復讐するは神に無し

七鹿凪々



一章 人形は悪夢に潜む

 一日が始まる朝が、嫌いだ。
 私が実際に嫌いなのは起きている間そのものなのだけれど  その時間が始まったことを否応なく実感させられてしまう朝が嫌いなのだ。
 目覚ましが鳴ると、またかと思う。
 目が覚めると、顔が引き攣る。
 意識が覚醒してくると、心臓が早鐘を打つ。
 これから何時間他人と接しなければいけないのかと考えると、低血圧も相まって眩暈がする。
 そして、考える。学校さえなければ、と。
 学校が私に与えるストレスなんて言うまでもない。泥沼よりも陰湿でタチの悪い人間関係。全く楽しくないカリキュラム。教室という空間で強制される共生生活は思春期を迎えた子供の精神を石臼で挽くように磨り潰す。
 そして、「日本人」の型に押し込んで性格を矯正するのだ。私の嫌いなクラスメイトのように。
 はっきりと自分の意見を言わず、そのくせ本人に聞こえることを知ってか知らずか陰口で曖昧な悪意を振りまく。
 そんな人間が跳梁跋扈する学校に行かなければならない合図が朝だ。サイアクな気分にだってなる。
 ほら、また。
 私の陰口が  。
 
 *
 
「   ああ、夢か」
 もそもそと起き上がる。
 計何度目の悪夢だ、全く。
 どっくん、どっくんと早鐘を打つ心臓が恨めしい。
 自分に言い聞かせる。
 大丈夫。
 私はもう『朝霧茜』じゃない。『小林茜』だ。
 高校なんてもう関係ないし、同級生なんて一人もいない。
 大丈夫。
  あの子、付き合い悪いよね。
 大丈夫。
   なんか、気味悪い。
 私は大丈夫。
    わざと空気を読んでいないのかな。
 だって、だって。
 違う。悪くない。何もしてない。何もしてないのに。責めないで。言わないで。私にわざわざ構わないで。なんでこっちに来るの。私は何も悪くないのに。
「おい、しっかりしろ! 」
 突然、両肩を掴まれた。はっきりした感覚が、私を現実に引き戻す。
「あ、小林さん......」
「あ、じゃないぞ。だいたいお前も小林だ」
「ごめんなさい、あざみさん」
 あざみさんが深く息を吐く。
「何度も言ってるが、あざみでいい」
 心底呆れた表情をして、こちらに顔を向ける。乱雑に後ろでくくった髪が揺れる。言葉遣いと目の下に刻まれた隈さえ気にしなければ、理知的な美人に見える。
「ほら、薬。まだキテるなら飲んどけ」
「いや、いい。私それあんまり好きじゃない」
「薬が好きな奴なんていねえよ。ま、大丈夫なら朝飯頼むわ。今日の当番お前だろ」
「ん。何か食べたいものはあるの」
「そうだな。あっさりしたやつで頼むわ。今しつこい味のものを食ったら吐く」
「また徹夜? 」
「そんなもんだ。だから飯食ったら寝る」
「りょーかい」
 私の返事を聞くと、あざみさんは私の部屋をでていった。
 時計を見ると、針は九時を指している。バイトのある日ならば泡を食って飛び出していた時間だ。あざみさんが私の部屋にわざわざ朝ご飯を催促しに来たのも頷ける。徹夜明けの頭で起きてるのもいい加減限界だったんだろう。

 小林あざみ。
 私がどうしようもなく生きることに疲れていた時に、私を引き取ってくれた恩人だ。
 多分、社会人。と、いうのもあざみさんは基本的に夜を徹して仕事をするのだが、徹夜終わりに何をしていたのか聞くといつも答えが違うのだ。
 ある時は小説。ある時は翻訳。あるときはアフィブログの管理だったか。節操がないにも程がある。
 ......まあ、副業が何かなんて些細なことだ。
 本業に支障が出なければいいのだろうし、金に困ったことがあるわけでもない。私に関係のないことだ。

 朝ご飯を食べ終わったあざみさんは、宣言通り本当に寝てしまった。よっぽど疲れていたんだろう。
 私はと言えば事務所の掃除だ。
 事務所、といっても家の一階をそれっぽくしただけの簡易的なものだが。
 不思議なもので、毎日掃除していても埃というものは湧いてくる。
 そういうゴミは箒で集めて捨てる。あざみさんが食べ散らかしたお菓子のゴミはゴミ袋にまとめてポイだ。
 やっぱり、あの人が事務所を使った後は汚い。ここもあの人がモテない要素の一つかもしれない。
 あらかた片付けて、確かな満足感を味わっていると、コンコンと玄関の方から控えめなノックの音が聞こえた。
「どぉーぞー」
さて、「小林探偵事務所」のお仕事開始だ。

*

「粗茶ですが」
「はぁ、ありがとうございます」
 訪問者の第一印象はよくいる女子高生、といったところか。まん丸い目に、薄い唇。髪はきちんと肩口程で切りそろえられており、よく見るとうっすらと化粧をしている。自身の欲求と校則で板挟みになった結果だろう。
 昔、似たような女を飽きるほど見た。
 少し、昔を思い出してしまう。
 大丈夫。勘違いしない。相手は一人だ。
 深呼吸を一つ。よし、大丈夫。
 さて、本当にこの子が女子高生なら、問題は現在の時刻だ。
 今日は火曜、時は十時。
 女子高生がふらついていい時間でない。制服こそ着てはいないが、もし着ていようものなら警官に話しかけられるというものだ。そのリスクを回避することや学校よりも優先しなければならない依頼なのか。
「えっと、そのぅ......」
 女子高生(仮)が口を開く。話そうかどうか悩んでいる感じだ。ここまで来るのだ。話して信じてもらえるか悩むような相談を抱えているなんて容易に想像できる。
 ただ、ちょっと緊張しすぎなような。
 少しはリラックスしてもらおうか。
「ん。お気持ちはわかりますが、とりあえず自己紹介からお願いします」
「あ、えっとそうですよね」
 あたふたと慌てる女子高生(仮)。
「私は黒胤奏(くろたねかなで)と言います。この近くにある神(か)住ヶ丘(すみがおか)高校の二年です」
「神住ヶ丘ですか。頭、いいんですね」
「いえ、万年落ちこぼれですよぅ」
 神住ヶ丘といえばここらで一番偏差値の高い高校のはずだ。あそこで落ちこぼれとは、地方の国立大学以上に入学できるということを意味する。
 頭のいい高校に所属していると知ると、なぜだか利発そうな顔に見えてきた。これがバイアスか。
「謙遜なさらずとも。ささ、お菓子もどうぞ」
「あからさまに態度が豹変した......」
「今日、学校は?」
「休みました」
「ええっ、テストとか大丈夫なの」
「あんまり大丈夫じゃないです......」
 それはご愁傷様だ。
 ちらりと時計を見ると、この子が来てから十分ほど経っていた。
 うん、そろそろ緊張もほぐれただろうか。
「そろそろ用件を聞きましょうか」
「はい、実は最近、眠れなくて」
「......病院なら、バスで十分ほどのところにありますが」
「違います! 不眠症じゃないです!」
「はぁ」
 違うらしい。場を温めるための冗談だったつもりなのだけれど、結構激しめに否定されてしまった。
 ......やはり冗談は苦手だ。
「その、悪夢を見るんです。それも毎夜同じものを」
「どんな?」
「暗闇の中で、不気味な人形がこちらをずっと見ているんです」
「ほう」
「最初はただ、笑みを浮かべてこっちをみているだけだと思っていました。でも、日が経ってきて気が付いたんです。徐々に、本当にじりじりとこちらに近づいてきているんですよ」
「その夢は、いつから?」
「一ヶ月前です。もう、あいつは文字通り目と鼻の先にいます」
 結構典型的な悪夢だ。と、いう感想を抱く。
 何が近づいてくるのかの違いはあれど、連日同じ夢を見、徐々に対象が近づいてくるというのはよくある話だ。
 さっきは冗談で言ったけれども、本当に病院を勧めるべきかもしれない。
 どちらかと言えば、妖魔怨霊の類でなく、ストレスのせいだろう。
「それに、最近現実でもその人形を見かけている気がするんです」
 ん、新情報。
「通学路。放課後の教室。家の廊下。ふっと、そいつが見えるときがあるんです」
「人形っていうと、リカちゃんみたいな奴ですか。それは不気味ですね」
「いや、もっとふっくらした奴です。西洋人形みたいな」
 なるほど。
 これは、あざみさんに聞いてもらったほうがいいだろう。
「すみませんが、少々待っていてもらえますか」
「へ、わ、わかりました」
 依頼人に待ってもらうのは申し訳ないと思うが、どうしてもあざみさんを呼んでおくべきだと思った。
 あの人は「西洋人形の関わる怪談」に執着している。
「あざみさん、少しいい?」
 コンコン、とあざみさんの部屋の扉をノックする。
 さっき寝付いたばかりの人を起こすのは申し訳ないと思う。が、多分今起こさなかった方が、後であざみさんの怒りを買う。
 返事がない。もう一回ノックするべきだろうか。
 悩んでいると、扉が開いた。
「なんだ。眠いんだが」
 意外にすぐ起きてきた。
「依頼者が来た。西洋人形につきまとわれていて悩んでいるって」
「詳しくは依頼者から聞く。五分で準備するから依頼者に言っといて」
 半開きの眼はしっかり開き、若干苛立ちが含まれていたダルそうな口調ははきはきとしたそれに変わっていた。
 この切り替えの早さは、何度見ても見慣れない。
「りょーかい」
 階下に向かうと、黒胤さんが所在なさげにさっき勧めた醤油せんべいを食べていた。
「すみません、あと五分待ってもらいます」
それだけ言って、私も醤油せんべいに手を付けた。
 おいひい。
「わかりまひた」
 せんべいを咥えたまま返事をするのははしたないが、少しかわいいなと思ってしまった。
 沈黙の中待つこと五分。
「待たせてごめんね」
 きっかり五分後、あざみさんが精一杯猫を被って二階から降りてきた。しっかり刻まれた隈も化粧で隠しているし、髪も括りなおしている。寝るとき寝間着に着替えずそのまま突っ伏したみたいで服は若干皺があるが、五分で準備し降りてきたにしてはまともな格好をしていた。
「それで、依頼者はあなたね。話を聞かせてもらおうかしら」
 被っている猫、重そうだなあ。ボロが出ないのが不思議でならない。
 その後、あざみさんは奏ちゃんから搾りつくせるだけ情報を搾り尽くすと、奏ちゃんを一旦家に帰らせた。
*

「で、何かわかったの」
「何が」
 依頼者を送り出して早一時間。小林さんはずっとパソコンとにらめっこしていた。
「依頼について」
「聞いたろ、さっき。人形だよ」
「そうじゃなくて。わかってるでしょ」
「んー」
 考え込んでいるように見える。はぐらかしたいわけではなさそうだ。
「......多分、認識からはみ出してくるタイプ」
「えっ」
「だから、今回の人形。夢で、もしくはもっと前に噂とかで自身を知覚させて、認識させる。次第に思考をそいつが占めてくると、日々の不安が全部そいつのせいにされて、徐々にあそこにいるかもしれない、こちらにいるかもしれないと現実を侵蝕してくる。そこまできたら末期だな。現実を侵蝕し始めた妄想は実体を得始め、やがては本当に現れる」
「待って。長い。しかも難解。おまけに早口。わかりやすく、短く、ゆっくりとお願い」
「今年で十八だろ、頼むから理解してくれ」
「早口でまくし立てる方が悪い」
「まあいい。わかりやすく言うと、意識すればするほど現実になっちゃう妄想だ」
「はえー」
「お前、ちゃんと理解してる?」
「してる。だいたい」
 あざみさんは胡乱な目で私を見ている。
「えー、でも個人の妄想がそんなすぐ実体化する?」
 胡乱な目で見られるのに耐えられなかったので、少し反論してみる。
 実際、気になっていたことだ。妄想がすぐに実体化するなら、この世は天国だ。少なくとも私の周りではエビフライが大量発生する。
 私としては綺麗にカウンターを決めたつもりだったが、あざみさんは平気な顔をしている。
「それは簡単だ。こりゃ多分流行りものだ」
「流行りもの」
「そ。要するに、みんなの妄想ってこと。みんなで同じ妄想を共有している。都市伝説みたいなもん」
「ふーん」
「裏付けが取れて無いから不安だけどな」
「へー」
「......もう少し文明的な返しをしてくれ。その返答、やる気がみるみる消える」
「善処する」
 正直よくわからなかった。
 まあ、あざみさんがわかってるならそれでいい。
 どうせいつも通りあざみさんが策を練り、実行するのが私だ。私が一々細部まで正確に理解している必要はない。
 それよりも大事なことがある。
「で、結局どうだったのさ」
「お前、何? 前から思っていたけどさ、もう少し論理だてて、話し相手にわかりやすく喋れねえの?」
 む。そこまで言われる覚えはないと思うのだけれど。
 仕方ないのでわかりやすくを意識して喋る。
「西洋人形でしょ。メリー(・・・)なの?」
 メリーさん。恨みを持った人形がケータイに電話をかけ続けてくるという都市伝説だ。
 メリーさんは常に「私、メリーさん。今〇〇にいるの」という電話をかけてくる。最初は自分から遠い位置にいることを報告してくるが、これが電話がかかってくる度に自分へと近づいてくる。最後には自分の背後に出現する。都市伝説はここで終わるが、まあ大抵はメリーさんに目をつけられた人間がご臨終する尾ひれがつく。
 何より大事なのはあざみさんの復讐対象だということだ。あざみさんがわざわざ探偵事務所を構え、霊や都市伝説などの事件も扱っているのはメリーに報復するためなんだとか。
「......わからん。都市伝説が変異することはあるらしいが、いくらなんでも変わりすぎだ」
 まあ、段々近づいてくるところと西洋人形なところしか同じ部分はない。だけど、それくらい共通点があれば十分だとも思える。
「言いたいことはだいたいわかる。ま、それも含めて調査しよーぜ」
 ぽいっとあざみさんが私にメモ用紙を投げてきた。
 丸っこい字で「人形が出てくる悪夢について」と上の方に書いてあり、その下は白紙だ。
「字、かわいい」
「うるさい。いいからさっさとその質問について聞いてきてメモってきて」
「聞くって誰に」
「高校生。できれば神住ヶ丘生」
 どくん、と心臓の鼓動が聞こえた
「......無理を言う」
「わかってる。でも私はパソコンから手が離せん」
 陰口が聞こえ、いや聞こえるはずがない
「でも」
「でもじゃない。いい機会だ、いい加減お前も少しずつ慣れろ」
 落ち着け。落ち着け。
「だって」
「だってでもない。さっき依頼人と二人で喋ってたときはどうにかなったろうが。複数人と話すのが怖くてもサシだったらどうにかできるだろ」
「ごめん、無理。ほんと無理」
 動機が激しくなってくる。
 私を遠巻きに眺める女子高生数人を幻視する。
 ウザい。
 キモい。
 違う私は何もしていない。私はお前らに関わらない。だからお前らも私に関わらないで。
「あー、わかったわかった。私が行く」
 あざみさんが私の身体を揺らしてくれる。
 悪夢の世界から、現実へと戻る。
 ゆっくりと息を吐き、そして吸う。
 気づけば、目じりに涙が溜まっていた。
「何も学校内に入るってわけでもないだろうに」
「ごめん。......ごめん」
「いい。今のは私が悪かった」
 そう言って、あざみさんは煙草を取り出した。

*

「ふふ」
 また、いつもの悪夢かと思った。
 違うと気づいたのはすぐだ。
 周りは暗闇だった。一寸先も見通すことができないが、なぜか自分の身体は視認できる。
 特にすることもなかったのできょろきょろと周りを見ていると、遠くに蒼い瞳で金色の髪をした西洋人形のようなものが見えた。結構豪奢なドレスを着ている。
 不思議と、遠いのに子細まで観察できることは気にならなかった。
「ふふ」
 人形は笑う。ずっと。
「ふふ」
 人形は嗤う。人間を。

*

「夢か」
 しかも悪夢。おまけにさっき奏ちゃんから聞いたやつ。これを偶然の一致と笑い飛ばせる度胸は持ち合わせていない。
 そうだ、思い出した。みんなで共有している妄想だと言っていたから、実際に話を聞いた後で寝たら出るかどうか試す意味で昼寝したんだっけ。
 本当に出るとは。早速あざみさんに報告しなければ。
「ふふ」
「へ」
 幻聴だろうか。
「ふふふ」
 お腹が痛い。
 見ると、錆色の刃物が生えている。
 なるほど、痛いわけだ。刃物がお腹から生えているんだもの。 
 痛いのは、嫌だなあ。
「ふふふ」
 気味の悪い笑い声しか、聞こえない。

続く


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