復讐するは神に無し(2)

七鹿凪々



間章 月夜を駆けて

 階段を駆け下りる。
 安っぽいアパートにありがちなコンクリートの階段は一段一段が少し高めで、駆け下りるのが難しい。可憐な少女でしかない私はもう息が上がっていた。
 どうしてあの男は六階に住んでいるんだ、と心の中で呟く。ただ駐車場に戻るだけでこんなに疲れなきゃいけないのも全部あいつのせいだ。
 後でアイスでも奢らせないと気が済まない。
「......っ!」
 二階と三階の踊り場に足をつけたとき。
 目の前の壁に、何かが突き刺さった。
 月光を反射して煌めくそれは、紛れもなく刃物だ。
 そして、趣味の悪い人形がその刃物を握っていた。刃物を握りしめて三階から突進してきたのだろう。
 思わず、足を止めてしまう。
 蒼い瞳。ウェーブがかった金髪。ぷっくらとした頬。
 一つ一つは美しいアンティーク・ドールのものだが、夜であることと、刃物を握っていることがその美しさを打ち消していた。
 ぎょろり、とその蒼い瞳が意思を持って動く。
 目が合った。
 そして、一目で潤いがないとわかる唇を開く。
「うふふ......」
 背筋がぞわりとした。
 恐怖と嫌悪感がないまぜになった、名状しがたい感情が心の底から湧き上がる。それは、悪意を振りまいて動く人形という、およそ日常生活で見ることのない得体の知れないものに抱くにはふさわしいものだろう。
 じりじりと、足が後ろに下がる。
 凶器があるとはいえ、所詮は人形だ。蹴り飛ばしてさっさと駆け下りることは実に容易いことだろう。
 だが、人形の薄気味悪さに私は圧倒されてしまっていた。
 場を緊張が支配する。
 見知ったアパートがまるで異界のようだ。
 本能が恐怖を感じてしまい、まだ後ろに下がる。
 踵に階段が当たる。
 衝撃に動揺する。
 私の顔を見た人形が口を歪ませて笑う。
 壁に刺さった刃物を頑張って抜き取ろうとしているようだ。
 瞬間。
「小林! もたもたしてると死ぬぞ!」
 駐車場の方から雁屋(かりや)の声がした。
 その声で我に返る。
 私は駐車場まで行って車でコイツから逃げるんだ。
 少しだけ、湧き上がった感情が抑えられる。
 ゆっくりとだが、冷静さを取り戻す。
 癪だけども雁屋のおかげだ。
 だがアイスは奢ってもらう。
 今のこの状況は二千パーセントあいつのせいだ。
 まったくもう。
「わかってるっての!」
 自分への喝も込めて、雁屋に大声で返す。
 深夜だからなんだと言うんだ。
 そして、思いっきり人形を壁に踏みつけた。
「人形ごときにびびってたまるかよ」
 自分に言い聞かせるように吐き捨てる。
 そして、私は踊り場を後にした。。
 誰もいなくなった踊り場。
 背後で人形が笑っていた。
 悪意のある笑い声がずっと響いていた......。
 
 
二章 伝聞にこそ悪意が潜む

 目覚めると、見慣れた我が家の天井が視界に入った。
 ん、天井?
 不思議に思い、身体を起こすと何故か腹が痛む。
「いてててて......」
 腹を下している時の痛みではないとすぐ気づいた。痛みの種類が違うとでも表現すればいいのだろうか。
 腹痛よりももっと鈍く、しかし疼く。
 確か、昔に同じような痛みに苦しんだことがある。
 ああ、あれだ。
 中学の美術の授業時のことだ。私は不注意から彫刻刀で指をえぐり、なかなか酷い傷を指につけてしまったことがある。
 あの治療過程時の痛みに、これは似ている。
 ただ、あの時と今は違う。
 年齢じゃない。
 やはりというか、服の腹の辺りに穴が開き、その穴付近が赤い液体、いや、血で染まっている。
 いそいそと服を脱ぐ。
 服の下の肌には、傷一つない。
 あの時とは違う。私は普通の人間とは違う。
 人間のままだと思いたい私と、人外であることを強いる体が拮抗した結果がコレだ。血が出た後はあるが、乙女の柔肌には傷一つ残っていない。
 まるで、最初からそんなもの無かったかのように。
 とはいえ、見かけこそ回復しているが、血塗れの服と未だ残る鈍痛が実際に傷があったことを訴えている。
 まだ、人間でいられている。
 その事実が、私にとっては嬉しかった。
「あーあ。結構気に入ってたのにな、このニット」
 呟いて、脱いだ服をもう一度観察する。
 腹部分は真っ赤に染まっており、縦に細い穴が背中から腹までしっかり貫通している。どう見ても刃物でぐさりと刺された跡だ。
 はて。なにがあったのだったか。
 よく考えれば、今の状況は明らかに変だ。
 刺されて、意識がなかった。
 記憶も少し曖昧だ。どこまで思い出せるだろうか。
 まずは私自身。名は小林茜。歳は十八。職は探偵さんの助手とファミレスのアルバイトだ。
 はてさて、確か......探偵業の方で「人形が出てくる悪夢をどうにかしてほしい」と依頼を受けたのだったか。
 依頼人は黒胤奏(くろたねかなで)。かわいい女子高生だ。
 西洋人形が絡んできてやる気を出した私の保護者兼雇い主のあざみさんが依頼を引き受けた。そのままあざみさんは調査に向かってしまったのだ。
 そして私はそのまま仮眠をとったはずだ。
「......あ」
 ここまで振り返って、思い出した。
 私も、同じ夢を見たのだ。
 一寸先も見えない暗闇の中、金の髪に蒼の瞳の人形がただ見える。そして、ただそいつが笑うのだ。
 不気味だな、とは思ったけれど怖いとは思わなかった。
 その一度しか見ていないからかもしれない。
 奏ちゃんは夜な夜な見ると言っていたし。
 連続性こそがキモなのかも。
 ともかく。
 その夢から覚めた直後に、後ろから錆色の刃物でぶっ刺されたのだ。
 普通ではないにしろ、今の私は半人間半妖怪のようなもの。人間の部分が痛みに耐えきれず、そのまま気を失った......のだと思う。
 なにも進展はしていない、か。
 後ろから刺されたので犯人の顔も見ていない。
 悪夢についても考察が進んでいない。
 こういうときはおとなしくあざみさんに相談しよう。
 蛇の道は蛇だったかな。そんな感じだ。
「そのまえにっと......」
 血塗れの床。
 もう雑巾にする以外に用途がなさそうなおきにの服。
「掃除、しないとなあ」
 午後三時。あざみさんが帰ってくるまであと一時間といったところだ。
 ......がんばろう。

*

 あざみさんはタバコを一本、箱から取ると机の上でとんとんとし始めた。
 あざみさんが困り果てた時の癖だ。
「それで......件の人形様に刺された?」
「多分、ね」
 午後五時。私の予想よりも一時間遅れて帰ってきたあざみさんは、私の報告を聞いてからなんともいえない顔になってしまった。
「怪我は?」
「してない。ん、『してた』の方が正しいかな」
「そうか。ならいい」
 あざみさんはそれっきり黙ってしまった。
 とんとん、とんとんと静かな部屋に音が響く。
「それで」
 たまらず、声を出した。
 静寂に耐えられなかったのだ。
 慎重に言葉を選びながら話し続ける。
「なにか、収穫はあった?」
 あざみさんは、今回の件はそういう噂が流行っているからではないかと推測していた。
 それを確認するため、近くの高校生の下校時刻を狙って噂の確認をすることがさっきの調査の目的だったはずだ。
「あった」
 内容とは裏腹に、あざみさんの口調はどこか吐き捨てるようなものだった。幾分かの諦めや苛立ちが言葉に込められていた。
「ああ、あったさ。ありましたともさ。人形がどうのこうのなんて噂が全く流れていないって事実がな」
「は......?」
 あざみさんが言っていたことを思い出す。そんなに昔ではない。今日言っていたことだ。
『要するに、みんなの妄想ってこと。みんなで同じ妄想を共有している。都市伝説みたいなもん』
 それはつまり。
 噂がなければ、存在しないのと同じだということだ。
「そうだ」
「誰にも認識されないことは存在してないことと同じ」
「それが世界の真理だ」
 あざみさんはそう吐き捨てた。
 これは、比喩でも何でもない。
 ヒトの想像が生み出してしまった怪談や都市伝説の化け物たち。
 広く知られたそれらは、やがて想像を超えて実体化し、物語通りのふるまいをし始めた。
 ゆえに、この化け物どもは『役者』と呼ばれる。
 他の化け物と違い、生みの親は人間だ。
 そして、殺すのも人間である。
 『役者』の生命力は周知度と同義であり、つまるところそれは『誰にも知られていなければ、生きていないのと同じ』なのである。
 ...と、だいぶ前にあざみさんが説明してくれた。
「だからまあ、私は噂なんて流れていないと判断した時点で最初の仮説を棄却しなきゃならんのだが...」
 妙に歯切れが悪い。
「それがどうかしたの?」
「ん、話が創作みたいな感じがしてな」
「どういうこと?」
「依頼人の状況。夢でゆっくり、なんてのは『役者』向けだ。だから、『役者』の仕業じゃないと断定するのに違和感があってな」
 ああ、なるほど。
「だったら、黒胤さんにもう一回話を聞いてみたらいいんじゃない?」
 単純な話じゃないかなあ、と思った。
 二つの結果が噛み合わないのであれば、もう一つをもう一度検証すればいいのだ。
 今回の場合、黒胤奏からもう一度話を聞けばいい。
 それでもおかしいのであれば、仮説がおかしいのだ。
 高校の時にやったあれだ。背理法。前提がおかしかったらその後に算出される結果もすべておかしいものになる。 
「......お前、たまに賢くなるな」
「ふっ、いつも賢いよ」
「はいはい、このバカ」
「何でさ!」

*

「人形の夢?」
「なんかー、それで困っている人がいるみたいで」
 翌日。
 私はせっせとアルバイトをこなしていた。
 ファミレスの厨房での調理である。
 不特定大多数の人間とのコミュニケーションが必要ないという点で、私にとっては非常にありがたい。
「いやあ、聞いたことないけどなあ」
と、皿を洗いながら話すこの人は同じ厨房担当である私の同僚。伊吹(いぶき)艾(もぐさ)さんだ。二児の母ということ以外はあんまりよく知らない。
 なんとなく、ママさんネットワークなどでそういう噂が流れていたりしないかと仕事中に話を振ってみたのだが、徒労に終わったようだ。
「そうですか......」
「なぁに? また例の探偵屋さん?」
「あ、そうですー」
 この人は私の数少ない知り合いなので、事件の度に結構話を聞いている。これでなかなか重要な情報源だ。実際、この人の情報で事件が解決したこともある。
 なので、この人には私の本業のことも話してある。
「大変なのねぇ。今回も不思議な事件みたいだし」
「そうなんですよー。そういう人形って初めて聞いたのでそういう噂とか流れてない物かなーと思いまして」
「えー。そういう話、小説とかだとよく見るけどなぁ」
 あ、そうだった。
 この人はかなりの読書家でもあるのだ。以前、そう聞いた気がする。私の拙い記憶力ではあまり詳細に思い出せないが。
 今回のように、えーーっとなんだったか。
 そう、『役者』だ。
 物語の存在が絡むのであればもう少し優良な情報を聞き出せるのではないだろうか。
「お話だとよくあるものなんですか?」
「んー。なんというか、よくある話をつなぎ合わせたように思えるのよ」
 よくある話。それはつまり、怪談としてのテンプレというものだろうか。実際、私も最初聞いたときはよくある話だとは思っていた。
 しかし、つなぎ合わせたとはどういうことだろうか。
「つなぎ合わせた?」
「そう。何かが迫るというのは悪夢の典型ね。これはフィクションでも現実でもよく聞く話。現実だと何かの恐怖から逃げ出してしまいたいという欲求の現れね。
「一方、創作作品だと、追い付かれてしまったら現実でも追い付かれてしまっていたり、将来それが迫ってくるという予知夢になっていることも多い。
「茜ちゃんの話だと、さっきの話では現実にも来てしまうやつね。まだ遠巻きにしか見てないみたいだからもしかしたらあらかじめ見せている、予告状みたいな奴かな」
 と、艾さんはここで皿を洗い終えて水を止めた。
 そろそろシフトの交代時間だ。
「それと、人形。さっきの何かが迫る悪夢もなんだけど、これもホラー作品に結構ある題材。人に近い容姿をしている無機物っていうのはそれだけで怖く感じられるし、藁人形とか人形流しとか、呪術の際にヒトの代わりとして扱われた歴史もあるもの」
「加えて」
「『追う人形』という題材自体が多い。有名どころでもリカちゃんやメリーさん、何度捨てても戻ってくる人形などがある」
「悪夢と人形に相関はないけれども、その両者を『迫る者』で纏めている」
「でもなんだか無理やりくっつけたようにも   」
 口を挟む隙もない。
 私はただ艾さんの話を一生懸命理解しようとしていた。
 こんなにも喋る人だったのか、そしてこんなにも鋭い洞察力の持ち主だったのかと今更ながら気づく。
 自分が如何に周囲を見ていなかったかを思い知る。
 少し、考えを改めたほうがよさそうだ。
「   と、ごめんね。交代時間になっちゃってた」
「ああ、そうですね。休憩室の人たちと交代しましょう」
 私も手を止めて厨房を後にする準備をする。
 ......今の『無理やりくっつけた』は重要な情報だと思う。
 無理のある話は自然に発生しない。
 誰(・)か(・)が(・)故意(・・)に(・)作り出したと考えるべきだ。
 誰が? ......わかるわけもない。
 そういったことに詳しいのはあざみさんの方だ。
 毎度のことではあるが、情報という観点で私が役に立てる点はない。
 昔はただの箱入り娘。
 朝霧、という家はそういったものとの関わりがあったのだが、私はそういうものを教えられるより先に暴走してしまったため知識を教えられなかった。
 最近の事件を通してコツコツ学んでいるところだ。
「茜ちゃん、どっかお茶でも飲みにいかない?」
 準備がほとんど終わり、交代したタイミングで艾さんに話しかけられた。
 他の人ならともかく、艾さんだ。変に緊張することもないしぜひ行きたかったのだが......
「すみません、今日は用事があるので。また今度お願いします」
 そう、今日はこれから黒胤さんからもう一度話を聞かなければならない。
「そうなんだ。じゃあ残念」
「あはは、すみません」
 その後は取り留めもない話をして、バイト先を後にした。

*

午後五時。
「もう一度話、ですか......」
 黒胤さんからの情報収集パート2である。
 一日ぶりに会った黒胤さんは随分と雰囲気が変わったように見えた。
 憔悴が激しいのだろうか。だいぶ顔色が悪いように見え、全体として雰囲気が暗くなっていた。
「そうです。辛いとは思いますが、もう一度」
「わかりました」
 黒胤さんがそう言ったことを確認して、こっそりとケータイの録音機能を作動させる。あざみさんの指示だ。
 こっそり作動させたのは、なるべく自然体で話してもらうため。一部の人は記録されているとわかるとどうしてもそちらを気にしてしまい、うまく喋られなくなることがある。
 今回は特に正確性を重視しているからこその処置だ。
「最初は一ヶ月前ほどだったと思います。」
「うんうん」
「悪夢を見始めました」
「どんな?」
「先も見えない暗闇に私がぽつんと立っているんです。でも、それだけじゃなくて」
「人形が遠くからこちらを見ていたんです」
「笑みを浮かべて」
「こちらをずぅぅっと見ていたんです」
「しかも」
「日が経つにつれ、そいつは私に近づいていました」
「ゆっくり、ゆっくり」
「今ではもう、目と鼻の先にいて......」
「昨日なんて、喋りかけてきました」
「......え?」
 なんだそれは。新情報だぞ。
 昨日の朝聞いた情報とやはり大差がないと思っていたら、急に新しい情報が来たので驚いた。
「『私、メリーさん。今はあなたの家の前にいるの』って」
「?」
 『メリーさん』
 都市伝説の大御所だ。
 うすうす関係しているのではないかと思ってはいたが、これで確定した。少なくとも今回の騒動に『メリーさん』が絡んでいる。
 問題は、本来の『メリーさん』からかなり逸脱していることだ。
 普通、話の亜種といえどもそこまで変容はしない。と、あざみさんが言っていた。
 都市伝説『メリーさん』の幾つかの根幹のうちの一つには、『電話で逐一連絡を取ること』も含まれている。が、携帯電話なんて一度も今の話にはでていない。
 何かがおかしい、と思う。
「......」
 忘れていた。黒胤さんを放ったらかしていた。
 頭の中で質問をまとめる。
「それで、どうなったの?」
「目覚めると、朝でした。恐る恐る自室から家の前を伺いましたが、何かがいたようには見えなかったです」
 ここも変だ。
 メリーさんが指定した場所にいない。
 時間差があったからか?
 ......私が考えても時間が経つだけ、か。
 あとはあざみさんが言っていたあれだけ聞いておこう。
「そう言った話って周りで聞いたことある? それとも自分がそうなったのが初めて?」
「こんなの、聞いたことあるわけないじゃないですか。自分がなったのが初めてです」
 まあ、そうなのかなとは思っていた。
 インターネットで検索をかけたりもしてみたが、似たような話は見つけられても同じ話はなかったのである。
 とりあえず、この辺りでいいだろう。
 携帯電話の録音機能とは長い間続けているとガンガン充電を使い、あっという間に充電が切れてしまう。
 私が使っているような型落ちスマホならなおさらだ。
 そっと、録音停止のボタンを押す。
「ん。ありがとう。早いうちに何とかしないとね」
「その......」
「なに?」
 黒胤さんはうつむいて、なにやらもじもじとしている。
 ああ、そういうことか。
「お手洗いなら、部屋を出てすぐだよ」
「違いますっ!」
 違うらしい。
「あの......私、生きていられるのでしょうか」
「と言うと?」
「その......人形がもう私のすぐそばまで来ていて......探偵さんたちはまだ何もできていないんですか? 私はもうダメなんでしょうか......」
 不味いな。
 不安が恐怖を呼び、恐怖がさらに不安を呼んでいる。
 絶望の悪循環だ。
 言葉を選ぶ。少しでも間違えればこの子からの信用を失うだろう。
「大丈夫」
 足りない。もう少し。
「絶対に何とかして見せる」
 そう言うと、黒胤さんは安心したように少し笑った。

*

「違和感、だ」
 録音を聞いて開口一番あざみさんはそう言った。
「違和感?」
「そうだ。この録音、何かおかしい」
「何がおかしいの?」
「それがわからねんだっつの。漠然とした違和感はあるんだが、それがなんだかわからねえ」
 私にはまったくわからない。
 そもそも、直で聞いていても感じなかったものを後から感じられるわけがないのだ。
「何だ、何がひっかかっている......」
 あざみさんはぶつぶつと呟きながら、タバコの箱を取り出した。
 銘柄はいつものハイライト。
 吸わないので違いなんてわからないけど。
 とんとん、とんとんと机に打ち付け始める
 あざみさんは殆どあの癖のためだけにタバコを買っているのではないだろうか。滅多に吸うところを見かけない。
 以前、吸っているところを見かけたが、けほんけほんとかわいらしい咳をしていた。
 多分苦手なのだと思う。
 なんで苦手なのにあんな癖がついているのだろう。
 あざみさん七不思議のひとつだ。
 ちなみに残り六つはない。
『昨日なんて、喋りかけてきました』
 私がくだらないことを考えている間、あざみさんはもう一度録音を聞いていたらしい。黒胤さんの声が小さな携帯から聞こえてくる。
『「私、メリーさん。今はあなたの家の前にいるの」って』
 とん、と音が止んだ。
「ここだ」
 あざみさんが静かに呟く。
 申し訳ないけど、私はまだわからない。
「なにかわかったの?」
「なあ、最初に話をしたとき、黒胤奏は何と言っていた?」
「どういうこと?」
「私がもう一度話を聞いたときはこう言っていたんだ『最近現実でもその人形を見かけている気がするんです』ってな」
「......ああ、なるほど」
 私だってそんなにバカじゃあない。
「そうだ」
「いいか、『メリーさん』って物語の一番のキモは『姿が見えない何かが迫ってくること』だ」
「それに対してこいつはなんだ。チラッチラと現実で姿を見せてやがる」
「お前がすぐに刺された時点で気づくべきだったな。『メリーさん』という物語は迫る段階なしで行動を起こすことはあり得ない」
「しかし、黒胤奏の言葉を信じるならば、こいつはメリーさんと名乗っているそうじゃないか」
「そうなると可能性は二つ。もちろんわかるよな」
「えっ」
 急に話を振られ、慌ててしまう。
 この可能性については事前に考えていたはずだ。
 ええっと、ええっと。
「ひとつ、違う『役者』がメリーさんの振りをしている。ふたつ、『メリーさん』という物語がかなり大きく変質した......違う?」
「いいや、あってる」
 あざみさんからのお許しが出て、ほっと息をつく。
 この人は理解のできていない人間に異様に厳しい。
 確実に教師は向いていない性格だ。
「どちらにせよ厄介だが......私としては後者のほうが好ましい」
「ようやく一匹、メリーを葬れる」
「といってもさ、どうするの」
 徐々に相手のヴェールが剥がれてきたが、実際のところこちらは後手どころか一周遅れぐらいしている。
 既に黒胤さんは人形に迫られており、こちらはその正体に勘付き始めてはいてもその対処法までは思いついてもいないという状況。
 早い話がこの状況はヤバい。
「お前が言っているのはメリーの対処法のことか」
「それ以外に無いと思うけど?」
「悪いが、そもそも『役者』をどうこうする手段ってのはかなり限られる」
「前に言っただろ?『役者』は知名度がそのまま生命力になる。つまりそれは、人々に広く知られている物語はそれだけ死なないってことだ」
「なに、それ」
「『役者』の唯一の根絶手段は噂や都市伝説、怪談とかの根源を潰したり、対抗神話を流すことで人々の記憶から消すことになるんだが......」
「対抗神話?」
「『実はこういう科学的根拠があった』みたいな『役者』の物語の信頼性をぶち壊しつつ口伝されやすい噂のことだ。これを流して『役者』を消すこともできることはできる」
「じゃあ......」
「無理だな」
「今回は本物かどうか知らんが『メリーさん』が噛んでいる。癪だがアイツは都市伝説としてものすごく知名度が高い。並大抵の噂で殺すのは不可能だ。『メリーさん』という物語はそれだけ話題性があり、強い」
「......」
 それでは黒胤さんを救い出すことなんて不可能じゃないか。
 大丈夫だと約束した時の黒胤さんの顔が脳裏をよぎる。
 無理なのか。
 何か手段はないのか。
「何を暗い顔してやがる」
「いや、でも......」
 依頼人の命がかかっているのだ。
 暗い顔にならないわけがない。
「お前には手段があるだろう?」
「は?」
 もしかして、あざみさんはアレのことを言っているのか?
「もちろん、『朝霧』のことだ」
「アレを手段として使えと?」
「そうだ。というよりも、残念ながらこちらにはそれ以外に手段がない」
「無茶だよ。それは」
 私には、人間のものではない能力がある。
 しかし、人間と言うのは得てして自分の手に余るものを扱おうとすると、大抵が首尾よくいかず自滅する。
 私の持つ能力とはそういうものだ。
 考えなしに使うと周囲に被害が及ぶ。
 しかし、あざみさんは全く意に介していないらしい。
「無茶で結構。どのみち無茶をしないと根絶できんような化け物だ」
「......考えておく」
「わかっているとは思うが、時間はもうないぞ」
「わかってる」
「結構。
 私の予想では、今晩が峠だ。黒胤奏には悪いが、二十二時くらいにここに来るよう連絡しておけ」
「ここで何とかするつもり?」
「ああ」
「......私がアレを使わないことにしたらどうするつもり?」
「出てきたメリーをボコる」
「死なないんじゃないの?」
「多分な。ただそれは理論の話だ」
「お前が使わないならその選択は尊重する。しかしお前以外には葬れないも同然なんだ。とりあえずボコってふんじばるしかあるまい」
「それで無理だったら?」
「さあな。その時どうにかするさ」
「......黒胤さんに連絡してくる」
「ああ、そうだ。泊まることになるかもしれんから親に適当な言い訳をさせておけ」
「わかった」

*
 朝霧(あさぎり)。昼(ひる)靄(もや)。夕(ゆう)霞(がすみ)。
 それぞれ、禁術に手を出した一族である。
 それぞれがそれぞれの理由で   しかし取った手段は同じだった。
 ヒトを化け物へと変えること。
 超常の存在へと押し上げることで目的を達成しようとしたのである。
 それがどう行われたのか、結果としてどうなったのかは子孫でしかない私にはわからない。
 成功したかどうかなんて知ったことか。
 問題は、私にまでその影響が残っていることである。
 生まれたときはまだ私は人間だった。
 そして、運悪く、本当に運悪く条件が揃ってしまい、眠っていた化け物の能力が花開いてしまった。
 周囲の人間を傷つけるしか能がない能力だ。
 これで、黒胤さんを助けられるなら使ってやろう。
 
*

「こんばんは、黒胤さん」
 時間ぴったりに来た黒胤さんを迎える。
「こんばんは」
 その顔はやはり憔悴しており、暗い雰囲気が漂っている。
「今晩は泊りになると話してきた?」
「はい、友達の家に泊まると」
「おっけー」
 そのまま家の中に入れ、急いで片付けた客間を紹介する。まあ、客間といってもただ余っていただけの部屋だ。
 女二人暮らしでさえ、この一軒家は手に余る。
 一階を事務所に変えてなお二階が埋まらないくらいだ。
 だから、二階に誰も使わない部屋が二つ、あった。
 そのうち広い方を黒胤さんにあてがったのだ。
 もちろん、この後の展開を見越して広い方を選んだのである。
「はい、お布団くらいしか用意できなかったけどここが部屋ね」
「あっ、ありがとうございます」
「いーのいーの。何かあったら呼んでね」

*

「いーのいーの。何かあったら呼んでね」
 そう言って、茜さんは部屋から出ていった。
 ぼふん、と用意された布団に座り込む。
 思ったよりふかふかだ。
 そのまま、えいやっと布団に倒れこむ。
 ...私の名前は黒胤奏。多分、本来はこんなところにいるべきでない一般人だ。
 始まりは、奇ッ怪な夢だった。暗闇の中、人形がこちらを見ている夢だ。それがだんだんおかしくなって。人形は近づいてくるし、学校とかでも見るようになったし。気が付けば、取り返しのつかないところの一歩前まで来ていた。
 その一歩前でここに来たんだけど......ここに来てよかった。
 茜さんたちならば、きっと何とかしてくれる。
 茜さんの励ましを思い出しては、そう思う。
 そう、きっと何とか......。
 何......
 ......。
 ああ、眠い。少し寝よう。

*

「黒胤さん部屋に案内してきたよ」
「ん」
 あざみさんは咥えたタバコをぴこぴこしながら返事をした。
「今何時だ?」
「んー......午後十時半」
「そうか。黒胤奏はもう寝たか?」
「まだだと思う。すぐに布団に入ってもまだ時間がかかるんじゃないかな」
「そうか」
 あざみさんはそれっきり黙り、ごそごそとジーンズのポケットを漁り始めた。
 ごそごそ。ごそごそ。
 ごそごそ。ごそごそ。
「......なに探してるの」
「ライター」
「目の前にあるでしょ、もう」
「あ、すまん」
 そう言ってあざみさんは咥えたタバコに火をつけた。
 珍しい。
 ぷはー、と白い息を吐く。
 そして、けほんけほんとえづきはじめた。
「どうして苦手なのに吸うの」
 前から気になっていたことだ。
 煙草を吸っているあざみさんは無理してコーヒーを飲んでいる子供のように見える。
「苦手じゃない」
 強がっている点なんかまさしく子どもだ。
 不覚にもかわいいと思ってしまった。
「苦手じゃねえから。本当に」
「はいはい」
「お前......」
「わかってるって。じゃあ何で吸っているの?」
「別に、吸うのに理由なんてねえよ」
 なんて格好つけられても、続く咳で台無しだ。
「あるんでしょー、理由」
 確実に弱みを見つけた、と私の中の悪魔がぴょこんと姿を現す。
 好奇心は何とやらだったか。
 昔の言葉を思い出すが、それ以上に気になって仕方がない。
「あーもー、別になんだって  」
 あざみさんの抗議はそこで止まった。
 二階からガタンゴトンと非常に大きい物音が聞こえてきたからだ。
「おい」
「聞こえた」
「ならわかっているな。行くぞ」
「うん」
 あざみさんは俊敏な動きでソファから立ち上がり、そのまま会談へと突っ走った。
 私も後をついていく。

*

 黒胤さんの部屋は、異様な雰囲気に包まれていた。
 部屋の端で黒胤さんが縮こまっている。
 私とあざみさんは入り口で呆然としていた。
 なぜならば。
 部屋の中央にもう一人。
 いや、もう一体いるからである。
 蒼色の瞳。ウェーブがかった金の髪。着ているゴシックロリータ風のドレスは所々が破けている。そのせいで球体関節がはっきりと見えてしまっている。そしてなぜか、ハサミを片側だけもぎ取ったような、かなり大きめの丸い取っ手のついた刃物をぷらんと持っている。
 捨てられた、そんな印象を抱かせる人形が部屋の中央で仁王立ちしていた。
「私、メリーさん」
 ぽつり、と人形が喋る。
「知っている」
 あざみさんが喋る人形を睨みつけていた。
「あなたを、ずっと探していたの」
 メリーはぼそぼそと、あざみさんに喋る。
 どういうことだ。
 こいつは黒胤さんを狙っていたのではなかったのか。
 そもそもどこから入ってきたのか。
 説明を求めてあざみさんに振り返るが、私が見えていないように見えた。
 眼はずっと、メリーを捉えている。
「ああ、私もだよ」
 あざみさんがそう言った瞬間、私は部屋の外まで弾き飛ばされていた。
「痛っつ......」
 見れば、腹にメリーが刺さっていた。
 いや、刺さっているのはメリーではなく、彼女?が握っている刃物の方だ。メリーは刃物の取っ手を握っているだけである。
 ああ、刃物を構えて突進してきたのか。
 遅ればせながら、理解が追い付く。
「茜!」
「あー、なんとか大丈夫」
 痛みはある。すっごい痛い。
 でも、これは致命傷ではない。私にとって致命傷ではないのだ。
 これ幸いと腹の中のメリーをがっちりと掴む。
 ......掴もうとしたが、意外に俊敏な動きで刃を抜かれて、また部屋の中に逃げられてしまった。
「っっつ......」
 刃を引っこ抜かれた時の痛みが体を巡る。
 が、お腹を触ってももう穴なんて開いていない。
 こういうときは便利なものだと思う。
 不便な時の方が多いが。
 お腹に力を入れて、立ち上がる。すでに治っているものに痛みを感じているという点で、これは幻肢痛に近い。
 忘れてしまうことが、痛みを感じなくなるコツだ。
 部屋の中を睨むと、メリーが顔の機構を駆使して存分に『人形の呆けた顔』をしてみせていた。
「貴女......何よ」
「喋る人形が何を言っている」
 思っていたよりも喋るメリーに、あざみさんが詰め寄った。
 ドアのところから組み伏すように跳びかかった形だ。
「っ、ああもう! 先走りすぎ!」 
 あざみさんが行動してすぐ、メリーは刃物をすっと縦に構えた。このまま飛びかかれば、あざみさんは勢いと重力であの刃にぶっ刺さるだろう。
 跳躍し、壁に両足を当て、力を入れる。
 簡易的なカタパルトだ。
 そのまま自分を発射。
 人間ではない体は思っていたよりも出力が強く、ものすごいスピードで宙のあざみさんと激突する。
「がっ......」
「かはっ......」
 二人で仲良く、部屋の隅まで転がった。
「ちょっと、大丈夫ですか?」
 寝転がった私たちに誰かが話しかけてくる。
「私です! 黒胤です! しっかりしてください!」
 ああ、黒胤さんか。
「ああ、うん。大丈夫大丈夫」
 少し体を起こすと、私の顔を覗き込んでいる黒胤さん。
 そして、その後ろからあの刃物を振りかぶって跳躍しているメリーが見えた。
「ごめんね!」
「へ、うわっ」
 寝ころんだ姿勢のまま、黒胤さんの横腹を回し蹴りの要領で蹴っ飛ばす。
 バンっと大きな音が鳴ったので多分壁にぶつかったみたいだ。
 申し訳ないが、命よりマシだろう。
 対象を失ったメリーは、重力に従って私の方に落ちてくる。
 避けようにも避けられないと判断。
 すっと腕を交差させて耐える姿勢を作る。
「いやっ......やっぱ無理......」
 メリーも大したもので、私を切れると判断してすぐに押す刃に力を入れやがった。
 結果、宙に浮くメリーの体重を刃という支点だけで私が支えている。
「くっ......この!」
 腕に力を入れ、前に突き出してバランスを崩す。
 いくら体重を入れようと所詮は人形。
 あっという間にころころと飛んで行った。
 ハァ、ハァと息を整える。
 おそらく数分も経っていないだろうが、すでに私は精神面で満身創痍に近い。
 体はどうあれ、私の精神はただの二十歳手前の女だ。
 短時間で何度も傷を負って、身体を思うように動かせない。
 あざみさんを横目で確認するが、また起き上がっていない。もしかしなくても私のせいだが、やはり死ぬよりはましだろう。
 どうも因縁があるみたいだが、はっきり言ってこのまま乱闘していても勝ち目がない。事実、壁に打ち付けられてもさほどメリーはダメージを受けていないように見える。
 刃物を拾って構える余裕すらあるようだ。
 やはり。
 あざみさんには悪いが。
 終わらせる。
 私も、覚悟を決めるときだ。
 ひとつ、深呼吸。
 そして、脳のスイッチを切り替える。
 日常から非日常へ。
 現実から虚構へ。
 さて   雰囲気作りだ。
「貴様に還る場所はない」
「貴様が在るべき場所はない」
「貴様は在るべきではない」 

 *

「貴様は在るべきではない」
 えっ、なにこれどういうこと?
 さっき茜さんに弾き飛ばされて気を失っていたみたい。
 おそらく、気を失っていた時間はそんなに長くはない。
 精々が数分と言ったところだ。
 しかし、その数分で、何かが変わっていた。
 横たわるあざみさん......はさっきと変わらないけども。
 茜さんの様子が変だった。
 静かに。
 荘厳な雰囲気で言葉を紡いでいる。
 そう、なんというか、『紡ぐ』という感じだ。
 ただ喋るのではなく、能や狂言の一場面のような。
 『意味のある言葉を伝える』ことに重きをおいている......んだと思う。
「霧は貴様を還さない」
 そうだ、あの人形は?
 ゆっくりと後ろに下がりながら辺りを見ると、すぐに見つけられた。
 刃物を腕から下げ、棒立ちしている。
 どこか苦々し気な表情をしているみたいだ。
「霧は貴様の場所でない」
 気づけば、この部屋の空気がどこかおかしい。
 さっきまでは少し埃臭いが、人間の家、という匂いだったと思う。
 今は違う。
 どこか湿り気のある......そうだ、雨の臭いに似ている。
「霧は貴様を認めない」
 違うじゃん。
 霧だ。
 なぜ気が付かなかったのだろう。
 部屋が、霧で満ちていた。
 前後左右が真っ白だ。
 何も、見えない。
 そして、視界だけでなく意識までぼんやりとし始めた。
 ......。

*

「霧は貴様を認めない」
 ...よし。
 大丈夫。
 私は大丈夫。
 ちゃんとコントロールできている。
 これが朝霧と言う家の手段。
 名の通り、朝霧の人間は霧という気象をそのまま内(・)に(・)秘めて(・・・)いる(・・)。
 霧とは不安や障害など、様々なものの暗示である。。
 朝霧の人間はその暗示に沿った一種の能力のようなものをその身に帯びているのだ。
 私の場合は『失踪/不定』。
 カタチなきものに刃を突き立てたところで傷がつくはずもない。私が人間であることを全力で望んでいるため、この能力はあまり働いていないが。
 そして『失踪』とは文字通り生物を霧で飲み込んで、消し去ってしまう能力だ。今回はそれでメリーさんという『役者』を存在ごと消し去ろうとしたのだが   
「私、メリーさん。今はあなたの後ろにいるの」
 な。
 背中に激しい痛みが走る。
「くっ......がっ......」
 なんで。
 どうして。
「ふうん。頑張って突き刺してもすぐ治っちゃうんだ」
「つまんないの」
「どういう、こと」
 痛みがまだ引かない。思ったよりもしっかり刺されてしまったみたいで、人間の部分が抵抗を続けている。
 メリーは刃物の取っ手の部分に腕を通し、くるくると回しながら口を開く。
「べつに。どうもこうもないよ」
「あなたが頑張って消したのは、私の外側だけってこと」
 そう言って、くすくす、と笑う。
「私ね、メリーさん」
「......そ、そんなことは」
 とっくに知っている。そう言おうとした。
「でもね、私の『役割』は『メリーさん』だけじゃなかったの」
 くすくす、とメリーはまだ笑う。
「は?」
「お話しはおしまい。あのぶっそうなお姉さんがそろそろ起きちゃう」
 そしてメリーは、くるくるっと回していた刃物を掴んでもう一度私に振り下ろした。
「がっ......」
「ごきげんよう。あなたと遊ぶのは楽しかったけれど、あなたはおもちゃどころか命を取ろうとするんですもの。とっても怖かったわ」
 言うや否や、刃物を引っこ抜き、恐ろしいスピードで窓をぶち破って去ってしまった。
 ......。
 壊れた窓から霧が抜ける。
 視界の利かなかった部屋が見渡せるようになる。
 ぐちゃぐちゃの部屋には、気を失っているあざみさんと黒胤さん。そして、血塗れの私が取り残されていた。
 ......。
 クソッ、取り逃した......。
 後悔が、私を苛む。


                       続く


さわらび121へ戻る
さわらびへ戻る
戻る