Calling 

七鹿凪々



 とにかく、眠かった。
 時刻は午前三時、場は公道。俺たちはちょっとした旅行で行った東京から岡山に帰る道程だ。既に岡山に入っているはずなのだが、暗い道と眠い頭が俺の頭のはたらきを邪魔するせいで、たぶん今岡山にいるだろうくらいしか認識できない。
「なあ、やっぱ運転替わってくれや。俺はもうダメだわ」
 助手席に座っている小林に話しかける。
 返事がない。
「おいコラ! 事故ったらお前も一緒にお陀仏なんだぞ!」
 返事がない。
 横を向くと、小林は寝ていやがった。ため息が漏れる。こいつのことだ、まず起きない。
 畜生、やってられるか。
 窓を開け、タバコを一本取り出し咥える。ハンドルを片手で操り、ライターを探す。どこにやったか。
 気づけば、苛立ちを抑えるために探していたライターが苛立ちの発生源になっている。
 全く、今日はツイてない。
 道路に細かく気を配りながら、ライターを探す。気づけば眠気も覚めていた。ポケット。ない。カバンの中。ない。床下......あった。
 問題は、床下だと前を確認しながら取れないことだ。慎重にタイミングを計り、周りに車がいない瞬間を狙う。
 今だ。すっと屈み、手をブレーキ横にまで持っていく。取れた。と、その瞬間。
 ガンッ、と鈍い音に加え衝撃が体を揺らす。慌ててブレーキを踏む。甲高い音をたてて車が前進するスピードを抑えながらやがて止まる。
 嘘だろ、直線道路だったし、俺ら以外の車は周りになかったぞ。
 まさか......歩行者?
「なあ、これはどういうことだよカッちゃん」
 小林が起きていた。あいつを起こすほどの音と衝撃だったか。
「どーもこーもねーよ。何かにぶつかっちまった」
「え? 轢いたのか」
「轢いたなんて言ってないだろ。何かにぶつかったんだよ」
「その何かが人間だったり犬だったりすると轢いたって言うんだよ。間抜け」
「あーはいはい、わかりやしたよ。今俺が人を轢いたんじゃねーっつう証拠掴んできてやるよ」
 シートベルトを外し、ドアを開ける。チッ、思ったより暗い。車のヘッドライトだけで大丈夫か疑問に思い、ケータイのライトもつけて周りをくるくる見回す。
 数メートル先に街灯。一応舗装されている道路。ガードレールに傷はない。ガードレール横にあるのはゴミ捨て場だろうか? コンクリとネットで構築された虚しい空間が少し広がっている。
 ゆっくりと探し回り、ようやくぶつかったものを発見した。タイヤ近くに少し汚れた西洋人形が転がっていたのだ。蒼い瞳に金のウェーブがかかった髪。しっかりしたつくりの体からはいかにも高そうな感じがする。人が人ならば好みそうな人形だが、
「なんだこりゃ、薄気味わりぃ......」
としか口から出てこなかった。よく見れば泥で髪や顔はぐちゃぐちゃであり、おまけに左腕がもげている。付け根辺りに擦過痕があることから、十中八九さっきの衝撃はこいつだ。そう思うと無性にイライラしてきた。
 ツカツカとゴミ捨て場に歩み寄り、人形をネットめがけてぶん投げる。
 少しはすっきりした。
 車に戻る。
「で、何轢いた?」
「まだ言い張るか。いや......人形は轢いたうちに入るのか」
「へ? 人形?」
 キーは入れっぱなしだったので、ドアだけ閉めて出発する。走らせてから窓が開いていることに気づき、更に自分がタバコを吸おうとしてたことを思いだした。
 ライターを着火し、咥えたタバコに火をつける。
「私がタバコの臭いが嫌いなの知ってる?」
「知っているが?」
「消せってことだよ。わざわざ言わせんな」
「消す気はないってことだよ。わざわざ言わせんな」
「人形を轢いた奴が偉そうに」
 そんなくだらない話を続けていると、家に着いた。駐車場にパパッと止める。
「着いたぞ。さっさと降りろ」
「何が悲しくて野郎の家に泊まるんだろうな。私」
「うるせえ。嫌ならその辺で寝てろ」
「わたしゃ可憐な乙女だぞー。もっと大事に......うん?」
 小林のケータイが鳴りだした。クソダサい着信音が夜の住宅音に響く。
「はーい、小林ですー」
 ザザザとケータイからかなり大きな音がする。あの野郎、常にケータイをスピーカーモードにして生きているのか。
『わ、わわわわわわわわわわ』
「うん? 何だこりゃ。故障か?」
『わわ......わたし、メリーさん。今ゴミ捨て場にいるの』
 変な声が変なことをしゃべっている。声にはエコーがかかり、どこか無機質な感じがする。
「なあ、カッちゃん」
「何?」
「電話切れたわ」
「今のお前の知り合い?」
「そんなわけあるか。いたずらだろ、どーせ」
 いたずらにしては気合が入りすぎてないか?
 ......眠い。考えるのが面倒くさい。
「そうだな、さっさと家帰って寝るぞ」
「きゃー犯されるー」
「気色悪いこと言うな。ぶっ殺すぞ」
 階段を上り、廊下の突き当りまで進む。鍵をポケットから探し、適当なものを鍵穴に突っ込む。
「さっさと上がれ」
「うぃー、お邪魔しますっと」
 扉を閉める。
 瞬間、さっきのいたずら電話が頭をよぎる。鍵を閉め、普段は使わないチェーンをかける。
 その時、俺のケータイが鳴りだした。
 さっきのイタズラ電話を思い出す。恐る恐る、電話に出る。
「もしもし......雁屋(かりや)ですが」
『もしもし、わたしメリーさん』
 あの無機質な声だ。
「......またお前か。目的はなんだ、ええ?」
『今、車のそばにいるの』
 俺の質問は無視し、言いたいことは全て言ったかのように電話を切りやがった。
 チッ、薄気味わりぃ。
 なあに、ただのタチの悪いイタズラだ。そう考えても、頭のどこかで不安を感じる。
 恐る恐る窓のカーテンを引き、階下の駐車場を見る。なんてことはない、自分の車が......
 瞬間。窓が割れ、俺は壁に吹っ飛ばされた。
「がっ......」
「えっ、どうしたんカッちゃん!」
 ガラスが割れた窓に目をやると、窓枠に何かが立っていた。そいつはぬいぐるみほどの大きさで、片手は何かを耳に当てるために使っており、片手には月光を反射して鈍く光る何かを持っている。顔を伏せているため、正体がよくわからない。つくりはどことなく西洋人形のようにも思える。
 緊張した空気の中、小林のケータイが鳴った。
「クソッ、誰だよこんな時に!」
そう言いながらも小林は電話に出たようだ。
「それ、多分出る必要なかったぞ」
「は?」
 窓枠に立っている何かはまだ手を耳元に当てている。

 まるで誰かに電話をかけているように。

 何かは伏せていた顔をぐるりとこちらに向けた。
「『ふふふふふふふふふふふ! わたし、メリーさん! 今あなたの目の前にいるの』」
 小林のケータイと人形から同じ声がした。さっきから小林のケータイに電話をかけてきていた無機質な声だ。
 言い終えるや否や、こちらへ向かって飛んできた。
「小林!」
 小林をこちらに力の限り引き寄せる。
 さっきまで小林がいた空間をさっきの人形が通り過ぎていく。少し遅れて、ザシュッという音が響く。
 目をやると、人形の腕が壁に刺さっていた。......いや違う、さっきまであいつが持っていたものが刺さっている。あれは、ハサミか? おいおいおい、あんなものにあんな速さで突かれたら人体はひとたまりもねーぞ。
「『うふふふふふ』」
「おい、これどうなってんだよカッちゃん!」
「知るかっ! 俺も何が何だかさっぱりわからん!」
「さっき人形轢いたとか言ってただろ! 恨み買ったんじゃないの!」
 言われてみれば、さっきの人形に似ているようにも見える。だが、俺が轢いたのは片手がない。あいつじゃないだろう。
 そして、今大事なことはそれじゃあない。
「どうでもいいだろそんなこと! さっさと逃げるぞ!」
 ハサミを壁から抜き終わった人形がまた突進してくる。ギリギリのところで避ける。分の悪いいたちごっこだ。
「とりあえず車だ! 車のところまで走るぞ!」
 幸い、帰ってきたばかりで、ポケットに車のカギは入っている。扉を開け、階段を下りる。
 素早く車のカギを開け、エンジンを入れる。小林はまだ階段の辺りでもたもたしている。遅い。
 俺の部屋の辺りに、鈍い光が見えた。アイツのハサミだ。
「小林! もたもたしてると死ぬぞ!」
「わかってるっての!」
 なんとかかけおりてきた小林が車の中に入ったのを確認し、車を急発進させる。とりあえず、アイツから離れることが目的だ。
 暫し、静かな時間が流れる。法定速度をかなり無視している車の走行音。小林の荒い息の音。外からは全く音がしない。
 その雰囲気をぶち壊す音が鳴り始めた。俺のケータイの着信音だ。
 相手は「非通知」。賭けてもいい。二千パーあいつだ。
「出ないの」
「お前は出てほしいのか」
「......いや、勘弁して」
 だろうな。俺ももう勘弁してほしい。鳴り終わった頃を見計らい、アイツの番号を着信拒否するように設定する。
 次いで、小林のケータイも鳴り始めた。小林の顔が曇る。
「なあ、カッちゃん」
「何だ?」
「なんで私ら二人ともに電話がかかってくるんだ?」
「あ?」
「カッちゃんが轢いたならカッちゃんだけにかかってくるはずだろ」
「言ってなかったか? 確かに似てはいるが、俺が轢いたのはあいつじゃねえ」
「だろうね」
「は?」
「アイツ、さっき私しか狙わなかったからね。不思議だったんだよ」
「それが?」
「最初に私にかかってきた電話、アイツの声にエコーがかかっているように聞こえたろ?」
「そうだな」
「ところが、さっきの奴の声にエコーなんてかかってなかった」
「まだるっこしい。何が言いたい」
「アイツら、複数いるんじゃないか?」
 それがどうした、とは言えなかった。
 俺の腹から刃物が生えていたからだ。
 小林の青ざめた顔を見ればわかる。後部座席から一気に刺されたのだろう。
 家で俺にかかってきた電話、アイツこう言ってなかったか?
『今わたし、車のそばにいるの』
「野郎......俺が車開けたときから潜んでやがったな......」
俺がとらなかった電話の内容は多分、『今あなたのうしろにいるの』だ。
 ブレーキを踏む。幸い、近くに車はいない。
「小林、さっさと降りろ。そのあとあそこのコンビニでも逃げ込め」
「え、カッちゃんは......」
「死ぬわきゃねーだろ。さっさとしろ」
「あ、うん......」
 小林が下りるのを確認する。腹の痛みをようやく感じ始めた。ずるずると刃物が腹の中に戻っている。アイツが次の一手のために戻しているのだろう。
「さて、と......」
 実は逃げるだけならそこそこ簡単。刃物から自分の体を引っ剥がし、走る。問題はこいつの身体能力の高さなら追いつかれそうなことだ。
 だから、こうする。
 まだちょっぴり腹から生えている刃物を掴み、あいつが動けるようになるまで時間を稼ぐ。
 そして、ギア近くのスペースに入れていた缶の酒のプルタブを開け、後ろを振り向いて人形にかけてやる。
「痛い痛い痛い痛い!」
 アイツ、引っこ抜けないとわかるとのこぎりみたいに押引きを繰り返し始めやがった! 構造はただのハサミ、しかも片刃だが、肉に鉄が押し込まれていくだけでも痛い。
「うふふふふふふううううう」
奴は不気味に笑ってやがる。と、缶の中の酒が切れた。空缶をアイツに投げてやる。かーんといい音がした。
 ポケットを漁る。
 今度は、あった。
「あばよ」
 アイツが刃を引くタイミングで体をハサミから引き離す。
 そして、手の中に持っていたライターを奴の髪に点火した。
「わっ、とっとと」
車からまろび出る。
 後部座席が燃えているのが外からでもはっきりとわかる。深夜とはいえ、近くにコンビニがある。時期に騒ぎになるだろう。
「あー、俺の車が............痛い」
 緊張が解けてきて、痛みを思い出した。腹を見るとまだどっくどっくと血が出ている。
 救急車、呼ぶか。
 ケータイを何とかポケットから取り出して119と打つ。
プルルルル。プルルルル。ガチャッ......。
「あ、もしも  
『わたし、メリーさん』
「は、え......」
 燃え盛る車へと目を向ける。どう考えても、灰になっているはずだ。そもそも、今の電話はかかってきたものじゃない。俺がかけたものだ。

「『今、あなたの後ろにいるの』」

 俺の足首を、熱された腕が掴んだ。


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