市物化されゆく者たち

井澤喜一



 私は、その書類に目を通していた時、呑気に行きつけの喫茶店でコーヒーを啜っていた。
 書類とは、先日一斉摘発され御用となった暴力団組織、畠中組の会計帳簿である。ニュースでも大々的に取り上げられ、読者の方々もご存じのこととは思うが、大胆にもこの日本で人身売買を大規模に展開していた組織である。
 これまでトカゲのしっぽ切りを繰り返し、警察の網を潜り抜けてきたが、執念の捜査により、ついにめでたく一網打尽となる。
 それに伴って、市場に関わっていたこの地域のいくつかの集団も一斉に検挙されたとのことだった。
 なんのことはない。散り際も華々しくテレビで取り上げられた組織の、つまりは結果の出た後の燃えカスに等しい紙きれを偶然手に入れた私は、さして興味もない球団同士の消化試合を観戦する気持ちで目を通していた。
 空いた時間の暇つぶし程度に見ていた帳簿だったが、しかしページを捲るうち、奇妙な違和感に私は囚われた。
 人身売買は言うまでも無く、生身の人間そのものを取引する商売である。いくつかに大別される闇商売の中でも、とりわけリスクが高く、その分格の高い取引として扱われ、収益効率も高くなるよう価格設定がなされる。
 今回の件より以前から、その界隈を牛耳っていたことは知られていた畠中組は、年間で十ないしは二十億円に上る取引を行っていると目されていた。
 しかし、帳簿上では所々に不自然な数字の嵩増しの形跡が見られた。
 そして、最終的な収支を示す欄には、予想を遥かに上回る数字が記録されていた。
 粗利益、約一五〇億円。
 畠中組は、額にして実に予想の数倍の額の取引を行っていたのである。これは予想の誤差という言葉に収めるには、あまりにも無理のある数字だ。また、これを見過ごしたままにしている取締り側は、これいかに?
 興味をそそられた私は調査を開始した。
 たまには燃えカスの山に突っ込んでみるのも悪くない。そう思えたのだ。

◆◆◆

 ワン・チャウが人身売買の市場に足を踏み入れたのは二十六歳の頃だった。
「働いていた会社が潰れてしまいましてね。わざわざ日本に来て大学を出たのは良かったのですが、その後すぐには再就職が決まらず途方にくれていたんです。何もない故郷に帰るのも一つの手でしたが、それはあまり乗り気のしない選択でした。苦渋の妥協として、私はその世界に入ったのです」
 我々日本人は大抵、中国人や韓国人を見ると、細くなりがちの目付きや微妙に異なるファッションセンスから何となく日本人ではないアジア人臭さを感じ取る。しかし、ワンからはそういった感じはなく、むしろ完璧にこの国に溶け込んでいた。長身で、新宿に行けば同じ雰囲気を持った若者を一ダース分は見掛けることができるだろう。
 しかし一度会話を始めれば、やはり中国人といった感じで、まず最初に自分の言葉を勢いよく捲し立てるきらいがあった。表情も豊かでよく笑い、一見、後ろ暗い場所にいたようには見えない。
「自分から近づいていけば、仕事をもらうのはあまり難しいことではありませんでした。需要と供給の一致です。こちらは仕事を、それも出来れば手っ取り早く金になるものを。向こうはインスタントで便利に使える人材を求めていました。私のように、消えてもすぐにはそれがバレなそうなね」
 一般に、この手(※注1)の闇取引は買い手と売り手の安全を守るため、ブローカーの仲介が多めに行われる。このブローカーの担当する行程に、よく身寄りのない外国人を使ったりするのだ。
 ワンもまた、しがない仲介業者で使い走りをしていた人間の一人だ。
「なんでもしましたよ。麻薬や覚醒剤はもちろん、死体を運んだり、時には生きた子供をスーツケースに押し込んで運んだりもしていました。酷いものでしたよ」
 人身売買は、まずその目的で大きく二種類に分けられる。
 一つ目に、商品である人間を労働力として扱うか、買い手の臓器補充。
 二つ目に、娯楽の道具として扱うものである。
 前者の市場は、発展途上国で発達する傾向がある。日本のような先進国で拡大するのは後者の市場だ。そこでは、人の身体なら、文字通りなんでもやり取りされる。数に多少の差があれど、様々な人種・身体的特徴・出自・状態を持つ者たちが流入出を繰り返し、さながら人間博物館の相様を呈す。 
 しかし現在、ワンはそんな世界とは無関係の場所で生きており、刑務所行きになることもなかった。
 何を隠そう、細部がどうあれ、畠中組壊滅の直接のきっかけを作ったのはワン・チャウその人である。
「助けてくれた人がいたんです。本当に幸運でした。あの人と出会うことが出来なければ、今頃私はダメになっていたでしょう。物理的に。そうでなくとも、やはり精神的に」
 だが、彼は自身の行動の結果を知ってはいても、根拠を理解しているわけでは無かった。あくまで彼は下手人の立場であり、黒幕は別にいる。彼らのしたことを理解するには、まず、金と欲望の力がいかに強大であり、それら二つが結び付けば、やがて予想もしなかった方向へ人々を導く原動力となることを知っておかなければならない。

(注1)『この手』とは、人身売買を始めとする、一セットの取引で、比較的大きな金額が動く種の取引のことである。では逆に『比較的小さな金額の取引』とは何かといえば、その最たる例は、低品質のドラッグである。前者の取引を行う者のほとんどは強固なキャッシュフローをバックボーンに持つ者、もしくは集団であり、リスクコントロールにも割けるだけの資金力がある。一方、後者は金持ちも参加するが、主な市場参加者は、リスクコントロールが困難な比較的低所得者である。

第一章

人買い市
 畠中組壊滅とそれに関連する出来事を爆弾の暴発に例えるなら、スイッチを押したのはワンである。だが、爆弾それ自体をこしらえたのは何者か? 商品自身やブローカーたちはもちろん知る由もなく、売り手もまた。最終的買い手ですら、その全貌を理解している者はいない。
 その疑問に回答を提示し得る人物は、意外ともいえる場所にいた。なんと事件の中心とも呼ぶべき場所にいたにも関わらず、未だ御用となっていなかったのだ。
 山端 幸一は、畠中組がシマとしていた地域から新幹線で三時間分離れた場所に居を構えている。
「いやあ、あの時は驚きましたよ。同時にワクワクもしました。ですが、ワクワク以前に、僕自身がしょっ引かれる可能性があったんで引っ越したんです。前にも後にも、アレが人生で最もスリリングな時期でした」
 離れた両目と分厚い唇が印象的な彼は、デメキンを連想させる顔立ちをしている。でっぷりとした下腹と小柄な身長、そして、どこか愛嬌のある笑い方は気前のいい愉快な中年オヤジという形容が似合う。
 が、よくよく瞳を覗き込めば、その奥の濁った油断ならない、ギラギラした光が見て取れる。長い時間を共にすれば他人に対するイメージは変わる、とよく言うが、この男はその分かりやすい例といえそうだ。
 山端は、ワン同様に、最初から裏の世界にいたというわけではない。
 彼自身も、この市場で何回か買い物をした経験を持つ。
「色々と出会いがありましてね。今は、こういう商売をさせてもらってます」
 そう言って微笑む彼の顔は、どこかミステリアスな響きがある。
 山端は、畠中組事件の舞台となった土地から離れた今となっても、新天地の同様の市場に出入りして生計を立てている。
 そこの人買い市は、月に一度、毎回場所を変えて、大きな建物の地下やパーティー会場などで行われる。市に来る客は、皆仕立ての良い服を着けており、その光景だけを切り取るなら、稀有な富裕層だけで行われる秘密の社交会にも思える。とても、非日常的な欲望の渦巻く取引の場には見えない。
 しかし、中身は外見通りではない、ということはしばしばある。パターンはおよそ二つに大別できる。一つは直々に商品を選びに来た真の買い手(注2)。
もう一つは真の買い手の指示を受けて、売買の手続きを行うブローカーだ。
「この市場でも、一応、相場と言えるものは確かに存在しますが、交渉の際はそれほど意識されません。価格を決める要素は、商品の調達コストと参加者の思惑ということになります。思惑、というのは、少しでも高く売りたい売り手と、一円でも安く買いたい買い手、ということです。当たり前ですね。二つの立場のプレーヤーたちは、価格交渉を円滑に行うために、物事がはっきりしない、隠微な状況でやり取りを行いたい、という点で希望が一致しています。だから、不文律のルールで、明確な価格表示はありません。
 そして、そのように明確さの薄い環境では、価格決定の要因として、当人たちの交渉力が大きな割合を占めます。交渉、というのは最初に下に見られないことが肝心なので、ブローカーでさえも、雇い主が高い服を着せるというわけです」
 市は一度始まると、時と場合にもよるが、大体三時間ほどの行程で進められる。深夜、参加者が集まってから最初のしばらくは、彼らの間で何でもない雑談が交わされ、程良く場も温まったところで、司会者が本格的な取引の開始を宣言する。宣言の刹那、場内はそれまでと明らかに違う低いどよめきに包まれた。かと思えば、現れた泡が飛沫と消えていくように静寂がやってくる。
 取引は、商品の性別と年齢によって部門分けされる。その複数の部門を、焦らずたっぷり時間を掛けて、順番に消化していくことで会は進行する。その日の最初の取引は、この市場でもっともポピュラーな、二十五歳以下の十一歳以上の女子だ。
 舞台に八人の女性が連れて来られ、それよりもずっと多い数の観衆から一斉に視線を注がれる。彼女らは身長や体つきなど、外見的特徴が様々で、共通して着用している赤い上衣の胸ポケットに、それぞれナンバリングされた丸いプレートが付けられていた。
 観衆の中から数人の紳士が躍り出て、舞台の女性たちに話し掛けたり、脇に控えている売り手たちと言葉を交わす。やがて、三十分ほどで彼らの品評は終わり、用意された一つのボックスに購入希望を表明する紙が入れられ、商品の女性たちは舞台を降りていった。
 その次に始まった部門は、十歳以下の男児たちである。観衆の中から出てきた買い手は婦人が多かったが、紳士もニ、三人混じっている。後は同様の流れで、どこか異様な熱気を内包したまま、会は淀みなく進行していった。
 結局その日、舞台に上がってきたのは、先に挙げた二組と十歳以下の女子、十一歳以上二十五歳以下男子、二十六歳以上四十歳以下女子、の五部門であった。
 だが、会はこれだけで終わりではない。ここまでは、あくまで品評の段階である。
 紹介されて一度舞台裏に下がった商品が、売り手たちと共に、買い手たちのいる場所に通され、またそれぞれ会話を始めた。ここからはいよいよ値段交渉の時間だ。
「こういう場に初めて来る方に時々尋ねられます。取引はオークション方式じゃないのかと。もちろん、これには理由があります。
 オークションは、売り手にとってとても有利な交渉方式です。魅力的で需要のある商品さえ仕入れることが出来たら、多くの買い手が飛びつきますから、少し場を煽ってあげると簡単に値段を吊り上げることが出来ます。現在のやり方よりも、比較的簡単に多くの利潤を獲得することが出来るでしょう。しかしそれ故に、商品価格の無為な高騰をしばしば招くことになります。
 想像してみて下さい。貴方には欲しいものがあります。貴方はそれを、リスクを犯し、大金を払ってまで購入しました。買った直後は気分も有頂天です。一日経って、貴方は冷静になります。果たして、あの取引はフェアだったのかと。そして気付くのです。自分は、モノ欲しさに多少なりとも冷静さを失い、熱病に罹ったような集団の空気に当てられ、そこに付け込まれていたのだと。こうなると大抵の人間は怒りを感じます。足下を見て食い物にしやがって、ふざけるな、とね。
 ここでもう一つ想像を進めてみましょう。怒りを覚えたあなたはどうしますか? 売り手に文句? ちっぽけなクレーマーのように? それとも消費者センターに電話?   いえいえ。貴方は本物の大金持ち。その資金と人脈で、いとも簡単に憂さ晴らしができます。しかも、怒りのあまり顔を覚えていたあの売人は、後ろ暗い商売をしているせいで、法律もまともに守ってくれない。
 ならば後は簡単です。せめて、自分を騙したツケを払わせ、文字通り死ぬほどの苦悶に歪むその表情でもって、留飲を下げることにしましょう......。
 もちろん、オークションの餌食になってしまった方々が、皆そう考えるわけではありません。
 しかし、裏の社会では、オモチャにする人間を買うよりも、よほど安価にそれが出来ますから、そうなると売り手側は命がいくつあっても足りません。実際、このシステムが始まった当初は、オークション方式が採用されていたのですが、売り手の不審死が、いささか無視できない頻度で発生しました。重要なのは、買い手側にとっての納得感です。そのためには、より親密な形で取引をする必要があります。こういう事情で今のやり方は、売り手を守る、という意味合いが大きいのです」
 その後も、値段交渉は着々と進んでいく。商談が上手くまとまれば、売り手も買い手も、嬉しい、というよりは、どこか安堵したかのような表情で握手を交わす。上手くいかなくとも、双方焦ることはなく、ゆったりとした様子で次の商談に移ったり、粘り強く交渉を続けたりする。
 その中で一組、時間が経っても、なかなか決まらない様子の売り手ペアがいた。胸ポケットに番号プレートを付けていたのは、うら若い女性で、すなわち彼女が商品ということになる。随行する男性は交渉役だ。
 女性は、最初の二十五歳以下女子部門で紹介されていた。顔立ちは少々童顔だが、その時、舞台に立っていた中では飛びぬけて整っており、街角で男がすれ違えば、十人中九人振り返るレベルである。雰囲気も他と比べてどこか明るく、さぞかし人気が出るだろうと思われた。
 山端はそれを見て、皮肉な笑みを浮かべる。
「商品になる人たちが、どのようにしてここに辿り着くと思いますか? もちろん、経済的に困窮し、家族から売られるだとか、自分からここに来たりするだとか、そういった必要に迫られて、という場合も多いでしょう。ですが、それだけではありません。ただ荒稼ぎをしに来た、というケースもあります。どこかで聞きつけてくるのでしょうね。例えば女性なら、確かに、ここで支払われる金額は、巷でサラリーマンに声を掛けてホテルに入るよりも余程高額になります。単純に遊び金を派手に儲けたい、ということです。あの女性はその典型でしょうね。データが手元にはないので断言は出来ませんが。恐らくはこの地域の大学に通っている、今を時めく学生、といったところでしょう。ですが多くの場合、ここでは、そう言ったバックグラウンドの商品に高値が付くことはあまりありません。理由は簡単で、それこそ巷で安く買えるからです。この人身売買取引において、重要な要素の一つが購入後の商品の取り扱いです。もちろん、制約が少なければ少ないほど高値で取引されます。あの女性のようなケースの多くは、非常に制約が多い。彼女らがどんなに自分の中でハードルを下げたとしても、ものを考える尺度が違うため、それでは足りないのです。端的に言ってしまえば、ここに来る買い手たちは、カジュアルな性的欲求を満たす程度では満足しない、ということです。
 では、どんな商品が高額取引されるかというと、これも簡単で『帰る場所が無い』商品です。制約が多くなってしまうのは、契約履行後の世間体や安全性を気にして、という理由です。例えば、社会的背景に何の問題も無い、普通の女子大生がここで契約を結んだとします。二、三日の契約履行後、心身ともに彼女は大きなダメージを負います。女性的機能も失いました。その後、彼女は周囲にどう説明を付けるのでしょうか。家族、友達、交際相手......。おまけにその後の自身の人生は誰が責任を持つのでしょう。買い手を裁判で訴えても、勝てる見込みはほとんどありません。買い手側としても、最悪、死亡したとしたら、その後の表の世界での空白を揉み消すのに大きなコストが掛かります。こういった様々な懸案事項が『帰る場所のある』商品は、どうしても制約として表れてくるのです。対照的に『帰る場所の無い』商品は、本人の意思に関係無く、何をしても(注3)表沙汰になったり、トラブルの種になったりすることはありません。もちろん、商品の性別に関係無く、優れた容貌であるに越したことはありませんが、それ以上にこの要素が重視されるのです。ちなみに、もっと細かく言及すると、高く売れるのは、帰る場所が無く、社会的に力の無い、日本人です。社会的に力が無い方が良いのは、帰る場所の理由とだいたい同じです。日本人であるのは、よくわかりませんが、おそらく私たちがスーパーで肉を買う時、国産を好むのと同じだと私は考えています。いちいち産地を詳しく調べて、質の比較をしたりしませんよね。だいたいは国産かどうかと、価格で決めてしまいます。あれと同じです」
(注3:読者の諸兄は分かっておられるだろうが、この『何をしても』というのは、我々が普段、倫理的見地から踏み込むのにブレーキを掛ける領域を多分に含んでいる)
 その後、しばらくその女性の交渉の様子を見ていたが、芳しい成果はなかなか上がらないようであった。
 やがて、会の終わり際、主催者によって閉会の辞が述べられた。曰く、無事全ての商品に買い手が見つかり、これもお越し下さいました皆々様方の格別なるお引き立てあっての......云々。
 ならば、件の女性にも無事値が付いたのだろう、と見回してみれば、彼女はホールの隅に立ち、押し隠すような無表情をしていた。なるほど。結果は推して知るべしというものだろう。

売れる商品を探す
 山端は月に数度、新幹線を使って都内某所に足を運ぶ。
 駅を出て、乱立する建物を縫うように進んでいけば、景色は普段とは違う表情を見せる。どこかアンニュイで色褪せた、しかし確かに非日常と分かる微妙な緊張感が漂う。
 太陽もすっかり沈んだ頃、彼は一件のバーに入る。
「昔からの流儀で、仕事の大切な部分は自分の足と手と目を使ってすることにしているんです」
 山端は、バーのマスターと数分程度、世間話をしてから店奥の別館に繋がる扉へと通された。扉の先は、うなぎの寝床に横たわる建物の中とは思えないほど広く、成金趣味のゴテついた装飾が施された部屋だった。すでにそこには六名の男たちがいて、山端を見るなり、彼に会釈をして出迎える。
 男たちの手にはそれぞれタブレット端末が一台ずつ。その場の全員皆、終始笑顔で、場所が場所でなければ、ただのIT社長たちのホームパーティのようでさえある。
 世間話もほどほどに、商談が始まった。わずかに空気が緊張感を帯びる。
 その日、山端は人買い市に出す商品の買い付けに来ていたのだ。売人は中国や台湾、ベトナム、タイから来ている。
 タブレットのディスプレイには、商品の写真や身体データが表示され、それを使って売人たちが、さまざまな訛りを伴った中国語を捲し立てていく。
 売人の一人、ソムチャイ=チューレンナナームはタイから来ていた。
「日本は、非常に良いマーケットです。とにかく商品を高く買ってくれます。中国や韓国も悪くは無いのですが、時々騙されることもあって、こちらが損をさせられることがあります。利益率とリスク管理という点で、日本という売り先はとても理想的です」
 ソムチャイの、その日の手持ちの商品は、十代と二十代の女子が合わせて三十人。そして、十五歳以下の男子が十名程度だった。もちろん、彼ら全員が選ばれて日本に行けるわけではない。しかし、少しでも利益をあげるため、彼らのような売人は、出来る限り多くの数を用意して商談に臨む。多い時には、百人集めて来ることさえある。
 山端は、それぞれの端末のデータに素早く、つぶさに目を通していく。
 まず注目するのは男子である。男子は、ティーンズの後半になると全く売れなくなるが、それ以前の歳であれば高値が付く。この種の商品は女性の顧客にとても人気がある。これは、多くの商売に共通するが、マーケティングにおいて女性の反応は重要な指標となる。買い手となる女性は、一人当たりで男性よりも多くのマネーを支払う傾向にあり、また、気に入ればその商品の広告塔に自然となってくれる。このため山端は、まず富豪の女性に人気のある男子の選抜に十二分の時間と判断力を割く。
 結局この日、彼は六人の売人から二十人の男子と六十人あまりの女子を仕入れる契約を交わした。
 人身売買市場における商品の調達方法は主に、スカウトと紹介の二つに分けられる。もっともイメージしやすいのはスカウトだろう。渋谷などの、人が多く集まる場所で、見込みのありそうな人材を見繕い、スカウトマンが声を掛ける。水商売の店の嬢や、アイドルのきっかけなどによく見られる形だ。
 だが、取引額で最も大きな割合を占める調達方法は『紹介』である。先のスカウトは二十パーセント程度に過ぎない。こちらは、人身売買市場にコネクションを持たない者が、どこからか調達してくる商品を、繋がりを持つ者が『紹介』という形で仲介して売買するというルートである。この調達方法がもっとも多く、残りの割合全てを占める。『紹介』はさらに国内からのものと、山端が行っているような、海外からのものの二つに枝分かれする。
 より多いのは海外からの輸入だ。輸入先内訳は、中国が最も多く六割にも上る。次に、インド、タイなどの東南アジアが続き、時々少しだけ、その他のヨーロッパなどからも商品が届く。
 海外から輸入されてくる商品が人気なのはもちろん、前述の、買い手たちに好まれる条件を満たす商品が多いからだ。分かりやすい例は、中国だろう。同国は最近まで、彼の「一人っ子政策」を実施していた経緯で、その弊害とも言える戸籍未登録の人間が多数存在している。所謂、黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる彼らは、中国の近辺では、もっとも高い値が付く売り先が日本になるのである。
 戸籍を持たない黒孩子は、社会において存在しない人間として扱われる。存在しないはずの人間のことは、当局も関知しない、もしくは関知しにくい。
 そして、これまた都合の良いことに、彼らの調達コストは、日本国内から調達される者たちのそれより安価になることが多い。安く調達されても、人気のある彼らは、最終的に市で高値が付く。かくして売り手の懐に、多額の売り上げが転がり込む、というわけである。

 山端のファーストキャリアは、メガバンクの一角と持て囃される、某国内大手行の行員だった。
 大学時代、特に何かが突出していたわけではなかったが、その逆も然り。不自由なく過ごし、日本学生の大部分がそうであるように、就職活動を始めた彼は、まんまとその職に就きおおせた。
 世に言う、勝ち組への仲間入りである。
 当時は、日本中が踊るバブルの真只中。働けば、その倍は儲かる時代だ。
 やる気に満ち満ちていた山端は、精力的に働いた。
「人生でもっとも楽しかった時期はいつか、なんて話は、誰でも一度は酒の肴にするでしょう。私はそういう時、社会人になってからの三年間、と答えています。今でも自分なりに楽しくやっているつもりですが、あの頃は別格です。これは〝何を〟楽しみにしていたか、ということより、楽しみの受け手が〝どう〟あったか、という内面的な要因が大きかったように思います。
 人が生きていくためには、ある程度何かに殉じているのだ、という感覚が必要なのだと思います。若いうちは特にね。これが必要無い手合いというのは、海千山千のジジババでしょう。でなければ、ただのロクでなしです。当時の私も、斜に構えた外面をしてはいても、やはりどこかそういった純粋さを残していました」
 しかし、それから先、少しずつ濁り水が流れていくように、彼の中でバランスが崩れ始める。社会の中でもがくことの楽しさよりも、違和感がそれを凌駕するようになっていた。
 銀行の法人向け営業と言えば、その内容は「融資」と「仲介(※注3)」の二つだ。特に、仲介業務の中で、営業マンたちは、世間で「社長」と呼ばれる数多くの人間と出会う。例えば、昔ながらの技術を売りにする中小企業には、堅実な経営を重ねる、鉄のようなワーカーホリックが多い。ITやアパレルなどは冷静な論理性を持つ反面、ずば抜けた実行力を裏打ちする情熱や、ちょっとした遊び心を持ったタイプ。もっとも、最近はペテン師が増えた。求職者たちに甘い言葉をささやいて、蟻地獄のように自社のように引きずり込み、馬車馬の如く働かせる。今さえ良ければよいとばかりに、業務の多くを自転車操業でやり繰りし、夜は部下が稼いできた売り上げで歓楽街に繰り出す。最後は、来るべき日にツケを払わされて地に落ち、怪しげなサラ金に金を無心するまでがお約束。好きな言葉は『自己成長してみないか?』『アットホームな職場』『経験が無くても歓迎』の三つだ。
 現在、企業の十年先の生存率は、六パーセント程度と言われている。これはSNSなどを始めとする技術進歩に伴うビジネスチャンスの拡大で、〝ペテン師〟が増えたためだが、その中であっても、もちろん本物は存在する。
 女優を侍らせ、カメラの前で月に行くと嘯き、昼のワイドショーをにぎわせるようなイケイケタイプは、その最たる例と言えるだろう。読者諸兄も一度くらい憧れを抱くのではないだろうか。
 山端もまた、そういった様々な  時には〝本物〟の   社長たちと出会う経験をした。一つ言えることは、彼らは皆、刹那的である無しに関係なく、充実した毎日を送り、楽しそうにしていたことだ。少なくとも、山端の目にはそう映った。
 そんな時、決まって頭の隅をかすめるのが、自分たちの延長線上にいる上司たちの姿だった。
 安定した地位、自分たちよりも少しばかり高額の給与と良質の福利厚生。だが、どうだ? 我らがボスのしていることは何だ? 目上にへつらい、部下を怒鳴り散らし、顧客が来れば気味の悪い笑顔で応対し、寝ても覚めても出世競争に明け暮れる(※注4)。しかも、出世したところで、今を時めく社長たちのような暮らしが出来るようになるわけではない。疲れを溜め込み、光の無いドロドロした目つきで、延々とそんな生活を続けていくのだ。
 なるほど、自分の在り方に疑問を持つようになるのは、必然の流れだったのかもしれない。
 そして、契機は突然訪れた。
 キャリアも十五年目に差し掛かり、山端は中堅として扱われる頃合いになっていた。担当は、本店ではなかったものの、都内支店での大企業向け営業だった。出世経路としてはまずまずといったところだろう。
 その案件は、某大手食品メーカーが社運をかけ、海外進出をする、というものだった。具体的には、進出先はアジアで、現地の企業を買収し、それを足掛かりに手を広げていく、という内容である。
 このようなケースで銀行が請け負う仕事は、買収資金の調達、買収先企業の提案、交渉相手との折衝などだ。
 規模も大きいため、準備から実行のスパンも一年近くに上る。
 その最中、ふと、彼の中であるアイデアが浮かぶ。バグと称してもよい。
 その二年ほど後、ある日の新聞の片隅で、同食品メーカーの株が大暴落したことが報じられた。彼の仕業だ。
 山端のしたことは難しいことではない。
 彼は、プロジェクトの最中、同業仲間から、担当と同じ食品業界からアジア進出をしようとしている企業がいると聞いた。奇しくも、その主力商品も担当する企業と似通っており、鉢合わせすれば競合することになるのは必至と言えた。興味本位でその商売敵について調べると、彼らが売り出す商品は、綿密なマーケティングのもと構築されており、非常に優れたものだった。
 もちろん、山端の担当企業も出来る限りの努力を行ってはいたが、一歩及ばずといったところだった。
 さて、このような状況で銀行の営業マンがすべきことは当然、担当先に商品戦略の練り直しなり、海外進出そのものを再検討させるなり、とにかく方向転換をさせることだ。しかし、彼はそれをしなかった。
 正確には、それとなく方針転換を勧めはした。だが、資金の問題や先方の上層部が首を縦に振らなかったことで、却下となった(※注5)。それならばと強く主張はせず、先の見えている戦に、彼は笑って送り出したのだった。
 その後は、崖からボールが転がり落ちていくようにコトが進んでいく。山端の担当企業のアジア地域進出発表から数か月後、商売敵もまた同地域に乗り込み、競争が始まった。最初こそ拮抗していたが、みるみるバランスは崩れさり、あっという間に山端らは惨敗を喫した。
 同社は、そのプロジェクトにかなりの資金をつぎ込んだため、失敗すると当然の帰結として、株価も暴落したのだった。
 当然、銀行も融資先の事業失敗で損失を出した。山端の人事評価は大きな下方修正が加えられ、翌年、彼は営業部から、内勤の『お客様サービス部』に転属となった。めでたく窓際族に仲間入りというわけである。
 しかし、彼の心は爽やかそのものだったという。
 当時、すでに世間の平均より少し贅沢を出来る程度には給料をもらっていたためか、出世へのモチベーションはゼロに等しかった。出世したとしても、得られるのはちっぽけな自尊心の充足くらいだと、心のどこかで考えていた。
「あれは、まさに天啓でした。その時、株の値動きを自宅のPCでモニタリングしていたんです。チャート内で、グラフ線が大きく下に振れた瞬間、私は本当の自分にようやく巡り合えた気がしました」
 田原 悦子は、当時、営業部で山端と同じ課に配属されていた。
 現在は人事部(※注6)にいる。そんな彼女は、当時の山端のことをどこか楽しげに振り返る。
「国内の大手行ならどこでもそうですが、求められるのは、大きなプラスを作り出す〝力強さ〟ではなく、マイナスを作らない〝隙の無さ〟です(※注7)。その点、彼はあまりバンカー向きの人間ではなかったのだと思います。彼自身も、どこかでそのことを分かっていたのでしょう。ずっと苦しそうでした。ですが、ちょうど営業部からの異動していく直前くらいから、憑き物が落ちたように、晴れやかな表情をするようになったんです。同僚たちは不思議がっていましたよ。キャリアをフイにして、どうして笑っていられるんだ、とね」
 山端の内面的変化は、次第に外に現れるようになる。
 ある日、飲み仲間との会話で、アサインされたプロジェクトの話になった。
 飲み仲間は、発展途上国で行われるインフラ事業のため、ストラクチャードファイナンスによる資金集めを任されていた。動く金も大きく、名誉ある仕事だ。だが、手放しで喜んでばかりもいられない。事業の中心を担っていた企業は所謂ゾンビ企業で、つまり、その取引は暗黙の了解の内に処理されている手続きがいくつもあった。気苦労も多かったことだろう。友人としては、その労をねぎらう言葉の一つでも掛けるべきところである。
 しかし、そんな時でも山端は『やぁ。楽しそうだね。それで? 今回はいくら懐に入れてもらったんだい?』と訊いてみせたという。

システムの始まり
 さて、ここに来て問いは最初に戻る。
 山端をはじめとする、買い付け人たちが商品を買い付け、ブローカーたちが流通させ、日本中の金持ちが消費する。それによって多額の資金が循環することは疑いないだろう。
 しかし、畠中組の事件は、限定的な地域の範囲内で起きたことである。そしてそれは、その地域だけで法外な資金流入があったことを意味する。
 限定的な範囲で大規模な流れを作るには、もう一つ仕掛けが必要だ。
 彼はそのアイデアを、『お客様サービス部』に転属になった後に、旅行で行ったヨーロッパで手に入れた。
 転属で時間に余裕ができ、直近で大きく金を使う用事も特に無く、独身生活でそれらを持て余していた彼は、旅行にでも行こうと考えた。大学時代の友人たちと連絡を取り合い、瞬く間に、四、五人でのヨーロッパ一週間旅行を企画した。
 当時、山端はすでに本業たる銀行の仕事にもの足りなさを感じ、何か良い副業、もしくは転職先はないものかと模索していた。金が儲かれば儲かるほど良い。使わずとも、なんだか世の中をバカにすることが出来るみたいで、愉快な気持ちになれる。そう考えていた。そしてもちろん、銀行での業務経験を生かせるものが良い。
 投資を受けられる事業とは、どこか人間のプリミティブな部分に訴えかけるような何かだ。投資額が大きくなればなるほど、その傾向は強くなっていく。そして、金融の存在意義とは、事業の力を倍増させていくことに他ならない。
 彼は、金融の機能と組み合わせて、自分を儲けさせてくれるその〝何か〟を探していた。
 旅行三日目、一向はドイツに来ていた。その日は、パブ(※注8)で酒を飲みかわした後、武勇の荒ぶるまま歓楽街に行ってみようということになった。山端は酒好きで、強くはないがよく飲むほうだった。その時も、すでに頭の大部分は酒浸しで、足元はおぼつかないという有様。一件目に行き、バカ騒ぎをしたストリップクラブを出て、歓楽街の煌びやかな看板、客引きのボーイ、女の子たちの色香に目が回る。しかし彼はまだ、自らの中にわずかながら、妙に冷静な領域が残っているのを感じていた。
 そういえば、こうした歓楽街は世界中のどこにでも、何らかの形で存在している。性欲は世界共通で、短絡的に金になるからだ。市場は大きい。だが他の産業  例えば、食品やエネルギー、医療などなど  と比べて、金融の関与が極端に少ない。せいぜい、テナントとして提供される不動産に繋がっている程度。少なくとも日本ではそうだ。これは規制が多く、それらを踏み越えてまでビジネスを展開しようと考える人間など、ほとんどいないことが理由だ。国の風土がそうさせているということもある。ならば、敢えてその線を攻めるというのはどうだろう? ブルーオーシャン戦略というやつだ。十中八九、ブタ箱にブチこまれるだろう。でもそれが何だ? 何か失うのか? いいや何も。じゃあ、やってみてもいいんじゃあないか?
 やり甲斐はあるぞ? 幸一。
 彼の中の悪魔がそうささやいた。
 旅行の後半は、東欧を巡った。チェコやハンガリーの美しい街並みを見て、ブランボラークやグヤーシュを頬張り、酒に酔いしれる。恋人がいるメンバーは仲間内で二人くらいしかいなかったが『愛のトンネル』にも行き、全員で写真を撮った。
 けれども、その間、山端はすっかり上の空だった。曖昧な記憶しか残っていない。
「アイデアが生まれた時点で、自分の中では半ば、挑戦することは決まっていました。問題は、それをどのように実現させていくかです。友人たちには申し訳なかったですが、それを考えることに夢中になっていました」
 帰国後、彼は早速、行動を開始した。上司に休職届を押し付け、築いた人脈で、見込みのありそうな者から順に、片端から営業をかけた。
 彼はまず、あまり大きなことはせず、単純な輸入から始めることにした。スポンサーを募り、彼らの希望に沿う商品を見つけて、日本に連れてくる。彼らを楽しませた後は、歓楽街で働かせて利益を出させた後、本国へ帰す。当然、利益はスポンサーに色を付けて還元しなければならない。
 もちろん、この程度なら、すでにヤクザやその他犯罪集団が昔からやっている。だから、彼らよりも少しばかり安価な価格設定で勝負をかけた。手札は少ないが培ってきたトーク力でカバーするしかない。
 交渉は細心の注意を払って進めた。御用になることを恐れていたわけではなかったが、何もしていない内から企みが頓挫してしまうのは、避けたい事態だった。直接的に電話をかけることはしなかった。道楽好きの金持ちをリストアップし、彼らが主催したり、出席したりするイベントに積極的に潜り込む。この段階では、メガのバンカーという肩書が役に立った。銀行の営業部の人間が政治家や経営者のパーティーに参加するということは、ままあることだ。アポイントを取る電話で、多少煙たがられることはあっても、門前払いを喰らうことはまずない。
 イベントに潜り込めたら、目当ての人物に近づき営業トークを始める。
「こんにちは。ご無沙汰しております。○○社長。最近どうです? あの事業、調子は悪くなさそうですが」
「おお。これはこれは。久しぶりだね。事業? ああ、例のね。そうそう。最近やっと軌道に乗ったところでね」
「素晴らしい! 銀行としても喜ばしい限りです。今後ともご贔屓に。......ああ、ところで、私、最近始まった、とある事業に関わらせていただいておりましてですね......」
「へぇ......」
 ここからが最初のハードルだ。金融の人間から歩み寄ってきたら気をつけろ(※注9)。経営者たちの間でよく言われてきたことだ。ここで、あからさまに興味のない素振りを見せたり、別の話を始めたりすれば残念。その時は縁が無かったということだ。彼らの気分を損ねるのは得策ではない。だが稀に、
「そうなの? ちょっと聞かせてよ」
 と言ってくれる、気の良い者もいる。そういった者には、
「はい。いや、個人的にすごく面白いと思っている事業で、私も久々にやる気を出してるところなんです。......ただ、ここで、大っぴらに言うのはちょっと......。よろしければ、後日お時間をいただけませんか?」
 ここで色よい返事が返ってくれば、めでたく第一関門は突破。
 さて、後日会ってくれた彼は、金もあり、ある程度融通の利く人間性の持ち主だ。しかし、ここでも油断してはいけない。事前に入念なサーチをしてから会見に臨む。
「今日は、わざわざありがとうございます。先日の話ですが、その事業というのは、一種の娯楽事業なんです。ただ、これが、少々難のある代物でして」
 彼らもバカではない。ここまで言えば『色々理由があり、銀行が表だって資金を提供出来る事業ではないが、せめて資金集めの協力を行っている』と分かってくれる。
 実際には誤解なわけだが。
 だが、その誤解を利用しない手は無い。そして、うれしいことに、相手はきっとこうも考えてくれる。『それはそれは。天下のメガバンク様が動いているのだから、さぞかし儲かるのでしょうな。ここで恩を売っておくのも一つの手かもしれない......』 
 実際には、メガバンクではなく、山端個人のみが動いているだけだが。
 ここからが第二関門だ。
 相手は、出資して得られるであろうリターンと、事業に関わることで降りかかるリスクを天秤にかける。当然、山端からも言葉を付け加えていく。銀行は受けた恩義を忘れない。リスクは出来る限り軽減する。そして、出資を約束してくれれば、豪華なオプションが付く......云々。
 だが、この段階に来ると言葉はほとんど意味をなさない。ただ黙っているよりは幾分マシなだけ。彼らはおそらく、銀行員としての言葉に、利益の可能性を感じて、その時間を設けてくれたわけではない。銀行には半分騙されてやろう、ぐらいの気持ちでいたはずだ。自分を最終的に楽しませてくれそうか。リスクに見合うか。それを彼ら自身の感覚で判断するのだ。
 こういった行程を経て、山端は記念すべき、第一回目の事業の出資者を最低限集めることができた。
 仕入れはインドで行うことにした。
 成田から飛ぶLCCの中、直角のシートに腰を痛めながらデリーに向かい、到着すると安ホテルにチェックインした。インドといえば、日本と比べ治安は大きく劣る。多くのリスク分散を強いられた。最低限の話ができること。現金は出来る限り持ち歩かないこと。荷物はいくつか分散させておいて、万一のことがあっても致命的な事態に陥らぬよう備えておくこと。等々。
 その時になると、出資者たちにビジネスの詳細を教えていたので、彼らの注文は聞いていた。
 現地で山端は、水商売をしている地域と、子供だけ働かされている場所にターゲットを絞った。そこで、注文に沿う人物を見つけては声をかけていく。
 交渉は難航した。当たり前といえば当たり前だろう。事前に多少の言語学習をしてはいたが、所詮、付け焼刃。円滑な意思疎通が困難だった。だがめげない山端は、結果が出るまで日本には帰らないと決めていたので、泥だらけになりながら、毎日駆けずり回り続けた。
 二か月経って、インドについてある程度学習し、満足にとはいかずとも、及第点程度には意思疎通も出来るようになった。
 それからはスムーズだった。
「私は、声をかけたり、接待を受けたりする中で、不快に思われないよう気を付けながら、交渉相手のバックグラウンドを聞き出すことに努めました。インドには、身寄りがなく、自らの身一つで生計を立てている者も多くいます。そういった人間であることが分かれば、いよいよこちらから一気に攻勢をかけていきます。彼らは、地元に縛られる理由もあまり無いので、こちらからそれなりの金額を提示すれば、高い確率で了承してくれます」
 また、劣悪な環境で働く子供も狙い目だった。親が病気だったりすると、なお良い。理由は読者諸兄も、お分かりになるだろう。
 さしもの山端も、子供のそういった感情を利用するのは胸が痛んだ。だが、彼は最早、自身が殉教者になったつもりでいたので、その良心の呵責さえも封じ込めて交渉を進めた。
 こうして二か月半に及んだ仕入れを終えて、彼は帰国した。日本での事業もつつがなく成功し、利益も上げることが出来た。
 この後、山端は同じような仕入れと、それを使った取引をおよそ七年に渡って繰り返すことになる。
 そして資金も潤沢になり、期は満ちたと判断したある日、彼はついに計画を第二段階に進めることにした。金融システムの組み込み、債券の導入である。
(続く)

(注2)真の買い手が会場に来るのは、単純に選ぶためである。実際の交渉や商品の運搬は雇ったブローカーが行う。
(注3)仲介業務とは、提携先や買収(所謂M&A)先、業務委託先などを紹介する業務のことを指す。
(注4)言うまでもないことだが、銀行の中の人間たちは、そのようなタイプばかりではない。しかし、美点よりも汚点が目立って見えるのは、人間なら往々にしてあることだろう。
(注5)この時、山端は詳しい情報を積極的に提示することはしなかった。当然、却下されることは織り込み済み。彼はただ、報告書に『先方の強い要望で、案件をそのまま進めることとなった』と書きたかったのである。
(注6)山端とは対照的で、分かりやすい出世ルートだ。
(注7)銀行では、一定ノルマ以上のプラスを出したところで、出世に繋がるとは限らない。当人を上へと押し上げる要因は主に、田原の言及した〝隙の無さ〟と、人事ファイルに残らないような銀行内部での政治的手腕だ。
(注8)ここで言う「パブ」とは、アイリッシュ・パブを指す。
(注9)特に、証券系の人間は警戒される。アメリカではもっと警戒される。


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