みどりとりどり

あわきしそら



 月がレモンのような形をした、ある夜です。
 月は真ん中がふくらんでいて、両方の先っぽにいくにつれて細くなっています。その先っぽから、黄色い光をまちへふりかけていました。
 〇△□保育園の、誰もいない夜の建物の中にも、その光は届いていました。
「ああ、こまったなあ」
「ふつうなら、ゆっくりとチビていくはずだったのに」
「ふつうだったらね」
「今までこんなことなかったのに」
「ああ、僕たちの平穏が......」
「いそがしくなったわね」
 園児も先生も帰って、人がいないはずの保育園から声がします。それも、たくさんの声です。
 声がする部屋には、窓から差しこんだ月の光が、いくつもの棒のような影を作っていました。
 一本、二本、三本......十九本もあります。
「ともかく、なんとかこの人気を止めなければ」
「うん、そうそう」
「僕たち緑クレヨンのためにも」
 十九本の棒が、それぞれ前へちょっとだけ傾きました。うなずくみたいに。
 この棒たちは、みんな緑色のクレヨンなのです。
 お父さんの親指くらいの太さのクレヨン、ピアノのお姉さんの薬指くらいスラっとしたクレヨン、めずらしい三角形の形をした持ち手のクレヨン。いろいろあるけれども、色はぜんぶ緑色です。
 そして、どの緑クレヨンの頭も、最近たくさん使ったのか、平べったく低くなっていました。
「やっぱり、みどり先生の影響だよね」
と理玖くんの緑クレヨンが言うと、
「ええ。 緑色はみどり先生の色、だもの」
とユカちゃんの緑クレヨンが答えます。細くてスタイルのよいクレヨンだけど、やっぱり頭がすり減っています。
「でも、みどり先生っていいよなあ」
「うんうん。 かわいくて」
「やさしくて」
「よく笑っていて」
「歌がうまくて」
「あ、そうそう、今日みどり先生がさ」
と話し始めたのは、かぶとくんの緑クレヨン。手が汚れないように巻いてある紙がとれて、裸になっています。
「かぶとくんが、俺たちをお道具箱に片づけるのを忘れて、そのまま外へ遊びに出たとき。 だから、いつもより周りの声がよく聞こえたんだけど、みどり先生が歌いながら、床に落ちているものを拾っていて」
「あ、それ、私も少し聞こえたわ」
「うちも。 なんて歌っているのかはよく分からなかったけど」
「そう。 『ドレミの歌』を歌っていたのさ」
 かぶとくんの緑クレヨンが、ぴょんと跳ねて、十八本のクレヨンたちの前へ出る。
「ドはドーナツのドだろ。
 レはレモンのレだろ。
 その後がさ、みどり先生忘れちゃったんだろうな、自分で歌詞を作り出すんだよ」
「へえ、おもしろい」
 かぶとくんの緑クレヨンは、得意げに続けます。
「ミはみどりのミ~
 ファはファジアーノのファ~
 そのうち、部屋の中で遊んでいた子たちが気づいて、みどり先生の近くへ行って、一緒に歌いだすんだ。
 ソはソーダあめのソ~
 ラはラッキーのラ~
 シはしりません~」
 緑クレヨンたちが笑いだします。
「しりません、って」
「子どもたちも笑っていて、みどり先生も楽しそうに笑うんだ」
 それを聞いて、一本の緑クレヨンがつぶやきました。
「みどり先生は子どもたちの人気者なんじゃの」
 三郎くんの緑クレヨンです。お兄ちゃんの一郎くんが使って、その次に二郎くんが使ってきたので、だいぶ年長のクレヨンです。
 かぶとくんのクレヨンが、体をちょっと前へ倒してうなずきます。
「ああ」
 三郎くんの緑クレヨンは一番小さくて、身長が一・五センチしかありません。でも、一番年長のため、その話はみんな大切に聞きます。
 他の若い十八本のクレヨンたちを見上げて、三郎くんのクレヨンは話し始めました。
「緑は、みどり先生の色。 みんなみどり先生が大好きじゃから、最近、わしら緑クレヨンばかり使う」
「三郎くんのクレヨンさん。 『わしら』っていうのは、なんだかあたしたちも年をとっているみたい」
 スタイルのよい緑クレヨンが口をはさみます。
「ユカちゃんのクレヨンどの。 じゃあ、わたしたち緑クレヨンは」
「うん、いい感じ」
「わたしたち緑クレヨンは、特に目立つことなくのんびりと子どもたちに使ってもらって、小さくなるのを好んでいた。 じゃが、みどり先生がみんなの人気者になったおかげで、わし......わたしたちまで人気になってしまった」
 一番小さなクレヨンは、ため息をつきます。
 レモンの形をした月はまだまだ明るくて、ゆっくりと長い夜が歩いています。
 その時、元気のいい声が飛びこんできました。
「人気なのは、いいことじゃん」
 十九本の緑クレヨンたちは、声のした方を向きます。部屋の後ろにあるロッカーの近くから聞こえました。
「赤クレヨン!」
 かぶとくんの緑クレヨンが声を上げます。
 緑たちの視線の先には、炎のように赤いクレヨンが立っていました。体の巻き紙がなくなって、真っ赤な裸が見えています。
「たくさん色をぬってもらって、目立つことは、カッコいいことじゃん。 何でこまるのさ?」
「そりゃ、お前はそうかもしれないけど」
 かぶとくんの緑クレヨンが答えます。二本は、どちらもかぶとくんのクレヨンなのです。
「俺たちは、画用紙にたくさんぬってもらうことに慣れていないのさ。 緑は、野菜の色だし」
「うむ。 かぶとくんの赤クレヨンどの。 わたしたちは、おだやかにのんびりとクレヨンケースの中でいるのが好きなのじゃ。 現に、わしの同期である赤クレヨンや青クレヨンはとうの昔に役割を終えて、今は新しい赤クレヨン、青クレヨンが入っているが、わしはまだ現役じゃ」
「現役って?」
「ばりばり元気ってことじゃ」
「ふーん」
 その言葉を聞いても、赤クレヨンはまだ納得できない様子。
 三郎くんの緑クレヨンは、仲間のクレヨンたちの方へ振り返って話しかけます。
「さあさ、わしらの平穏を取り戻すため、何か良い考えのある者はいるか?」
「わたしたち、よ」
「あ、そうじゃった。 わたしたちの平穏のためにできることを教えておくれ」
 部屋の中が静かになります。
 みんな、子どもたちと同じでみどり先生のことが大好きなので、人気者なのは仕方がないことのように思えるのです。
 床に落ちた、いくつもの大小のかげが、こまって動きません。
 どのくらいか時間が過ぎた後で、やっと小さな声が上がりました。
「あのぅ」
「ん? さおりちゃんのクレヨンどのか」
 中くらいの太さをしたクレヨンです。巻き紙が、小花の模様をしています。そして、頭は、他の緑クレヨンと一緒ですり減っていました。
「あのぅ、みどり先生にお願いして、名前を変えてもらうっていうのはどうですか」
 十八本が、それぞれ驚いた声を出します。
「そんなことってできるのか」
「名前を変えるなんて」
 さおりちゃんのクレヨンは、いっぺんに質問されて口を止めます。
「こらこら、まずさおりちゃんのクレヨンどのの話をよく聞くんじゃ。 さあ、続きを聞かせておくれ」
「あのぅ、前にさおりちゃんが話していたんです。 女の子は結婚したら、名前を変えられるって。 だから、みどり先生じゃなくて、別の名前になったら、みんな緑色をそんなに使わなくなるんじゃないかと思って......」
 三郎くんのクレヨンがうなずきます。
「なるほど。 確かにその話は聞いたことがあるのお」
 部屋の中が、再びさわがしくなりました。
「みどり先生が結婚するなんてイヤよ」
「そうだな」
「結婚するなら、うんと素敵な人でないと」
「うんとカッコいい人で」
「うんとやさしい人で」
「うんとお金持ちで」
 十九本の影が、大きく小さく動きます。
 近くで聞いていた、赤クレヨンまでみどり先生の結婚相手について語ります。
「あと、うんと男らしいやつじゃないと」
 月の光が、にぎやかな部屋の中をさらに明るくします。
 そして、緑クレヨンたちはいろいろな意見を出し合いました。結婚うんぬんはひとまず置いておいて、名前を変えるというのは、おもしろいアイディアだということになりました。そのため、今晩、緑クレヨン全員でみどり先生の家へお願いしに行くことにしました。
「のんびり屋の緑クレヨンだけじゃ心配だぜ。 俺も付いて行く」
「えー、大丈夫だよ」
「いーいや、心配だ」
と話す赤クレヨンも、一緒にみどり先生の家へ向かいます。
 すると、他の色のクレヨンたちも、みどり先生の家へ行きたいと言い出しました。
 青クレヨン、黄クレヨン、ピンククレヨン、水色クレヨン、紫クレヨン、橙クレヨン、茶クレヨン、黄土色クレヨン。様々な色のクレヨンが、クレヨンケースの中から飛び出してきて、緑クレヨンたちの周りに集まりました。
 クールな黒クレヨンまで
「俺も行く」
とつぶやきます。
「ええい。 みんなで、れっつらごーじゃ」
「レッツゴー、よ」
 ユカちゃんのクレヨンが訂正すると、
「レッツゴー」
と、たくさんの色の声が重なりました。


 外は、レモン型の月がゆっくりと西の空へ移動しています。
 クレヨンたちは扉のすきまから出ました。
 みどり先生は、保育園の裏手にある、園長先生の家の一部屋に住まわせてもらっています。
 せまい道路を渡って、百本以上のカラフルなクレヨンたちは、園長先生の家の前まで来ます。
 そこでみんなは立ち止ります。
「どうしよう」
「どうやって中に入ろう」
「そもそもみどり先生の部屋はどれなのかしら」
 園長先生の家は、瓦屋根がのった二階建ての家です。少し古くさい感じがします。
「『みどり先生―』って呼んでみたら」
とかぶとくんの緑クレヨン。すぐに赤クレヨンが叫ぼうとして、
「待て待て。 こんな夜中に迷惑になってしまうやもしれん。 園長先生に気づかれてしまう可能性もあるしの」
と三郎くんのクレヨンが止めます。
「あ、あの部屋、明かりがついているわ」
と今度はピンククレヨン。
「本当だ」
「もしかして、あの部屋がみどり先生の部屋じゃないかしら」
「どうしてそう思うの」
「だって水玉模様のカーテンがかかっているもの。 みどり先生はよく水玉模様の服や小物を身に付けているわ」
「なあるほど」
 確かに、二階のその部屋には、水玉模様のカーテンがかかっています。
「さすがピンククレヨンじゃの」
「ふふん」
とピンククレヨンが、うれしそうにその場で一回転します。
 でも、どうやってその中に入るかが問題です。
 百数本のクレヨンたちが、ぶつぶつと相談し合います。だけど、数が多すぎてなかなかまとまりません。
 月が、西の空へたどりつきそうです。
 その一方、瓦屋根の家は一歩も動かずに、クレヨンたちの前で立っています。
 その時、部屋のカーテンが大きく揺れました。
 水玉模様の布が横へ取りはらわれます。代わりに、女の人の顔が出てきました。
 その人は、窓を開けます。
 百数本のクレヨンたちの声が、そろいました。
「みどり先生だ!」
 かわいらしい女の先生は、どこからか聞こえてきた声に反応して、下の道路をのぞきこみます。
「みどり先生!」
 夜だから静かにしなくちゃいけないっていうことをすっかり忘れて、カラフルなクレヨンたちが呼びかけます。
 赤クレヨンが跳ね、青クレヨンが揺れ、ピンククレヨンが一回転。黄クレヨンはスッテプを踏み、紫クレヨンはこきざみに体を揺らします。そして、緑クレヨンは集まって、踊ります。
 みどり先生は、大きな目を一度まばたき。もう一度、まばたき。口もぱっくり開きます。
 クレヨンがしゃべって、動き出すなんて。
 なんとなく眠れなくて、窓を開けたのですが、まさかこんな光景を見るとは想像もしませんでした。
 でも、みどり先生はふつうの先生じゃありません。しばらくすると、口を再びきちんと閉じて、クレヨンたちの元へ行くことにしました。
 玄関を通ると、園長先生を起こしてしまうかもしれません。みどり先生は、窓から瓦屋根をつたって、下へ降りることにしました。
「ちょっと待っていてね」
 みどり先生はささやきます。
 クレヨンたちは、ピタリと動きを止めました。そして、黙ってみどり先生の様子を見つめます。
「わあ、大丈夫かなあ」
「しっ。 みどり先生を驚かしちゃだめよ」
 ユカちゃんのクレヨンが注意します。
 あたりは、とても静かです。せまい道なので、車もあまり通らないのです。
 みどり先生は、窓から瓦屋根の上へ、そこから庭のブナの木へ、枝をつたって下へ、慎重に降りてゆきます。小柄な先生は、意外にも器用に地面へと足をつけます。
「さて、と」
 みどり先生はクレヨンたちがいる道路の方へ近づきました。
 近くで見るみどり先生は、やっぱりかわいい顔をしています。ちょうど空に浮かんでいる月のような形をした目を二つ、きらりと光らせます。
「あら。 あなたたち、子どもたちが持ってるクレヨンじゃない」
 道の真ん中にしゃがんで、不思議そうに声をかけます。
 尋ねられて、クレヨンたちはそれぞれ口を開きました。
 なんたって、大好きなみどり先生としゃべれるのです。みんながみんな説明し始めて、何を言っているのかよく分からない状況になりました。
 そのため、しばらくして、三郎くんのクレヨンが代表で話すことになりました。
「あー、これはみどり先生。 今日はよい天気で、月がきれいで......」
「季節のあいさつはいいから」
「あー、ごほんごほん。 すなわち、わたしたちがここへやってきたのは」
 年長のクレヨンは、事情を説明します。
 みどり先生は、その声に熱心に耳を傾けていました。
 いくつか別のクレヨンがつっこみを入れたけれども、なんとか緑クレヨンたちの気持ちを伝えることができました。
「うんうん。 分かったわ」
 みどり先生がうなずきます。
「でもね、結婚すると苗字は変えられるけど、下の名前は変えられないのよ」
「そんな」
 さおりちゃんのクレヨンが、小さくつぶやきます。小花柄の巻き紙にくるまれた体を、もじもじと揺すります。
「ごめんなさい、私知らなくて」
「大丈夫よ、気にしないで」
 みどり先生が笑います。
「それに、私は自分の名前が気に入っているの。 あ、そうだ」
 月とそっくりの目を輝かせました。
「いいことを思いついたわ。 ええ、きっとうまくいくわ」
 みどり先生が明るい声を出します。
 ちょうどその時、東の空から朝の光が差しました。いつのまにか夜が明けたようです。
 みどり先生が太陽の方へ顔を向け、もう一度クレヨンたちを見ると、それらはただのクレヨンになっていました。
 

 その日、みどり先生は、お絵描きの前に子どもたちへある話をしました。
「みんな、私の名前はなんていうかな?」
 小さな机と椅子に座った子どもたちを見回して、質問をします。
「みどり先生―」
「しってるしってる」
「みんなしってるよ」
 得意げに答える子。何でこんな質問をするんだろうと不思議そうな子。反応はいろいろです。
「じゃあ、みどり先生の『みどり』は、何のみどりか分かるかな?」
「緑色のみどりー」
 どの子も、そう答えます。
 すると、
「ぶっぶぶー」
とみどり先生は唇をつきだしました。
 そして、ホワイトボードに自分の名前を書きました。

    「美彩」

「これが、先生の名前の漢字。 まだ難しけれども、これは元々中国の文字で、ひとつひとつ意味があるの」
 子どもたちは興味津々の様子で、ホワイトボードのかくかくした文字を見つめます。
 みどり先生は、まず「美」の文字を指さして、
「これは『美しい』っていう意味。きれいってことよ」
 次に「彩」の文字を指さして、
「これは、『いろんな色』っていう意味。いろんな色が合わさって、はなやかにするっていうこと」
と教えます。
「だから、みどり先生の『みどり』は一つに限らないの。いろんな色が、私の周りを明るく豊かにしてくれるっていうことなのよ」
 みどり先生が、とびきりの笑顔を浮かべます。空気を七色に染めていくかのように。
 子どもたちは、初めて知ったことに驚きました。でも、みどり先生の笑顔につられて、みどり先生の『みどり』が単に『緑』っていうより、『いろんなきれいな色』って考える方が楽しいと思えてきました。
「さあ、今日は自分の好きな色でお絵描きしてみて。もちろん、緑色でもいいわよ」
 みどり先生が手をたたきます。
 子どもたちは、いっせいにクレパスのケースを開いて、色を選び始めました。
 自分の好きな色。好きな組み合わせ。
「あれえ、これ僕のクレヨンじゃないのが混じってる」
「あ、私も。 これ、三郎くんのじゃない?」
「本当だ」
「こっちは、さおりちゃんのクレヨン」
 みどり先生は、心の中でしまったと思いました。
 道路に転がって動かなくなったクレヨンを集めて、朝早くにみんなのクレパスケースに戻したはずなのですが、どうやら間違いがあったようです。
 きっとまた月のきれいな夜がきたら、みどり先生がクレヨンたちにもたらしたことと小さなドジを、クレヨンたちは笑っていることでしょう。


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