あなたにとって初めての

クロ太郎



  あなたは知っているだろうか。この世界には不死者というものがいることを。
  私は知っている。読んで字の如く、死なない者。永遠を生きる者がいることを。永久に終わりの来ない者がこの世界にあることを。
  なぜなら、私がその不死者だからだ。私はある時、ひょんなことから死なない体になった。今でも自分の体のことについてよくは分かっていない。けれど、これがとある出会いを生んでくれたことは確かなのだ。

            *

 目が覚めたら、目の前が真っ暗だった。
「もご?」
 身動ぎしようにも腕と足が動かなくて、体を起こすことさえできなかった。なんだか痛い感触。縛られているみたいだ。
「もごもごっ!?」
 口も縛られていて喋れない。
 鼻が埃っぽさにムズムズする。
 つまり私は両手両足、口と目を縛られて埃っぽいところに転がされているということで。これはもしや誘拐とか拉致とかそんな風に呼ばれるあれなんじゃ? やばいやばいやばい。めっちゃやばい。
 えっとこうなる前何してたっけ、私はどこに居たんだっけ。えぇと、はい。普通に学校から帰ってただけですね! 変なことも危ないこともしてない。なのに変なことになってる。本当に犯罪に巻き込まれた!?
「ん? 気がついたか」
 私の前、上の方から声が聞こえた。もしかして、私を捕まえた犯人だろうか。いや、もしかしなくても犯人。断定で犯人に間違いない。だってこんな私を助けずに放置してるんだ。これで味方だとか言われても全然信用できない。
「おい、余の足元でいつまでも芋虫のようにのたうちまわるでない」
 こんなところに連れてこられて、こんな風に縛られて転がされて、私は何をされてしまうんだろう? 誘拐だったら、お母さんやお父さんに身代金目当てで電話するのだろうか。それともどこかへ売られてしまうのだろうか。それともそれとも、殺されて(・・・・)、しまうのだろうか。
「余の言葉が聞こえぬのか? いや、これに限ってそんなことはあるまい。 なら理解できぬのか? このあたりの言葉は習得していたと思うが......。そもそも、だ。なぜ貴様は炎を使わぬ? 飛び方を知らぬ雛鳥というわけではあるまい」
 いや、だ。いやだいやだ。いやだいやだいやだ。死にたくなんかない。まだ生きたい。やりたいことがいっぱいある。誰か、助けて。警察じゃなくていい。誰でもいい。だから、どうか、
「そろそろ答えよ」
「だれかたすけて」
 急に明るくなった世界。眩しすぎる視界の中、パチパチとまばたきして目が慣れてやっと見えたのは、地面に転がっている私の前で優雅に椅子に腰かける一人の女の人だった。
「それとも、本当に何も知らぬ雛鳥なのか」
 私の口と目を縛っていた布を取ってくれたらしいその綺麗な人は、私を見下ろしながら、無表情のままそう言った。

「えぇと、解(ほど)いてくれてありがとうございます。もしよかったら手と足の方も解いてもらえたら嬉しいなぁ、なんて......」
「これは想定外だぞ。これが少しは使えるかと思っていたが当てが外れた。月が迎えに来るまで待たねばならぬか...?」
「あのー、もしもーし?」
 だめだ。自分の世界に入ってしまって、こっちの声なんて聞こえてないみたいだ。私の口と目を解放してくれた女性だが、その後は放置されている。おかげでまだこの埃っぽい床に転がったままだ。
 少し状況整理をしよう。私がつれてこられたのはどこかの廃屋みたいなところのようだ。床も壁もボロボロで、砕けたコンクリートの破片が地味に痛い。窓ガラスがない窓枠の向こうに見えるのは青々と茂った緑。山の中なのだろうか。窓から外に出ることもできそうだが、外に人がいるかもしれないことを考えなければならない。そして、この部屋に唯一つけられた扉。壁や床と同じように古い。鍵とかはついてなさそうだけど、あの扉から素直に逃げられるとは思わない方がいいと思う。どこかに私をここへ連れてきた人がいるはずなんだから。
 そして私の前の椅子に腰かける女の人。長い金の髪で黒いドレスに身を包み、ひじ掛けに頬杖をついてけだるげにしている。一度だけこっちを見た顔は整っていて、少なくとも私が今まで見てきたどの人よりも美人だった。ただ、何の感情も映さない赤い瞳が特徴的な人。ちなみに私と違って床に転がされてもいないし、縛られてもいない。最初は私をさらった犯人かと思ったけど、布を解いてくれたし。かといって、結局最後まで助けてはくれなかったから味方じゃないのかなぁ......?
「せめて解くだけでもしてくれたらいいのに......」
 ぽそりと呟いた声に答えが返ってくる。
「ならば余直々に手伝ってやろう」
「へ?」
 次の瞬間、それまで動かせなかった肩が動いた。
「よい。月が来るまですることもない。
 ...己が何者かも知らずに生きるは罪よ。それはいずれ周りを傷つける刃となる。故に、その前に知れ」
「......ありがとうございます?」
 何を言ってるのかよくわからないけど、助けてくれるってことでいいんだよね? 腕を縛ってたひもも解いてくれたことだし。いやでも、どうやって。だって彼女は、さっきから椅子の上から動いてない。
 とりあえず体を起こすために自由になった手を床につこうとして、私はまた床の上に倒れることになる。手が何かに当たる感覚はなかった。肩は動くけど、腕がうまく動かなかった。たぶんずっと同じ姿勢に縛られていたから、腕がしびれてたんだ。だからうまく動かせなくて。そうに違いなくて。
「――ぁ。あぁ」
 それでも、見てしまった。脳が理解を拒む。けれど見たものは変わらない。視界から脳を犯すようなその光景は。だって、だって――

 私の肘の先、そこにあるはずの腕。二本の腕が、無かった(・・・・)。

「ああぁぁぁああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?!?」
 やだやだ、痛い痛い痛い――! 痛くて熱くて、どうにかなってしまう! 誰か! 誰か助けて!!
「貴様が知らずとも、身体は何を成せばよいか知っておろう。ここに貴様を助けるものはなにもない。己で何とかせよ。貴様はその力を持っているだろう?」
 痛くて熱くて辛くて苦しくて。それでも両腕の先から溢れる赤は止まらなくて。止められなくて。どんどん流れ落ちていって。
 このままじゃ死んじゃう。本当に死んじゃう。
 いや、だ。いやだいやだいやだっ! 死にたくない死にたくない死にたくない!!
「死にたく、ないっ!!!!」
「なら羽ばたけ、不死の鳥よ」

 ――炎が舞い上がった。

「やはり使えるではないか、その炎」
 床に座り込む私の肘の先には、しっかりと腕が付いていた。私はそれを呆然と眺める。だって、本当になかった。腕がなくなっていた。それが、それが――
「それが貴様の持つ力、不死の炎の力よ。よもや知らぬままに生きているとは思わなんだ。よくぞここまで人として生きれたものよ」
 私の腕は、紅い炎と共に再生した。まるで漫画や小説の中の出来事のように。
「まだ理解できぬか? 貴様は不死鳥よ。炎の翼を持ち、死と再生を繰り返して永劫を生きる鳥。なぜ人間のガワに収まっておるかは知らぬが、中身は完全に人間ではない。いずれ周りの人間と流れる時の違いを知ることになろうよ」
 ゆっくり握っては開いてを繰り返す。私の思った通りに動く掌は、やっぱり私のものらしい。
 あの時の痛みは覚えている。とても、とても痛かった。けれどその辛さはもうどこか遠くに感じていて。ただ、痛かったということだけ覚えている。
「なんだ、まだ実感がわかぬか? ならばもう一度実践させてやるが」
 こっちを見下ろす女性の足元の陰が地面から浮き上がる。まるで煙みたいで、実態が有るのか無いのか分からないそれは――とても危険だ。
 そう思った時には、わたしの両腕の先から炎が舞い上がっていた。
「......え?」
「身体は既にコツを掴んだか」
 陰がシュルシュルと彼女の足元へ帰って行く。同じように、私の炎も小さくなって消えていった。
「それを己でコントロールできるようにせよ。意思なきままに振るうならば、それは災害と変わらぬ」
「......ありがとうございます」
 この人は、やり方は強引だし酷かったけど、確かに私に知らなきゃいけないことを教えてくれたらしい。本当に、痛くて大変だったけど。
 私の体はどうしてしまったのだろう。いつから私の体はこんなことになっていたのだろう。もしかして生まれた時からこうだったのだろうか。
 今まで生きてきて死にかけたことはない。それどころか入院するような大けがもしたことがない。さっきみたいに炎で傷を治したことがなければ、気づくこともなかった事実なんだろう。
 それよりも重要なことがある。これから誰にもこの炎を知られないで生きなきゃならない。人前でケガができなくなった。どの程度の怪我ならセーフなんだろうか。
 何も知らない。私はなんにも知らない。ずっと自分のことは知ってるつもりだったのに。全く知らなかった。
「これが、知らないことの罪」
「そうだ。知っていればよかったということはあっても、知らなければよかった、ということはあるまい。貴様の力は特に、な。知っていて扱いがわかっていれば、このように攫われることもなかったろう。余のように油断でもしていなければ」
「油断?」
 ずっとこっちを見ていた赤い瞳が微かに宙を泳いだ。
「......そうだ、油断だ。気を抜いていた。でなくば、王たる余が人間ごときに捕まることはない」
「おう......?」
 王って言った? 私はこの人曰く不死鳥で、この人自身は王様なの? なんだかもうぜんぜんわかんないな。
「そうか、貴様は余の名を知らぬのか。どうりで名を呼ばれぬわけよ。
 余は古き吸血鬼の王。レオガルト・?・ヴァリティシエ。人間が人間である前からこの星にて行く末を眺めるもの。と、そんなところか。
 まぁ厳密には吸血鬼ですらないが、どうせ人の視座しか持たぬ者には理解できぬ話よ」

            ??

 と、言うわけで私はヴァリティシエさんと人のいる街を目指して下山していた。なにが、と、言うわけかは分からないと思うけど、私もよくわかってないから許してほしい。どうして私は、私の両腕を消し飛ばした人と山を下りてるんだろう。
 まぁ、全部ヴァリティシエさんがそう言ったからなんだけど。
『さて、山を下りるぞ。貴様のことなどここに捨て置くつもりだったが、そうもいかなくなった。
 ん? 何をしておる。荷物とやらがあるのだろう、取ってまいれ。あっちに転がっておる。
 さらった犯人? 魔術師どもか。既に片付いておる。ん? そうか、貴様は月も知らぬのか。力を知覚した今、いずれ会うこともあろうよ。月と呼べば機嫌を悪くするがもしれんが、その時はその時よな』
 そう言った彼女は、私を置いて山を下り始めた。私は言われた通り、さらわれた時に持っていた通学カバンを探してから急いで追いかけたのだった。
 いったいここはどこなんだろう。私たちは道なき道を歩いている。いや、道なき道なんだろうけど、ヴァリティシエさんが歩くたびに枝も草もなくなって道ができているから、歩きにくいわけじゃない。そういうことじゃなくて。
 スマホを確認したら、さらわれた時からそれほど時間がたってないのがわかる。まだ夕方だ。でも、私はこの山を下りてから自分の住んでいる町まで帰ることができるんだろうか。この、何処かもわからない場所から。
「不安か?」
「へ?」
 先を進んでいたはずのヴァリティシエさんがこっちを振り返って見ていた。
「貴様の力は、確かに異端だろう。使い方を誤れば、町一つ焼き尽くすこともあろうよ。それを知れば、他の人間がどう言うか。少なくとも、不死を望む者どもには狙われる。いやでもその炎を使わねばならぬ時がやって来る。その時に貴様はどうするか。
 恐ろしいのならば、このまま人の世界に戻らず山奥に消える道もある。人としての生を捨て、不死の仙人として生きてもよい。
 選べるのだ。貴様は、まだ、選べる」
 一瞬彼女の瞳に浮かんだ感情は何だったのか。
 後悔。その言葉が頭をよぎった。
「えぇと、私はそんな先のことを考えられなくて。まずはちゃんと家に帰れるかなって、そんなことを心配してるんです。
 私になんか力があるのは分かりました。たぶん、私はその力を全然理解できてないことも。それどころか、まだ現実味が無いんです。少しドッキリを疑ってるぐらいには。現実、なんでしょうけど。
 でも、とりあえず今すぐに起きる問題とかは無いんですよね。だったら私は、今は元居た場所に帰りたいんです。お母さんとお父さんにありがとうとかさよならとか言える間に言いたいし、まだ友達との約束も残ってます。私が一緒に居れなくなっちゃう前に、そういうことを済ませられたらなぁ、って」
 だから。
 一呼吸置く。目の前のヴァリティシエさんは、私をじっと見ている。私の言葉を待ってくれてる、のだろうか。
「もし本当にいつか今一緒に居る人たちと過ごせなくなる時が来るなら、私はそれまでを大事に今まで通りに過ごしたい。できるなら、そうしたいんです」
 二人の間に沈黙が落ちる。
「......そうか」
 ぽつりと呟いたヴァリティシエさんは、前へ向き直り進んでいく。私はそれを追いかけた。
「娘。お前は甘いぞ。人として長く過ごせば長く過ごすほど、お前は人としての生き方が染みつく。人と離れがたくなるだろう。今共に生きる者も、長く過ごせばそれだけ別れが大きいものになる。お前は必ず置いてゆかれる。見送る側だ。
 そしてその生き方には、もし周りに力が露見した時の保障がない。お前が信じる者が、お前を傷つけるやもしれぬ。この星で人と魔が袂を別れてから長い時が経った。既に、人と魔が共に生きる方法など失われた。いくつも見てきた。人と偽って生きた魔を。その最期は哀れなものよ。恐怖、排斥、利用。人と魔が手を取り合えたなど、片手で数えるほどしかない」
 ヴァリティシエさんはこちらを振り返らない。ただ言葉だけが投げかけられる。
「薄氷の上を歩くような生き方だ。綱渡りのような選択だ。それでも、良いというのだな? いつか後悔する日が来るかもしれんぞ」
「ヴァリティシエさんは優しいんですね」
「......余が、か?」
 また足を止めた彼女がこっちを振り返る。その顔には驚きが浮かんでいた。初めて、はっきりと感情を浮かべているのを見た。
「はい。初めて会う私に力の存在を教えてくれて、忠告までしてくれる。これを優しいって言わずに、何て呼ぶんですか?」
「......そのようなことを言われたのは、初めてだ」
 ぱちくり、とこちらを見つめるその顔はどことなく幼くて。ここまで、綺麗で恐ろしい人だと思っていたから、すごく意外だった。


「そういえば、どうしようこの服」
 歩きながら肘から先がなくなってしまった服を眺める。腕と一緒に消し飛ばされた服は、残念ながら腕と一緒に再生してはくれなかったのだ。だから、制服の肘から先がすっぱりない。これが私服ならなんとかごまかせるし替えがきくけど、制服だとそうもいかない。お母さんになんて謝ろう。
「それは確か制服とかいう服だな。形が変わると困るものか?」
「ええ、まぁはい。明日もこれで学校に行くので」
「そうか......」
 ふむ、と顎に手をやり考え込むヴァリティシエさん。
「元の形がわかるか? 絵巻でもあればよいのだが」
「絵巻? 写真ならありますけど。これです」
 友達と捕った写真をスマホの画面に表示させて見せる。
「ふぅむ......そこを動くなよ」
「? はい」
 スマホを片手に彼女がこちらに指を向ける。
「――■■■■■■■■■■■■■■」
 彼女が何を言っているのか分からなかった。ただ、それはこの星の言葉ではないような。
 黒い螺旋が私の腕を包む。悪いものではない。危険なものではない。そう思えたから、動かずにいれた。
「これでよいか?」
 たしかにチョン切れていたはずの制服が直っていた。
「えっと、これは魔法、ですか?」
「そうだが。......お前は魔法を見るのも初めてか」
「そう、ですね」
 おとぎ話だと思っていた。物語の中だけだと思っていた。だけど、この世界には本当に魔法というものもあるらしい。ファンタジー。
「制服は、はい。これで大丈夫です。ありがとうございます」
「構わぬよ」
 制服はしっかり元の形に戻っていた。これなら誰にだってバレない。もう、どこが破れていたのかもわからない。


「お前を攫ったのは魔術師だ」
 唐突に話し出したヴァリティシエさんに面食らう。
「魔術師、ですか」
 魔法があるんだもん。それを使う人がいても不思議じゃないよね。うん、不思議じゃない。
「でも、なんで私をさらったんですか? ヴァリティシエさんも捕まったって」
「そうさな。人間はいつの時代も不死というものに憧れを持つらしい。望み、手を伸ばし、幾度となく失敗してきた。あれらは、不死の生き物を研究して不死の素を特定すれば己も不死に成れると考える集団よ。陰気にこもって研究ばかりする者もおれば、ああやってこちらに手を出してくる無礼者もおる。まだ他にも沢山、な。
 隠れる手段を持たねばまた狙われる。抗う手段がなければまた襲われる。己だけでなく周りを守るために力の扱い方を学べ」
 と忠告してくれる彼女は、やっぱり優しい。

            ??

 歩き始めて二時間。ようやく町が見えてきた。というか、
「私の住んでる町だ」
 まさか、歩いて二時間の所があんな山奥だったなんて。全然知らなかった。気にしたこともなかったし。
「これで家へ帰れるか」
 ヴァリティシエさんの案内はここまでらしい。
 でも、ここで別れたくない。そう思ってしまった。それは、単に非現実的な経験をまだ続けたかったのかもしれないし、もう一度あの幼い表情のヴァリティシエさんを見たかったのかもしれない。
「あの、お礼をさせてください。高校生の私にできることって少ないですけど、お茶をごちそうするくらいならできます、から......」
 そういえば、ヴァリティシエさんって吸血鬼の王って言ってたっけ。私がおごれるようなお茶なんて飲まない? お酒? ワインとかの方がいい? でも成人してない私はアルコールとか買えないし、そういう店に入ったら補導されるし......。今恥ずかしいことを言ったのかも。
「随分と面白い百面相をする」
 くすくすと笑う声が聞こえる。やっぱり恥ずかしいこと言ったな......。
 ......ん? ヴァリティシエさんが笑った?
「ふふ、人里へ下りるのは久方ぶりだ。エスコートをしてもらえるか?」
 こっちに手を差し伸べる彼女は本当に笑っていて。とても、びっくりした。
「えぇと、まずは服を変えた方がいいかも? そのドレスだと、とても目立つと思います」
「ふむ、そうか。お前と同じ服であればよいか?」
「はい」
「――――」
 差し出した私の手に手を重ねた彼女は、一瞬遅れてドレスが私と同じ制服に変わっていた。
「では、頼む」
「はい。あと......よかったら名前で呼んでください。私は錦(きん)鳥(とり)かなめって言います」
「そうか、わかった」
 ふわり、とほほ笑む彼女はそれまでで一番綺麗でかわいかった。


「不思議な味だ。初めて飲む。本当にこれはコーヒーか?」
「そうですか? フラペチーノって言うんですよ」
「フラペチーノ」
 私たちは有名なコーヒーチェーン店で、並んでフラペチーノを飲んでいた。こういう時はチェーン店じゃなくてこだわりの強いカフェとかに入った方がよかったのかもしれないけど、残念ながら私はカフェとかに詳しくない。よくて友達とこの店に来るぐらいだ。なので今回はここで許してもらいたい。ヴァリティシエさんも楽しんでくれているみたいだし。
「ここは、期間限定で特別な味が出たりするんですよ」
「期間限定で特別な味」
 両手でカップを持った彼女はフラペチーノをとても気に入ったらしい。表情は無表情から変わらないが、ゆっくりとちびちび飲んでいる。
 どんなのが好きかわからなくて、私が好きなのと同じなのを頼んだけど、よかった。喜んでくれるなら私も嬉しい。ぬるくなってしまう前に私もストローを吸った。

「おじょーちゃんたち、二人だけ?」
 突然、男の人達が話しかけられた。
「かなめ、知り合いか?」
「いや、知らない人、だけど」
「その制服、この近くの高校のだよね」
 背の高い、金髪の男の人。大学生ぐらいの見た目だ。
 まだ八時。ギリギリ補導されない時間帯だから安心していたけど、こんな風に声をかけられるなんて。今までなかったのに。
「あの高校、髪の毛を染めるの禁止してたと思うんだけど、おじょーちゃん悪い子だねー?」
 そうか、しまった。ヴァリティシエさんも金髪だった。ドレスも目立つけど、金色の髪も十分目立つ。場合によっては、その、不良とかギャルに見えることもあるかもしれない。ていうか、今、実際そう見られてるんじゃ。
「俺たち、これからカラオケ行くんだよね。一緒に行かない? 外にトモダチもたくさんいるしさ。きっと楽しいから」
「すいません! 私たちもう出るので! さよなら!」
 ヴァリティシエさんの腕を掴んで、私は逃げるように駆けだした。

 走り出した私たちは、何処をどう走ったかわからないけど、公園にたどり着いていた。よかった、見覚えのある公園だ。
 けどヴァリティシエさんの方を向くのが怖い。何も言わずに走り出してしまった。
「ヴァリティシエさん、あの、その」
「うむ。これはうまい。礼を言うぞかなめ」
「え?」
 横を見れば、こっちを見て微笑むヴァリティシエさんが。あれ、怒ったりしてない?
「かなめに紹介されなければ、次自ら人里に下りた時にはこの店がなくなっていたかもしれん。新しい食物を作るのは人間の美点よな」
「そうじゃなくて、あの。気分を悪くしてませんか?」
「なぜだ?」
「だって、急に腕を引っ張って走りだしたから......」
「構わぬよ。あれはかなめの知り合いでなく、余の知り合いでなく。良き者でもなかったのだろう? なら諍いを事前に回避するも手段の一つよ」
 にしても、この髪も目立つのか? たしかにこのあたりは黒髪が多いし要も黒髪だが、最近はそうでもないではないか。と呟く彼女は自分の髪の毛を触る。
 本当に、気にしてないのかな。
「よかったぁ......」
 へなへな、と近くにあったベンチに腰かける。私を追いかけてヴァリティシエさんも横に座った。
「かなめよ。手慰みと契約の履行からお前を町まで連れて行ったわけだが、今はそれで良かったと思っている」
 やっぱり、笑う彼女の顔は雰囲気よりも幼い。それが、とても綺麗でかわいいのだ。

 飲み終わったカップを名残惜しげに眺めるヴァリティシエさん。本当に気に入っていたらしい。
「貸してください。ごみ箱に捨ててきま」
 言い終わる前に、彼女は名残惜し気にカップを自分の陰の上に落とした。
 陰の中に落ちたカップは、音もたてずに沈んでいく。
「すまぬ、片付けてしまった。ダメだったか?」
「いや......ダメじゃない、ですけど」
「ならばかなめのも片付けよう」
 そう言って私の手から取り上げたカップをまた陰の上に落とす。今度は地面に落ちる前に、盛り上がったあの煙のような陰が飲み込んだ。
 その陰、そんな使い方があったんだ。ていうか、そういう使い方、していいんだ。
 少しの間忘れていたけど、この人は確かに人じゃなくて。私の腕を一瞬で持っていける力を持っていて。お礼のために引き止めてしまったけど、そろそろ終わりかな。もう九時だ。私も帰らなきゃならない。
「じゃあ、そろそろ解散にしましょう」
 そう言って立ち上がった私を、いくつかの影が取り囲んだ。
「今日はありがと――え?」
 円形に私たちを取り囲む真っ黒いローブを被った人たち。見るからに不審者。
 逃げなきゃ。これ、絶対にやばい人たちだ。いやな気配をめっちゃ感じる。
「なんだ、もう新手が来たか」
 けれど、ベンチに座ったままのヴァリティシエさんは余裕そうで。
「あ、新手って知ってる人なんですか!?」
「知らぬ」
 知らないんだ!? 知らない割に全然慌ててないですね!?
「不死鳥とお見受けする。手荒な真似はしたくない。怪我をしたくなくば、投降しろ」
 私たちを取り囲んでる誰かの声。
 不死鳥。ていうことは、この人たちは私を狙ってるのか。
 そうか、魔術師。不死を求める人間たち。
 まさかこんなに早くまた狙われるなんて。
「頻繁に襲ってくるものなんですか?」
「いや、偶然だろうな」
 彼女はまだベンチの上から動かない。
 魔術師たちは、円陣を崩さないまま、じりじりとこちらに近づいて来る。
 どうすれば。このまま捕まったら、私は実験とかされてしまうのだろうか。この人たちが不死になるために。そんなのいやだ。お母さんとお父さんにありがとうって、さよならって言いたいって思ったのに。友達の約束を果たしたいって思ったのに。いやだ。いやだいやだいやだ。捕まりたくなんかない。
 けど。
 だけど、ヴァリティシエさんを逃がさなきゃ。この人たちが私を狙ってるなら、彼女だけでも逃げてもらわないと。
 ちり、と私の両手から小さな火がこぼれた。
「ヴァリティシエさん、私がこの人たちを引き付けます。だから、あなたはどうか逃げてください」
 小声で話しかけると、けげんな顔をされた。
「なぜだ?」
 なぜって言われても。
「だって、私はあなたになにかあったら嫌だから」
 どうやって気を引けばいいかはよくわからない。隙、があるのか分からないけど、そこをついて逃げれば追いかけてきてくれるかな? 火の扱いはよくわかんないから、脅し程度にしか使えない。
 とりあえず、なんとしてでもヴァリティシエさんだけは。
「――はは、はははは!」
「な、なんで笑うんですか!?」
 ベンチの上のヴァリティシエさんが、お腹を抱えて笑う。ぎょっとした魔術師たちも足を止めた。
「飛び方もろくに覚えていない雛鳥が、まあよくぞ言ったものだ。だがな、忘れてはいまいか? 余は王ぞ。このような魔術師が群れを成したところで、傷一つ付けられんよ」
 ――そう、だった。さっき陰の力を見たばかりだった。
「王?......まさか吸血鬼か! なぜこんなところに――」
「チャンスだっ。諸共捕えよ!」
「しかし気分がいいぞ。まさか余を庇護対象にする者が現れるとは。ふ、ふはは。愉快、ああ愉快だ!」
 彼女が、ベンチから立ち上がる。どうじに、ふわりと制服がドレスへと変貌した。
「さらばだ無礼者。余に謁見したくば、また来るがよい。月が許せば、な」
 表情を消して魔術師たちを見る彼女の周りに、あの陰がぶわりと広がる。
 次の瞬間、彼らが視界から消え去った。

 いえ、消えたのは私たちでした。
「たっ、髙っ!?」
「空中散歩は初めてか、かなめよ」
「初めてです! 飛行機にも乗ったことないのに!」
「そうかそうか、初めてか」
 今にも歌いだしそうなほどご機嫌なヴァリティシエさんは、どうやってるのか分からないけど、私を抱いて空を飛んでいた。
 そう、空の上。すかい。わぁ、夜空が近い。
 そんなぁ。
「見晴らしがよかろう」
 見晴らしは、はい。とてもいいです。だって遮るものが何もないもんね。
 いった高度何mなんだろうか。雲すら私たちの下。ずっと下の方に、ビルや家の光が見える。上も下も夜空みたい。きれい、だな。
「誰かと共に空を飛んだのは、余も初めてだ。ふふ。初めてどうし、だな?」
 ヴァリティシエさんは本当にご機嫌だ。そりゃあもう、びっくりするぐらいに。
「かなめ。余の名はレオガルト・R・ヴァリティシエ。お前には特別にレオと呼ぶことを許そう。本来は我が臣下にしか許していないのだがな」
 そう言って私を見下ろす彼女。そう、見下ろす。これ、お姫様抱っこ。お姫様抱っこというやつをしてもらってるんですよ。どういうことだ?
「いやか?」
「いえ、嬉しいです。ありがとう、ございます」
「そうかそうか。嬉しいか。もう帰るのだったな。どれ、このまま家まで送ってやろう。どの光が自分の家かわかるか?」
「あ、はい、多分あれです」
 一つの光を指させば、ヴァリティシエさん、いや、レオさんは飛び上がった時と違って今度はゆっくりと下りていってくれた。
 わぁ、頭上から鼻歌が聞こえる。めっちゃご機嫌だ。

 初めて窓から家に入るという経験をした。もちろん鍵は閉まってた。そこは、ヴァリティ......レオさんが魔法で開けてくれた。まほう、べんり。
 足音を立てないように階段を下りる。片手にはさっきまではいていた靴。この靴を玄関において、何事もなかったようにお母さんに声をかければミッションコンプリートだ。私はちょっと前に帰ってました、とごまかせる。
 しかし残念なことに、私には忍者の才能はなかったようだ。ぎしっ、と立ててしまった音にお母さんが気付いてしまったらしい。
「かなめー? 帰ってたのー?」
「帰ってましたー!」
 そう言いながら、今度こそ音を立てないように靴を置く。
「帰ってたんならあいさつぐらいしなさいよー」
「はーい、ごめんなさーい」
 そしてキッチンに顔を出せば、予想通り母さんは晩御飯の片づけをしていた。
「遅かったわね」
「友達と遊んでたら、気が付いたら遅くなっちゃって」
「次から気をつけなさい。ご飯、テーブルの上にあるから。あっためて食べてね」
「はーい」
 そういって、もう一度階段を上がって自分の部屋へ。ご飯はこの際、もうちょっと後になったって変わらない。後でレンチンしよう。
「お待たせ、レオさん」
 部屋に戻れば、彼女が待っていた。
「構わん。それと、レオでいい。かなめには許そう」
 私のベッドの上に腰かける彼女。普通のベッドのはずなんだけど、彼女が座るだけでなんだか高級感が出るなぁ。
 それと、さっきから気軽な呼び方を許されてばっかりだ。吸血鬼の王様ってこんなにフランクでいいのかな。
「かなめ、これをやろう」
「えっと、」
渡されたのは綺麗なレターセットとペン。キュポッとキャップを外せば、これは...
「万年筆?」
「そうとも。その手紙を使えば余と連絡が取れる。書いて窓から投げれば余の元に届く優れものよ。ペンは、まぁ、おまけだな」
「おまけ......」
 おまけ、かぁ。なんかすごいものをもらっちゃったのに、その上おまけかぁ。なんかすごく良さそうな物の気がするんだけどなぁ......。
「気軽に何でも書くがよい。余も何か書こう」
 さて、と言って立ち上がるレオ。
「そろそろ帰るとしよう。邪魔したな。
 そうだ。あの魔術師どもだがな、しばらくは現れんよ。月が片付けてくれたからな。安心して過ごせ」
 そう言ってレオは窓から帰って行った。
「......帰っちゃった」
 窓の外を見渡すが、もう彼女の姿は見えなかった。
 スマホを取り出して、ある情報を調べる。自分の予定が合うことを確認した私は、さっそく貰ったばかりの手紙に向き合うのだった。

            ?

 こつこつとヒールを鳴らして歩くドレスの少女。金糸の髪が月あかりの中、きらきらと輝いている。
 空に赤い満月が昇る。
「彼女を随分と気に入ったのね」
 その少女の背後に現れたのは、紅葉が踊る着物をまとう少女。白い髪が月あかりを反射して微かに赤く見える。
「何か不都合でもあるか、赤い月」
 その瞬間、白髪の少女から殺気があふれた。
「私をその名で呼ぶか、虚の民」
「貴様こそ余をそう呼ぶか」
 金髪の少女からも殺気が立ち上る。
 四つの赤い瞳が見つめ合う。影と陰がのそりと動いた。
 今にも死闘が始まりそうな殺気の中、先に折れたのは金髪の少女の方だった。
 殺気を消し、首を振る。
「余は今宵良い気分だ。貴様と事を荒立てるつもりはない」
「そう」
 白髪の少女もそれに倣って殺気を消した。
「だがな、一つ確認させよ」
「なんでしょう」
「余がかなめと共にいて、不都合はないのだろうな」
 その言葉は暗に、邪魔はしないな? という響きを。邪魔するなら容赦はしない、という意味を含んでいて。
 赤い瞳はまっすぐ白髪の少女を見据えていて、金髪の少女の真剣さをうかがわせる。
 その様子に白髪の少女は目を瞬かせた。
「本当に、彼女を気に入ったのね。いいえ、気に入ったというより。そう。あなたにとってはじめての――。だからさっきは怒って。なるほど」
「おい、鬼もどきの貴様。何を納得した。それになんと言った? 何か誤解してはおらぬか」
「いいえ、外来種のあなた。私は何も誤解なんてしていないわ」
 くすくすと笑う白髪の少女を、金髪の少女は睨みつける。けれど、白髪の少女は意にも介さない。
「いいことを教えてあげる。現代の女の子はね、一緒に遊んで、気が合えばそれだけで友達と呼ぶのよ」
「ともっ。だから、余は」
「さっきは気に入った、だなんて、彼女を他人扱いしてごめんなさいね。
 あなたが彼女といて問題はないわ。むしろこちらとしてはありがたいぐらいよ。彼女は、たまたま不死鳥を助けて、たまたまその不死性を受け継いでしまった子。まだ力の存在も使い方も知らなくて、どう教えてあげればいいか困っていたの。何か間違いがある前に教えてあげなければならないと思っていたのだけれど、あなたがちょうど時期よく教えてくれた。しかも、この後も一緒に居てくれるというのなら、これ以上心強いことはないわ」
 金髪の少女のじっとりとした視線も気にしないで、少女は続ける。
「だから、えぇ。彼女のことは頼んだわ。守るためなら契約内容を少々変更しても構わない」
「それほどまでか」
 今度は金髪の少女が驚く番だった。
「えぇ。まだ人間が不死にたどり着くには早い。だから、彼女を人間の所へやってはならない。けれど、彼女を縛ってしまうのもかわいそう。だって、彼女はただ名前も種類も知らない鳥を助けただけだもの」
 白髪の少女の掌の上に、一枚の紙が現れる。
「この契約に『錦鳥かなめを保護する目的の場合のみ、当星の霊長及び生物に危害を加えることを許可する』という文を加えます。だから、どうかお願いね」
「貴様に頼まれずとも」
「そう。なら安心ね。お友達にもよろしく。では」
「だから友達ではっ」
 言い終わる前に白髪の少女は掻き消える。帰ったようだ。
「余は宙を放浪する者の王ぞ。王に友達などできるものか。できる、ものか......」
 残された金髪の少女は、先ほどまで白髪の少女がいた場所を睨みつけるが、それで彼女に陰の先が届くわけでもない。
「そうはいっても嬉しそうじゃん、レオ様」
「......ロット」
 暗がりから溶け出るように現れたのは、小学生ほどの見た目の少年。ロットと呼ばれたその少年は、子供に似つかわしくないニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、仰々しいお辞儀をする。
「我らが王におかれましてはご機嫌麗しゅう。ところでこのロットめに何か御用はございませんか?」
 少年を見下ろす少女は命令を下す。少年と対照的に、その顔に表情はない。
「分かっていて出てきたのだろう。お前にかなめの護衛を命じる。敵は排除せよ。徹底的に、だ」
「お任せあれ」
 ずぶり、と陰へ沈み消えていく少年を見送りもせず、少女は手を叩いた。
「ライプ」
「ここに、我が王よ」
 少女の呼び声に応え、少女の足元に初老の男性が現れる。跪いた姿勢のまま、王の命令に応えた。
「金策とロットの監視、でございますね?」
「話が早いな。頼めるか」
「お任せを。それと、かなめ様よりお便りでございます」
 恭しく差し出された手紙を受け取れば、それは確かに先刻少女が不死鳥の少女に譲ったものだ。
「もう書いてくれたのか」
 微かに上がった口角に気づかぬまま、少女は手紙の封を切る。少女にしては時間をかけて丁寧に読めば、隠せないほどに目元が緩んだ。
「ライプ。この時代、この地域の若者の服の流行について、追加で調べられるか」
「それについてはご相談されるのがよろしいかと。手紙の話題にもなりましょう」
「そうか」
 少女の背後に暗い闇が立ち上る。
「久方ぶりの帰城だな」
 少女はその闇の中へ踏み出した。
 王は自分の城へと帰還する。それは手紙の返事を書くため。足取りは随分と軽やかだった。

            ??

「お待たせ。待った?」
「いいや、余も今来た」
「私、今日を一週間前から楽しみにしてたの」
「余も、だ。かなめ」
「心配だって言ってたけど、レオの服、似合ってるよ」
「そうか、よかった。その言葉を聞いて安心した」
					 【終わり】


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