妹の告白

紫苑ミリ


 姉さんへ

 この前はありがとう。久しぶりに会えて良かった。
 姉さん、何度も「あんたがうらやましい」とおっしゃってたわね。白く抜ける肌、桜色の頬と唇、済んだ瞳、華奢な身体。全部全部、うらやましいって。あんたになりたい、って。
 だけど、姉さん。それなら努力しなくちゃ。私だって私であるために努力してるんだもの。ねえ、鏡を見て泣いたことって、ある? あんまりにも自分の顔が醜くって耐え切れなくて泣き出してしまうことよ。私はね、それがほとんど毎日続いて、苦しいの。姉さんは私になりたいって言うけれど、私は私になんて生まれたくなかったわよ。
 鏡を見ていたら、どこか急に穴が開いたみたいになって、家じゅうの食べ物を食べてしまうの。そうしたら穴が塞がると信じてるみたいに、お腹がいっぱいになっても、食べてしまう。それでまた鏡を見るでしょ。そうしたら鏡の中に、おびえた目つきの子豚ちゃんが映ってるの。笑っちゃうわ。急いで喉の奥に指を入れる。でも、指だけじゃなかなか吐けないから、胃液だけが溢れてきて、喉が焼けていく。お腹に力を込めて初めて、さっき食べたものが出てくる。だけど、少しでも吸収されてしまったんじゃないかって不安なのよ。賢い姉さんなら、はなから食べないようにしたら。とおっしゃるでしょうね。私もそう思うわ。実を言うと、食べることは好きではないし、そもそも息もつかずに口に放り込んで飲み込んでいるだけだから、味も分からないの。それなのに、気が付いたら何かをむさぼって、そして吐き出している。
 そうこうしてたら、普段の食べ物でさえも吐いてしまうようになった。この前姉さんと喫茶店に行ったでしょう。私がオムライスとスパゲッティとパフェを頼むと姉さんは驚いていたわね。「そんなに細いのにそんなに食べるなんて」。「神さまは不公平だ」とも。だけどちっとも不公平じゃないわ。食べたはしから全部、吐き出しているんだもの。
 そうそう、姉さんは自分のと見比べて私の鼻を褒めてたわね。自分の鼻の、全体は小さくて低いのに、にんにくみたいに小鼻ばかり大きいところが嫌だ、あんたの鼻は筋が通っていて、高くて綺麗だって。
 さて、ここでクイズです。私の軟骨はどこに行ったのでしょう。答えは、この鼻先。姉さんが褒めてくれたこの鼻には、本来耳にあった軟骨が入ってる。美しいでしょう。お医者さまも気に入ってたくさん褒めてくれたわ。三十万円とちょっとでこの鼻が手に入るの。それも半永久的に、よ。安い買い物じゃない?
 それから、歯ね。まるで貝みたいに美しいわね、って言ってくれたこの歯は、セラミックなの。自分の歯を削って、上からセラミックの歯をかぶせている。瞼の脂肪だって、切り開いてどっかに捨てちゃった。代わりに、唇にも涙袋にも、顎とおでこにも、ヒアルロン酸をいれたのよ。
 ねえ姉さん、これだけしてもまだ私、自分のこと好きになれないの。間違いなく、私は今がいちばん美しい。今が美の盛りなのよ。たくさんの人に褒められるわ。道を歩いてるだけで視線を独り占めできる。だけど、千人からの称賛よりも、一人からの「ブス」って言葉が大きいの。ときどき顔を掻きむしりたくなる。全部消したいわ。私は私でなくなりたい。
 それに、よ。この美しさはいつか消える。いえ、いつかなんて遠いものじゃない。明日にはなくなってるのかもしれない。朝起きたら、涙袋のヒアルロン酸が吸収されて、目元のたるみだけが残っているかもしれない。呼吸をするたびに、どんどん筋肉の動きと顔がずれていく。しわやシミができたら、どうしたらいいの? ひとつ歳をとるたび、私の価値は下がっていくでしょう。ああ、私、老いるのが怖いわ。私の美しさが損なわれてしまったら、私の容姿に惹かれて寄ってきた人たちはみんないなくなるわ。セラミックの歯も維持するのにたくさん、たくさんお金がかかるのに、パトロンのおじさまたちは私が歳をとるたびに離れていく。そうしたら、私は終わりよ。元の私に戻るだけ? 違うわ、それは全然違う。意識だけは美しい時のまま、見た目だけはどんどん劣っていくの。もう、今さら醜さに慣れることはできない。周りから美しいってちやほやされて、認められないと、私、駄目になっちゃう。だって私自身、自分を認められないんだから。誰かほかの人に認めてもらわないと、自分がここにいていいのかすら分からないのよ。
 ねえ姉さん。人間、最も幸福なのは顔の美しいことではないわね。心の清く美しいこと。それが最も幸せなのよ。自分の表層に満足できる清く美しい心って、強いわ。他の人の美しさを妬むことも、他の人の美しさと比べて心を病むこともないんだもの。周りがどうであれ、自分の価値を疑わないでいられるって、どんな心持なのかしらね。私、そういう人がうらやましいわ。どんな見た目だろうと、生まれ変わったらそうなりたいわね。......いえ、やっぱり嫌。もう人間は嫌よ。そうね、花がいいわ。それも、一等美しいものよ。......ああまた私ったら、美しさに固執している。もういっそのこと、プラスチックにでもなってしまいたいわ。
 

 その言葉を最後に、妹の手紙は終わっていた。折りたたんで、胸にしまう。

 妹よ。あんたはほんとうに美しかった。あんたの言う通り、あんたは自分の美しさの真っ盛りのところで、とつぜんに呼吸を止めてしまった。まるで死んで初めて完成する芸術のように、棺に納められたあんたは今までで一等美しい。人形みたいだ、と誰もが息を飲んでいる。だけどあんた、わたしはあんたが好きだった。顔を変える前から。あんたが醜いと罵ったあんたのことを、わたしは好きだった。それは言葉、あんたの紡ぐ言葉。それは表情、あんたの薄い喜怒哀楽の表情。匂い。立ち振る舞い。高潔な魂。
 確かにあんたは美しい。だけどその美しさはあんたを形作る魅力のひとつにすぎない。すべてではなかった。あんたのすべてには到底及ばない。
 どうして死なんて大それたことを選べたの。自ら死ぬことはできても、元の顔のまま生きることはできないなんて、あんたやっぱりおかしいよ。普通は死ぬことの方が怖いのに。なのにあんたにとって、死ぬことはまるで救いじゃない。
 ねえ、妹よ。さんざんあんたが振り回されてきた美貌はもうすぐ焼かれる。あんたはただの灰になる。美しかった表層も削られた骨格も、すべてただの灰。初めてあんたが美醜を気にしなくてすむんじゃない?ああ、やっぱりあんたにとって、死ぬことは救いだったのかもね。だってこれでやっと、美しさから遠く、遠く離れたところにいけるんでしょ。生きてるわたしたちは、あんたの美しさに振り回されたままだよ。あんたの死は伝説になる。美しい美しい我が妹。
 聞こえる? 「どうしてあんな美しい子が」「あんなに若いのに」「あの子が死ねばよかったのに」......最後のはわたしに向けられた言葉だったけど。変ね、わたしあんたが生きてる頃は大好きだったのに、ただの肉塊に、それもとびきり美しい肉塊になってしまってからは、あんたのことが嫌いで仕方ないわ。


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