
「あの丸い記号からなにかが出てくるのだろう、多分そうであるはずだ」
 第二部隊の隊長が視線の先を指さした。
「魔法陣と呼ばなければ、また魔法使いに怒られますよ」
「知るか」
 最上階の中心にある魔法陣の前に立って、険しい顔した魔法使いなにやら呪文を唱えている。それを取り囲むように兵士たちが立ち並び、豪勢な椅子には王が座っている。王の前ではいつも涼し気な顔の魔法使いが、汗まみれでいるのはどこかおかしく見える。
 魔法陣が光る。 
 目を瞑って、少し後に目を開けると、魔法陣の中心に、なにやら影みたいのがある。今までになかったその影は、段々と人の形に近づいていった。
「せ、成功じゃっ。お前たち、盛り上がらんかい!」
 いち早く王の命令が飛ぶ。
「成功だあああっ!」
 兵士の中から、大きな雄たけびが上がる。それに釣られて、わっとどよめきがあがった。俺もとりあえず、叫んでおいた。
「やったぞぉ!」
「これはすごい!」
「さすがぁ!」
 最後に人の形になった影が消えたように見えたが、人だけが残っていた。
「これは、人間だ!」
「人間とはすばらしい!」
「皆さん、お聞きください!」
 魔法使いの声が響き渡る。あいつ、声を大きくする魔法使ってやがる。ずるい。
「彼こそは、私たちの世界を救済してくれる勇者様なのです!」
「ゆ、勇者様!」
「勇者様とはすばらしい!」
「俺達を救済してくれぇ!」
 勇者様とやらは、まだ状況が飲み込めないようで周りをキョロキョロと見渡している。そいつが何か喋ってくれたら俺達も黙れるのに。
「静かにせい!」
 特に求められてもいなかった歓声が瞬時に止まる。
「ようこそいらしてくださった。勇者様。我々ロコナ王国では――」
 王様が上機嫌に喋りだす。その笑顔はまさに人好きのおじいちゃんのようだが、本性を知ってる俺たちからは笑わないようにするだけで精一杯だ。
 なにやら大きなことを成し遂げたのだということくらいは俺でも分かる。魔法使いの前髪は額から溢れる汗で、びっしりと引っ付いていた。
 お疲れ様、と声をかけてねぎらってやりたいなぁと思いつつ、王の話をただ黙って聞いていた。

「お疲れ様」
「はにほも」
 スープの皿とパンを机の上に置いて、許可も取らずに魔法使いの前に腰を下ろした。
 魔法使いは口を動かしたまま、片手をあげた。ごくんと飲み込む音と一緒に、魔法使いの喉が大きく動く。
「今日のあれ、なんだったんだ」
「召喚魔法。こことは別の世界から、勇者に相応しい人物を連れてくるってやつ」
「ふうん」
「興味ないって顔だな。全く、魔法への興味がみんな薄すぎる」
 露骨に嫌そうな顔した魔法使いが、固いパンをスープに浸した。
 今日はウノモとスリヤ豆のスープだ。塩で味付けされたスープと豆がよく合う。久々に当たりだった。
「そういえば王の間のお前、澄まし顔すぎて見てられんかった。あれ以上直視してたら絶対噴き出してた」
「あん時は私も急に言われてビビった。ふざけんじゃねえって。いくら説明しても王はこれっぽっちも聞いちゃねえし。兵士集める意味もねえし」
「必死に呪文唱えてるの面白すぎたんで俺は見た価値あると思ってるけどな」
「今すぐに忘れろ。こっちは召喚できなければ首飛ぶ覚悟決めてんだよ。生まれて初めて神に祈ったね。召喚できなければこの場の全員殺してくださいって」
「んな物騒な願い事、叶えてくれるなら今頃魔王も倒してくれているだろうに」
「現実は勇者様に頼らなければならないのであった...」
 パンにかぶりつく。この固くて味のないパンの食感が俺は好きだ。
「でも実際、勇者様は恐るべき力を持ってる」
「むほはむ」
「俺とは比べ物にならないほどの魔力と、最早城内で敵なしとされる剣術があるのだから、すぐに魔王も倒すだろうな」
「詳しいな。ある程度は魔法で選べるのか」
「それが出来たら、美人で胸のでかい女を連れてきたかった。別の世界で死ぬ寸前且つ死んでも誰も困らないやつを魔法が選ぶだけだ」
「死んでもどうせ代わりがいる使い捨ての兵士みてえなやつか。俺みてえ」
 ははっと笑う俺を魔法使いが睨みつける。
「その手の冗談は好きじゃない」
「へいへい。悪かった」
「第一部隊の隊長と勇者様が早速手合わせして、勇者様が勝った話は知ってるか」
「城中その話題で持ち切りだよ」
「本人よりも、第二部隊の隊長の方が悔しがってたのは見物だったなぁ」
 その光景を思い出したのか、魔法使いが大口開けて笑い出す。王の前では好きに笑えないからか、思い出し笑いの頻度はかなり高い。
「目に浮かぶ。俺の隊長、張り合っていつも負けてたからな」
「これでしばらく私の地位は安定だ」
「頑張れ、勇者様のお世話係」
「その呼び方止めろ。勇者様って剣術習ってたわけでも魔法知ってたわけでもねえのに、体が勝手に動くとか言ってたから、聞いたんだよ。どうしてそんなに強いんですか?ってな」
「俺だって必死で考えてるのに体動かないのはどうしてだと思う?」
「馬鹿だからじゃね。ともかく聞いたんだよ。そしたら、この世界に来る前に何やら喋るじいさんに会ってとかなんとか」
「喋るじいさん」
「なんだそれとか思いつつ、精一杯驚いた顔で、それはこの世界の創造主ミラ様ではないですか? って言ってやった」
「ミラ様って喋るじいさんなの?」
「私が知ってるワケないだろ。その場のノリだノリ。そしたら勇者様が、そうかあれは神様だったのか...とか納得した顔で言いだして。こんなに騙されやすくて大丈夫か心配になったな」
 また笑い出す魔法使いの性格は相当悪いと思う。もっとも、そこらの神経で魔法使いなんて地位にたどり着けないんだけども。
「逆に染まりやすくていいじゃねえか。この調子でさっさと魔王退治させてこいよ」
「それが仲間を探したいんだと。あーるぴーじーでパーティは四人が鉄則とか言い出しやがって」
「魔王退治した後じゃ駄目なのかそれ」
「間に合わないんじゃね、魔王退治に」
「めんどくせぇ」
「明日、西の街道の魔物を倒しにいくついでに町も案内する予定だけど死ぬほどだるい」
「アイツか...」
「今日派遣された部隊も全滅したんだってな。いい力試しになるって喜んでた」
「その部隊に俺の同室のやつらが二人いてよ。部屋出る直前まで死にたくねえ死にたくねえって泣いてたくせに、部屋出た途端顔が固定されたように動かなくなってよ。死人の顔ってあーなんだろうな」
「......。無念だったなそれは。あと一日早ければ、お前の同室も死なずにすんだだろうに。私が言えることじゃねえが」
「気にするなよ。ただ選ばれた指揮官が、軍学校にも通ってねえお坊ちゃんだったってだけだ」
 スープを飲み干す。両手で持ってた皿を戻す合間に瞳に決意を宿した魔法使いが目を細めた。
「必ず勇者様を魔王退治まで導いてみせるよ」
「それは助かる! この世界の誰も、魔王なんぞ倒せねえからな!」
 でかい声が横から割り込んできた。隣のテーブルのやつらが大声で笑いだす。中でも一番響くのは、あの召喚で真っ先に「成功だぁ!」と叫んだやつの笑い声だ。
「勇者様、ばんざーい!」
 やつらの声量に負けないぐらい叫んで、カップを上に突き上げる。あいつらもカップを手にした。
「勇者様、ばんざーい!」
 食堂を揺るがすほどの声量に、全員が俺達の方を向いた。その視線にも気にならないくらい気分が高揚していた。
 魔法使いは流れについていく気もないようで、席を立った。今日は相当疲れているらしい。
 魔王が現れて早五年。城の者は魔物への対処に追われ、休みの日がなくなって早五年。
 酒もなくとも酒が入っているように盛り上がれるようになってから早四年。

 兵士の朝は早い。
 それぞれ部隊ごとに持ち場が割り当てられて、夜番の兵士と交代する。今日の俺は勇者様のどでかい部屋の護衛だ。俺ら五人できっつい部屋とは比べ物にならない。昨日は広かったけど。
 夜番の兵士によると、同盟国のリョウエン姫様を仲間候補として連れてきた、この国姫様であるスハラ姫様が中にいるらしい。朝から大変だ。
 部屋の扉の前の護衛は隊長で、俺達は二人一組で周囲に目を光らせる。ぶっちゃけすることがない。
 俺と組んでる髭面のこいつも、暇そうに空を眺めていた。俺も空を見上げる。いい天気だ。
 日も高くなった頃、バァンと扉が乱暴に開かれる音がして、ピンクのドレスを着たスハラ姫様が走り去っていった。その目の端がきらりと光っている。
「泣き虫なのは相変わらずか」
「ちょっとしたことですぐに喚くからなぁ」
 スハラ姫様の癇癪を引き起こしてない人間など、この城内にいないのである。
 勇者様がやってきた。きょろきょろと辺りを見渡しながら、こっちへ走ってくる。
「スハラは来なかったか!」
「姫君でしたら、あちらの方へ走っていかれましたよ」
「分かった。ありがとう!」
 俺が指さした方向へ勇者様が走っていく。
「呼び捨てとは流石勇者様」
「手の速さでも負けなしということか」
 勇者様の背中が見えなくなると、今度はリョウエン姫様が現れた。武闘派姫の呼び名に相応しい鎧であると噂には聞いていたが、鎧の部分が少なすぎる気がした。せめて腹ぐらいは鎧で覆っておかないと危ないんじゃないか。
「勇者様はどこへ行かれましたか」
「そちらの方へ走っていきましたよ」
「そう」
 今度は髭面が率先して答えた。分かりやすい。
「リョウエン姫様の方が好みなのか」
 揶揄う俺の言葉に、髭面がニチャァと笑った。「故郷に残してきた妹に似てたんだ」

「相変わらずパンの食べ方というものを知らないようだな」
「よっ」
 食堂でパンを頬張っていると、聞き覚えのある失礼な物言いに片手を上げた。
 今日はシチューだった。シチューの中の甘いカイラと辛いシキミがお互いの味を打ち消しあって、なんとも言えない味に仕上がっていることだろう。目の前のシチューには配膳されてからまだ手を付けてない。
 俺の前に座った魔法使いが、パンをちぎってシチューに浸す。
「せっかくのシチューが冷めるぞ」
「シチューは冷めても美味しいからいいんだよ。好きなように食べさせろ」
「今日、エクビの町を襲う魔物を勇者様は退治したんだけど」
「エクビって相当治安悪いとこなんだから放っとけよ」
「そういうわけにもいかんだろ。勇者様が奴隷市というのになぜだかすごく興味持ったから、連れて行ったんだよ」
「変な趣味持ってんなぁ」
「そこで私達の反対押し切って、少女を買い取ったんだ。そしたら、その少女がすごい魔法の才能の持ち主で、私が魔法を教えることになったんだよ」
「めでたしめでたしと。なんでそんなしかめっ面してんだ」
「口惜しくてな」
 魔法使いがスプーンを握る手を片方の手で押さえた。手が震えるのを見られたくないという意思がひしひしと伝わってくる。
「私はずっと魔法を使える者が認められるように努力してきた」
「その努力は城の全員が既にご存じだろ」
「まだ足りないんだ。足りないんだよ。いずれは不遇な境遇に陥りやすい魔法使いの卵たち全員を救ってみせたい。この為には、この王国で王様に気に入られ、魔法を普及させるしかないと。勇者様が奴隷の地位まで落ちぶれた魔法の才を持つ人間を救ったのを見せつけられると、私の頑張りはなんだったんだって思ってしまうんだよ」
「やめろやめろ。勇者様とお前は違う存在だろうが。比べたとこで意味ないって」
「私が世界を救うほどの力を持っているなら、いっそこの世界を終わらせてしまいたい」
「よし分かった。お前は疲れてんだ。今日は早く寝ろ」
「毎日早く寝てる。他人事のような顔してるお前だって、魔王が討伐されたらどうせ次に始まる隣国との戦が始まって出兵するんだぞ。今は魔物を倒すための魔法も剣技も、人殺しの道具になる。それに耐えられるのか? 正気を保てずにいられるのか?」
「ただ魔王が現れる前に戻るだけだ。考えすぎなんだよ」
「そんなの分かってる、でも考えだしたらもう止まらないんだ。押さえつけられない獣が私を食らおうと牙を向いてる。その牙が私の首に突き立てられるのが先か、私がその獣を追い出すのが先か。これは私という人間をかけた勝負なんだよ」
「わりぃ、真面目に聞いてみたけど、言ってることがほんとにさっぱりわからん」
「私の気が狂い始めたら迷わず殺せ」
「まだやることあんのに殺すなって、あの世で怒られそうなことやんねーよ」
「そんな度胸がお前に無いことは知ってる。言ってみたかっただけだ」
 魔法使いがなんでもないように食事を再開した。あんな顔しておいて。嘘が下手だ。
「許さねえ。割と真面目に話を理解しようとした時間を返せ」
「いつもお前のくだらない話に付き合ってやってるだろう。勇者様の周囲に可愛い女ばっかり現れるから気が立ってるんだ」
「この食堂の一番可愛い娘も、勇者様に惚れこんでるって噂だったなぁ」
「羨ましいことこの上ないな。私が食堂の娘だったら、姫様と恋のライバルなんて御免だが」
「ふっ、お前恋愛したことねえだろ。恋ってのは理屈じゃねえんだよ」
「得意げにするな。図星なだけ腹立つ」
 シチューを飲み干して席を立つ。目の下に大きな隈ができている魔法使いも食べ終わったようで、宿舎までの道のりを一緒に歩いて別れた。

「明日、勇者様が魔王討伐に行くんだってな」
 食堂内が不気味な緊張感に包まれていた。城全体がこんな感じだ。
「ああ。メンバーは集まった。予想通り私は選ばれなかった」
「この国唯一の魔法使いが謙遜するなよ。気楽でいいじゃねえか」
「勇者様が闇市で買ってきた奴隷の少女のこと、覚えているか。あの少女が私の魔力を超えたので、もう私はお役御免だとよ。私が同行するのは、魔王城の前までだけだ」
「...それでお前は、王様からなんか言われたんだろ」
 魔法使いが手を止めた。
「どこでそれを聞いた」
「別に。ただお前の顔みてたらなんとなくな。顔に出すぎなんだよ」
 魔法使いはいきなりカップを掴むと、ぐいっと飲み干した。空のカップを机に荒々しく置いた衝撃で机が少し揺れる。俺も魔法使いも無言だった。ここまで重苦しい沈黙が、魔法使いとの間で流れたのはこれが初めてだ。そしてどこかこれで最後な気がした。
「魔王が討伐されても、お前は兵士を辞めないよな」
 魔法使いがへらりと笑う。ぎこちなかった。
「なんで魔王が討伐されたからって、俺が兵士を辞めなきゃならないんだ」
「魔王が討伐されたところで、お前が前言っていたように魔王が現れる前に戻るだけだよな」
「当たり前のこと聞くな」
「...実はさ、勇者が魔王を討伐した後に勇者を殺せとの命が下った」
 魔法使いの潜められた声が、深刻な顔が、言外に嘘ではないことを告げる。頭を横切るのは、勇者様の周囲にいる女の一人、スハラ姫様だった。
「あれか、隣国の王子と婚約までしている姫様が勇者様に惚れているから、邪魔になるのか」
「勝手な話だ。勝手な都合で呼び出して、魔王が討伐された後は都合が悪いから殺すだなんて、信じられねえ。呼び出したのは私だけど」
「もしお前が勇者様を殺したら、晴れて史上最悪の犯罪者として国中から追われるだろうな。あの王様の考えそうなことだ」
「そうだと、思うか」
 答えの分かり切った問いをか細い声で俺に投げかける魔法使いは、何を感じて、何を考えて、明日を迎えるのだろうか。
「いっそ殺してやろうか」
「勇者様を? 悪い冗談はよせ。お前には無理だ」
「お前だよ。死人と同じ顔をしてる」
 魔法使いが目を伏せた。
「お断りだ。どうせ死ぬなら、魔法使いのために死にたい」

 勇者様の送迎は、それはもう盛大に行われた。大勢の人間が新しい未来への希望が溢れた、晴れ晴れとした顔で見送った。
 勇者様よ、貴方は世界に希望を与えて下さった。
 
 魔法使いの裏切りが伝わったのは、魔王討伐の伝達と同時だった。
 魔王を討伐して魔王城から出てきた勇者様に襲い掛かったが、敗退。瀕死の重体で何処かへ逃げていったそうだ。
「あんなに優しくて気高い魔法使いだったのに、なぜ俺を殺そうとしたんだ...」
 落ち込む勇者を励ます女の中に、杖を手にした女の子がいた。魔法使いはあの子の為に、王の命令であることを漏らすこともなく、戦ったのだ。

 討伐後すぐに、城の兵士が申請さえあれば休むことができる制度を勇者様が作った。しかも休みの分の給料は貰えるおまけ付だというではないか。
 有給と呼ばれるこの制度は、勇者様の世界では普通にある制度だったらしい。
 なんにせよ、魔王出現から五年も休みが貰えなかった兵士達は、泣いて勇者様に感謝した。この時ばかりは俺も勇者様万歳と叫び続けた。
 兵士達が訓練場に集められ、隊長の元へ休む日数と目的を次々に言いにいく。手続きが複雑になるので休み始める日は同じだ。目的と休みの日数が一致するか隊長が確認して、認証してもらえれば、見事有給を手に入れられる。
 第二部隊の隊長の前で、髭面の男がニヤニヤと顔を歪ませ、有給を申請していた。故郷の妹に会いたいと、しつこく言っていたのもこれで収まるだろう。
 眼の前に、眼鏡をかけた男がやってきた。第二部隊の一員で、だいぶ年を取っているが、動きは俺らに引けを取らない。
「若えのに有給取らないのか?」
「取るよ。今、隊長の前が空くのを待ってる。そっちは?」
「いらねえんだ。待ってる家族もいないしな。城は勇者様と俺ら寂しいジジイに任せて、若いやつらは羽伸ばしてきな」
「そうさせて貰う。俺も家族なんてもういないが」
「それはそれは。有給取って女のとこか。お、空いたぞ」
「待たせてる女なんていねえよ。魔王城まで馬鹿を殴りに行くんだ。行ってくる」
「......。そういや、お前ら仲良かったか」
 第二部隊長の前に立つと、否が応でも厳しい訓練が思い起こされた。自然と背筋が伸びる。この圧迫感の前で、髭面はよくあんなだらしない顔をしていられたもんだ。
「日数は」
「五日ほど」
「明確にしろ」
「五日に致します」
「目的は」
「魔王城で消えた友達を探しに行きます」
 隊長の厳つい眉が更に厳つくなる。視線を逸らした方が負けだと言ったのは隊長だ。とっくに覚悟はできている。根性で有給を奪い取るのだという覚悟が。
 厚い唇が、不意に動いた。
「友達か」
「はい。友達です」
「それは髪が長い野郎で丸い模様のことを魔法陣だと呼ぶ奇特な奴だったりしねえか」
「違います。俺の友達は勇者様を殺すこともできない優しくて奇特な奴なんかではありません」
「ならば申請を許可する」
 隊長が手元の紙になにやら書き出した。
 何も言えず、隊長に深く頭を下げた。

 次の日には、有給が始まった。有給を申請した奴は全員訓練場に集まっている。
 それぞれの隊長の前には、申請の一覧が記された紙と硬貨が入っている袋がある。日数分の給料はあの袋の中の硬貨から出されるらしい。
 訓練場は騒めいていた。これから始まる休みに興奮を誰一人として隠せていない。俺も髭面の妹の話をひたすらに聞いていた。
 床に座って袋の中の硬貨の数を確認していた隊長たちが顔を上げて、お互いに頷きあう。第一部隊の隊長が右手を上げようとした、その時だった。
 扉がすごい勢いで開かれて、一人の兵士が飛び込んできた。
「隣国との戦争が始まりました! 姫君との婚約を一方的に破棄されたこと隣国による往復行為により国境付近の村の被害多数! 全部隊出動せよとのことです!」
 その場が水を打ったように静まる。伝達の兵士は、俺の隊の眼鏡の爺さんだった。
 おもむろに俺達の隊長が立ち上がった。
「そういえば、俺はまだ顔を洗っていなかった。これでは頭が上手く働いてないのも納得がいく。今は何を話されてもすぐに忘れてしまうし、当然この場に誰がいるのかさえも分からない。顔洗ってくるからその場で待っておけ」
 申請一覧の紙を握りつぶして、袋を置いたまま隊長が訓練場を出ていく。
 次に立ち上がったのは、第一部隊の隊長だった。
「まだ広場の時計が壊れていたことが、どうしてか急に思い出してしまいましてね。そのことが気になりすぎて話を聞いてませんでした。これは由々しき事態ですので、即刻直しに行かなくては」
 丁寧に四つ折りにされた紙を懐にしまい、第一部隊隊長は出ていった。
「足の裏が痒すぎて、話の内容が頭に入ってこなかった」
「どうやら耳くそが詰まって耳が聞こえないようだ」
 隊長たちが大声でどこかへ宣言しながら扉へ消えていく姿を俺達は無言で見送った。
「城の兵士達を呼んできます。城はすごく広いから、老人の俺の足では時間かかるでしょうな。老人の目では、ここに誰がいるかも分かりませんねえ」
 眼鏡の爺さんが非常にゆっくりと扉まで歩いていく。やけに間隔の長い足音が聞こえなくなるまで遠ざかっても、訓練場は静かなままだった。
 ふいに食堂の匂いがした。

『魔王が討伐されても、お前は兵士を辞めないよな』

 魔法使いの声が、息遣いが、鮮明に思い起こされる。振り向けば、すぐそばに魔法使いがいるような気がした。
 ぐすっと鼻をすする音がして髭面の顔を見る。押し殺された小さい泣き声がそこら中から聞こえてきていた。
 両手を顔で覆っていた髭面が真っ赤な目で俺をみた。何も言わなくても、それだけで全てが伝わってくる。
 床に座っていた兵士達が、泣き腫らした顔のままに、一人また一人と立ち上がった。立ち上がった俺が髭面の腕を引くと、髭面は抵抗もせずに立ち上がる。
 すまない、本当にすまない。
 記憶の中で確かに息づいているあいつが、笑いながら消えていった。

 扉が開いた。隊長たちのお戻りだ。 
「敬礼!」
 鼻声だけどもいつも通りよく響く声に合わせて、右手を顔の横で揃える。
 隊長たちは誰もが、嬉しそうな悲しそうな複雑な顔で、兵士全員が整列している訓練場を見渡していた。
「第一部隊、全員います!」
「第二部隊、全員います!」
 例え世界は救えなくても。
 兵士には兵士なりの矜持はある。


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