異端少女の魔法道

水原ユキル



 魔法なんて嫌いだ。
 自分だけの力なんて、なければいいのに。
 傷つきたくない。
 嫌われたくない。
 だから、ずっと隠れるように生きていればいいと思っていた。
 
 でも。
 そうしたら、私の本当の気持ちはどこへ行ってしまうのだろう?
 私は、私だけの力を愛することができる。
 そのことに気づかせてくれたのは、他でもない、あの人たちだった。





プロローグ

 今日から魔法が使える。
 そんなことを考えながらそわそわとしている少女たちが、想力研究所の待合室でひしめいていた。小学六年生になったばかりの月城(つきしろ)琥珀(こはく)もその一人だった。
 その場にいる誰もが綺麗な衣装を着て、派手な魔法を使いこなす姿を思い描いているに違いなかった。当然だ。なぜなら彼女たちは魔法少女たちの素質があるとして全国の小学生の中でも選りすぐりの少女たちなのだから。
「月城さん、月城琥珀さん、診察室までどうぞ」
「はい!」
 聞こえてきた女性の声に、琥珀はその必要もないのに大きな声で返事をし、勢いよく立ち上がった。
(ついに、私も......!)
 胸が高鳴る。足が勝手に動く。魔法少女としての道が開けた瞬間だと信じて疑っていなかった。
 しかし。
 診察室のドアをスライドさせた時だった。
(あれ......?)
 異変にはすぐ気づいた。
 琥珀の診察をした女性研究者の顔が明らかに曇っている。なぜだろう。まさか魔法が使えないわけでもあるまいし。
「月城琥珀さん、ですね」
 女性は琥珀に気づいたが、渋い顔はそのままだった。これから告げられる内容はおそらく琥珀にとって好ましいものではない。小学生の琥珀だってそれくらいは気づける。
「はい......」
 ただならぬ気配に不安になりながらも琥珀は女性の前の椅子に腰を落ち着けた。
「あ、あのっ! もしかして、想力の適性がすごく低かったんですか?」
 叫ぶように琥珀は訊いた。が、即座に女性は首を横に振った。
「そういうわけではありません」
 ほっとしていいはずなのに、琥珀の気持ちは少しも穏やかではなかった。直感が琥珀を警告していたのだ。
「魔法、使えないんですか......?」
「使えるには使えます。ただ、実はですね......」
 女性は覚悟を決めたように厳しい面持ちになった。深呼吸をした後に女性は言葉を放った。
「  」
 しばらくの間、琥珀は放心状態に陥った。
 女性の言葉は、半分も頭には入らなかっただろう。
 だが、琥珀を絶望させるにはこの二行だけで十分だった。

 想力タイプ:ダーク
 異端派

 足元ががらがらと音を立てて崩れるような錯覚に、琥珀は包まれていた。





第一章 はじめてのギルド

1

 飛翔学園高等部の入学式は晴天だった。真新しい飛翔学園の制服  紺のブレザーとリボンが特徴だ  に身を包んだ月城琥珀は寮の個室を出た。
 入学式だというのに琥珀は浮かない顔をしていた。普通の高校に進学していればよかったかな、という思いは今でもあるが、家の事情でそうはいかなかった。どうしたら悪目立ちしなくて済むか、今考えているのはそれだけだった。
 琥珀の住む「なでしこ寮」は学園から最も遠くに設置されている。普通に歩けば四十分は最低でもかかる。今からでは遅刻は確実だ。
 だが特に琥珀は慌てていなかった。
 寮から歩いて五分ほどの空き地に設置されている『ゲート』と呼ばれる施設。六角形に開かれた広いスペースで、そこから光の輪が上空へと連なっていて、飛翔学園へと繋がっている。そこに乗れば十分もかからずに学園まで行けるのだ。
 ゲートに乗ろうとした琥珀だったが、ふとゲートの入り口でおろおろと立ち尽くしている女の子に気づいた。着ていたセーラー服から中等部の新一年生だろう。琥珀は迷ったが、声をかけてみることにした。
「あの......どうしたの?」
「えっ? あ、えっと......実はゲートの乗り方がわかんなくて」
 少し驚いたような素振りを見せた女の子だったが、事情を話してくれた。小柄で内気そうな外見をしている琥珀は、自分の容姿が好きになれなかった。だが、初対面の相手に警戒心を抱かせにくいというところだけは便利だと思っていた。
「ゲートの乗り方、ね。じゃあ、一緒に行こうか?」
「は、はいっ」
 琥珀は女の子の手を引いてゲートに入った。その途端、白い光が彼女たちを包み、光の輪が点滅した。
「想力の使い方は覚えた?」
「あ、あんまり......特に、ゲートでの想力操作はよくわかんないです」
「そっか。じゃ、今から言う通りにやってみてね」
 琥珀は女の子の手を握ったまま意識を集中させた。想力が発動していくのを感じた。
「まずは一回深呼吸をして。体に想力が巡るのを感じてみて」
 言われた通りに大きく呼吸をする女の子。中等部のころは自分もこんな感じだった、と琥珀は懐かしい気分になった。
「そうしたら今度は空を飛ぶイメージを一杯思い浮かべて」
 女の子の体から光の粒子  想力が浮かび始めた。琥珀も同じように光が溢れ出した、琥珀の光は女の子のものより輝きが強い。
「うん、上手。......それで、足の方に力がたまったと思ったら......ジャンプ」
「こうですか............えっ、あ、わわっ!」
 二人同時に地面を蹴った途端、琥珀と女の子の体がふわりと浮かんだ。背中には翼のようなオブジェクトが発生していた。想力を飛行道具として変換させたのだ。
「後はバランスを取りながら飛んでいればオーケーだよ」
 琥珀は横を見た。女の子は空を飛んでいることに驚きつつも、風を切る気持ち良さを楽しんでいるようだった。
 ゲートは飛行能力を発動させるための補助魔法が常に供給されている場所だ。ゲートに地点を記録させることによって従来の交通手段とは比較にならないほどに目的地にまで早く快適に行くことができる。
 想力に適性を持たない一般人には何の意味もないが、一般人にも利用可能になるような研究開発は行われているという話は琥珀も小耳に挟んだことはある。
「す、すごい......本当に飛んでる!」
 目を輝かせて興奮を表している女の子。琥珀にとってはそれほど感動するものではないが、やはり初めての人にとって空を飛ぶとは衝撃的なことなのだろう。
「わわっ! 海が見える!」
 飛行地点が最高に達した付近で、女の子ははしゃいだ声を出した。視線の先には紺碧の海。キラキラと輝く波が美しい。
 四つの人工島からなる諸島  聖風諸島。その中でも北東に位置した島の中央部に飛翔学園は設置されている。
 聖風諸島は日本において最先端の想力研究、魔法少女育成を進めている地域である。学生とその家族、学校関係者、または想力の研究者で住民の過半数が構成されている学園都市なのだ。
「はい、到着」
 飛翔学園付近に設置されている片方のゲートに二人は降り立った。女の子は興奮が冷めないようで、頬をかすかに上気させていた。
「すごいすごい! ......あの、先輩、本当にありがとうございました!」
 先輩と言われると少し恥ずかしい。ぎこちなく笑いながら、琥珀は女の子の元を去ろうとした。
「あの、すみません!」
 女の子に呼び止められたので、琥珀は足を止めた。振り返ると、女の子が期待の眼差しでこちらを見ていた。
「先輩って魔法少女なんですよね?」
 魔法少女。
 その単語に、琥珀は少なからずどきりとしていた。
「まあ、一応......」
「どんな魔法を使えるんですか?」
 女の子に悪気はないのだろう。初めて出会った先輩に興味を持って質問をしているだけ。
 そのはずなのだが、琥珀は助けたことを後悔していた。自分のことを話すのは億劫だった。後輩相手に想力を教えていい気になっていた自分を恥じた。
「私、そんな大した魔法は使えないから......」
「そ、そうなんですか?」
「うん......ごめん、私、急ぐから」
 琥珀は女の子に背を向けると、そそくさと走り出した。
 女の子をがっかりさせてはいけない。
 助けてくれた先輩が、嫌な人でごめんね、と琥珀は心の中で謝った。

2

 想力(イマジン)。
 魔法少女のエネルギーであり、異能を発動させるための源。これに適性を示さない者は魔法少女になることは絶対に不可能であり、飛翔学園に通えている以上は琥珀も立派な魔法少女の端くれだった。
 問題は、彼女が使う力にだけあった。

 日本でもトップレベルの実力を誇る、中高一貫制の魔法少女学校として知られる飛翔学園。
 月城琥珀は今日から、そこの新一年生だ。外部からの進学者だから知り合いはいない。
 桜の舞う校門を、くぐる。
 暖かい風が琥珀の、肩口で切り揃えられた髪を揺らした。
(あっ......)
 肌に軽い痺れを感じた。すぐにわかる。これは想力の気配だ。
 気配がした方を見ると、昇降口の前のスペースに人だかりができていた。中等部の新入生が多いようだが、高等部の生徒もちらほらと混じっている。
 人だかりの中心には三人の少女。背丈や顔立ちからすると中等部の生徒だろう。
 少女たちの纏う華やかな衣装はそれぞれ鮮烈な色彩で輝いている。
 黄金、紺碧、そして桜色だ。
 三人のリーダー格と思しき桜色の少女が元気良く声を出した。
「皆さん! 今日は飛翔学園へのご入学、おめでとうございます! 私たちは皆さんの入学を心から歓迎します!」
 そんな声を合図に、脇にいた二人の少女がアイコンタクト。慣れた動作で手に想力を込めると、その手がブルーとイエローに発光。
「フライ!」
 その声を発した瞬間、桜色の少女が華麗にバック宙。
 くるり! と空中で体を回転させ  まるで重力の存在を忘れたかのように空中で静止した。
 わあ! と地鳴りのような歓声をあげる生徒たち。そんな観衆を見下ろして桜色の少女は可愛らしくウインク。
「バースト!」
 その声をあげたのは紺碧と黄金の少女。それを合図に二人は同時に飛び上がり、桜色の少女と同じように浮遊した瞬間、手の中にあった光を空中に放った。
 その刹那、虹色に輝く光の粒が少女たちの背後で爆発。星の形を描くようなエフェクトの残像を残した後に、光の粒は紙吹雪のように三人の魔法少女を彩った。
 広場は割れるような歓声と熱気に包まれていた。彼女たちは誇らしげに笑いながら観衆に手を振った。
「これはほんの序の口だよ! 皆もこれから楽しい魔法少女ライフを送ろうね♪」
 三人の魔法少女は地面に降り立つと、次の技を見せるべく息を合わせて整列。チアガールよろしく肩を組んだ状態で足を跳ね上げると、ピンク、蒼、黄に輝く弧が空に向かって投げられた。
 拍手が巻き起こる。これからさらに迫力のあるアクションが披露され、新入生の心は躍るだろう。新入生のハートに火をつけるには最適のイベントといえる。
 観衆の誰もが熱狂に呑まれて拍手喝采を送る中、唯一複雑な顔をしている女子生徒がいた。
「......」
 琥珀は見とれていたわけではない。もうどんなに努力したってあの少女たちのように魔法少女らしいアクションはできない。わかりきっていることだ。
(私は、あの子たちのようにはなれない)
 諦めはとっくについていたはずだった。
 高校生にもなれば大体自分にどんなことができるか、できないかは把握できる。
 そのはずなのに。
 どうしてか、魔法少女たちに未練がましい視線を送ってしまう。
(私にだって、光の想力の才能があれば......)
 そこまで考えて琥珀ははっとした。一体何を考えているのだ。
 可愛くて。
 かっこよくて。
 強くて。
 見る人に、元気を与える。
 そんな憧れの魔法少女の幻想を抱いていた頃が、琥珀にもあった。
 もうそんな夢からは覚めたはずだったのに。
 琥珀は首を振って、先ほどの嫌な思考を追い出すと、昇降口へ急いだ。誰も琥珀の姿に注意など向けていなかった。

3

 飛翔学園の敷地は一般的な高校のそれと比べて比較にならないほどに広い。十倍はあるだろう。それもそのはず。飛翔学園は学校でもあると同時に想力の研究所でもあるからだ。魔法少女たちの訓練所は勿論、研究のための建物や想力の歴史を調べるための図書館など、施設の充実は他の学校と比べてずば抜けている。
 入学初日は、オリエンテーションと学校の案内だけで終わった。
 琥珀としては、なるべく気の合いそうな人を見つけて話でもしようかと思っていた。
 が、ここで予想外なことが二つ起きた。
 まず一つ目はクラスに中等部からの進学生が多かったこと。さらに運の悪いことに、オリエンテーションでは魔法少女たちのグループ  ギルドを仮でもいいから作ることを推奨されたのだ。ギルドに入るとなれば、自分の魔法少女としての力を明かさなければならないだろう。そんなことはしたくなかった。
 それを差し引いたとしても、人と話すのが得意ではない琥珀に「グループを作れ」などというのは罰ゲームに近い。年下の相手ならまだいいのだが、同年代の女子、それも魔法に関わることでグループを作れとなると難しかった。
 琥珀に話しかけてくれた女子も数人はいたのだが、揃って琥珀の魔法について尋ねてくる。ギルドを作る以上はお互いの魔法を明かすのは当然なのだが、琥珀は口ごもってしまった。琥珀がクラスで孤立するのにそう時間はかからなかった。
 そして、もう一つ予想外だったのは  
「ここ、どこ......?」
 飛翔学園高等部の三階で琥珀は迷子になっていた。通常、学校から支給されるペンシル型端末  トランスペンに内蔵されている地図アプリを使えば迷うことなどあるはずがないが、琥珀は空間に出現していたウインドウを前に悪戦苦闘していた。トランスペンを振ってウインドウを展開したところまではよかったのだが、地図アプリがどうやっても起動しないのだ。
(本当にダメダメだ、私......)
 苛立ちは自虐へと変わっていった。初日から失敗するし、トランスペンの操作すらままならない。要領の悪い自分自身に琥珀は嫌気が差していった。
(やっぱり私、飛翔学園なんて向いてなかったんだ......)
 琥珀は泣きたくなった。悪い方向に考えるのが良くないことはわかっている。だが、それでも琥珀はへこんでしまった。嫌なことが続き、琥珀は項垂れた。
「あの......どうしたんですか?」
 その時、鈴が鳴ったような透明感のある声が聞こえて、琥珀は顔をあげた。
 琥珀は言葉を失った。声をかけてくれた相手が、現実にいるとは思えないくらいの美人だったからだ。
 腰近くまで伸ばされた極上の絹糸のように見事な亜麻色の髪を、きっちりと腰の後ろで三つ編みに束ねられており、肌は清潔感と透明感に溢れんばかりに白い。優しそうな雰囲気が漂う黒い大きな瞳は宝石のごとく澄んでいる。
 良いところのお嬢様。
 琥珀が最初に受けた印象がそれだった。
「あ、えっと......」
 何か言おうとしたが、琥珀は口がぱくぱくと動くだけでなかなか言葉としてまとまらなかった。眼前の穏やかそうな少女  リボンが水色であることから先輩なのだろう  の容姿が並外れて綺麗だから気後れしてしまったのだ。まして、自分みたいな目立たない人間がこんなに可愛い人と話していいのか、などと余計なことを考えていた。
 あたふたとする琥珀をよそに、少女は空間ウインドウと琥珀の顔を交互に見つめた。それだけで事情を察したのか、彼女は合点がいったように頷いた。
「もしかして、校舎にお迷いですか?」
「う......」
 その通りだったのだが、恥ずかしすぎて首肯できなかった。まあ、返事をしないことがほとんど肯定と同義だったが。
 少女は淑やかに笑いかける。光すら差しているのではないかと思うほどの笑みに琥珀は溜息をつきそうになった。
「ちょっと失礼します」
 少女は慣れた手つきでウインドウに細い指を走らせた。琥珀がでたらめに起動させていたアプリを全て閉じると、「設定」のアプリを表示させた。
「ここを見てください。......ほら、地図アプリにロックがかかったままです」
「あ......」
「後はこのボタンを押して......」
 少女がウインドウを数回タップすると、表示が切り替わり、地図が映し出された。
「あ、ありがとうございます!」
 琥珀は腰を直角に曲げて頭を下げた。
「お礼には及びません。貴女、外部からの新入生ですか?」
「あ、はい......」
 再び少女の顔を見据えた。改めて見ると本当に綺麗な人だ。きっと優秀な魔法少女なのだな、と根拠もなく琥珀は思った。
「もうギルドには加入されましたか?」
「いいえ......」
 歯切れが悪くなる。この流れはどう考えても琥珀をギルドへと誘おうとしている。
「でしたら  」
「ご、ごめんなさい! わ、私、ギルドには加入しないんです!」
 少女の言葉を突っぱねるようにして琥珀は声を張り上げた。その声の大きさに、彼女は面食らったような顔をしていた。
「あの、加入されない、とは......?」
「そのまんまの意味です」
 少女が怪訝な顔をするのも無理はない。ギルドに加入していないと練習場の申請が通りづらくなり、他校との合同練習に参加できなくなり、その他の施設だって使用が大幅に制限されてしまう。何より他の魔法少女とグループを作って切磋琢磨することが推奨されている魔法少女学校でギルドに入らないというのは、魔法少女としてのチャンスを自ら削っているに等しい行為だといえた。
 琥珀だってそんなことは知っている。知っているからこそ、断るのだ。
「トランスペンの使い方を教えてくれたのはありがとうございます。......失礼します」
 琥珀はもう一度ぺこりと頭を下げると、少女に背を向けた。少し無礼だったかもしれない、とは思ったが、自分みたいな弱い人間と関わればきっとこの人に迷惑がかかる。そっちの方がよっぽど無礼だ、と琥珀は割り切った。
 少女が追いかけてくる気配はなかった。

4

 少女から逃げるようにして学校を出た後は、トランスペンの地図アプリを頼りに寮まで戻った。部屋に入った琥珀は制服を脱ぐのもだるく、ソファに寝そべった。
「はぁ......」
 何もかもがうまくいかなかった一日だった。魔法少女学校での生活は想像以上に難儀しそうだった。入学初日だというのに暗鬱な未来しか思い浮かばない。
 今からでも転校してしまおうか。本気でそんなことを考えた。だがすぐにそれはできない、と理性が発した。
 魔法少女の道を諦めきれないから、ではない......はずだ。
 単なる家の事情なのだ。
 家はお世辞にも裕福とはいえない。そもそも琥珀がこの飛翔学園を選んだのは学費が免除されるからだった。条件を満たし、将来有望な魔法少女であると見なされれば学費免除だけでなく、生活費まである程度支給してくれる。そんな破格な待遇があるからこそ琥珀は高校へ通うことができた。
 だが待遇が良い分、魔法少女に求められているものも大きいのだろう。今日の学校の説明を聞いてそう感じさせられた。意識の低い自分が好成績を修め続ける自信などまるでなかった。
 琥珀が所属しているのは総合進学コースだから、魔法少女としての勉強や練習は他のコースと比べて多くない。だから国語や数学といった一般科目をひたすらに勉強すれば良いのだが......正直なところ、勉強だってそこまで得意というわけでもなかった。
 つまるところ、琥珀は何もかもが中途半端だったのだ。学費免除が認められるくらいの力はあるはずなのに、琥珀は自分の力を好きになれない。
 だって、自分の力は異質だから。変に目立ちたくないから。
 持っている力が好きになれなくて大人しそうにしている子が他にもいないかと期待していたが、考えが甘かった。
 明日からどうしよう......と、琥珀は顔をクッションに埋めて憂鬱になっていた。
 しばらくの間、寝転んだままの琥珀だったが、やがてむくりと体を起こした。
 琥珀は人に堂々と言えるような趣味がない。読書の習慣はなく、音楽だって特別聴くわけでもないし、芸術のセンスも特にない。
 唯一、夢中になれることがあるとしたら  動画視聴だ。
 琥珀はトランスペンの上部にあるスイッチを押し、空間ウインドウを表示させた。画面をスワイプし、動画再生アプリを開いた。前に使っていた端末のデータの移行はもう済ませていた。
 そこに表示されている動画は魔法少女たちのバトルの公式戦  魔法(ジェネラル・)総合戦(コンテスト)の映像だ。琥珀が幼い頃はそれこそ寝る間も惜しんで夢中になった。
 もう何度も消そうと思っていたのに。
 どうしてだか、消去することなくずるずると引きずっている。
 魔法総合戦。
 それはあらゆる魔法少女たちにとって誰もが一度は夢見る舞台。
 スポットライトの光を浴び、拍手と歓声に溢れるステージで、己の力をぶつけ合う。
 全世界の注目を浴びているバトルエンターテイメント。ここに出場できるほどの実力があれば魔法少女管理機構から補助金をもらえ、まして優勝の座を勝ち取った暁には一生遊んで暮らせるほどの賞金が手に入るという。
 とはいっても、賞金を目当てにこの魔法総合戦を目指す者は少ない。
 己の力を高めたいから。自分の力を認めてもらう場が欲しいから。何より少女たちが思い描くような魔法を思いっ切り試せるという場を提供されているから。
 何か特別な才能があればそれを高めたいというのは人間の心理というものだろう。魔法総合戦はそんな願望の一つの頂点だといえる。
 そんな高みを目指していた頃が琥珀にもあった。
 琥珀はウインドウを操作して、スピーカーをオンにした。割れるような歓声が画面から響いてくる。魔法総合戦の決勝戦  いわば最強の魔法少女を決めるための戦いなのだからその盛り上がりは尋常ではない。
 相対しているのは、真紅の魔法少女と紺碧の魔法少女。両者ともフリルつきのワンピースをアレンジしたような可愛らしい衣装を着こんでいた。
 バトル開始前とはいっても殺伐とした雰囲気はない。どころか、二人とも観衆に向かって笑顔で手を振っている。これは「魔法少女は人々に笑顔を与えるべき」というイメージが多くの人に根付いているからだ。
 だからこそ、バトルとはいえ命のやり取りをするわけでもないし、相手を倒すことよりも派手で華麗なパフォーマンスでいかに聴衆を、そして相手の魔法少女を魅了するかが本当の勝負だ。
 最強の魔法少女たちの戦いとなれば、その迫力は段違いになる。
 試合開始の合図が鳴った時、琥珀はそれだけで鳥肌が立った。何度も見てきたはずなのに、やはり見惚れてしまう。
 二人の魔法少女はほぼ同時に後方へ飛び退くと、己の魔法を開放した。
 エネルギーとエネルギーがぶつかるたびに光が炸裂し、会場が明滅する。再び大歓声が轟く。美しさと迫力を兼ね備えた女神の戦いのような光景に、琥珀は息を飲む。彼女たちの闘志と精神力が画面越しにもかかわらず、間近に感じているような気がした。
 真紅の少女が地面に降り立ち、持っていた杖を大きく振りかぶった。その杖からは迸った光は天空を分かつように空に向かい、巨大な柱のように伸びていく。迎え撃つ相手の少女も、ステッキを掲げ、エネルギーの光を吸収していく。その光は見る間に膨れ上がり、ステージを凄烈な輝きで満たす。
 そして二人は解き放った。真紅の少女が赤光の波動を繰り出し、紺碧の少女がステッキを振るってブルーの衝撃斬で迎撃。激烈な力が炸裂し、爆裂し、衝撃波がステージ上に荒れ狂う。
 観客たちは一斉に伏せる。観客席には防護障壁が展開されているので被害が及ぶことは絶対にないのだが、戦いの衝撃はありありと伝わってくるのだ。巨星同士をぶつけ合ったようなインパクトは、天を裂き、火山噴火のごとき爆轟と震動が会場全体を支配した。
 惚れ惚れとしてしまう琥珀。彼女に限らず、このトップレベルの魔法少女たちの戦いは男女問わず人々を夢中にさせ、特に駆け出しの魔法少女たちには目指すべき到達点となっている。魔法総合戦に出現とまでは行かなくとも、高みを目指して戦い続けた魔法少女たちは社会的にも評価される。それが今の魔法少女たちを取り巻く状況だった。
(でも、私は  )
 現実を思い出すと、琥珀は決まってつらい気分になる。
 無理なのだ。高みを目指すことが。
 なぜなら、琥珀は魔法少女の異端派だから。戦うことすら許されないのだ。
 だから、魔法少女戦の映像を見ているのは単なる趣味。趣味のはずなのに、どこか悲しくなってしまうのはなぜだろう。悲しくなるならとっとと消してしまえばいいのに。
 動画を消し、他の動画ファイルをざっと眺めた。消さずに残っている魔法少女関係の動画がずらりと並んでいるのを見て、琥珀は自嘲気味に笑った。自分には不必要だと理解しているのに、削除しないとは滑稽でしかない。
(まあ、でも、今更消すのもめんどくさいし......)
 と、誰かに言い訳でもするように思うと、琥珀はトランスペンのボタンを押して、ウインドウをしまった。再びやることがなくなった琥珀は眠いわけでもないのに、ソファで横になった。

 寝ていたような、ぼうっとしていただけのような、無為の時間を過ごした後は、食堂に行って夕食を済ませ、自室に戻った。
 シャワーを浴びて、ジャージ姿になった琥珀だが、まだ寝るには早い。またしても時間を持て余してしまう。一応、琥珀には動画視聴以外の趣味もあるにはある。
 琥珀は部屋の隅に置いていた段ボール箱を開け、衣装を取り出した。
 これこそが戦闘魔装(コスチュームデバイス)。
 魔法少女の想力と戦闘力を格段に上昇させる変身衣装。トランスペンを起動することで一瞬において装着、変身が可能だ。魔法少女の命ともいっていいほどの可愛らしいコスチューム  のはずなのだが。
 琥珀のそれは可愛いというよりはかっこいいという形容詞が似合う。風変わりなものだった。
 上は丈の短いトップスにハーフフィンガー型の長手袋、下はホットパンツにブーツ。首元に巻くスカーフ。特徴はどれも色が黒で統一されていることと、女性のしなやかな体躯を生かすためか軽装なデザインだということだ。
 戦闘魔装《ヨイヤミ》。
 琥珀が思い描いていた魔法少女とは遥かにかけ離れていて、軍服と忍者服を足して二つで割ったようなコスチュームを与えられた時は面食らってしまった。可愛さをそぎ落として戦闘用の便利さを強くしたのがヨイヤミだと思っていた。
 琥珀はヨイヤミが嫌いというわけではなかった。ただ自分には凄まじく似合っていないというだけで。
 だからといって基本となる装備の変更は不可能。魔法少女の装備は意志を具現化した姿だからだ。
 琥珀の想力タイプは闇。
 勇気、希望、愛、夢、利他、喜びなどといった善の概念や感情を源とする光の想力に対し、怠惰、嫌悪、嫉妬、利己、不幸といった悪の概念や感情がエネルギーとなるのが闇の想力だ。そもそも想力を使える人間というだけで希少なのだが、その中でも闇の想力となると適合者はぐっと少なくなる。
 だが琥珀としては自分がどんな力に選ばれたのか、その原因はどうでもよかった。
 運が悪かっただけなのだ。闇の想力などという薄気味悪い力に選ばれたのがたまたま自分だった。それだけのことなのだろう。
 今でこそ闇の想力への研究が深まり、闇の想力を使う魔法少女、通称『闇の魔法少女』の理解も深まっているとはいえ、差別や偏見は根強く残っている。だから、闇の想力の開発が盛んな飛翔学園を選んだつもりだったのだが、あまり関係ないのかもしれない。
 まあ、どうだっていい。中学時代を通じて周囲から隠れるようにして生きる方法は覚えてしまった。
 初日は今一つだったが、魔法総合戦なんて何の関心もない生徒を見つけて、穏やかに過ごす。適当に勉強をして、適当に進学をする。魔法少女としての経験はそれだけで就職や進学のアピールになるのだ。
 きっと、そんな平凡な人生を計算している学生もいるはず。そんな人を見つけて友達になればいい。
 見つけられなかったとしたら  それはそれで構わない。不便はあるかもしれないが、友達がいなくてもなんとかはなるだろう。
 そう決まっているのに。
(なんなの......この気分......)
 琥珀は胸に手を当てて、顔を曇らせていた。
 どうも気分が良くない。たとえるなら、喉の奥に何かが引っかかっているような、漠然としたもどかしい気分。心の中ですっきりしていない自分がいる。「本当にいいの?」と誰かが問いかけている。一体この気持ちは何?

   あなたといると、闇の魔法少女って馬鹿にされるから......。

 嫌な記憶がそっと顔を出してきた。
 軽蔑。嘲笑。拒絶。
 あらゆる悪意を浴びせられた。
 だから中学生だった琥珀は逃げた。力を使わないように。目立たないように。強くならないように。隅っこでじっとしていた。

   お、お姉ちゃんは琥珀の味方だからね......。

 嘘だ。
 強い魔法少女であった姉は闇の想力なんて得体の知れない力を使う妹なんて鬱陶しいだけだったに違いない。だから、そんな憐憫のこもった目で見ないで  。
 自分のせいで、姉は  。
「っ?」
 背中に汗をかいていた。首をぶんぶんと振り、無理矢理気分を切り替える。動悸が激しくなっていた。もう過去は関係ない。魔法少女ではあるけれど、バトルに出ることなんてない。魔法少女なんて名目上だけでいいのだ。
 とっくにそう割り切ったのに、焼きが回ったのだろうか。
 少し気分を変える必要がある。そう判断した琥珀はトランスペンを手に取った。
「......コネクト・オン」
 その声と同時にトランスペンの片側にあるスイッチに手を触れ、想力を送り込んだ。
 契約者の声を認識したトランスペンが対となる戦闘魔装の転送を開始。トランスペンを高く掲げると、ふわりと全身が浮かび上がる。淡い光が琥珀を包み、両手を前に突き出した瞬間、ペンから光の粒と共に巨大な魔法陣が噴き出し、琥珀の周囲を覆うように展開していく。
 光と共に全身を奔流していくエネルギーの快感。
 ようやく光が治まる頃には、琥珀は魔法少女への変身を済ませていた。
 黒の戦闘魔装《ヨイヤミ》を装着した琥珀は、少し恥ずかしさを覚えながらも確かな高揚を味わっていた。他人に見られていない場所で変身する分には問題なかった。
 琥珀は窓を開け、ベランダに出た。寝静まった頃、とまではいかないが夜の街に身を隠すのにヨイヤミはちょうどよかった。琥珀は手すりに足をかけると、高く跳躍。エネルギーの放流に身を任せるかのごとく町を駆け始めた。

 翼が生えたように軽くなった体。
 風を切り、建物と建物の屋上を飛び移る爽快感。
 想力に目覚めることがなければ決して味わうことのできなかった感覚だ。
 夜の町を人知れず駆けるのが好きだった。一人で走るだけなら誰にも迷惑はかけないし、戦うこともない。魔法少女になったからといって人助けをすることもない。自己満足でいいのだ。
 町を一周した琥珀は町の中心部にある、一際高いビルの鉄塔の上に立っていた。スカーフをなびかせながら、町を見下ろすその姿は忍者さながら。飛翔学園の所在地であるこの鳴夢市は引っ越してきてから一週間ほどしか経っていないけれど、夜の散策をしていくうちに大体の場所は覚えた。まだ明かりの残っている夜の町は思っていた以上に綺麗だった。
 これでいい、と琥珀は思った。別に誰かに認めてもらう必要はない。自分のひそかな楽しみの域を出ず、嫌なことがあった時の気分転換程度になればいい。魔法少女になった特典なんてそれだけで十分だ。
 そう。自分が納得できればそれだけで  。
(あれ......?)
 びりびり、と肌が痺れた。何かとてつもない力を込めたものがこちらに迫っているのを本能が悟った時の感覚に似ていた。
 これは......想力の気配? こんな夜中に誰が  。
「こんばんは。失礼ながら後をつけさせていただきました」
 琥珀の疑問は、その澄んだ声によって解消される。
 振り返った瞬間、人影が降り立った。
 亜麻色の髪をした、黒の魔法少女。
 琥珀と同じく、忍者のような戦闘魔装を着た、あの時の先輩だった。

5

 驚きのあまり口をぱくぱくとさせることしかできない琥珀に対し、先輩の魔法少女は落ち着いた様子で琥珀に微笑みかけている。
「貴女とは今日、お会いしましたよね? お名前を伺っても?」
「月城琥珀、です......。進学コース一年生です」
「ぼくは正堂(せいどう)永(はるか)。想力技術者育成コース想力技術学専攻新二年生です。以後お見知りおきを」
 スカートの裾を摘み、恭しく頭を下げた正堂に、琥珀は違和感を覚えた。
「え、ぼ、ぼく......?」
「あ、これはぼくの習慣みたいなものですからお気になさらずに」
 頭を上げた正堂は口元を手で隠すようにして笑んだ。どこかの令嬢のような仕草と雰囲気が妙に様になっていた。
「は、はあ。あの、私の方の方が年下なんですから、敬語じゃなくても......」
「これもぼくの習慣です。今更他の喋り方はできないんです」
「そう、ですか」
 琥珀は違和感に包まれながらも目の前の先輩魔法少女に視線を合わせる。
 見れば見るほど琥珀の戦闘魔装とそっくりだ。違う所は巻いているスカーフが赤色であることと、下がスカートであることくらいだ。およそ魔法少女らしくない、女スパイ、女忍者といった方がしっくりくるような衣装を着た少女が他にもいるとは知らなかった。
「あの、正堂先輩はここで何を?」
「ぼくのことは永とお呼びください」
「......は、永先輩」
「よろしい。......特に深い理由はありません。夜に誰かが強い想力を、それも闇の想力を使っている人がいたので気になって伺っただけです」
「闇の想力、って......わかるんですか?」
「わかります。感じるオーラが光の想力とは異なりますから。それに、闇の想力でなければ今の戦闘魔装にはならないはずです」
「ということは、永先輩も......」
「ええ」正堂は自分の戦闘魔装を眺めた後に、琥珀に視線を戻した。「戦闘魔装《シンゲツ》。ぼくはこの服が大好きです」
 混じり気のない笑みからは心から己の戦闘魔装を誇りに思っている様子が窺える。こそこそとしてしまう自分とは大違いだと思った。
「ところで、貴女のことは何とお呼びすれば?」
「えっと......特に希望はないです」
「では、琥珀と呼ばせていただきます」
 下の名前で呼ばれるのは久しぶりだったが、琥珀は頷いておいた。
「立っているのもなんですし、座りましょう」
 永が座ったのに倣って琥珀も鉄塔に腰を下ろした。
「琥珀はこんな夜中にどうしてたのですか?」
「ええっと......その、夜にランニングをするのが好き、なんです......」
 淀んだ物言いになってしまった。変な趣味だと思われただろうか。
「ランニング、ですか。ぼくにはトレーニングに見えました」
「ま、まあトレーニングでもいいです」
 永は考えるような間を置いた後に、琥珀を真っ直ぐに見た。
「まだ少ししかわかりませんでしたが、琥珀は想力を使いこなせているように見えました」
「まあ、ある程度なら......」
 琥珀は目を逸らしていた。
「だとしたら、ギルドに入らない理由が気になります」
 ぎくりとした。動揺を悟られまいとしながら琥珀は平静を装った。
「先輩には......関係ありません」
「関係ない、にしては随分と迷っていらっしゃるように見えますが」
「え......」
 ここで突っぱねればよかったのに、琥珀はあっさりと見抜かれてしまった。琥珀の演技が下手なのか、永の慧眼が優れているのか、おそらくその両方だろう。
「迷ってはないです......私はその、ギルトとかバトルとか興味ないですから......」
 声が震えないようにするのに苦労した。永は特に感情を出さずにじっとこちらを見つめている。
「興味がないのなら、なぜ戦闘魔装を着ているのですか?」
「だから、それは、単なる趣味で......」
 言っていて自分でも情けなくなる。ここまで意志がはっきりとしないことに呆れてしまった。おそらくそれは永も見抜いているはず。何か言われる前には琥珀は先に質問をしてみることにした。
「その、先輩は闇の想力を使っても大丈夫、なんですか......?」
「大丈夫、とは? 大丈夫でないなら使っていません」
「いや、そういうことじゃなくて......闇の想力を使って変に目立たないかなーとかは......考えないんですか?」
 永は意外なことを訊いたように瞬きをしていた。
「目立つとか目立たないとかは関係ありません。ぼくが使いたいから使う。それだけです」
「はあ」
 こんなことを訊いた自分がおかしいのか  いや、実をいうと多分おかしいと自覚しているのだけれど  と思うほどに永の返事は潔かった。
「貴女は、闇の想力をどう思っているのですか?」
「私は......その、闇の想力が、というか私の力が嫌いですから......だから、ギルトにも入りたくないんです」
 ついに、言ってしまった。
 他人に自分の力が嫌いだと公言するのは何気に初めてかもしれない。少し何か引っかかるものを感じるけれど......別にいい。今は自分の気持ちをはっきりさせておくべきだ。いい加減魔法少女の未練から脱却しないといけない。だから後悔なんて......ない。
「ぼくの目を見て話してください」
 言われるまで、下を向きながら話していることに気づかなかった。
「琥珀、貴女は何か無理をしているように見えますよ」
「別に私は無理なんか......それに、先輩には関係ないじゃないですか」
 少し声が震えた。はっきりと拒否の意を示せばいいのにまったく不格好だった。
「ではここからはギルドとは関係なくただの先輩後輩としてお話します」
 永はトランスペンを取り、ウインドウを開いた。
「琥珀、連絡先を交換しましょう」
「え、ど、どうして......」
「友達になりたいからです。いけませんか?」
「い、いいえ......」
 正直なところ、気は進まなかったが、半ば流されるようにして琥珀は永の連絡先を通話アプリに登録した。そうしたらすぐに永からメッセージが届いた。
「『想力研究棟二号館三階、四〇三号室』......? どこなんですか、ここ......?」
「ぼくたちのギルトの部屋です」
「だから私はギルトには......」
「ギルトとは関係なく、です。もし何かお困りごとがあれば頼ってください、というだけです。なるべく事前に連絡はしてほしいですけど」
 琥珀は黙り込んだ。
 はっきりいって余計なお節介だった。永はああ言うが、どう考えても琥珀を丸め込んでギルトに加入させようとしているに違いない。そんなことをしたって永が迷惑を被るだけなのに。それに気づかないほど琥珀は鈍感ではなかった。
「どうして先輩はここまでしてくれるんですか......?」
「琥珀が困ってそうに見えたから、です」
 好意の押しつけのつもりなのだろうか。お節介もいいとこだ。偶然闇の魔法少女を見つけて仲間意識を持ったのかもしれないが、生憎琥珀は永に良い印象を持たなかった。
 なのに。
 なぜだかわからないが......ほっとした気分にもなっていた。
 単純に、気を遣ってくれたのは嬉しいから、だろうか。
「もし余計なお世話でしかなかったら、ぼくのことは忘れてください。ただ、ぼくが琥珀ともっとお話をしてみたいと思っているのは本当です」
 琥珀が返事をしないでいると、にこりと笑った後に、会釈をした。
「いつでもお待ちしております。では、ごきげんよう」
 それだけ言い残し、永は身を翻した。

(何なんだろう、あの先輩......)
 一人残された琥珀はぼんやりと宙を眺めていた。
 風変わりな戦闘魔装と闇の想力。永も闇の魔法少女なのだろう。
 琥珀が中学生の頃は闇の魔法少女というとそれだけで嫌われ、クラスから除け者にされていた。ただし、それはあくまで悪目立ちをした生徒だけだ。
 琥珀のように目立たないように、他の不特定多数の生徒と同じように無難に学校生活を送っていればそう問題にされることはない。
 闇は光によって打ち払われるだけの存在。闇の魔法少女は光の魔法少女の引き立て役になればそれでよかったし、琥珀も納得していた。だから、中学時代はほとんど楽しくなったけど......でもまあ、いじめられるよりはずっとましだ。
 もう、拒絶されたくはないのだ。
 闇の想力に選ばれることは運が悪い以外の何物でもない。そんな意識が働いているからか、闇の魔法少女たちは表舞台には決して立たないのだ。キラキラと輝くのは光の魔法少女だけでいい。
 でも......永という魔法少女はそんな引け目などまるで感じていないように堂々としていた。闇の想力を取り巻く状況を知らないのだろうか、知っていて堂々としているのなら相当肝が太いはずだ。
(美人だけど、ちょっと変わってる人だったな......)
 助けてくれようとしてくれたのは嬉しいが、琥珀としてはなるべく大人しそうな子と仲良くしたかった。永のような飛び切りの美人だが、闇の魔法少女と付き合っていると変な噂が立ってしまいそうだ。少なくともギルドに入ることは避けたい。だから申し訳ないけれど、永の好意は素直に受け取るわけにはいかない。
(私は平凡な学生生活を送られたらそれでいい......)
 何度も願ってきたのはそれだけ。
 琥珀はあの奇妙な先輩のことを忘れるように意識しながら寮へと帰った。

6

 寮へと戻った琥珀は変身を解いてジャージ姿になったが、ベッドに入ってからもしばらくは寝付けなかった。そのせいで無駄なことを考えてしまう。
 もしかしたら、あの先輩の下で力を伸ばせる......?
 琥珀は首を激しく横に振った。できるわけがない。というより、するべきではないのだ。
 そんなことをすれば、今も病気で寝込んでいる姉への最悪の裏切りとなる  。
(姉さん......!)
 琥珀は枕に顔を押し付けて、枕をぎゅっと握りしめた。
 光の魔法少女として、華々しく活躍していた魔法少女。それが琥珀の姉  月城瑠璃だった。
 容姿端麗。文武両道。優等生を絵に描いたような瑠璃は、同級生の憧れの的であったし、琥珀も目標としていた。中学生になるまでは。
 琥珀が闇の魔法少女だと診断されてから全てが変わってしまったのだ。さっさと魔法少女の道なんて諦めて姉の引き立て役になっていればよかったのに、往生際悪く魔法少女に固執したせいであらゆる不幸を引き起こしてしまった。
(私は、闇の想力なんて嫌い......!)
 全ての元凶であるこの力が憎かった。
 魔法少女にならなければ。
 単に憧れの対象としてとどめておけば。
 中途半端な力さえなければ。
 誰も不幸になんかならなかったのに。
(姉さん、私、どうしたらいいの......!)
 遠くの病院で今も眠り続けている姉に思いを馳せながら、琥珀は涙を流した。

 永と夜に出会ってから数日後。
 琥珀は教室でノートを取っていた。ノートといっても従来のような紙ではなく、トランスペンに内蔵されてあるデジタルノートを空間に出現させて記録するという形だった。
「  というわけで、想力には光と闇の二種類に分かれることが現在での見解となっています。この想力への適合性によって魔法少女の強さは変わるとされており、このことに関しては本人のやり方次第で力を伸ばせるといわれています」
 今教室で行われているのは「想力基礎学」という想力の通説を学ぶための授業だ。これは高等部一年生での全クラス、全コースの必修科目となっている。基礎学は中等部の頃にも習ったが、その時に比べて内容は発展している。
 飛翔学園高等部では単位制を採用しており、必修科目以外は自由選択の授業となっている。その必修科目に関しても習熟度別にクラスが分けられることもあり、同じクラスとはいっても、関わりのある同級生は限られそうだった。余計な人間関係を作らなくて済むのは助かったが、その分友達を作る機会は自分で工夫しなければならない。
「想力の伸ばし方については諸説ありますが、想力はその人の想いの強さによって力が比例するというのが共通した意見になっています。だから、皆さんもぜひ魔法総合戦を目指してこれからの学園生活を励んでもらいたいと思います」
 期待をこめた顔でそんなことを言う女性教師に、琥珀は冷ややかな眼差しを送った。
 誰もがプロの魔法少女である魔法戦士を目指せるわけではない。高校野球で誰もが甲子園に出場できるわけではないのと同じ理屈だ。
 治安を守るために世界中で活躍できるような魔法戦士もいるようだが......もはやそれは伝説の域に近い。
 どの世界でも力のある者が上へと目指せる。魔法少女の世界だって例外ではない。バトルエンターテイメントとしての側面が強くなっている今はなおさらだ。従来の魔法少女のイメージにそぐわないような闇の想力は求められていない。それは琥珀自身が知っていた。
 口だけだったら何とでも言える。教師は琥珀の視線などまるで気づかずに、授業を進めていった。

 放課後。琥珀は特に目的もなく、校舎をぶらぶらとしていた。人が多い場所は避けて、おそらく琥珀が授業で来ることはなさそうな、用途不明の研究棟に足を運んでいた。人工的で清潔な白さの広い廊下が続き、中庭を見渡せるような大きな窓が特徴だった。
 広々とした中庭に点在している広葉樹の葉が春風に吹かれて揺れていた。春の青空は澄んでいた。校門の方を見やると部活やギルドの勧誘が今日もなされていることがわかった。
 一際大きな音が響いて聞こえた。楽器を携えている魔法少女たちが注目を一気に集めた。
 勿論それが単なる楽器ではないことはわかった。あれは楽器型の想力援(ブースタ)具(ー)だ。
 想力援具とはごく一部の戦闘魔装を着られて、なおかつ上位クラスの魔法少女のみが召喚できる特殊武器。楽器型の想力援具はかなり珍しい部類に入る。使いこなせれば桁外れのスキルを発動し、想力援具を持たない相手など瞬殺できるほどの力を発揮できるといわれている。
 ロック調の音楽と共に、音符の形をした光の塊が空中に飛び出しては消えた。音楽と観客の歓声は、琥珀からは随分と離れているはずなのに、妙にうるさく聞こえた。
 魔法少女たちは軽快に演奏しているように見えて、その裏で主に想力に関して努力をしていたことは嫌でも伝わった。想力援具は強い力を発揮する分扱いも難しく、特に彼女たちのように熟練するには無二の才能と尋常ではない努力が不可欠となるからだ。
 琥珀はしばらく無感動に校門の方を眺め続けた後に、背を向けるように歩き出した。

(あ、ここって......)
『想力研究棟二号館三階、四〇三号室』
 何気なく足を動かしていたら、いつの間にか着いていた。「四〇三」と書かれたプレートからここが永の所属するギルドのオフィスなのだろう。
(一応、話くらいはしておこう、かな......?)
 永は今のところ、顔と名前が一致する数少ない同じ学校の生徒だった。友達がいなくとも問題ないと思っていた琥珀だったが、やはり一人のままだとこの先様々な場面で困りそうだった。せめていざという時に話せるくらいの関係の知り合いを作っておきたかった。
 ただし、ギルドには入らない。虫のいい考えなのかもしれないが、そこを譲る気はなかった。
 もう一度会っておこうと思った琥珀は部屋に近づいた。それだけでドアが自動的にスライドし、短い廊下を抜けると、応接間と思しき広い空間があった。
「失礼します......。あの、誰かいませんか?」
 永の姿はない。他のギルドメンバーがいるかとも思ったが、どうやら留守のようだ。また日を改めて来ようか、と琥珀が思った時だった。
「うぅ~? ......だ~れぇ~......?」
 妙に低く、くぐもった女性の声が聞こえてきて、琥珀は「ひっ」と短く悲鳴をあげた。
 にょき、と奥の黒いソファから細長い手が現れ、それに続くように姿を見せたのは......
「......んぅ~?」
 不自然なくらい長い緑色の髪に顔を覆われた女性のお化けだった。
「ぎゃあああああああああっっ?」
 飛び上がった琥珀は脱兎のごとくその場から逃げ出した。まさか女性のお化けがいるとは。どうやら完全に部屋を間違えたようだ。ここは想力の研究棟。きっと幽霊を召喚する実験の最中だったのだろう。さすがは飛翔学園。恐ろしい!
 ドアを飛び出した琥珀だったが、そこで陰から出てくる人影に気づいた。まずい。このままだとぶつかる。だが、慌てふためいていた琥珀は急ブレーキをかける余裕もなく  
「え?   わきゃあっ?」
 その女子生徒  永に衝突する直前、琥珀は腕を掴まれて背中から叩きつけられていた。派手な激突音が廊下一帯に響いた。
「ご、ごめんなさい! いつもの癖でつい......あれ、琥珀ですか?」
 その声は琥珀に届くことはなかった。手加減なしの永の一撃を受けた琥珀は、目を回して倒れてしまっていた。
 
7

「  はく、琥珀、大丈夫ですか?」
 聞き覚えのある声で琥珀は目を覚ました。
「んっ、あ......」
 ぼやけていた視界が徐々に明瞭になっていく。永が顔を覗き込んでいるのがわかった。どうやら自分はソファに寝かされているようだ、と琥珀は気づいた。
「はっ? そ、そういえば、あの女性のお化けは?」
 意識が一気に戻ってきた琥珀は危機感を募らせた。
「誰がお化けよ。失礼ね」
 そんな彼女に冷ややかな声が浴びせられる。上体を起こして声のした方を見ると、そこには女子生徒が壁にもたれて水を飲んでいた。
(び、美人......!)
 永と出会った時もそうだったが、この少女もまた呆然としてしまうような美形の持ち主だった。
 腰まで伸ばした鮮やかな若草色の髪と、ややきつそうな印象を受けるつり目が特徴だった。手足はすらりと長く、モデルさながらの整った体形だ。永がおっとりとした美少女なら彼女はクール系の美人といった感じだろうか。制服を着崩していたが、彼女の場合はそれすらもファッションの一つに見えてしまうのが不思議だった。
「永、もしかしてこいつがギルドの新メンバーなわけ?」
 リボンの色と永への言葉遣いから彼女もまた先輩なのだとすぐに察した。
 永は少し間を置いた後に小首を傾げた。
「そうだったら嬉しいんですけど......琥珀、もしかしてギルドに入ってくれるんですか?」
「あ、いや、まだそこまでは決めてないです......」
「じゃあ何しにきたわけ?」
 先輩の目は明らかに鬱陶しがっていた。彼女のようにとげとげしい態度を取る人は苦手だった。
「あの、永先輩に話があって......」
「ぼくに? ......あ、そういえば琥珀、よかったら彼女にも自己紹介してください」
 そう言って永は緑色の髪の少女を指した。
 睨んでいるような目つきの少女に少し怯みながらも琥珀は声を出す。
「はじめ、まして......月城琥珀、進学コース一年生です......」
「あたしは桐谷(きりたに)ソラ。想力研究コース応用想力学専攻二年生よ」
「よ、よろしくお願いします」
「ん」
 桐谷は返事なのかどうかもわからない声の後に部屋の奥のキッチンスペースに行った。戻ってきた彼女は「ふあ......」と欠伸をした後に、ソファに寝転んだ。
「ソラ、よくないですよ。新しい友達の方なのですからぴしっとしましょう」
「うっさいわね。いきなりこいつに大声出されたから寝起きが悪いのよ」
 永はやれやれとばかりに小さく吐息をつくと、琥珀に苦笑を向けた。
「ごめんなさい。ソラはだらしないところがあるのですが、気にしないでください」
「い、いえ......私も突然来ちゃって失礼しました」
 琥珀は居心地の悪さを覚えながらもソファの上で居住まいを正した。
「いつでもお越しになっていただいていいんですよ。それで、ぼくに話、とは?」
「はい。......実は授業の履修について訊きたくて......」
「履修登録についてですね。......あ、そうだ。コーヒーかお茶かお持ちしましょうか?」
「え、いや、お構いなく」
「ご遠慮なさらずに。ぼくも喉が渇きましたから」
 永の上品な笑顔を見ると、琥珀はすぐにその好意に甘えたくなってしまった。
「じゃあ、コーヒーで......」
「ミルクと砂糖はどうしますか?」
「大丈夫です。私、コーヒーはブラックで飲むので」
「承知しました。ソラはどうしますか?」
「あたしもコーヒー。ミルクと砂糖たっぷりでね」
「はい。では、少々お待ちください」
 永は厨房に向かった。食器の音や水を入れる音が聞こえてくる。
 待っている間、ソラの方を見た。目を閉じていたが、寝てはいないだろう。
 ソラがミルクと砂糖を多めに頼んだのは少し意外だった。クールそうな外見だけど甘党なのかもしれない。
「何よ?」
 そんなことを考えていたら、視線に気づいたのかソラが片目を開けた。琥珀は少しびびる。
「あ、あの......桐谷先輩もここのギルドの人なんですよね?」
「当たり前でしょ」
 面倒くさそうに言いながら、ソラは長い髪の先をくるくると指に巻きつけた。
「他のメンバーはいないんですか?」
「三年生の先輩がいるけど、今は海外留学でいないのよ。で、あたしとあいつで運営するしかないわけ」
 ギルドは最低二人いれば結成できるから運営だけなら問題ないはずだ。二人の魔法少女としての実力がどれほどかは知らないけれど、本気で魔法総合戦を狙っているようには見えない。今のところは、だが。
「それよりあんた、月城......だっけ? どうして永と知り合ったのよ?」
「それは......」
 校舎で迷っていたら助けてもらったことと、ランニングをしていたらまた偶然再会したことをある程度ぼかしながら説明した。
「ま、出会いはどうでもいいんだけどね」
 だったら訊かないでよ、と琥珀は腹の中で突っ込んだ。
「覚悟はしといた方がいいわよ。永は馬鹿みたいなお節介焼きだし」
「お節介焼きとは心外です」
 見ると、永が三人分のカップを乗せた盆を持って戻ってきていた。琥珀の前にカップが置かれると、香ばしいコーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。
「冷めないうちにどうぞ」
 永は琥珀の向かいに座るとゆったりとした動作でカップに口をつけた。
 香りを鼻から吸い込みながら琥珀はコーヒーを口に入れる。
 その瞬間。
「にっがあっ?」
 激しくむせた。
 舌を刺し貫くような苦みが広がり、琥珀は身悶えした。コーヒーの代わりに液体兵器を入れたのかと思うほどの苦さに琥珀は床を転げ回りたくなった。
「ど、どうしました? 琥珀!」
 心から心配している顔で永が近寄ってくる。
「あーあ、ま、そうなると思ってたわ。はいこれ」
 いつの間に用意していたのか、ソラがパック入りの牛乳を琥珀に放った。琥珀は紙パックを取るとストローで牛乳を流しこんだ。
「大丈夫ですか? 少し苦めにしたのがよくなかったのでしょうか......」
(す、少しどころのレベルじゃない......!)
「悪いわね。永は味音痴なのよ。あたしは慣れっこだけど」
(いや、味音痴ってレベル超えてるからね? この人、味覚どうなってんの?)
 顔を青くした琥珀は、もう帰りたくなった......と涙目になるのであった。

 味覚が落ち着きを取り戻した頃に、琥珀は永と話ができた。授業の履修登録について不安があったのだが、永は丁寧に教えてくれた。永は真面目な性格らしく、単位が取りやすい授業よりも、多少は難しくても自分のためになる授業を教えてくれた。琥珀としては前者の授業の方がありがたいのだが、それは口に出さないでおいた。
「あ、でも、これは確か進学コースでは履修不可なんでしたね......」
 ウインドウ上に広がる講義要目を見ながら永は残念そうに言った。
「いえ、いいんです。なんか、私には難しそうでしたし......」
「では、この『想力演習Ⅱ』はどうですか? 本番の試合を想定したバトルを目指せます」
「いやあの、できれば私、演習の授業は少ない方が......」
 琥珀が控えめに声を出すと、永がふと真顔になった。
「魔法少女の力を伸ばすには取った方がいいと思いますけど」
「私、そういう力を伸ばしたいとは考えてないので......」
 何か癪に障ることを言ってしまったのだろうか、永の顔つきが厳しくなった。
「琥珀、ぼくは本当のことを言ってほしいと思います」
「な、何ですか。私はちゃんと本音を......」
 桐谷が言ったように、永はお節介焼きみたいだ。
 永からしたら純粋な好意なつもりなのかもしれないけれど、ありがた迷惑だ。
「本当にそう思ってるなら、どうしてこの学校に入ったのですか? 夜に変身をしている理由もわかりません」
「それは......」
 単なる進路だから。気分転換のためだから。
 そんな理由はある。これらを伝えれば永も引き下がるのかもしれない。
 なのに。
 どうしてだか、口が言うことを聞いてくれなかった。
 力をこめた、射貫くような永の視線に、言葉が出なくなっていた。
「ったく、面倒くさい女ね、あんたも」
 桐谷はわざとらしく溜息をつき、上体を起こしてソファに座り直した。冷めたような視線を琥珀に向けてくる。
「永の世話焼きも極端だけど、あんたの演技の下手さもびっくりだわ」
「ど、どういう意味ですか......」
 琥珀はむっとしたが、内心では動揺していた。
「ばればれなのよ。あんたが何かを納得しきれてないってことくらい。永はそれを教えてくれって言ってんの」
 琥珀は頬が引きつるのを感じた。
 どうして飛翔学園に入学したのか。
 どうして入学初日に出会った女の子を助けたのか。
 どうして夜になると変身していたのか。
 進路のため? 人を助けるのは当然だから? 気分転換になるから?
 違う。
 琥珀は一番しっくりくる理由を認めたくないがために、思考を遠回りさせていたのだ。
 そう。  琥珀は、魔法少女としての道を諦めきれていなかったのだ。
「琥珀」
 穏やかだが、凛とした声が琥珀の耳朶を打った。
「単純なお誘いです。ギルドに入りませんか?」
「どうして......私を?」
「貴女と一緒に魔法少女の道を歩みたいからです」
 あまりにシンプルすぎる理由だからだろうか。意志のこもったその声に琥珀は返事ができなかった。
「ねー永。こいつ、仮加入させたら?」
 ソラが琥珀を指差しながら言う。
「仮、加入......?」
 戸惑いながら訊き返したのは琥珀だった。
「そ。一週間だけの仮加入よ。永のことだから一週間でも色んなことを体験させてくれそうだけど......それでも、一週間よ。仮加入なら期間が過ぎれば脱退できるわ。あんたも永も、それならいいんじゃない?」
「ぼくはそれで差し支えありません」
 永の返事は早かった。
 正直なところ、琥珀はまだ気持ちの整理がついていなかった。だけどまあ......この妙に強引な先輩たちを納得させるには仮とはいっても加入はした方がいいのかもしれない。良くも悪くも個性が強そうな人たちと上手くやっていく自信などないけれど、誘いを断ればまた後にトラブルになるかもしれない。......仕方がない。
「わかりました。......じゃあ、一週間だけ」
 覚悟を決めて、琥珀はそう告げた。
 永はにっこりと笑みを浮かべ、
「ようこそ。ギルド『フォルトゥーナ』へ」
 と、心の底からの歓迎の意を示した。
(私は、歓迎してもらうほどの人じゃない......)
 琥珀は心の中でそう思いながら、どこか救われた気分になっている自分もいることに気づいた。
 ギルドには入りたくない。自信がないから。人に嫌われたくないから。
 そう思っていることも確かなのだ。
 ......だけどその一方で、臆病な自分を変えたい。まだ魔法少女の道を諦めたくない。誰かと一緒に頑張りたい。
 そんな風に願っていたことも確かなのかもしれない。
 わからない。どれが本当の気持ちかなんて。
 だから確かめる必要がある。本当に魔法少女に未練がないのか。ギルドが本当に嫌なのか。そのための一週間だ。
 琥珀は一週間だけのギルド仲間に向かって頭を下げた。

*

 琥珀が部屋を去った後。
「ありがとうございます、ソラ」
 永はソファに寝そべったままのソラに礼を言った。
「......お礼を言われるようなことはしてないけど」
「いいえ。ぼくだったら仮加入という話は思いつきませんでした。ソラが案を出してくれたから琥珀も納得してくれたんだと思います。ぼくのやり方は強引でした」
「強引っていう自覚はあんのね......」
 呆れ気味に言ったソラだが、永の顔にあるのは純粋な謝意だけ。
「月城を誘ったのは何でなの?」
「琥珀が困ってそうに見えたから。何かを我慢しているように見えたからです」
 予想通りの答え。
 永は人一倍他人の心の変化に敏感だった。良く言えば気遣いができる、悪いように捉えればうざったいともいえる。
 特にソラも永も同じ闇の魔法少女だから、琥珀がどんなことで悩んでいるのかわかったのかもしれない。
「相変わらずね、永は」
「はい? どういう意味ですか?」
 首を傾げた永に「別に」とだけ返すと、ソラは永に背を向けるように寝返りを打った。
 このお節介焼きの幼馴染にソラは助けられた。彼女の過剰ともいえるような好意が今も続いていることが、ソラとしては嬉しかった。口には出さないけれど。
「そろそろ帰りましょう、ソラ」
「......ん」
 本当の気持ちは隠したまま、ソラは気怠そうにソファから起き上がった。



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