これが正義というならば{前篇}

フェイ



「つまり、こう言った方がいいのかな」
 僕は彼女を鉄格子越しにまっすぐに見た。
 彼女は僕をまるで敵を見るみたいな目でにらんでくる。
「僕が、君を、守るよ」
 グリーンアイズの目が零れ落ちるんじゃないかってぐらい見開かれて、その直後に涙が溢れていく。
 泣いている顔を見られないようにか蹲り、それでもまだ涙が止まらない様子の彼女の頭を鉄格子の間から手を伸ばし、ゆっくりと撫でた。きっと彼女はこんなことを生れてはじめて言われたんだろうな-とかそんなことを考えながら。
 ろうそくよりも心細い明りの下で、僕たちは誰よりも不自由で、それでいて、誰よりも立ち向かおうとしていた。
 ―宇宙人に。

『僕らは無力でした』

 宇宙人が宇宙から地球を侵略するためにやってきた。宇宙人は思ったよりも小さくて、僕の友達のお父さんは短足で太っていたんだけど、まるでそのお父さんのようだった。
 つまり、足は短くて、腹は出ていて、お世辞にも戦争をしに来たようには見えなかった。赤い目が顔を覆うようにたくさんあることは不気味だったけども。体はなんかぶよぶよとした柔らかそうなもので包まれていて、服とかそういう概念はなさそうだった。もしかしたら、あの黄緑色と緑色を混ぜたまだら模様のようなものが地球でいうところの服なのかもしれない。
 その時の世界のお偉いさんたちは、友好的な関係を築こうとしていた。初の宇宙人との接触に地球中が沸いた。でも、奴ら宇宙人は、どうも僕たちの星の侵略が目的だったらしい。
 地球で開かれた、各国の首脳が呼ばれた宇宙人歓迎パーティで、出席した地球人全員が殺された。
 世界中が混乱した。当たり前のようにね。
 その隙に宇宙人は地球人に隷属を求め、従わないものは殺していった。彼らの武器は、とてつもなく奇妙で、丸いボールみたいな形をしていた。そのボールは赤だったり黄色だったりとバリエーションは沢山ある。そのボールから、光線みたいのが発射され、その光線が地面に触れた瞬間に、嘘みたいな大爆発が起こった。天高く火柱があがり、周りにいた人間も爆風に当てられると、体中が焼かれて塵さえも残さずに、死んでしまった。
 なんて言ったらいいのかわからないのだが、とりあえず、地獄絵図みたいに地球はなったのだろう。宇宙人の武器はボールだけだから、近付くのも難しかったし、遠くから砲弾を放っても、すぐにボールから出た光線で威力を相殺されて、宇宙人に届くことはなかった。
 だから、ボールに無理に近付いて、宇宙人に直接攻撃を与えようとした者もいたみたいだけど、攻撃してもダメージにはならなかった。弾丸で打ち抜いたところはすぐにふさがってしまうし、刀で切ろうとしても、切れるけどまた直ぐに元通りにくっついてしまう。
 どうしようもなくなったようにみえた地球人が見つけた最後の希望。
 それが、この僕だった。痛い妄想とかじゃないよ。
 なぜだかよくわからないけど、僕は宇宙人のボールを無効化できる能力を持っていた。宇宙人のボールに武器を手にして振り下ろすと、そのボールはもう動かなくなる。重力の影響を受けていないのかわからないけど、ずっとその場で浮上しているだけになる。そうなれば、宇宙人は僕たちでは傷をつけられなかったけど、それは宇宙人も同じで、宇宙人は僕たちに攻撃すること自体がそもそも無理なようだった。動きとろいし、へにゃへにゃしてるしね。もし殴られても、全然痛くなさそう。
 この能力について、「僕の平和主義が多分に影響しているのでは」といったのは僕の仲間で研究所に勤めていたステリックだった。
 それから先、僕はボールを無効化することで、多くの宇宙人を傷つけることもなく、また沢山の地球人を救った。だけども、宇宙人のボールを僕が無効化するには、僕が直接攻撃を与えなくてはいけないようで、ただの人間並みの動きしかできない僕は、まずボールに近づくことが難しい。
 宇宙人のボールから出る光線はなぜか僕を傷付けることはなかったけども、それはほんとに世界の中で僕だけだった。僕一人が平気ってだけでボールにすぐに駆け抜けていけるわけではない。そもそも、僕は日本に住んでいた平和な国の住人だったので、初めて宇宙人からボールに攻撃されたときは、まともに当たった。
 でもなんか生きていたことから、僕の対宇宙人の能力が少しずつ解明されていく。でも、周りの人間はどったばったと死んでいくし、唯一生き残った当時の僕は親しい人がみんな死んでしまって泣いていた。その時の記憶はいまだに鮮明に蘇ってくるし、戦争中にもよく夢に出てきた。
 それからなんやかんや色々なことがあって、気が付いたら僕は地球人対宇宙人の戦争の最前線で剣をふるっていた。
 それから数年後にはなんと驚くことに、宇宙人と戦う地球人は最終的に僕だけになってしまった。いくら僕が宇宙人からの攻撃を受けても死なないとはいえ、僕一人だけでは地球人全員は残念ながら守れるはずは無かった。地球人の大半は、宇宙人の支配下に置かれたし、抵抗していった人間は僕以外全員殺された。最終的には、僕は守っていたつもりの地球人からさえも、宇宙人に命令されて捕まりそうになったなんて笑えるだろう? 
 さすがに僕も、同じ地球人である彼らに対して、何もできなかった。根っからの平和主義なんだよ僕は。
 追い詰められて後少しで捕まってしまうかというときに、僕の味方だった人たちが最後に残してくれた、僕のための機械が発動した。
 その味方の人たちはほんとに優秀で、僕が最後に生き残るってのも、僕の周りの人全員が僕の敵になることも予測していた。そんな僕を助けるために開発してくれたのが、タイムリープするための機械である。タイムリープといっても、本当に時空を超えるのではなく、体の成長や退化とか代謝を一時的に止め眠りにつく。その間に時間は進んでいるので、起きた時にはまるでタイムリープしたようになるシロモロらしい。それを適当にいじって、僕は眠りについた。
 
 それが今までの経緯。それから、百年眠って僕は目が覚めた。地下奥深くにあったポッドから地上に這い出ると、そこは最早見覚えがない知らない世界だった。研究所があった場所は荒野になっていて、所々草が生い茂っているのがみえるだけだった。しばらく周りを見回したが、人の姿はない。
 どこかにはいかなくてはいけないだろう。頭ではそうわかっているのに体は動かなかった。いや、ほんとはただ、現実を直視したくないだけだ。
 何をすればいいのかさえもわからない。単純に。この世界は僕の助けを必要としているのだろうか。確かめる術はいくらでも思いつく。でも、足が動かない。見たくない。どうしようもなく、ここで死んでしまいたい気持ちで一杯になる。みんなと一緒に宇宙人と戦った場所で、ぼくもみんなと一緒に死にたかった。
 ごわっと風が鳴る。それと同時、地面に影が落ちた。雲でもかかったのかとは思ったけども、それにしては短時間だったのと、影が落ちているのはどうやら僕の周りだけなことが違和感あった。
 上を見上げる。雲一つない晴天に異物が空を飛んでいた。それは、どうやら、羽が生えていないのに、空をゆっくりと泳ぐように飛んでいて、パッと見る限りトカゲに似ていた。でもトカゲよりかははるかに大きい。比較対象がないから、大きさはわかりにくいが、たぶん人間の背丈は優に超えると思われる。それが、僕の周りに影を落としているようだった。
 いや、それにしても百年で随分と生物は進化するものだな。ドラゴンとでも名付けるのに相応しい、まさしく過去何人もの人間が実物を拝みたいと夢見た姿そのものの生物だ。
 ぼんやりと見上げていると、ドラゴンは僕に気付いて、ぐわっと口を広げ、僕に向かって立派な牙を見せてきた。ここはあのドラゴンの縄張りであると直感的に思う。ドラゴンに食べられて死ぬ最後。うんそれだって僕の仲間が遂げた悲惨な死に比べれば全然いい。
「あ、危ないですよ! そこの人!」
 唐突にどこからか声が聞こえてきた。声がした方に目を向ける、草むらから、小さな女の子が焦ったような表情をした顔だけ出しているのがみえた。百年たっても相変わらず人間がいることにどこか安心する。
「こっち! こっち!」
 少女が一生懸命に手を振ってくるものだから、無視するのも悪い気がして少女の近くまで走り、同じように草むらに隠れた。
「どうしてこんなところにいるわけ?」
 ちょっと尖っている口調。すぐ隣にいる僕を見ないまま、ドラゴンをずっと見つめている少女の横顔は、凹凸が少ない目鼻たちをしていて、どちらかというと東洋系を思わせる。僕の故郷でよく幼い少女がしていたおかっぱの髪が非常によく似合っているのに、瞳は透き通る翡翠色で、そのミスマッチが神秘的な美しさを少女にもたらしていた。
「目が覚めたらここにいたんだよ」
「夢遊病ってやつ? ここがどんなところかわかっているの?」
「そんなやばいところなんだ?」
「ここはあの宇宙人どもが飼っているアシュウの住処よ」
 少女はいまだにドラゴンから目線を離さない。その横顔がくしゃりと憎々しげにゆがむ。少女の宇宙人への憎悪を目の当たりにして、どこか安堵する僕がいた。宇宙人を憎む地球人がいるなら僕もまだ出来ることがあるのかもしれない。
 ぽたっと少女の顔から流れた汗が地面に落ちる。真剣な顔をして少女は先ほどアシュウといったドラゴンを見つめていた。少女があまりにもドラゴンから目線を離さないもんだから、声もかけられず、少女の横顔をただ眺めていることしかできなかった。
 するとふと、少女の瞳が緑色に煌めいた。まるで開けた瓶に閉じ込められていた光が空気中へと混ざっていくかのように、緑色の光の靄みたいなのが瞳から漏れ出して覆われる。すると段々と一点に集まり、明るく輝きだした。あまり眩しさに思わず顔を右手で覆った僕は、指の隙間から、ありえないような光景を見た。
 緑色の光線が少女の瞳からアシュウへと駆け抜けていくのを。
 少女の目から放たれた緑色の光線は、アシュウに当たると、アシュウがいきなりその場で身を悶えて、狂ったかのように頭と尻尾をくねくねと動かし始めた。
「いまよ!」
 少女が僕の腕を引っ張って走り出す。僕はただ、目の前を走る少女についていくことしかできなかった。
 
『僕たちは凡愚です』
 
 荒野を抜け、裏に立ち入り禁止とでもいいたげな黄色と黒のテープが張られている金網の穴を潜り抜け、鬱蒼とした森の中を少女と走っていた。目の前の少女が先行する獣道をひたすらに走る。少女の走るスピードはさして速くない。でも安定して走れる彼女は足元が悪い道をる走るのは慣れているのだろう。
「ねえ! どこに向かって走っているの!」
 酸欠状態で息切れがしてきたが、目の前の少女に聞こえるように声を張り上げる。
「まち!」
「どれ位かかる?」
「あと少し!」
「全然町らしきものが見えてこないんだが!」
「ほんとにどこからきたのあなた? あそこから一番近い町はあの町だけなんけ!」
「遠いところから来たから全然わからないんだ! 帰る場所もないんだけど、どうしよう!」
「じゃあ、私が住んでるところに来る?」
「いいのか? 言っては何だがだいぶ怪しいぞ僕?」
「困っている人は助けなさいっていつもシスターが言っているから助けてあげるだけ!」
「そうか! ありがとう!」
「それよりもほかにきくことがあるでしょ」
 小声でぼそりとつぶやかれた言葉。
「なにかきいてほしいのかい?」
 ぴたっと少女が止まる。いきなりのストップに僕は勢いを殺しきれずにほぼ転びそうになりながらも、ぎりぎり少女にぶつかることもなく止まれた。
 少女はしばらく前を向いて俯いていたが、やがてゆっくりと身を返した。
 「私の目が気にならないの?」
 振り返った少女の顔は怯えと恐怖で歪んでいた。目端に浮かぶ涙がきらりと光を反射しながら頬を流れていく。固く握られて震えている少女の手を取り、その場に跪いて指先を優しく握る。
「さっきは助かったよ。ありがとう」
 少女の目については何も言わなかった。でも少女の目から目線を外さない。
 少女はしばらく固まった後に、やがて顔を赤くしながら手を払うと数歩怯えたようによたよたと後ろに下がる。
 あれ?好感触だと思ったんだが。
「私の手になにかしようとした?」
「誤解だ!」
「助けて! しすたぁあー?」
「誤解したまま町に行かないでくれ! 頼むから!」
 完全に引いた様子の彼女と僕の追いかけっこは町に着くまで続いた。
 
『僕たちは何もできない』

 町、と言っていいのだろうか。僕が少女の後を追いかけて町に入ったときに出てきた感想はそれだった。みえる家の壁のすべてはところどころ崩れていて、窓はカーテンらしきものもなく、室内の様子は丸見えで、百年前とあまり変わらない生活の様子を窺い知ることができた。町の奥の方にみえるものすごく高い塔が異質だった。
 ヒトがまばらに道を歩いているが、顔は虚ろで目の焦点はなんだか合ってないようで、どこを見ているのかも分からない。着ている服も単一の布をただ折り合わせたようなものでオシャレしているとはお世辞にも言えなかった。百年たっても何の進化もない、むしろ退化しているようにさえ見えるこの街は、僕を歓迎する気もなく、拒絶する気もないらしく、明らかにおかしい恰好をした僕が入り口に立っていても誰も僕に目をむけなかった。
 ついてきているか気になるようでたまにちらちらと振り返る少女の後をついて行って、話声さえも聞こえない沈黙に満ちた町を雑音さえも愛おしく想いながら、ひたすら走って辿り着いたのは教会だった。少女がシスターと叫びながら逃げ出したから何となく想像がついてはいたけども。
 少女が勢いよく両開きの重々しい扉を開ける。古びた扉が出すキイっという音が、うめき声のようにも聞こえた。もっと丁寧に開けてあげてほしい。
「ただいま!」
 ちらりと中を覗くと中は一般的な聖堂だった。沢山ある椅子の一つに座り黒衣を全身にまとった女性が扉を振り向くのが見えた。透けるような水色の瞳とはっきりとした目鼻立ちから、純西洋人といった雰囲気の人だ。
「おかえりなさい。リリそちらの方は誰?」
「えーと、そ、外から来たっぽくて行く場所なさそうだから連れてきたの」
 どうやら少女の名前はリリというらしい。リリから紹介を受け、シスターの方に向かって頭を下げる。
「それは正しい行いをしましたね」
 シスターがリリに向かって微笑むとリリの表情がぱっと明るくなった。
「歓迎します。あなたのお名前は?」
「ヒロムといいます。お忙しいところすみません。ご迷惑でしたらすぐにでも出ていくんですが」
「遠慮なさらないで。見たこともない服を着ているのをみると本当に遠くからいらしたみたいですし、宿もこの町にはないので、寝る場所はここ以外では見つかりませんわ。迷えるお方を救うのも協会の役目です」
 この教会以外で寝られる場所を見つけるのは骨が折れそうだ。
「泊まらせて下さい」
「ふふ、素直でよろしくてよ。それじゃリリ。私が夕食の支度をしている間にお客様にこの教会を案内して差し上げなさい。部屋はリリの隣の部屋が空いているのでそこにしましょう。連れてきたからには責任もってちゃんともてなすのよ」
「はあい! ヒロム、こっちこっち!」
 リリに手を引かれ聖堂を後にする。聖堂のわきにあるドアから生活する場所へとつながっているらしい。シスターも僕たちの後ろを微笑ましそうに歩いてくる。どうやらリリが言うには、一階にキッチンや広い食堂があり、二階は生活するためのそれぞれの自室があるようだ。シスターとは一階で別れ、リリと階段を上っていく。聖堂は豪華な装飾が多くて厳かな雰囲気があったが、ここはむしろ装飾が一切なくただ木材を組み合わせて建てただけに感じる造りだった。
「ここがシスターお部屋で、ここが私。ヒロムはこの左の部屋ね」
「部屋の数は沢山あるけど、ほかに人は?」
「いないよ。私とシスターの二人だけ」
 この広い教会を維持するには随分と人数が心もとなかった。リリとシスターはどうして二人で暮らしているのだろう。ぱっと見る限り、親子には見えないけども。興味はあるけども今日出会ったばかりの僕が詮索していい話題ではない。
「それじゃあ、今日から三人だ」
 リリが嬉しそうにほほ笑んだ。

『僕たちは幸せです』
 
 シスターお手製の夕食は食材が見覚えあるものでどこかホッとした。食前のお祈りも見様見真似で習い、パンをジャガイモとキャベツのスープにつけながら食べる。二人から急に一人増えたのに、僕の分の食材もしっかりとある。明日には今日の分のお礼を何かしなくてはならないとは思うけども、この二人のためにできることが思いつかないのは申し訳なかった。
 意外だったのは、あれだけ元気満ち溢れている様子のリリが食事の場だと一言も喋らずに黙々と手を動かしていることだった。シスターの躾が行き届いているのだろう。シスターとリリの食事の作法がまるで瓜二つなのは親子のようにしかみえなくて微笑ましい。
 食事後に片付けの手伝いを自主的に提案し、皿洗いしている僕に好奇心が抑えられない様子でリリが色々と話しかけてくる。
「ヒロムはどこから来たの?」
「んーここよりずうっっと遠いところだよ」
 ちなみにリリは机を拭いていて、シスターは僕の横で白色の手袋を外し、洗ったお皿を拭いてくれている。夕食も作ってくれたので、休んでほしいとシスターには言ったのだが、何かしていないと逆に落ち着きませんわ、と言われてしまった。
「ここ以外の場所はあまりわからないんだよね。町から出るのは禁止されているし」
「この外にはアシュウなどの凶暴な生き物がいますから、禁止されてなくても外に出ないのがいいでしょうね。そういえば、リリとはどこでお会いしたのですか?」
「ここから離れた「町の入り口であったの」・・そうだったね」
 急にリリが割り込んできたところからしてあの場所にいたことは本来なら禁止されていることなのだろう。リリには色々と恩があるし、出会った場所はシスターには内緒にしておこう。
「あの町の奥にある高い塔はなんなんですか。異様にあの建物だけ高かったですけど」
「あそこに、宇宙人が住んでいるの。テーブル拭き終わったからタオル洗ってくるね」
「リリ、使ったタオルはちゃんと干しておくのよ」
「はあーい」
 ガシャンとリリが開けた扉が閉まる。
「リリの言う通り、あれは宇宙人のこの町の拠点ですわ。昔にあった建物と聞いたことがあります。この辺りはかつて建物がたくさんあったようですけど、今はただの寂しい街でしかないのはなんだか悲しいですねえ」
 ふうん、昔からあった建物・・。
「僕の故郷にも全く同じ建物がありましたよ」
「ならその塔はこの町の塔に似せて作られたのでしょうね」
「僕の故郷の名前、新宿っていうんですけど」
 淀みなく皿を拭いていたシスターの手が止まり、その手から皿が滑り落ちた。僕をみて固まっていたシスターは皿が割れる音で正気に戻り、慌てたように落ちた皿に手を伸ばす。
 危ないからとシスターの腕をとり、箒と塵取りの場所を聞いたら、とってきますねとだけ言い残してシスターは素早く出て行ってしまった。
「......なんだったんだ」
 誰もいなくなった部屋の中で、まだ洗っていない皿を洗いながら僕はひとり呟いた。

『僕たちは何物にもなれます。』

 窓から差し込む日差しで目が覚めた。ベッドの上から降りて、昨日夜にシスターから貰った着替えを着用して部屋から出る。今まで着ていた服はできれば脱ぎたくなかったが、如何せん目立つので、すぐに宇宙人に気付かれる可能性が高い。あの服は極限まで動きやすさを重視されているため装飾が必要最低限に抑えられていて、緑と青を基調としたデザインはまさしく地球を表している。みんなでお揃いの戦闘服を着て作戦前にお互い士気を高めあったことはもう絶対に忘れることはない。テンション上がった顔を突き合わせ、騒がしい声がする中で、絶対に宇宙人から地球を守ろうと仲間と誓い合ったあの瞬間にはもう戻れないのだ。
 食堂にいくとリリとシスターが笑顔で迎えてくれた。そろそろ僕を起こしに行こうか相談していたらしい。食事の準備も全て終わっているテーブルが僕の寝坊を物語っていた。
「準備手伝えなくてすみません」
「いえ、大丈夫ですよ」
「今日は許すけど、明日からちゃんと起きてきてね! 起こしに行くから!」
「ええ、明日には、ね...」
 なんかシスター歯切れが悪いな。僕が寝坊したのを怒っているようではないっぽいけども。昨日のあれから会話がほぼないまま昨日は別れてしまったので、少しシスターの様子が気になってしまうが、今ここで尋ねるのは気が引けた。
「今日の朝ご飯はね、ほとんどリリが作ったんだよ!」
「ええ、そうですのよ。リリが頑張って作った朝食をどうか味わって食べてくださいね」
 テーブルについてお祈りを捧げると、食事開始。興味を抑えきれずにちらちらと不自然に僕を観察しているリリに苦笑する。
「この目玉焼き美味しい」
「ほんと? リリもいつかシスターみたいに料理できるようになるんだ!」
「ふふ、リリもきっとすぐに、料理できるようになりますよ」
 リリお手製の朝食を美味しく食べた後で僕とリリはシスターに買い出しを頼まれ、町へ出かけることになった。いきなり僕が来たから食材が足りなくなってしまったのかもしれない。
 買い物のメモを二人で確認して、聖堂の扉を開ける直前にリリに遠慮がちに袖を引かれた。
 少し頬を染めて、僕の方から目線を逸らすようにあっちこっちにきょろきょろしながら、そっと手を差し伸べる。
「いや、これはその、リリがいつもシスターと街に出かけるときは手を繋いでいるから...今日だってヒロムを案内するのはリリなんだから、リリが手を繋いであげるの」
「ありがとう。それじゃあ手を繋いでいこうか」
 小さい白い手を躊躇いなく掴み、歩き出す僕はいい笑顔だったと思う、多分。
 町の様子はやっぱり僕にとっては異常としか思えない。リリも町の人たちと同じように、教会を出てから一切口をつぐんでしまっている。それがこの町を歩く時の正しい振る舞いなだろう。僕も目立ちたいわけじゃないから喋ってない。町の人たちは少し位喋っても誰も気にしなさそうだけどね。
 無言の道を無言で通り、店に入り、店員と必要最低限な会話を交わす。思ったよりも店は品揃えが充実していて客も結構いた。この店はいわゆるスーパーと呼ばれる店のような感じなのかもしれない。頼まれていた買い物はこのお店で大体揃えられた。
 買い物を無事に終わり、安心しながら店のドアを開けると目の前に宇宙人がいた。

 宇宙人がいた。

 僕が心底憎んでいる宇宙人とのあまりにも唐突で、びっくりするぐらいあっさりとした再会に一瞬思考停止いてしまう。リリと繋いだ手が強く握りしめられて、直ぐに我に返る。
 宇宙人が二体。目の向きからして目線の向きは僕とリリ。右の宇宙人をR、左の宇宙人をLと仮に名付けよう。どちらの宇宙人もボールを顔の横に浮かべていて攻撃意思があるのは明白だった。僕の正体に気付いて消しに来た可能性が濃厚。多分この町に入る時には地球防衛軍の服戦闘服を着ていたので、その姿が見られたのだろう。
 リリを後ろに下がらせ、前に出る。懐に隠していた百年たっても錆一つない愛刀を抜いて、鞘をリリに渡す。
 伏兵がいないか周りを見渡すも、どうやら宇宙人はこの二人だけみたいだ。町の人々は僕らにちらっと視線を向けるも宇宙人をみると、さっと目を逸らし関わらないようにそそくさと去って行ってしまう。
 Rのボールが赤く光る。攻撃の合図だ。光線が発射されるよりも前に距離を詰めて、ボールに刀を振り下ろす。ボールが刀と当たった瞬間にボールの光が失われる。同時に横から不意打ちを狙って放たれた光線を刀で受け止める。威力は相殺しきれずに、じりじりと後ろに下がってしまう。踏ん張れ、僕の足。
 Lのボールの光線は一人でもなんとか押しとどめられるぐらいに威力こそ弱いが、その分光線が持続するタイプらしい。
「シスター! 助けて!」
 リリの声が大分離れたところから聞こえた。
「待て、危険だ!」
 慌てて後ろを向くと、もうリリの姿はどこにもなかった。まだ宇宙人は二体だけとは限らないのに!
 意識が逸れてしまい、光線の威力に耐え切れずに、吹っ飛ばされ店の入り口に勢いよく衝突する。ほぼ布一枚の服のおかげでダイレクトに衝撃が伝わり中々に痛いがそんなことは言ってられない。
 すぐさま立ち上がると、黄色く光っているボールへと一直線に走り、ボールが光線を放射するよりも速くボールを突く。刀の切っ先がボールに当たり、一切の活動を停止した。宇宙人二人は動かなくなったボールに戸惑っているみたいで、何度もボールを叩いている。ボールさえ無力化できれば宇宙人本体の脅威はほぼない。宇宙人は放置してリリの後を追って教会へと走った。
 教会への道の途中には宇宙人は見当たらなかった。あれだけド派手な騒ぎを起こしても、人の声が聞こえない道を走り抜ける。
 教会の前に着いた僕は、一呼吸して気持ちを落ち着かせながら慎重に扉を開けた。
 聖堂の中に人影はない。ベッドがあるあっちの建物にいるのか。ドアの先の気配を探りながら廊下を抜け、食堂への扉を開けると、中でシスターが椅子に座っていて聖書を読んでいた。
 見渡してもリリの姿はない。
「あら、おかえりなさい」
「ここにリリが来ませんでしたか?」
「リリ? 来てないですよ?」
 最悪だ。
 二階に上がり一つ一つ部屋の中を見ていくが誰もいない。浮かび上がる最悪の想定を消しながら、一番可能性が高い場合について考える。
 リリは宇宙人によってどこかに連れ去られたとみるべきだ。どこに連れ去られた?
 昨日の会話が蘇る。町の奥の高い塔は宇宙人の本拠地。ならそこにリリが連れ去られた可能性が高い。助けなければ。早くしないと間に合わないかもしれない。
 階段を駆け下り、聖堂の扉まで走り抜ける。
「攫われたリリを助けに行くのですか」
 声をかけられて後ろを振り向くと厳かな神像とその前に立つシスターの姿が見えた。協会の扉を開こうとしていた手を外し、後ろへ向き直る。薄暗い教会内で、手を前に組んで祈りのポーズをしているシスターの表情も声も普段と何ら変わりない。
「そのつもりです」
 焦りと恐怖で思わず声が震えてしまう。リリがいないこの空間には僕の言葉は空虚に響くような気がした。
「言っておきますが、私に助けを求めても無駄ですよ」
「あなたは...リリが心配ではないのですか」
 少し語尾が強くなってしまったことを自分でも自覚している。責めるような口調になってしまっているが、僕はずっと二人で家族のように過ごしてきたリリが攫われているというのに、シスターがリリを助けないと断言しているのは非常に薄情にしか見えなかった。短い間だけだったが、シスターの人柄の良さはこの町の中ではとても印象的だったのに。
「私を含め、生きている人々の祖先は宇宙人への抵抗をやめ、宇宙人に隷属したろくでなしでしかありません。私たちに祖先の血が流れている以上何を期待しようとも無駄です。私たちはあの子のために宇宙人の反感を買えるような人間にはできていません」
 それは間違っている。歪んでいる。祖先がどうであろうと今生きているのは彼女たちなのに。どうして彼女たちは気づけないのだろう。
「このまま一生クズだと自覚して生きていくつもりですか」
 確かに、地球を守るために戦っていた僕から見ると、地球人であることの誇りを捨て宇宙人に隷属した彼女のような人々は、いささかの負い目を感じるのも無理はないかもしれない。
 でも、目の前の困っている人間さえも助けないような、そんな人に成り下がる理由にそんな負い目を持ってくるのは許せるものか。人間が真っ当にさえも生きられないこの世界は地球の敗北が痛いほど思い知らされる。
 シスターが顔を上げる。真っ直ぐに僕を射抜くその目の力強さはリリと変わらないな、とこんな状況にも関わらず呑気に考えてしまった。
「今更です。私たちは十年前に宇宙人に抵抗しないという結論を下しました。宇宙人に逆らったら受け入れてくれるような居場所はどこにもないのですよ」
「なら、おとなしくリリが帰ってくるのを待つつもりですか」
 本当のところ、ずっと家族のように過ごしていたリリのことを口では何と言おうと、シスターが心配しないはずがないと心のどこかで決めつけていたのはあったのかもしれない。でも、僕のこの考えの甘さを突き付けられる。
「いえ」
 シスターは後ろの神像を見るとそのまま目を閉じた。
「もう帰っては来ないでしょうね」
 
 ここから先のシスターとの会話はもういらないだろう。
 結局僕は、一人でリリを助けに宇宙人の拠点へ乗り込んだ。本当にだれも一緒に来なかった。
 宇宙人が拠点としている塔の入り口の門を堂々とくぐったぼくはあっさりと宇宙人に捕らえられ、地下の牢屋に連れていかれた。その内の一つの檻の中にリリが膝を抱えて俯いて座っているのを見て、ひとまず安心する。リリの檻の隣に入れられた僕は、音で顔を上げたリリに悲鳴を上げられてしまった。
「はっ...なんであんたまでも捕まってんのよ?」
「いやぁ油断したよ。まさか宇宙人ではなく人間が攻撃してこようとするとは」
 人間を決して攻撃しないと誓っている平和主義の僕にとって、捕まえようとしてくる人間がいたら逃げるしか道がない。数の暴力であっさりと捕まってしまった。
「そんなこと聞いてない! なんで来たのよ!」
 リリの拳が鉄格子越しに殴ってくる。ぼこぼこにされた今の状態では、リリの遠慮ない拳は割かし痛い。
「ご機嫌はいかがですか」
 いきなり割り込んできた声の方を向くと薄暗い鉄格子の部屋の入り口にボイスチェンジャーを顔の前に固定した宇宙人が立っていた。宇宙人をみて緊張と怯えで固まるリリを僕より後ろに下がらせて宇宙人と檻越しに対峙する。
 歩くリズムに合わせて顔についている沢山の飛び出ている赤い目玉がぎょろぎょろと揺れている。この目玉の揺れによって宇宙人は歩くときにバランスをとっているのだという仮説もあったのを思い出した。
「君たちの処分が決まりました。私たちはそこの少女はなにかとアシュウに抵抗する不思議な力があると聞きました。反乱分子は普段なら皆を殺す予定ですが、とても提督が少女に興味をお持ちしました。そこで提督の提案がなされました。提督が所持しているアシュウと君たちとで明日手合わせをしてもらいます」
 金属同士がこすれる音と虫の羽音が混ざったような不快な音を宇宙人が発した少し後に、機械の合成音がボイスチェンジャーから聞こえてくる。宇宙人の発言を地球語に翻訳しているから多少おかしいところが所々見受けられるが大体の伝えようとしていることはわかったが、理解が追い付かない。
「どういうこと...?」
 僕たちにとって宇宙人が出す声は決して耳あたりがいいわけじゃないように、宇宙人も僕たちの声は不快らしい。一歩後ろに宇宙人が下がった。
「これはまさしく檻から出られるチャンスです。君たち二人がアシュウに勝利出来たら提督は君たちを開放します」
「慈悲深い宇宙人もいたもんだね」
 挑発するような僕の言葉に返さず宇宙人はすぐに去っていった。
 ちなみにあのボイスチェンジャーは宇宙人との対話をめざして僕の仲間が開発したものだったりする。宇宙人と地球人の言葉を翻訳してくれる優れもの。一方通行でしか使えないという難点はあるけどもね。本人は宇宙語地球語意志相通翻訳機と名付けたが見た目がどう見てもボイスチェンジャーなのでみんなボイスチェンジャーと呼んでいた。開発した少年は争いが嫌いで、対話で戦争を収めようと僕ら戦争の最前線にいたメンバーに同じ主張を繰り返し言い回っていたのを今でも覚えている。
「リリ」
 俯いたまま動かないリリは呼ばれると、びくっと体を震わせてからゆっくりと顔を上げた。
 「自由になろう。アシュウに攻撃できる君がいるからきっと大丈夫だ」
 頭を抱えているリリの肩は震えていた。
「勝てるわけがない! そうやって見世物にされて、殺されるだけじゃん? 怖い! どうせなら、どうせなら? こんな力ないほうがよかった? これさえなければ! ここで殺された方がましだったかもしれないのに!」
 薄暗い牢屋の中でリリの叫び声がこだまする。
 それは僕も思ってた。僕とリリは同じだ。望まない力を持って生まれたがゆえに人生を狂わされてしまった。
 どうせなら無力であればよかったのだ。凡愚でよかった。そうであれば、こんな歯がゆい思いなどしないのに。現実はいつだって優しくない。
 それでも、ほかの人とは違う僕らだけど、そんな風に生まれてしまったからには受け入れて生きるしかない。なぜ、どうしてこんなにも世界は無慈悲で、僕らは傲慢で、幸せなんて言葉は無味無臭なんだろう。
「君はただ、アシュウに集中していればいい」
「そんなのできるわけがない!」
「僕がいるだろ」
「はあ?」
「つまり、こう言った方がいいのかな」
 僕は彼女を鉄格子越しにまっすぐに見た。
 彼女は僕をまるで敵を見るみたいな目でにらんでくる。
「僕が、君を、守るよ」
 グリーンアイズの目が零れ落ちるんじゃないかってぐらい見開かれて、その直後に涙が溢れていく。
 泣いている顔を見られないように蹲り、それでもまだ涙が止まらない様子の彼女の頭を鉄格子の間から手を伸ばし、ゆっくりと撫でた。きっと彼女はこんなことを生れてはじめて言われたんだろうなとかそんなことを考えながら。
 ろうそくよりも心細い明りの下で、僕たちは誰よりも不自由で、それでいて、誰よりも立ち向かおうとしていた。
 ―宇宙人に。

{後編へ続く}

『後編予告』
 月の明かりが上の小さな窓から差し込んでいる。すうすうと眠る鉄格子越しの彼女をみて、ここに乗り込む前に交わしたシスターとの会話を思い出していた。
 あの薄暗い教会の中で、僕は白金の剣の切っ先を彼女の喉元に向けていた。どんな経緯でそうなったのか、今でもはっきりと思い出せる。常人では決して反応できない速さで抜いたつもりだったが、彼女は怯えもせずに首元の剣の切っ先をちらと見ただけだった。
「あなたに一つだけ聞きたい。あなたはリリの味方ですか」
 何を思ったのか、彼女は剣を両手で掴むと、力を入れて握りしめた。清純の象徴ともいえる彼女の白い手袋が見る見るうちに赤く染まり、足元へ雫が垂れていく。
「私は、人間ですよ」
 それが答えだった。


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