死が二人を結ぶまで

秋野優




 マスターとロコに見送られ、酒場を後にした三人は無事、獣人街へ侵入することができていた。
 もちろん、正面からではなく、セトの言う秘密の出入り口からだ。正面には騎士が立っており、グレンだけならともかく、ユースティアとセトを連れて通ることはできなかった。
「何だか物語の登場人物になったようで、楽しかったです。気持ちは王城に侵入する、間諜ですね」
 秘密の出入り口と言っても、獣人街の路地が複雑過ぎて気付かれていないような道があるというだけなのだが。
「確かに穏やかな道では無かったですね」
 グレンがユースティアの言葉に続く。彼らが通ってきた道は騎士の訓練かとおもうほどにアスレチックなものだった。行き止まりかと思えば、壁の窪みを頼りに駆け登り、水路を飛び越え、廃墟の壁の穴をくぐる。当然、ただの道であっても地面は荒れ放題だ。
 グレンと言えど、少し疲労感を覚えていた。
「そうか? 確かに道覚えるのは大変だけど、そんなに大変じゃなかっただろ。二人とも難なく着いてきてるじゃないか」
「それは、――いや、良いわ。それより、ここは獣人街のどこら辺なんだ?」
「そうだな――」
 周囲を見渡しながら、なんと説明したものかと考えているセトを尻目に見ながら考える。
 獣人は只人よりも優れている。少なくとも身体能力は。
 先ほどセトはグレン達も着いてこれたと言ったが、グレンは絶頂期は過ぎたとはいえ、王国を守る騎士だ。その身体能力は只人の中でも上位層に位置する。そんな、グレンが疲れるほどの道のりなのだ。
 ユースティアが着いてこれているのは、意外だったが、今さらその程度で驚くまい。王族は色々とおかしいのだ。
 話は戻り、獣人の話だ。彼らは王国民からは蔑み、疎まれながら生活している。王国民も獣人達もそのことに疑問をもってすらいないだろう。そういうものなのだ、と生まれたときから見て、聞いて、知っているのだから。
 だが、王都から出発する商隊がこぞって積み込むのは、僅か百人ほどの獣人が作る紅茶葉なのだ。その働きは何人分に当たるのか。そのことに多くの者が気付いた時、どうなってしまうのかすら検討もつかない。良い意味でも悪い意味でも王国はこのままではいられまい。
 ならば、何故、獣人は差別されるのか、それは『そう決まってる』からだ。じゃあ、それを最初に決めたのは誰なのか?
 それは、王国民全体にそのことを信じさせるほどに影響力のある人物で――
「――レン。グレン。聞いているのですか? セトさんが説明してくれていますよ」
「ん、あぁ、すいません。少し考え事を」
 隣からかえられたユースティアの声に思考の海から浮上する。
 目の前に立つセトは少し不機嫌そうにこちらを見ていた。
「まったく、そっちから聞いたことだろう」
「すまん。もう一度頼む」
 言いながら懐から一枚の用紙を取り出す。それを広げた中に書かれているのは、簡単なものであるが獣人街の地図であった。
 それはグレンが住人達に聞き込みをしながら、作ったものだった。
 それを覗き込みながら、地図の一点を指差す。
「多分だけど、今がここ」
「なるほど。正面の入り口からは大分離れたな」
 セトが指さしたのは,正面入り口を下とすると,獣人街の右端にほど近い路地であった.
「それで、獣人殺しはどこに住んでんだ?」
 我慢しきれないとでも言うように、セトが聞く。グレンはその視線を受けながら、惚けたように言った。
「目撃情報はたくさんあるんだがな,どこに住んでるかってのをしてる奴はいなかったな.そもそも,獣人街ってのは来る者の拒まず,去る者追わずって風土なんだろう?」
「あぁ,言われてみれば,俺も知り合いがどこに住んでるかなんて気にしたことなかった」
 セトが悔しそうに,そんなことを言う. 
「じゃあ,どうするのですか?」
「取りあえずは,少年の案内で獣人街の中を見て回りましょうか.聞き込みしたといっても,獣人街の入り口近くでしたからね.迷っちまいますし.こういう時は地元出身者に頼るに限る」
「そんな悠長な」
 セトの声に怒気が滲む.そんなセトをグレンは困ったもんだとでもいうように見る.
「そもそも,今日は,獣人街を案内してもらいに来たのであって,獣人殺しを探しに来たんじゃないぞ? ロコちゃんとの約束もあるしな」
「それは......」
 セトが口をつぐむ.
「余計なことするなら,酒場に帰れ.邪魔だからな」
 穏やかな声だった.いっそ,怒鳴ってくれた方がセトも反抗できた.しかし,諭されるように言われてしまえば,それも難しい.ましてや,ロコの名前まで出されてしまえば.
「グレン.セトさんの気持ちも汲んであげてください」
 ユースティアがたしなめるが,グレンは譲らない.それどころか,話の矛先はユースティアに向かう.
「お嬢様.俺としてはお嬢様にこそ帰ってもらいたいんですがね」
「私、悪い子ですもの.それに――私にはノルネイス様の信徒として獣人殺しのことを解決する義務がありますから」
 そう言うユースティアの瞳には狂気とも使命感ともつかない色があった.それを見たグレンは表情に苦いものを浮かべ,視線を逸らす.
「――ノルネイス様も,そんなこと望んじゃいませんよ」
「だとしても,です.私は正義を成すのですから」
 『正義』。その単語に今度はグレンが口をつぐむ番だった。
 沈黙.三人の間に重い空気が漂う.
 そんな空気を破ったのは,セトの言葉だった.
「分かった,今日は案内だけにする」
 酷く不満げな顔。しかしながら、グレンの言うことが理解できない訳ではなかった。
 グレンが、そして周囲の皆が自分のことを心配しているのだと言うことも、やっと自覚したばかりだ。
 慣れない扱いにどうして良いのか、分からないのだろう。その様子に微笑ましいものを覚える。
「こっちは随分と良い子だな。褒美に今度、うまいもん食わせてやるよ。お前らが育ててた紅茶とつけてやる。なに食べるか、考えとけ」
 セトの頭を乱暴に撫でる、それを払い退けながら憮然とした表情で続けた。
「子供扱いするなって。というか、紅茶ってなんだよ? 俺らが育ててたのは変な葉っぱだぞ」
 セトの言葉に一瞬、言葉につまる。獣人達は自分達が何を育てているかも知らずに、働かされているらしい。
 ある程度の常識の差が存在していることは分かっていたが、想像以上だったらしい。
「セトさん達が育てていた葉っぱは、乾燥させて、お湯で抽出すると、とても美味しい飲み物が出来るんです。王都の特産品なんですよ?
」
 ユースティアが先ほどの会話がなかったかの様に会話に混ざる。
 すっかり元通りだ。そのことにもグレンは少し苛立ちを覚えるが、それを表に出すことはしない。目の前の少女はそういうものなのだ。
「へぇ、知らなかったな。それは楽しみだ。それで、どこから向かうんだ?」
「どこでも良いさ。普段、少年が行ってた所で十分だ。純粋に獣人の暮らしってのも気になるしな」
「私もそれで良いです。獣人街をきちんと見て回るのは初めてですから」
「分かった。それじゃあ、着いてきてくれ」
 そう言って、セトが歩き出す。その背を二人はついていくのだった。
 ふいにユースティアがグレンへと小さく声を掛ける。
「先ほどの話です」
「今からでも帰るって話なら、聞きます」
「そちらは私も意見を変えるつもりはありません。そうではなくて、どうして獣人はこれほどまでに差別されるのか、という話です」
 後半の台詞は彼女のトーンが変わる。懐かしそうに、そしてどこか苦しそうに周囲を見渡している少年に聞こえないようにだ。
 当然の様にそれは一方向にしか声を届かせない特殊な発声法だった。
「......俺、声に出してましたか?」
 グレンも同じようにセトに聞こえないように、言葉を返す。
「いいえ。でも、当たっていたでしょう?」
「お嬢様には叶いませんね」
 苦笑し、ちらりとセトの方を見る。会話には気づいていないらしい。
「疑問の答えは私が、確かめます。あなたはそれを待っていてください」
「......仰せのままに」

**************************

 少し歩くと周囲に少しずつ人の気配を感じはじめた。それでも姿を見せないところを鑑みるに警戒されているのだろう。
 無理もない、とグレンは思う。元々、ここの住人であるセトが見知らぬ人物を二人、しかも、ここには似つかわしくないほどに身なりの良い人物を連れているのだ。当然の反応だろう。
 それでも、話しかけてくるものはいる訳で、得てしてそれには、それなりの理由があるものなのだ。例えば、死んでしまったと思っていた知り合いを見つけたときなんかは。
「セト! お前生きてたのか!!」
 走ってくるのは赤色の毛並みをした虎の獣人。あの日の朝、共に農作業をした彼――つまりは殺された虎獣人の兄である。
「おっちゃん。久しぶり。生き残っちゃったよ」
 久しぶりに会う、知り合いの姿にセトの表情も少し緩むが、すぐに固いものへと戻ってしまう。
 それを見て、虎獣人も表情を歪める。
「馬鹿野郎。そこは、生き残れた、だろ? お互いな。シオンのこと、聞いたよ。本当に悲しいことだ。俺も弟を殺しやがった獣人殺しを探そうとは思ったんだが、あれから住人も増えたり、減ったりして皆目検討もつしゃしねぇ。唯一の目撃者な、お前もいなかったしな」 
「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ。獣人殺しについては」
 セトはそこで言葉を切り、後ろに控えていたグレンの方を見る。
 そこでセトしか目に入っていなかった虎獣人もやっと二人に気付いたのだろう。表情に警戒を滲ませる。
 さて、グレンは困っていた。ここでありのまま自己紹介して良いものかと。グレンは騎士で、隣のユースティアに至っては見るからに貴族だ。大歓迎、とはいかないだろう。
 実際、情報収集の時には、身分がばれないように変装し、新入りの獣人の体で聞き込みをしていた。最初から、警戒させては聞ける話も聞けない。
 と悩んでいるうちに、ユースティアが口を開いてしまう。
「初めまして。私はティア・ゲレティ。王国にて爵位を拝命しています。以後、お見知りおきを」
 そう言って、上品に一礼する。
「貴族だと?」
 虎獣人がユースティアを睨む。その視線を遮るようにグレンが前に出ようとする。しかし、ユースティアはそれを手で制した。その光景を鼻で笑い、獰猛に牙を見せつけるように笑う。
「貴族様とその御付きの騎士ってか? よくもまぁ、ぬけぬけと獣人街に来れたもんだなぁ。てめぇらが、間抜けだから獣人殺しなんて輩が入り込んだんだろうがよぉ」
「ちょっと、おっちゃん。ティアとグレンのせいじゃ」
 セトが虎獣人に向かって言うが、それを遮るようにユースティアが言葉を重ねる。
「その通りです。王国民を守るのが貴族の務め、そのために我々はいるのですから」
「認めたな。認めたよなぁ。そこら辺のクソ貴族とは、違うらしいが、それとこれとは話が別だ。五体満足でここから出れない位は覚悟してんだろうなぁ、貴族様よぉ」
 虎獣人が姿勢を落とす。牙を剥き、拳を握る。その姿は、彼の言葉が虚仮威し等ではないことを感じさせた。
 このままでは本当に戦闘になってしまう。グレンは腰の剣に手を掛ける。穏便に済まそうと言う気遣いが台無しだ。なんと面倒くさい主なのだろうか。
「だから、我々はここに来たのです。貴族たる我々にはこの事件を解決する義務があるのですから」
「無能の貴族のくせにいうことだけは立派だな。そういうことは解決してから言えよ」
 虎獣人が膝を貯める。その姿を見て、慌ててセトが二人の間に割り込んだ。
「おっちゃん、止めろって!! ティアも煽るな!! グレンはちゃんと止めてくれ!!」
「......チッ。セトに言われちゃあ、仕方ねぇ。セト、こいつらとどういう知り合いかは知らねぇけどよぉ。さっさと、縁を切った方が良いと思うぞ」
 そう言い捨てると、虎獣人はどこかへ消えてしまった。
 それを見届けた後、グレンはため息をつく。
「お嬢様、勘弁してください。寿命が縮みます」
「グレン、迷惑をかけてすいません。セトさんも、止めてくれてありがとうございました」
 ユースティアがグレンを労い、セトに向かって頭を下げる。
「いや、良いけど。急にどうしたんだよ」
「私は――、いいえ、私の個人的な事情なので、すいません」
「まぁ、深くは聞かないけど」
 セトだってティアやグレンが何かを隠していることくらいは気付いていた。そもそも、獣人に偏見がない時点でただの貴族ではないのだ。まぁ、それはただの変人であるというだけかもしれないが。
 何かを隠していたとしても、ティアとグレンはセトの命を救ってくれた人で、セトの心を守ろうとしてくれている人だ。それだけで、セトにとっては十分だった。
 例え、ユースティアに恐怖すら覚えていたとしても。
「少年。すまんが、さっさと移動しよう。少し騒ぎになりすぎたらしい」
 グレンに指摘されて、周囲がにわかにざわめき始めていることに気付いた。
 先ほどの虎獣人は獣人街では、その性格からか頼りにされていた。そんな、彼のあんな姿を見ては住人達も穏やかではいられなかったということなのだろう。
 ただでさえ、獣人殺しの件でピリピリしているのだ。思わぬ面倒に巻き込まれかねない。取り敢えずは、周囲の目を気にせず落ち着ける場所が必要だろう。セトにとって、そんな場所は一つしか思い浮かばなかった。
 胸の奥がずきりと痛んだのを無視して、歩き始める。
「分かった。付いて来てくれ。――俺たちの家に案内するよ」
 しばらくぶりの獣人街。しかし、セトの足取りに迷いはない。物心ついたころからずっと過ごしていた場所への道は体が覚えていたらしい。
 後ろに付いて来る気配を感じながら進むセトの歩みはだんだんと速くなる。何か期待していたわけではない。しかし、見慣れた景色を歩むという行為がセトに家に帰れば、誰かいるのではないかと言う幻想を抱かせる。
 そんなことはないと分かっている。しかし、歩みは止まらない。それはいつの間にか疾走へと変わっていた。二人のことも、頭の片隅へと追いやられて行っていた。
 視線は家の方向へと固定されたまま、景色が視界の端を流れていく。
 果たしてセトは自分達の家へとたどり着いた。
 ――記憶と寸分違わぬそこに縋り付くように駆け寄る。
 獣人街の住居に鍵なんて上等なものはない。そもそも、家の中に価値あるものなんてほとんどないのだ。それに、侵入者は実力によってそのツケを払わされることになるのだから、態々他人の家に押し入ったりしない。
 ――ドアを開ける。空気の通り道が出来たことにより、室内の空気がセトに向かって流れだす。人の匂い。
 だから、ここに誰かが居るとしたら、それはシオンかそれとも馬鹿な侵入者か。
 ――転がり込むように、部屋へと入る。
 そして、そこに居たのは、どちらでもなかった。
 ――部屋の奥にある人影。差し込む日の光に反射するのは眩い金色の髪。セトに気付いたのか、読んでいた本を閉じ、ゆっくりと視線を上げる。
「やぁ、待っていたんですよ。結局、貴方の答えを聞いていませんでしたから」
 ――酷く耳障りの良い声。紅の瞳。貼り付けたような怖いほど綺麗な笑顔。
「では改めて――貴方は何のために生きているのですか?」
 獣人殺しがそこに居た。

*************************

「獣人殺しぃ!!」
 自宅に入ったセトの声が聞こえたと同時にグレンは家へと踏み込んでいた。
 視界に入るのは、家の奥に居る金髪紅眼の男性。それに飛びかかろうとしているセトの姿だった。
 強く地面を踏みしめ、二人の間へと飛び込む。剣はすでに抜いていた。
 セトを追い抜くときに、彼の襟を掴み、入り口へと投げ飛ばす。
「お嬢様!! セトを頼みます! 絶対に部屋に入ってくるな!!」
 家のそとに置いてきたユースティアに向かって、叫ぶ。しかし、変えてきたのは予想外の答えだった。
「グレン!! セトさんが戻ります!!」
「何を――」
 その真意を問いただす前に、グレンの脇を白銀の何かが通り過ぎていく。
 セトはグレンに投げ飛ばされた後、空中で方向転換、壁に着地。その反動で跳ねたのだった。
「そのひた向きさ、素晴らしい。ますます答えが聞きたくなってしまいました。ともあれ、落ち着いてもらわないと」
 その光景を正面から見ていた獣人殺しは表情を一切変えることなく、しかして、声色だけは少し明るくする。
 飛びかかってきたセトを受け止め、弾いた。
「馬鹿野郎が。頭に血が上ってやがる。本当に面倒くせぇな!! お嬢様、そこに居てくださいよ!!」
 再び駆ける。弾き飛ばされたセトは着地し、先ほどの虎獣人のように、牙を剥き、毛を逆立てる。その姿は彼が獣人であるということを、これ以上なく表していた。
 グレンは視線を獣人殺しとセトを一瞬のうちに行き来させ、セトの方へと駆ける。
 再び飛びかかろうとするセトを引っ掴み、一発殴り飛ばす。そのまま、胸倉を掴んで彼と視線を合わせる。
「ちったぁ落ち着け、馬鹿が! ロコちゃんやマスター悲しませる気か!? そもそも、がむしゃらに飛びかかるとかガキの喧嘩じゃないんだぞ」
 セトの瞳に理性の光が戻ったのを確認すると、そのまま床に投げ捨てた。
 床に叩きつけられたセトはふらつきを振り払う様に頭を振ると、ゆっくり立ち上がる。
「目は覚めたか?」
「もう少し手加減できなかったのかよ」
「昔っから、戦場で取り乱した奴は後ろから撃たれると相場が決まってるんだよ。斬られなかっただけ、優しいと思え」
「そうかよ」
 口の中を切ったのだろう、口に溜まった血を吐き出す。獣人殺しの方へと視線を向けると、彼は相も変わらず笑顔のままこちらを見てい。
「少年。頭が冷えたついでに、このまま家の外に出てくれる気はないか? と言うより、外で待たしてるお嬢様が何かお痛をしないか、心配で気が気でないんだが」
「あぁ、確かにティアは怖いな。すぐにでも飛び込んできそう。でも、それを許してくれ感じじゃなさそうだ」
 獣人殺しの視線は依然、セトへと固定されたままだ。その手にはいつの間にか見覚えのある大ぶりのナイフが覗いていた。
「おっと、青春物語は終わりましたか? 中々面白い見世物でしたよ」
「悪いな。待たせちまったようで」
 グレンは状況に似合わない飄々とした口調で、獣人殺しへと話しかける。
「それで、アンタが獣人殺しってやつであってるか?」
「あぁ、自己紹介がまだでしたね。はじめてお目にかかります。私、ファナ・ティカと申します。最近は『獣人殺し』と呼ばれているようですね」
 獣人殺し――ファナが二人に向かって一礼する。その仕草でさえ美しい所作でさえ、作り物の様な印象を与える。
「それじゃあ、ファナさんよ。お縄に付く気はないか?」
「おかしなこと仰いますね。私は私の信ずる神に従って行動しているまでですよ?」
 ファナが首をかしげる。   
「あいにくこの国では例え神のお告げであろうとも、流石に殺人は犯罪なんだよ。残りの詳しい話は詰め所で聞こう」
 グレンは直剣をファナへ向け、じりじりと距離を詰めていく。意識の八割は目の前の獣人殺しへ、一割はセトへ、そして、残りはユースティアへ。
 そして、両者の距離が一定を割ったとき、弾けた。
 斬り上げ、振り下ろし、横凪ぎ。流れるように繰り出すグレンの斬撃に対して、ファナもまた踊るようにナイフを操る。
 割り込めない。セトはすぐにそう思った。頭は冷えた。自分の身の程も理解している。しかし、腹のうちに渦巻く怒りまで冷めきった訳ではなかった。
 隙さえあれば獣人殺しに拳の一発でも叩き込んで、喉元を食い破ってやろうと思っていたのだが、それどころか近づくことさえ出来やしない。
 レベルが違いすぎて悔しさすら湧いてこなかった。それほどまでの戦闘が目の前で繰り広げられている。
「セトさん」
 戦闘を食い入るように見つめていたセトに声が掛けられる。
「ティア、隠れてろよ」
 入り口に立っていたのはユースティアだった,彼女が無事であることに安心する共に,少し焦りを覚える。一行の中で傷ついたときに最も影響が大きいのはユースティアだ。
 だから、グレンは彼女をここから遠ざけようとしていたのだ。
「セトさんも家から出て,隠れましょう」
 思ったより、冷静だ。セトは彼女は先ほどのように後先考えずに獣人殺しに説教でもするのではないかと思っていた。
 しかし、彼女は戦闘をちらちらと見ながらも、その意識は入り口の外に向いている。言葉の通り、すぐにでもこの場を離れたいのだろう。
「分かった、行こう」
 戦闘は現在、拮抗している。だが、グレンが自分達に意識を割きながらであることは分かってた。ならば、自分達がここかは離れればあるいは。そう思い入り口へと移動を始めようとした瞬間。
「――ふむ。それは、困りますね。まだ、答えを聞けていませんから.連れ出すのはやめていただけますか?」
 家に響く甲高い金属音の嵐。そんな中でも不思議とその声はセトへと届いた。
「お嬢様!!」
 グレンの声に体が反射的に動いた。入り口に駆け,ユースティアの腕を引っ張り、地面に倒れ混むように伏せる。
 ぞわっと、首筋が総毛立った。
 何かが、恐ろしいものが、今、自分達の頭上を通過していった。あれに当たれば、死ぬ。何故かそう確信できた。
「加護持ちかよ,この感じはヴァッフェかトゥーラ,それともヒェンカーか?」
 ファナから二人への射線を遮るように,立ち塞がる.
「ヒェンカー様ですよ」
「最悪だよ!」
 グレンが斬りかかるが,それを避け,再びナイフを放つ.
 再び悪寒が飛んでくる。きちんと意識して見たそれは、ファナが使う大振りなナイフであった。しかし、それの放つプレッシャーは刃物に対する原始的な恐怖とは訳が違った。
 それが三本。タイミングや軌道をずらして飛んでくる。
 二本はグレンが弾いた。誰にも当たらぬよう、床や壁、天井へとそれらは飛んでいく。さらに、ナイフに続くようにファナが踏み込む.その対応に追われ,一本は対応しきれなかった。
 その一本に気をとられてしまう.その隙にファナは更に距離を詰め,近距離からナイフを振るう.何とか直剣を差し込み,直撃は防ぐが,踏ん張り切れず壁へと弾き飛ばされてしまう.
 一方,セトは恐ろしい勢いで飛んでくるナイフを机を倒し,後ろに隠れることで防ぐ.勿論,ユースティアは連れたままだ.
 せめて,ユースティアは守らなければいけない.そう思うのとは裏腹に恐怖が動きを鈍くする.
「うまく防ぎましたね.足がすくんで動けなかったこの前とは大違いだ.ますます楽しみになってきました.まだまだ行きますよ」
 断続的に机に衝撃が伝わる.机越しですら悪寒が伝わってくる.体から血の気が引き,ガタガタと震える.
 怖い.怖い.怖い.怖い.
 最初に獣人殺しと出遭った時,シオンに助けられたときも怖かった.あの時はシオンを失うかもしれないと思うことの方が怖かった.
しかし,今は純粋に死ぬかもしれないことが怖い.
 息が苦しい.呼吸がうまくできない.視界が瞬き,のどが渇く.
 ふいに右手が温かくなる.先ほどまではセトがユースティアの腕を掴んでいたはずが,いつの間にか逆にユースティアがセトの手を包み込んでいた.
「深呼吸してください.大丈夫,グレンは強いんですから」
 手の温かさに少しずつ呼吸が落ち着いてくる.自身の体が緊張でこわばっていたことに気づいた.
「よかった.落ち着きましたね.大丈夫です.そうでしょう,私の騎士?」
 ユースティアが机の向こうへ当然のように語りかける.そして,当然答えが返ってくる.
「当然ですよ.と言うか,何で出てくるんですか」
 立ち上がったグレンは汚れてしまった服を叩き,ため息をつきながら直剣を構えなおす.
「いい加減,私の頑固さを認識してください.自分の騎士が戦っているんですよ? 隠れているなんて貴方の実力を疑うことで,貴方に対する侮辱でしょう」
「本当面倒くさいな,この娘.まったく,せめて,机の後ろからは出てこないでくださいね」
「約束はしないでおきます.嘘つきは正義ではないので」
「そうですか.じゃあ,期待しないでおきます.それから,少年――」
 机の向こうかセトの声が聞こえる.机の陰からグレンの方を伺うと,そこにはにやりと笑うグレンの姿があった.
「お嬢様は引き続き頼んだぞ.それと悪いな.お前の兄さんの仇は討たせてやれそうにないわ.そこで見てるくらいはさせてやるよ」
「貴方たちは本当に会話が好きですね.それは結構なのですが,たびたび放っておかれると,寂しくなってしまいます.そもそも,私は殺し合いがしたいなく,質問に答えてほしいだけなのですが」
「ほう,聞くだけ聞いてやるよ」
「答えてほしいのはあなたではないのですが,まぁ,良いでしょう.それでは,問います.貴方は何のために生きているのですか?」
「――何だそんなことか.そんなの簡単だよ.俺は姫様のために生きてるんだよ」
 当然のようにそう答える.事実,グレンにとってはそれが当然なのだった.
「俺の剣は姫様の前に立つものを斬り殺すためにある.覚悟しろよ.獣人殺し.姫様狙ったんだ.お縄に付くなんて甘いことはもう言わんぞ」
 直剣を構える.その雰囲気は先ほどまでのどこか軽薄なものではなく,重くどす黒いものだった.
 その言葉を聞いたファナは顔を伏せる.
「――やっぱり,答えられるんですね.良かった,私の考えは間違っていなかった.獣人は救われなければいけないんだ!!」
 顔を上げた彼の表情は非常に晴れやかなものだった.今まで浮かべていた能面のような笑みではなく,心の底から浮かんでくるような笑みだった.
「うるせぇよ」
 ファナの言葉には一切取り合わず,淡々と距離を詰める.ファナは笑い続けながらナイフを振るう.
 そのナイフは件の悪寒を纏っていた.しかし,それを意に介することなくそれを捌いていく.
「そこを退いてください.私はあの少年を救わなければいけないのです!! こんな苦しい世界に,何のために生きるのかすら答えられない世界に生きているのなんて,間違っている!! だから,私は彼を!!」
「うるさいって」
 直剣をナイフにぶつけ,そのまま掬い取るように巻き込む.ナイフはファナの手を離れてしまう.しかし,次の瞬間には落としたはずのナイフが握られていた.
「手品が随分上手なんだな」
「邪魔と言っています」
 両手に持った二本のナイフ.それを縦横無尽に振り回す.それを躱し,流し,弾く.しかし,何度弾こうともナイフが尽きることはない.
「キリがないな」
「だから,そこをどけと言っている!!」
 投げつけられたナイフを空中で叩き落す.
 先ほどの剣戟も自身とのレベルの違いを感じた.しかし,今はそれとはまた一線を画するものがあった.
「すごいな」
 思わずといった風にセトが呟く.その言葉を受けてユースティは,少し逡巡する様子を見せると,意を決したようにグレンの方を見た.
「グレン.構いません」
 唐突に隣にいたユースティアが声を上げる.何かを伝えるには少し足りない言葉.それでも,グレンにはその意図が伝わったらしい.
 小さく顎を引くと,直剣を左下に構える.重心を落とし,前傾姿勢.その姿にファナもナイフを構えた.
「獣人殺し,消し飛んでくれるなよ? 証拠は持ち帰らないといけないからな」
 その後,起ったことは言葉にすればただ全力で剣を振り上げただけ.それだけなのにその結果は壮絶なものだった.
 結論から言おう.その日,セト達の家の屋根はなくなった.


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