アフター・ウィンター クロ太郎 一歩。水たまりが凍る。 一歩。植物が凍り付く。 一歩。氷の大地へと変わる。 私は冬の魔女。凍てつく冷気の具現。 この身のある場所は冬へ。触れたものは氷へ。 魔女と恐れられ、敬遠され。それも仕方のないことだろう。自分自身でさえ凍える冷気は、他の生物にとっては死の息吹と等しい。 誰も訪れることのない森の奥。永遠に閉ざされた冬の庭で、私は今日も訪れることのない春を探す。 ? 「何かしら」 人の寄り付かない私の庭。その隅に熱を感じた。 冬の庭にあるはずのない熱を不思議に思い近づく。ここには動物も寄り付かないはずだけど。 「......え?」 辿り着いたそこにいたのは、布にくるまれた人間の赤ん坊だった。 「......また、なのね」 口減らし。 近くの村では、育てられない子供がいる時は、魔女の庭に置いていくことになっているらしい。 人間たちの生活が苦しくなれば、養える命にも限界があることも知っているし、できるだけ自分たちの心が痛まないようにしたいことも知っている。 魔女の所にやれば死体だって喜ばれると思われているのは、あまりいい気分ではないけれど。 「だからって、わざわざ私の所でなくてもいいのにね」 確かに、ここなら生まれて間もない命など簡単に死ぬだろう。苦しむことなく、眠るように死ぬだろう。 可哀想に。あなただって生きたかったでしょう。 この子も他の子たちと同じ場所に埋葬してあげようと思い、凍らないように冷気に気を付けながら抱き上げる。 せめて私くらいはこの子の顔を覚えていてあげようと、布をかき分けのぞき込む。まだ赤みの残る柔らかそうな頬。まだ言葉も話せぬ小さな口。これからいろんなものを見るはずだった瞳。私の知らない春の香りを楽しむことができたはずの鼻。 赤ん坊の瞼がふるりと震える。 「ふ、ふぇぇぇん。ふぇぇぇん」 「え?」 弱弱しい声。 でも、確かにこの赤ん坊が挙げた声。 「ま、まだ生きてる!」 死の間際、最期の力を振り絞った声かもしれない。それでも、まだ生きているのなら助けてあげたい。 全力で冷気を抑え込む。それでもきっとこの子には寒すぎるだろうから、とりあえず小屋へ連れていく。あそこは日常生活に必要なものが勝手に凍り付かないように、冷気を抑える魔法が施されている。 それでもきっと寒いわよね。 小屋中から布をありったけ持って来て、包んであげる。 冬の魔女であるワタシに熱を生み出すことはできないけれど、冷気を集めることならできる。赤ん坊の周りの冷気を集めて適当に氷にでもしてその辺りへ放り投げる。 これで少しはましになった? だめだ、どうしたらいいか分からない。今まで生きたものを相手にしたことなんてなかったから。 とりあえず、一番人間を育てた経験の多い春の魔女へ連絡する。あぁ、私の冷気を打ち消せる夏の魔女の方がよかったかしら。それとも、すばらしい賢者や魔法使いを多く送り出した秋の魔女に聞くべきだった? 分からない。分からない......けど! もしかしたら、この赤ん坊を助けられるかもしれない! ? 「あんなに小さかったのに......」 「何か言いました、魔女様?」 あれから他の魔女の力やいろんなもの達の協力を借りて、死の淵にいた赤ん坊をこちら側へ引き戻し、ここまで育てることができた。特に夏の魔女に送ってもらった魔道具と秋の魔女の助言にはお世話になった。春の魔女は......えぇ。まぁ、はい。 小さい時はかわいく、成長してもかわいかったこの子だけど、大きくなってしまった。私よりも、背が高く。 「別に構わないけどね......」 「また身長の話ですか? 仕方がないじゃないですか、僕は男であなたは女性なんですから」 「でも......」 大きくなっていくのはあっという間だった。 今となっては、この子と過ごした日々が大切な思い出だ。悩んで名づけをしたり、凍り付かないように細心の注意を払いながらミルクをあげたり、ハイハイし始めたこの子が不用意に私の氷でケガをしないように注意したり、好き嫌いを覚えたこの子に何とか野菜を食べさせたり、勉強を嫌がるこの子に厳しく言ったり、反抗期に差し掛かったこの子に涙ぐんだり。 私は、この子に体験できると思ってなかった初めてを沢山経験させてもらった。なんて素晴らしい毎日。なんて得難い日々。 惜しむなら、この子と一緒に春も経験してみたかったけれど。 でもそれは、私のわがままだ。ここまで大きくなれば、一人の大人として人間の社会で生きていける。冬の庭に閉じ込めるのも、そろそろ終わりにしなければ、と思うのだけれど。 「ソー。そろそろあなたは人間の社会へ出ても大丈夫なのよ。秋の魔女の教え子が仕事の紹介をしてくれると言っていたし」 「でも僕はまだもう少しここに」 「......どうして」 「いつも言ってるじゃないですか。街へ出たら魔女様と会えなくなるでしょう?」 「確かに、私は結局足元の冷気がコントロールできませんでしたよ。これでは街中には行けませんね」 「ふふ、そんなにむくれないで。あなたが歩いた後にできる氷の道は綺麗なんですから。それに、僕にはここでしたいことがあるんです」 そんなことを言って、何処にも行かないのだ。 暦上は春だ。人間社会では、さまざまな節目になる季節。この時期に行くのがタイミングもいいのに。 もちろん様々なことを教えはしたけれど、それを活かせと言うわけじゃない。望むなら、全く知らないものに挑戦したっていい。 この子の思うままに生きて、そして幸せになってくれたら、それでいい。ここにいれば、永遠の冬に閉ざされるだけ。こんなところでこの子の一生を終わらせるのは、あまりに勿体ない。 「......? 春の魔女から手紙?」 窓から微かに温かさを残す風に乗ってやってきた封筒。 「あぁ、それは僕宛じゃないですか? 春の魔女様に頼んでいたことがあるんです」 突然やって来たそれをいぶかしげに眺めていると、そう言って近づいて来るソー。何の疑問もなく、はい、と手紙を手渡した。 その場で取り出して読み始める。 そういえば春の魔女だって伝手が多い。秋の魔女も多いが、方面が偏っている。そっちに相談するのもありかもしれない。 「そういえば魔女様。この後の予定は?」 「ないけれど」 手紙を読み終わったソーが尋ねる。 「ならよかった」 付き合っていただきたいところがあるんです。と、言われても。どこへ行くのも構わないけれど、私が行っても大丈夫な場所かしら? 詳しく言うなら、凍り付いてもいい場所かしら? 「大丈夫です。僕に策があります」 そう微笑むソーに首を傾げた。 ? 連れてこられたのは、私の庭と外の境界付近。ここから先には、行けない。冬を外に持ち出すわけには、いかない。 「ソー。無理よ」 「いいえ、無理ではありません」 けれど、ソーがワタシを連れて行きたいのはこの先のようで。どうしても、連れて行きたいようで。 この子がそうまでして私を連れて行きたい場所。できることなら叶えてあげたいけれど、こればかりは。 「魔女様、僕にお任せください」 見上げたソーの顔には笑顔が浮かんでいる。 どうするの。と呟いた時には、もう遅かった。 ソーの腕が私へ伸びる。たくましく成長した体は、私をいとも簡単に抱き上げた。 「ソー!? いったい何を!?」 「行きましょう!」 待って! 外の季節は春。私が庭から出れば、過ぎ去ったはずの冬をもう一度呼び込んでしまう。これからの時期が山に住む生き物にも麓に住む人間にも大事なのに! 「戻れ! 戻るの、ソー!」 「大丈夫です。さぁ、ご覧ください!」 私の制止を振り切ってずんずん進むソー。木々のカーテンを潜り抜けてたどり着いたそこは── 「花が、花がこんなにたくさん! 綺麗......!」 見渡す限り、色とりどりの花が咲き乱れる丘だった。 「えぇ。春の魔女様に頼んで、一足先に満開を届けてもらったのです」 得意げな声が聞こえる。でも、それも納得の光景だった。この景色は、私が今までずっと見たかった春そのものだ。あぁ、これを、この子と見られるだなんて。 いつもなら、一瞬で私の冷気が花を凍てつかせてしまうから......。待って。 「ソー、戻らないと。こんな素敵な景色を氷漬けにするわけにはいかないわ」 「問題ありません。僕の足元をご覧ください」 そう言われて、視線を足元へ移す。いつも氷しかない自分の足元。けれど、私を抱き上げるソーの足元は凍り付くことなく、花がそよ風に揺れていた。 「なん、で」 「魔女様。あなたが教えてくださったでしょう。名前は原初の呪い。魔法の始まりの形、と」 「えぇ、教えたけれど......」 それが今と何か関係があるのかしら。 私は冬の魔女。冷気の具現。その私が冷気を発さなくなるなんてことがあるかしら。私の魔力は自然と密接に関係している。もしかして、何か自然の方に異常が? せわしなくあらゆる仮説を立てては検証する私とは対比的に、ソーはにこやかな笑顔であたりを見渡していた。 「魔女様。あなたが付けてくれた名前ではないですか。雪解け(ソー)、と」 「......あ、」 そう、だった。冬しかない私の庭で。寒さしかない私の領域で。少しでも寒さを和らげられるように。冬の庭から無事に飛び立っていけるように。願いを込めて付けた名前。私から彼への一番最初の贈り物(魔法)。 でも、その魔法が私の冷気を遮断するほどの効力を持つなんて、思わなくて。 「僕も自信がありませんでした。なので、他の魔女様に何度も相談したんです。......あなたに春を見せたくて」 「私に、春を......」 思いがけないプレゼント。予想外のサプライズ。 これ以上のものってあるかしら。あぁ、雪解け(ソー)。私の春よ! 私の教え子がこんなにもいい子だわ! ? 瞳を輝かせて辺りを見渡す魔女様。 僕は彼女に生かしてもらった。何の縁もない、ただ自分の庭に捨てられていた人間の子供。それを拾って、ここまで育ててもらった恩を返したかった。 大切にしてもらった。大事にしてもらった。 僕が何かをするたびに一喜一憂して、僕が何か成し遂げるたびにこれ以上ないほどに喜んでくれて。街では冷徹な魔女なんて呼ばれる魔女様だけど、僕はこのひと以上に優しいひとを知らない。 「魔女様。僕は、あなたと一緒にもっといろんな場所へ行ってみたいのです。きっと、春の景色はこれだけじゃない。いいえ、春だけじゃない。夏も秋も、あなたと一緒に体験したい。あなたが凍らせたくないものを、一緒に見に行きませんか?」 弾けんばかりの笑顔が答えだ。あぁ、僕の春はここに。 【終わり】
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