あなたの幸せ

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「都内のアパートで二十代女性と思われる遺体が発見されました。住民から『異臭がする』と苦情を受け、アパートの管理人が部屋に入ったところ、遺体を発見、通報したとのことです。遺体の首には刃物で切った跡があり、警察は事件と自殺の両面から捜査を進めています」

 朝の習慣というか、惰性でつけっぱなしのニュース番組。いつもなら朝ごはんを食べながら聞き流すような内容だ。或いは、朝から暗いニュースだと眉をしかめるだろうか。けれど、この時、波奈は食パンののったプレートを持ったまま、茫然とテレビを見つめ続けていた。

 都内某所の警察署、狭い取調室の中に青井晴人はいた。先のニュースの二十代女性は、自室で亡くなっていたため、彼女自身や人間関係を示す証拠は豊富にあった。青井晴人は、二十代女性もとい広橋真美の婚約者、青井海人の双子の弟である。なぜ海人ではなく晴人が呼ばれたのかといえば、理由は実に明快、海人は一年前に失踪しているからだ。海人の失踪後、晴人が頻繁に真美のもとを訪れていたというのも、豊富な証拠から、例えば同じアパートの住人の目撃証言や、真美のスマホの着信履歴などから、既に分かっている。

「真美さんが死んだのは、俺のせいなんです」
 晴人は、取調室に入るなり、刑事が何も問わないうちに話し出した。

 海人がいなくなったのは、去年の最高気温を記録した暑い金曜日だった。晴人が初めて会社に遅刻した日でもあった。海人と晴人は、大学を機に上京し、そのまま都内で就職した。学生時代からの兄弟二人暮らしを、就職後も続けていた。朝に弱い晴人を、海人がたたき起こす。上京する前から、ずっと続いてきた平日の日課だった。

 その日、晴人が自然に目覚めた時にはもう十時を過ぎており、飛び起きたところで上司からのお叱りは確定であった。案の定たっぷりと怒られ、これまたたっぷりと押し付けられた残業を片して帰宅したとき、海人は家にいなかった。文句を言ってやろうと息巻いて帰ってきた晴人は、いつも定時で寄り道もせず帰宅する海人がいないことに出鼻を挫かれたような心地がした。しかし、疲れていたせいもあって、明日話せばいいと思い直し、床に就いた。次の日も、海人が帰ってくることはなかった。その次の日、つまり日曜日、晴人は真美に連絡を入れた。もし二人が一緒にいるなら悪いが、連絡もせず家にも帰らない海人の責任だ。けれども、真美のところにも、海人はいなかった。それからも海人が二人の前に姿を現すことは無く、水曜日、二人は会社を休んで捜索願を提出した。結論から言えば、海人が見つかることはなかった。

 それから、晴人は真美と暮らすようになった。海人のいない生活の寒々しい違和感を紛らわすため、なし崩しに始まった同居生活だった。そう、初めのうちは。一か月もすれば、新しい生活が身に馴染み、余裕が生まれる。晴人は、学生時代から真美に片思いしていた。晴人が真美に初めて会ったのは、海人に彼女を紹介された時だったから、最初から失恋ではあるのだが、それでも想いを消すことはできなかった。常識と理性で自制していた想いが日増しに大きくなっていく。真美の婚約者である海人はいない。そのことが、不謹慎にも好都合に思えるようになった。

 しかし、この一か月という時間が変化をもたらしたのは晴人だけではなかった。
「おはよう、海人。朝ごはん出来てるよ」
晴人は困惑した。ふさぎがちだった真美が部屋から出てきたと思ったら、自分を海人と呼ぶ。
「真美さん、俺は海人じゃないよ」
「あら、真美さんだなんて。いつも呼び捨てなのにどうしたの?」
「何言ってるんだ。海人は一か月前から行方不明のままじゃないか」
「いやだ、海人、何の冗談? 海人はあなたでしょ。今ここにいるじゃない」
「いい加減にっ......」
 いい加減にしろ。そう言いかけた晴人を真美が睨みつけていた。大きく目を見開いて、その先を言ったら何をするかわからない、そんな鬼気迫る表情だった。
「ごめん、真美。俺がどうかしてた」
 それから、真美は晴人を海人として接するようになった。
「海人、私またドライブに行きたいわ」
「海人、この前観に行った映画の続編が公開するみたい」
「海人、今日は海人の好きなビーフシチューを作ったの」
「海人、......」
「海人、......」
「海人、......」
 地獄だった。海人との生活を見せつけられているようだ。真美の目には晴人は見えていない、ここに晴人は存在しないと言外に突き付けられ続けた。晴人は自分が誰なのか分からなくなりそうだった。もう、限界だった。

「真美さん、きいてくれ」
「あら、かしこまってどうしたの?」
「俺は海人じゃない。晴人だよ」
「やだ、何? 確かに海人と晴人くんはそっくりだけど、私、間違えたことなんてないわ」
「真美さん、俺は晴人なんだよ」
「ふざけないでよ、じゃあ海人はどこにいるの?」
 真美は震えていた。やめて、言わないでと、懇願するような瞳が、晴人を見つめていた。

「海人は、もういない。......俺が、殺したから」
 真美が膝から崩れ落ちた。ただただ顔を覆って、すすり泣いていた。晴人は、逃げるように家を飛び出した。

 それから一週間後、海人は警察からの電話で真美が死んだことを知った。

「都内アパートで発見の女性遺体、婚約者の失踪受け入れられず後追い自殺か」
 昼休み、昼食を買いに立ち寄ったコンビニで週刊誌をパラパラめくる。そして、波奈はこの記事で手を止めた。週刊誌をラックに戻し、目的の昼食も買わないままコンビニを出た。会社へは戻らず、警察署へ向かった。

「青井海人を殺したのはワタシです」
 すぐさま事情聴取が開始された。午前は会社員、今は殺人の容疑者となった雪待波奈は、思い出話でも聞かせるかのように語りだした。

 波奈と海人、晴人は幼馴染だった。といっても、中学を卒業すると同時に波奈は引っ越して、それ以来途絶えた縁だった。その縁が再び繋がるのは、波奈と海人の就職先が偶々同じだったからだ。海人と波奈は部署も同じ同期だったため、よく話をした。その中で、海人が晴人と暮らしていること、真美という彼女がいることを知った。ある日、海人は相談があるといって波奈を飲みに誘った。
「真美と、別れたいんだ」
「そう、彼女とうまくいっていないの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
 波奈は、その理由を知っているような気がした。
「晴人が、真美のことを好きみたいなんだ。オレは、晴人の幸せを応援したい。大切な弟だし、オレに出来ることは何でもしてやりたいんだ」
 波奈はやっぱりと思った。子供のころから何も変わっていない。波奈は、海人が晴人に対して兄弟以上の執着を持っていることに気付いていた。
「それで、別れ話は済んだの? それに、当たり前だけど、海人が彼女と別れたところで、彼女が晴人を好きになるとは限らないわ」
「それは分かってる。別れ話も、なかなか頷いてもらえなくてね。どうしようかと思っていたところなんだ」
 そんな馬鹿なことはやめろ。一般的な回答はそうだろう。けれど、波奈は違った。なんとか海人の力になりたい。晴人を幸せにしたい。波奈にとって二人と過ごした子供の頃の思い出が、何よりも大事なものだった。
「だったら、海人が死んじゃえばいいのよ」
「え?」
「海人が突然死ねば別れ話のほうは簡単にクリア。それに、大事な人を亡くした者同士、ただ別れるより、晴人と彼女が親密になる確率も上がる」
「なるほど。でもそれだったら、ありきたりな自殺よりも失踪してからのほうが、不安な状況が演出できる。二人が自然と接触しやすい環境にできるかな」
 この反応もまた波奈の予想どおりだった。海人は晴人のためなら自らの命も厭わない。
「捜索されて見つかったら不都合だから、やっぱりオレは死んだほうがいいけど、問題はどこで死ぬかだな。家の近所だとすぐ見つかるし、遠くだと行動が不自然になって不審がられるかもしれない」
「それならワタシが死体を処理しようか」
「いいのか? 自殺はまだしも、死体遺棄は犯罪だぞ」
「詳しいことは知らないけど、こんな話してる時点で自殺幇助になるんじゃない? それか、自殺教唆。どちらにせよ、別に構わないわ。ワタシも晴人には幸せになって欲しいし」
 海人、あなたにもね。波奈は、心の中で付け足した。
「ありがとう。波奈に再会できて本当に良かったよ」
 その言葉だけで、波奈は満足だった。

「晴人と彼女が同居するまではうまくいったのに。まさか自殺するとはね、予想外でした。でも、いいんです。晴人には一時でも彼女と過ごす夢を見せてあげられたし。海人もね、晴人の心に一生残ることができるし。ああ、ついでに彼女にも海人の恋人でいられる時間を延長してあげられたかな」

 後日、兄弟の実家付近にある寂れた公園の地中から、青井海人の遺体が見つかった。


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