魔法少女学校の異端者(5)

水原ユキル


水原ユキル



 魔法少女は無敵だ。
 正義の心さえあれば、守りたいと思うものがあればどんな困難だって怖くない。
 一人では無理でも、仲間と共にいれば、何でもできる。
   そう、信じていた。
 戦える魔法少女  魔法戦士をある理由により引退した山県実歩は、魔法少女とは関係のない平穏な人生を歩もうとしていた。
 だが"元"最強の魔法戦士であった彼女は未熟な後輩の魔法少女の指導員として雇われてしまう。不本意ながらも魔法少女学校の職員に採用された実歩。しかし、そんな彼女の担当する少女たちはあまりにも魔法少女らしくない魔法少女たちで   ?




〇前回までのあらすじ
 過去の失敗を引きずっていた実歩。彼女はギルドマネージャーであり同僚でもある夢果の励ましで、改めて魔法少女たちの指導に向き合えるようになる。
 そんな中、学園の理事長から「励菜は下手に戦えば死ぬ」と警告されてしまう。
 励菜を戦わせるのか戦わせないのか。大きな決断を迫られた実歩は様々な葛藤に苦しむ。実歩はもう一度励菜の気持ちに向き合うことが大事だと気づかされるが......。


〇用語解説

想力(イマジン)      魔法少女のエネルギーであり、異能であるスキルを発動させるための源。これらに適性を示さない者は魔法少女になることは絶対に不可能である。

戦闘魔装(コスチュームデバイス)    対となるトランスフォンを起動させることにより、召喚できる衣装。魔法少女はこれを身に纏うことにより、変身前とは比較にならないほどの戦闘力を発揮できる。

トランスフォン 戦闘魔装を呼び出すために必要なスマートフォン型端末。魔法少女となる者はまず、これを使いこなせるようにならなければその資格を得ることはできない

魔法少女    想力に適性を持ち、戦闘魔装を身に纏いスキルを操る特異存在。上位クラスの者になると個人固有の武装である想力援(ブースタ)具(ー)を召喚し、より高度なスキルを発動できる。

魔法戦士    魔法少女の中でも特に強い戦闘力を発揮でき、魔法少女学校を卒業した者に与えられる資格。

ランク     魔法少女としての強さを表す指標。最高はS、最低はE。大半はDランクであり、全体の七割を占める。想力援具を呼び出すには最低でもCランク以上の力が必要とされる。攻撃力、防御力、想力量、魔法力、敏捷性などのステータスも参照し総合的に判断する。

GI     『ギルド』と呼ばれる魔法少女グループの指導員。ギルドインストラクターの略。

GM     ギルドマネージャーの通称。GIが元魔法少女の職員が受け持つことが多いのに対し、GMは一般人職員の担当が多い。主にギルドの補助的な役割を担う。

〇登場人物

山県(やまがた)実(み)歩(ほ)    二十歳。元最強魔法少女。今は引退。魔法少女に変身することを嫌がっている。童顔であるためスーツが似合わない。腰まで届くようなチェリーピンクの髪とスカイブルーの瞳が印象的。
童顔には似合わないクールな口調で 話す。国立大学に進学し、魔法少女に縁のない人生を送ろうとしたが、魔法少女としての適性の高さから魔法少女の指導者に抜擢され、魔法少女の指導を不本意ながら請け負う。

池内(いけうち)励(れい)菜(な)    十四歳。ランクはE。魔法少女らしく明るい性格をしているが、想力の適性があまりに低く周囲から「落ちこぼれ」と揶揄される。セミロングの薄い茶色の髪にくりくりとした瞳が特徴。

妹尾(せのお)優(ゆう)     長く、淡い青髪と自信なさげなたれ目をした女の子。十四歳。励菜と比べるとおどおどした性格が目立つが、数値上の実力はトップクラス。遠距離攻撃を得意としている。

月(やま)見里(なし)マリン  十四歳。パーマのかかったふわふわとした金髪を肩まで伸ばした少女。可愛らしい容姿に反し、表情に乏しく、何を考えているか読みづらい。毒を主体にした戦法が得意。

平松夢果(ひらまつゆめか)    ギルドのマネージャー。二十歳。ウェーブのかかった明るめの茶色の髪を後ろで束ねている。不真面目そうな外見だが、世話好きで人当たりの良い性格。楽しいことが好き。実歩とは高校からの同級生であり、良き理解者。
   
藤堂(とうどう)勇(ゆう)我(が)    励菜たちの通う飛翔学園の理事長。三十代程度の男性。強面だが不当な扱いを受ける低ランク魔法少女や闇の魔法少女へ理解を示している。

第三章 想いを力に

6

「み、実歩ちゃん......?」
「はあっ、はあっ......励菜......!」
 半ば勢い任せに学校を飛び出して、励菜の自室に向かった。突然の実歩の来訪に励菜は目を白黒させていた。
 励菜は寝間着のジャージ姿でベッドに入っていたが、顔色は良かった。明日学校に行くのに支障はなさそうだった。
「体調はもう大丈夫なの? 一応、寮の職員さんには聞いたんだけど......」
「はい。ちょっと疲れてただけだったので、明日からは問題ないと思います」
「そう、よかったわ......。椅子、いいかしら?」
「はい。どうぞ」
 励菜が頷いたのを見て、実歩は勉強机の椅子に腰掛けることにした。
「それで実歩ちゃん、一体どうしたんですか?」
「......」
 言いたいことはたくさんある。だが、いざ口にしようとすると難しかった。勢いに任せて飛び出してきたのだから、気持ちの整理が不十分だった。
 しかし、確実に言っておかなければならないことがある。実歩は小さく息を吸い込むと、
「「ごめんなさい!」」
 実歩は  いや、実歩と励菜はほぼ同時に頭を下げた。
「は......?」
「えっ......?」
 お互い謝られるとは思わなかったのだろう。二人して目を真ん丸にしていた。
「何で励菜が謝るの?」
「実歩ちゃんこそ何で謝ってるんですか?」
「だ、だって! 私、勝手に励菜の試合を止めにするって言って......」
「いやいや! わたしこそ、体調の管理ができなくて実歩ちゃんに迷惑かけて......」
「そんなの気にしてないわよ! 私こそごめんなさい!」
「わたしだって気にしてません! ごめんなさい!」
「............」
「............」
 ふと、二人の視線がぶつかった。
「......ぷっ、あはは」
「何で笑うのよ......」
 恥ずかしそうに顔を逸らしながらも、実歩は微笑んでいた。
「実歩ちゃんでも取り乱すことあるんだなーって思っちゃいました」
「何よそれ......。私は本気で謝ってたのよ」
「それはわかりました。でも、わたし本当に気にしてないんです」
 割り切れたような口調だったが、それは彼女が無理に作っているような気がしてならなかった。
 実歩は姿勢を正した。膝の上で重ねた手にぎゅっと力がこもる。
「聞かせてほしいの。あなたが本当はどう思ってるか......」
「どうしたんですか、急に」
「試合のことよ。本当に止めでいいのね?」
 励菜の瞳に宿っていた光が激しく揺れた。悔しそうに下唇を噛み、俯いた。やはり励菜は納得していなかった。おそらく励菜の答えは最初から明らかだった。だが、それを口にするには様々なものが邪魔をしている。  なら、自分がそれを取り払わなければならない。
「周りがどう思ってるかとかは関係ないの。......あなたが試合に出たいかどうか聞かせてほしいの」
 実歩はキャスター付きの椅子を移動させながら励菜に近づいた。
 励菜が布団を強く掴んだ。
「そんなの......そんなの決まってます! わたし、出たいです! そして勝ちたいです!」
 ......やっぱりだ。
試合に出て勝ちたい。
そんな当たり前の感情を抱いていただけなのだ。そして、それを支えるのが自分の役目。実歩はようやくそのことを自覚した。
「そう、よね......。ごめんなさい、あなたのこと誤解してたわ。励菜はとっくに覚悟ができていたのよね」
 実歩がそう言うと、励菜は不思議そうに実歩を見つめた。
「実歩ちゃんは、もしかしてわたしはどんなことにも負けないとか、絶対に諦めないとか、そういう感じに思ってますか?」
「う......」
 確かにそう思っている部分はある。だが、それは励菜への勝手な思い込みでしかない。だから、なかなか肯定できなかった。
「わたし、実歩ちゃんが思うほど強くないですよ。ランクはダメダメですし」
「でも、励菜はずっと諦めずに練習し続けたじゃない」
「それは実歩ちゃんたちが支えてくれたからです!」
 突然、励菜が強い口調で言った。
「優やマリンや夢果さん......実歩ちゃんがわたしを助けてくれたからです! わたし一人だったら、ここにはいません。......実歩ちゃんは最後までわたしを厳しく、優しく教えてくれて! そんな人初めてだったんです! だからわたし......本当に感謝してるんです」
 実歩は言葉が出なくなった。励菜の言葉一つ一つが実歩の胸に響いた。
 純粋な感謝の念を受けて......ようやく、励菜のことが少しだけわかったような気がした。
 色んな人の助けがあるから、頑張れる。
 励菜だって、そんな基本的な考えを持っていただけなのだ。
 何がEランクだ。何が闇の魔法少女だ。何が魔法少女らしくないだ。
 本音を打ち明けないと、わからないことはたくさんある。
 だから励菜の気持ちをもっと知りたいと思った。そうでないと、また迷いが生じてしまうような気がしたから。
「一つ、訊かせてもらってもいいかしら」
「何ですか?」
「励菜は......どうして、魔法戦士を目指すの?」
 それは、かねてからの疑問。
 たとえ今回の練習試合を突破したとしても、その後も続く試合や試験で結果を残せなければEランクの彼女は簡単に見放されるだろう。藤堂の結果主義により、ようやく魔法戦士への道に立てたとはいえ......その道はあまりに険しいと言わざるを得ない。実歩だったらたちまち折れてしまうに違いなかった。なのに、励菜はどうして  。
 そんな疑問を受けて、数秒の間を置いた後、励菜はふと遠い目をして、過去の記憶を懐かしむように微笑した。
「勿論、わたしが昔から魔法少女に憧れていたっていうのもあるんですけど......」
 励菜の目が真剣味を帯びた。
「わたし......昔、実歩ちゃんに  あ、いや実歩ちゃんによく似た魔法戦士に助けられたんです」
 その戦士は紛れもなく実歩自身だったが、実歩は黙って耳を傾ける。
「その時の女の子は教えてくれたんです。......『諦めない想いがあれば、何だってできる』って......わたし、いつか魔法戦士になったら、才能がなくて挫けそうになってる女の子がいたら同じように声をかけてあげたいんです! だって、わたし想力の才能が全然なかったけど、その女の子の言葉を思い出したら、いつでも頑張れたからです!」
 ......すべてはあの時から始まっていたのだ。
周りからどんなに揶揄されようと。どんなにスタートラインが他者より遠かろうと。励菜は幼き時に抱いた信念を守り、ずっと努力を続けた。
 それは、並大抵の覚悟でできることではない。  やっぱり励菜は強いな、と実歩は思った。
「ちょっと恥ずかしいです、こんな単純な理由で」
 励菜はうつむき加減にもじもじとしている。
「強さを力に変えられるかはその人次第。どんな想いだろうと、それを受け入れて。......そうしたら想いはきっと力に変わってくれる」
「えっ?」
「......さっきの言葉、覚えてる?」
「忘れるわけないじゃないですか」
 きっぱりと励菜は言い放った。
「えっ、でも、ということはやっぱり  」
 微苦笑しながら実歩は首肯した。
「ええ。......誤魔化してごめんなさい。私は確かにあなたと会っていた。守ったことも覚えてるわ」
「やっぱり......そうなんですね」
 どこかほっとしたように励菜は微笑んだ。
「でも私はその言葉を守らなかった」
「?」
 実歩の表情に翳りが見られた。ここから先を口にするのが怖い。実歩の胸中に靄のように不安がくすぶる。励菜に失望されるかもしれない。だとしても、告白しなければならない。ずっと過去の罪を隠し続けたままだと前には進めない気がしたから。
 長年秘密にし続けた胸の古傷をナイフでこじ開けるような感覚に襲われた。あまりの苦痛に実歩は目眩さえ覚え始めた。
「私はね、魔法戦士になったばかりの頃は楽しくて楽しくて仕方がなかったの」
 それから実歩は訥々と、まるで自分が糾弾でも受けているかのように身を硬くしながら、どす黒い過去をぶちまけた。
   どんな想いだろうと、それを受け入れて。
 その言葉の意味をわかっていたつもりで、わかっていなかった。
 自分が嫉妬よりも醜い感情を抱いていたことを認めたくなくて、無理矢理自分を抑えつけていた。だがその抑えはいつか利かなくなって......気が付くと掌には何も残っていなかった。
 意味のない苛立ちを抱えたこと。中途半端な自尊心のせいで相談しなかったこと。  そして、仲間を裏切ったこと。これらのことを、一切の虚飾なく吐き出した。そして、最後に「私みたいになってほしくない」と付け加えた。
励菜はつらさに耐えるかのように唇を結び、布団を掴んでいた手はわずかに震えていた。重苦しい沈黙に包まれる。
 実歩は刑の執行を待つ囚人のような気持ちになって身を縮めていた。励菜の顔を直視できなくて、下を向いていた。
「実歩ちゃん......」
 びくっと実歩の肩が震えた。だが  
「ありがとうございます......」
「へっ......?」
 励菜の口から飛び出したのは、そんな予想外の一言だった。
「わっ」
 励菜が優しく抱きついてきた。普段の実歩であれば、恥ずかしくてすぐに引き離してしまうところだろうが、今は不思議とそんな気は起こらなかった。
「実歩ちゃんの過去、知れてよかったです」
「よかった......? 私は魔法少女として......いや、人として最低のことをしたのよ!」
「だとしても!」
 励菜は顔を上げた。涙で潤んだその瞳には強い意思の炎が揺らめいていた。彼女の力強い眼光に、実歩は二の句が継げなくなる。
「だとしても......! 実歩ちゃんはそんなつらい過去があったから......一人で苦しんだから......今こうやってわたしを支えてくれるんじゃないですか!」
「励菜......」
「もしかしたら実歩ちゃんのやったことは許されないことなのかもしれません......。それを許すとか許さないとかは言いません。わたしにそんな資格ありませんから。......でも、でも関係ありません! わたしは実歩ちゃんに教えてほしいんです! だって......実歩ちゃんはわたしに初めて優しく厳しく教えてくれた人なんですから?」
「っ!」
 溢れるままに、熱い感情をぶつけられた。励菜は羞恥を隠すように実歩の胸の中に顔を埋めた。
「でも、わたし......ちょっとだけ安心しました」
 そっと励菜がまた顔を上げた。目の端に浮かんだ涙を指先で拭った。
「安心......?」
「はい。実歩ちゃんもそういう弱さのある人なんだなって。今までは完璧過ぎてちょっと怖かったです」
「そう......」
 ふと、励菜の顔から微笑が消えた。
「わたしも......実歩ちゃんと同じように想っていたからです」
「励菜が......?」
「はい。わたしも......本当の想いを言ってもいいですか?」
 どこか悲しげに細められた瞳に、複雑な色が差す。
 迷うことなく実歩は頷いた。たとえどんな想いを聞かされようと、それを否定する気はなかった。
「時々......わたしでも嫌になることもあるんです。特にこの学校に入学する前は、先輩の魔法少女は誰も相手にしてくれませんでした。いや、みんな優しく言ってくれました。でも、言ってることは大体みんな同じでした......『魔法少女じゃなくて他のことを目指したら?』って。優やマリンも、魔法少女らしくないって言われて入学できなかったんです」
 励菜は静かな口調で語る。だが当時の悔しさはまだ残っているかのように声が微かだが震えていた。
「だから、わたしと同い年の子がどんどん先に行っちゃって......そんな時にもやもやするんです。なんていうか......自分でもこの気持ち、わからないです」
 言葉にできない  嫉妬よりも醜い感情が人間にはある。
 集団の中で卓越した才能を持つ者が現れれば、それを潰したくなる。
 逆に、自分より劣る者に遜られると気持ちがいい。
 そんな醜さが、人間にはある。そして魔法少女も人間である以上、その黒い感情と向き合わなければならない。励菜もまたそのことに苦しめられていたのだろうか。
 ふと、励菜が苦痛に堪えるかのように唇を真一文字に結んだ。俯いているため表情はわかりづらかったが、肩は小刻みに動いていた。
「どうしたの?」
「わたし......」
「今は私と励菜しかいないわ。あなたが本当は何に苦しんでいるか......話してほしいの」
「......」
「つらいとは思うわ。......でも、励菜の本当の気持ちも知らないのに、大事なことを決めたくないの。私は励菜を信じる。だから、励菜も私を信用しているのなら、教えてくれないかしら」
 誠意の込められた視線が励菜にぶつかる。驚いたように励菜が実歩を見た。そして  
「わたし、わたし......!」
 励菜の顔が苦悶するようにくしゃりと歪み、
「そんな気持ちがわからないですし......! それにとても悔しかったです!」
 ついに感情を抑えきれなくなったのか、大粒の涙を零して泣き出した。
「悔しくて悔しくて......イライラして......でも何に怒ったらいいかわかんなくて! 今も......今も、こんな変な気持ちになって! こんなことでイライラするわたしにも腹が立って! わたし、わたし......!」
 しゃくり上げながら、励菜は堰を切ったように泣き言を漏らし始めた。実歩の胸元で嗚咽し始めた。
 いつの間にか、実歩は励菜の背中を優しく撫でていた。
 ......あの時の自分と全く同じだった。行き場のない苛立ちとぼんやりとした不満を抱えていたのだ。
 元気で明るい笑顔を見せる顔の裏には、こんな想いが隠れていたのだ。
「この学校に入ってからも......色んな人に馬鹿にされて! そのせいで優やマリンにも迷惑かけちゃって......! 負けちゃいけないってわかってるけど......! でも、でも......! わたしやっぱりつらくて......! どうしてわたしを認めてくれないの! どうしてわたしを見てくれないの! ......こんなこと思っちゃダメですよね......でも、でもわたし......!」
 励菜の背中を撫でながら実歩もまた安心していた。
 ああ、やっぱり励菜も弱さと醜さを持った人間なのだ、と。
 今までは励菜の本心がわからなくて、心のどこかで彼女を恐れていた。
 だけど、励菜だって人間で、女の子だ。
 理不尽を受ければ心は傷つくし、悪く言われれば悲しくなる。
 襲ってくる理不尽を、励菜はその小さな身体で必死に受け止めようとしていた。
 随分と時間はかかったけど、ようやく気づけた。
「思っていいのよ」
「え......?」
 実歩を見上げる励菜の顔は涙でぐっしょりだった。
「それが......あなたの想いなんでしょ? ......ならそれを受け入れて。私も同じように思ってたわ」
「だったら......『自分の想いを受け入れる』って想像以上につらいですね」
「つらいわね......。でも、それなら」
 実歩は励菜の身体を少し引き離すと、真正面から励菜の顔を見据えた。
「私でよければ、励菜と一緒にその想いを受け止めるわ」
「実歩ちゃん......」
 あの時は、自分の想いにも、友人の言葉にも素直になれなかった。
 もう、あんな失敗は御免だ。
「わたし......やっぱり実歩ちゃんがコーチよかったです!」
 実歩は何も返さず、ただ黙って励菜の背中を撫で続けた。励菜がぎゅっと力をこめるのがわかった。
 実歩の目頭が熱くなってきた。ついに涙が抑えきれなくなって......彼女の頬につう、と一筋の涙が流れた。
(人前で泣くなんていつ以来かしら......)
 その時、実歩は胸の中にあった漠然とした何かが、確かな形となったことをやっと悟った。
 どこまでも元気でひたむきで......でも、その裏には弱さと悔しさのある女の子を。
 決意の炎を滾らせた、力強い瞳を。
 側で支えてやりたい、と。
 今度こそ、絶対に迷わない。  励菜の熱い涙を感じながら、そう誓うのだった。

7

「ふぁ......、眠......。ったく、雑用ばっかあたしに押しつけんなっつーの」
 授業で使う資料の印刷や作成を一気に押し付けられ、全ての業務が終わる頃になると外はすっかり暗くなっていた。欠伸を噛み殺し、夢果はぼやきながら廊下を進んでいた。
「やっと帰れる......ん?」
 職員室のドアの前まで来ると、まだ机の明かりがあることに気づいた。よく見るとそこは実歩の席だった。
「実歩、まだ帰ってなかったんだ......」
 夢果が自分の席まで戻ると、机に突っ伏した状態で寝息を立てている実歩の姿が目に入った。実歩の机を見ると、図書館で借りたと思われる書籍や論文のコピーが大量に置いてあった。その内容はどれも闇の想力に関する物のように思えた。
「んっ、あ......」
 実歩の身体が小さく動いた。
「あ、起こしちゃった」
「夢果......?」
 片目を擦りながら実歩が顔を上げた。夢果と自分の机を交互に見て、実歩は居眠りをしてしまったことを察したようだ。
「こんな遅くまで何やってたの?」
 夢果が訊くと、実歩はパソコンのスリープ状態を解除した。ウインドウには闇の想力に関する研究のデータがずらりと並んでいた。「見て」と言うように実歩が画面を指差した。
「これって、闇の想力の研究だよね......? へえ、こんなにあったんだ」
「闇の想力の先行研究は少ないといわれてるけど、あくまで光の想力に比べたら、の話よ。......でも、闇の想力の研究は不人気みたいだから研究にまとまりがないことには困ったけど」
 疲れているせいか実歩は眠たげな声で言った。
「励菜に、闇の想力を使わせる気なの?」
「ええ。危険かもしれないけど、あの子が勝つにはそれしかないと思う。......勿論万が一のことがないよう細心の注意は払うつもりだけど......」
「だから闇の想力についてもっとよく知る必要がある、って思ったわけ?」
 実歩は唇をへの字に曲げて首肯した。様々な葛藤があった上での結論なのだろう。夢果は得心が行ったように頷くと、パソコンのマウスを手に取った。
「えっ、ちょっと、何してるの?」
「決まってんでしょ。あたしも手伝うの」
「そんな、悪いわよ......」
「いーの。あたしはマネージャーなんだからそれくらい手伝わせて」
 夢果は素早くパソコンの操作を終えた。先行研究のデータが夢果に送られたことがわかった。
「目を通すだけでいいの? 他に何してた?」
「研究を調べて、闇の想力をどうやったら伸ばせるか......その練習方法を考えてたわ」
「ん。じゃあ、その方法も考えよっか」
 当たり前のことのように言い、パソコンを起動させた夢果を、実歩は狐につままれたような顔で見つめていた。
「どうかしたの?」
「いや、えっと......」
 実歩は少しだけ視線を宙に泳がせた。
「その、ありがとう......」
 顔をほのかに赤らめた実歩を見て、夢果は小さく吹き出した。
「実歩ってほんとに人を頼るのが下手だよね」
「うるさいわね」
 ぷいっ、とそっぽを向いた実歩。下手だと自覚しているのは確かだった。
 調べられるだけの闇の想力についての先行研究に全て目を通し、闇の想力を伸ばすための練習方法を二人で話し合った。励菜が勝つための作戦会議も行い、二人の議論が終わり、励菜向けの練習方法を編み出した時には、太陽が既に顔を出していた。

「......というわけで、今言った通りの練習にあなたたちも協力してほしいの」
 ギルドごとの練習が始まる前に、実歩は優とマリンを職員室に呼び出していた。徹夜で考えた練習方法をあらかじめ伝えるためだった。
「......あ、あの。私はいいですけど、そんなことして励菜ちゃんは大丈夫なんですか?」
 おずおずと優が訊いてくる。彼女が不安がるのはもっともだ。何しろ実歩もほとんど手探りで考えた方法なのだ。リスクは当然ある。良い結果をもたらすかどうかはどこにも保証がない。
「勿論、万全の対策をして試してみるつもりよ。......あんまりこんな言い方はしたくないけど、励菜が勝つには闇の想力を使うしかないと思うの」
 優の顔が曇った。おそらく内心では彼女もその通りだと思っているのだろう。
「ま、実歩姉の言う通りだと思うよー。優、協力してあげようよ」
 相変わらず無表情なままマリンが諭すように言うと、優も「う、うん......」と頷いた。割り切れない顔をしていた。
「助かるわ。二人には時間を割いて協力してもらうことにはなるけど、ごめんなさいね」
「へーき。ボクも励菜には勝ってほしいって思ってたし。それに、ちょっと面白そう」
「わ、私も励菜ちゃんには協力したいです」
 気がかりはまだあるのだろうが、励菜の力になりたいというのは確かなようで、優は表情を引き締めていた。

「あ、実歩ちゃん! 今日から始まる特別メニューって何ですか?」
 トレーニングルームに実歩が入ってくるなり、励菜は興味津々な様子でそう訊いてきた。スパシャンの面々は戦闘魔装との装着を済ませており、彼女たちの背後には夢果が立っていた。
「特別メニューがあることは聞いてるのね?」
「はい。でも、どんなメニューですか、って訊いても全然教えてくれなくて......」
 ちらり、と実歩は背後の夢果に見やった。彼女はウインクを返してきた。メニューの詳細までは伝えないように夢果には言ってあったのだ。
「励菜。確認させてほしいことがあるの」
「は、はい。何ですか?」
 実歩の改まった口調に励菜は何かを感じ取ったのか、顔が少しだけ強張った。
「励菜、勝ちたいわよね?」
「勿論です」
 少しの間を取った後に、実歩はさらに問う。
「そのためには、闇の想力を使っても構わないって思える?」
「えっ......? 闇の想力を......?」
 思ってもいなかった言葉を聞いたように、励菜が目を瞬かせた。
「厳しいことを言うようだけど、あなたが本気で勝ちたいと思うなら、闇の想力を使うのが一番勝てる可能性が高いと思うわ。特別メニューというのはその闇の想力を高めるための練習なの」
 実歩の声は硬い。様々な葛藤を経た上での答えなのだ。口に出すだけで緊張してしまった。
「勿論、励菜が嫌なら拒否する権利はあるわ。それならそれで構わない。特別メニューは中止して、今まで通りの練習をしましょう」
 励菜が俯いた。その口元は強く結ばれており、彼女の中で多くの思いが戦っているのが感じ取れた。
「闇の想力を使わないと、勝てないんですか......?」
 少し励菜の声が震えていた。唾を呑み込んでから実歩は答える。
「嘘はつきたくないから率直に言わせてもらうと、もし光の想力だけで戦ったら勝てる確率は一パーセントあるかどうかも怪しいと思うわ」
 残酷な現実を突き付けられたかのように、励菜が絶句した。
「でも、勘違いしないで。あなたがどんな選択をしようと、私は励菜の力になるつもりよ。闇の想力に手を出してでも勝利の確率を上げたいかどうか。選んでちょうだい」
 息も詰まるような沈黙にその場は包まれた。誰も答えを発さずに、励菜の答えを待っている。
闇の想力はわからないことだらけで危険だから使わない。そう判断するのはむしろ正常といえた。だから励菜が拒否したとしても、実歩は反対するつもりはなかった。
 だが  ゆっくりと顔を上げた励菜は真正面から実歩の顔を見つめると  
「闇の想力を......使ってみます」
 きっぱりと言い放った。
「万全の対策を取るつもりだけど、どんなリスクがあるかわからないわよ。覚悟はあるのね?」
「あります! だって、わたし、やらないで後悔するの絶対嫌ですから!」
 強い、曲がったところのない視線が、実歩に焦点を結ぶ。決意のこめられたその声は、有無を言わせない迫力があった。
「そう......。わかったわ」
 実歩はどこか安堵したように笑んだ。
「......そういうことよ。優、マリン、言われた通りにお願いね」
「はーい」
「はい......」
 実歩が声をかけると、二人は配置についた。優が実歩の後ろに立ち、マリンがさらにその後ろで待機した。
「あ、あの。今から何を始めるんですか?」
 戸惑ったように訊く励菜に、実歩は好戦的な笑みを見せた。
「今から夢果以外は敵だと思って」
「ほえ?」
 思いがけない言葉に、素っ頓狂な声を出す励菜。
「あたしは非戦闘員だから実質味方は自分一人ってことだねー」
 室内の隅まで移動していた夢果が横から言った。
「ど、どういうことですか......?」
 いまだ状況がつかめないでいる励菜には構わず、実歩が戦闘の構えを取った。それに続くように優とマリンが想力を練り上げる気配がした。
「倒すのは私一人でいいわ。......じゃあ、行くわよ!」
 その声を合図に実歩が突っ込んできた。慌てたように励菜は回避しようとしたが、
(えっ、これって......?)
 突然、視界が薄紫色に染まったかと思うと、一気に身体が重くなるような感覚。マリンの"毒"の能力だと悟った。だが、もう遅かった。体内に毒が回り、全身を悪寒が襲った。身体の自由を奪われた励菜は当然実歩が打ち込んでくる右ストレートを避けられるはずがなく、思わず目を瞑った。しかし  
「あれ......?」
 来るはずの衝撃をびくびくと待ったが、それは来なかった。
 恐る恐る目を開けると、そこには光を纏った拳があり、実歩が眼前で寸止めしたことがわかった。
「ま、最初はこんなものかしらね」
 実歩は特に感情のこもってない顔で淡々と言うと、拳を引っ込めた。それ以上は何も言わず、最初の位置に戻った。
 わけがわからず棒立ちになる励菜を見て、実歩は不思議そうに首を傾げる。
「何してるの? もう一度行くわよ」
「えっ、あ、はい」
 実歩に促され、励菜は再び身構えた。
 直後に、実歩が突撃。今度は負けない  意気込んだ励菜は彼女を迎え撃つべく右手に力を込める。が  
「  ?」
 不意に実歩が横に転がるように移動した。視界で何かが光ったと認知した次の瞬間には、破裂音が耳朶に響き、視界が一瞬眩しい光で染まった。優の援護射撃を食らったのだ、と気づいたのは、床にひっくり返った時だった。おそらく相手を脅かすための技だったようで、閃光や大音の割にはダメージはあまりない。だが、優の奇襲に頭がついていかなかった。
「ちょ、ちょっと、これ一体何なんですか?」
 上体を起こして抗議の声をあげる励菜だが、誰も取り合ってくれない。一人だけ練習の詳細を知らされていないようで、励菜は沸々と不満を募らせていった。
「ほら、もう一回やるわよ」
「むぅ......」
 その後も同じようなことが繰り返された。実歩が正面から攻めてきて、励菜がそれを迎撃したり、回避したりしようとすると、優やマリンに妨害され、失敗する。実歩一人相手ですら苦戦するというのに、実力の高い優やマリンまでさらに加わってしまっては敵うわけがなかった。その理不尽ともいえるような練習内容に励菜は次第に怒りを覚えていった。
「実歩ちゃん! そろそろ教えてください! この練習の意味は何なんですか?」
 怒鳴るような励菜の声にも、実歩の反応は乏しかった。また所定の位置に着き、励菜が身構えるのを待っている。
 普段から厳しい実歩だが、今日はいつにもまして厳しい  いや、冷たい気がした。励菜が失敗すれば彼女は決まって助言を入れてくれるのだが、今日はそれが全くない。今日行われている特別メニューも、無意味にしごかれているだけのような気がしてきた。
「もうっ......」
 苛立ちを抑えながら励菜は戦闘の構えを取った。
(わたしの力になるって言ってたのに......あれ、嘘だったのかな?)
 そんなことを思った瞬間、励菜は胸の中で黒い雲のようなものが広がるのを感じた。そして、まるでそれに触発されたように励菜の身体に異変が起きた。
「うっ......」
 心臓の奥が一瞬だけ熱くなり、電流が走ったかのように、身体が大きく痙攣。それが止まると、全身から妖気じみたどす黒い何かが滲み出し始めた。それは決して強い勢いではなかったが、力が先ほどよりも増幅していったのを感じた。
「っ......! 行くわよ!」
 励菜の異変に実歩は危険を感じたのか、彼女の動きが一瞬止まった。あれだけ素早いと思えた実歩の動きが幾分か遅く見えた。研ぎ澄まされた感覚をもって、励菜は床を蹴る。拳に力を込めると、痛みを感じたが自分でも驚くほどにエネルギーが凝集していくのがわかった。
(  今なら、いける!)
 渾身の力を振り絞って放たれる必殺の一撃。
 その拳打は実歩に命中した瞬間、瀑布のような菫色の光が噴き出し、耳をつんざくような轟音と共に実歩を吹き飛ばした。彼女が壁に叩きつけられ、ルーム自体が大きく震動した。
「くっ......!」
 実歩は直前に両腕でブロックし、想力を展開したらしく、身体へのダメージは大したことはなさそうだった。彼女は壁にもたれかかるように座りこむと、苦しそうな顔をしながらも微笑んだ。
「見事ね......。励菜、それが闇の想力よ」
「さっきの、が......?」
 励菜が自分の手を見つめると、その手にはまだ菫色の燐光が帯びていたが、それは役割を終えたように徐々に弱まっていく。
 優と夢果は呆然としたように励菜を見ていた。表情に乏しいマリンですらその顔には驚きが浮かんでいるように見えた。
「あの、もしかして闇の想力を高めるにはさっきみたいな  」
「励菜ちゃん!」
「わわっ」
 優が走ってきた勢いのまま抱きついてきた。励菜の胸に顔を埋めると、涙を流し始めた。
「ごめんね......! でも、励菜ちゃんの力を伸ばすにはみんなでいじめるしかないって......」
「いじめるなんて人聞きが悪いな~。三人で励菜を追い詰めてただけじゃん」
 ふわふわと浮かびながら隣まで来たマリンが励菜の頭を撫で始めた。
「でも、励菜、よく頑張ったねー。よしよし」
「あ、あの......、よくわかんないですけど、もしかしてこれが闇の想力のための練習なんですか?」
 マリンに頭を撫でられ、優には抱きつかれたままの励菜が顔に困惑を貼り付けたまま、実歩と夢果の顔を交互に見た。
「そーいうこと。ごめんね、つらいことさせちゃって。でも、すごかったよ」
 夢果が困ったように笑いながら、顔の前で両手を合わせた。
「想力はその人が追い詰められるほど、強い力を発揮するという話は知ってる?」
 実歩が励菜に歩み寄りながら問う。
「はい、それは何となく聞いたことがあります」
「闇の想力の場合、その傾向が特に強くなると言われているわ。最初の実技試験でも、励菜はかなり追い詰められてたでしょ? その時に闇の想力が発動した。......覚えてる?」
 はっとしたような顔になる励菜を見て、実歩は続ける。
「闇の想力を使うには嫉妬や怒り嫌悪  つまり負の感情を駆り立てる必要があるわ。さっきの練習には二つの意味があったの。一つは、励菜に冷たい態度を取ることで励菜をわざと苛立たせた。もう一つは、三人同時に攻撃することで励菜にとって不利な状況を作った。......わかる? 闇の想力を起こさせて、さらにその力を強くすることが目的だったの」
 訝しげにしていた励菜だったが、やがて疑問が氷解したのか、首を大きく縦に動かした。
「そういうことだったんですね......」
「約束してほしいことがあるの」
 実歩の目に真剣な色が増した。
「負の感情に支配されないで。醜い自分と向き合って、それを力へと変えるの。闇の想力はいつどんな時でも使っていいというほど安全なものではないことは確かよ。醜い想いを受け止めないといけないけど、それに支配されちゃ駄目。......難しそうだけど、できる?」
 返事は早かった。
「できます。わたし、勝ちたいですから」
 励菜の曇りのない瞳を見て......実歩は小さく微笑んだ。かつての自分ができなかったことを教え子が成し遂げようとしている。そう思うと、実歩は誇らしくて  同時に、一抹の畏れすら抱いていた。
「わかったわ。マリン、優、引き続き頼むわね」
「はーい。ボクも励菜の力には興味あったからねー」
「れ、励菜ちゃん......! 私にできることがあったら何でも言って!」
「二人ともありがと!」
 屈託のない笑顔を咲かせた励菜は両腕で優とマリンを抱きしめた。
「それじゃ、練習を続けるわよ。スタンバイして」
 その日、励菜の特訓は放課後にも行われた。夕暮れになる時には励菜の顔は疲れ切っていたが、そこには充足感が滲んでいるような気がした。

「疲れたわ......」
 職員室に帰り、椅子に腰を降ろすと、疲れが一気に押し寄せてきた。寝不足もたたってそのまま寝てしまいそうになる。
「お疲れ実歩」
 そう声をかけてきた夢果も、目元に薄い隈ができていた。二人して背もたれに大きくもたれかかっていた。疲労が溜まっていることは明らかだった。
「お疲れ様、夢果。......ごめんなさい、仕事の話していい?」
「うん、いいよ」
「特訓のデータはどう? 取れた?」
「ばっちりオーケー。動画も取ったから確認しといて」
 記録用のタブレット端末を実歩の机に置いた。
「ありがとう。本当に助かるわ」
「いいって。マネージャーとして当然っしょ」
 どこか自慢げに笑む夢果を見て、実歩は少し疲れが緩和したような気がした。
「そういえばさ、今日の特訓の手応え、どんな感じなの?」
「そうね......」
 ぼんやりと天井を見上げながら実歩は考える。
「今日はひとまずあの子なりに闇の想力の使い方を掴んで欲しかったの。多分最初にしてはよくやった方だと思うわ。......私も闇の想力に関しては調べたばかりだから上手くアドバイスができたかどうかは正直わからない。......でも、あの子はあの子なりのやり方で感覚を掴んでもらえたみたいだから、そこは良かったと思ってるわ」
 なるほど、と夢果は頷いた。
「それで、闇の想力は強くできそうなの?」
 実歩は難しい顔をして唸った。
「まだわからないわ。今日の練習は意味のあるものにはなったと思うけど、この限られた期間でどこまで伸ばせるかは予想できない」
「......ま、この動画くらいまで行けたらいい勝負になりそうだけどね」
 夢果がパソコンで動画を再生させていた。特別メニューを考えるに当たって散々繰り返し見た映像だ。
 実歩は夢果のパソコンを食い入るように見つめた。何度も見たにも関わらず、鳥肌が立つような感覚が起こるのを止められなかった。彼女の眉間に皺が刻まれる。
 映像の内容は、闇の想力が初めて使用された試合の一部始終を記録したものだ。今映っているのは全身から火山のごとく黒い焔を立ち上らせる黒髪の魔法少女。映像越しでも想力が常識外の速度で増幅しているのが伝わった。途中まで対戦相手に圧倒されていたこの少女が一気に逆転勝ちをする転換となる瞬間だった。
「このスキル名......《想力(イマジン)狂暴(バーサーカー)》だったわよね?」
「ネット上で付けられた仮称だけどね。これくらいの力を出せたら励菜にもチャンスあると思う」
「この子の情報がもっとあれば良かったのだけど......」
「そりゃあね。でも、この映像があっただけでもラッキーだよ」
 闇の想力は未解明な部分が多く、安易な使用は危険とされた。研究が少なく、錯綜としていたため、練習方法を考えるだけで苦労した。できれば闇の想力を行使する実力者のデータが欲しかったのだが、今のところ得られたのはこの映像だけだった。
 二人はすぐさまこの黒髪の少女について調べようとしたが、どういうわけかほとんど情報がなかった。問題を起こして追放されたから、闇の想力を使ったことで退学させられたから  などの噂が飛び交っているが、真偽は定かではない。魔法少女学校管理機構が情報に制限をかけたのではないか、と実歩は推測したが、確証は持てなかった。とにかく、闇の想力が人々に忌避されていることは嫌というほどに思い知らされた。
「闇の想力ってほんと何なんだろうねー」
 脱力したような溜息交じりに夢果が言った。
「闇の想力だけじゃないわよ。想力自体がまだまだ未知なんだから。光の想力に関しても、良いとされている練習方法は確立されているけど、もしかしたらそれよりずっと効率のいい方法が作られるかもしれない。闇の想力に関しては今までほとんど誰も注目してなかった。逆にいえば、まだ誰も気づいていないような力を秘めてる可能性だってあるのよ」
「そっか! だったら、あたしたち、闇の想力の先駆者になれるかもしれないね!」
「なれたらいいわね」
 出し抜けに勢いよく言った夢果に実歩は苦笑した。
「さて、と......」
 実歩は自分のパソコンに向き直ると、電源ボタンを押した。
「まだ仕事すんの?」
「明日のメニューも考えないとダメでしょ」
「じゃ、あたしも手伝うね」
「だからそれは私一人で............やっぱりお願いするわ」
「最近はちょっと素直になってきたね」
「そんなんじゃないわよ......」
 ちょっと子供っぽい、無邪気な笑みを見せながら親指を立てた夢果。彼女から視線を外しながら、その曇ったところのない笑顔が感情の奥に染み込んでいくのを感じた。

8

 練習試合まで残り三日。
 トレーニングルーム内には一際熱のこもった声が響いていた。
「伏せるのが遅れてるわよ! もっと《ショット》の動きを見て!」
「はい! 実歩ちゃん!」
 試合直前ということもあり、闇の想力に関する訓練は継続しつつ、なるべく実戦に近い訓練も行っていた。実際の戦闘フィールドを想定してバリケードが設置されていることや、実歩が戦闘魔装を纏っていることからもその本気が窺い知れる。
 今日は対シューターをシミュレーションして、実歩の《ショット》を避けつつ、相手に接近する、といった内容を中心にしていた。実歩のジョブはファイターであったが、ランクSである彼女は下手なシューターよりも《ショット》の精度は高く、練習相手としては十分過ぎる。
 そんな二人の熱意に気圧されるように、優とマリンは呆然としていた。
「す、すごい......! 励菜ちゃん、最近すごいやる気だね......」
「そだねー。何か怖いくらい」
「わ、私も頑張らないと......」
「ほーい。そんじゃ休憩にしよー。冷えたジュースあるよ」
 夢果が高らかな声を上げ、その中心にあつまるスパシャンの三人。
「実歩ー。何かいつにもまして気合入ってるね」
「そう? まあ、試合も近いことだし」
 美味しそうにジュースを飲む三人を尻目に見ながらそっと実歩に耳打ちした。
「励菜、最近ほんと力上げたよね......」
「そうね。私も驚いてるわ」
 ここ最近、励菜の伸びようは目を見張るほどだった。実歩の伝授する戦法や知識を、まるでスポンジが水を吸い込むように定着させていった。彼女の学習能力の高さは実歩が思っていたよりもずっと高かった。
「あ、そうだ。今日の昼休みなんだけど、時間ある?」
「あるけどどうしたの?」
「うん。なんか実歩に会いたい人がいるんだって」

 職員室の隣にある生徒指導室。そこで待っていると伝えられた。
 誰が何の用だろうか、と思いながら扉を開けると、そこには長い金髪の女子生徒が座っていた。彼女は実歩の姿を認めると、椅子から立ち上がり、折り目正しく礼をした。礼儀正しそうな子だ、というのが実歩のまず抱いた印象だった。
「こんにちは。二年二組の神崎(かんざき)美空(みそら)です」
 神崎美空  その名前を聞いて実歩ははっとした。
(この子は......励菜の対戦相手!)
 不穏な空気が漂うと同時に、実歩は妙な胸騒ぎを覚えた。
 しかし、対戦相手とはいえ今は試合中ではない。何も身構えることはない。普通の生徒と同じように接すれば良いのだ。そうはわかっているが、どうしても警戒心が生まれてしまう。
 座ってください、というように美空が向かいの席を手で示した。促されるように実歩は席に着いた。机の上で両手を組み、油断なく相手を見据える。
「神崎さんね。何か御用かしら?」
 一拍置いてから美空は言った。
「今回の試合についてです。私が池内さんの対戦相手であることはご存知ですか?」
「知ってるわよ」
「試合について、もう一度池内さんと話し合っていただけませんか?」
「話し合う......?」
 説明を求めるように実歩は眉を持ち上げた。
 励菜の決意は確かなものであったし、自分も引き下がるつもりはない。今更何を話し合えというのか。
「池内さんが試合をするのは危険です。試合は遊びじゃないんです。私もなるべく配慮はしようと思いますが、それでも池内さんの安全が保障できるとは思えません」
 聞きながら、実歩は美空が何を言おうとしているか大体悟った。なるべく事を荒立てないよう言葉を選んでいる。しかし、美空の真意に気づいた実歩は形容しがたい不満を覚えた。もちろんそれが顔に出ないよう気をつけたが。
「配慮ならいらないわよ」
「はい......?」
 あっけらかんと言い放った実歩に、美空は意外なことでも聞いたように瞬きをした。
「試合が遊びじゃないなんて私たちはわかってる。試合に配慮なんていらないわ」
「山県さん......それ本当に言ってるんですか?」
「本当よ。  それより、あなたもはっきり言ったらどうなの? Eランクが勝てるわけがない。だから無意味な試合は止めにしよう  つまりはそう言いたいんでしょ?」
 穏やかそうに見えた美空の顔が少しだけ歪む。ばつが悪そうに視線を逸らしていた彼女だったが、やがて嘆息すると、冷めた目を向けてきた。
「だって......常識的に考えておかしいじゃないですか、Eランクが試合に出るなんて」
「そんなの誰が決めたの? 少なくとも励菜は本気で試合に臨むつもりよ」
「勝てると思ってるんですか? そんなの生徒を死なせにいかせるようなものだと思いますけど」
「励菜は命の危険があることも知って、戦うことを決めた。それがあの子の選んだ道なら私はそれを支えるだけ」
「そんな美談を言っても勝てないものは勝てませんよ」
「勝てるとは限らないわね。でも、私たちはあなたを倒すために全力で努力してきた。今更何を言ったって止められないわよ」
 実歩の声音はいつものようにクールだったが、有無を言わせぬような威圧が含まれていた。
 信じられない、とでも言うように美空は目を見開くと、俯き気味に首をゆらゆらと横に振った。
「指導員の方と話をすれば解決すると思ってたんですけど......時間の無駄でした」
「あっそ。そもそも対戦相手と話し合って試合を止めさせる、なんて話自体がおかしいと思うけど」
「だって  」
「Eランクだから? 闇の魔法少女だから? ......あの子はそんなハンデを超えるくらいがんばっているわ」
「っ......!」
 美空は実歩を睨みつけると、勢いよく立ち上がった。
「どうして......そうまでして、Eランクを庇うんですか?」
「あの子が戦うと決めたから。私はそれを支える義務があるわ。二度も言わせないで。それとも、あなたもランクでしか人を判断できないの?」
 実歩がやや軽蔑のこもった声を出すと、美空はさらに表情を険しくした。
「もういいです......! 山県さんがここまで話の通じない人だとは思いませんでした!」
 対戦相手にどう思われようと実歩には心底どうでもよかった。実歩は面倒くさそうに髪をかき上げると、指導室の扉を指差した。
「お話は以上かしら? 試合があるなら準備はしっかりした方がいいわよ」
 舌打ちが聞こえてきそうな顔になると、美空はすたすたと扉に向かった。指導室を出る直前に顔だけ振り向き、
「後悔しますよ」
 敵意の漲った目で、そう吐き捨てた。
 美空が去った後、実歩は椅子にもたれてふう、と息を吐いた。
 Eランクの魔法少女は実力不足で危険だから試合に出さない  それは確かに指導員としては妥当な判断なのかもしれない。実歩が第三者であれば、何も疑問は持たなかっただろう。
 だけども、励菜はそんなありふれた一般論で引き下がるような女の子ではない。
 並々ならぬ覚悟と決意を滾らせたあの瞳が忘れられない。励菜にあそこまでの信念があるのなら、自分もそれに応えなければならない。
 もう、迷わないと決めたのだ。
 相手はCランクのシューター。
 Eランクのファイターである励菜の初戦の相手としてはあまりに厳し過ぎる。
 だけど、それでも戦わなければならない。励菜がそう決めたのだから。
 血が滲むような努力の末にやっと掴んだチャンスなのだから。
 試合まで残り三日。決戦の日は確実に迫っていた。実歩は拳をぐっと握った。

 その夜。実歩はまた悪夢を見ていた。
 暗闇の中に一人、今の実歩がぽつんと立っていた。
   お前はまた過ちを犯した。
 やけにくぐもった、低く暗い声。脳内をかき乱してくるような不快なトーンだった。
「過ち? 何のことかしら?」
 だが実歩はその声に怯まず、毅然と言い返した。
   また誰かを死なせるのか?
 その声に、実歩の心臓は大きく跳ねた。
「そんなことはない......。私は励菜を信じてるわ」
   愚かな......。お前には常識というものがないのか?
 実歩はふん、と小馬鹿にしたように笑った。
「常識、ねえ? 私が非常識だと思いたいなら思えばいいわ。私が他人からどう思われようと知ったことじゃないわ。あの子が努力して掴んだチャンスを無為にしたくないだけ。そして、あの子に勝ってほしい。私はそれを支えたいだけよ」
   まるで子供だな。
 嘲笑する気配。それは周囲にも伝染し、侮蔑となって実歩に纏わりつく。
「だから何なの?」
   なに......?
 実歩の冷めた物言いに、嘲笑がぴたりと止まった。
「常識だなんだ言って、本人の意志を挫いて、無難な道を歩ませるのが大人だっていうなら......私は子供のままでいいわよ!」
   貴様はどこまで愚かなのか......!
「馬鹿なのはあなたでしょ? "声"」
 ぎらついた目で虚空を睨んだ。
「私はあの子の覚悟に応える義務があるわ。......万が一のことがあれば......私が全て責任を取るわ」
   貴様にそんなことができるものか。
「やらないで後悔するよりはましだわ。あの子の傷ついた顔は二度と見たくないの」
   お前はさらに糾弾され、生きていけなくなるかもしれぬぞ。良いのだな?
「構わない。私はあの子が勝って笑っている姿を見たいから」
 その刹那  暗闇の遥か先に、一縷の光が差し込んだ。
「実歩ちゃん、実歩ちゃん! さっきの技、見ててくれました?」
「実歩ちゃん! 今日はお疲れ様でした! 明日もお願いします!」
「わたし......やっぱり実歩ちゃんがコーチよかったです!」
 ふと、励菜の元気な声と笑顔が実歩の脳内に入り込んでいった。
 ......ああ、そうか。
 自分はずっと励菜に助けられていたのだ。
 あの笑顔を見たいから......彼女と一緒に喜びたいから、今まで練習に励むことができた。
 ほとんど無気力な自分だったけど、励菜のおかげで確実に変わってきている。
 どこまでもひたむきで、頑張り屋で......だけど、その裏には確かな弱さと醜さを持っている。
そんな女の子にいつの間にか、深く心を寄せていたことに気づく。
「実歩ちゃん!」
 次の瞬間、実歩を包んでいた暗闇が光によって振り払われた。

 そこで、目が覚めた。背中にうっすらと汗が浮かんでいたが、それだけだった。
 おそらく、さっきの夢は自分の迷いとの最後の戦いではなかったのだろうか。
(さっきの"声"はもしかしたら、弱い私の声だったのかもしれないわね......)
 ベッドから起き上がり、カーテンをそっと開ける。爽やかな薄黄金色の光が差し込んできて、実歩は眩しそうに眼を細めた。
 職員寮の窓からは、風格を感じさせる飛翔学園の校舎。それを見つめながら実歩はカーテンを握った。
 悪夢に打ち勝てた。決意が揺るぐこともなかった。だが、それは決して実歩一人の力ではない。
   ありがとね、励菜。
 喉から出かかったそんな言葉を、寸前で呑み込んだ。
 さっきの言葉は試合が終わった後にかけてあげたかったから。


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