夜の薄皮を剥ぐ

蒔原通流



 淡い暗さ、寝静まった夜の玄関。
 微かな不安と燻ぶったような生々しい興奮。ほとんど固形物みたいなどろどろしたものが心の容れ物の底を引き摺るように撫でる。
 慣れない安物のライターで、すっかり湿気ているような煙草に火をつける。
 おおきく深く吸った煙は粘着質で、身体の内側を纏わりつくように覆っていく。煙の膜がコルセットみたいに体を内側から締めつける。身体をしゃんと保っていられるように支えている。
 薄く煙の混じった息を細く長く吐く。
抜けていき、拡散し、混じり合う。
薄く広がった匂いが表面をでたらめに覆う。
濃いところと薄いところ。
穴ぼこで、水玉模様。
 夜に繰り出すための弱っちい鎧。

 
 吸って、
買ったばかりの中古の革ジャン。
濡れたような質感。
身体に吸い付くように接着している。
ぐずぐずに解けた自分の肉と、靱やかな他人の皮。
                    吐いて、
 
     また吸って
じゃらじゃらしたネックレス。
よく冷えた金属の刺すような冷たさ。
どうでもいい奴らのどうでも良くない視線が突き刺さる。
鈍く蕩けた思考と、弱く過敏な肌。
  
  吐いて。

 火をつけ、           吸って、
ぱりぱりに凍った水溜まり。
透明で、薄く、脆い。
捨てた吸い殻ごと踏みにじる。
叩き割られたガラスの破片と、惨めな燃えかす。

吐いて、
    吸って、
誰もいない夜の街。
音も、光も、吸い込まれていく。
鋭い空気が人々を突き刺す。
身動き一つだって取れない。
縫いつけられたヒトと、打ち捨てられた夜の端。
動けるのは一人だけ、踊るように、舞うように。

   長く吐く。

 薄い、薄い、夜の末端。
爪を立てて、破りたくなるような薄膜。
案山子同然のヒトたちの、懇願するような視線。
   破りたくて、破りたくて、
            おもいきり踏みにじりたい。


 でたらめな煙の鎧を着て、少し伸びた小指の爪で、切り込み。
べりべり、べりべり、夜の薄皮を剥いでいく。
中の白くてどろっとしたものが、滲むようにゆっくりと溢れ出てくる。
鎧の着てないヒトたちは、滲みだしてきたものと溶け合うようにして混じり合う。
特徴がなくなって、輪郭がぼやけていく。
表面を溶かし、中身、本質が外気に晒される。
鱗を剥がれた剥き身の素材が顕わとなる。
誰も彼もが裸で、のっぺらぼうで、不安定。
個性という容器を保てず、蜃気楼みたいに揺らいでいる。
 下手くそなダンス。
誰かの手を取りたくて、ゆらゆら。
互いに腕を伸ばして、ゆらゆら。
不安なんだろう。
下手くそなりに揺れる、踊る。
独りは嫌だ。
顔もないのに表情に出てる。
やっと重なり合った手は、握られることなく溶け合っていく。
一緒になったらわからないのに。
自分の手を握ったって意味はないのに。

おおきくなった煙の塊、ゆらゆら、ゆらゆら。
独りから、少し大きい独りへ。
互いの夜が溶け合って、一つの夜へ。
いつになっても。
どこにいても。
だれといても。
ヒトは独りで、孤独なまま。


ずっとこのまま、

夜のまま。


さわらび119へ戻る
さわらびへ戻る
戻る