弟が転生したら浪人一年目の予備校生だった件 みのあおば 第一章 武人の日常 ~六月一日~ こんにちは。僕の名前は竹中(たけなか)武人(たけひと)。大学受験で失敗しちゃって、今年は浪人一年目。僕の場合、不合格の原因は高を括ってあまり勉強しなかったことに尽きる。こんなことなら、もう少しがんばってもよかったかもしれない。 駅から予備校まで歩く道中、横断歩道の手前で信号が変わるのを待っていると、向こうから若い女性がこっちへ向かって走って来るのが見えた。すごく急いでいるようだ。笑っているような、泣いているような、とにかく感情に溢れた表情で、こっちに向かって全速力で駆けて来る。ついに信号も無視してきた。幸い車は走っていなかったからセーフだったけど、まったくそんなに急いでもろくなことにならないぞと思っていると、女性は僕に真正面からぶつかって来た。 「ぐえっ」 胸に飛び込んできた勢いで僕は倒され、尻もちをついた。なんて見事なタックルなんだ。女性は僕に抱き付き、その目には涙をいっぱい浮かべている。 「雅也(まさや)~! 雅也~!」 「いや、武人です」 何かと思えば、人違いじゃないか。それか失恋でもして、誰でもいいから泣きつきたい気分の人かな? どちらにせよ、僕にタックルするのは何かの間違いだろう。 「あの僕、武人っていうんですよ。雅也さんではありません。たぶん、人違いだと思います。ちょっと用事あるので、離してもらってもいいですか」 「雅也、やっぱり何も覚えていないのね......。ううん、それでもあなたは雅也に変わりないわ」 まだ僕が雅也だって言い張るのか。「何も覚えていない」ってことは、まさか僕は本当は雅也なのに、それを忘れてしまっているということか? 待て待て、僕の名前は竹中武人。大学教授の母と発明家の父との間に生まれ、竹中家唯一の子宝として十八年間大切に育てられてきたんだ。幼い頃からの記憶もばっちりある。そして、僕が雅也だと呼ばれていた記憶は一度もない。 おねえさん、僕、雅也じゃないよ~。急がないと授業始まっちゃうよ~。ていうかさっきのタックルであばら骨が痛いよ~! おねえさんは精神科へ、僕は整形外科へ行くべきだよ~! 僕は女性に抱き付かれたまま、ずっと地面に倒れ込んでいた。 第二章 優子の祈り ~五月一日~ 「神様! どうか雅也を助けてください......!」 芦川(あしかわ)優子(ゆうこ)は祈っていた。彼女は現在社会人。大学卒業後実家に戻り、地元企業で働き始めて二年になる。彼女の弟・雅也は、この春から地元の国立大学に通い始めたピッカピカの大学一年生だ。 そんな雅也だが、入部したてのサークルで羽目を外し過ぎたのか、四月末に開催された新歓コンパにてお酒を何度も一気飲みしてしまった。仲のいい姉から、あれほど「未成年飲酒は駄目よ。まして一気飲みなんてしたら絶対ダメだからね!」と忠告を受けていたにもかかわらずだ。 飲み会からの帰宅後、雅也は倒れるように眠りについた。しかし翌日、優子がいつものように雅也を起こすべく部屋の扉をノックしたところ、返事がない。様子を確かめるため部屋へ入ると、彼の身体は冷たくなっていた。口の辺りにはおそらく胃の中から吐き出したであろう液体がこびりついている。優子は、弟の珍しい姿をひとまず写真に収め、これからどうしようかと考えていた。 そのとき、優子の耳元に不思議な声が届いた。 「優子や、私の仏壇に祈りなさい。きっと、神様が助けてくれるわ」 「お、おばあちゃん!?」 その声は数年前に死んだはずのおばあちゃんの声にそっくりだった。ビックリした優子は、とりあえず雅也を部屋に置いたまま仏壇のある和室へと向かった。 「おばあちゃん、雅也が! 助けて!」 仏壇はピクリとも動かない。 「神様! どうか雅也を助けてください......! 私はあの子が幸せに過ごせるようサポートするのが生き甲斐なんです! 成長アルバムはもうすぐ五十冊になりますし、雅也のために開設した預金口座だって、まだ百万も貯まっていないんですよ! 初任給から毎月ずっと振り込んでいるんです......。あのお金は何のために使えばいいんですか。雅也、死なないで。雅也~!」 涙ながらに語る優子の祈りが届いたのか、優子の耳元に再びおばあちゃんの声が届いた。 「ムムムムム。わらわを呼んだのは、おぬしか~」 「この声は、おばあちゃんなの!?」 「いいや、わらわはおぬしのおばあちゃんではない。声を借りてはおるが、断じておぬしのおばあちゃんではない~」 「じゃあ一体誰なんですか? 神様ですか?」 「いいや、神でもない。わらわはこの世のあらゆる物事を意のままに操ることのできる存在じゃ~」 「あらゆる物事を意のままに操る!? それっていわゆる、神様じゃないんですか!?」 「う~ん、じゃあやっぱりそうかもしれんな~。ところで、雅也を救わんでよいのかの~?」 「そうでした! 神様、雅也を助けてください! 昨日の飲み会から帰って来て、今朝になると冷たくなっていたんです!」 「優子や。ひとまず救急車を呼ぶのが得策じゃ。むしろそれ一択なのじゃ。分かるか?」 「はい!」 優子はすぐに電話をかけた。程なくしてやって来た救急車に優子は同乗し、冷たく動かない雅也を傍らで見守り続けた。しかし彼女の祈りも空しく、病院へ到着すると、まもなく雅也の死亡が確認されたのだった。 「神様、救急車を呼んだのに、雅也は......!」 病院の待合室で涙をこぼす優子。その耳元へ、あの声が届いた。 「優子、どうやら雅也の命は駄目だったようじゃな。しかし、ここからがわらわの仕事じゃ」 「か、神様! 仏壇の前以外でも会話できるんですね! いやそんなことより、まだ雅也は助かるんですか!?」 「当たり前じゃ。わらわはあらゆる物事を意のままに操る存在じゃぞ。いつでもどこでも優子だけに話しかけられるし、魂を救うくらいチョチョイのチョイじゃ」 「さすがです! それで、雅也をどうやって......?」 「わらわは人の魂を生まれ変わらせることができる。しかし一度別の身体に宿った魂は、その命が尽きるまで他の身体には移動できなくなるんじゃ」 「魂を生まれ変わらせる!? すごい、そんなことができるなんて!」 「しかしじゃな、ここがポイントなんじゃが、魂は生まれ変わるときに、以前の記憶を全て失ってしまうんじゃ。それでもいいかの?」 「記憶を、全て失う......」 優子は少し戸惑った。雅也と過ごした日々 夕飯を食べながら、テレビを見て笑い合ったこと。受験勉強を一から手伝い、彼の大学合格を泣いて喜んだこと。週一回はお風呂で背中を流してあげたこと。三日に一度、夜は添い寝してあげたことなど その全てが優子の脳裏に甦った。これらの記憶が全て、雅也の中から消え去ってしまう。優子だけがこの記憶を抱えて生きていくことになるのだ。それはひどくつらいことに思えた。しかし、雅也はすでに死んでいる。死んでいても生まれ変わっても、彼の記憶は残らないのだろう。だったら、どうせなら生まれ変わってもらった方がいい。優子は自分の中で結論を出した。 「 はい、それでも大丈夫です。だって、生まれ変わるのは雅也の魂なんでしょう? だったら、たとえ記憶を失っても、どんな姿になったとしても、それは雅也に変わりないはずです! それに、もしかしたら何かの間違いで記憶を取り戻すことがあるかもしれませんし......」 「いやそれは万が一にもないがね。 ようし、それでは優子、聞き届けたぞ。これから、雅也の魂を新たな命に宿し、この世に再誕させよう。ヌオオオオオオ」 「うわうわうわ! すごい気迫!」 「グヌオオオオオオ! ......優子、いささか時間を要するのでな、また連絡するぞい。さらばじゃ!」 「ああっ神様っ。じゃあ、待ってますね! どうかよろしくお願いします......!」 優子は病院の待合室で一人しゃべった。 後日、雅也の肉体は棺へと入れられ、骨になるまで焼かれた。骨はちょっともらった。優子にとって最愛の弟を失ったことはつらかったが、それよりも生まれ変わりへの期待が大きかった。どんな姿で生まれて来るのか。また一緒に暮らすことはできるのか。どこかに雅也の面影はあるのだろうか。そんなことが気になっていた。骨を抱いて毎晩寝た。雅也が生まれ変わる日を心待ちにして 。 ~六月一日~ 自室のベッドで眠る優子の耳元にあの声が届いた。 「優子、起きとるか」 「むにゃむにゃ。......寝てます」 「優子、雅也が産まれたぞ」 「え、どこで!?」 優子は跳び起きた。 「隣町じゃ。電車で一駅。詳しい場所は着いてから教える」 「うっそー! すぐ行きます!」 優子はバタバタと支度を始めた。ブラウスのボタンを閉めながら、神様に尋ねる。 「健康に産まれましたか? 性別は? もう名前も決まってるんでしょうか?」 「竹中武人という名の男の子で、至って健康じゃよ。ただし今年大学受験に失敗して、今は予備校に通っておる」 「はい?」 優子は服を着る手を止めた。 「生まれてから、成長を加速させたんじゃよ。両親は突然十八歳の子を持って驚くと思うかもしれんが、彼らの記憶を改ざんさせてもらったのでな、問題ないわい。十八年間ずっと一緒に暮らしてきたと思っておる」 「え、ええ......!? 生まれ変わったけど、もう赤ちゃんじゃないんですね。まさか雅也と同じ年まで成長してるなんて......。しかも浪人してるし。それも神様の采配?」 「いいや、彼の浪人は世界の理じゃ」 「そ、そうなんですね......。ちょっと、まだ頭が追い付かないけど、私の弟の生まれ変わりですもんね。すぐ会いに行きます。どんな子か楽しみです!」 「ふぉっふぉっふぉ。若くてかわいい男の子じゃぞ」 「そりゃあ、何と言っても雅也の生まれ変わりですもんね!」 優子は支度を済ませ、隣町まで車を走らせた。 第三章 神の計画 ~三月三十一日~ 「恵利ちゃん! 完成したぞ!」 「圭ちゃん! すごい! 私の方もあとちょっとよ!」 武人の父、竹中圭人(けいと)は発明家だ。研究者である妻の恵利(えり)と共に、これまで様々な研究と開発を繰り返してきた。 「すごいわね。このスピーカーを使えば、極小領域にのみピンポイントで音声を届けることが可能だわ。次は小型化にも取り組まないといけないわね。あとは町の各所に設置して 」 「小型カメラと集音器も設置が必要だな。それはもう用意してある。音声合成ソフトはほぼ完成していることだし、あとはスピーカーの小型化に加えて、自動追尾システムを搭載してもいいなあ。」 「おもしろくなって来たわね」 「そうだね。ところでそろそろ脚本の方も煮詰めていかないと。どういう設定にする?」 「そうね......。やっぱり前話した通り、武人に生まれ変わったっていう設定が一番いいとは思うのよ。死んだ人が武人に生まれ変わって、ここまで育った、みたいな」 「成長速度早くない?」 「それは、超常的なパワーによるものよ」 「そうだ。僕たちは神になるんだったね」 「ふふふ、そうよ。でも不思議よね。科学技術を高めた先に行きつくのが、神の役だなんて」 「そうだね。とはいえ、誰かを騙してるようで少し悪い気もしてくるけどなあ」 「それは確かにそうね。でもきっと、これで救われる人もいると思うのよね。良い面に目を向けましょう」 「うん、そうだな。亡くなってしまった人の魂が生き続けていると思えるのは、素敵なことだよね」 「そうよ。私たち人間は、そんな一見とんでもないような話を信じ続けられる力をせっかく持っているんだから。それを利用しない手はないのよ」 「そうだね。魂を信じる力を利用して 」 「武人の結婚相手(パトロン)を用意する」 「なかなか僕たちも狂ってるよなあ」 「しょうがないわよ。だって、私たちには技術があるんだもの。かわいい我が子の幸せを願うのはどの親も一緒。ただし、私たちは少し世間とズレた手段を持っているだけ」 「そうだね。目的を実現するための道具が揃ってるっていうのに、進むのを躊躇することなんてできないよな」 「そうよ。一度思い付いてしまったのなら、試してみるまで立ち止まることなんてできない。それが科学者であり 」 「それが発明家だ」 顔を合わせてニヤニヤしている。この二人、結婚して二十年近いが今でもラブラブである。 第四章 ガール・ミーツ・ボーイアンドペアレンツ ~六月一日~ 路上。優子のタックルを受けた武人はしばらく身動きが取れないでいたが、何とか回復し、立ち上がっていた。 「ぶつかってしまってしてごめんなさいね。私、芦川優子って言うの。あなたのお名前は?」 「すみません、知らない人に易々と名前は教えられないです。それでは失礼します。授業が始まるので」 「ああ~ちょっと待って。実はすでに話は聞いているの。竹中武人さん、十八歳。一浪して予備校に通っているんでしょう?」 「ど、どこでそれを......。もしかして、僕の個人情報結構出回ってるんでしょうか。どこから漏れたものやら」 「誰に聞いたか知りたい? それはね、神様よ! 先月亡くなった私の弟、雅也の魂を転生させて、武人くんとして育て上げたのが、神様なの!」 「何を言ってるんですか。魂? 転生? 神の声を聞いただなんて、そんなことありえるわけないじゃないですか」 「本当よー! 私のおばあちゃんの声で話しかけて来るんだから!」 「それはむしろシンプルにおばあちゃんなのでは?」 「おばあちゃんは死んでるのよー! それに、おばあちゃんは人を転生させたり、武人くんの個人情報を持ったりはしていないはずよ。死んでから神様になったのなら話は別だけど」 「優子、あまりわらわのことをベラベラしゃべるでない」 「あ、神様! ごめんなさい、秘密だったのね」 「え、今神の声を聴いたんですか? 僕には何も聞こえなかったんですけど」 「武人くんにも聞こえないのね。やっぱりピンポイントで私にだけ声を届けられるんだわ。神だから」 「最近そういう技術が開発されたって話聞いたことありますけどね......」 「神様の話はいいの! それより武人くん、私たちのこれからの話をしましょう。あなたは私の弟の生まれ変わりらしいの。ということは、私たちはこれからはずーっと一緒に暮らすことになるのよ。たとえあなたが私のことを思い出せなくても、私はずっとあなたを愛しているわ。これから一生、絶対に不自由させないから、安心してね」 「ええ~っ。初対面の女性に突然そんなこと言われても......。ていうか普通の姉弟ってそこまで濃い関係になるものなんですか? どこか異常さを感じる......」 「フッ、悲しいものね。本当に何も、思い出せないなんて 」 優子は少し俯き気味に、地面を蹴った。 「......僕がその雅也さんの生まれ変わりだっていう証拠とかは、あったりするんですか?」 「それは神様が言ってたからよ。あなたが生まれ変わりだって」 「いやそもそも神の存在を信じられないんですけど......。仮に神がいたとしても、嘘をついたり、間違えたりすることはありえると思いますけどね」 「それはないわよ。だって、万物を操れるって言ってたもの」 「じゃあどうして記憶を残せないんでしょうね。そもそも、雅也さんが死ぬのを防げばいいのに」 「それは野暮ってもんよ~」 「野暮......」 「神様は、最初に言ってたのよ。生まれ変わったら、記憶は全部失われちゃうって。これだけは変えられないようなのよ。だから、証拠なんて出せないわ」 「記憶が全て失われる設定なんですね。......でも、弟さんの記憶がないんだったら、たとえ生まれ変わったとしても意味なくないですか。思い出も共有できてないですし、関係を一から築き上げ直さないといけないわけでしょう」 「そりゃあ寂しいけど、意味ないことないわよ。例えば、あなたの家族が完全な記憶喪失になったとしても、その人は大切な家族のままでしょう? たとえ思い出や関係性を維持できなくても、家族はずっと家族なんだから」 「なるほど。それは確かにその通りですね。......でもちょっと待ってくださいよ。この話だと、弟さんの生まれ変わり候補って、僕以外の誰についてでも同じ様に言えるんじゃないですか。例えば、そこを歩いている犬にも。弟さんは、実はあの犬に生まれ変わっています、って言われたら、証拠はないけど、反証もできないですよね」 「犬が雅也の魂を引き継ぐって言うの~? まあ、可能性は否定できないかもしれないけど」 「転生するときに記憶が引き継がれるのなら、前世のことを覚えているかどうかさえ確認すれば、生まれ変わりかどうか分かりますけど、ここでの転生は記憶を失うわけでしょう。だから、確かめようがないんですよ。心も身体も全然連続していない。これじゃあ、弟さんは誰にだって生まれ変わっている可能性が平等にある気がします」 「確かにそうね。......いやでも、もしかしたら、生まれ変わった人は雅也と体臭とかが同じかもしれない」 「それは、そのような臭いを発する器官を引き継いでいるだけで、魂を引き継いでいるわけではないと思います」 「じゃあ、声が一緒かも」 「もし声が同じなら、それは魂ではなく、声帯の形を引き継いだんでしょうね。ていうか、僕の声は弟さんに似てるんですか?」 「いいえ、ぜーんぜん」 「じゃあ、魂が同じなら声が同じという説も棄却されますね」 「なんかこう、前世で積んできた徳みたいなものが、来世でも継続して積み重ねられていくんじゃないの?」 「なるほど......。それはもしかしたらありえるのかもしれませんね。僕は、前世で雅也さんが積んできた徳を引き継いでいるというわけですか。でも、それってどうやって確かめるんでしょうか。今僕たちは、魂を引き継いでいることの証拠を何とか見つけ出そうとしているわけですけど......」 「確かにそうよね。う~ん、それは神様とかに聞くしか......」 「やっぱり、前世の記憶が引き継がれないんですから、確かめようはなさそうですね。記憶くらいしか、生まれ変わりの証拠となりえるようなものはなさそうな気がします」 「もう~! 面倒くさいわね! だったら、あなたもいつかきっと雅也として過ごした日々を思い出すのよ! あなたは雅也だったんだから! お酒の一気飲みで死んだの! だから記憶を一時的に失ってるだけなの! あなたはきっと思い出す! そしてそのとき、あなたが雅也の生まれ変わりだってことが確証されるんだわ!」 「え~、僕の前世の死に方、一気飲みですか? なおさら生まれ変わりを受け容れ難くなってきましたよ。そもそも、記憶は絶対に戻らないと思うんですよね。だって記憶は大脳辺縁系の海馬というところにあるわけで。仮に魂という非物質的な実体のみを継続しているのだったら、海馬という物質的部分は引き継いでいないことになり、そうすると決して記憶の連続性も保たれないはずで 」 そのとき、武人の耳に老いぼれた女性の声が届いた。 「武人! もうやめてあげなさい!」 「うっわ! 誰だ、このばあちゃん声!!」 「え? おばあちゃんって、神様の声が聞こえたの?」 「武人、この人はあなたを支えてくれる人生のパートナーになる人よ。そんなつっけんどんにすることないじゃないの」 「だ、誰だよこのばあちゃん~! なぜ馴れ馴れしく僕を叱る~」 武人は耳を塞いでうろたえる。彼が耳を塞ぐと声は聞こえなくなった。 「あ、なんだ。脳内に直接とかじゃないんだ。普通に空気震わせて来てるのか。......ふうむ。この声、ちょっと機械っぽさがあったな。スピーカーか......?」 「ええ~、ちょっと神様~。私以外にも話しかけることできたんですね。早く言ってくださいよ。そしたら生まれ変わりの話をもっと早く信じてもらえたかもしれないのに~」 神様は声を変えて武人に話しかける。 「武人、母さんの声に戻して話すわね。この人は、芦川優子さん。弟さんを亡くして、その生まれ変わりがあなたなんだと信じているわ。それに乗っかってあげてよ。彼女にとっては生き甲斐だった弟さんがまだ生きているんだと信じられるし、あなたは人生のパートナーを得られるの。彼女は年齢もあなたと近いから、私たち両親が死んでからもあなたを支えてくれるはずよ。突然でビックリしたかもしれないけど、お互いにとってそう悪くない話だと思わない?」 「はあ、呆れる。 知らないばあちゃんから、母の声になりました」 「え、神様の声が? う~ん、神様って、話しかける相手にとって身近な人の声を借りて来るのかしらね」 「いや、これは僕の母そのものですよ。声の主は母なんです」 「うっそだ~。それじゃああなたのお母さん、神様ってことじゃない~」 「はい。だから、神様の正体は僕の母なんですって」 「こら~、武人! バラしちゃダメよ~! お母さんとお父さんの努力が全部台無しになるじゃない~!」 「知るか~! また余計なことしてくれちゃって~! 僕はこんなこと求めてないよ~!」 「うわ~武人くん、神様と親子喧嘩みたいなことしてる。プクク」 「芦川、優子さんでしたっけ? おねえさん、あなたは騙されていますよ。神様だと思っていた者の正体は、実は僕の母です。僕の両親が、僕の婚約者になってくれるような人を呼び寄せるために、『生まれ変わり』なんて話をでっち上げたんだと思います。いつも技術と発想力を変な方向に使うんだから......」 「またまた~。そんなドラマチックなこと言っちゃって~」 「自分だけに神の声が聞こえて、弟が予備校生に生まれ変わる方がよっぽどドラマチックでしょうが!」 神はおばあちゃんの声で優子に話かけた。 「優子や。武人くんは、本当に雅也の生まれ変わりじゃよ。末永く、大切にしてやっておくれ」 「はい、神様! 一生支えてみせます! 愛する弟ですから!」 「よくぞ言ってくれた。これでハッピーエンドじゃな」 「......支えるも何も、僕はこの一年間勉強して大学に入るんだよ~。その後就職して自ら生計を立てていくはずだったんじゃないか~。それを、初めからパートナーだかパトロンだか知らないけど勝手に用意してくれちゃって~。これじゃ、子が自立する機会を奪うことになるんじゃないの~? そこらへんはどう考えてるのさ」 神は母の声で武人に話しかける。 「だって心配なのよ~。私とお父さんは、勉強とか進学で挫折を経験したことなんてほぼないのよ? なのに、あなたは大学受験で失敗しちゃうじゃないの~。もう母さんたち、それがショックショックで......」 「く~っ、なんて親だ。そりゃあ浪人したのは悪かったと思ってるよ。でもこんなの、長い人生で見れば大した挫折のうちに入らない部類じゃないかな。少なくとも、親族を失った見知らぬ人を騙して、無理やり我が子と結婚させようとするような生き方よりは、よっぽどまともな道を歩んでるはずさ!」 「グサーッ! なんて鋭い子なの! 皮肉キレッキレじゃない! もう~、こら! 母さん感動したわよー! こうなったら優子さんに真実を全部バラしちゃうからね! これからは、あなたの人生はあなた自身の手で切り開くのよ! もう母さん知らないから!」 「それこそ僕の本望だよーってんだ! べろべろば~」 「小憎らしい~! けど、かわいい息子ね~!」 「武人くん、べろべろば~、なんてするんだ! 意外な一面 ! キュン」 虚空にべろべろば~する武人とそれにキュンする優子。 「武人、父さんだ。やっぱり嘘は良くないよな。正直に話すことにしよう」 「父さん......。それがいいね」 この後、神は優子に全てをバラした。雅也は生まれ変わりなんてしていないこと。武人の両親が、優子のおばあちゃんの声で語りかけていたこと。過剰な献身をする女性をターゲットとして、その献身先を武人にすり替えることで、武人の将来を支えてもらおうと画策していたこと。偽りの神はこれら全てを白状した。 ~十分後~ 優子ははじめ混乱していたが、いずれ納得した様子だった。その後、武人に向き直り、こう告げた。 「武人くん、残念ながら、あなたは私の弟の生まれ変わりではなかったみたいです。でも、私やっぱりあなたと一緒にいたい。あなたが雅也の生まれ変わりではないと知ったのに、なぜかしら、まだあなたと一緒にいたいと思っている私がいるの! これからは姉弟としてではなく、男女としての交際をよろしくお願いします!」 「なんでこうなった」 「母さんも不思議よ~」 優子の申し出には、母子共に戸惑っている。 「武人くん、どうですか? せめてお友だちからでもお願いします。 フフフ、弟だった人と友だちからスタートなんて変かしらね。いや、別に弟じゃないんだけど。デヘヘ。私何言ってんだろ」 「 母さん、本当にこの人で大丈夫なの?」 「ええ、ちょっと心配になってきたわね。だけど、母さんは何も言わないわ。だって私は子離れした親。息子の重要な選択には口を出さず、ただ見守るのみよ」 「子離れホヤホヤにしてはブレがない。さすがは母さん」 「武人、父さんはこういう子、結構好みだぞ」 「へえ......」 「 父さんは少し黙っていてくれ」 この後、しばらく神の機械音声が乱れた。 「武人くん、どうですか? 私、社会人だし、そこそこ年上だけど、住んでる場所もそう遠くないし、勉強教えるのは結構得意だよ? 弟の代わりに大学入試の出願までしたくらいだし、献身が手厚いと思うけど」 「弟への過保護すごくない? やっと母が子離れしてくれたのに、今度は新しい依存関係が生まれることになりそうな予感しかしないよ......」 「武人、まあそう嘆くな。女の人からモテているんだから、調子に乗っていればいいんだ。自尊心がくすぐられてハッピーだろう。そのハピネスに身を任せればいい」 「父さん、すごい思想だね。初めて聞いたよ。でも、うん。それはそれでおもしろそうな気がして来たよ」 「あらあら、ついに武人が一人で決断するのね! 自立のときだわ。私はこんな子絶対やめておいた方がいいと思うけど、子離れしたから言えないわ。今となっては、こんな子絶対やめておいた方がいいと私は思うけど......!」 「母さん、言いまくってるじゃん......」 優子はどこから取り出したのか、きれいな花束を差し出す。 「武人さん、付き合ってください!」 武人は花束を受け取った。 「優子さん。僕でよければ、よろしくお願いします」 武人はそろそろおもしろくなってきていた。 「この過保護女~! 武人を泣かせたら、承知しないからね~!」 母は息子に対してなぜか声を届ける。 「これで彼女も、義理の娘、かあ 」 「......?」 父の余計な感慨により、しばらく神の音声は届かなくなった。 「優子さん、もし僕が死んでしまったら、また僕の生まれ変わりを探してくれるんですか?」 「......そうねえ。次は、魂の生まれ変わりじゃなくて、記憶を引き継いだ人を追いかけようかな」 「なるほど。記憶さえ引き継いでいれば、思い出も関係性も維持されるだろうから、魂なんてなくても、人間関係において重要なポイントは残るわけですね!」 「そう! だから、今度お義父(とう)さんに開発を頼んでみようかしら。記憶を他の身体に移植する発明! そうすれば、武人くんの身体が死んでしまっても、他の健康な身体に記憶を移植することで、武人くん自身は存在し続けられるものね!」 「わっはっは。なんだかとんでもなくサイエンス・フィクション的な境遇に立たされることになるんですね、僕。ちょっと楽しみです」 いつのまにこんなラブラブカップルになったのか。付き合いたてとはそういうものか。 「優子さんは、僕が他の身体に移っても、大切にし続けてくれるんですね」 「ええ、もちろんよ! そのときまで、愛が続いていればね!」 「世知辛い~」 「姉弟愛に比べれば、恋愛なんて儚いものよ。それでも不満は吐かないものよ。だって恋愛は、家族になるまでの道のりなんだから」 「まあ、家族関係には敵いませんよね、恋愛関係なんて。兄弟愛は、純粋な愛って感じがします。僕には兄弟がいないので分かりませんが」 「姉弟愛なら、教えてあげるわよ。あなたが、雅也の生まれ変わりであることを認めるのなら、ね」 「それは絶対嫌ですね。前世の死因が急性アルコール中毒ってことになっちゃいますから」 「こら~、弟の死を冒涜したわね~。私が先に死んだら呪ってやる~!」 「呪いなんて非科学的な現象は信じませ~ん。べろべろば~」 「調子に乗って~!」 横断歩道の上でキャッキャウフフするハピネスカップルは、急行する救急車に轢かれて死んだ。彼女らは生まれ変わりも記憶の引継もできずに死んだが、特に不幸を感じたりはしなかった。なぜなら、すでに二人は存在しないからだ。残された家族は悲しみ、苦しんだが、彼らもいずれ存在しなくなり、不幸を生じなくなることだろう。死んでから苦しみを生じるなんて、ないのだ。苦しむのはいつだって、生きている人のみだ。 おわり * 執筆に当たって大きく影響を受けた文献 > シェリー・ケーガン『DEATH「死」とは何か[日本縮約版]イェール大学で23年連続の人気講義』(柴田裕之訳、文響社、2018年)
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