誰が追憶は誰がために(四)

きなこもち



~とある神様の思い出語り~
 物心ついたときには神だった。兄上の元で大切にされ、兄上とは離れた東の神社に行くことが決定した時は辛くて仕方がなかったが、兄上の親友の音葉兄様には大層可愛がってもらった。音葉兄様は兄上と似ていたので安心感があった。
「あなたも俺の兄上ですか?」
 とつい聞いてしまうほどには。音葉兄様はそれを聞いて、一瞬驚いたが、すぐに困ったように笑って、
「じゃあ、僕のこと兄様って呼んでくれる?」
 と言ってくれた。いまだにそう呼んでいる。
 何不自由なく神として成長した。しかし、どうしてかつまらなかった。何かを忘れてしまっているような。何かが欠けているような。そんな気がしてならなかった。何かというより、誰かのことだと言うのは分かっていた。たまに、夢を見るのだ。誰かが泣きながら、俺が忘れてしまったことを責める夢。相手の顔も姿も、性別も分からない。何も分からない。それでも、その人が大事な人であることは分かった。そして、そこから、自分が神として生まれたものではないのではないかと考えた。
「人の魂を神にする方法はあるのですか?」
 俺は分からないことはすぐ音葉兄様に尋ねた。
「あるらしいけど、巳月様、一神様にしかその方法は分からないんだよ」
「一神様......。兄上に頼めば、お話できるだろうか」
 俺のその言葉に音葉兄様がクスっと笑って、
「君の望みであれば、巳月様も巳陽も、なんだって叶えるさ」
 なんて言ったのはよく記憶に残っている。
 そんな会話のすぐ後だった。当時はまだまだ数が多かったのだが、見える人間が現れた。
「相変わらずつまらなそうな顔していますね」
 仮にも神に対して随分と失礼だなと思わなかったわけではない。それ以上に『相変わらず』という言葉に引っかかった。その少年を注意深く見ていると、彼の霊力には神気が混ざっていることに気が付いた。完全な神でないことから、神と人の子であることは想像に容易い。しかも、随分と澄んだ霊力からは浄化の力も感じられた。堕ちたと思われているのかと心配したが、彼と過ごすうちにそれは杞憂であると分かった。
 彼は宣言通り、俺に面白さや愛しさを教えてくれた。彼には何故か懐かしさすら感じた。ひょっとしたら、夢に出てくるのはこの魂なのではないかと思い、夢の話を彼にしたが、彼は自分であるとは言わなかった。少し残念ではあったが、構わなかった。彼がいればいいと思った。眷属を欲しいと思ったことはなかったのだが、初めて欲しいと思った。
 しかし、そんな頃合いで彼が他の神社へ移ることになった。どこに行くかは教えてもらえなかった。
「僕のことは忘れてください。それでもまた会いに行きますから」
 その言葉に俺は何も言えなかった。彼が夢の中の人物であると確信した瞬間だった。彼は俺が彼を忘れられないことに気が付いたのだ。だからこそ、『忘れてくれ』と言ったのだと思った。
 俺は二度と忘れないと誓った。
*
「して、我に何の用だ? 巳陽には知らせずに」
「報告と聞きたいことがありまして」
「では、報告から聞こうかの」
 少年と別れてから俺は一神様に会いに行った。
「俺の呼び名の件です。冷(れい)と名乗ろうと思います。冷たいと書いて冷」
「ほう、ようやく決めたのか。巳陽がしびれを切らしておったぞ。もう少し遅かったらあやつが勝手につけておっただろうな。......『冷』ねえ。まあ、由来は聞かないでおいてやろう」
 脇息にもたれかかって、扇で口元を隠す姿は本当に美しい。目元が少しばかり下がっていることから、扇の下に隠れている口元はにんまりと笑っているのだろうがそれすらも美しいと感じてしまう。しかし、美しすぎて恐怖を覚える。兄上が懸想するのは分からないでもないが、俺はどうしても怖いと思ってしまう。
「聞きたいことがあるのですがよろしいですか?」
 こちらもからかわれてばかりでは面白くない。俺の言葉に何も言わない一神様に対し、沈黙は肯定と受け取り質問を投げる。
「俺を神にした代償は何だったのでしょうか、母上?」
 一神様は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに目元を緩めた。その顔は嬉しそうだった。
「さすがは巳陽が見つけ、育てた魂じゃ。いや、賢いものよ。よいよい、お主なら安心だなあ」
 そして、笑みを消し、真剣な表情と声色で言った。
「冷よ、これから話すこと、決して他言するでないぞ」
 俺が頷くと、一神様は話し始めた。
「神として生まれた訳ではない魂を神にできるのは我だけだ。正確に言うと、一神だけということだ。巳陽とお主も我が神にしたのだぞ。しかし、地上の神の数は限られておる。では、どうするか。分かるか?」
「誰かに高天原に行ってもらうか、誰かが消滅するか、ですよね?」
 俺の答えに一神様は頷く。
「お主の時は、お主が今いる神社にいた神が丁度高天原に行ってくれたのだ」
 一神様はそこでいったん口を閉じ、しばらくして口を開いた。
「巳陽はな、我が欲するあまり神にしてしまった哀れな存在じゃ。あやつの時は高天原に行ける神もいなくてな。どうしたものかと考えておったのじゃよ」
「結局どうなさったのですか?」
 こればっかりは俺も想像することはできず、一神様の答えを待った。一神様の口から出てきた答えは衝撃的だった。
「あやつの父神がな、自ら消滅を選んだ」
「え......」
「巳陽はな、とある神と、今でいう桜梅家の人間との間にできた魂だ。あやつの父神にはもう他に子がおってな。だから、あやつを神にしたいとも言い出せず、しかし心配で仕方なかったのだろう。加護をかけた上で我に護るよう頼んできた。だから、巳陽は我の守護だった時期もある」
 この時点で俺は嫌な予感がしていた。兄上と父神が同じ神がいるということは、その神は兄上と同じような神気を持っている神。そんな神を、俺は一柱だけ知っていた。
「まさか、その神の子って......」
 否定をしてほしかった。しかし、無情にも俺の予想は当たってしまった。
「ああ、六神、音葉だな」
「そんな......。兄上と音葉兄様はどこまで知っているのですか?」
「巳陽は音葉と兄弟であることまでは気が付いておるが父神の消滅理由までは気づいておらん。音葉の方はどこまで気づいているか分からんが、消滅の理由までは知らないだろう。これは、彼らの父神と我しか知らぬ事。つまり、今は我とお主しか知らぬこと。絶対に他言してくれるなよ。特に巳陽にな」
 一神様は真っすぐに俺の目を見た、その瞳から、一神様が兄上を大切にしていることが分かった。
「言いません、絶対に。だから、約束してください。兄上を悲しませないと。お二人で高天原に行くと」
「ああ、約束しよう。地上の神を統べる神、一神、巳月の名をもってな」
*
「お前は眷属をとらないのか?」
 久々に会った兄上は唐突にそんなことを聞いてきた。
「兄上、突然どうされたのですか? 俺は眷属をとるつもりはありませんよ」
 兄上は呆れ顔をする。
「無理強いしたいわけではないが、眷属をとらねば、十神以内に入るのも厳しいぞ」
「確かにそうですが......」
「お前は優秀なんだ。特に数百年前からのお前の働きは素晴らしい。誰か一人くらい眷属をとれば十神には簡単になれるだろうに」
 兄上はやけに強調してきた。そこで俺はようやく音葉兄様に言われたことを思い出した。
『巳陽はね、君に次の一神になってほしいんだよ。巳月様は望んで一神になったわけではないからね。でも、巳陽は馬鹿じゃない。なんたって知恵の神だ。君には無理だと察した時点で君への期待は切り捨てたはずさ。そんな巳陽が今でも君に期待をしているんだ。それがどういう意味か分かるよね。分かった上でどうしたいかは冷自身が決めなさい』
『冷が何を選択しても、君が僕たちの大切な弟であることは変わらない。だから、安心して自分の正しいと思うことをしなさい』
 そう言った音葉兄様の顔は優しかった。
 俺は、音葉兄様の言葉に背を押され、兄上に向き合った。
「俺は、ある魂以外は眷属にとるつもりはありません。ですが、眷属なしで十神に入って見せます。だから、安心して見ていてください、兄上」
 兄上は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んでくれた。
「分かった。期待しているからな」
*
 それからどれほどの時が経っただろうか。俺は努力した。本当に頑張ったと思う。他の神が眷属をとっても十神に入れないと嘆くのを横目に、俺は眷属なしで八神まで上り詰めたのだ。兄上も音葉兄様も褒めてくれた。一神様も褒めてくださった。
 そんな中のとある日だった。人もそこまで来てなくて、少し暇を持て余していた。人の願いを聞き、叶えられそうなら叶える手はずを整えるという日常的なことをしている時に彼女は来た。色素の薄い長い髪をさらりと風に揺らす姿に何故か目を奪われた。少しじっと見ていたら目が合った、気がした。目の前に出ると、驚いた顔をしたので、俺のことが見えていると確信した。
「俺が見えるのか? 珍しいこともあるものだ」
 聞けば桜梅家の人間だという。いつからか西の神しか守護しなくなった家系だと記憶していた。少女は『鈴』と名乗った。ただの旅行だったらしく、帰り際に挨拶に来てくれた。その時、少女が兄上の神社で守護をしていると知った。だから、俺は彼女に目を奪われたのだろうと思った。彼女は東にも桜梅家の人間が来るよう家に掛け合ってくれると言った。叶うことはないのだろうが、その心遣いが嬉しかった。
 その少女『鈴』とはすぐに再会した『鈴』が俺の神社の守護になったのだ。『鈴』と過ごす日々はとても楽しかった。『鈴』もまた、神と人の子だった。神気が混ざっているのが感じ取れた。浄化の力も持ち合わせていた。まるで、あの時の少年のようだった。
 事実、『鈴』はあの少年の生まれ変わりだった。それに気が付いたのはいつだったか。『鈴』が来て一年ほど経った時だっただろうか。『鈴』は俺の神社に迷い込んでしまった小さな霊を浄化してやっていた。そういったことはしばしあったので気にしていなかった。しかし、その霊は少しばかり未練が強く、『鈴』は少しだけ神気を使ったのだ。その時の神気が、あの少年と全く同じだった。少年も一度だけ神気を使ったことがあったのでよく覚えていた。『鈴』があの少年の生まれ変わりであると気づいたときは素直に嬉しかった。それと同時にどうして言ってくれなかったのか分からなかった。神の血を受け継ぐものは生まれ変わっても記憶を受け継ぐはずだ。そう思って、俺は『鈴』にわざと少年との思い出話をした。ひょっとしたら、言い出せなかっただけなのかもしれないと思ったからだ。『鈴』はそれでも何も言わなかった。それどころか、その魂の幸せを祈る言葉さえ言ってのけた。自分は違いますよと言わんばかりに。寂しく思わなかったわけではない。だが、『鈴』が黙っていることを望むなら俺も気が付かない振りをしようと思った。『鈴』が隣で笑っていてくれればそれでよかったから。
 それなのに、『鈴』は記憶をなくしていった。俺との記憶だけを。どうして、どうして、と思わずにいられなかった。何かしらの術によるものだとは分かったが、それ以上何も分からなかった。止めるすべがなかった。そして、『鈴』は俺との記憶どころか名前まで忘れてしまった。
 『鈴』は記憶をなくす前に、眷属にしてくれと頼んできた。おそらく、混乱していたのだろう。名前を忘れてしまう恐怖で、口走ってしまったのだと思うのだが、どうにもそれだけだと言い切れない自分がいた。『鈴』は冷静だった。いや、他の者が見たら十分取り乱しているように見えるのだから、取り乱しているように振舞っているように見えたという方が正しいだろうか。取り乱しているはずなのに、『鈴』の瞳には絶望の色が見えなかった。確かな何かを持った上で眷属にしてくれと言ったような感じだった。俺の想像が正しければ、あれは俺が『鈴』を眷属にしてしまうかを試していたと思う。そして、眷属にしないと分かっていたのだとも思うのだ。彼女は記憶をなくしてしまったので、もう確かめるすべはないのだが。
 丁度、その後神在月になったから、俺は一神様の元へ向かった。そこで俺は『鈴』の記憶を奪ったのは音葉兄様だと知らされた。どうして、音葉兄様がそんなことをするのか一切分からなかった。確かに、ここ最近、昔ほどの頻度で音葉兄様には会っていなかった。会うときも、突然呼ばれて、しかも神域には入れてもらえなかった。何か関係があるのだろうか。そんな疑問と不安が一気に押し寄せてくる。それと同時に、一神様は、『鈴』の記憶を戻すには眷属にするしかないという非情な現実を突き付けてくる。しかし、俺は一神様に対して疑問を覚えた。兄上からは見えないようにしているが、一神様と二人で会うときにだけしてくる、いたずらっ子のような目をしていたのだ。何か企んでいる。それだけは察した。
 俺は自分の神社に戻ってから、物事を冷静に考えた。よく考えたら色々とおかしいのだ。兄上が、『鈴』の記憶の原因を知っているのもおかしいし、あの二柱がここまで人間に干渉するのも変だ。『鈴』の記憶に関して、一神様も兄上も何か隠している。それだけは分かる。記憶に関して必死に調べた。記憶に関する術式についても。しかし、特別な解決策は見つからなかった。そんな風にして日々を過ごしている時、それは来た。隠してはいるが、兄上の神気をほんの僅かばかり纏っている鳥だった。ああ、何かが始まるんだなと思った。
 案の定、『鈴』が動いた。『鈴』は少年『怜斗』の振りをしていた。『怜斗』になりきった上で、桜梅家の秘密を教えてくれた。何故、彼女は『怜斗』の振りをしているのかは何となく予想がついた。彼女は勘違いをしている。俺が『鈴』よりも『怜斗』の方を好んでいるという勘違いだ。させてしまった俺も俺だが、どうしてそんな勘違いをしたのかは一切分からない。だが、とりあえず気づいていない振りをした。そして、『怜斗』と共に音葉兄様の神社に向かった。
 神社に着くと、そこには既に一神様と兄上がいた。『鈴』の行動に驚いていたが、すぐに合わせていた。音葉兄様の神域に入る前に兄上に厄除けの腕輪を渡された。そこで俺はようやく全てを察したのだ。『鈴』の記憶を奪ったのは確かに音葉兄様だが、それを計画したのは兄上と彼女だ。記憶を使い、俺の神の力を引き上げた後、彼女を俺の眷属にして、彼女に音葉兄様を浄化させるつもりなのだ。そして、これは試練。俺に物事を見極める力があるか。情に流されず、自分で考えた上で動けるか。一神様は俺を試している。どっちに転ぼうと音葉兄様を浄化できることには変わらない。これ以上ない条件だろう。なら、全力でこの茶番に乗るべきだと思った。まあ、兄上と『鈴』にとっては茶番などではないのだが。
 俺が全てに気づいていたことを明かしたのは一神様だった。兄上と『鈴』は驚いたような顔をしていたが、一神様は満足げだった。そして、まだ何かあるなと思った。
 音葉兄様の浄化は無事に終わった。この一連の流れで、一神様と『鈴』はやたら眷属に関して言ってきた。彼女は消極的で、一神様は積極的だった。『鈴』は異様に眷属になることを躊躇っていた。彼女の望まぬことをしようとは思わないからいいのだが、少しだけ引っかかった。仮にも記憶を失う直前に懇願してきたのにどうしてここまで頑なに拒否をするのか。そして、どうして一神様はここまで煽ってくるのか。さすがにこればかりはどっちに従えばいいのか分からなかったので、『鈴』の方についた。一神様の思い通りにいくのは少し癪だったからだ。
 まあ、結論から言うと、どっちに転んでも一神様の思うつぼだったわけだが。一神様と『鈴』の賭けはなんともまあ、不毛なもので。結局、一神様と兄上の仲を深めるだけのようなものだった。それなのに一神様は少しだけ辛そうだった。兄上は本当のことを知らないのだ。いくら兄上のためとはいえ、一神様は兄上の父神の消滅を止められなかったことを悔いている。そして、それを兄上に知られて責められることも恐れているのだ。だから、俺はその場では何も言わなかった。それに関しては一神様に従おうと決めた。だって、兄上を一番幸せにできるのは一神様だって分かっていたから。
 音葉兄様の神域から出て、俺は『鈴』を眷属から解放した。彼女が望んだからだ。彼女は家に戻って、新たな守護をよこすと言った。俺が一神になるから、守護は変わったほうがいいだろうと理由をつけて。正直、忙しくて詳しいことは覚えていないが、ただ何となく、彼女は帰ってきてくれるって分かっていた。自分の神社に戻ると、溜まっていた願いを叶えなければならないし、なんだかんだ決まってしまった、一神になる準備もしなければならないし。そんな中、一神様、いや、もう巳月様と呼んだ方がいいだろう。巳月様に呼び出された。巳月様は俺に礼を言ってきた。兄上に全てを黙っていたことに対して。俺としては兄上が幸せになればいいから、兄上と音葉兄様の父神のことは未来永劫、他言するつもりはないのだが。それと、二柱が高天原に行ってしまうということで、新たな二柱はどうするのか教えてもらった。一柱は音葉兄様の子にすると。そして、もう一柱はしばらく空けておくのだと、昔と変わらないいたずら好きの笑みで言った。俺は呆れてしまった。まったく、これで俺が神嫁をとらなかったらどうするつもりだろうと思った。
 巳月様との話が終わって、自分の神社に戻ると、巫女装束に身を包んだ女性がいた。その女性は聞きなれた声で挨拶をしてきた。そして、
「ただいま、冷」
 と微笑む女性に俺は涙が出そうになった。彼女は俺の手を彼女の心臓部に当てて言った。
「私の名前は、令(れい)と言います。鈴とか冷たいの右側の字を書いて令。私をあなたの神嫁にしてくださいませんか?」
 彼女は、令は俺に魂の名をくれたんだ。俺は令に最後の確認をした。魂の名を神に渡してしまえば、眷属からの解放も、輪廻転生の理に戻ることもできなくなる。魂の消滅までも神に握られる。それでも令は否定しなかった。俺の神嫁になることを望んだ。俺はようやく令を本当の神嫁にして、永遠に一緒にいられることができた。

*

「これが俺と令の話だ。こんな話聞いて楽しかったか?」
「だって、これでもう、会う機会も少なくなってしまうでしょう? その前に父様と母様の話を聞いておきたくて。というか、巳陽様と音葉様の父神様のお話を僕にしてしまってよかったのですか?」
「お前は現一神、冷の子だ。知っていてしかるべきだろう。神ならざる者を神にするときの代償を理解しておくべきだ」
「僕が一神になれるとは思えないんだけどなあ」
 大分成長したとはいえ、まだ少しばかり幼さの残る顔で呟く我が子に冷は微笑んだ。
「全く、子の成長とは早いものだなあ」
 冷はしみじみと言う。
「僕としてはようやく独り立ちって感じなんですけどね。やはり、感覚の違いでしょうか」
 クスクスと笑う。冷はその子が愛しくて仕方なかった。
「巳玲(みれい)。君が就く神社は、巳月様のいた神社だ。君は俺の神社にいる頃から人を幸せにしてきていたから心配はしていないが、あの方の跡を継ぐつもりでいなさい。決して、あの神社の名誉を汚すことはしないでくれよ」
 巳玲と呼ばれたその子はその言葉に先ほどまでの笑みを消し真剣な表情をした。
「はい。父様や母様、巳月様や巳陽様、それに音葉様に恥をかかせないように、一生懸命取り組むつもりです。だから、そんなに心配しないでください」
 はっきりと言ってのける我が子に冷は嬉しさと寂しさを覚えるのだ。
「巳玲、俺と令はいつだってお前の味方だ。だから、安心して行っておいで」
「はい!」
 立ち上がった巳玲は振り返って冷に言った。
「父様、今までありがとうございました。僕も父様みたくなれるように頑張りますね」
 冷は泣きたくなるほど幸せだった。実際、冷の瞳には涙が浮かんでいる。
「令にも挨拶していきなさい。あれで結構心配しているから」
「当然ですよ。母様のことも幸せにしていかないと」
 そう言い残し、トタトタと駆けていく幸せの神を冷は静かに見送った。その神が贈ってくれた幸せを噛み締めながら。


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