瞳とカペラに祝福を

蒼空夕



「何書いてるの?」
 高校の昼休み特有の喧騒の中、頭上から声が降ってきた。反射的に顔を上げた。
「......また君か」
「またとは失礼ね。で、何書いてるの?」
「冗談だよ。これは小説。まあどこかに出すって訳でもないんだけど」
「読んでもいい?」
 僕の頷きを肯定と解釈した彼女は、乱雑な字の羅列を凝視し始めた。真剣に僕の物語を読む彼女をぼうっと見つめる。
 彼女は転校してきたばかりの僕によく構う。初めのうちこそは彼女を避けていたが、最近では諦めが出てきた。僕に構うなんて趣味が悪いとしか思えないのだが。
 幼い頃から、皆とは違う目の色のせいで避けられてきた。僕の目は「アンバーアイズ」と言って、黄色や金色、小豆色等が混ざったような色である。日本人としては稀な瞳の色、それは子どもがいじめの理由にするには十分だった。
 だから分からない、彼女が僕に構い続ける理由が。現在進行形でクラスから距離を置かれている僕に話しかける理由が。でも心のどこかで嬉しいと感じていた。彼女と話している時が学校生活で最も心が安らぐと言っても過言ではない。......彼女はどう思っているかは分からないけど。

「ねぇ、ここの言い回しが分からないわ」
 彼女の声に意識を引き戻される。細い指が指していたのは『月が綺麗ですね』の一文。
「貴方を愛していますって意味だよ」
「月のことを言っているのに告白する意味になるの?」
「夏目漱石が元ネタなんだ。遠回しに表現するのも文学の醍醐味だよ」
「へぇ、素敵ね。月以外にも何かあるの?」
「そうだね......『星が綺麗ですね』で『貴方に憧れている』『あなたは私の思いを知らないでしょうね』って意味もあるよ」
 その後も僕は続けた。相手に返す言葉によって告白の返事の意味が変わるとか、告白以外にも「暖かいですね」が「あなたと一緒で幸せです」の意味を持つ、というような類語があることとか、そんなこと。彼女はずっとニコニコして聞いていた。
「......僕の話、退屈じゃない?」
「そんなことないわ、ロマンチックで素敵」
「ならいいけど......」
 その時、五時間目の予鈴が鳴った。彼女は小説が書かれたノートを僕に返すと、小さく手を振って自分の席に戻っていった。



「どうしてあんなに僕を気にかけてくれるの?」
 その日の帰り道、横に付いてくる彼女に言葉を投げた。彼女は一瞬驚いたような素振りをしたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
「どうしてって......こんなこと言ったら君が怒るかもしれないわ」
 こんなこと?怒るかも?彼女の言葉の破片が一気に不安を煽った。独りでいる僕への同情か?それとも何かの罰ゲームとかで......。ほんの数秒のうちに考え得る可能性がぐるぐると渦巻いた。
 僕が思わず足を止めると彼女が側に寄って来る。
「あのね、聞いても怒らないでくれる?」
 これから彼女の口から発されるであろう衝撃を覚悟しつつ、頷いた。
「君が転校してきた時ね、最初に自己紹介してくれたじゃない? お辞儀して顔を上げた時に見えた目の色がね、すごく綺麗だなって。話してみたいなって思ったの。もしかしたら君が気にしてるのかも、って考えて言わないようにしてたんだけど......ごめんねこんな理由で」
 僕の耳に入ってきた言葉は予想していたよりずっと優しかった。先ほどとは別の驚きで固まる僕に彼女は続ける。
「もちろん目の色だけじゃないよ? 出身が星ヶ丘町って言ってたけど、私も同じなの。すごい偶然だなってびっくりしちゃって......仲良くなりたかったの」
 彼女の声が遠くに聞こえる。涙が零れそうなのを隠すため、咄嗟に下を向いた。どうしたの?という彼女の心配そうな声が聞こえる。
 出身が同じってのも驚いた。でもそれ以上に忌み嫌ってきた自分の目を「綺麗だ」なんていう人がいたことに驚いた。
「......ありがとう」
 自分でも何に対してお礼を言ったのか分からない。声が裏返らないように頑張るので精一杯だった。
 この時彼女の姿は見えていなかったが、頭を撫でてくれていたのが分かった。小さい子をあやすような優しい手つきだった。
「......いいのよ」
 小さな声だったが、僕の耳にはしっかりと届いた。

 それからは彼女とほぼ毎日一緒にいるようになった。「他の友達はいいの?」と何度か聞いたことがあるが、その度に「私が君と居たいのよ」と返された。
 僕は馬鹿だから、単純だから、彼女の言葉に淡い期待を寄せていた。



 数か月経ち、季節は冬になった。相変わらず彼女は僕に構い倒しており、僕はそんな日常が大好きだった。
 白い息を吐きながら、僕たちはいつものようにすっかり暗くなった帰路を辿っていた。寒さのせいか、彼女が小さくくしゃみをする。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。それより見て、星が綺麗ね」
 一瞬ドキッとしたが、それは僕ではなく、彼女が指差す夜空に向けられている。慌てて顔を上げると、満天の星空 とまではいかないが、主要な星々はすぐに分かるくらいは綺麗だった。加えて月も美しい輝きを放っていた。今日は空気が澄んでいる。
「あ、カペラ!」
 ふいに彼女がお気に入りのおもちゃを与えられた子どものような声を上げた。
「か、カペラ?」
「ぎょしゃ座の一等星のことよ。ほら、一番北に見えてる、あの星」
 彼女の言った方向を必死に探す。探す。探す......あ、あった。
「あの黄色っぽい星のこと?」
「そうよ! すごく綺麗でしょう? 私が一番好きな星なのよ」
 彼女は頬を少し紅潮させて話す。クラスの女子たちと比べると落ち着いた方だが、今の彼女は年相応にはしゃいでいる。可愛いな、と思った。
 僕は間違いなく彼女に恋をしている。恋愛なんて柄じゃない、なんて思っていたけれど、僕にそういう感情があるなら彼女に対してのこの気持ちなんだと思う。
 でも......当の本人からすると僕は友人の一人にすぎないんだろう。『僕の思いなんて知らないだろう』。

「......『星が綺麗ですね』」

 ずっとカペラについて話している彼女に聞こえないくらいの声でボソッと呟いた はずだったのに。

「 『月も綺麗ですよ』」

 何かに弾かれたように彼女の方を向く。
「い、今なんて......」
「......『月が綺麗ですね』って言ったの。君が教えてくれたんだもん、分かるでしょう?」
 はにかみながらそう言う彼女は僕の左腕に抱き着いた。
「やっと、言ってくれた」
 嬉しそうに微笑み、僕の胸に顔を寄せる。彼女は続けた。
「さっきカペラが一番好きって言ったでしょう? あれはね、君の目の色と同じだからっていう単純な理由があるからよ。最近は夜空を見上げたらカペラばかり目に入るんだもん、どうしてくれるのよ」
 少し泣いているのか彼女の声が掠れている。僕は顔がどんどん赤くなっていくのを感じた。裏返って変な声にならないように言葉を絞り出す。
「僕の目......気味が悪いって言われてるけど、良いの」
「良いに決まってるじゃない。それに君の目はカペラにも月にも似てる素敵な目よ。私大好き」
 彼女が腕の力を込めた。僕は無意識に彼女の背中に手を回し、抱きしめていた。
 さっきは彼女から言わせてしまったけど。次は僕がストレートに言いたい。
「......『貴方のことを愛しています』」



 高校、大学を卒業し、僕は地元の出版社に就職が決まった。主に小説等の文芸を扱う部署に配属が決定している。
 彼女とはあの冬からずっと交際を続けている。僕の就職を機に結婚し、僕たちは地元の星ヶ丘町に戻ってくることになった。
 あの高校生の冬の出来事、僕の目とカペラが二人を結んでくれたことを忘れない。一生忘れることはない。

 隣にいる彼女を見る。彼女も僕を見つめ返し、あの時と変わらない可愛らしい笑顔で呟いた。

『暖かいですね』


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