探偵部へようこそ

街田灯子






 探偵部。O大学の学生なら、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。しかし、その実態を知る者は少ない。

 探偵部は大学正規のサークルである文芸部の部屋に間借りしていて、依頼があれば動く。とはいえ、こんな胡散臭いサークルを尋ねてくるのは、冷やかしか、よっぽど参っているか、のどれかだろう。



 腕時計を見ると、四時を過ぎていた。漫画を読むのに夢中で、時間が経つのを忘れていたらしい。文芸部の部室には、小説だけでなく漫画も揃っている。

 部屋を見回すと、吉岡は文芸部の部員とテレビゲームで対戦している。こうして見ると、文芸部の一員のように見える。

 読み終わった漫画を棚に戻し、続きの巻を取り出そうとしたときだ。

 扉をノックする音がした。

 入ってこないところを見ると、ここを訪ねてきた人らしい。テレビゲームを中断した文芸部の一人が、部屋の入口へ向かった。

 ドアを開けると、そこにいたのは一人の男子学生だった。

「すいません。ここに、探偵部さんがいると聞いたんですが......」

 訪問者が言った。応対した文芸部員が答えるより先に、吉岡が立ち上がって言った。

「依頼ですか?」

 それを聞いた訪問者はホッとしたようだ。俺は立ち上がって、補足をする。

「探偵部は、俺と、あいつ......吉岡の二人がメインで活動しています。依頼だったら、ぜひ話を聞かせてください」



「僕たち文化研究部は、部員十名の小規模なサークルです。これでも正規の部活なんだ」

 道すがら切り出したのは、文化研究部部長の斎川だ。文芸部部室では話しにくいということで、俺と吉岡は文化研究部部室に案内されることになった。

 文化系の部活は、一つの棟の中に集結している。文化研究部部室は、文芸部の部室からそう遠くないところにあった。

「ここです」

 本棚にはたくさんの漫画が詰まっているし、壁にはアニメのポスターが何枚も張られている。ロボットアニメから、女の子同士がいちゃついている絵まで、様々だ。文化研究部と聞くと名前だけは立派だが、実際はオタク活動に勤しんでいるのだと思われる。

 部長の斎川、そして部室で待ち構えていたもう二人の文化研究部員も、オタクなのだろうか。

「部員は全部で十五人いるんですけど、普段から部室にいるのは僕と、二回生の山口くん、三回生の宮田くんの三人。そして、あと一人だけです」

 部長に紹介され、山口と宮田は会釈をした。

「そのもう一人っていうのは?」

 吉岡が問うと、部長は頷いて言った。

「それが、今回の依頼に関することなんです......。もう一人は、三回生の皆川いずみさんです。ちなみに、この部には女子は彼女一人しかいません」

 それは、いわゆる「オタサーの姫」というやつじゃないか。男ばかりのサークルに君臨する、ただ一人の女子。俺は思ったが、黙っていた。

「それで、依頼っていうのは?」

 吉岡が促すと、部長は押し黙った。他の二人も、心配そうに見守っている。意を決したように、部長が言った。

「その皆川さんに、付き合っている人がいるのかどうか、突き止めてほしいんだ」

 たまにある依頼だ。気になるあの子に付き合っている人がいるかどうか調べてほしい。恋人の浮気を暴いてほしい。  

 引き受けるかどうかは、もう少し情報を集めてからだ。

「念のために訊いておくけど、なんで彼氏がいると思ったのか、理由を聞かせてほしい」

 俺が言うと、二回生の山口が言った。

「最近、皆川先輩がよくスマホをいじってるんですよ。一ヵ月前くらいからです......ゲームでもしてるのかと思って、『何のゲームですか』って聞いてみたんですよ。そしたら、慌てて『何でもないよ』ってスマホを隠すんです。怪しいと思わないですか?」

 怪しいと思わないですか? と言われても、俺たちは皆川いずみのことを知っているわけでもないし、その場面を見たわけでもないから、何とも言えない。

「決定的なのは」

 部長の斎川が、難しい顔をして言った。

「一週間くらい前から、指輪をしてるんです」

「指輪?」

 吉岡が訊くと、部長はスマホで写真を見せてくれた。「一週間前、居酒屋で飲んでた時の写真です」

 笑顔の女子がピースサインをしている写真だ。机に置かれた左手の人差し指に、銀色の指輪がはまっている。

 半ば反射的に、部室にいる奴らの手に視線が移ってしまう。

「僕たちの中にはいないですよ。指輪をしている男子なんて」

 確かに、誰も指輪はしていない。

「直接、聞いてみたらいいじゃないですか。彼氏いるのかって」

 俺が言うと、文化研究部の三人は、みな首を振った。

「そんなこと、なかなか言えないですよ!」

 まあ、だからこそ俺たちを頼ってきたんだよな。

「なるほどね」

 吉岡の言葉に、文化研究部員一同は沈黙する。吉岡が依頼を引き受けてくれるかどうか、皆が注目しているのだ。

「引き受けましょう」

 と吉岡が言うと、文化研究部員たちは声を上げて喜んだ。

「ありがとう! 頼むよ!」

 部長の斎川が嬉しそうに言う。

「さて、報酬の相談なのですが」

 早速言うことが汚い。しかし、文化研究部員たちは気にしないようだった。二回生の山口が言う。

「ご飯を奢ることが報酬だと聞いています。僕らで金を出して、探偵部さんに焼肉を奢ろうと思ってます」

「や、焼肉?」

 最高クラスだ。そんなに大事なのか、オタサーの姫の恋人事情が。



 部員たちに、姫の他の写真を見せてもらった。部活の集合写真のようなものから、居酒屋で撮ったようなものまで。姫自身は、意外と普通だ。少なくとも、恰好は普通の女子大生だった。俺のイメージでは、オタサーの姫はもっとフリルがたくさんついたピンク色のワンピースでも着ているのかと思ったが、さすがに違うらしい。もっと落ち着いた、しかし女の子らしさのある服装が好きなようだ。

 三人から集められた情報によると、皆川いずみは文学部三回生。俺や吉岡、そして文化研究部部長の斎川と同じ学部・学年だ。ちなみに二回生の山口は理学部、一回生の宮田は工学部らしい。

 姫はバイトはしていない(と言っていたらしい)ので、交友関係は基本的にこの部活か、学部の友達だけになると思われる。

 姫は人当たりがよく、誰からも好かれる人柄だという。男たちを手玉に取っているのもオタサーの姫らしい、と俺は思ったが、やはり黙っておいた。



 次に、部員の一人一人と面談をした。まずは、一回生の宮田だ。あまり服装には気を遣っていないらしい。アニメのキャラがプリントされたTシャツに、ジャージのズボンを穿いている。

 吉岡が尋ねた。

「皆川さんについてほかに気になることがあったら、教えてください。なんでもいいので」

「うーん、さっき言ったことくらいですね。特にないです」

「わかりました。では最後の質問です。あなたが、皆川さんの彼氏ですか?」

「え?」

 宮田は面食らったようだった。吉岡は容赦なく続ける。

「焼肉よりも高いものを奢ってもらえたら、他の部員には黙ってておきますから。実は、宮田くん、あなたが皆川さんの彼氏なんでしょう?」

「ち、違いますよ!」



 宮田の後は、二回生の山口だ。白いシャツと黒いジーンズという出で立ちで、宮田よりは服装に気を遣っているように見える。

「それではほかに、なんでもいいので、皆川さんについて気になることがあったら、教えてください」

「いえ、僕からは、さっき言ったことくらいです」

「わかりました。では最後の質問です。あなたが、皆川さんの彼氏ですか?」

「え? いや......」

「焼肉よりも高いものを奢ってもらえたら、他の部員には黙ってておきますから。実は、山口くん、あなたが皆川さんの彼氏なんでしょう?」

「違います!」



 最後に、三回生で部長の斎川。着古したTシャツに、履き倒したジーパンから、宮田と同様に服装には気を遣っていないことがわかる。

「僕は皆川さんとは同じ三回生、同じ文学部ということもあって、よく話をしていたんだ。皆川さんが部活に来る頻度が減ったわけではないけど、やっぱり少し寂しいですね」

「何かほかに、彼女について、気になることはありますか? 何でもいいので」

 吉岡が問うと、斎川は声を落として言った。

「実は最近、彼女が一人の男子と一緒にいるところを見かけるんですよ。名前はわかりません」

 それは調べてみる価値がありそうだ。

「なるほど、わかりました。では最後の質問です。あなたが、皆川さんの彼氏ですか?」

「いや、とてもそんな......」

「焼肉よりも高いものを奢ってもらえたら、他の部員には黙ってておきますから。実は、斎川くん、あなたが皆川さんの彼氏なんでしょう?」

「いやいや、違うよ」



 次の日から、俺たちは姫を尾行することになった。

 秋晴れの空の下、遠巻きに姫を監視する。今は昼休憩だ。姫と一人の女子が文学部の校舎を出て、談笑しながら図書館へ向かって歩いているところだ。

「ん?」

 俺が声を上げると、吉岡は「どうした日下部くん」と律儀に反応した。

「いや、姫と一緒に歩いてる女子、俺が受けてた授業で見たことあると思ってさ」

 春に受けていた授業だったと思う。黒髪のショートカットが印象的だったので、覚えている。首から下げたネックレスのモチーフが光を反射している。今も、黒いブルゾンにジーンズという出で立ちで、女の子らしい恰好の姫とは対照的な服装だ。

 と、吉岡が俺に耳打ちした。

「日下部くん、あれが見えるかい」

 図書館の前で、自転車を停めている男子生徒。荷物をあらためる振りをして、その視線は、姫たちのほうに向いている。

「怪しいと思わないか?」

 俺は頷いた。

 その男子生徒は背が高く、髪は短い。スポーツをしているのか、動きやすそうな服装である。

「調べてみる価値はあるだろうね」

 と言いながら、吉岡はカメラを取り出した。スマホではなく、ちゃんとした一眼レフだ。大胆にもカメラのレンズを姫たちへ向け、一枚撮る。そのまま男子のほうにも向けて一枚撮った。スマホで撮るよりも、このほうが怪しまれないらしい。趣味で写真を撮っているように見えると吉岡は言う。

 吉岡はたった今撮った写真をスマホに移し、とある人に送る。

「灯(あかり)ちゃんに送ったのか?」

「うん。彼女なら、早急に調べられるだろう」

 俺は、毎度毎度、吉岡にこき使われる灯ちゃんに同情した。



 その日は一日、俺たちは自分の授業に支障が出ない範囲で、姫を監視した。姫は、例の女子と一緒にいることが多いようだった。先程の男子生徒は、昼休憩以来見ていない。

 やがて、姫は今日の授業を終えたようだ。帰るのか、または部活に行くのか、自転車置き場へ向かっている。例の女子とは別れたようだ。そこへ、あの男子がやってきた。

「皆川さんお疲れ。授業終わり?」

「そうだよ。岡本くんも?」

 この男子は岡本というのか。

「うん。この後部活でさ。......明日って、夜、空いてる?」

「たぶん大丈夫。あとで確認してから連絡するよ」

「オッケー。ありがとう」

 俺が吉岡に「どう思う?」と耳打ちすると、吉岡は

「まだ、現状ではわからないな」

 と首を傾げていた。

 岡本と別れた後、姫は再び例の女子と合流し、学食で夕食を取った。他に、姫に近づいた人間はいなかった。



 次の日の朝。文芸部部室に現れたのは、我らが救世主だった。

「女子学生は、文学部三回生の水野美香子。男子学生のほうは、同じく文学部三回生の岡本直樹です」

 そう答えたのは、我らが探偵部の後輩、二回生の黒田灯だ。肩で切りそろえられた黒髪をなびかせる美少女だが、いつもにこりともしないので、感情が全くわからない。吉岡に無茶な仕事を押し付けられても、不平不満を漏らすことなく、しかも迅速かつ正確に働いてくれる、貴重な人材だ。

「仕事が早い......助かるよ、灯ちゃん」

 俺が褒めると、灯ちゃんはやはり無表情のまま言った。

「大したことじゃありません。......水野美香子はサークルには所属していませんが、岡本直樹は陸上部に所属しているようです」

「なるほど。ありがとう、灯くん」

 吉岡が言うと、灯ちゃんはぺこりと頭を下げた。心なしか、嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか?

「では、私は失礼します」

「灯ちゃんも貢献してくれてるんだから、焼肉行こうぜ」

 俺が勧めると、灯ちゃんは「いえ」と断った。

「あんまり大勢で行くのは苦手なので。それでは」

 要件だけ伝えて、灯ちゃんは去って行った。私生活が全く伺えない、謎の少女だ。





 今日も、姫は見る限り、例の水野美香子と一緒にいることが多かった。

 授業を全て終えたのを見届けたとき、吉岡が言った。

「昨日、姫は岡本に誘われていたね。結局、今日の夜、二人は夜ご飯に行くんだろうか?」

 果たして、姫のもとに、岡本が現れた。しかし、姫の言葉はこうだった。

「ごめんね、また行こうね」



 岡本と別れた姫は、自転車置き場に向かった。自分の自転車の前で、スマホを取り出す。

「誰かを待っているみたいだ。水野美香子か、それとも他の誰かか...?」

 吉岡が呟いた。こいつはいちいち自分の考えを口に出す癖があるが、この時ばかりは俺も同じ思いだった。

 現れたのは、意外な人物。

「皆川さん、お疲れ」

 部長の斎川だった。

「え?」

 驚きが声となって出たのは、吉岡でなく俺のほうだった。吉岡は俺の口を押えて「静かに!」と小声で諫めた。さっきまで独り言を言ってたのはどこのどいつだ。

「お疲れ様。ごめんね、急に連絡して」

 姫は、笑って斎川に手を振っている。斎川は自分の自転車へと向かった。俺たちには気づいていないようだ。

 二人は、やがてそれぞれの自転車に乗って漕ぎだした。俺たちも、二人が見えなくなってから自転車に乗り、後をつけた。

 大学の近くには居酒屋が多い。斎川と姫は、そのうちの一軒に入った。向かいの道路から監視しても、他の文化研究部の部員が合流するといったことはなかった。

 二人は一時間ほどで食事を終え、店の前で別れた。



 翌日の朝。他に誰もいない文芸部の部室にて、吉岡は言った。

「姫の台詞の『急に連絡した』というのが気になるんだ。岡本に誘われた後で連絡したのなら、確かに急なはずだ」

 俺は頷いて、言った。

「斎川は、確かこう言ってたよな。姫と仲良くしている男子がいるって。それは、自分から目を逸らすための方便だったんじゃないか?」

「可能性はあるけどね。でも、まさか、僕たちに依頼したばかりなのに、そんなドジを踏むかなあ......」

 考えても仕方がない。再び姫の監視を再開する。しかし、姫はこれまでと同じように授業を受け、水野とご飯を食べ、また授業を受けるといった様子で、変わったことはなかった。



 これで文化研究部に顔を出すのは二度目だ。今日は、部長の斎川はいなかった。授業だろうか。

 肝腎の部長がいないならしょうがない。出直そうとしたとき、部室にいた山口と宮田は声を上げた。

「ちょっと待ってください」

 山口は腕時計で時間を確認し、「部長が来てないうちに、話しておきたくて」と言った。

 吉岡と俺は顔を見合わせた。部屋を出ようとしていた足を止める。

 一回生の宮田が切り出した。

「僕たちは斎川先輩が怪しいと思ってるんですよ」

「怪しいって、彼が皆川さんの彼氏なんじゃないかってことかい?」

 吉岡が確認のために尋ねた。

「最近、ここ一週間くらいですけど、部長がいないときと皆川先輩がいないときが、かぶってる気がするんです」

 二回生の山口も、頷いて言う。

「皆川先輩が指輪してるって騒ぎになってから、部長が部室にいることが少なくなってきたんです。部長は授業以外はほとんどこの部室で過ごしてたのに、最近になってあまり見かけなくなりましたし」

「昨日も、ご飯を断られました。だから、もしかしたら、って」

「なるほど......」

「斎川先輩、意外とちゃんとしてるから、もし付き合ってたとしてもおかしくないよ」

「ですよね。細かい気配りもできるし」

 と、山口と宮田はなぜか斎川イケメントークに花を咲かせ始めた。

 吉岡は思案しているようだったが、やがて質問をした。

「今回、僕らに依頼をするにあたって、部長は反対していましたか?」

 山口と宮田は、「うーん」と首を捻り、

「いや、反対はしていませんでした。むしろ......」

「むしろ?」

「積極的だったと思います。人づてに、探偵部さんのことを探してくれましたし」



 数十分ほどで斎川が部室に現れた。俺たちは先程の告げ口のことは話題にはせず、事務的に現在の捜査状況を伝えた。

 一体どうするのかと思っていたら、やがて吉岡が口を開いた。

「斎川くん。少し、いいですか」



 山口や宮田に聞かれないように、俺と吉岡は部長を連れて外に出た。

「昨日、見てましたよ」

 吉岡が言うと、斎川は驚いて立ち止まった。

「......そうか。そりゃあ、見られるよね」

 白状してくれそうだ。俺がそう安心したのも束の間、斎川は弁解を始めた。

「あれは、皆川さんのほうから誘われたんだ。決して、僕は皆川さんと付き合っているわけではないよ」

「は?」

 と、俺が聞き返すと、斎川は「本当だって!」と声を上げた。

「まあまあ日下部くん。短気はよくない」

 吉岡が俺を宥める。

「僕には、一つの答えが見えてきたんだ」



「斎川くんの言う通り、二人は付き合っていない」

 吉岡は断言した。

「なんで言い切れるんだよ」

「まあ聞いてくれ。......まず、皆川さんがよくスマホをいじっていることについて。同じ部室にいるのに、斎川君に向けてメールを送っているとは考えにくい。そして、さっき部室で聞いた話によると、斎川くんは僕たちに依頼することに積極的だった。そうですね?」

 吉岡の言葉に、斎川は頷いた。

「もしかして、一週間前から、頻繁に皆川さんから呼び出しがかかっていたんじゃないですか?」

 再び、頷く。

「部活の紅一点である皆川さんに誘われるのは、さぞかし嬉しかったでしょう。しかし、彼女の指には指輪がはめられていた。もし、彼女に付き合っている人がいるとしたら、こう何度も誘われるのは厄介なことになるのでは、と、そう思ったわけですね?」

 吉岡の推理を聞いて、斎川は頭をかいた。

「すごいなあ。その通りです」

 俺が絶句していると、吉岡は言った。

「斎川くんと他の二人とでは、状況こそ違えど、本当に皆川さんに恋人がいるかどうか知りたいという点では同じだったんだ」

「......それで、やっぱり皆川さんに彼氏が......? やっぱり、最近皆川さんと一緒にいる男子ですか?」

 斎川がおそるおそる質問する。しかし、吉岡は肩をすくめて答えた。

「まだ、答えは出ていません。今から日下部くんと話し合うので、待っててもらえますか? 少ししたら、僕たちも部室に伺うので」

 斎川は「ぜひ、お願いするよ」と返事をして、部室へと戻った。

 俺は吉岡に向き直って言う。

「どういうことだよ? ここまで来たんなら、もうわかってるんじゃないのか」

「わかってる。先に、打ち合わせとして僕の推理を聞いて欲しい。......姫は、一ヵ月前からスマホを頻繁にいじるようになり、一週間前から指輪をし、斎川くんをなぜか何度も食事に誘っていた」

「うん」

「実際問題、僕は、皆川さんには恋人がいると思う。一ヵ月ほど前から付き合いだして、一週間前くらいに指輪をつけたんなら、丁度いい時期じゃないかな」

「じゃあ、岡本直樹が彼氏なのか?」

「いや、それは違う。もし岡本が彼氏なら、斎川くんを誘ったりなんてしないはず。彼氏の誘いを受けてから、他の男子との食事をセッティングするかい?」

 姫は岡本に誘われたとき、「急な連絡」をして、斎川を誘ったのだった。

「斎川くんを食事に誘っていたのは、岡本の前で『彼氏がいるフリをするため』なんじゃないかと思う」

「彼氏がいるフリ?」

「そう。おそらく一週間ほど前から、姫は岡本のアプローチを受けていたんだろう。それに困って、斎川くんを呼んだりして、彼氏がいるフリをしていた。効果があったかどうかはわからないけどね」

「え、じゃあ、本当は彼氏はいないのか?」

「いや、間違いなく、恋人はいるよ。......姫がどんな指輪をしているか、覚えているかい?」

「シルバーのやつだろ」

「そう。とてもじゃないが、姫の趣味じゃない。女の子っぽい服には似合わないだろう。......ペアリングだ」

 吉岡はスマホを取り出し、例の姫がピースをしている写真を見せてくれた。銀色の、武骨なリングだ。

「では、この指輪のペアになる指輪は、一体誰がつけているのか?」

 俺が心の中で「そんな奴いたかな?」と考えていると、吉岡はスマホに別の写真を表示した。

 姫と、姫の隣を歩く女子。

「水野美香子だよ」

 一眼レフのカメラは、画像をズームアップしても、水野の首にかかるネックレスをはっきりと捉えている。細く繊細な鎖に繋がって光を反射しているように見えたのは、シルバーのリングだったのだ。

 俺が絶句していると、吉岡は呟いた。

「彼女が、姫の恋人だよ」



 吉岡は淡々と続けた。

「岡本が近づいてきて、姫は困った。自分には付き合っている人がいるが、隠したかった。それで、ちょうど知り合いであり、同じ文学部の斎川くんを使って、彼氏がいるフリをしようとした」

 俺はようやく言葉を発することができた。

「お前、それを文化研究部の連中に報告するのか?」

「......彼らに頼まれたのは、皆川いずみは誰かと付き合っているのか、それは誰なのかを調べることだ」

 吉岡は憮然とした態度である。

「姫の恋人が誰であれ、僕たちは依頼主に報告する義務がある」

 俺は言葉に詰まる。ふと、文化研究部の部室に張られたポスターが目に浮かんだ。アニメのキャラだろうか、美少女二人が抱き合っている絵だった。

「......秘密が知られたら、姫は好奇の目で見られて、これ以上部活にいられなくなる。それは、依頼主である他の部員たちにとってもよくないことじゃないか? 確かに、斎川を利用したのは気に食わないけどさ。姫は、それほどまでに隠したかったんだ」

 俺が必死に説得するのを、吉岡は黙って聞いていた。

「斎川は、自分が不倫に巻き込まれていないことがわかれば充分だし、山口と宮田は、姫と斎川が付き合っていないことがわかれば充分だと思うんだ」

 吉岡は、やがて苦笑した。

「わかったよ。きみの言う通りにしよう」

「吉岡......!」

 こいつと一緒にいると、俺はいつも究極の選択を迫られるのだ。なにせ吉岡に選択を任せると、こいつは何をしでかすかわからないからだ。

「ところで、日下部くん」

 吉岡がうって変わって明るい声を出した。

「ん?」

 嫌な予感がする。

「彼女の真実は明かさないとして、代わりに、僕らは文化研究部に何を報告するんだい?」

「えーっと......」

「僕らは焼肉を奢ってもらうことを条件に依頼を受けた。彼らも、それくらい必死になっている。......生半可なことを言って、彼らが納得すると思うのかい?」

「う」

 俺はいつも究極の選択を迫られるのだ。



「調査の結果、皆川さんには彼氏がいないことがわかりました。ただ、文学部三回生の岡本直樹という男子に迫られていたようです。それを避けるために、指輪をつけ、斎川くんを彼氏役に見立てて牽制していたようです」

 探偵部部室。吉岡が岡本の写真を見せ、報告する。集まった部員三名は、それを静かに聞いていた。

 俺が付け加えた。

「それだけ、彼女は困っていたんだと思います。岡本はなかなかしぶとく、彼女に言い寄っているようです。......彼女を助けてあげられるのは、皆さんしかいない」

 それを受けて、文化研究部の面々は力強く頷いた。部長が代表して言う。

「また皆川さんに声をかけてみるよ。困っているのなら力になるって」

 三人が納得してくれるかどうかヒヤヒヤしたが、姫に彼氏がいないと知ると、途端に彼女に協力する姿勢を見せてくれた。

「本当に、探偵部の二人には苦労をおかけしました。お礼の焼肉、早速これから行きませんか? 僕たちの奢りです」

 斎川が言ってくれたが、俺は答えられずにいた。真実を全て話していないのに、奢ってもらうのは気が引ける。

「遠慮すると、かえって怪しまれる」

 と、吉岡が小声で言った。しかし、俺は言葉が出ないままだった。斎川の顔を正視できないで、顔を俯けてしまう。

「ぜひ、お願いします」

 俺の代わりに、吉岡が快諾してくれた。

「よし! じゃあ、準備するぞ」

「ご飯行くの、久しぶりですね!」

 文化研究部の三人がはしゃぐ声が聞こえる。と、再び、俺だけに聞こえる声で吉岡が言った。

「日下部くん。きみは、彼らのためを思ってこの選択をしたんだ。誇りに思っていい」

 顔を上げると、既に吉岡は荷物の準備に取り掛かっていた。俺を見てわざとらしく言う。

「なにしてるんだい、早くしないと」

 俺は苦笑して、自分の鞄を引き寄せたのだった。



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