よくある喜劇

おっかー



 高二の夏休み明け、私は自殺することを決意した。特に学校にも家庭にも不満は無い。でも、死のうと思う。葬式代は保険金でどうにかなるだろう。学校の屋上から飛び降りるつもりだから、学校には迷惑をかけることになる。けれど先生たちに落ち度があったわけじゃないし、生徒も多分何日か休校になるだろうから許して欲しい。だって屋上って一回は行ってみたい場所じゃない。
 
 屋上は通常立ち入り禁止で、屋上へ続く非常階段には鍵が掛かっている。ただ、今週は屋上の防火水槽やソーラーパネルの点検とかで、ずっとじゃないが鍵が開いている時がある。点検は偶然だが、やっぱり今死なないといけないような気がした。ここ数日観察していると、午後六時過ぎに点検が終わることが分かった。当然、その時に非常階段の施錠をするわけだ。だから、施錠される少し前に忍び込んで、作業員に見つからなければ、邪魔をされずに飛び降りられる。航空写真で見た屋上には、ぐちゃぐちゃ設備が置かれていたから、隠れる場所には困らないだろう。
 
 いろいろ観察していたら、とうとう点検最終日になった。それが奇しくも母の命日で、更には十三日の金曜日ときたものだから、笑ってしまう。なんともオリジナリティの無い偶然。まあ、オリジナリティ溢れる人生なんてそうそう無いんだろうけど。今更どうでもいいか。どうせ今日で終わるんだし。今日の授業は驚くほど早く感じられた。いつもこれぐらいの時間感覚だったらよかったのに。午後三時半に終業して、六時まで暇だ。部活に入っていない私は、図書室で時間を潰すことにした。適当に文庫本を手に取って席に座った。私が文庫本一冊を読むのにかかる時間は平均で約二時間半。この本を読み終わったらちょうど六時だ。これが人生最後に読む本だと思うと、もうちょっとしっかり選んでも良かったかもしれない。その本は、息子の闘病生活を支えるシングルマザーを描いたノンフィクションだった。ラストは息子が奇跡の回復を遂げるというハッピーエンドだ。普通にいい話だが、自殺する前に読むには相応しくないような気がする。まあ、いいか。ぴったり六時だし、そろそろ行こう。

 非常階段に着くと、やはり鍵は開いていて、上のほうから作業員のおじさんたちの声が聞こえていた。足音を出さないように気を付けながら、階段を上る。こっそり顔を出して屋上の様子を確かめると、作業員三人は階段から遠い対角線上に立っていて、何やら話し合っていた。私は素早くソーラーパネルの下に身を潜めた。心臓が早鐘を打つ。見つかったらどうしよう。日中の授業と違って時間の流れがひどく遅い。しばらくして、作業員たちは三人そろって非常階段を下りて行った。立て付けの悪い鍵が掛かる音が微かに聞こえた。ふう。任務成功。心臓に悪い時間だった。最後の最後に負担をかけてごめんよ、私の心臓。安心してソーラーパネルの下から這い出ると、防火水槽の陰から出てきた人影と目があった。
「「えっっ?」」
やばい。見つかった?作業員はさっきの三人だけじゃなかったの?混乱して動けないでいると、逆光の中から人影が近づいてきた。近づくにつれてはっきりと姿が見えてくる。その人は、見慣れた男子の制服を着ていた。
「お前、こんなところで何してんだ?」
低いけれどよく通る声。聞き覚えのある声だ。野球部のような坊主頭に、上履きの色は三年生。半袖のカッターシャツの上に付けられた腕章。
「せっ生徒会長?会長こそ、どうして屋上に?」
作業員では無かったが、あまりにも予想外の人物の登場につい大声が出た。
「おい、でかい声出すんじゃねえ。ばれるだろうが。」
「す、すみません。」
生徒会長といえば、この学校の生徒で知らないものはいない。それは生徒会長だからというだけではない。全国模試のトップテン常連で、野球部を甲子園優勝に導いたキャプテン。創作でありがちな、天才の典型を詰め込んだ神童。噂によれば、世界最高峰大学への進学は確実らしい。そんな人が何故立ち入り禁止の屋上に?偏見だけど、生徒会長は好奇心で来ました、なんてことはしないと思う。
「お前、二年か?もう一度聞くが、ここで何してんだ?」「わ、私は、えっと、その、と、飛び降りしようかな、とか...。」
私の馬鹿。なんで本当のこと言っちゃうんだ。
「自殺か。やめとけ。んで、さっさと帰れ。」
そりゃあ、止められるに決まってんじゃん。どうしよう。でも今日を逃したら、もう屋上には入れないし...。なんて考えも、会長の次の一言で全部吹っ飛んだ。
「俺が飛び降りるんだからな。見ず知らずの奴と心中なんか冗談じゃねえ。」

 え?この人今なんて言った?飛び降りる?会長が?
「な、なんで、ですか?」
「お前には関係ねえだろ。早く帰れよ。」
「い、いや、もう施錠されてるから帰れなくて...。じゃなくて、どうして会長が自殺なんか...っていうのが、気になる、というか...。すみません。」
言いながら、自分の無神経さに気が付いて、いたたまれなくなった。
「チッ。謝るくらいなら訊くなよ。まあ、いい。俺はあれだ、弟が病気で金が要るんだよ。だから、俺の保険金でっつう、よくある動機だ。」
さっき読んだ文庫本を思い出した。病気ってところしか関係ないけど。でも、そんなことどうだっていい。
「会長、今すぐ帰ってください。」
「は?なんでお前に指図されなきゃならねえんだよ。てか、施錠されて帰れねえって、お前自分で言ってただろ。」
「じゃあ、帰らなくてもいいので自殺はやめてください。」
会長の言葉尻にかぶせるように言った。我慢できなかった。
「おい、なんだよ。急に何怒ってんだ?」
「会長、それ本当に弟さんのためだと思ってます?勘違いですよ、そんなの。」
「は?なんでお前にそんなこと、お前に何が分かるんだよ?」
「分かりますよ?」
また大声を出してしまった。会長は私の剣幕に驚いたのか、固まってしまっている。私は、一呼吸置いて話し始めた。
「分かりますよ...。私の母は、保険金で借金を返済するために自殺したんです。確かに借金は無くなって、私を引き取ってくれた伯母さんは優しくしてくれたけど。でも私は、私は母さんに生きていて欲しかった!借金があったっていい、仕事でほとんど会えなくてもいい、ただ、生きていてくれれば、それで良かったのに?」
視界が滲んで、涙がこぼれた。でも、止まれない。
「伯母さんは、母さんの分まで幸せになれって。周りの人は、母さんは私を守って死んだんだって。立派な母親だって!ふざけないでよ?それじゃあ、私が母さんを殺したみたいじゃない?私はそんなこと望んでなかった?ただの自己満足でしょ、そんなの?」
一息に言い切って、呼吸が乱れる。俯いて、胸に手を当てて息を整える。ふっと、白いものが視界に入り込んできた。どうやら会長がハンカチを貸してくれたらしい。私はそれを受け取り、軽く涙を拭いた。
「すみません。洗って返します。」
「いいよ、やるよ。てか、洗って返しますはねえだろ。俺もお前も、自殺するつもりでここにいるんだから。」
「会長、まだ自殺する気なんですか。」
この人には何も伝わっていないのか。怒りを通り越して悲しくなる。
「ああ、悪いけど、お前の話を聞いても、俺の意志は変わらねえ。自己満足で構わない。俺は、弟に何もしてやれないことに耐えられねえだけだ。」
「それが、迷惑だって言ってるんです!」
どうして分かってくれないの。
「お前が自殺したい理由はそれか?」
「え?」
想定外の返しに、思考が止まる。
「俺の動機が気に入らねえのは分かった。これだけ必死になるんだ。お前の動機が母親と無関係ってことはないだろ。俺は話したぜ。お前も話せよ。」
確かに、私はまだ自殺の理由を話していない。会長だけじゃない、今まで誰にも相談したことは無かった。でも、それを話せば、会長は考えを改めてくれるだろうか。
「会長の仰る通り、私が死にたい理由は母さんです。母さんが私を想ってくれていたのは分かります。だからこそ、苦しいんです。母さんに救われた命だから、幸せにならなきゃ、泣かないで笑っていないとって...。何にも楽しくないのに。何しても虚しいのに。どんなに取り繕っても、母さんは見てないのに。もう嫌だ。母さんのせいでこんなに苦しむんだ。そうやってだんだん母さんの事、憎むようになってきて、でもそんな自分も嫌で...。もう何もかも終わりにしたいんです。これ以上母さんを嫌いになる前に。」
また涙が溢れてきた。会長のハンカチで目元を覆った。
「お前、やっぱり自殺やめろよ。」
「なんで、会長にそんなこと言われなきゃいけないんですか...。」
さっき聞いたようなセリフを口にした。
「俺は、俺が死んだ後、弟には俺を忘れて生きて欲しい。アイツは優しいからな、俺が自殺したって知ったら、お前みたいに自分を責めるだろう。けど、それも生きてねえと出来ないことだ。さっさと俺の事なんか忘れて、アイツらしく生きて欲しいんだ。生きてりゃ、時間が解決してくれることもあるだろ。それまでは、憎まれても、嫌われてもいい。幸せじゃなくてもいい。いつか幸せだって思える時まで、生きてくれりゃいい。お前の母親もそういう気持ちだったんじゃねえのか。」
「忘れる...?時間が解決してくれる?都合良すぎでしょ、ただ逃げてるだけじゃないですか!どうして一緒に生きようとしてくれないの?」
「それが出来ねえから自殺すんだろうが?」
今度は私が硬直する番だった。
「治療費が出せなきゃ、アイツはもう一年も生きられねえんだよ!兄弟揃って甲子園に行くんだって、ずっと前から約束してたのに?二歳差じゃ、チャンスは今年だけで、なのに、なんでアイツがいないんだよ!病室に優勝報告しに行った時、アイツなんて言ったと思う?『約束破ってごめんな。でも、絶対治して俺も兄貴と同じグラウンドに立つから。』って、笑顔でさあ!アイツだって自分の病状分かってるはずなのに。だったら、それを叶えてやるのが兄貴の役目だろ!俺にできることなんか、もう、これしか...。」
会長の目が潤んでいるのが分かった。咄嗟にハンカチを渡そうとしたけど、そもそもこれは会長のだし、私の涙と、ちょっと鼻水付けちゃったし、結局渡せずじまいになってしまった。
「弟さんがそういう意味で言ったんじゃないこと、会長だって分かってますよね?」
「分かるに決まってんだろ、そんなこと。」
母さんもそうだったんだろうか。私が悲しむことを分かっていて、それでも私を生かすほうを選んだ。いつか私が幸せになることを願って、母さんに出来ることを、命を金に換えることを選んだ。
「会長、一つ教えてください。もし、大金が手に入って、会長が自殺しなくても治療費が払えるとしたら、会長は自殺をやめますか?」
「当たり前だろ。俺だって死にたいわけじゃねえ。叶うなら、ずっとアイツと生きていきたい。」
母さんも、私と生きる未来を想像しただろうか。私と一緒に生きたいと、死にたくないと思っただろうか。
「会長、やっぱり私は、それでも母さんに生きていて欲しかったです。」
「俺だって、アイツに生きて欲しいよ。」
ああ、なんだ。同じなんだ、みんな。私も、母さんも、会長も、きっと弟さんも。一緒に生きていたくて、でも出来なくて。自分は死んでもいいから、大好きな人に生きて欲しくて。幸せになって欲しくて。これは自己犠牲なんて綺麗なもんじゃない。ただの願望で、愛情でもあって。だからきっと私たちは、もう永遠に分かり合えない。それなら、答えは一つしかない。
「会長、あなたは死ぬべきじゃない。弟さんのために。」
「お前も死ぬんじゃねえよ。母親のためにな。」
相手の気持ちなんか無視して、我が侭を押し付けること。私たちにできる唯一のこと。私たちにしか出来ないこと。私は会長を死なせない。残された人の気持ちが痛いほど分かるから。残された人の気持ちしか分からないから。会長も私を止めようとするだろう。会長には、先立つ人の気持ちしか分からないから。

 薄暗くなった空に、星が鈍く瞬いていた。


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