あなたたちの願いは

クロ太郎



 あなたは知っているだろうか。この世にはそれは大きな図書館があることを。
 ワタシは知っている。集められた本は膨大な数で、そのほとんどが人智を超えた知識、技術を記したモノたち。人から忌み嫌われたモノたち。悪とされたモノたち。
 なのに、必要とされるモノたち。
 人はそれを魔導書と呼ぶ。
 その魔導書を大量に保管する図書館。決して人の手の届かないところにしまい込み、虚空を彷徨い続ける大図書館があることを知っている。
 永久に微睡むワタシたち。永遠を漂う大図書館。けれど一欠片の希望がそこにはある。

            ??

「すっげー......」
 少年の小さな呟きが広い館内に溶けていく。
 ここは大きな図書館。自分の背より高い本棚がどこまでもどこまでも続いている。こんなに大きいと、端から端まで歩くだけでどれだけかかってしまうのだろうか。
 ほんの小さな好奇心で、店と店の間の路地を進んでいった先で見つけたきれいな扉。扉を開けて入ると、そこはステンドグラスから燦燦と日光が差し込む大きな図書館だったのだ。
 何処を向いても本、本、本。どこかで聞いたことのある題名から、初めて見る名前の本まで。
「......探検しよ!」
 初めての場所。友達も家族も、誰も来たことのないような場所にテンションが上がったのかもしれない。
 少年は心の赴くまま駆けだした。

「ここ、どこだろ......?」
 気が付けば随分と奥まで来てしまった。高かった天井は低くなっていて、燦々と差し込んでいた日光も電球の明かりに変わっている。そういえば階段を下りたような気もする。
 本棚は高く、天井に着くほどだ。ところどころに設置された梯子がなければ、上の方の棚の本など手も届かないだろう。
 ここまで走ってきてしまったが、そろそろ帰らないといけない。外が見えないから今どのくらいの時間なのかもわからないが、もしかしたらもう暗くなっているかもしれない。
 今来た道を引き返そうとして、少年は何かに呼ばれた気がして振り向いた。
 何に呼ばれたのだろうか。視界には本と本棚しかない。
 このまま帰ってもよかった。それでも。帰るのが遅くなっても構わない、と少年はまた奥へと進み始めた。

 果たして少年が見つけたのは一冊の本だった。
 何か特別なわけではない。他の本と同じように本棚に収まっていた。自分の頭と同じ高さにある棚から頑張って引っ張り出したそれは、装丁が豪華な分厚い本だ。少年の手には少し大きすぎるかもしれない。ちょっと重い。
 何でこの本なのかは分からない。
 だけどこの本に呼ばれた気がした。
 この本がよかった。ただそれだけ。
 その場に座り込んで開いてみる。題名は知らないし、そもそも読めない。中も全く読めない。少年は小学校に通っていて、ひらがななら難なく読める程度には学習しているのだが、全然わからなかった。
 なぜなら日本語ではなかったから。
 パラパラとめくってみる。読めない文字がびっしり書き込まれている中、たまに綺麗な図が書かれたページもある。けれど、その図もなんなのかよくわからない。とりあえず何かを表す絵ではないようだ。
 全体を通してよくわからない。全然分からない。
 けれど、この本がよかった。抱えるようにしなければ持てないこの本がよかった。
「よいしょ」
 少年は本を抱えなおして、元あった場所に返そうとした。ここは図書館だから、また読みに来よう。そのために、この棚までの来かたを覚えながら帰らなくちゃ。
 そう思って本を頭の高さまで持ち上げたところで、
「その本が気に入られたのですね」
「うわぁぁっ!?」
 コツリ、という音を立てて背後に立っていた少女に驚いて危うく本を取り落としかけたのだった。


「ごめんなさい勝手に入って、勝手に読んで」
「かまいませんよ、ここは図書館ですから。ようこそ、当図書館へ」
 長い金色のかみの人形みたいなお姉さんが、人形みたいなおじぎをする。あわててオレも本を持ったままおじぎした。
「その本が気に入られたのですよね。でしたらお譲りします」
「おゆずり......もらうってことですか!?」
「ええ、そうです」
 本をぎゅっと抱きしめる。
 この本を持って帰っていいって言われたらうれしい。だけど、ここは図書館。本をかりる場所だ。持って帰っちゃいけない。
 それに。
「オ......ぼくこの本読めないです」
 勉強したら読めるようになるのかもしれないけど、どこの言葉かも分からない。中国語は漢字だから、英語とかイギリス語とかかな。
「それでもかまいません。あなたがその本を気に入ったということは、本もあなたを気に入ったということ。でしたら同じ場所にあるのが好ましい。読める読めないに関係なく」
「でも......よごしちゃうかもしれないし、お母さんに怒られるかも」
 こんなきれいな本を持って帰ったらお母さんになんて言われるだろう。いつもへやがちらかってたら全部ゴミにするからねってお母さんに怒られているから、もしかしたらいっしょに捨てられてしまうかもしれない。
「心配なら、ワタシがあなたの親へ手紙を書きましょう。館長であるワタシの直筆ですから、分かってくださると思いますよ?」
「かん長......一番えらい人だ」
「えぇそうです。当館で一番偉いのです」
 お姉さんと本を見くらべる。本当にいいのかな、この本を持って帰って。
「ちゃんと持って帰れるように袋も用意しましょう。あなたがその本を大切にしてくれるなら、それだけで良いのです」
 その言葉を聞いて決心した。
「じゃ、じゃあこの本を持って帰りたいです」
 その言葉にお姉さんはにっこり笑った。

            ??

「......ただいま~」
「あんたまたこんなに遅くなって! 暗くなる前に帰りなさいって言ってるでしょ!」
 家に帰った少年を待っていたのは、怒れる母だった。
 それもそのはず。地下から地上の階に戻った時点で夕暮れは過ぎており、館長の少女が手紙を書くのを待つ間にとっぷり日が暮れてしまったのだから。
「まったく。夜は危ないって何回言っても分からないんだから......ん。どうしたの、そんな大荷物」
「あ、あのこれ!」
 抱える荷物に気づかれた少年は、すぐに少女に持たされた手紙を母親に手渡す。
「図書館より? なにこれ......なになに?『少年が気に入った本をお譲りします。もとより譲る相手を探していた本ですのでお気になさらず。どうか大切にしてあげてください。館長』? あんた図書館なんて行ってたの。珍しい。しかもあんたが本を気に入った? どうせ漫画でしょ。お母さんに見せてみなさい」
 少年がおずおずと本を母親に差し出す。
 その本は大人である母親の手にもずっしり重く、なにより装丁からそこらの書店で買えるような本でないことはすぐに分かった。
「あんたこれ......」
 下手したら、この本は図書館などではなく博物館に保存されるべきものじゃないだろうか。
 ペラペラとめくってみるが書かれた内容はさっぱり理解できない。かろうじて文字の形はローマ字に近い何かだとわかる。ところどころ知らない記号か文字が入っていて全く読めないが。
「オレその本大事にするよ! 部屋もかたづける! ぜったいにちらかさない! 家に早く帰ってくる! きらいな野菜残さない! 夜におかし食べない! 歯みがきだってちゃんとする! やくそくするから! だからお願い!」
 母親の腰に引っ付いてねだる少年。
「わかったわかった。夜に大声出さないの。近所迷惑になるでしょ」
 今までお願いをされたことはあった。だけれど、ここまで真剣にお願いされたのはちょっと思い当たらない。
 母親は悩んだ末、常套句を口にするのだった。
「約束を守れなかったら、元あった図書館に返しに行くからね!」

 その日、少年はとりあえず片付けられた部屋で眠りについた。散らかっていたおもちゃを箱に詰め込んだだけなので整理しなければいけないが、また今度の休日にするようだ。
 何かを思い出したのか少年が体を起こした。
 机の上に置かれたあの本の表紙を撫でる。
「大事にするからね。これからよろしく」
 満足した少年は今度こそ布団に戻る。しばらくして穏やかな寝息が聞こえてきた。
 この夜から、寝る前に本の表紙を撫でることが少年の日課になった。
 
 「おかしいわね。ほんとにこの辺りなの?」
 「うん。このへんの道をとおって行ったよ」
 その週の週末。少年と母親は図書館を探していた。お礼を言いに行くためだ。
 けれど一向にたどり着かない。
 スマホで最寄りの図書館を検索してみるが、少し離れたところの市営図書館しかヒットしない。
「あそこの図書館じゃないんでしょ?」
「前学校で行ったとこ? あんなにふるい図書館じゃなかったよ」
「じゃあいったいどこの図書館なのかしら......」
 そもそも少年の話に出てくるような巨大な図書館を母親は知らなかった。この町に十何年住んでいるにもかかわらず。きれいで蔵書数も多い図書館なら、市営図書館よりも人気になるはずなのだが。
 そう思って母親はマップではなく口コミを検索してみるが、やはりヒットしない。
「あんたどこの図書館に行ったのよ?」
「わかんない。ぼうけんしてた」
「ダメね。全然見当もつかない」
 そろそろ歩き回ることに疲れた母親は、今日の捜索をあきらめることにした。
 明日職場で同僚から情報収集しよう。そう決めて。

 少年が図書館から本を貰って来てから一か月がたった。
 約束通り、遊んだ後はいつも部屋を片付けているし、帰宅も早いし、好き嫌いをしなくなったし、勝手にお菓子を食べないし、ちゃんと歯みがきもしている。
 そして、毎晩本の表紙を撫でているのだった。
 休みの日には、相変わらず内容は分からないがペラペラとめくって読んだ気分になっている。気に入った図は書けるようになった。繰り返し練習した成果だ。
 一か月経っても、少年はその本が好きだった。
 一か月経ったら、もっとその本好きになった。
 題名すら分からないその本を、少年は約束通り大事にしている。
 母親にはなぜそんなに大事なのか分からないが、きちんと約束を守っているのでその本がなんであれいいのだった。
 図書館へは未だたどり着けないままだったが。

            ??

 ある日、少年は本を持って車に乗っていた。
 少年の祖父母の家に行くので、持って行って自慢するのだ。それに一晩泊まるので、持っていかないといつもの日課ができない。
 母親の運転する車に揺られながら少年は楽しみにしていた。祖父母に会うのが半年ぶりなので、会えるというだけで楽しみなのだ。
「今年もにわで花火できるかな」
「おじいちゃんたち、準備してると思うわよ。あんたが毎年楽しみにしてるから」
「おじいちゃん、ツリにつれて行ってくれるかな」
「連れて行ってくれるんじゃない? 大物釣ってきなさいよ」
「そしたら、おばあちゃんがおいしい料理にしてくれるね」
「最近あんたが自分で魚の骨を取れるようになったから、おじいちゃんもおばあちゃん褒めてくれるわよ」
「そっかー。えへへ」
 和やかな会話が続く車内。車は険しい山の中を走っているが、母親の手つきは慣れたもので危なげなく山道を登る。多少揺れるため、本が落ちて汚れてしまわないよう、助手席に座る少年は大事そうに本を抱えていた。
「最近ほんとにいい子だからね。いっぱい、いっぱい褒めてくれるわよ」
 そう言いながらハンドルを切ってカーブを曲がったところで
「――きゃぁぁぁぁぁああああ!!!?!」
向かい側から走って来た自動車が、少年と母親の乗る車に突っ込んだのだった。


 痛い。
 苦しい。
 助けて。
 だれか、助けて。
 この子を、助けて。
 ここから、助け出して。


 少年が目を覚ました。
 体中が痛い。
 鼻をつく匂いがする。背中に重みを感じる。
 ゆっくりと目を開くと、目の前にいるのは母親だった。少年に覆いかぶさるようにして、目を閉じている。ピクリとも動かない。なんとか体を動かすと、母親の頭から血が流れているのが見えた。
「おかあ、さん......?」
 声をかけても返事をしない。いつだって怒ったり褒めたり笑ったり。自分が声をかければ返事をしてくれる母親が返事をしない。
「お母さんっ!?」
 熱いのも痛いのもどうでもよかった。母親が返事をしない。全く動かない。少年にとってはそれが何よりも一大事だった。
 
 残念だが、その時母親は既に死んでいた。
 少年をかばって、体のいたるところを負傷した。少年より長い脚は、ハンドルの下で車に押しつぶされている。激しい痛みの中、それでも少年がまだ生きていることを、まだ脈があることを確認した母親は、安心したまま死んでしまったのだ。誰かが、いつ爆発してしまうかもしれないこの車から少年を助け出してくれることを祈って。
 
 そんなことを知らない少年は、頑張って母親をゆすり起そうとする。寝坊した日だって、揺らせば起きてくれた。なのに、全然起きてくれない。返事をしてくれない。
 どうして、どうしてどうして。
「お母さん! お母さん!!」
 返事をしてほしい。
 いつものように、言葉を返してほしい。
 けれど、現実は無情で。母親は目を開かない。口を開かない。少年の思いに応えることはない。
「お母さん返事して!!!」
 必死で母親を揺らす少年は、自分の膝の上にのったままの本が熱くなっていることに気づかないのだった。

「やっべー......」
 車の中で男はうなだれていた。
 どうせ車が来るわけないし、とスマホで通話しながらの運転だった。片手だけの操作で、ハンドルを切り損ねてちょっと反対車線へ膨らんでしまった。ただそれだけだったのに。
 事故の反動で持っていたスマホはどこかへ行ってしまったが、それよりもなによりも。
 ぶつかった車が道の下、というより崖の下に落ちていってしまった。
 自分の車はちぎれたガードレールにひっかかってまだ道路の上だ。シートベルトをしていたこともあって、自分に大きな怪我もない。
 けれど、下に落ちた車はそうもいかないだろう。
 良くて大けが。下手したら乗員全員死んでいる。
「ありゃしゃーねーわ、うん。仕方ないよな」
 この道路、あまり使われないとはいえ、隣の県に行くときはこの山を越えていくのが近道だし。通る誰かが気付いてくれるかもしれない。そしたらうん。
「通報して救急車とか、呼んでくれるよな」
 自分のスマホはどこかへ飛んで行ってしまったのだし。通報できないのは仕方がないのだ。それに、ここにずっといては、次に来た車とまた事故を起こしてしまう。早く移動しなきゃならないよな。
 うんうん。仕方ない。
 今すぐ通報できないのも、ここから立ち去るのも。どちらも仕方がないことだ。
 仕方がない事だから仕方ない。
「へへ。仕方ない、よなぁ......?」
 男は自分を正当化させ、納得した。

 ゆっくりと車が動き出す。
 そして。
 男を乗せた車は、少年と母親の乗った車と同じように崖の下へ転がり落ちていった。

             ?

 少女が本を持っている。
 豪華な装丁で少し重い本。
 黒地に紅い紅葉の踊る着物を着た白髪の少女と、西洋の古い本の組み合わせはアンバランスのようで、絵画のような奇妙な調和が成り立っていた。
「あなたが犯した禁は人を生き返らせたことではない。人を殺したことでもない。勝手に、その力を行使したこと。それがあなたの犯した禁」
 語り掛ける少女に、応えるように本が淡く輝く。
「あなたに記された蘇生の術は別に悪いものではない。たとえそれが、生贄に他人の命を使うとしても。そういう技術の元確立された術なら問題はない。けれど」
 本を持つ手に力がこもる。
「けれど、人の手によってつくられたモノが、人の手を離れて力を行使する。それはあってはならない。あなたたちは、人の手によって、人の操作によって力を使わなければならない。例え正当な持ち主の手の元にあったとしても」
 少女の影が蠢く。
「それが世界の決まり。この星においての法則。それなのに......どうして破ってしまったの。正当な持ち主に使っ(・・)てもらう(・・・・)。それがあなたたちの願いのはずなのに」
 本が淡く明滅する。
「禁を破ったあなたには罰が与えられます。それが決まりだから」
 少女の影が、少女ごと本を飲み込んだ。
「あなたから蘇生の術と本であることを奪います」

            ??

「お母さん! お見舞いに来たよ!」
「こら、病院では静かにしなさいって言ったでしょ?」
「ごめんなさーい」
 白い清潔なベッドに体を預けている母親に少年が駆け寄る。その腕には、あの本が抱かれていた。

 男の乗る車が落下したあと、その轟音のせいか母親は目を覚ました。
 そして、危険な車から少年と共に脱出し、何とか持って来れたスマホで通報。消防車と救急車を呼び、到着した救急車で母親はすぐさま搬送。傷は深かったが事なきを得た。少年も検査したが、大きなけがはなくすぐに退院することができた。
 残念ながら、相手側の男は即死だったらしい。
 警察の検証と残っていたドライブレコーダーにより、事故の原因は男の過失運転と判断された。
 今は、母親のみが入院しており、祖父母が少年の面倒を見ている。

「その本、よく無事だったわね」
「うん。だけど、おかしくなっちゃったんだ」
「おかしく? 本が?」
「そうなの。ほら見て」
 少年が本を開いて見せる。
「あら、ほんとにおかしいわね。......どういうこと?」
 あれほどまでにびっしり何かが書かれていた本が、真っ白になっていた。外側だけ元のまま、どのページもが真っ白に。外側だけ同じ本とすり替えられたと言われたほうがまだ納得がいく。
 これでは、ただの自由帳だ。
「どうしたのよ、これ」
「わかんない」
「......奇妙なこともあるものねぇ」
 色々あった。事故の後、相手側の家族に怒鳴られもしたし、この状態でもいろいろ書類を書かなければならなかった。母親は疲れていた。
 だから、白紙になってしまった本を、それでも大事そうに抱える少年を見て、母親は「ま、何でもいっか」と思考を放棄するのだった。

            ?

 日が差しこむ窓ぎわ。置かれた椅子に腰かけた少女。少女の動きに合わせて、滑らかな白髪がさらりと流れる。
「あなたたちの願いは、私には分からないわ」
 ワタシは隣に立って、目を伏せる彼女のティーカップに新しい紅茶を注いだ。
「ワタシたちは人に作られたモノ。再び大事にされること、使われることを願って待ち続けるモノ」
 ポットを机の上に置き、あの本に思いをはせる。
 正当な持ち主を見つけられたあの子。元気に貰われていったあの子。
 作られた経緯はいたって単純。大事な人を失った魔術師が、なんとしてでももう一度、一目だけでいいからその人に会いたいと願って作った本。魔術は成功したものの、倫理の観点から弾劾された本。悪とみなされてしまった本。他の人に取られ、悪用される前に禁忌の書としてこの図書館に回収された本。
 この図書館に保管されたモノたちなら、大体たどる道筋は同じ。そしてここで、大事にしてくれる持ち主を待ち続けていたのも同じ。
 あの子は持ち主を見つけて旅立っていったけれど。
 貰われた先でとても大事にされていた。蘇生の、禁忌の本としてではなく、ただの本として。
 それがどれほど羨ましい事か。
 彼女の紅い瞳がワタシを見つめる。
「あなたもいつか、ああなってしまうのかしら」
「どうでしょう。あの子と違ってワタシはさらに特殊ですから」
 自慢の金髪を指ですく。滑らかに動くこの指も自慢だ。踊ることだってできる足も自慢。小鳥のさえずるようなこの声だって自慢。
 けれど、自慢の私を見せる人は、大事にしてくれる人は、愛してくれる人はまだ現れない。もしかしたらこの先もずっと。それほど、ワタシたちにとって持ち主と出会えるというのはあり得ない未来。一欠片にも満たない奇跡。だから。
 持ち主に出会ってしまって、大事にされてしまったら。
 きっと望んで禁を犯してしまうのでしょうね。
 それが持ち主の笑顔のため。涙を止めるため。幸せのためになるなら。
 なぜならワタシたちは持ち主の願う幸せのために作られたのだから。持ち主の幸せこそが作られたワタシたちのただ一つの願い。至上の幸福。たとえそれで身を滅ぼすとしても。
 使命を胸に、星の秩序を守り続けるこの方には理解できないかもしれない。分かり合えないのも、それは仕方のないことだ。
「お茶請けにクッキーはいかが?」
「......いただくわ」           【終わり】


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