Noah fiend

五十嵐琥珀



(ねえねえ、あのコ、ここに来そうだねえ)
 心の中で彼の声が聞こえた。来そうも何も、あの子ならもうそっちにいるはずなのに、と私は思った。
 
 私はいわゆる「オタク」という人間である。中学生のころは爬虫類、歴史に熱中していた。変な子だとよく言われたものだ。
 現在は夢中になっているのは漫画だ。アニメやゲームも好きだが、やはり漫画が一番しっくりくる。しかし、二次元全般なら何でもいける。というのも、漫画だけにとどまっているのはもったいないからだ。
 現在、アニメは子供向けのものから深夜に放送されるものまであるし、漫画雑誌やアプリだって覚えきれないほどある。スマホゲームだって様々なジャンルがある。携帯や据え置きのゲームと比べても遜色のないものも増えてきた。近頃は(基本的には)CDを聴きさえすればいい作品もあるらしい。最近は二次元が好きだと公言しても引かれることは少なくなったし、いい時代になったものである。
 そんな私が二次元にはまったころにできたものがある。それは小さな村のようなもので、私の心の中にある。そこには歴代好きになったアニメや漫画、ゲームのキャラクターが住んでいて、会いに行きさえすればいつでも話すことができる。住民は減ることはない。今までの「好き」は積み重なりこそすれ、消えることはないからだ。「嫌い」になった場合は別として。
   そこに新たな住民が現れたのは、今から五か月前のこと。

 最近急速に人気を伸ばしているアプリゲーム「パルドリヒーローズ」。魅力的な登場人物と、やりごたえのあるバトルが魅力だと友達は言っていた。私自身興味はあったのだが、なかなか時間が取れずに始めるきっかけがなかったのである。
 ある日、友達からメッセージと動画サイトへのリンクが送られてきた。
「コハクの人生五分だけもらってくぜ。騙されたと思ってPVだけでも見てよ」
 私は時計を見て時間を確認する。五時十分。ちょっとぐらいなら休憩できそうだった。これだけ見たらレポートでも書くか。提出は明後日だから早くやらないと。
   この決断が人生を変えるということを、私はすぐに知ることとなる。

 PVはいろいろなキャラクターが出てきたり、戦闘システムを紹介したりと、普通のゲームのものとそれほど変わらなかった。面白そうではあるけれどもすぐにインストールしたいかといわれるとそうではなかった。......あの時までは。
「私は、私として生きるために戦う」
 ......今の声はなんだ? 「美声」という言葉では言い尽くせない。そんな言葉では恐れ多い気すらする。一瞬の出来事で情報が全く整理できなかった。今喋ったのは誰なのか確認するために一回見直した。青っぽい髪をなびかせた、整った顔立ちをした精霊だった。本当にあのキャラからあれほどの美声が出ているのか? 確認のために三回ほど見直し、それが事実であることを確かめた。マジか。そしてもう一度聞き直す。
「あぁ......」
 私は人生で一度も発したことのない声を出してベッドに倒れこんだ。この気持ちをどう表せばいいかわからなかった。しかし、かつて二次元を愛した先人たちは、この得も言われぬ感情に名前を付けていた。人はそれを「尊い」、もしくは「エモい」という。

 とりあえず、まずはあんなキャラクターに出会えるほど功徳を積んだであろう前世の私に感謝した。。次に声優の名前を確認した。聞いたことのない声だから、一度どんな人か見ておきたかった。調べてみると、東雲優という人だった。まだデビューして五年ほどしか経っていないが、様々な作品に出ているようだ。何故今まで知らずに生きてきたのだろう。ほかにも色々と言いたいことはあるのだけれど、脳の処理が追い付かない。
 元々私は「声」にこだわりを持っていた。漫画のキャラを除いてだが、今まで好きになったキャラクターは例外なく声がよかった。どんな声が好きかと言われたら迷ってしまう。低い声の方が好きなのは好きだけれど、私の心を射抜けば関係ない。
 しかし、このキャラは歴代でもトップクラスに声が好みだった。一言でいうのは難しいが、とても透明感のある、まさに精霊のような声だった。この子はいったい何者だろうか?

 そのキャラの名前はノア・カイル・アイギス。肩まで伸びた海を思わせる青のくせっ毛とスカイブルーの目。長く尖った耳。真っ赤な衣服とKと書かれた銀のネックレスを身に着けている。見た目は可愛らしい妖精だが、幼げな見た目にそぐわぬ憂いを帯びた表情をしていた。まだゲームをプレイしていないから詳しい性格は知らない。というわけで、公式サイトのキャラクター紹介を見てみた。
「パルドリシティー郊外の廃墟、アイギス邸に住んでいる精霊。とある事情でギャング団『スカルバウンズ』に所属している。普段は幼い見た目に反しクールにふるまうが、戦いになるとつい興奮してしまう。パンケーキと三匹のペットをこよなく愛する可愛らしい一面も」
 中々に私好みの設定だった。こんな顔してギャングだなんて、私を殺しにかかっているに違いない。
 PVを見てから一時間。私は「パルドリヒーローズ」を始めることになった。レポートは後にしよう。

 数日後、私は公式サイトでグッズを探していた。今一番人気のあるアプリゲームという宣伝通り、様々なグッズがこれでもかというほどあった。これは、本来ならば歓迎すべきものであるはずだった。しかし、率直に言って私は戸惑っていた。
 今まで私が好きになったキャラクターは、ほとんどすべて数年、もしくは十年以上前のものだった。「初恋」の相手は十年以上前のアニメだったし、人生で最も好きなキャラクターに至っては四半世紀前の漫画の敵キャラという始末。当然公式のグッズというものはない。だから私は必死になってグッズを探し求め続けてきたのである。利用したサイトやアプリは六、七個ほどあると思う。それほどグッズ入手は難しかったのだ。......少なくとも私にとっては。
 だが今はどうだろう! 私はどのサイトを利用しようかではなくどれを買おうかで迷っている。キーホルダーにクリアファイル、マスコット。どれもデザインがよく、油断すればすべて購入してしまいそうだ。しかし、金欠気味の学生には不可能なことだ。断腸の思いで購入を諦めるものは確実に出てくるだろう。慎重に選ばなければ。
 迷いに迷った末、なぜか見落としていたミニポスターだけを購入した。キーホルダーもよかったのだが、発売中の缶バッチがおしゃれだったので、そちらにお金を回すことにした。到着は数日後。待ちきれない。

 ゲームの方も順調に進んでいた。精霊として日々を過ごしていたノアが、たまたま出会ったギャングの親玉たちにスカウトされて戦いの日々を送り始めたところまで進めた。今は大喧嘩をしている親分とナンバーツーに対し、ノアが怒っているシーンだ。
「喧嘩するなら手伝え! パンケーキが焦げる!」
「は、はぁ......」
「早く! 返事は!!」
「はい......」
 右手にフライパン、左手にパンケーキが乗ったお皿を持ったノアが頬を膨らませている。怒られた二人はしゅんとして、仲良く手伝いを始めた。
 (少なくとも表面上は)仲良くしている二人を見て、珍しくにこにこ笑うノアは天使のようだった。これだけで一日幸せに過ごせるのだ。

 その週の土曜日、私は友達と買い物に行った。私とノアが出会ったきっかけを作った張本人である。駅前にあるアニメ・漫画のグッズ専門店は、私からすれば天国そのものだった。目的はノアの缶バッチ。それと気に入ったもの。
「何か欲しいものがあるみたいだね」
「えへへ」
 私はそっと財布の中を確認する。八千五百円。これなら十分足りるだろう。多分。
 店の中に入ると、店内は人で溢れかえっていた。人気アニメのオープニングテーマや、声優ユニットの最新シングル曲などが絶えることなく流れている。正直かなりうるさい。耳栓を持ってきておいて正解だった。
 目的の場所に着くとすぐに商品を探す。目立つところにあったからすぐに見つかった。忘れないようにかごの中に入れる。ネットで見たノアの缶バッチは、本人が身に着けているネックレスがモチーフだ。イメージカラーである青をベースにKと魔法陣(ノアが魔法を使用する時に出るものだ)が銀色で描かれている。何も知らない人が見ればゲームキャラのグッズだとはわからないだろう。多分。余談だが、Kは私のイニシャルだったりする。
 無事にバッチを手に入れたところで、その周囲にいいものがないか、辺りを見渡した。......と、ふと青い目と目が合った。
 それは、ノアのぬいぐるみだった。顔や体型こそデフォルメされていたが、いつものように無表情だった。非常に可愛らしい。気が付くとぬいぐるみノアはかごの中に鎮座していた。
 友達の方には目もくれず、私は「可愛い」「欲しい」と連呼しながら商品をどんどんかごの中に入れていく。あっという間にかごの中がいっぱいになった。絶対にお金が足りなくなると心配するかもしれないが、心配は無用。これこそが私が考えた金額内に収めるコツなのだ。まずあらゆるグッズをかごの中に入れて、そこから本当に必要なもののみを選んでいく。今回の場合、バッチとぬいぐるみは絶対に欲しいので残す。この段階で約四千円なので残りの四千円(五百円は消費税用として除けておく)で買えるものを選ぶ。さんざん悩んだ末に、パンケーキを頬張るノアが描かれたイラストキーホルダーとクリアファイル、ペンケースを購入した。総額は八千二百六十八円。ぎりぎりであった。

 その日の晩、友達からラインが来た。
〈いやー、コハク凄かったなぁ〉
〈八千円しか使ってないじゃん〉
〈使いすぎだってwww〉
〈こんな可愛いんだからタダ同然だよ〉
〈まさかここまでハマるとは......〉
 友よ、ノアに出会わせてくれて本当にありがとう。

 ゲームを初めて二日。睡眠時間を四割ほど削って何とかストーリーを進めていた。話を後からすぐに見直せるように、ノアが出てくるシーンをノートにメモしながらやっているから疲れる。休憩がてらに、友達とラインをして楽しむのも日課になっていた。
〈ゲーム進めてるよー〉
〈ノア可愛いでしょ〉
〈うん。不届き者よ、我が屋敷から出ていけってセリフが好きだなあ〉
〈あー、わかるわかる。後はペットとギャングとの食事会のあれもいいよね〉
〈あー、あれか! イシュメールとエイハブとネモが出てくるとこ。何なんですかこれは! が好き〉
〈何だも何も、ペットだ、ってノアが言うやつでしょ?〉
〈そうそうそう!〉
〈あとは見知らぬ一般人にハーブティーを分けるシーンも〉
〈わかる。あれのお陰で助かるんでしょ、彼。もう面白すぎて〉
〈なんで悪霊をハーブティーで追い出せるんだろうね〉
〈そりゃ、ノアだからでしょ〉
〈ノア強い〉
 最近頭がひどく痛むが、それは可愛すぎるノアが悪い。私は何も悪くない。

 ノアは可愛い。まるで天使か妖精のようだ。いや、実際精霊だけれども。滅多に笑わないから余計に笑顔が愛しい。目もサファイアのようで綺麗で見惚れてしまう。戦う姿は荒々しく、普段とのギャップにきゅんとする。そして何よりあの声だ。何度聴いても口から勝手に変な声が出てしまう。きっと脳がとけているに違いない。これはもはや兵器だ。
 ノア可愛い。ノア天使。もっとノアを崇めなければ! ノアは  ノアは  。
(待て、待て! 落ち着くんだ!)
(そうですわよ。一度深呼吸をなさったら?)
(ホントだよ~。気絶しちゃうよぉ)
(......ノアが驚いているぞ)
 ふとよく見知った人達がいる気がしたので振り向くと、例の「住人」たちが私を囲んでいた。いつの間にか心の中に入ってしまったらしい。その内の一人はノアのそばに寄り添っている。ノアはいつものように無表情だったが、明らかに動揺していた。
(......教えてほしい。何かしてしまったのだろうか......)
 ノアは申し訳なさそうに言った。

〈ノアはマジで天使だからなー。絶対雪だるま作ってる〉
 わかる。
〈ノアっちはクリスマスにパンケーキを作って、親分たちにごちそうしてるといいなー。きっと皆笑いながら食べてくれるはず〉
 すごくわかる。
〈こんなにイシュメールたちのこと溺愛してる子がクールなわけない。ノアの性格は天使だ〉
 この人とはいいお酒が飲めそうだ。
 この日、ツイッターでノアが好きな同志を探していた。ちらっと見ただけでも百人はいたので、私はほっとした。いくら補給しても足りないノア成分を補給するために、私は何人かをフォローした。これで毎日イラストや妄想が見られるはずだ。

 ある時、旧友と再会して喜ぶ親分を見てノアはこう呟いた。
「大切なものの前では幸福であらねばならない」
 曰く、大切なものを大切に思えないのなら、それは自分を捨てているのと同じこと、なのだそうだ。
「今の彼はとても幸せそうに見える。大切なものがあるのは、いいことだと思う」
 それを聞いて、私は昔のことを思い出した。昔、蛇を飼っていたときのことを。話し始めると止まらなくなるぐらいには好きだったはずなのに、友達にからかわれ、疎外されてしまい嫌いになってしまった。その時はネット環境もなく、誰も周りに同志はいなかった。本当はどこかに仲間がいたはずなのに。結局蛇は知り合いの家に行ってしまった。その後のことはわからない。あれ以来蛇は飼っていないし、爬虫類について見聞きするのもしばらくはできなかった。あの頃の私は私ではなかったのかもしれない。ノアに言わせてみれば。
 だけど今は自信をもってノアのことが好きだと言える。きっと今の私は私なのだろう。今は周りに同志もいるし、もう好きなものが嫌いになることはないはずだ。ノアの力は偉大だ。

 それから数日後の夜。ピンポーン、という音が聞こえた。ついにこの日が来た。私はハンコを右手に持ち、玄関まで飛んでいく。宅配の人への挨拶もそこそこに髪に印鑑を押し、荷物を受け取った。
 まずはポスターの入った段ボールを拝む。ノアに対する崇拝は欠かしてはならない。それが終わったら、丁寧に開封する。これが、ノアのポスターか。
 はにかんだ笑みを浮かべるノアの周りにペットが三匹。右側にいるのは飼い主の二倍はあるであろうタランチュラのイシュメール、左側には左目がぽとりと落ちそうなコウモリのエイハブ。そして上には所々カビの生えたネズミのネモが牙をむいていた。
 やはりノアは可愛い。これこそが世界の真理だと私は思った。


さわらび117へ戻る
さわらびへ戻る
戻る