憑依体質

めてお




 気だるい空気の中、私は目を覚ました。全身が、重い。頭が、ぐらぐらとする。
 今、何時だ。うっすらとした空気。曖昧な空気だ、時計の針が見えにくい。視界がぼやける......気がする。ええと......6時......半かな。
 6時半でこんなに明るいんだ、季節、だな。
 いつの間にか寝ていたらしい。いったい、何時間だろうか。
 少しずつ霞が晴れてきた......気がする、頭に、耳慣れた声が飛び込んだ。
「......葵」
「あぁ、陽太。ごめん寝てた」
 私はぐぅっと伸びをした。どうやらかなり、疲労回復したらしい。体は羽のように軽く動いた。
 それでちょっと、機嫌は良くなった。
「お昼寝しすぎたかな。昼夜逆転しそう」
 ううん、陽太が来てくれたからだろう。
 全身が喜んでいるのが分かる。
「......ごめん。......御手洗借りるね」
「いってらっしゃい」
 私は頷いて、彼の白いTシャツを見送った。
 薄暗く、その上長い髪に隠れてしまった彼の顔を、まだちゃんと見られてないけれど、我慢しようか。

 陽太は最近のことを話してくれた。
 少し仕事ばかりしすぎているみたい。
 しばらく見ないうちに、痩せた気がする。
「その調子じゃ体壊れちゃうよ」
「......っ。うん、気を付ける」
「そんなこと言って、昔、風邪ひいても行くって言って聞かなくて結局......」
「ご、ごめんその説は反省してるんだって、許してよ」
「むう、そういえば良いと思ってる」
「思ってないさ」
「まあ良いんだけど」
「良いんだ」
 私は、陽太がほっとする時の顔が好き。
 私に心配かけるのは良くないけれど。
 ただ、仕事の話はあんまり頭に入らなかった。
 なんだかどこかに、違和感を感じた。

 私は勘がいい方だと思う。良くも悪くも。
「陽太、霊感ある?」
 そして突拍子もない質問は、得意分野だ。
「分からないけど、どうして」
「いやね、私、実はあるんだよ」
「ふうん」
「興味ないの?」
 陽太は両手を振った。
「まさか。でも嫌だろ、そういうの」
「例えば何かの霊が憑いたりして」
「なんだそれ」
 顔をしかめられるけれど、体験したことがない人はそうだろう。
「害がなければね、慣れるもんだよ」
「慣れたくないな」
 そりゃそうだ。それに昔から臆病だから。私が憑かれた事がある経験談は実は黙っていた。
「今のそのシャツ、闇に溶けてる」
「似合っているだろ」
 複雑そうな彼の顔に、数年前の思い出が重なって見える。遊園地のお化け屋敷の前で立ち竦んで、何か訴えている時だ。私はそれを最高だと面白がっていた。
 あの時は楽しかったな。
 ......あの時は?
 今でも......楽しい......楽しい?
「葵」
 ......
「葵、大丈夫だ」
 ......
「僕はここにいる」
「君に、会いに来たよ」

 陽太は私の大切な恋人だった。
 ずっと彼を見つめていた。
 だから分かる。
 心配している顔、悲しんでいる顔、嬉しいと思っている顔、好きだよと言っている時の顔。
 今はその、全部が混ざっている。
「陽太、私に隠し事をしているのね」
「隠し事......? 」
「そう。何か大事なことだよ」
「何かなぁ」
 多分あまり良くないことだろう。
 そしてそれを、私の脳はあまり考えないようにしてる。きっと耐えられなくて、現実だと思いたくなくて、逃げているのだろう。
 だから、陽太の口から告げて欲しい。
「葵、どれだけ寝たの?」
「えっ?」
 彼は困ったように頭をかいた。短く不揃いな髪が、ふらふら揺れている。
「だいぶ寝て、頭がぼんやりしてるんじゃないかと」
「......ま、まあ、そうかも。でもいつからかは記憶が無いから、いつの間にか寝ていたと思う」
「その前は何してたの?」
「えっと......」
 えっと......何してたんだろう......。
「陽太は何してたの?」
「葵」
 私は目を逸らした。
「ほら、寝すぎたんだ。ぼんやりしてるんだよ。葵のいつもの勘が鈍ってる。僕が隠し事してるように見えたのも多分気のせいだって」
「ううん......そう、かな」
「大丈夫、心配しないで」
 薄暗い中に、彼の微笑みを感じた。決して触れようとしなかった。
 私はそれだけで満足した気分になった。

「だめだなぁ」
 今日はなんだか、話が飛んでしまう。
 彼はずっとそこにいる気がするのに、どうしても区切りを感じてしまう。まるでいくつかのシーンを回想しているみたいだ。
 陽太はあいかわらず趣味の話ばかりしていた。
「どうしたの」
「分かんない」
 分かりそうな気もしなかった。違和感だけがずっとある。
 長らく彼と話しているけれど、確かにずっとある。
「今日なんか違う?」
「今日?......久々だからかな。髪切ったとか。ほら」
「そんなんじゃなくて」
「うーん......それ以外は特に......」
「......」
「それより葵、この写真覚えてるかな、ほら、海とか行った時の」
「え、うん、覚えてる」
「あのインスタントカメラの写真を現像したんだ。見せたくって」
 鞄にしまっていた思い出を取り出す。目の前の机に、一枚ずつ重なっていく。うん......なかなかに多いな。あ、まだあるんだ。......貝の写真とか要らないでしょ。
「案外よく撮れてたんだね」
 陽太は海を食い入るように見つめていた。
 蒼は泣きそうな匂いがする。
 記憶が揺さぶられる。
 それでも記憶は記憶のままだ。
 写真みたいに、映画のワンシーンみたいに、思い出は綺麗な夢のように、美しいままだ。

 そうか、夢なんだ。

 きっとこれは全部夢だ。
 本当は分かっていたでしょう?
 そもそも現実であるならば、もう陽太と会えるはずがない。
 私の部屋でこうやって二人話したそれだけの思い出も。もう重ねることは出来ない。
 そうだだって、彼とは半年前死別したのだ。
 ......あぁもう二度と会えないんだ。
 今でも視界の端、薄暗い部屋の奥で、彼の背中の向こうで、絶えきれなかった命が揺らいで見える。そういえばあそこだったな。
 じわじわと襲い来る現実が、夢の終わりをちらつかせた。いやだ、まだ、離れたくない。あと少し、待って。

 少しだけでもいいから会いたくて仕方なかった。
 会いたかったよ。
 それだけでいいんだ。
 これは私の願い。夢であろうと彼は私の願いにこたえてくれた。
 そういえば憑依体質だなんて話をした気もする。
 でも今はそんなことどうだっていい。
 はやく、はやく言わなくちゃ。

「ごめんね」
「え、なに葵、急に」
 夢なら何を言ったっていい。実際本人に届かなくったっていいんだ。カーテンを開けられない。薄暗いのは気持ちのせいだろう。
 面食らった様子を無視して私は続けた。
「一緒にいられて良かった、もっとずっと一緒にいたかった」
 ぽたっ、と足に雫がぶつかる。
「たくさん思い出があるんだけどね、結局一緒にいられたことが一番幸せ」
 純粋な気持ちを伝えたい。
「最初から最期まで」
 たとえ就職してあまり会えなくなっても。
「陽太がいてくれてよかった」
 いてくれるだけでよかった。
「最期まで迷惑かけてごめんなさい」
 あのね、伝えられてうれしいよ。
「ありがとう」
 ああもう、涙で前が見えない。もう夢は終わってしまうのに。
 もったいないと思うのは、贅沢だなぁ......。


「なかなか自由な話だな」
「それが彼女だよ」
 ソファにゆっくりと腰掛けた櫻田陽太は、ため息をこぼしつつ窓の外に広がる雪景色を眺めた。目の前には友人であろう男がひとり、物珍し気に櫻田の様子を眺めている。
「君が珍しく感情的になるものだから整理させてもらうが」
「好きにしてくれよ」
「もちろん」
 綾瀬は平然としていた。
「君の彼女、葵さんは夏、半年前に自室にて自殺した。荒れ果てた君が部屋を訪ねると半年後冬の早朝に現れた。最初こそ記憶がないものの君と日を重ねるにつれ現実を認識し、成仏かな、したわけだ」
「彼女がどこまで理解していたかわからないけどね」
 依然雪景色から目を離さない声は、いつも綾瀬をからかう軽さを失っていた。
「だって夢か何かと言っていたし、何日も通っていたこと気づいてないんだよ。カーテン閉めて見えるわけもないのに夜だと思っちゃってたしさ」
「そうか」
「そもそも最後だっていきなりだった。急に泣きながら話始めたかと思えば消えてしまうし」
「うん」
「何だったんだよ」
 凝視するようなその目は何も見ていなかった。
「......何だったのかな」
「さあな」
 答えなど本人にしかわからない、と綾瀬は続けた。
「ただまあ彼女がなぜ満足したかは推測できることだろう」
「十分に話せたから」
「それは尽きるものではないだろう? まあ君はまだ彼女に夢から醒めて欲しくはなかっただろうが、最大たる理由は単純に最後の言葉じゃないか」
「......」
 その言葉に、最後の瞬間を思い出す。
 もう限界だった。櫻田は顔を覆った。
 綾瀬は二杯目のコーヒーを求めて立ち上がり、ついでかのようにその肩をぽんと叩いた。その手はあまりにも軽かった。
「まったく、君もはやく立ち直ってくれよ」
 それはありきたりな言葉である。しかし、そんなことわかっているさ、という言葉は声にならなかった。
 ひとりにされた櫻田は虚空につぶやく。
「......ありがとう」


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