「温泉寺小学校の事件簿

あわきしそら


あわきし そら

 その日は、朝から寒い日だった。おれは、かあちゃんに布団をはぎとられ、しぶしぶ小学校へ行く準備をし、ランドセルを背負って家を出た。特に変わったことはない。いつも通りのメンバーで小学校への道のりを歩き、途中で木の棒と楯になりそうな物を発見して遊び、そんなことしてたら時間がぎりぎりになって、走って校門をくぐりぬけ、息を切らせながら教室に入った。いつも通り。
 あ、宿題を忘れた。でも、これもいつものことだから問題ないだろう。
 大変なことが起こったのは、その日の昼休みだ。
「じ、事件だあ!」
 校舎裏から、男子の声が上がった。学校中に響く大声。
 五分も経たないうちに集まった野次馬たち(もちろん、おれも含む)が、校舎裏の庭で見たのは、まさしく事件と呼ぶべき光景だった。
 裏庭の、雑草がぼうぼうに生えている真ん中で校長先生が倒れていた。いつもえらそーなあの校長が。お腹が出っ張りすぎて、足元が見えてないんじゃないかっていうくらい太ったあの校長が。今は、動かずに空の方を向いている。
 おれは、野次馬たちの間をすり抜けて、校長先生の元に近づいた。
 しかし、途端に吹き出しそうになる。
「おい、笑うなよ」
と第一発見者の男子。でも、目がにやにやしてる。
「だって、校長の顔が......」
「ああ、犯人は校長にかなり恨みがあったに違いない。 なんたって、校長の頭を殴った上に、落書きまでしてるんだから」
 そう、校長の顔には、これでもかっていうくらい悪意とユーモアに満ちた落書きがしてあった。目のまわりは黒で塗りつぶされ、鼻の頭には黒い丸、そこからほっぺたにかけて右と左に三本ずつ線が伸び、とどめで額に「アホタヌキ」と書かれている。そして、よく見ると、確かに校長の後頭部にはたんこぶができていた。
 じわじわと、校長の顔の落書きに気づいた野次馬たちの間で笑いが広がっていく。校舎の二階の窓から裏庭を眺めていた先生たちも、笑いを必死でこらえていた。
「一体誰がこんなおもしろ......いや、ひどいことをしたんだ」
 ひとしきり笑うと、疑問が頭の中に浮かんだ。おれは勉強は嫌いだけど、探偵小説は大好きだ。ホームズのまねをして、あごに手をあてて考える。
「よし、おれは今から、この温泉寺小学校の少年探偵だ。 なあ、ワトソン鈴木」
と第一発見者の鈴木を呼ぶ。
「なに、その売れないお笑い芸人みたいな呼び方」
「ワトソンは、ホームズの助手だぞ」
「ふーん、じゃあ犯人は誰だと思うのさ」
 鈴木が尋ねる。
 おれは、もう一度遺体(いや、死んではないから、気絶体か?)に目を向けた。校長は、いつも朝はぎりぎりに登校する。始業のベルが鳴る八時十分くらい。発見が十三時十五分に昼休みが始まってすぐくらいだから、校長はその約五時間の間に襲われたことになる。
「誰か、昼休みより前に裏庭に行ったやつはいるか」
 すると、野次馬の中から「あ、あのね、中休みのとき、お花見に来たとき、校長先生が寝てるの見つけたの。 でも、びっくりして、言えなかったの」と低学年の女子が発言した。
「なに、それは有益な情報だ。 ワトソン鈴木くん、メモしたまえ」
「メモなんて持ってねえよ」
 中休みは、二時間目と三時間目の間にある。ということは、生徒が犯人なら、一時間目と二時間目の間の休憩で校長を気絶させた可能性が高い。
 おれは、かがんで校長をじっくりと観察した。落書きは、筆で描かれているようだ。なかなか上手い。あと、地面に触れた時違和感を覚えたが、それは関係ないだろう。
 観察を終えると、ゆっくりと立ち上がる。
「さて」
「お、分かったのか」
「ああ、ワトソン鈴木くん」
「呼び方は気に入らないけど、まあいいや。 一体誰なんだ」
「まあ、焦らずに」
 おれは、目の前の野次馬たち、そして校舎の窓からこちらに注目する生徒や先生たちを見据えた。そして、謎解きを始める。
「校長先生の顔は、墨汁によって落書きされています。 つまり、犯人はちょうど書道の授業を受けていたと考えられます。書道の授業があるのは、高学年のみ。そして、一時間目もしくは二時間目に書道の授業があったのは、五年二組と六年三組」
 おれは、しょちゅう書道の道具や教科書やらを忘れるため、他のクラスのやつから借りるうちに、他クラスの時間割を覚えてしまったのだ。
「しかし、片付けをしなければいけない書道で、十分休憩のうちにこのクオリティの落書きをするのは難しい。しかも、校長を殴った後にだ」
 そこで、校舎の二階の窓を鋭く見つめる。
「比較的自由に行動ができ、筆や墨を扱える人物......それは」
 窓の中で、校長とは対照的なひょろりとしたシルエットが動く。
「副校長先生だ!」
「ご、ごめんなさいい」
 各クラスの書道の授業を担当する副校長が頭を下げる。顔が真っ赤だ。
「ほんのいたずらだったのです。 いつも威張っている校長先生をからかってやろうと......」
「でも、殴るのはさすがに」
「いえ、いえ、私じゃありません。 私は、校長先生の顔に落書きをしただけで。私が見つけた時には、すでに倒れていたのです」
「え......?」
 予想外の言葉に、おれは頭が混乱する。
 その時、校長先生が目を覚ました。
「いてて......ん? 君たちこんなところで何しているんだね?」
 威厳を感じようとしても感じられない表情をおれらに向け、質問してくる。みんな、笑いを我慢したみたいな妙な顔になった。
 すると、校長先生が何かを思い出したかのように声を上げた。
「あ、そうだ。 裏庭を歩いていたら、何かに滑って転んだんだった。つるつるした、板みたいな何か」
 それを聞いて、おれはあることに思い至った。冬だというのに、背中を冷や汗がつたう。
 今日の朝は、寒い日だった。学校に来る途中、葉が抜け落ちた木の棒と、水たまりで凍った板を、剣と楯にして遊んだ。それらは教室には持っていけない。裏庭に投げ捨てた。
 そのすぐ後に校長先生が来て、偶然にも氷の板に足をとられて、滑って、頭を打ち付けたらどうなるか。そもそも、殴られたのなら俯けに倒れているはずなのに、おれたちは最初から顔の落書きに気づくことができた。後頭部のたんこぶは、殴られた際にできたものではなく、地面に頭をぶつけた際にできたものだったのだ。
 おれは、右足を半歩後ろへ動かした。
 しかも、先ほど感じた地面への違和感。温泉寺小学校という特徴的な名前の小学校があるように、この町では頻繁に温泉が湧く。地面が温かったのもそのせいと思って気にも留めなかったのだが、それなら証拠の氷がなかったことも説明がつく。地面の温度によって、少しずつ溶けてしまったのだ。
 ということは、本当の犯人は......。
「おい、ワトソン鈴木くん、逃げるぞ」
「え?」
 おれは、ワトソン鈴木くんの腕をつかんで、野次馬たちの輪を抜け出す。
 やれやれ少年探偵も大変だ。


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