アダムのいる世界

白内十色


 
 こんな世界があった。

 初めは芋虫だった。
 後に「アダム」と名付けられることとなる一群の生物集団に私が出会ったのは、世界間旅行によって私が向かった世界の一つだった。一匹の芋虫から端を発した一連の出来事は、私に興味深い生物の在り方を示すことになる。
 発生時期や起源など、正確なところは分からない。調べる余裕などもなく、ほうほうの体で逃げかえったため、彼らの生態は私たちにとって謎に包まれている。「アダム」という名は、彼らの住む世界のことが学会で発表された時に、とりあえず名付けられたものだった。調査隊が派遣されたが、彼らはいまだに帰ってきていない。

 他の世界へ旅することは私の趣味のようなものだ。知性の発達するような世界は私たちの住む宇宙の他にも無数に存在し、人類の調査の手の及ばない部分も多くある。私はそんな世界の一つを選んで旅をしていた。大抵はさしたる危険もなく、いくつかの土産物を家族に自慢して終わるはずだったのだが、今回はそう簡単もいかなかった。
 その日私が装置を用いて転移した場所は、一見ただの空き家と見えるものだった。いや、実際空き家だったのだろう。しかし、それが空き家となったのは嫌に最近のことであるように思われた。
 キッチンを見ると、半開きのまま放置された冷蔵庫を発見した。内容物はなかったが電気は通じているようで、冷蔵庫は空気を冷やし続けている。電気の出どころはと見てみると、家の裏手に小型の核融合炉が設置されていた。どうやらそれなりに文明の進んだ世界だったらしい。
 電力は家の隅々にまで供給され、照明や家電製品もほとんどが正常に動作した。異世界旅行の仮の拠点としてなかなかの好条件だ。欲を言えば住民との交流を楽しみたいなどと、そのころの私は暢気にも考えていた。

 私は適当なところにシートを引き、腰を落ち着けようとした。
 鞄から携帯食料を取り出してかじりながら、小型衛星を打ち上げて周辺の地理を調べるべく準備を始めた。異世界旅行の定石みたいなものだ。コンパクトに圧縮された精密機械群を慎重に広げていく。少しの体積で宇宙へ届くほどの強度を確保するために先人は多大な苦労を強いられたと聞くが、今では安価に手に入る装備の一つだ。
 ここで、例の芋虫の登場だった。煤けた茶色に細かなしわが刻まれ、鈍重に動き回るそれは、私の元居た世界でもよく見られる芋虫の特徴とほぼ一致しているように思われた。
 部屋の隅の方からいつの間にか現れた芋虫は、体を伸び縮みさせながら、徐々に私に近づいてきた。まあ、初めて遭遇した生物である。せっかく異世界に来たのであるから、一匹くらいサンプルを取ってもよかったような気がするし、結果から言えば取らなくて正解だったとも言える。
 そのときの私は衛星射出器具の組み立てに忙しかったため、ついにはシートの上を歩き始めたその芋虫を、ただ単に指で弾き飛ばすという行動に出た。子供がよくするようにだ。ただし、転移直後だった私は全身を危険行動用のパワード・スーツに包まれていたため、素手でそれを行ったわけではない。

 途端、寒気がした。スーツのセンサ類には異常がない。しかし、何者かに見つめられたかのような恐怖が私を襲ったのだ。機械では代用できない「勘」という機能が人間に付属していたのは幸いだった。

 とっさに私は、頭部に取り付けられた全方位カメラにアクセスし、画像の解析を命じた。結果は目を疑うようなものだった。先ほど私が弾き飛ばした芋虫と同種の生物の反応が、周囲の壁一面に出現していたのだ。
 得も言われぬ気持ち悪さを感じた私は、スーツの筋力ブースタを最大出力でオンにし、手近な窓ガラスを割ると外へ退避した。英断だったと言えるだろう。ジェット・パックで浮遊しながら出てきたばかりの室内を見下ろすと、私がそれまでいた場所に芋虫の集団がこんもりと山を作っていた。そういえば、食べかけの携帯食料を落としてしまった、と思うと私はぞっとした。
 芋虫の塊はしばらくもぞもぞと動いた後、ぴたりと動作を停止した。何か、と見ると今度は一群となって移動を始めた、そして、それは空中を漂う私の元を目指しているようだった。

 嫌な予感にとらわれて再度、画像解析を命じると、眼下に広がる家の庭のところどころにも、芋虫の姿が確認できた。いや、庭に限らず、道路や屋根の上など、目につくところ全て、と言った方が正しいだろう。そして、それらはみな、私のほうを目指して移動していた。
 
 私は高度を上げて、それらをやり過ごそうとしたが、芋虫の方は一筋縄ではいかなかった。地面のところどころに開けられた穴の中から芋虫は這い出してきており、そしてそれはとどまるところを知らなかった。すでに一群の巨大な生き物と化した芋虫たちは、他の個体の上に別の個体が体を乗せることによって山を形成し、それは私の高度まで届くかと思われた。また、別の一群が、手近な建造物の壁を這い上ることによって、これもまた私に食らいつこうとしていた。
 今や、芋虫の移動速度は人間の小走り程度まで上昇している。初めに見た時の鈍重さが嘘のようだ。彼らは最初から私を捕食するつもりで接近していたのであろうか。結局のところ、私が狙われた理由は分かっていない。芋虫に捕らわれたからと言って、取って食われるという確証もない。とは言え、歓待されるような雰囲気ではなかった。

 近くの建物の壁面に沿ってさらに高度を上昇させる。見れば、私が初めに降り立った古民家から見て南側に位置するこの建造物は、左右にその構造を長々と広げ、壁のような様相を呈していた。ガラス越しに内部を覗き見ると、どうやら病院だったらしい。白いベッドが全ての部屋に備え付けられているが、住民の気配は感じない。窓ガラスも所々割れており、今は廃墟と化していた。
 ベッドの形状および放置された治療器具の様式は、人類と同様の身体構造を備えた知性体がかつてこの世界観に存在したことを私に示唆した。大規模な病院を建設したのもおそらくその知性だろう。となると、あの芋虫の存在は不可解だった。見た限り、芋虫は一定の知性を備えているように思われた。
 芋虫は今も病院の壁面を上り続けている。風化も進み、芋虫が這うことを阻害するほどの滑らかさはこの病院の壁には期待できない。しかし、高圧ガスを燃焼させて飛んでいる私に追いつくほどではなく、この時の私にはまだ、芋虫を遠巻きに観察するだけの余裕があった。

 横方向に広大なこの病院だったが、垂直方向にも相当な高さを有していた。ちょっとしたマンションくらいだろうか。飛翔すること数分間にして、病院の屋上にたどり着いた私の前に、さらに興味を惹かれる構造物が現れた。
 それは私のいた世界でいうところのサボテンのような見た目をしていた。砂漠地帯に主に生息する多肉植物だ。緑色の球体から針状の突起物が突き出し、周囲に向けて伸びあがっている。私の世界と異なるところと言えば、第一には二メートルを超すかとも思われるその大きさと、第二には屋上一面に張り巡らされた根のような茶色の管だった。
 このサボテンらしからぬ「根」は、屋上一面に点在する十数個の巨大サボテン同士の間をつなぐようにして走っている。太さは最大で五十センチくらいだろうか。サボテン間にも大きさの違いはあり、大きなサボテン同士を大きな根が繋ぎ、そこから枝分かれするように小さなサボテンへと根が通っている。末端が毛細血管のような細かい構造になっている部分もあり、そこには生まれたての小さいサボテンのようなものが出現しているのが観測できた。
 また、屋上から下へと根が垂れ下がっている部分もあり、よく観察するとこれは地上まで達しているようだった。地上から吸い上げた養分を個々のサボテンへと輸送しているらしい。
 つまり、サボテン同士を結ぶネットワークのような役目をこの根は果たしていた。

 もう少しサボテンを観察していたいのはやまやまだったが、いよいよ芋虫が間近に迫ってきていたため、私は再度距離を取ることにした。なぜこの一群のサボテンは屋上などという不便な立地に居を構えているのか、と考えた時、私が真っ先に浮かべたことが、芋虫による被害だった。私程度の生命体を執拗に追い回す芋虫にとって、このサボテンは実に魅力的なエネルギー源だろうと思われた。
 しかし、この予想はすぐに否定されることとなる。芋虫はサボテンを素通りして、その上空を浮遊する私の方へと向かってくるのだった。私は不可解な気持ちになりながら後退し、屋上の縁から外側に出た。つまり、完全な上空である。屋上まで上り詰めた芋虫も、そこから垂直に勢力を伸ばすことはさすがにできないらしく、接近を試みては落下することを繰り返した。

 芋虫の中には特殊な個体がいるらしいことに私は気付いた。集団の中央部に固まっている角の生えたもの、最後尾に集まっている大柄なもの、体が小さく動きが早いものなどだった。驚くべきことに、この芋虫の集団の内部では分業が行われており、大柄な芋虫は栄養分を輸送しているようだったし、角のある芋虫は周囲の個体に指示を出しているように見えた。
 私は飛散した芋虫が付着しないように慎重に距離をとると、鞄から手榴弾を取り出し、角の生えた芋虫の分布する付近に放り込んだ。いくら技術が進歩しても、手榴弾という形式は変化しなかったが、威力は着実に向上したらしい。私の投げた最新式の手榴弾は、煙草の箱ほどの大きさでありながら申し分ない威力を発揮し、屋上に生えたサボテンもろとも、芋虫の半数ほどを吹き飛ばした。
 問題は、生き残った芋虫の方だ。屋上の端に残された芋虫たちは、もはや私の方へ向かうことはなく、行き場を見失ったようにあたりをさまよい始めた。往々にして、集団というものは中心的存在を失うと弱いものだ。

 さて、芋虫の集団を退けたこの時の私だが、この後、過酷な逃走劇を繰り広げることになる。この世界はよそ者に対して手厳しかった。
 はじめに聞こえたのは風切り音だった。それも、四方から。センサを望遠に設定して遠くを見ると、鳥のような生物が大量に接近している様子が確認された。どうもそれは私の世界でいうところの燕のように見えた。燕とは黒と白の模様に特徴的な尾の形をした渡り鳥だ。しかし、それが尋常の燕でないことは明らかだった。通常の鳥とは比べ物にならないほどの飛行速度を持ち、大規模に、組織化された燕の群れが、私を目指していた。
 さながら軍事用ドローンの襲来を思わせる集団の接近に私は戦慄する。そして、半ば反射的に逃走の準備を始めた。他者と友好な関係を結びたければ、少なくとも攻撃性を見せるべきではない。鋭いくちばしをこちらへ向けながら私を包囲しようとする燕の群れとは、友好的な関係は築けないと私は思った。
 具体的には、四方から押し寄せる燕の包囲網の中で最も手薄な部分を選び、私が背負っているジェット・パックに出せる限りの速度で突破する。同時にガスマスクをかぶり、催涙弾を散布した。幸いにして燕は生物だったらしく、催涙弾は通常に効果を発揮し、いくらかの燕を足止めした。
 私の使用するジェット・パックの飛行能力は燕のそれを僅かばかり上回っていた。現在出回っている飛行用品の中では最新モデルだ。やすやすと後れを取るわけにはいかない。この旅行に出るに際し、古いものから買い替えたのだ。古いままなら助からなかったかもしれないと思うと今でも背筋が冷たくなる。
 なんとか燕の群れを引き離しても、背後から追跡する燕の集団に加えて、私は前方にも気を配らなければならなかった。燕はしばしば、ビルの物陰などに身を潜め、不意打ちをする機会をうかがっていた。この燕にも明らかに知性が存在する。そして、一つの群れには角のある燕が数羽混じっており、それらが指示を出しているらしいことも確認できた。
 私は護身用に小型のハンティング・ライフルを携帯しているが、それは燕の群れの前にはまるで無力だった。したがって、主に催涙弾や手榴弾を用いて応戦することになるが、これにも限りがある。ある程度燕を引き離すと、私は効率よく逃走するために屋内に逃げ込むことにした。

 私が入り込んだ先はどうやら線路だった。ガラスで作られた屋根を砕いて侵入すると、数本のレールが平行に敷かれている。ガラスはトンネル状に線路を覆い、線路を風雨から保護しているようだ。そのせいか、この中では芋虫や燕などの生物は見つからなかった。
 ガラスの割れた部分を鉄板で塞ぐと、後続の燕が次々に追突していった。この線路に使われているガラスは強度も申し分なく、地味ながら高い技術力によって作られている。線路や送電線なども同様だ。私はこれほどの知性がどのように地上から姿を消し、代わりに得体の知れない芋虫にとって代わられることになったのか、私はますます興味を引かれた。
 線路に沿って飛行を続ける。ガラスの外では燕が相も変わらず追従し、芋虫もはい回っているが、こちらへ来る様子はなかった。芋虫は、本来は燕の餌であるべき生物のはずだが、食べられる気配はない。芋虫とサボテンと燕、これらは何かしらの理由で共存しているという確信に近い考えを私は持ち始めた。
 この世界に住む生物は、どこか人工的に作られていた。同種の生物が大量に存在し、しかも非常に合理的に活動している。燕や芋虫が私の元へ殺到するさまは、何者かの意思を感じさせた。

 私は線路に沿って飛び続けた。いくつかの駅を超えたが、周囲の光景はあまり変わり映えしない。病院に限らず、住宅や店など、すべての施設が大規模に作られ、一軒家は数えるほどだった。ただし、住人の姿は発見できない。私には理解できない言語で作られた看板が誰へ向けるともなく点滅を続けていた。
 飛び交う燕の隙間から外の建物を見ると、その屋上にはしばしばサボテンの一群が生えていた。逆に、そのほかの植物や動物の類は見られない。これまでの長い道程にもかかわらずだ。この三種類の生物が地上を支配しているようだった。
 線路や駅の内部にこれらの生物が侵入してこないことも不可解だった。駅の出入り口はその全てが破壊されており、がれきの山でもって芋虫や燕の侵入を妨害していた。あたかも安全圏としての役割を果たすかのように見えるこの施設には、かつて存在した知性が衰退した原因が隠されているように思われた。

 私は駅の構内へ探索の手を広げることにした。この場所を最後の砦として抵抗していた知性がいるならば、どこかに痕跡が残っていると考えたのだ。
 これが間違いだった。私は芋虫たちの知性を甘く見ていた。彼らは罠を張るだけの能力を備えているし、連携して行動するすべを完全に心得ていた。
 私を挟んで通路の両側の壁が崩れ、中から大量の芋虫があふれ出してきたとき、私はこれまでの考えが全て間違いであったと悟った。この線路内は決して安全圏などではない。むしろ、私が逃げられないよう彼らの用意した周到な罠だった。近づいてこなかったのではなく、より確実に私を包囲するために用意していたのだ。
 芋虫に対し抵抗した勢力などは存在しない。存在したとしても、それは完全に過去のものだ。今や、駅の内部は全て芋虫の支配下にあった。出入り口をふさぐがれきは、芋虫ではなく、私を隔離するためだったのだ。ああ、何と狡猾な生き物であることか!
 前後から迫る芋虫の群れはさながら津波だった。もはや個々の生物としてではなく、群体として行動する生き物が、私をその中に取り込もうとしていた。恐怖と、後悔がとめどなく押し寄せ、私の思考を停止させた。芋虫によってではなく、絶望によって、私は死に至るかとも思われた。
 しかし私は生きねばならない。私は必死の思いで手榴弾を掴みだし、芋虫の群れに投げつけた。そして、爆風と閃光の中、天から私に助けが差し伸べられた。それは、もはや使われていない連絡用の通路のようだった。駅が改築されるときに図面上の都合で塞がれたのだろう。それは誰にも知られることなく存在し、芋虫もそこには満ちてはいなかった。
 私は通路に飛び込み、後ろへありったけの手榴弾と催涙弾を投げ込みながら、転移装置を起動した。転移装置は私がこの世界に来るために使ったもので、これを使えば安全な我が家に帰還できるはずだった。
 装置の準備が終わるまでの十分ほどの時間すら恐ろしかった。芋虫が私を求めてはい回る様子は、今でも夢に見ることがある。私は、鞄に入っている分だけの兵器で、芋虫の集団を押しとどめる必要があった。攻撃を惜しまず、かといって使い切らないように、慎重に行動しなくてはならなかった。
 青ざめ、疲れ果てて帰ってきた私に妻と子は驚いた様子だったが、私はベッドを用意するように言うとそのまま眠ってしまった。

 これで、かの世界での私の冒険譚は終わりだが、後日譚が少々ある。
 異世界旅行はもはや私の趣味となりえなくなってしまったので、私は友人とボード・ゲームをして過ごすようになった。その友人というのが、これも異世界に興味を持つ男だが、自分で行くのではなく他人が行ったのを分析して楽しむという一風変わった人物だった。
 私が異世界を旅した軌跡は、全てがカメラに記録されており、いつでもそれを再生することができる。もう思い出したくないと言う私を他所にその友人が映像を分析した結果、興味深いものを見つけたのだ。
 それは、私が燕に追われて飛行している時の画像だった。私の目の焦点はビルの陰や背後など、燕を警戒して動いていたが、彼が注目したのははるか遠くだった。カメラがとらえられる限界近くの距離に、それは存在した。
 高さは千メートルを超えるそれは、どうやら巨大なサボテンのような形をしていた。緑色の球体から伸びる針、という構造はそこかしこの屋上にあったものと同一だったが、大きさが桁違いだった。一見したところでは山のように見えるほどの構造物は、私のいる世界でも見たことがない。
 友人の分析によると、燕の行動は全て、私を追うと同時に、この巨大サボテンから私を引き離す方向に動いていた。
 また、サボテンの針と芋虫や燕のリーダー格に付属していた角は、いわばアンテナのような役割を果たして、通信を行っているらしかった。なるほど、サボテンが決まって屋上に位置していたのは、電波を受け取りやすくするためだったようだ。
 サボテンがいわば脳の役割を持ち、芋虫や燕はその手足なのではないか、というのが友人の見解だ。共生というよりは、いわば一つの生物として、三種の生物は連携を取り合っていた。巨大サボテンが各地に散らばった小サボテンに指示を出し、小サボテンが近くの芋虫と燕に指示を出す。否、もしかしたら他にも巨大サボテンの下に仕える生物はいたかもしれないが、どちらにせよ同じことだ。燕や芋虫は、免疫機能として私を襲ったのかもしれない。
 あの世界にかつて存在した知性は進化の過程でサボテンに姿を変えたのだろうか。入道雲のようにそびえたつサボテンにその下で働く連携の取れた芋虫と燕というのは、いかにも生物として常軌を逸している。いかなる思想に従ってサボテンを作り出したのかは私たちの想像の及ぶところではないが、今後調査が進めば分かるかもしれない。
 私と友人は、この一群の生物にアダムと名を付けた。そこにイヴは存在しない。。
 アダムのみが地に満ちた世界がそこにあった。

 芋虫も燕も、指示に従って生きる歯車にすぎないが、サボテンの部分は何を考えているのだろうか。ただ生存することのみを考える構造物に成り下がってしまったのであれば哀れなことだが、あのサボテンが心を持ち、哲学的なことで日々悩んでいる様を想像すると愉快な気持ちにもなる。
 もちろん、私たちとは別種の生命体の心情を推し量ろうとすることは無謀なことなのだけれども。
 今でも私は、芋虫や燕を見ると得も言われぬ恐怖にとらわれることがあるのだが、サボテンに対しては親近感のようなものさえ抱くことがあるようだ。まあ、目の前の物に心があると考えることは、さほど悪いことではない。



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