帰還

高木くれは



 銀河系を漂う小型宇宙船の中に僕らはいた。最後に惑星を飛び立ってから、もう一ヵ月が立とうとしている。僕たち六人は、世界を代表する宇宙飛行士として大規模な惑星調査を行っていた。プロジェクトは当初の予定通りに進み、あとは地球に帰還し、今回の調査結果を報告するだけだったのだが......。

 最後に着陸した惑星の大気測定で計算ミスに気付かず、大気中に有毒な物質が散漫している状態で全員が着陸してしまった。非常に毒性が強く、僕らはすぐさまその星を引き返したのだが、毒は宇宙服を透過して僕らの身体に作用し、たちまち全身を鋭い痛みが貫いて皆、倒れこんでしまった。
 最初に息を引き取ったのは、乗組員最年長の船長であった。長年の経験で養った知識とリーダーシップで他の船員を引っ張る憧れの存在だった。そんな彼の最後はあっけなく、低いうめき声をあげ体をピクピクと痙攣させながら、やがて動かなくなった。
 船長の後を追うように他の船員二人も亡くなり、残ったのは僕と、僕と同年代の男女の計三人だけになった。静まりきった船内で三人はぐったりしていた。毒が徐々に体を蝕んでいることだけが原因ではない。この船は小型であるから常に食糧を蓄えておくことができず、着陸のたびに現地で補給していた。しかし毒の惑星では事態を察して緊急脱出したため、食糧を確保することができなかったのだ。(最も、汚染された大気で育った食物を口にして平気だったかは甚だ疑問だが......)非常食も底をつき、もう何日もまともに食べていない。僕も......、だんだん意識が遠くなってきた......。

  ドンッ!

 突然、大きな音と衝撃が船内に響いた。エマージェンシーランプが点灯し、サイレンが鳴りだす。
 ハッと我に返る。
 どうやら小さな隕石が宇宙船の後方に衝突したみたいだ。船はグワン、グワン、と左右に大きく揺れ、煙が噴き出した。急いで衝突箇所の修理をしなければ空気が抜け、気圧差で宇宙空間に放り出されてしまう。自動操縦の宇宙船が隕石と衝突する確率は極めて低い。ただでさえ絶望的な状態だというのに、本当に、本当についていない。他の二人も事態を察し、船内は重苦しい雰囲気に包まれた。

「......俺が行く」
 同年代の男が最初に声を上げた。
「私も!」
 女も続いて言う。
「いや、だめだ」
「なんで......?」
「......」
 男は一瞬、言葉に詰まった。
「君は三人の中で一番弱っている。大人しくしておいた方がいい」

「だったら僕が手伝うよ。宇宙船の構造はあまり詳しくないけど......君が指示を出してくれ」
 何とか声に出して言えた。
「......俺一人で十分だ。衝突箇所は狭くて二人だと作業がやりにくい」

 ......なんだよその言い方。まるで僕が役立たずの邪魔者みたいじゃないか。

 僕は彼のことが嫌いだ。プライドが高くて、いつも自分が場を仕切ろうとする。特に彼女の前ではより顕著になる。確かに、勇敢で体も大きく、頭脳明晰で船長や他の船員からも信頼されていたけどさ......。

「......分かった。気をつけろよ」
「ああ、君は彼女を頼む」

 そう言って彼は修理工具を手に取り、衝突箇所の方へ走っていった。ふと彼女の眼を見ると、涙でいっぱいになっている。
 それもそうだ......。いくらあいつが優秀でも、今にも倒れそうな状態で宇宙船の修復なんて無謀だ。それだけじゃない。仮にあいつが修理に成功したとしても、依然として状況は絶望的なままだ。脱出時すぐさま本部に送った救難信号が届いていても、地球からここまではあまりに遠く離れている。一体、救助が来るまでに何日かかることやら。......どのみち、三人とももう助からない。
 ただ、彼女の涙のわけがそれだけではないことを僕は知っている。

 後ろの方で物音がする中、僕はふと彼女に話しかけた。
「君さ......あいつのこと好きでしょ」
「えっ......」
「今まで彼としゃべっていたときは他の人には見せない顔をしていたし、皆で食事するときも、いつもさりげなく彼の隣に座っていた。さっきだってとっさに彼を手伝おうとしたし......」
「............うん」
 彼女は小さくコクっと頷いた。意表を突かれたからなのか、僕にばれていたからなのか、さっきまで青白かったその顔色は真っ赤になっていた。
「......多分、あいつも君のことが好きだよ」
「それは......」
「ああ見えてあいつ、恥ずかしがり屋だからさ。なるべく顔には出ないようにしているけど......」
 自分でも突然こんなことをしゃべりだしたのが不気味に思えた。それもこんな緊迫した状況で。毒で頭がおかしくなった訳ではない。意識がなくなる前にどうしても彼女に言いたいことがあるのだ。

「俺も......、俺も君のことが好きだ」
「............!」

 彼女はさっき以上に驚いた表情を見せる。
「初めて会った時も、一緒に調査をした時も、けがをした俺に治療してくれた時も......好きだった」
 ......後ろの彼には聞こえていないようだ。
「君にはその気がないことも、あいつの方が好きなことも分かっている。しかも、こんな時に言うなんてせこい男だと思うかもしれないけど......無事、地球に生還することができたら......俺と付き合ってくれ」
 言ってしまった......。心臓が破裂しそうなほどバクバクと振動している。

「......ごめんなさい」

 分かっていたけど、辛かった。これが最後なのだと思うとやるせない気持ちで胸がいっぱいだった。後ろで作業音がする中、しばらくの間、僕と彼女は黙り込んだ。


「あーあ、フられちゃった。俺っていつも自分から突っ込んで撃沈するんだよなあ~ もうこれで七回目だよ」
「フフッ」
 彼女もやっと笑ってくれた。あいつに見せる笑顔とはまた違う、素敵な笑みだった。
 ようやく気持ちも落ち着いてきた。言いたかったことはすべて言えたし、幸せなことに、最後まで彼女と一緒にいることができた。安堵すると今までは忘れていた痛みが急に帰ってくる。次第に目がかすれて、耳も遠くなっていく。もう後ろの音は聞こえない。彼女の顔も分からない......。


 もうすぐ全て消える......。宇宙飛行士になって、普通の人は絶対に見られない光景をたくさん見てきた。オリオン座の近くで燃えた宇宙船や、タンホイザー・ゲートのオーロラ。......そういう思い出もやがて消える。時が来れば、雨の中の涙のように......。



「......おい、しっかりしろ! 救難信号を受けとって救助に来たぞ!」
 ......人の声......。ぼうっと......聞き取れな......。
「彼はかすかだがまだ息がある。急いで救助船に移して治療を行うぞ」
「はい!」
 腕をつか......、どこかへ連れて......。
「そっちの二人は......」
「ダメです! 二人とももう......」



 気が付くと地球に帰ってきていた。体はすっかり元通りなのだが、頭はまだぼうっとしている。遭難した宇宙船唯一の生還者だと人々におだてられるが、ちっとも嬉しくない。僕の心は、あの宇宙をさまよったまま僕の元へは未だ帰ってこられないでいる。


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