手にまつわる話

あわきしそら


                 あわきし そら

 『クラスメイトの手』

 印象に残る顔ってあるけど、印象に残る手っていうのはあまりない。そもそも、人の手なんてまじまじと見ないと思う。だけど、俺が小笹の名前を聞いて思い出したのは、顔じゃなくて手だった。
「小笹、子ども三人いるらしいぜ」
 同窓会で、同級生が俺に耳打ちする。
「へえ、結婚してるんだ」
「声かけに行ったら。ほら、中学の時あれやってたじゃん」
と、同級生が両腕をおおげさに振るまねをした。
「指揮な」
「そうそう指揮者」
 中学二年の時の合唱コンクールで、小笹がピアノ伴奏、俺が指揮をした。小笹の手をじっくり見たのも、これがきっかけだ。美しい手だった。指先についた小さな爪の一つ一つが、淡い花びらとなって鍵盤の上を舞っていた。小笹の手元だけ、春が咲いていた。
 顔、分かるかなあ。手に関する記憶が鮮烈すぎて、どんな容姿をしていたか思い出せない。わりと小柄だったと思う。
 同級生に小笹のいる場所を教えてもらって、そこへ向かう。四、五人の男女が部屋の隅でしゃべっていた。その中の一人が、俺に声をかける。
「あ、久しぶりだね」
 その控えめでゆったりとした口調に覚えがあった。
「小笹」
 そうだ。こんな感じだった。
 髪の毛を後ろで一つに結んで、大人になった小笹が恥ずかしそうに微笑む。俺の目線はその表情からだんだんと下へ向かい、彼女の手を見つめた。月日を重ねた手は、日に焼けてがさがさとしていた。花そのものというよりも、むしろ花を支えて四方に伸びる枝のような芯の強さがあった。
「お互いいろいろと変わっちゃったね」
 小笹が、視線に気づいてさりげなく手を後ろへ回す。
「ううん、小笹」
 その動きを止めるように、俺はあわてて口を挟んだ。
「いいと思う」
 なんて言っていいか分からなくて、ただそう返した。だって、年を経て変化した手も、昔と同じように美しいと感じたから。










 『カッパの手』
 
 別にあたしの親は、カッパでも妖怪変化でもなかった。そういった類いの生き物じゃなくって、ふつうのどこにでもいるパパとママみたい。中学生の時に、そう結論した。だって、特に泳ぎがうまいわけじゃないし、むしろパパはかなづちだし、きゅうりを一番に好んで食べるわけじゃない。
 でも、だったら、あたしのこの成長はなんて説明したらいいんだろう。中学生の時から始まった、小さな不思議な変な変化。
 それに気づいたのは、お風呂に入ってた時のこと。お湯をかけようとして、自分の体の一部分が変だって感じた。ちゃんと言うと、手が変だった。手の指と指の間の、薄い皮フみたいな部分が伸びて、海色の膜をつくっていた。すごく気持ち悪い。体も洗わずお風呂から出て、自分の部屋でじっくりその水かきの出来初めのようなものを見つめた。なにこれって感じ。病気?突然変異?パパとママが実はカッパじゃないのかっていうのは、その時考えた苦し紛れの思いつき。
 次の日目が覚めたら元に戻ってるんじゃないかって思ったけど、そんなことなかった。むしろ少しずつ少しずつ、その水かきは大きくなっていった。誰にも言えない。嫌になる。あたしはてのひらを広げるのが気味悪くなって、外ではぎゅっと握りしめていた。学校でノートをとるのも嫌で、授業中はずっと先生の話を聞いていた。
 これ、なんなんだろう。あたしだけ変みたい。
 十日くらい経って、自分の部屋で寝転がりながら、水かきをいじってみた。別に痛くもかゆくもない。だけど、確かにあたしの皮フとつながっていて、白っぽい部分から毛でも皮フでもないものが生えている。邪魔だなあ。唐突に、はがしちゃえばいいんじゃないかと思いついた。触っても痛くないし、どっちかって言うと爪とか髪の毛に似ている。うん、そうだよ、こんなもののけちゃえばいいんだ。あたしは、早速それを実行した。膜をつまんで、雑に引っ張る。すると、それは案外簡単に取れた。血も出ない。一仕事終えると、いびつな形をした八枚の端切れが残った。あたしは、それを捨ててパパやママに見つかるのを心配して、お菓子の缶に入れることにした。
 それから、あたしは、水かきが伸びてくる度に、それを取り除いた。取り除いた後はすっきりする。学校で会う友達たちとおんなじ、ふつうの手。ノートも真面目にとるようになった。
 だけど、なんではがしてもはがしても、水かきが生えてくるのか分からない。それは中学一年生が終わって、二年生になっても続いたし、高校に通い始めてもしつこく生え続けた。
 あたしは、だんだんと水かきをはがすのが面倒になってきた。見慣れてきたというのもある。高校を卒業したあたりから、前ほど頻繁に取り除かなくなった。
 そうして、しばらく経ったある日、夏の日差しを遮ろうと手のひらをかざして、あれ?と感じた。自分の手を、初めて見たよう。中学生の頃、何度も何度も見た手なのに。
 広げた水かきは、指の隙間をたっぷりと満たしていた。放っておいた間に、いつのまにか成長したみたい。混じりっけのないきれいな海水が光に照らされたような色をしている。美しい青。
 いろいろな角度から見てみた。そして、ふうと息をつく。いいこと思いついちゃった。
 次の日、あたしは、ある工夫をこらしてみた。
 いつも通り大学へ行って隅っこの席に座ると、目ざとい女の子が机の上に広げたあたしの手を見て、はしゃいだ声をあげた。
「なにそれ、かわいい」
 あたしの美しい水かきには、絵の具で模様が描かれていた。白い水しぶきに、小さな船、お星さまなんかが、少しずつ八枚を彩っている。
 あたしは、少し気取って答えた。
「いいでしょ。オリジナルのおしゃれなの」
 





 『寺山くんの手』

 寺山くんは、耳が聞こえない。全く、聞こえない。例えば、誰かが犬のうんちを踏んでとんでもない悲鳴を上げたとしても、彼は気が付かないだろう。堂々と通り過ぎるだろう。それは彼が鈍感だからとかじゃなくて、ただ単に耳が聞こえないからなのだ。
 けれども、寺山くんは一番に応援をする。
「寺山、もうすぐ試合」
とチームメイトが彼の肩をたたく。彼は立ち上がる。観客席の通路に移動し、立ち位置を決める。そして、体育館の下方に向かって手をたたく準備をするのだ。
「オペかよ」
 チームメイトが笑いかける。寺山くんはわざと真剣な顔をして、すぐにそれを崩した。医者の手術前のポーズに似ているとからかわれるのは、いつものこと。
「お願しますっ」
という声とともに、試合が始まった。高校生卓球大会、団体の部である。
 ボールが上がる。寺山くんは、息を止めた。地に着く前に、選手のラケットがボールのお尻をこする。回転を含んだ勢いのまま、ネットを越える。相手のラケットが当たる。再び越える。それを、体を引いて、前へ打つ。決まった。
 わっと大声と拍手が沸いた。寺山くんも、もちろん手をたたく。力強く、温かく、肉を打ち鳴らす。
 その試合は、こちらの優位に進み、一本を取ることが出来た。団体戦では、先に三本を取った方が勝ちであり、初戦は寺山くん側の高校が残りの二本も勝ち取った。
 寺山くんは、どの試合でも決して応援の手を抜かない。それにつられ、周りのチームメイトたちも拍手と声援に熱がこもる。
 予選リーグを突破し、トーナメントの一回戦に進んだ。相手校は、あまり対戦したことはないが、三年生に強い選手が多くいるところだ。
「先一本っ」
 応援が声を上げる。
 寺山くんは、手を打ち合わせる。
 相手が、ラケットをうまく使ってサーブを出す。同じような振り方に見えるのに、ボールの回転がそれぞれ異なっており、取りづらい。一本取られ、二本目も取られた。
 寺山くんは、点数を取られた時もまた手をたたいた。「大丈夫だ」「自信を持て」と、言葉じゃなくて、二つの手のひらで作り出したリズムで届けるように。
 一つ一つのプレーを粘る。返ってきた速球を止め、向こうの台へ返し、また打ち込まれたボールを止める。こちらからの攻撃をうかがいつつ。
 徐々に点差は縮まった。しかし、決定打がない。
 三本目も取られてしまった。
 トーナメント、一回戦敗退である。
 終わった後、しばらくして選手たちが観客席の方を向いた。応援をしてくれたチームメイトたちにむけて、拍手を送る。「ありがとう」
「サンキュ」「あざっす」......。
 寺山くんの手は、紅潮した顔よりも真っ赤になっていた。
 『年老いた手』

「じいちゃん、てのひらを太陽にって知ってる?」
「え?なんじゃ」
「てーのひらを、たいようにー、すかしてみーれーばー」
 すべすべとしたほっぺを動かしながら、小さな孫が童謡を歌う。俺は、いつもの座椅子に寝そべりつつ、はて続きの歌詞はなんだったかなとぼんやり考えた。
「ねえ、やってみようよ」
「なんじゃ」
 孫がこちらへ手を伸ばしてくる。そういえば、こいつ保育園から帰ったのに手を洗ってないな。まあ、かわいいし仕方ない。
 孫は、俺の手首を握って縁側の方に引っ張った。愛用の座椅子から腰をはがすと、骨組みのきしむ音がした。
「今日ね、おしえてもらったの」
「え?」
「せんせいが、うたって」
 ああ、保育園の先生に教えてもらったということか。
 縁側に出ると、午後の日差しが庭の草木に光と影を作っていた。孫が、自分の背丈の何倍も高い空に向かって勢いよく手を上げる。俺も、恥ずかしながらそれをまねた。こんな姿、息子には見せられんな。
「なんじゃ」
 思わず声がもれた。
 薄赤い光に縁どられて、なんとなく思い描いていたより一回りも縮んだ手がそこにはあった。しぼんだ風船が細かいひだを生むように、幾重ものしわをもった皮が骨に張り付いていた。
「すごい、歌のとおりだ」
 孫が、もう一方の手も太陽にかざす。それとは反対に、俺は手を下ろした。
 いつのまにこんなに老いていたのだろう。
 定年退職してからは、家の定位置に座ってテレビばかり見ていた。プロ野球やら、ニュースやら、特に見るものがなくてもテレビの電源を点けていた。
 家事は妻がやってくれている。俺は、テレビを見ている以外特にすることもないし、やりたいこともない。たまに来る孫の相手をするのが、唯一の楽しみ。
「まっーかに、ながーれる、ぼくのちーしーおー」
 孫が続きを歌う。この子には、音楽の才能があるかもしれんな。
 俺は再び、自分の両の手のひらに目をやった。
 やはり「老い」が明確に刻まれている。何もしていなくても、生(せい)は過ぎ去っていくのかもしれない。こうやって見つめない限り、自分の中にある時間はどんどんと流れていく。今から何かしようとは思わないが、気づかないうちに終わってしまうのは嫌な感じだ。
「ぼーくらは、みんなー、いーきている」
 生きていると空へ向かって堂々と口にする孫。それを見守りつつ、終わりに近づいていく自分の年がどのように重ねられたのかは覚えておきたいと感じた。


参考にした音楽
 童謡「てのひらをたいように」


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