魔法少女学校の異端者(6)

水原ユキル


水原ユキル



 魔法少女は無敵だ。
 正義の心さえあれば、守りたいと思うものがあればどんな困難だって怖くない。
 一人では無理でも、仲間と共にいれば、何でもできる。
   そう、信じていた。
 戦える魔法少女  魔法戦士をある理由により引退した山県実歩は、魔法少女とは関係のない平穏な人生を歩もうとしていた。
 だが"元"最強の魔法戦士であった彼女は未熟な後輩の魔法少女の指導員として雇われてしまう。不本意ながらも魔法少女学校の職員に採用された実歩。しかし、そんな彼女の担当する少女たちはあまりにも魔法少女らしくない魔法少女たちで   ?




〇用語解説

想力(イマジン)      魔法少女のエネルギーであり、異能であるスキルを発動させるための源。これらに適性を示さない者は魔法少女になることは絶対に不可能である。

戦闘魔装(コスチュームデバイス)    対となるトランスフォンを起動させることにより、召喚できる衣装。魔法少女はこれを身に纏うことにより、変身前とは比較にならないほどの戦闘力を発揮できる。

トランスフォン 戦闘魔装を呼び出すために必要なスマートフォン型端末。魔法少女となる者はまず、これを使いこなせるようにならなければその資格を得ることはできない

魔法少女    想力に適性を持ち、戦闘魔装を身に纏いスキルを操る特異存在。上位クラスの者になると個人固有の武装である想力援(ブースタ)具(ー)を召喚し、より高度なスキルを発動できる。

魔法戦士    魔法少女の中でも特に強い戦闘力を発揮でき、魔法少女学校を卒業した者に与えられる資格。

ランク     魔法少女としての強さを表す指標。最高はS、最低はE。大半はDランクであり、全体の七割を占める。想力援具を呼び出すには最低でもCランク以上の力が必要とされる。攻撃力、防御力、想力量、魔法力、敏捷性などのステータスも参照し総合的に判断する。

GI     『ギルド』と呼ばれる魔法少女グループの指導員。ギルドインストラクターの略。

GM     ギルドマネージャーの通称。GIが元魔法少女の職員が受け持つことが多いのに対し、GMは一般人職員の担当が多い。主にギルドの補助的な役割を担う。

スキル    魔法少女に変身した後に行使できる異能。ランクが高ければ二つ以上のスキルを使えることも多い。また、想力援具を召喚することでスキルを強化したり、新たにスキルを行使したりすることも可能である。

ジョブ    魔法少女たちの戦闘スタイル。攻撃が得意な<ファイター>、防御に長けた<ナイト>、遠距離攻撃と敏捷性がずば抜けた<シューター>、相手の妨害と味方の補助をこなす<マジシャン>の四種類があり、それぞれのジョブごとにステータスの傾向があり、得意とするスキルや戦法にも差が見られる。ギルドの編成において、ジョブを偏らせるか統一するか、どちらが強いかは一概に結論を出すことはできない。

〇登場人物

山県(やまがた)実(み)歩(ほ)    二十歳。元最強魔法少女。今は引退。魔法少女に変身することを嫌がっている。童顔であるためスーツが似合わない。腰まで届くようなチェリーピンクの髪とスカイブルーの瞳が印象的。
童顔には似合わないクールな口調で 話す。国立大学に進学し、魔法少女に縁のない人生を送ろうとしたが、魔法少女としての適性の高さから魔法少女の指導者に抜擢され、魔法少女の指導を不本意ながら請け負う。

池内(いけうち)励(れい)菜(な)    十四歳。ランクはE。魔法少女らしく明るい性格をしているが、想力の適性があまりに低く周囲から「落ちこぼれ」と揶揄される。セミロングの薄い茶色の髪にくりくりとした瞳が特徴。

妹尾(せのお)優(ゆう)     長く、淡い青髪と自信なさげなたれ目をした女の子。十四歳。励菜と比べるとおどおどした性格が目立つが、数値上の実力はトップクラス。遠距離攻撃を得意としている。

月(やま)見里(なし)マリン  十四歳。パーマのかかったふわふわとした金髪を肩まで伸ばした少女。可愛らしい容姿に反し、表情に乏しく、何を考えているか読みづらい。毒を主体にした戦法が得意。

平松夢果(ひらまつゆめか)    ギルドのマネージャー。二十歳。ウェーブのかかった明るめの茶色の髪を後ろで束ねている。不真面目そうな外見だが、世話好きで人当たりの良い性格。楽しいことが好き。実歩とは高校からの同級生であり、良き理解者。
   
藤堂(とうどう)勇(ゆう)我(が)    励菜たちの通う飛翔学園の理事長。三十代程度の男性。強面だが不当な扱いを受ける低ランク魔法少女や闇の魔法少女へ理解を示している。

西園寺(さいおんじ)汐音(しおね)   飛翔学園の理事長秘書。温厚そうに見えるが怒ると怖いらしい。藤堂と同じく魔法少女の間である差別をなくそうとしている。

〇前回までのあらすじ
 実歩と励菜はお互いの決意を確かめ合い、試合出場への意志を固めた。
 励菜の切り札"闇の想力"も磨き上げ、日々成長を重ねていく。
 圧倒的に不利ともいえる強敵との邂逅がありつつも、二人の決心が揺らぐことはなかった。
 そして、決戦への舞台はすぐに目前に迫っていた。


第四章 "わたし"の想い。  そして力

1

 試合前日。
 スパシャンの三人と実歩、夢果の五人はとある定食屋に集まっていた。前日とはいえ特に変わった練習はしていない。試合前に無理をさせるわけにはいかない。むしろ適度に緊張をほぐすことが重要だ。今日は景気づけに外食をしようということになった。
 前に座る励菜、優、マリンの三人に向かって、実歩は真摯な口調で切り出す。
「みんな......本当に今までよく頑張ってくれたわ。厳しく当たっちゃうこともあったけど、あなたたちならできるって信じてるわ。それから  」
 実歩はそこで言葉を切り、瞑目じみた瞬きをした。
「魔法少女らしいとからしくないとか考えないで。あなたたちはあなたたちの戦い方で行きなさい。他人がどう思っていようと、私はみんなの戦い方が好き」
 励菜と優が目を丸くしていた。二人とも己の戦法が肯定されるとは思っていなかったのかもしれない。
「自分しか持ってない想いがあるなら、その想いを大切にして。どんな想いだろうと、それを受け入れて。......そうしたら想いはきっと力に変わってくれる。  もし試合中に迷うようなことがあれば、さっきの言葉を覚えておきなさい。他人からどう思われようと、みんなはみんなの想いで戦いなさい」
 励菜と優は目を瞑り、実歩の言葉を記憶に刻みつけるように聞いていた。マリンはいつも通りの無表情だったが、彼女もまた真剣に耳を傾けているように見えた。
「あははっ、まあ何か難しいこと言ってるけどさ、要は思う存分暴れてこいってこと!」
「少し違うような気もするけど、まあそんな感じかしらね」
 夢果の快活な物言いに苦笑しながら、実歩はそっと耳打ちする。
「それより今度は大丈夫なのよね?」
「へーき。このお店、ご飯のお代わりは無料だし!」
 前の打ち上げから少しは学習したようだ。実歩は少しだけ安堵した。
「よぉし! さあ、今日は大人二人で奢るから好きなもの頼みな! ご飯と味噌汁のお代わりは無料だからどんどん食べな!」
「わぁい! ありがとうございます!」
「あ、ありがとうございます......! いただきます......!」
「ごちそうさまー」
 三者三様の反応を見ながら、実歩はほんの少しばかり微笑んでいた。
(本当にこの人たち、面白いわ)
 励菜も優もマリンも夢果も......本当にみんな個性豊かで面白い。自分でも気づかないうちに、実歩はこの人たちといることが楽しくなっていた。
 気兼ねなく話せる仲間のありがたさを、実歩は強く感じていた。
(いつの間にか、私はこの人たちのことを好きになっていたのね......)
 僅かに目を細めながら実歩はしみじみと思った。
 勿論そんな思いには誰も気づくことはなく、料理が運ばれると、励菜と優はすぐさまがっつき始めた。二人の相変わらずの食べぶりに実歩は思わず笑ってしまった。

 試合当日。
 この日は授業がなく、一日を通して試合が行われる。
 最初の出番は優だった。その次にマリン、そして午後の部から励菜が出場する。
 控え室に待機する優は、すでに魔法少女への変身を済ませていた。緊張した面持ちで立ち尽くす彼女に、実歩は最後の応援を行う。いつものメンバーも一緒だった。
「いつも通り戦えば大丈夫よ。自信を持って行きなさい」
「はい......、が、頑張ってきます......!」
「ま、あんまり緊張せずにリラックスリラックス、ね! 優ならできるって!」
 ぐっと親指を立てながら夢果がウインクをした。
「優、いつもの射撃スキル、見せちゃって!」
「いつも通りにがんばれー、優」
 励菜は握り拳を作りながら、元気の良い声で。優はのんびりとした口調で励ます。
「み、皆さん......ありがとうございます!」
 幾分か緊張が緩和したのか、優にしては珍しく自然な笑顔が咲いた。
「お礼なら試合の後でいいって。さ、それより円陣組むよ、円陣!」
「え、円陣?」
 逡巡を見せたのは実歩だけだった。他の四人は打ち合わせでもしていたかのように、ささっと円形に並んだ。
「えっと、掛け声は何にしよ......?」
「考えときなさいよ」
「んー......まあ、普通に『行け行け、スパシャン! ファイト、オー!』とかでいっか?」
「普通じゃない気がするけど......」
「ま、細かい話はいいの。それじゃ行くよ」
 五人の手が重なる。
「行け行け、スパシャン! ファイト  」
『オー!』
 天井に向かって突き出された、五人の手。
 元気良く言ったのが励菜と夢果。照れくさそうに言ったのが優と励菜。緊張感のない声がマリンだった。
 言い方は、全員がバラバラ。程度の差がある五人の笑顔。
   それでも、全員の心ががっちりと噛み合うのを感じる。
 試合開始まで残りわずかを知らせるアナウンスが響き、優は表情を引き締めた。しかし口元には安心したような微笑が浮かんでいた。
「それじゃ皆さん............いってきます!」
「『想い』のままに戦ってきなさい」
 実歩は最後にそう声をかけ、試合場へと続く扉を開ける優の背中を見送った。

 優の初戦は彼女の圧勝で終わった。
 開始直後、優は刹那の内に彼女の想力援具《ガーンデーヴァ》を呼び出し、跳躍。そして空中からの狙撃  これですべてが終わった。
 優の対戦相手はBランクのアタッカーで、優の方が有利とはいえ圧倒的な勝利だった。
 試合終了後、実歩は次のように言葉をかけていた。
「お疲れ様、優。本当に見事な射撃だったわ」
「あ、ありがとうございます......!」
 優は顔を赤く染めながらも、どこか誇るように微笑んだ。だが不意に何か不安なことでも思い出したかのように優の眉尻が下がった。
「で、でも......今回はたまたま私が有利だったってだけで......」
「そう? あなたはもっと自信を持っていいと思うわよ」
「はぅ......」
 実歩としては褒めたつもりだったのだが、優はなぜか肩を落とした。
 実歩が訝しんだ直後、控え室のドアがバタン、と勢い良く開き、励菜が飛び込んできた。
「優、おめでとー!」
「はぅ?」
 励菜が優を押し倒さんばかりの勢いで抱きついた。
「もう、ほんとかっこよかったよー! さっすが優!」
「お、大げさだよ、励菜ちゃん......」
 励菜に頬擦りをされながら、くすぐったそうに目を細める優。続いて夢果とマリンも入ってくる。
「やっほー。お疲れ、優!」
「おめでとー」
 一気に騒がしくなった控え室の中、実歩は考えていた。
(この子、もっと自信を持っていいような気もするけど......)
 そう。優に足りないものは"自信"ではないだろうか。調子に乗り過ぎるのは危険だが、彼女の臆病な人間性は戦場ではやや命取りかもしれない。戦いでは少々のことでは動じないような芯の強さも必要になる。
 練習試合が近くなってからは、励菜を中心に練習をしていたが、これ以降は優を中心にしてみるのも面白そうだ、と実歩は考えていた。
 
 マリンの前に立つのは、西洋の騎士を連想させるような戦闘魔装《アルテミス》に身を包んだナイトの魔法少女。彼女は自分の勝利を確信しているかのように笑っていた。
「ふっふっふ......初戦であたしが相手になるなんて運が悪かったわね、月見里マリン!」
 びしっと指を突きつけた。
 ワインカラーのマントに、白いブラウス。童話の魔法使いのような衣装  《ティーシポネー》を着たマリンは顎に人差し指を当てると可愛らしく小首を傾げた。
「えっと~......、誰だっけ、キミ?」
 本当に忘れているのか、忘れている振りをしているだけなのか、無感動な顔と間延びした口調からは判別できなかった。だがどちらにしても対戦相手の神経を刺激したことは間違いないようだ。彼女は眉を吊り上げてマリンを睨む。
「っ......! 忘れたとは言わせないわよ......! このBランクナイト仙石アユムを!」
 以前、マリンたちに絡んできた女子生徒だ。マリンはしばらくアユムをまじまじと見つめた後に、ようやく合点したようだ。
「あぁ~......、そういえば、そんな子もいたような気がしなくもないな~」
「あんた......! どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのよ......!」
「馬鹿になんかしてないけどな~」
 憤怒の形相で鼻息を荒くするアユムとは対照的に、マリンはいたってマイペースだ。
「もういいわ。あんたのことも気に入らなかったのよね。串刺しにしてあげるから」
「おお怖。魔法少女が言う台詞じゃないよ」
 二人が開始線上に立った数秒後、開始を知らせるブザーが鳴り響き、試合の火蓋が切られた。
「行くわよ  《ダボウ》!」
「出ておいで  《アスクレピオス》」
 双方が想力援具を召喚した。
 マリンがぱちん、と指を鳴らすと、人魂を連想させるような蒼い火球が虚空より現れ、主の元に馳せ参じる。マリンは火球を掴むと踊るようにその場で回転。瞬間、彼女の足元を中心に菫色に発光する魔法陣が展開した。幾何学的な紋様をいくつも組み合わせかのようなそれからは、膨大な想力が光の粒子となって浮き上がり、マリンを取り巻く。その刹那、火球は紅い宝石を埋め込んだ藤紫色の杖へと転化し、マリンは重力の存在を忘れたかのように床から数センチの距離を保って浮遊した。言うまでもなく彼女の想力援具《アスクレピオス》の効力だ。
 槍型の想力援具《ダボウ》を手にしたアユムは、矛先をマリンに向けると好戦的な笑みを見せた。
「ふん、そんなちゃちな武器であたしに勝とうなんてね!   《チャージインパクト》!」
 アユムが腰を落として構えた直後、槍先に光の奔流が渦を巻く。
「吹き飛べ!」
 裂帛の気合と共に槍を振り下ろした直後、激烈なエネルギーの塊となった光の槍がマリンを目掛けて飛びかかった。
「っ!」
 咄嗟に前方に手を突き出して巨大な魔法陣を展開。が、その直後に強烈な破砕音を残して魔法陣が崩壊した。周囲に白い煙を伴った爆風が吹き荒れる。凄まじい威力にさすがにマリンも驚きを隠せないようだ。
 してやったり、とほくそ笑むアユム。槍を構え直すと、マリンに突撃。
「うりゃあああ?」
「くっ」
 アユムの猛攻にマリンは無数の魔法陣を召喚して牽制。僅かな隙を突いて《ショット》での反撃を試みる。フィールドに設置されているコンテナの陰に身を隠した。実戦を想定して試合場にはバリケード代わりにコンテナや木箱が随所に置かれているのだ。
 指の間に想力を凝集させ、光弾を形成する  が、すぐさま別の形状へと変わった。
 それは投げナイフだった。《ショット》の中では稀有な型だ。
「行け」
 アユムの死角を突いて六本のナイフを投げた。紫色の線を描きながら迫るナイフはトップランクシューターに匹敵するほどの精度と威力を秘めている。完全な死角からの攻撃。避けられる道理などあるはずがないが  
「っ! ふん、そんなものぉ!」
 アユムの実力も相当なものだ。一瞬驚いたような素振りを見せたが、すぐにマリンの奇襲を察知し、右足を軸にして身体を独楽のように半回転。縦横に槍を振り、襲い来るナイフを全て叩き落とした。落とされたナイフは光の粒となって霧散。
「そこにいたのね、覚悟しなさい!」
 全霊を持って両足で地を踏み、身体を沈める。刹那、眩い光が槍から噴き上がった。
「!」
 超強力な槍の一撃がマリンの胴体目掛けて飛び込んでくる。間一髪で回避したが、その顔には驚愕が張り付いていた。
「あっはは! 逃げてばっかりじゃないの! さすがは役立たずジョブのマジシャンね!」
 苛烈にマリンを追撃。マリンの胸元を狙って槍を振るい、突き、槍の嵐を降らせる。マリンは隙無く飛来する攻撃を防ぎ、回避するだけで精一杯だった。
「ッ? 危なっ......!」
 矛先がマリンの頬を掠めた。同時に、光の破片が飛び散った。それはマリンを守る障壁が損傷を負ったことを意味する。
 慌てたようにマリンは後方に跳び、バリケードに隠れた。その顔には余裕がなく、冷や汗が滲んでいるように見えた。
マリンの劣勢を見て、アユムは《ダボウ》を縦に持ち替えると高らかに笑った。
「あははは! どうしたの? 弱過ぎて話になんないわよ! 打つ手がないなら降参したらどうなの?」
 すっとマリンが姿を見せた。俯いているため表情はよくわからないが、アユムには戦意を喪失したように見えたようだ。アユムはげらげらと笑った。
 しかし  この時アユムは露ほども気づいていなかった。マリンの唇の端がにや、と歪んだことに。
「随分と自分に自信があるみたいだけど......それがキミの命取りになったね」
「はぁ? あんた、何言って  」
 アユムに異変が起きた。
 突然、全身が焼けるように熱くなったかと思うと、脂汗が噴き出る。呼吸が困難になり、視界が霞む。堪らずその場に膝をついた。
「何なのよ、これ......っ?」
 槍を杖代わりにして何とか全身を支える。周囲を見渡してみて、ようやく気づく。
「なっ?」
 彼女の周囲に、いやフィールド全体に濃い紫の気体が浮かんでいた。
「気がついた? そう。悪いけどキミはもう自由に戦えないと思う。ボクの固有スキル《魔女(ポイゾ)の(ネス)毒(ル)泉(ーム)》の効果だね」
「嘘、でしょ......? あんた、こんな大掛かりなスキルを使う暇なんて  」
 マリンは口元を隠しながら上品に笑う。
「劣勢を演じながら毒を撒くのはなかなか楽しかったよ。フィールドが広かったから手間がかかったけど、キミ、思ったより警戒心がなかったから途中からは楽だった」
「そんな......! あれが演技だっていうの......!」
「世の中には色んな戦法があることを知ったほうがいいよ」
「この卑怯者ぉぉおお............? だからマジシャンは嫌いなのよ......!」
 アユムの吐き出した悪罵に、マリンは大げさに肩をすくめてみせた。
「そ。キミが言うとおりマジシャンは卑怯なやり方が多い。だから人気もないんだけど。まあ、最近ボクたちの戦い方を好きって言ってくれる人がいて、それには驚いたんだけど」
「くっ、ぬうぅ......?」
 がくがくと足を震わせながら、槍を構えようとするが、うまく力が入らないらしくその動作はあまりに鈍い。
「あんまり無理しないほうがいいよ。キミ、病人なんだからさ」
「う、るさいっ......」
「そっか。じゃあ、仕方ないね」
 マリンは小さく嘆息すると、何の気負いもなしに手を前に出した。すっと目を瞑ると  
「纏わりつけ」
 カッと見開かれた両目がルビーのように発光。
 刹那、心臓に激痛が走ったらしく、悲鳴がアユムの口から迸った。胸元を押さえながら床をのたうち回っていたが、その動きもやがて小さくなり、最後にぴくぴくと身体を痙攣させた後に、白目を剥いて気絶した。アユムの戦闘魔装が解かれる。
 試合終了を知らせるブザーが鳴った。
「キミの体内にある毒素を操作させてもらったんだ......って聞いてるわけないか」
 そこでようやくマリンは《魔女の毒泉》を無効化した。フィールド全体に覆われていた毒の気体が消えた。
「状態異常対策は万全に。常に相手が正攻法で勝負するとは限らないからね」
 マリンは最後に人差し指を立てながらアドバイスをするように言うと、リングを後にした。

(血も涙もない攻め方......でも、見事な戦いぶりね)
 試合を終始見守っていた実歩は本心からそう思った。
 敵の挑発に乗らず、なおかつ敵に悟られないうちに己の術に嵌める。
 マジシャンは必然的にこういった高度な戦法を求められる。
スキルの特殊さ、戦略の読みづらさは随一だが、その代償として魔法力と想力量以外のステータスは低めであり、特にシューター以上に防御力が低い。接近戦になるとその脆さが露呈する。よって、正攻法には向かず魔法少女らしくない陰湿ともいえるようなスキルで搦め手から攻めなければならない。扱いづらいため最も不人気のジョブであり、このジョブを極めた者はごくわずかである。
マリンはその中でも卓越したマジシャンだ。
 月見里マリン。いつも飄々としていて、何を考えているのか読めない女の子。しかしそんな人間性も彼女の強さの一つなのかもしれない。とにかく、彼女は特殊過ぎる。
("毒"を自在に操る魔法少女......マリンも、育ててみたら面白そうね)
 優にも同じようなことを思ったが、マリンも選手として興味深い。試合が終わったら、マリンを主体にしてみることも視野に入れていた。

2

 ピンクの戦闘魔装《コーラルハート》に身を包んだ励菜に、実歩は優しくも、真剣な口調で声をかける。
「闇の想力の使いどころには気をつけて」
「はい」
「あなたの"想い"の通りに戦ってきなさい。......頑張ってね」
 言えたのはそれだけだった。本当はもっと励ました方がいいのだろうが、上手く言葉にできなかった。
「はい! 実歩ちゃん、ありがとうございます!」
「れ、励菜ちゃん......き、気をつけてね。......でも、私信じてるから......!」
「励菜ならきっとできるよー」
「張り切って行っておいで! 励菜!」
 残りのメンバーからの激励を受け、励菜は笑顔でガッツポーズを返す。
「みんなありがとうございます! わたし、絶対に勝ちます!」
 迷いのない、力のこもった声だった。それを聞いて実歩はほんの少し安心した。
 励菜は最後にメンバー全員と拳を軽くぶつけ合うと、リングへと続く扉へと向かう。
 その足取りはしっかりとしていて、微塵の恐れも感じられない。
「れ、励菜!」
 半ば反射的に実歩は励菜を呼び止めていた。彼女は立ち止まったが、振り返らなかった。
「私......あなたが勝つって信じてるから」
 考えた末に出した言葉がそれだった。
 ここから先はもう助けることはできない。励菜一人の戦いになるのだ。
 理不尽にひたすら耐え、夢を否定されようと、励菜は折れることなく努力し続けた。
 そして、ようやく掴み取ったチャンス。だが、敗れれば全てが水泡と化す。
 幾重に被さってくるプレッシャーを彼女は一人で背負おうとした。
 そんな相手にかけてやる言葉を、実歩は知らなかった。だから、さっきの言葉も励菜にふさわしいものだったのか実歩にはわからなかった。だが  
「いってきます、実歩ちゃん」
 励菜は柔らかな笑みと共にそんな言葉を残し、扉の向こうへと消えた。
 彼女がいなくなって、控え室の中は張り詰めた空気に包まれていた。
「励菜ちゃん、大丈夫かな......」
 ぽつり、と優が心配そうに呟いた。
「今は励菜を信じるしかないよ」
 そう言う夢果の口調には明らかに余裕がなく、目にも切迫した色が宿っていた。
「あの子なら、きっと大丈夫よ」
 不安そうになる一同を見渡して、実歩は全員に、そして自分自身にも言い聞かせるように言った。
 Eランクが試合に出るなどこれまでにほとんど前例がない。それゆえに生じる命の危険。
 不安にならないわけがない。試合直前になってそれが顕著になって現れたのだろう。実歩だってその不安に押し潰されそうになる。
 それでも、
「私たちが、あの子を信じてあげないとダメ」
 実歩が言い放ったその言葉に、一同は深く頷いた。

 実歩が審判用の観覧席に行くと、自席には赤いボタンが置いてあった。夢果は別の職員用の観覧席にいるため、この場にはいない。
「山県実歩さんですね。Eランク魔法少女が試合に出るということで特別な配慮をさせていただいています」
 そう話しかけてきたのは実歩の隣に座る、理事長秘書・西園寺汐音だった。
「といっても、理事長の意向により特別扱いはしないつもりです。ただ、生徒を死なせることは絶対に避けなければなりません。そこで、この非常用ボタンです」
 西園寺がボタンを手で示した。
「これを押せば強制的に試合を止めることができます。ただし、状況にもよりますが、ほぼ確実に池内さんの負け扱いになるので注意してください」
 実歩はボタンを凝視した。このボタン一つで励菜の生死が決定するのかと思うと、急に存在感が増したように思えた。
「私たちは、基本的には池内さんと山県さんの意思にお任せしようと思います」
「それはどうして......」
 西園寺は少し間を置くと、意味深に微笑んだ。
「池内さんと最も身近に接していた山県さんだからこそ、わかるものがあるから  理事長はそう仰っていました」
 ドキリ、と心臓が跳ねた。
 また自分の判断次第で大切な人を死なせるかもしれない  そう思うと、実歩の胸が激しく揺れた。乱れそうになる呼吸を抑えながら、ぎこちない動作で腰を下ろす。
 静かに目を閉じて実歩はこれまでを振り返る。
 やれるだけのことは、やったはずだ。
 敵の戦力、傾向を分析した上で日頃の練習メニューを組み立てていた。
 対シューター戦の戦術も励菜は頭に叩き込んでいるはずだ。
 圧倒的な実力差を埋めるために修行した。今ならきっと勝機はある。
 それに  いざという時の切り札闇の想力もある。
 だから、いつも通りに戦えば良いのだ。
 目を開けると、励菜の反対側から対戦相手である美空が入場してきた。
 いよいよ始まる。実歩はごくりと唾を呑んだ。

「やはり来てしまったんですね」
 アイドルのようなひらひらとした衣装に、白のロングブーツ。戦闘魔装《シルフ》を纏った美空はやけに重苦しい口調で話しかけた。
「当然です! この日のためにわたし、がんばってきたんですから!」
 美空は心底不愉快そうに眉を歪めた。
「わかっているのですか? これは遊びではないということを」
「知ってます!」
「......なるほど、実際に危険な目に遭わないとわからないみたいですね」
 二人の魔法少女は開始線上に立ち、身構えた。
 カウントダウンが終わり、試合開始のブザーが鳴り響いた。
 その直後、励菜が横に大きく跳んだ。
「っ......!」
 美空は目を剥いた。励菜がついさっきまで立っていた位置を、三発のエネルギー弾が通過した。美空の放った《ショット》だった。
 励菜は身を翻すと、さっとバリケードの陰に身を隠した。忌々しそうに美空が舌打ちをする。
「何の真似ですか? もしかして本気で私に勝つつもりですか?」
「当たり前です! 勝つつもりで行かないと試合の意味がありません!」
「あなたみたいな弱者がそれを言うとは」
 美空は苦虫を噛み潰したような顔になった。励菜の態度と言動のどちらもが癪に障った。格下の相手が試合に出るというだけでそもそも分不相応なのに、この魔法少女はあろうことか本気で自分を倒そうとしている。それが面白くなかった。
 そっと顔だけを出して励菜は敵の様子を窺う。明らかに敵のペースは乱れているようだった。
(実歩ちゃんの言ってくれた通りだ!)
 対シューター戦の要は一か所に止まらない、ということだ。ただでさえ不利なアタッカーならなおさらだ。
 障害物に隠れて相手の射撃を凌ぎつつ、常に動き回ることで相手を惑わす。相手が自分を見失っているうちに、隙を見て接近し、肉弾戦に持ち込む  これはアタッカーにおける対シューター戦の常識だ。当然実歩から教授を受けていた。
「あなたがその気なら私も容赦はしません。  《ゲールスタッフ》」
 銀色に輝く、杖型の想力援具《ゲールスタッフ》を顕現させた美空は杖の先で想力を膨張させる。
「!」
 咄嗟に身の危険を感じた励菜は一気に駆け出した。
 すると背後で耳をつんざくような爆発音。振り返ると、励菜が隠れていたコンテナが天井近くまで舞い上がり、濛々と煙が巻き上がっていた。
(危なかった......!)
 背中に冷たいものが流れるのを感じながら、励菜は俊敏に戦場を駆ける。
「この、うっとうしい......!」
 逃げ回る励菜を仕留めようと美空は光弾を連射するが、励菜はその度に前転で回避し、時には障害物に隠れながら、美空の射撃の嵐を切り抜けていった。
「くっ......」
 想力の過度の使用のせいか、美空が顔を片手で押さえながらよろめいた。
 その隙を励菜は見逃さなかった。
(今だ!)
 箱の陰から身を躍らせると、疾風の如き速度で美空に接近する。一気に相手の間合いに飛び込むと、胸元目掛けて強烈な拳打を見舞う。
「っ?」
 寸前で杖を用いてガードしたが、衝撃を殺し切れず、大きく弾き飛ばされ、コンテナに背中から激突。息が詰まる。この好機に励菜は一気に追撃を試みるが、美空の放った《ショット》によって牽制される。あとちょっとだったのに、と歯噛みしつつも再びバリケードに逃れた。
 だが励菜は確かな手応えを感じ、気持ちが高揚していた。
「なるほど......少々甘く見てたかもしれません。でも、わかりませんね。どうして、無駄に試合を延長させたがるんですか?」
「無駄なんかじゃありません! この試合、わたしが必ず勝ってみせますから!」
「そうなんですか......ふふっ」
 美空は怪しく微笑んだが、その瞳には殺気が溢れていた。
「私も随分甘く見られたものですね」
 凄みのある声に励菜は息を呑んだ。だが、動揺することはない。相手はまだ動きを見せていない。想力を練っている気配もない。この隙に背後へと回り闇の想力を発動させた一撃を叩きこめば  。
 励菜の思考は突然脇腹に走った衝撃と、ガラスを割ったような破砕音によって途切れた。
「えっ......?」
 恐る恐る脇腹を見ると傷口を中心に衣装が真っ赤に染まっていくのがわかった。励菜の弱い障壁では防ぎきれるダメージではなかったのだ。
「うあっ、ぐ?」
 撃たれたのだ、とようやく悟った時、熱した鉄の棒を押さえつけられたかのような激痛が脳を刺した。
(どうし、て......?)
 脳の中でレッドシグナルが激しく点滅し始めた。脳内は痛みよりも混乱に支配されていた。
「ははっ、あっはははははは?」
 突然、美空の哄笑が響き渡った。
「あはは! 雑魚はすぐ調子に乗るのね! 池内さん、状況がよくわかっていないのなら、上を見てご覧なさい?」
(上......?)
 傷口を押さえながら励菜は顔を上げ、驚愕の声を上げた。
 そこには目にも止まらぬ速度で飛び交う光の刃  いや、違う。それは光の鳥だった。これに攻撃されたのだ、とやっと理解した。
 美空が強大なエネルギーを放出する気配を感じ、励菜は横に身を投げ出すようにして逃れる。刹那、投げられた光球が手榴弾よろしく爆裂し、背中に氷塊を入れられたかのような寒気。続けて発射された三発のエネルギー弾を励菜は身を倒し、スライディングで回避。傷口が広がり、呻く。
 ふと、背後に異変を感じて振り返ると、そこには励菜の理解を超える事象が起きていた。
 避けたと思った光弾が空中で止まっていた。その光弾は数度の膨張を繰り返した後に、鳥の形へと変化した。
「そ、んなっ......?」
 まるで予想していなかった事態に、励菜の中で急速に恐怖が広がり始めた。全身ががくがくと震え出す。
 美空は余裕の笑みを見せながら右手を挙げた。すると、八羽の光の鳥が彼女を中心に集結した。
「どうやらわかってもらえたようですね。私は強力な固有スキルがなくて悩んでいました。ですが今年私が身につけた固有スキル《ウインドクロス》。私は一度撃った《ショット》を自由に扱えるんです! ふふっ、つまり私はあなたを四方八方から攻撃できるんですよ!」
「?」
 その理不尽とも呼べるような能力に励菜は絶句した。
(こんなの、予想してなかった......!)
 これではいくら障害物に隠れても意味がない。どこから襲ってくるのかわからないのだから。だが、正面から突っ込めばたちまち蜂の巣にされるだろう。どうすれば良い。どうすれば。
「行きなさい!」
 その声を合図に、八羽の光の鳥が励菜の上空で弧を描きながら飛行し始めた。それはさながら弱り切った獲物を集団で狙う猛禽のような動き。
励菜は心の底からぞっとする。混乱する意識の手綱を何とか握りしめ、次の攻撃に備える。集中力を総動員させて四方八方から飛来する光の鳥を見切らなければならない。
   そんなことを考えていたからこそ、美空が真正面から一気に間を詰めてきたとき、瞬時に対応できなかった。
「ぐはっ!」
 内臓が破裂しそうになるほどの蹴りをもろに浴び、励菜は吹っ飛んで近場の木箱を巻きこんで派手に転倒。粉砕された木箱の欠片が雨のように降り注いだ。
 奥歯を食いしばりながら励菜は気力だけで立ち上がる。が、体勢を立て直す間もなく、前方から光の鳥が疾駆してきた。
 横に身を投げ出して死に物狂いで回避。だがその直後に右肩に衝撃を受けた。見ると、右肩の肉が抉られ、血が噴き出していた。しかし、敵は容赦なく追撃。ひゅん、と風を切る音がしたかと思うと、膝と腕と胴体に風穴が同時に空いた。
「うあああああっ?」
 ついに足が身体を支え切れなくなり、励菜は膝から崩れ落ちた。

(励菜......?)
 そのあまりに凄惨な光景に実歩は顔色を失った。
(私のせいだわ......)
 考えてみれば、対戦相手が去年よりも実力を上げているというのは容易に予測できること。公平を期すため対戦相手のデータは去年までのものしか確認できないとはいえ、あまりに迂闊だったといわざるをえない。激しい自責の念を覚えて、実歩の胸は張り裂けそうになった。
 リング上には満身創痍の励菜が倒れていた。それでも試合終了のブザーが鳴らないのは、励菜の変身が解けていないから。戦闘魔装を解除しない限りは戦意の喪失、あるいは戦闘不能とは見なされないのだ。
「山県さん! 今すぐ試合を中止させてください! これ以上続けると池内さんが死んでしまいます!」
 近くにいた男性職員が声を荒げた。その場にいた職員の誰もが実歩に非難めいた視線を寄越していた。今すぐ中止にしろ、とその目は告げている。ただ一人、鋭い目で試合を見守る西園寺を除いては。
 早く中止にしなさい! 励菜を殺す気なの?
 理性は確かにそう告げている。
「あ、う......」
 だが実歩の手はまるで石になったかのように重かった。見えない何かが実歩の手を掴んで離さなかった。
 早く! また誰かを死なせるの?
 実歩の手が自分でもじれったいと思うほど鈍く、動き出した。震えながら伸ばした手がボタンに触れる。後少し指に力を込めれば試合は中止だ。励菜を助けられる。命を救える。
 押しなさい?
 押せ。押すしかない。この判断は決して間違っていない。手の震えが大きくなった。
「っ......!」
 実歩は未練を断ち切るように、頭を横に振った。震えの止まらない指に無理矢理力を込めようとしたその刹那。
「えっ......」
 実歩は目の前の光景が信じられなかった。他の職員も同様にリングを凝視していた。
 励菜が立ち上ったのだ。がくがくと足が痙攣し、全身が血まみれになっていたが、それでもその双眸には燃えるような闘志が漲っていた。
 そんな励菜の殊勝な姿を見て......実歩の瞳から涙が零れ落ちた。
(お願い、もう止めて、励菜......。あなたのそんな目を見ていたら、私......)
 できるわけがない。この勇気に満ちた目に裏付けされた決意をふいにするなんて......。
 だが、励菜の体力はとうに超えていた。再び彼女はばたりと倒れ込んだ。
 試合中止のブザーが鳴り響いた。

「励菜?」
 実歩が控え室に駆け込むと、励菜が担架で運ばれていた。ぐったりと横たわっており、両目は閉じられていた。実歩が励菜にしがみつくと、彼女の瞳から零れた涙が励菜の頬を濡らした。
「励菜! しっかりして励菜!」
 身体を揺らすと、「んっ......」と小さな声が聞こえ、励菜の瞳が薄っすらと開かれる。
「実歩、ちゃん......?」
「励菜......!」
「実歩、ちゃん......泣いてるん、ですか......?」
「励菜、ごめんなさいっ、あなたをこんなつらい目に遭わせて本当にごめんなさい......!」
 スーツが血で濡れるのもお構いなしに、傷だらけの励菜の身体を抱きしめ、顔を歪ませて泣く実歩。
 だが  励菜の口から聞こえてきたのは、
「実歩ちゃん......実歩ちゃんがいるべき場所は......ここじゃないと思います......」
 小さな声。しかし、強い意思が込められていた。
 励菜の顔を見た。驚いたことに彼女は一粒も涙を流していない。どころか、少し怒っているようにすら見えた。
「わたしは......まだ、戦えます......。どうして中止になんかになったんですか......?」
「君は馬鹿か! それ以上やったら命に関わるぞ!」
 男性職員が怒鳴った。だが励菜は見向きもしなかった。
「わたし......まだ納得してないんです......! 認めません......! まだやれることが......やれることが残ってるのに......こんな形で負けるなんて......! だから、実歩ちゃん、お願いします......!」
 実歩の背中に回された励菜の手に力がこもった。
「君は何を言ってるんだ! どうかしてるぞ!」
「早く医務室に連れていかないと!」
「池内さんは十分頑張ったでしょう?」
 なおも騒ぎ続ける職員たち。だが、
「私は、山県さんと、池内さんの意思を尊重します」
 声の主は西園寺だった。その場にいた全員の視線が彼女に集中する。
「先ほどは申し訳ありません。審判が独断で試合中止のブザーを押したそうです。後で厳しく叱っておきます」
 すまなそうな顔をした西園寺が軽く頭を下げた。すぐに表情を引き締めると、鋭い眼光を実歩に向ける。
「池内さんの覚悟は聞き届けました。後は山県さん次第です。山県さんが反対するのであれば、このまま試合は終わります。どうされますか? 試合を続けますか?」
「......」
 実歩は励菜を再び見た。彼女は何も言葉を発さず、ただ実歩の決断を待っている。
 顔は血に染まりながらも、彼女の瞳の奥には揺るぎない濃い光が宿っている。
 励菜との思い出が脳裏を駆け巡った。何度失敗しても必ず立ち上がってくる励菜。それでも心の奥には人には言えないような弱さを持っていた励菜。美味しい物を食べて幸せそうな励菜。失敗してしょげる励菜。褒められてはしゃぐ励菜。泣いた励菜。目をキラキラとさせる励菜。
 本当に表情の変化がわかりやすい女の子。
 そして何より  誰よりも魔法戦士に憧れ、自分の背中を追いかけようとしている励菜。
 決めたではないか。
 自分は、励菜の力になるのだ、と。
 ならば取るべき決断はただ一つ。
「......行きなさい」
 涙を拭い、実歩ははっきりと告げた。他の職員たちが息を呑む気配があった。
「励菜は励菜の想いで戦ってきなさい」
 励菜はしばらくぽかんとした表情で実歩を見つめていたが、やがて強く頷いた。
「や、山県さん! あんたは一体何を言って  」
「部外者は口を挟まないように」
 西園寺にぴしゃりと言われ、男性職員は口を噤んだ。
「......後は自己責任になりますが、よろしいのですね?」
「はい。万が一のことがあれば私が全部責任を取ります」
「わかりました。審判には私から伝えますので、池内さんは試合会場に戻ってください。......ということです。他の方々は席に戻ってください」
 それだけ言い残して西園寺はくるりと励菜と実歩に背を向けた。他の職員たちが全員消えると、励菜と実歩は強く抱擁を交わした。
「実歩ちゃん、ありがとうございます......」
 実歩は首を振った。礼なんていらない、という意味だった。
「いってらっしゃい、励菜」
 慈母のように優しく微笑みながら、励菜の頭をそっと撫でた。
「あ......」
 すぐにくすぐったそうに微笑すると、顔をほのかに赤らめた。
 できるのであれば、このままずっとこうしていたい。
 大好きなコーチと一緒にまた道を歩きたい。
 だから  自分はその資格を得なければならない。
 勝利という形で。
 励菜は覚悟を決めたように口元を真一文字に閉じた。
「いってきます、実歩ちゃん!」
 励菜が声を張り上げると、励菜と実歩の身体が離れる。苦痛はまだ残っているようで、励菜は片足を引きずりながらリングへと続く扉へと向かって行った。
「励菜、必ず無事で帰ってきなさい!」
 最後に励菜は振り返ってくれた。その瞳の端に浮かんでいた涙の粒が宝石のように光った。

「まだ戦闘は継続でいいんですね? やっぱりわかりません。せっかく手加減してあげたのに降参しないなんて。そんなにボロボロになってもまだ戦う気ですか?」
 美空が余裕綽々に言葉をかける。励菜は立っているのがやっとといった有様だ。
「わたしは、まだ戦えますから......」
「ふふっ、一体その諦めの悪さは何から影響を受けたのでしょう。こんなにボロボロになるまで戦わせるなんてあなたの指導員は酷い人ですね。いや、そもそもこんな結果がわかり切ってる試合をさせる時点でとんでもなく非常識でしたか」
「......」
「山県さんに一体どうおだてられたんですか? 大した実力もないのにいいように吹きこまれたのではありませんか? だから自惚れちゃって......あははっ、無能な指導員を持つとどうやら教え子までダメになるようですね」
「......」
「この試合が終わったら担当者を変えてもらうことをお勧めします。まあ、池内さんみたいな弱者にはこれっきり担当者なんてつかな  」

「うるさぁああああああああいっっ?」

「っ?」
 俯いて美空の罵詈を耐えていた実歩だったが、リング全体を揺るがすような励菜の叫びが聞こえて、思わず顔を上げた。
 実歩は瞠目した。励菜がここまで怒りを露わにすることは初めてだった。
「あんたなんかに......あんたなんかに......実歩ちゃんの何がわかるんだよぉおおお?」
「な、何よ......」
 気圧されたように美空が一歩後退った。
「実歩ちゃんは......いつもわたしのことを考えてくれて! 練習メニューを考えてくれて! わたしと同じように苦しんでくれた! 確かに練習は厳しかったけど! 鬼コーチだったけど!」
「ば、馬鹿じゃないの? 鬼みたいなコーチなんてさっさと変えてもらえば......」
 髪を振り乱しながら首を激しく横に振った。
「鬼コーチだったけど......でも、とっても優しかった!」
「は......?」
「厳しかったけど......それでも毎日褒めてくれた! わたしの支えになってくれた! ダメダメなわたしといつも一緒に練習してくれた!」
『励菜ちゃんは頑張り屋さんなんだから、きっと他のことで頑張ればいいと思うよ』
 ......先輩の魔法戦士は誰もが気遣いはしてくれた。だが、誰一人として励菜の「魔法戦士になりたい」という真意は汲み取ってくれなかった。
 だけど、実歩だけは違った。
 いつもクールでドライな態度で、最初は近寄りづらいな、と思っていた。
 あの日、初めて助けてもらった時からあまりにも態度が変わり過ぎていたことには驚きを隠せなかった。
 それでも、実歩の優しさは変わっていなかった。
何より、初めての人だった。
 こんなに自分に厳しくしてくれたのは!
『反応が遅過ぎよ。今の状態で試合に勝つなんて難し過ぎるわ』
 修練はとても厳しく、つらかった。
 しかし、励菜だって自覚はしていた。他人よりどれだけスタートラインが遅れているか。他人よりどれだけ力が劣っているか。そんなことも自覚しないほど励菜は馬鹿ではない。だからこの厳しさは当然だと思っていた。
 そして何より、この厳しさは実歩が本当に励菜のことを考えてのものだから。
『やればできるじゃない、励菜』
『すごいわ。その調子で明日もがんばりましょ』
『わからないことがあったらいつでも訊きにきなさい』
 普段が厳しいからこそ、時折見せてくれる笑顔が身に沁みた。
 童顔に似合わないクールな口調ときつい態度。だけど、そこに隠された優しさに気づけないほど励菜は鈍くなかった。
 だから  
「わたしを馬鹿にしたいなら好きなだけすればいい......! でも......実歩ちゃんのことを何にも知らないくせに、わたしの憧れの人に、勝手なことばかり言うなぁあああああ?」
 ありったけの想いを込めて、激情に駆られるままに叫んだ。
「励菜......」
 実歩は両手で口元を隠していた。そうしないと大声で泣いてしまいそうになるから。
 胸に刺さっていた美空の言葉の刃を励菜の熱い想いが吹き飛ばしていった。
 こんなに傷だらけになっても、どんなに侮辱されても、励菜の叫びに込められた意地と気迫は全く曇らなかった。
「告白は終わりましたか?」
途中からどうでも良さそうにそっぽを向いていた美空が冷ややかな声を出した。
「......まったくここまで諦めの悪いEランクは初めてです。馬鹿は死なないと直らないみたいですね。よろしい、次の一手で終わらせます。運が悪ければ死ぬかもしれませんけど、それは自己責任ということで」
 美空の目が刃物のように細められ、声に冷酷そうな響きが宿る。
 励菜の上空を舞っていた光の鳥が攻撃の構えを取るように、励菜を包囲するように制止した。
 おそらく、勝負は次の一手で決まるだろう。
「死になさい、にせ魔法少女?」
 瞬間、八方から八つの光が励菜に向かって突進。どれも当たり所が悪ければ致命傷へと化ける必殺の一撃だ。
「っ  」
 励菜は目を閉じていた。開けていたっておそらく避けられないだろうから。
 余計な力を遮断し、励菜は実歩の言葉を思い出す。
 励菜の想いで戦え。
 自分の想いとはつまるところ何なのか?
 勝ちたい? かもしれない。実歩の想いに応えたい? それもある。
 しかし、励菜の想いはそんな綺麗事のような感情だけではない。
 励菜の心を埋め尽くしているものは......表現するのも憚られるような黒くてどろどろとした何か。
 次の瞬間、その何かが墨を塗りつぶしたかのような黒い炎となって燃え上がるのを感じた。
 そうだ。光の想力では美空に勝てるわけがない。薄々は感じていたことだった。だが、自己過信して、その現実を直視していなかった。思い上がっていた。
 ここまで深手を負ってようやく力量の差を痛感した。
 なら、別の力で勝負をつけろ。己の力から目を背けるな。
 だって  その強さは他でもない、励(、)菜(、)の(、)もの(、、)で(、)しかない(、、、、)の(、)だから(、、、)!
 まだやれることがあるのなら、諦めるのは早すぎる。
 励菜を勝利へと導けるものは、最初から一つだけだった。
「へっ?」
 そんな素っ頓狂な声を漏らしたのは、美空だった。
 満身創痍の励菜に防ぐ手立てはない。励菜が全身から血を噴き出しながら倒れる  そんな凄惨な光景を誰もが幻視した時だった。
 おそらく試合を見守っていた全員が、目を疑っていただろう。目の前の光景が現実のものだと咄嗟に認知できなかった。
 だがそれはもっともなことだ。励菜に襲い掛かった光の鳥は、突然(、、)励(、)菜(、)から(、、)湧き上がった(、、、、、、)黒い(、、)焔(、)を(、)前(、)に(、)、消失(、、)して(、、)しまった(、、、、)の(、)だ(、)から。
「な、何なのよ、これ......?」
 信じ難い事態に慄然とし、美空の四肢は震え出した。想力が比較にならないほどに増大している。だがそんな大技をEランクの励菜が出せるわけがない。そのはずなのに  
「やっぱり、想いを力にするのって難しいなあ......」
 自分の掌を見つめながら微苦笑して励菜は呟いた。
「ふ、ふざけないで! あんたみたいながEランクそんな力出せるわけないでしょ!」
「うん。確かにわたしは光(、)の(、)想力(、、)に(、)関して(、、、)は落ちこぼれだと思う。それは否定しない。でも......闇の想力に関しては別みたい」
「闇の想力......? そ、そんな......薄気味悪い力を使うなんて......? あんたそれでも魔法少女なの?」
「そんなの誰が決めたの? ......強さを力へ変えられるかはその人次第。わたしだけの強さがあるならわたしはそれを否定しない」
 そう言って励菜は手を前にかざした。励菜の手の元に紫の光の灰が集まり始め、それを握りしめると、剣で薙ぐような動作をした。
 励菜の手に握られていたのは、一振りの漆黒の剣。
想力援具《アシュラ》。
 黒い刀身に、血のように赤い紋様が刻まれたそれからはバチバチと蒼い電気が放たれ、ただならぬ気配が感じられた。
「  」
 あまりにも常識外の事態の連続に、美空の脳はとっくに理解を放棄していた。ただ血液が凍るような悪寒を味わっているだけだった。
「うぉおおおおおおぉおおおおおおお??」
 魔法少女らしさなど微塵も感じられない、獣のような雄叫び。
 ともすれば、この禍々しい力に負けてしまいそうになる自分を奮い立たせるために。
 己の持てる全ての力を放出するために。
 刹那、全身の汗腺から熱した液体が迸るような感覚。
 血液が沸騰したように身体が熱を発した。
 励菜はようやく感じた。これが"わたし"の想いなのだ、力なのだ、と!
『自分しか持ってない想いがあるなら、その想いを大切にして。どんな想いだろうと、それを受け入れて。......そうしたら想いはきっと力に変わってくれる』
 想いは決して、綺麗なものばかりではない。
 嫉妬、憎しみ、嫌悪、怨嗟......様々などす黒い感情が、励菜の胸に到来していたのだ。
 それらが励菜の想いなら......それらを全て力へと変えろ!
 何も迷うことはない。だって、励菜の憧れの"元"最強魔法戦士はそう教えてくれたのだから!
「どんな力であろうと......わたしは、わたしの力で戦うんだぁああああああああああ?」
 喉が裂けそうになるほどの叫びを上げ、決着をつけるべく一気に駆け出した。
 スキル《想力狂暴(イマジンバーサーカー)》。
 命すらも削りかねない、闇の想力が迸しるままに暴れる奥義。
 魔法少女にはあまりにも似つかわしくない獰猛な力。
 でも、構わない。それが励菜の力なのだから!
「こ、この、調子に乗るなぁあああ?」
 完全に理性を外した絶叫をし、励菜の頭部を狙って美空はエネルギー弾を連射する。だが、励菜は黒剣をタクトのように振ると、飛来する弾丸のことごとくを打ち払った。
(す、すごい。まるで身体に翼が生えたみたい!)
 実のところ、励菜自身でさえもこの力に戸惑っていた。けれど、その迷いはとうに消した。どんな力であろうと受け入れると決めたから!
 励菜は怒涛の勢いで美空に迫ると、上段から《アシュラ》を振り下ろした。
「ひっ?」
 辛うじて避けた美空だったが、顔は恐怖で引きつっていた。血相を変えて逃げ回りながら光弾を撃ちまくるが、もはや威力も方向もめちゃくちゃだった。
「何なのよ、何なのよ何なのよ何なのよぉおお! あんたみたいな馬鹿はやられ役って決まってるでしょ? 私はあんたのことが嫌い! あんたみたいな馬鹿に負けたら私がどんな目で見られるかわかんないの? だからやられ役はやられ役らしく負けなさいよぉおおおおお?」
 美空がそう思うのは勝手だ。励菜に他人の思いを否定する権利などないのだから。
 だが  そんな卑小な思いで励菜を止められるわけがない!
「このぉおおおお?」
 美空は杖を構え、持てる限りの想力をこめた巨大な光球を発射した。だが励菜を呑み込む直前、励菜がしゃがみこみ、天井を貫く勢いで大跳躍。
 突如、試合場内の雰囲気が一変した。言葉にはできない、何の根拠もない。だが、誰もが確かに感じていた。励菜から放たれる精神的なプレッシャーに、背筋が粟立つのを。
 励菜が胎児のように身体を丸めたのも束の間、全身を大の字に開いた刹那  彼女の全身から太陽のごとく黒炎が迸った。さながら彼女自身が巨大な火球へと転化したようだ。
(これが......励菜の、本当の、力......?)
 その闇の想力の凄まじさに、実歩は畏怖の念すら抱いていた。だが、それ以上に腹の底からせり上がってくる興奮を抑えられそうになかった。
 火球となった励菜が美空目掛けて突進する。
「はぁああああああああああああ?」
 美空の声は聞こえない。恐怖に意識を塗りつぶされて、声が出なくなっているのは明らかだった。
「    っっ?」
 反射的に実歩は目をきつく瞑った。直後、失明してしまいそうになるほどの閃光が炸裂し、辺りが明滅。耳を聾するような破壊音が轟き、ずおん、と試合場そのものが激震した。
 全てが停止したかのような静寂が数秒間続き、実歩は恐る恐る目を開けた。
 そこには......気を失って倒れている金髪の女子生徒と、勢いを失って、とろ火になった黒炎を纏っている魔法少女がいた。
 思い出したかのように、試合終了のブザーが鳴った。

(勝ったんだ、わたし......)
 そう自覚しても、励菜の胸に高揚は訪れなかった。疲弊しきった励菜にそんな余裕はなく、やり切ったのだ、という満足感に浸っているだけだった。
 場内が爆発したような大歓声に包まれるが......その声も次第に遠くなっていく。
 掌には、極小の光の粒。燃え尽きたように黒炎は消えていた。
 励菜は掌を見て、慈しむように目を細めた。そして、心の中で語りかける。
 わたしは、最後までわたしの力を恐れていたのだ。
 さっき勝てたのは、醜い感情を爆発させたら幸運にも闇の想力が助けてくれて、その勢いのまま暴れたからに過ぎない。自分一人の力ではなかった。闇の想力を使うという発想がなければ、間違いなく負けていたはずだ。
 美空が憎い。自分と大して年が変わらないのに遥かに実力が高い人間が妬ましい。潰してやりたい。わたしを蔑んできた連中をぶっ飛ばしたい。悔しい。負けたくない。そして、他人より劣っている自分が惨めで、不甲斐ない。
 ......そんな口にするのも嫌になるような"負"の感情を溢れ立たせた時、何かが覚醒するのを感じた。
 実力試験の時だってそうだった。怪物にやられっぱなしのわたしが情けなくて、わたしに注がれる冷たい視線が腹立たしくて、イライラして、怖くて......でも、そんな感情が力になったことに随分後になって気づいた。
 信じられなかった。わたしがそんな黒い感情をエネルギーにして  闇の想力で戦う魔法少女だったなんて......。
 だから、さっきの試合でも使うのをためらってしまった。わたしは馬鹿だ。あそこまで追い詰められないと自分の力を信じられなかったのだから。
『強さを力に変えられるかはその人次第。だから、励菜ちゃんは自分しか持ってない想いがあるなら、その想いを大切にして。どんな想いだろうと、それを受け入れて。......そうしたら想いはきっと力に変わってくれる』
 幼い時にかけてもらった言葉。ようやくその意味がほんのちょっと掴めた気がする。
 闇の想力を使うのは......正直、今でもちょっと不気味だ。
 だけど、もう決めたのだ。
 わたしはどんなに醜い感情であろうと、闇の力であろうと、それを受け入れる。
 だって、わたしの"想い"  そして"力"なのだから。わたしが信じてあげられなくてどうするの?
 きっと、つらいことが続くと思う。色んな人から嫌われると思う。魔法少女らしくないと思う。
 けれど、そんなことは関係ない。
 わたしを信じてくれる人がいる。このつらい想いを一緒に受け止めてくれる人がいる。
 戦える理由なんてそれで十分でしょ?
 意識が次第に遠のいていく。思考がまとまらなくなっていく。
 足音が聞こえた方を向くと......髪を振り乱し、涙を散らせながらこちらに駆け寄って来るチェリーピンク髪の女性。中高生と間違えられてしまいそうな童顔の鬼コーチ。
 幼い時からずっと追いかけ続けた魔法少女。
 その人が今、コーチとして隣を歩いてくれる。
 衣装が光の砂となって消えていくのがわかる。全身から力が抜け、ゆっくりと励菜が崩れ落ちる。
 寸前で、実歩がその華奢な身体を支えた。
 意識はほとんどが白に塗りつぶされていたのに、実歩の顔だけはくっきりと見えた。
 子供のように泣きじゃくる実歩。声はよく聞こえない。
(実歩ちゃんもこんなに泣くんだね......)
 そんなことを考えながら、励菜は目を閉じた。彼女に抱きつく実歩の強い鼓動を感じながら。
   ありがとう、実歩ちゃん。
 意識を失う直前に想ったのは、そんな短い一言だった。


エピローグ

 次の日。
「ふええ~ん! 励菜ちゃんが無事でよかったよお~!」
「お、大げさだよ、優......」
 飛翔学園の医務室には優、マリン、夢果の三人が見舞いに来ていた。優の泣き声が派手に響いている。
 試合終了後、励菜はすぐに職員によって担架で運び出された。治療は早急に行われたが、その日のうちに意識は戻らなかった。闇の想力の暴走により精神的にも肉体的にも深くダメージを負ったからだ。
 今日の朝七時頃に意識が回復したと聞いたので、メンバーは急いで駆けつけたのである。
「だって、だって......励菜ちゃんが死んじゃったらどうしようって私、私......!」
「だ、だから大げさだって......でも、心配してくれてありがと」
 困ったように笑いながらも、胸の中でむせび泣く優の頭をよしよしと撫でた。
「励菜、よくがんばった~。偉い偉い」
 今度は励菜が頭をわしゃわしゃと撫でられた。
「ありがとう、マリン」
 にっこり、と励菜は笑んだ。
「あははっ、まあ、何はともあれ。お疲れ、励菜!」
「夢果さんもありがとうございます!」
「はーい。じゃあ、感動のハグはその辺にして、二人とも授業あるんでしょ?」
 夢果が優とマリンの襟首を掴んだ。
「え、ええっ? も、もうちょっとだけ......」
「むむ~。まだ励菜成分が足りない~」
「だーめ。あたしも職員なんだからね。ま、あたしがお祝いパーティー開いてあげるから楽しみにしときな!」
「ぱ、パーティー......? また、食べ放題なんですか?」
 目の色を輝かせた優を見て、夢果は「うっ」と表情を僅かに強張らせた。
「が、外食はまた今度。今度はホームパーティーしてあげる! てなわけで、行くよ優、マリン」
「れ、励菜ちゃーん! 本当におめでと~!」
「バイバイ励菜、またね~。それからボクからもおめでと~」
 夢果に引きずられながら、医務室を去って行く二人。優は涙を滂沱と流していた。
 連行されていく二人に苦笑しながら、励菜は手を振った。優とマリンの姿が完全に見えなくなった後に、夢果が早足で戻ってきた。
「あ、そうだ。励菜に伝えておくことがあったんだ」
「何ですか?」
「うん。まあ、実歩はあんまり知られたくはないんだろうけど、知らないままってのは寂しいからね」

 飛翔学園の通学路の道中にある公園に実歩はいた。職員寮から真っすぐに通勤する気にはなれず、彼女は一人公園のブランコに腰かけていた。
 実歩が身体を小さく揺らすたびに、ブランコの鎖がギシギシと唸る。公園の前を通り過ぎていくサラリーマンや制服姿の生徒を眺めながら、ぼんやりと思考を巡らせていた。
 試合から二日後。実歩は落ち着きを取り戻していた。昨日は仕事が忙しかったので、夢果と一緒に見舞いには行けなかった。
励菜が医務室に運ばれた時は本当に心配で、優、マリン、夢果が帰った後も一晩中励菜の元に付き添っていた。それだけでなく励菜の手を握りしめて途中で寝てしまった。今思うと頬がほんのり熱くなるような恥ずかしさを覚える。誰かに見られていなければ良いが......。
 魔法少女学校の医務班は非常に優秀だから大事に至るはずはなかった、と冷静になった今なら思うが、あの時はそれだけ動揺していたのだろう。
 試合に勝利したことにより、引き続き励菜の指導員は実歩が担当することになった。
 それは嬉しいし、彼女の勝利は心から祝いたいと思う。
 その思いに嘘はない。嘘はないが......実歩の胸中を占めているものは、そんな喜びの感情だけではなかった。この複雑な何かを表現する言葉を、実歩は知らなかった。
 強いていうならそれは畏怖かもしれなかった。励菜のことが大切なような、そのくせあの鬼神の如き強さを見せた励菜のことを恐れているような。励菜の笑顔を見ていると安心する気にもなるが、励菜のことを想うと不安にもなる。とにかく、そういう妙な意識が実歩の胸の中に居座っていた。
 光の想力の適性が極めて低く、闇の想力を超人的ともいえるような域まで引き出している魔法少女はおそらく励菜ただ一人だろう。それだけ励菜は魔法少女として異端なのだ。
 まして新たに想力援具を召喚してしまうとは  奇跡に近い。
(もしかしたら励菜は、闇の想力にすごい才能を秘めた子なのかもしれないわね......)
 当然、周囲がすぐに認めるとは思えなかった。どこの世界でも異端者は冷たく扱われる。
 しかし、そんなことは関係ない。周りが何を言おうと、励菜が歩むと決めた道なら自分はそれを支えてやらなければならない。ブランコの鎖を握る手にぎゅっと力がこもった。
「実歩ちゃん」
 聞き慣れた、ガラスのような透明感に溢れた、よく通る声。
 ローファーのつま先が視界の端に映って、視線を上げると、いつものように人懐っこい笑みをたたえた励菜がいた。
 晩春の暖かな風が、励菜の茶色の髪を優しく揺らす。無垢で夜空のように綺麗な黒い瞳には、実歩の姿がくっきりと映し出されていた。
「おはよう、励菜」
「はい、おはようございます」
 短い挨拶を交わすと、励菜は隣のブランコにちょこんと腰かけた。
「もう元気になったの?」
「はい。おかげさまで」
 会話はそこで途切れてしまう。二人の間に何かぎくしゃくしたものが混じっているように見えた。言うなれば、伝えたいことはたくさんあるが、何から言い出せば良いかまとまらない、といった感じか。
 やがて実歩は意を決したように、一瞬だけ口元を引き結ぶと、すう、と息を吸い込んだ。
「ありがとね、励菜」「実歩ちゃん、ありがとう」
 実歩と励菜の視線が交錯した。
「はっ?」
「え?」
 お互いお礼を言われるとは思っていなかったのだろうか、二人して半ば呆けたように固まっていた。
「なんで励菜がお礼を言うの?」
「み、実歩ちゃんこそ! お礼を言わなきゃいけないのはわたしの方なのに......」
「い、いや! だって試合をしたのは励菜だったし! 頑張ってきたのも励菜でしょ!」
「な、何言ってるんですか! 実歩ちゃんがいなかったら、わたし絶対勝てませんでしたし!」
「励菜の方がよく頑張ってたわよ!」
「いや、実歩ちゃんの方が!」
「............」
「............」
 そこで再び会話は途切れ、
「ぷっ、あははは」
「な、何で笑うのよ......ぷっ、ふふふ」
 以前にもこれと同じようなやり取りがあったことを思い出し、二人は吹き出した。
「わたし、やっぱり実歩ちゃんと出会えてよかったです」
「何よ急に」
「実歩ちゃんといるととっても楽しいです」
「......そ。............私も」
 頬を紅潮させながら俯き気味に言うと、励菜がくすくすと笑った。
(やっぱり実歩ちゃんは可愛いな。夢果さんが教えてくれたから知ってる。一晩中ずっとわたしの手を握ってくれてたことも。......言ったらまた恥ずかしがっちゃいそうだから言わないけど)
「何で私の顔をじろじろ見てるの?」
「実歩ちゃん、やっぱりお礼を言わせてください」
「だから私はお礼を言われることなんて  」
「ううん。あの時のわたしの想い、本当です」
 励菜は追想するように目を閉じた。
「実歩ちゃんがいなかったら......出会えてなかったらきっと今のわたしはないと思います。実歩ちゃんが一緒に悩んでくれて、頑張ってくれて、わたしすごく嬉しかったんです」
目を開けて柔らかな微笑を見せる。
「......だから、本当にありがとう、実歩ちゃん」
 紡ぎ出された素直な感謝の想いに......実歩は返す言葉がなかった。胸の奥底が暖まるような不思議な感覚が実歩を包んでいた。しばしの沈黙の後、
「だったら、私にもお礼を言わせて」
「はい?」
 実歩は居住まいを正すと、励菜の顔を真っすぐに見つめた。
「私はあなたが好き。励菜の頑張る姿にずっと励まされたの。......私も嬉しかったの。私のきつい指導にもずっとついてきてくれて......。試合の時、あんなにいい言葉をかけてもらって本当に嬉しかった。......励菜のコーチになれて本当によかった。だから  」
 途中から実歩は顔が赤くなっていることを自覚するほどに恥ずかしさを覚えていた。それでも決して励菜から目を逸らすことなく続けた。
「ありがとね、励菜」
 ようやく、言えた。偽りのない感謝の想いを。
 正直、恥ずかしくてたまらなかった。穴があったら入りたい、とはまさにこのことだと思った。
 励菜はしばらく驚いたように実歩を眺めた後に、上機嫌な様子でブランコを動かし始めた。
「よし、決めた!」
 勢いよくブランコから降りると、励菜は実歩に背中を向けるようにして立った。
(この子、見ない間にこんなにも成長していたのね......)
 かつて自分が助けた女の子の背中はまだ小さく、幼さを残している。けれどもその小さな背から並々ならぬ気概と、途方もない覚悟が感じられた。それに気づいた途端、その背中が急に大きくなったように見えた。
「わたし、闇の想力が実はちょっとまだ怖いんです。自分の嫌な部分と向き合うのもできるかどうかも今でもちょっと自信ありません。でも  」
 くるり、と励菜がこちらに向き直った。
「実歩ちゃんと一緒なら怖くないです! だから、これからもわたしのコーチでいてください、実歩ちゃん?」
 今まで見せた中でも最高の笑顔だった。差し出された小さな右手を見て、涙がこみ上げてくるのを感じた。
 誰かに必要とされるとはこんなにもありがたいことだったのだ。
 過去は変えられないし、罪が許されたと思っていない。
 だけど、だからといってそれが何もしないことへの理由にはならない。
 自分にできることがあるのなら、それを果たせば良い。
 今はまだ漠然としていても、励菜と一緒にいればきっと答えが見つかる気がする。
 自分の居場所はここにあったのだ。
 手の甲で目の端に浮かんだ涙を拭うと、励菜はその手を握りながら立ち上がった。励菜の手は小さく、柔らかく......それでいて力強い熱さを感じられた。
「私も......あなたと一緒ならどこまでも行けそうな気がするわ。......だから、これからもよろしくね、励菜?」
 花が咲いたような満面の笑顔だった。心から笑ったのはいつ以来だろうか、と実歩は思った。
 二人の髪が、爽やかな、優しい風に靡く。励菜から漂うシャンプーのような甘い香りが実歩の鼻腔をくすぐった。
「はい! 実歩ちゃんと一緒なら、わたし大丈夫です!」
(やっぱり、励菜は強いわね......)
 心の底からそう思った。
 勿論、その強さには弱さが隠れていることは知っていた。けれども、実歩は励菜への評価を変える気はなかった。
 だって、励菜は自分の弱さにも向き合うとしているから。醜い自分を受け入れようとしているから。
 理解してくれる人が少なく、多くの人に後ろ指をさされようとも。たとえ自分の力が他人と大きく異なっていようとも。自分の信じた道を歩み続ける。
 それはそうそう人にできることではない。
 それをこの小さな女の子が......。やっぱり励菜はたくましい、と思った。
 胸中にあった励菜への畏怖のような念が、次第に尊敬の念へと取って代わられていくのを実歩は感じた。
   この子を助けて......そして教えられて本当によかった。これからもこの子の隣を歩いていきたい。
 そんな想いが実歩の胸の中で溢れていた。
「あ、でも励菜」
 実歩はそこで唇の端を持ち上げるようにして不敵に笑った。
「これからはもっと厳しくしごいてあげるわよ。覚悟しておきなさい」
 励菜の頬が笑顔のまま強張った。
「う......。実歩ちゃんが言うと冗談に聞こえません」
「当たり前よ。強くなりたいでしょ?」
「実歩ちゃん怖いんだか優しいんだかわかりません~」
 楽しい会話を交わし、二人して相好を崩した。
 だがその時、実歩は背中に何かを感じた。束の間の逡巡の後、実歩は足元の小枝を拾うと、
「そこね!」
 後ろの茂みに向かって枝をぶん投げた。「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた後、三つの人影が飛び出してきた。
「わわわっ? 大丈夫ですか、夢果さん?」
「ばれちゃったか~。今日は上手く行くと思ったんだけどな~」
「いだだだ......ちょっと実歩、本気で投げるなんてひどくない?」
 慌てる優、眠たげな顔をしているマリン、額を押さえながら涙目で抗議する夢果がそこにはいた。
「うるさいわね。石ころにしなかっただけでも感謝しなさい」
「鬼だ? 鬼がいる!」
「優にマリンに夢果さん? い、いいい、いつからそこで見てたの?」
 ぼっと火がついたように顔を赤くした励菜が、わなわなと震える指で三人を差した。
 マリンは悪戯な笑みを作ると、わざとらしく首を傾げた。
「いつからってあの辺かな~。ほら、『ありがとね、励菜』『実歩ちゃん、ありがとう』っていった辺りだね~」
「じゃあ、最初からじゃん?」
「そだよ~。いやあ、朝からお熱いですな~」
「ふ、二人が仲良さそうにしてから声かけづらくて......」
「それで、二人の睦まじい姿を見守ろーっていう乗りになったわけ」
 からかわないでっ、と実歩は叱りの声をあげようとしたが、
「わあああん? 実歩ちゃーん! 全部見られちゃったよお~?」
 ぼふっ、と励菜が胸元に抱きついてきた。
「わっ! ちょ、ちょっと励菜! いきなり抱きつかないで!」
「ず、ずるい......。あ、あの実歩さん......次からは私を中心に鍛えてください......!」
 優が駆け寄り、実歩の右腕にしがみついた。
「ボクも参戦~。実歩姉、今度はボクを育ててみるのはどう~?」
 マリンがふわりと浮くと、実歩の左腕に腕を絡めた。
「わかったわかったから離れなさい! ......って、きゃあっ!」
 それぞれ三方向から引っ張られ、実歩はバランスを崩して押し倒された。
「ゆ、夢果! 何とかしなさいよ!」
「何とかって言われてもな~。ていうか実歩、まんざらでもないんじゃないの~?」
 にやにやと笑う夢果は実に楽しげで、助ける気配は微塵も感じられない。
「実歩姉~、今度はボクを鍛えてよ~」
「み、実歩さん、今度は私を中心にお願いします......!」
「ダメだよ~! 実歩ちゃん、これからもわたしが中心ですよね?」
「ちゃんと全員の面倒見るわよ! だからそんなに引っ張らないで!」
 三人にされるがままになる実歩の叫びが朝の公園に木霊した。
 だが実歩の顔には知らず笑みが零れていた。
 実歩が魔法戦士引退後に望んだものは、魔法少女と関係のない平穏な日常。
 そのはずだったのに、今あるのは騒がしくも楽しい日々。
 まさか後輩の魔法少女の  それも魔法少女らしくない魔法少女を育てることになるなど昔の自分に伝えても到底信じないだろう。
 自分がやるべきこと  形になり始めた気がする。
 この先、どんな困難が待ち受けていようとも。
 自分はこの魔法少女らしくない魔法少女たちと共に歩んでいくのだ、と強く実感した。
 上を見ると、雲一つない青い空が広がっていた。
まるで実歩たちの前途を祝福するかのように空は澄み切っていた。



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