とあるオタクな二人の話

きなこもち


 
 歴史に関する地を巡るのが好きだ。
昔から両親に連れられて色々なところに行ったことがある影響だと思う。両親は歴史が好きというわけではなく、ただ単に、旅行が好きな人たちだ。今でも、僕と兄を放って二人で旅行に行くくらいだ。でも、両親の良いところは、行く場所にこれと言った偏りがなかったことだろう。動物園や水族館などの幼い子供が楽しめるような場所から、寺社仏閣や歴史資料館などにも連行された。そう言った影響からか、僕も外に出るのが好きだ。
もう一度言う。歴史に関する地を巡るのが好きだ。
親の影響で、元々フラフラと遊ぶのが好きだった人間に、目的ができてしまったのだ。
『今年の正倉院展は何をするのかな』
 そう、大学に入って、バイトをして、自由度も増したときにできてしまった自分の趣味こそ、歴史に関する地を巡ることだ。別に、特別こだわりがあるわけではない。とある戦国武将の野望をやりこんでいるだとか、戦艦オタクだとか、刀剣なんちゃらというわけではない。ただ単に、何年も前の物が残っているということに心惹かれるのだ。だから、博物館はもちろん、資料館も美術館も行く。寺社仏閣も当然のように行くし、恐竜展とかも好きだ。
 でも、やはり行く機会が多いのは博物館だ。一番お世話になっているのは国立博物館だろう。四つあるうちの博物館でさらにお世話になっているのは、常設展なら東京、特別展なら京都というところだ。
「あー、僕、日本に生まれてよかった」
「また、変なこと言ってる」
 僕のぼやきに突っ込んでくれるのは大学でできた友人で、よく僕の弾丸ツアーに付き合ってくれる女の子だ。
「いや、日本って素晴らしい国だよ。ていうか、徳川万歳。あの鎖国のおかげで日本の固有の文化ができたと言っても過言ではない」
「はいはい。諸説あるからね。鎖国の前から日本には日本独自の文化があったんだから何とも言えないと思うなあ」
「高橋はすぐそういうこと言う」
 彼女......、高橋は僕の趣味に引かずに付き合ってくれる貴重な人材だ。感謝しかない。
「大樹だってそうでしょ。まあ、いいけれど。次はどこ行くの?」
「テスト終わったら、奈良に行こうと思ってる」
「あれ、正倉院展はまだ先でしょう?」
「そうだけど、奈良博に行きたい。建物が重文って尊敬しかない。マジで最高。あの建物見ただけで満足できる」
「どうせ、中に入るでしょ? ついでに東大寺とかも行くんじゃないの?」
「当然だろう。僕は国立博物館のメンバーズパスを買ってるからね」
 ドヤ顔でメンバーズパスを見せる僕に、呆れ顔の高橋。
「はいはい。ていうか、私もあなたに合わせて買ったから」
 そう言いながら、スマホケースの学生証と同じところに入れているあたり、こいつも同類だろう。
 あっ、と声を上げた高橋を見たら、メンバーズパスを見せながら僕に聞く。
「今週、東博の庭園見にいかない? もうすぐ春の庭園開放終わっちゃうし」
「桜の時期にも見に行ったじゃないか」
「いっつも高いお金払って、色々なところに付き合ってるんだから、近場の東博くらい付き合いなさいよ」
 まあ、断るはずがないのだが。
「日曜ならいいよ。どうせ暇だし」
「おっけー、じゃあ、いつものところに、いつもの時間ね」
 高橋はそう言い残して、女子の方に去っていった。あいつ、結構女子の中心にいるような陽キャ、もっと言えばパリピなのに、なんで僕にあっちこっち付き合ってくれるんだろう。まあ、同じ趣味の友人は欲しいから、何でもいいか。

「うげ、人多いなあ」
「まあ、仕方ないよね。上野だし。それに、国立博物館はその国の文化を知るには手っ取り早くていいと思う。だから、外国人観光客も多いんだと思うよ」
「ふーん。あ、私、あそこが開いてるの初めて見た」
「本当だ」
 普段は扉が閉まっていて、もはや扉は飾りで開かないと思っていたところが開いていた。
「貴賓室ねえ。ここ部屋だったんだね」
 高橋が驚きの声を上げる。
「僕も知らなかった」
「貴賓室って言うと、皇族の方や、他国の王族とか、政治的に偉い人のための部屋だよね?」
 高橋が聞いてくるから、僕は頷く。
「あ、でも、この部屋新しいね。できたの昭和だって」
 部屋の前に置かれた解説文を高橋は読んでいた。僕はそれを読んでから、貴賓室の写真を撮らせてもらった。うん、綺麗。
「この部屋見られるとか、高橋には感謝しかない」
「もっと感謝していいんだよ。さあ、展示室に行こうじゃないか!」
 嬉々として僕の腕を掴み、第一展示室に向かう。時代の流れに沿って展示されるのが二階。それぞれのジャンルごと(漆工、金工等)に展示されているのが一階。国立博物館は定期的に展示物が変わるからいつ来ても飽きない。ここに住みたい。
 時間をかけて二階を回ってから一階に降りる。一階の途中に庭園にでる場所があるが、ここから出てしまうと、正面玄関からしか入れなくなってしまうので、一旦全部展示室を回ってから、逆走する形をとって、庭園に出た。
「やっぱり、この時期も綺麗だよね」
 庭園は緑が茂っていて、とても綺麗だった。天気が良かったのもあって、最高だ。
「うん、桜もいいけど、緑もいいね」
「でしょー。庭園って言うと、春とか秋って言われるけれど、今くらいの、春の終わりの庭園も好きなんだ」
 嬉しそうに笑う高橋に、僕は思わず何かを言いそうになった。
 でも、言葉が見つからなくて、結局何も言えなかった。
「次はいつにする?」
 行くことが当然のように高橋が聞いてくる。
「決めてないけど、また付き合ってよ。高橋と来るのは楽しいから」
 僕がそう言うと、高橋は驚いたように目を見開いたあと、
「もちろんだよ」
 と言って笑ってくれた。

*

「久しぶり」
 大学の時よりも少しだけ大人びた横顔で高橋が笑う。
 大学を卒業しても僕たちはこうして一緒に出掛けていた。僕は院に進み、高橋は大学を卒業して地元で公務員になっていた。
「最後の学生生活はどう?」
「別に普通。教授に言われたことして、論文書いて、バイトして。同じこと繰り返して一日が終わってく」
「あんまり旅行はしてないの?」
「さすがに大学生の時ほどしてないな。結構忙しい。まあでも、就職も決まったし、社会人になるまでは少し旅行したい」
 僕の言葉に高橋は、そうなんだ、と呟いた。二人でメンバーズパスを出して博物館の中に入る。
 大学生の時は毎日っていうくらい会っていたのに、環境が変わると会うのが難しくなった。僕はまだ時間を作りやすいけど、社会人になった高橋は結構忙しいらしく、予定が合わないことも多かった。来年の春からは僕も社会人だから、もっと会えなくなるんだろう。
 ていうか、こいつ、僕なんかと遊んでていいのか?
「高橋はさ、彼氏とかいないの?」
「えっ」
 まさかそんなこと聞かれるとは思ってもいなかったかのような顔をして高橋は僕を見つめてきた。
「あ、いや。社会人になってまで僕と会ってて大丈夫なのかなって。彼氏とかいたら、僕と会ってたらまずいと思ってさ」
 何故か言い訳のようになってしまった言い分に、高橋は笑いながら答えてくれた。
「いないいない。彼氏がいたら大樹とここに来たりしないって。由梨とか、大学の子にたまに会うといっつも同じこと聞かれるんだけれど、いないってそんなにヤバいのかな」
 久しぶりに聞いた気がする名前。高橋とよく一緒にいた人だったっけ。まあ、僕はほとんど関わりなかったから覚えてないけど。
「別にヤバくはないんじゃない。でも、高橋、パリピだし、モテそうなのにね」
「中々に失礼だな。パリピじゃないし。うーんでも、なんか、しつこい同僚はいるよ。面倒くさい。今度、京都に付き合ってよ。縁切り神社で彼との縁を切りたい」
 真顔で言ってのける高橋は、大学の頃と変わってなくて少し安心した。
「そういう大樹こそ、彼女いないの?」
「いたら高橋とここには来ないかな」
「学生証使えば彼女できそうだけれど」
 結構最低なこと言ったぞこいつ。
「中原って覚えてる?」
「ああ、特定の教科では最高点叩きだすのに、特定の教科では再試対象になる変わった人だよね」
「認識が酷いけど間違ってはない。あいつに合コンの数合わせで連れていかれることがあるんだけどさ」
「うん」
 僕たちは展示物を見ながら、互いに視線を交えることなく話続ける。
「大学生の高橋をもう少し化粧濃い目にした感じの子が多いんだけどさ」
「あんたが女の子に興味ないのが伝わってきたけれど、それで」
「好きなこととかありますかって聞かれるから、旅行が好きですって答えるわけだ。すると、私も好きなんですよって言ってくれるから少し嬉しくなるだろ」
 高橋は相槌を打ちながら、展示されている国宝を単眼鏡で細部まで見ている。もう立派なガチ勢だ。
「どこが好きですかって聞かれるから、よく博物館の特別展とかを見に行きますって言った途端、ドン引きしてくんの。聞いたくせに失礼だと思うんだ。ああいう女子って何て答えれば満足すんの?」
 高橋は単眼鏡を離すことなく、答える。
「多分、京都とか、奈良とか、有名でお洒落な観光地を言ってほしいんだと思うよ。今度一緒に行きましょうって誘いやすいし」
「ふーん。興味ねえなあ」
 高橋は単眼鏡から目を離し、僕を見つめてきた。
「京都で縁切り神社行った後、清水行こうか。地主神社行って、音羽の滝で恋愛の水を飲もう」
「それはありだね。ついでに京博もいこうか」
「だったら、特別展の時期に合わせて行こう。今年も大規模展示してくれるって信じてるんだ。去年の刀剣展示も、一昨年の国宝展も良かったし。京博は特別展に力を入れてくれるから好き」
 そう言って笑う高橋は、やはり大人っぽくなったと思う。社会人になったからだろうか。
 いつもと同じように、二階から回って、一階に降りて、一階の展示を見る。でも、今回は庭園が開放されていないので、一階の途中で庭園を眺めるためにテラスに出る。
「ここから見られる庭園も十分綺麗だよね。私、東博だと、ここが一番好きだなあ」
 庭園が開放されていないときは、テラスにだけ出ることができ、そこから庭を眺めることができる。庭園の一番綺麗なところはテラスから一望できるので、庭園が開放されていても、実際庭園に出る人はあまり多くない。それでも、庭園が開放されていれば、高橋は絶対庭園に出たがる。
 僕は本当は知ってる。
「高橋ってさ、実はそんなに博物館も文化財も歴史も興味なかっただろ?」
「なんで?」
 高橋はこちらに視線を向けることなく質問に質問で返してきた。
「高橋と初めて東博の庭園に来た時に、すっげえ嬉しそうな顔してたの印象的だったから。今でこそ、かなり時間かけて展示物見て回るけどさ、初めのうちは早く庭に行きたくてうずうずしてたの丸分かりだったし」
「とか言う割に、展示物見るペースを速めたりはしなかったよね」
「まあね」
 クスクスと笑いながら、お互いに思い出に耽る。長いこと無視していた思いの答え合わせだ。
「結構早い段階でバレてたんだね。まあ、いいけれど。大樹の言う通り、最初のうちはそんなに文化財とかは興味なかったんだ。歴史も興味なかったしね。まあ、あの学部にいて歴史に興味ないなんて珍しくもないっていうか普通だし。でも、大樹に付き合っていたのはなんていうか、利害の一致? かな?」
 僕は何も言わずに高橋に先を促した。
「私は、庭園とかを見るのが好きなんだよね。神社とかお寺の。メジャーなところは一緒に行ってくれる女の子もいるけれど、女の子とだと、ご飯とか気を使わないといけないし。大樹だとそういうの気にしなくていいし、割とマイナーなところも喜んで付き合ってくれるし、スニーカーでいいし」
 高橋はスニーカーのつま先でトントンと地を蹴った。
「私が大樹といたのはそういう理由かな。でも、大樹といるうちに博物館とか、歴史も楽しくなったし、今は感謝してるよ」
 そこまで言うと、今度は大樹の番だよ、と僕に話を促してきた。
「僕は別に何も考えてなかったな。ま、高橋と同じで利害の一致なんじゃないか? ドン引きせずに趣味に付き合ってくれる友人が欲しくて、それが高橋だったんだよ」
 高橋は庭園を眺めながら呟く。
「じゃあ、誰でも良かったんだ」
 色々な感情が混ざったような声だった。
「それはお互い様だろ」
 存外、僕も似たような、色々な想いが混ざったまま言ってしまった。
「でも、高橋と遊ぶのは楽しかったよ」
 学生時代の、それこそこの場所で同じようなことを言った。高橋に何かを言おうと思って、見つからなくて、絞り出した言葉だと思っていたが、僕にとってこれは変えようのない真実で、きっと、何度伝えても伝えきれない言葉だ。
「今までありがとう、高橋。ずっと付き合ってくれて」
 高橋はこっちを見ない。庭を見つめたままだ。
「僕も春から社会人で、きっともっと会えなくなるんだと思う。高橋に彼氏とかできたら絶対無理だろうし。でも、それまでは付き合ってくれたら嬉しい」
 我ながらおかしなことを言っている自覚はある。でも、仕方のないことだろう。高橋だってそのうち、彼氏を作って、結婚して、子どももできるかもしれない。さすがにそうなった時に、会おうと言えるほど僕は図々しくも、世間知らずでもない。
 僕の言葉に、高橋は漸くこっちを向いた。緊張してるような、どこか強張った表情で。
「こちらこそ、ずっと付き合ってくれててありがとう」
 ここで終われば、ハッピーエンド。学生時代の綺麗な思い出。
 のはずだった。
「ねえ、大樹。結婚しようか」
「はあ?」
 訳が分からなかった。何言ってんだこの女。
「お前何言ってんの」
「何って、結婚の交渉」
「結婚って付き合ってもねえじゃん」
「あれだけ二人で遊んだし、泊りがけで旅行とかも行ったじゃん」
「部屋は別だけどな」
「ていうか、今更付き合うとか無理じゃない?」
「まあ、そうだけど。だったら、結婚とかも無理だろ」
 僕の否定に高橋は腕を組んで呻った。
「恋愛はね、好きな人とするんだって。だから、大樹と恋愛は無理なんだよ。でも、結婚は嫌いにならない人とするんだって。それなら大樹とできる気がする。大樹だって、私のこと、好きにはならなくとも、嫌いにはならないでしょ?」
 絶妙に否定しがたいところを突いてきたなこの女。
 ていうか、清水の話はどこ行った。
「否定はしないけど。でも、なんで急に?」
「うーん......。なんていうか、もし、お互いに恋人ができてもう会えなくなったとしたら、それは寂しいなって思ったから」
 それは確かに。僕自身、高橋に会えなくなるのは何となくつまらない。
「私も働いてるし、生活費とか、旅費とかは全部折半しよう。大樹に依存はしない」
「結婚の意味とは」
「趣味仲間の確保?」
 真顔でそんなこと言うもんだから、思わず笑ってしまった。
「僕の方が収入多くなるけど、本当に全部折半でいいの?」
 クスクスと笑いながらそんなことを聞いてしまった。これでは、結婚自体は了承してるようなものだ。でも、もう、否定する気も起きない。
「これだから、未来の国家公務員様は。言うことが違いますねえ。だったら、結婚式のお金を七三にしよう。私、神社で結婚したい」
「こんな適当な結婚を、神の前に誓うの?」
「別にいいじゃない。ダメだったら、神様がそこで別れさせてくれるよ」
 学生時代から、高橋の言うことは突拍子もないことが多かった。今回は最たる例になるだろう。
「まあ、いいんじゃね。僕も、趣味仲間は確保したい」
「よし、決まりだね」
 こんなんでいいのか、僕の人生は。ただまあ、目の前で笑う高橋を見てると、別にいいかとか思ってしまう。神社で結納をするなら、高橋の言う通り、最悪神が別れさせてくれるだろう。
 僕たちはそこまで話すと、テラスから中に戻って、残りの展示を見て回る。いつも通り、ミュージアムショップを冷かして博物館を出た。開館と同時に入っても、長居をし過ぎるせいで、他のところを回るほどの時間はない。パンダだけを見られるか否かくらいだ。それでも、空はまだ明るい。
 いつもなら、駅で別の電車に乗って別れる。
「飯でも食って帰ろうか」
 そう言ってしまったのは、なんだかんだ浮かれていたからか。
「そうだね。社会人である私が奢ってあげよう!」
 せっかくだから奢られておこう。
 僕たちは初めて、駅で同じ電車に乗り込んだ。


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