閑話『図書館にて』

クロ太郎


					   クロ太郎

 あなたは知っているだろうか。この世にはそれは大きな図書館があることを。
 ワタシは知っている。街の角。路地裏の隅。只人ではたどり着けぬ扉を開けた先の、人ならざる者の社会にすら馴染めないはみ出しモノ達の集会所。地下に拡がる大図書館があることを。
 温かい紅茶。美味しいお菓子。穏やかな時間。ひと時の憩いがそこにはあることを、ワタシは知っている。
 
            ??

「では行こう、かなめ」
 その一言で、レオと遊ぶ約束当日の行き先が決まった。いや、元から決まっていたらしかった。
「行くってどこへ?」
 元から今日は一日レオと過ごす予定だったから、どこに行くのも構わないんだけど、それはそうと行先くらいは知りたい。
 そう思って訊ねれば、私の手を取ったレオはにこりと微笑んで、簡潔に一言で答えてくれた。
「図書館だ」

「すごい......」
 レオに連れられてたどり着いたのは、とても大きくて古い立派な図書館だった。学校や県の図書館とは比べ物にならない。瞬間移動的な何かで連れてこられたから、ここがどこなのかは分からない。けど、こんなにすごい図書館なら観光名所になっていてもおかしくないと思うんだけどな......。見たことも、聞いたこともないや。
 さっさと扉に手をかけたレオが振り返る。
「そんなところで立ち止まって、どうした。入るぞ」
「ごめん。なんかすごい図書館だったから」
 近づけば、木製の扉には繊細な模様が刻まれていることがわかる。こんなとこまですごい。
「只人では辿り着けぬ図書館だからな。蒐集されているものゆえ、そうなることもあるだろう」
 ただ人ではたどり着けない、かぁ。
 これまでレオには妖怪たちの好む温泉とかハーピーの住む森とかにつれて行ってもらったけれど、今回もそんな感じらしい。そういうとこに行くのなら、事前に言ってほしいな。心構えとか......あるよね? いくら不死鳥だって言われたって、私はただの女子高生なわけだし。
「あぁ、外観のことか。外側を気に入ったか? ならば中はより気に入るかもな」
 そう言ったレオが扉を開ける。くぐりぬけた向こうに広がっていたのは、外よりももっと豪華で、それでいて綺麗な空間だった。
「わぁ......!」
 そこはまるで、漫画や小説の中で描かれる魔女や魔法使いの書庫みたいな場所。いや、魔法使い......じゃなかった、魔術師が本当にいることを、私はもう知っているのだけど。
 天井の高いところにあるステンドクラスから優しい光が差し込んでいる。それ以外の窓はなくて、他の光源は全て壁や柱に取り付けられたランプだ。炎に照らされた空間は決して明るくはないけれど、暗くもない。大きな本棚が立ち並ぶ床は丁寧に磨かれていてピカピカ。その本棚だって、年季が入った木製のもので、近くに寄ってみれば扉のように繊細な細工が彫られているのがわかる。本棚に収められた本は、まず背表紙から豪華だ。題名は読めないけれど難しそうな内容だということは分かるし、太くて重いことも分かる。
「かなめは図書館が好きだったか? 本は好きでも嫌いでもないと思っていたが」
「えっと、あまりにも素敵な場所だったから。図書館が好きっているよりも、ここが好き、というか......」
「嬉しいことを言ってくださいますね。図書館も喜んでいます」
 声と共に、コツリ、と背後から足音がする。振り返ると、そこには私の胸元ぐらいの身長のかわいい女の子がいた。
「初めまして。ワタシの名前はドーラ。この図書館の館長を務めています。この度は当館にようこそおいでくださいました」
 スカートの端をつまみ、綺麗なお辞儀をするドーラちゃん。私も慌てて頭を下げる。
「丁寧にありがとうございます! 私は錦(きん)鳥(とり)かなめです」
 柔らかく微笑むドーラちゃんは、だけどどこか無機質な気配を感じさせる。
 床に届くほど長い金髪は、図書館の照明を反射して輝いているよう。白い肌は陶器のように滑らか。黒と白の豪奢なスカートはたっぷりの布で足首まで隠し、ブラウスもフリルたっぷりで首元も手首も覆っている。手さえも白い手袋で肌が見えない。
 その中で一番目を引くのは、翡翠色の瞳だった。きれいな瞳は、人工的な輝きにも見えて、なんの感情も映さない。いつも無表情なレオともまた別の、当たる光をそのまま反射するような無。表情は確かに微笑んでいるのに、瞳だけが変わらない。
「ワタシのことが、気になりますか?」
「い、いえ。そんなことないです」
 声をかけられてハッとした。ジロジロ見て、無遠慮だよね。
「ごめんなさい。ジロジロ見て」
「構いませんよ。特殊な見た目をしていることは自覚しています」
 スルリと少女の手が手袋から引き抜かれた。こちらに向けられたその手は、本当に作り物のようにすべすべで。そして関節がまるで人形のそれのように丸かった。
「ワタシは人形なのです。いつもは来館者を驚かせてしまわないように、こうして服で隠しているのですが」
「人形......」
「あなたは不死鳥なのでしょう? ヴァリティシエ様から聞き及んでいます」
 人のように滑らかに動く彼女の手が私の手を取った。
「改めまして。ようこそ、錦鳥かなめさん。ここは『狭間の大図書館』。ヒトの世には受け入れられぬモノ、自分の居場所を作れないモノ達が集う場所。人でありながら不死鳥でもあるアナタ。当図書館はアナタをいつでも受け入れましょう」
 それを聞いて、レオがどうして私をここに連れてきてくれたのか知ったのだった。
           ??

『立ち話もなんでしょうし、二階の喫茶スペースへどうぞ。本日は赤羅(せきら)様もいらしてますよ』
 そう言うドーラちゃんに、こじんまりとした、けどとてもかわいい部屋へ案内される。
 木製のテーブルやいすが並び、奥には小さなキッチンが見える。一階と違って、大きな窓から光が差し込んでいて明るい。床も天井も木製で暖かみが感じられる。ケーキでも焼いていたのだろうか。甘い香りがする。
 窓際のいすに腰掛けていた女の人がこっちを振り返る。
 綺麗な人だ。整った顔は、レオと同じくらい美人。白い髪に白い肌で、赤い瞳もレオと同じだけど、全く違う雰囲気を感じさせる。
 なんだか、とても大きな感じの人。例えるなら、どんなものでも包み込めるぐらいに。初めて会ったはずなのに、いつも会っていたような、一緒に過ごしていたような感じさえする。
「珍しい。外来種のあなたがここへ来るなんて」
「用がなければ来ぬ。鬼もどきの貴様は暇があれば来ているようだな」
 珍しいって言いたいのは私の方だ。びっくりした。普段他人に対してはあまり興味がなさそうなレオが、こんなに言い返す相手がいるなんて。
 というか、今更だけど、レオって吸血鬼の王様だよね!? 外来種のあなたってどういう意味かよく分からないけど、あまり良い意味じゃなさそうってことぐらいは分かる。王様にそんなこと言って大丈夫なの!? やばい? もしかしなくても、すっごくやばい??
「ご安心ください。赤羅様とヴァリティシエ様はいつもあんな感じです。仲が悪いというわけではないのですが」
 キッチンへ行っていたドーラちゃんが戻ってくる。その手にはおぼんが。湯気を立てているポットと素敵なカップ。そしておいしそうなパウンドケーキが乗せられている。
 それはそうと......そっか。ドーラちゃんも赤羅さんも、私の知らないレオを、私と友達になる前のレオを知ってるんだ。少し、羨ましい、ような。ううん、欲張りは良くない。
「今日のケーキは会心のできです。どうぞご賞味ください」
「ありがとうございます」
「──その前にご挨拶を」
 レオと言い合っていた女の人が立ち上がる。立って初めて、女の人が黒い着物を着ていることに気がついた。
「初めまして、錦鳥かなめさん。私は赤羅望(せきらのぞみ)。この星に住まう全てを見守るもの。......この間は助けに行くのが遅れて、申し訳ありませんでした」
 この人も人に見えるけど、人ではないひと。私やドーラちゃんみたいに人の形をしていても、人ではないひと。
「初めまして、錦鳥です。えぇと、何で名前......というか、この間って?」
「余とかなめが初めて会った日だ。魔術師どもに一日に二度も遭遇した日よ」
 さっさといすに座って、ドーラちゃんがいれてくれた紅茶を飲んでいたレオが代わりに答える。
「そやつが余の言った月、この星の調整役だ。人と魔の中間に立つお前も、もちろん庇護の対象なのだろうよ」
「あなた、私をまたその名で──」
「もう呼ばぬ」
 また言い合いが始まるかと思ったけど、先ほどよりも冷たい空気で。その印象は、ドーラちゃんが少し身構えたことからも、間違いではなかったみたい。
 ただ、その空気も、レオが会話を続けるつもりはないと言わんばかりに紅茶を飲むから、すぐに無くなった。
「こほん......。このひとが言う通り、私は貴女のことも見守っていました。貴女が不死鳥を助け、不死鳥になった時から。貴女が無事で、本当によかったです」
「ありがとうございます......」
「なにかあった時は、どうぞ頼ってください。お力になりましょう」
 優しく微笑む赤羅さん。その言葉にきっと嘘なんかなくて。本当に見守ってくれていたし、本当に助けてくれるし、それだけの力があるのだろう。
 でも、少し寂しかった。
 初めて会う私がこんな事を思うのは、図々しいのかもしれないけれど。
 それでも、寂しかった。この星に住む全てを見守るって言うこのひとを、守ってくれる人はいるのだろうか。

            ??

 少しこちらを気遣うような表情を見せた少女。すぐにそれを消して礼を言えるあたり、本当に優しい子ね。そうだから、不死鳥に巡り合い、助けるだなんて幸運に恵まれるし、不死鳥に気に入られて不死を分け与えられるなんて人類史上初の快挙を成し遂げられたのかしら。
 それに対して、外来種のあのひとの子供らしさと言ったら......。私を紹介するべきだという冷静な理性は働くのに、いざ合わせるとなると、むくれるだなんて。わざとらしく紅茶を飲むなんて人らしい仕草まで覚えて。それに、頼ってくださいと言った時の殺気。彼女に頼られるのは自分だけだとでも言いたいのかしら。子供じみた執着心。未成熟な独占欲。
 本当......初めて会った時とは見違えるほど成長(・・)した。
 私は星を俯瞰するもの。この地球に住まう全てを見守り、守護し、愛(いつく)しむもの。その対象には、不死鳥に愛された少女ももちろん、この星に住むのなら、宇宙全てから居場所をなくした放浪の王だって含まれる。
 あなたにもいつか、これだと思える何かができれば。そう思っていた。そうすればきっと、生に意味を見つけ出せるから。生きることを楽しめるから。
 そしてとうとう彼女は現れた。
 錦鳥かなめ。本当に優しい少女。星が生まれてから死ぬよりも長い時間を孤独に生きてきたひとの心を開くことができるなんて。友達になれるなんて。おそらく宇宙が始まってからの快挙ね。あら、快挙だらけだわ。
 きっと誰にでもできて。
 そして誰にでもできることではなかった。
 ──あぁ。
 これだから人は愛しい。
 これだからこの星は美しい。
 堕とされた今も、守りたいと思う。
 例えこの身を代償にしてでも、守りたいと思う。
 自分の意思で。自分の感情で。守りたいから守る。なんて素敵な事かしら。
 だから、私を堕とした犯人で苦手で嫌いで、私を好きだとか宣(のたま)うあの男に対しても、感謝はしている。癪なので、最期まで絶対礼なんて言わないけれど。
 少しいやな事を思い出してしまったので、美味しい紅茶で口直しをする。
 人であってひとでない少女と、ひとでなくて人らしくなった少女が語り合う光景を眺めながら紅茶を嗜む。そんな午後の昼下がりは、いつにも増して穏やかだった。

            ??

 会心の出来だというケーキは、本当においしかった。気が付いたら平らげてしまっていたし、ニコニコなドーラちゃんはすぐにお代わりを持って来てくれた。待って待って、帰ったら晩ご飯があるし、そんなに食べたら太っちゃう......。でも美味しい......。食べちゃう......。
 クスリ、と笑ったレオが自分のケーキまで私の皿に乗せた。また百面相でもしてた? それほど好きならロージィにでも作らせるって、そんな、いいよ。申し訳ないし。ところでロージィって誰?
 と、そんな感じにのんびりおしゃべりしたり、ドーラちゃんから図書館の説明を受けていたりしたら、気が付けば窓から差し込む光が赤色になっていた。
「世話になった。後日礼の品を持たせる」
「お気になさらず。図書館も久しぶりの客人に喜んでいますので」
 会話するレオとドーラちゃんの隣を通り抜けて、窓際の席で本を読んでいた赤羅さんに近寄り、声をかける。
「あの、赤羅さん。えっと、ありがとうございました。お世話になってたんですよね。だから......もし、私が力になれることがあれば、ですけど、そんな時は言ってください。頑張りますので!」
 三人の視線が私に集まるのを感じる。変なことを言ったかな? いや、これは確実に変なことを言ったな......。
 冷や汗をかく私の手を赤羅さんが取る。
「えぇ。そんな時は是非お願いします」
 そして優しく微笑んでくれた。やっぱり美人の笑顔はすごいなぁ。レオのは綺麗でかわいいけど、赤羅さんのは端麗でたおやかといった感じ。ん、どう違うんだ?
 レオも近づいてきて、赤羅さんに一言かける。
「汝にも世話になったな」
 ぱちくり、と驚いた顔の赤羅さん。すごいな。美人って驚いた顔も様になるんだ。
     【終わり】


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