『赤』に憧れて アリス 命は等しく平等だ。誰が言ったか知らないけど、それは本当だろう。誰も皆、死ぬときには死ぬ。それには逆らえない。 だけど、命の価値は不平等だ。価値なんて自分で決めるものだから。私にとってはどうでもいい命でも他の人にとっては大切な命なのかもしれない。 自ら死にたいとは思わないが、自分にとって大切な人が死ぬのはある意味、自分が死ぬよりも嫌だ。 私はそれを経験したのだから間違いない。きっと私の両親は殺された。まるでさっき見た血が目の前をチラつくように視界が上手く定まらない。少し落ち着くために人目に付きにくい木陰に隠れる。どうしてこんなことになったのか。そんなことをぼんやりと思い出していた。 今はまさに戦乱の時代。各地域で様々な村々が出来上がり、それが合体して集落が出来上がっていった。我こそが日本を統一せんと戦が繰り返されていた。男は生まれた時に武器を握り、女は生まれた時に家を守ることを約束される。 私もその例に漏れず、母から家事を教わりながら平凡に暮らしていた。父たちは武器を握りしめては別の集落と鎬を削りあっていた。多くを与えられたわけではないが、確かに幸せだと言える日々だった。 だけど、そんな平凡は一瞬にして崩された。私の集落は夜襲をかけられたのだ。他の集落を襲うというのは効率的に考えれば、そこまで悪い話ではないのだ。そこにあった食料を奪いとり、未熟な子供であれば人員として確保することもできる。 立ち上がった火は私を飲み込もうとするようだった。チリチリと痛む肌に私は現状を理解し始めた。男達は武器を握りしめ、立ち上がる。自分の集落に牙を剥いた招かれざる客を打ち倒さんとするために。女は必要なものだけをまとめ、燃えないように外へ持ち出す。決して愛する者たちの勝利を疑わず、そこを動くことはない。その覚悟は何よりも美しく、実を結ぶものだと信じて疑わなかった。あんな簡単に踏みにじられるまでは。 あの火煙が、あの悲鳴が、あの鮮血が、確かに刻み込む。これは他人事なんかじゃないと。 勝敗は誰が見ても明らかだった。私の集落は負けたのだ。たった、一夜で私の当たり前は壊されてしまった。戦に負けた者たちの末路はよく知っている。男は反逆の意思を持ちうる者として殺され、女は慰み者にされる。 母は血が出るほど唇を噛み締めていた。私の父は何とか生きており、私達に合流することが出来た。父は最後まで戦い抜いてみせると言った。母はそれに何も言わずにただ静かに頷いた。それから父と母は言葉を交わすことはなく、私の方に向き直った。父は私の右肩を、母は私の左肩を握り、そっと森の方へと押し出した。決して何も言わなかった。だってそれは許されないことだから。私も何か言いたかったが両親の想いを汲んで何も言わなかった。 私は聞き慣れた男の聞き慣れない声を耳にして、託された祈りのために走り出す。足はまるで縫い付けられたかのように重かったが、それでも一歩、一歩と着実に歩を進めた。決して、その祈りだけは汚させないように。 今、思い出しても信じることができない。一度寝てしまえば、誰かが悪い夢だと言ってくれる気さえする。 「あっちにはいたか?」 「いや、いねぇ」 そんな声に冷静になる。二人の男が私を追いかけてきたみたいだ。ゆっくり深呼吸をして確認する。私は生き延びなければいけないのだ。そして私はこっそりと進み始める。見つからない様に慎重に。しかし、火は集落の近くにも燃え移り始めており、木々が足元に転がってしまっていた。丁寧に歩いていたつもりだったが下からペキリと情けない音が鳴る。結局、神様は無情で救いの手なんて差し伸べてはくれないんだ。 「誰だ」 男達の声が木霊する。私は必死になって逃げる。もはや見つかってしまっては音などは関係ない。ただひたすらに走り続けた。どうして、私だけ。どうして、私の集落だけ。私の知らない誰かが私の知らないうちに勝手に死ね。なんで、なんで、私なんだ。 それでも私は走らなきゃ。両親に報いるために。息ももはや完全に上がっていたが、体をそんな意思だけで動かしていた。だけど、どんどんと距離は縮まっていく。私はやるせない想いを吐き出すように叫んだ。 「なんで、私なんだ。どうして、私達なんだ」 走り込んだ勢いのまま、木にぶつかり、そんな自分を支え直すことも出来なくて倒れこむ。不甲斐ない。あの二人の最後の願いすら叶えられない。そんな私が不甲斐ない。 そんな時だった。まるで神様が現れたみたいだった。それほどまでに、目の前に現れた人は美しくて、神秘的だった。 「お前がリサか?」 私はその言葉に咄嗟に頷く。私は見た目と口調のギャップに呆気を取られて、何も言えなかった。そんな私を見て、微笑んだ。 「俺がその祈り、叶えてやるよ」 男達が私に追いついて、もう一人を見つけて喜んだ。 「なんだお嬢ちゃん、俺達にお友達を紹介してくれるのか。気が利いてるじゃないか」 そう言って、男達は笑い合う。だけど、そんなことはまるで気にすら留めていない様子で、男達の方へと進んでいく。そして、刀を抜いて男達に突きつけた。 「刀を抜いてください」 「お嬢ちゃん、刀はあんたみたいなかわいい子が持つもんじゃねぇぜ。もっと他にもつモノがあるだろ」 男達はそう言って笑い合う。そんな男達の皮肉に臆することなく睨みつける。 「もう一度だけ言います。刀を抜いてください」 まるでさっきの人物とは別人のように、丁寧な言葉遣いだった。言葉遣いと同様に精錬された動きだった。刀を抜こうとしない男達に対して、油断する様子もなく言い放った。 「刀を抜かないのでしたら、もう行かせてもらいます」 そこからはあまりにも一方的だった。一度、刃で斬り付けられた男達は必死に抵抗を試みるが、全く通用しなかった。強さを飾ることはなく、命を弄ぶこともなく、ただ一撃で綺麗に殺しきった。 「どうか安らかに眠ってください」 その強さはまるで鬼の様だった。圧倒的な力を垣間見た私だが、不思議と恐れる心はなかった。それどころか寧ろ、憧れすら感じてしまった。 私は憧れたのだ 何かを背負った上気した頬に 私は憧れたのだ 燃えている木々の中で舞うその姿に 私は憧れたのだ 夕焼けに照らされた白い髪に 私は憧れたのだ 刀から滴り落ちる人であった証に 私はその『赤』に憧れたのだ。 「あなたは何者なんですか?」 素朴な疑問だった。突然現れて私の命を救ってくれた。感謝を先にすべきだと思うが、どうしても先に言葉が出てきてしまった。 「ただの何でも屋さ」 何でも屋。普通によく聞く言葉。力こそがモノを言う今では、力を持つものが金品などの報酬を対価に仕事を引き受けることがある。彼らの総称を何でも屋というのだ。私がそんな風に考えていると手を差し伸べてくれた。端麗な顔とは裏腹に大量の豆をすり潰したであろう固そうな手だった。 「立てるか?」 そんな風に私に話しかけてくる。まるでさっきまでとは別人の様だった。むしろ、最初に私に話しかけてくれた時に戻った様だった。私は慌てて、自分の力で立ち上がる。 「大丈夫です、ありがとうございます」 「気にするな」 そう言って、手を引っ込めてと同時にそっぽを向いた。 「助けてもらってありがとうございます」 「大丈夫だ、報酬はすでにもらっている」 「そうなんですか?」 そう言って、私は驚く。私を救うために報酬出す人。そんなのは思い当たる限り二人しかいないからだ。つまりは私の集落の問題はすでに片付いて、両親が助けを求めたんだ。私は自分自身の気持ちを抑えながら、確認のために質問をすることにした。 「今、集落がどうなっているか分かりますか? 襲ってきた人達はいなくなったんですか?」 「あぁ、もう襲ってきた人達はいないはずだ」 「申し訳ありませんが、依頼人を聞いても大丈夫ですか」 「悪いが、守秘義務だ」 助けてもらって、無理やり問い詰める様な事をする気もない。ほとんど依頼人は決まっているのだから。自分で集落に行って確認すればいいだけなのだから。 「そうなんですね、ありがとうございます。危険かもしれませんが、私は集落に行ってみようと思います」 「そうか......」 私は頭を下げると、軋む体に鞭を打って走らせた。何度でもやり直せばいいんだ。燃えてしまった集落だって、建て直せばいい。 逸る気持ちとは対照的にゆっくりとしか進むことしかできない私はもどかしさを感じながらも着実に走ってきた道を戻っていく。私に付いてくる必要はないのだが、私が心配なのか付いてきてくれている。そうして私は集落に辿り着くことができた。いや、集落があったであろう場所に辿り着くことができた。 「なに、これ、」 もはや雰囲気でしか察せないくらいに崩壊していた。道のそこらかしらに人が転がっている。私の知っている人が助けを求める様に手を伸ばしている。だけど、その手に温かさを感じることができなかった。 私は走り回った。誰か隠れている人はいないか。誰が生き延びてる人はいないのか。絶望に染まった顔。温かみのない手。一つの風景しか映さなくなった目。 私は唯一の希望を持って家へと向かう。何となく最初に行くのは本能が避けてしまった。あの惨状を見れば、何となく察してしまったから。だけど、報酬を支払ってくれたであろう両親ならば生きているはずだと。一縷の望みを持っていた。 私の家は他の場所とは異なり、かなり明確に残っていた。実際に私の家まで近づくと明かりが点いているのが分かった。私はドアに迫り、勢いよくドアを開けた。 「ただいま!」 だけど、その答えが返ってくることなかった。まるで仲良し夫婦の様に手を繋いでいる。胸の刺し傷から血が大量に溢れ出している。だけど、そんなことすら構わずに、自ら命を差し出したと言わんばかりに微笑んでいるのだ。私の両親もすでに死んでしまったのだ。 その時、ドアがゆっくりと開かれる。来た人は想像できるので振り返りもしなかった。そして私に見向きもせずに、私の両親の前で跪いて、頭を下げた。 「お二人とも、約束は果たしました。安らかに眠ってください」 私は訳が分からなくなった。報酬を支払ったはずの両親が死んでいるのに約束も何もないじゃないかと。私は思うがままに言葉をぶつけた。 「すいません、どういうことか教えてもらってもいいですか?」 「どういうことかって?」 「はい、報酬を支払ったはずの両親が死んでいるのはおかしいじゃないですか。敵の残党にでも殺されたんですか」 「いや、違うよ」 「どういうことですか!」 的を得ない答えにイライラし始める。 「答えを知っているのなら、もったいぶらないで教えてください」 ため息をついて、私に向き直る。 「分かったよ。お前、『赤鬼』って聞いたことあるか?」 「ありますけど。それが今、何の関係があるんですか!」 「あるから話してんだろうが。少しは自分で考えろ、バカ」 『赤鬼』。史上最強と言われる何でも屋。自分の仕事に対する正当な報酬をもらえれば、どんな仕事でも請け負う。 「『赤鬼』がなんだっていうんですか」 「その『赤鬼』ってやつは俺なんだわ」 「あなたが『赤鬼』?」 「そう、俺が『赤鬼』って言われてるやつだ。自分ではその名前に納得してないけどな。俺はお前を助けるっていう依頼を受けた。お前の両親の命を報酬にしてな」 「なっ......一体どういうつもりですか!」 「どうもこうもねぇよ。仕事と報酬が釣り合ったから受けただけだ」 『赤鬼』は私を見据えて微笑む。 「だから、お前には俺を殺す権利がある」 そう言って、私の父の腰から刀を抜き取り、私に差し出した。私はそれをゆっくりと受け取った。 「ただし、その刀を抜くのなら覚悟してください」 そう言って私に刃を突きつけた。私は何も言うことは出来なかった。もう死んでしまいたい。このまま私を殺してくれれば、何も考えなくて済む。その方がきっと楽だ。 私は両親の方へとゆっくりと進んでいく。油断することなく刃は私に向けられている。どうして、自分達の命を犠牲に私なんかを助けたのか。どうして、そんな傷だらけになってまで生きたのに、命を投げ打ってしまったのか。もういいよ。どうせ死ぬんだから。せめた、両親の側で死にたい。繋がれている手に手を伸ばす。私もこれで一緒になれるのかな? だけど、その手から温かさを感じることは出来ないのに、父の右手と母の左手は私に生きろと呼びかける様な温もりを感じた。まだ、私とは一緒になれないと両親は叱咤していた。きっと、そんなものは幻想だ。それでも、私は二人の祈りを叶えたいと思ってしまった。 「 あなたも二人の祈りを無駄にするんですね」 そう言って、悲しそうな顔をした。どうして、あなたが悲しそうな顔をするんだ。 「 どういう......こと?」 「いえ、忘れてください」 生きなきゃ。必死に考えろ。死のうと考えていたさっきまでとは異なり、思考がクリアになる。おかげで少しずつ考えがまとまり出す。私は話をしながら整理することにした。 「何個か聞かせてもらってもいいですか?」 「そのままの姿勢でどうぞ」 「私の両親はあなたが来た時、どの様な状態でしたか?」 「お二人とも怪我をしていました」 「どうして命という形のない報酬でどうして納得したのですか?」 「私が殺したかったからです」 「あなたはどうして敬語を使う時と使わない時があるんですか?」 「私は命には敬意を払うべきだと思っています。どんな人であれ命は平等であるべきです。だからこそ、私なりの最大限の敬意を表してるつもりです」 「あなたへの依頼はなんだったのですか?」 「娘をよろしく頼むとのことでした」 「私の両親は最後に何かを言っていましたか?」 「ただ、愛してると。それだけです」 私の中でゆっくりと全てが繋がっていく。私はさっき自分で見たことと整合性を確認していく。そして私は自分の中で答えを出した。 「私はあなたとは戦いません」 「そうですか」 私のほうを見ながら、ゆっくりと刀を鞘に納める。少し悲しそうな顔をしていて、自分の考えが正しいのだと感じる。 「約束は果たされた。またの機会があれば、どこかで」 「いえ、まだ約束は果たされてないません。私はまだ生きています。私をよろしくということは、私が死ぬまで面倒を見ろともとることができます」 「じゃあお前を殺せと?」 「もし、それを望むならばご自由に」 私は鋭い視線に一歩も引かずに、言い返す。 「......」 「きっとあなたは私を殺せる。だけど、それはしたくないはずです」 「何を知った風に......」 「えぇ、知りません。だから、教えてください。あなたのことを」 「私が生きる意味を見出すために」 「嘘偽りなく答えてください」 「あなたは、どうしてそんなに一人で背負いこむんですか?」 次はそっちが黙り込む番だった。 「あなたが両親の命で納得した理由。もはや、私の両親は助からなかったから。違います?」 君は黙り続けたままだった。 「本当は殺したくなかったんじゃないですか?」 きっと、君はもう助からない両親を苦しませないために刃を向けたのだ。それを自分の報酬として、私を助けたのだ。誰よりも人に優しくて、誰よりも自分に厳しい選択だ。 「それは、違うよ」 君は喉の奥から捻り出した様な小さな声で否定した。小さい声だけど、芯の通った声だった。 「俺はお前が思うような優しい人じゃない」 「俺は殺したくて殺したんだ」 「『赤鬼』ってさ、本当はよく出来た異名なんだ。人の斬り方を覚えてしまった。人の殺し方を分かってしまった。俺は人を斬ることで快感を覚えてしまう様になったんだ。俺は人が殺したくって仕方ない『鬼』なんだ」 「何度も自分で死のうとした。だけど、出来なかった」 「だからさ、本当はお前に殺して欲しかったんだ」 「それは弱さかもしれない」 「だけどやっぱり俺は『人』でありたかったんだ」 自分を人殺しの鬼だと思いながら、人でありたいと願う。何と修羅の道だろうか。誰よりも人であろうと気高く生き、誰よりも自分に抗おうと厳しくする。だからこそ、私は君の戦い方に憧れた。誰よりも命を大切にしているあなたに、誰よりも私の両親の命を大切にしてくれた君に私は微笑む。この感情が何かは分からない。だけど、君のそばにいたいと思った。 「あなたは『鬼』と戦い、『人』であろうとした。あなたは決して余計な人殺しはしなかった」 「だから、私はあなたを殺さない」 君は悲しそうな顔で頷く。 「私が生きている限り、あなたが『人』であると言い続けます」 「だけど、もしあなたが『鬼』になるんだとしたら、その時は私があなたを斬ります」 「これはあなたが『人』であることへの報酬です」 「そしてこれから私が生きる道です」 「だから、これからもどうぞよろしくお願いします」 これが私と『赤鬼』との初めての出会いだった。
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