幸せな終わり方

加江理無






 彼は人造人間である。



 私は唐突に、その事実に辿り着いた。

 彼、鏡野健人は元々、叔父が病弱な私のために連れて来た『異性の友人』であった。曰く、研究者であり、科学者である叔父の優秀な助手らしい。彼は黒い瞳に黒い髪といった、一見どこにでもいそうな出で立ちであったが、バランスのとれた綺麗な容貌の持ち主だった。

「初めまして。青木優美さんですね。俺は鏡野健人といいます。よろしくお願いします」

 そう言って優しげに微笑んだ彼に、私はすぐに恋に落ちた。流石に初恋は終わらせていたが、それでも人生で数えるほども存在しなかった恋心は激しく燃え上がった。連絡先を交換し、仕事中であろう彼に向けて頻?にメッセージを送ったり、ベットの住民である自分と共に時間を過ごすよう強請ったりした。今から思い返すと相当面倒な女であったと思う。しかし彼は嫌な顔一つせず私の我儘を聞き、最終的には彼の恋人になることまで許してくれた。嬉しかった。叔父が頷くように圧力をかけていたのかもしれない。本心から私に好意を抱いていた訳ではないかもしれない。心のどこかに引っかかるものを感じながらも、それでも彼と会えなくなるよりは、まだ少しだけましであるように感じていた。

 

 そんな私の、ある種の自己憐憫を打ち砕いたのは一冊の手帳だった。机に無造作に置かれていた叔父の手帳。手に取ったそれに、私はその日、何の躊躇もせず目を通した。そこには、行われたであろう研究の結果について記されていた。



【ついに成功した。人工皮膚が上手く定着している様子。生前そっくりの美しい躰だ。視力、聴力に異常はない。オリジナルの経歴をインプットしても暴走は見られない。非常に安定している。私の指示にも従順な様子。今後は私以外の人間の接触を試みる  】



 私はパラパラとめくったそれを暫く眺めて、それからすぐに机の上に放り投げた。どこか現実味がないまま動かした腕はそれでも意思通りに動き、手帳は宙に舞った。一つ音を立てて止まったそれから逃げるようにベットへと逃げ込んだ私は暗闇の中で目をきつく閉じた。いつもなら人の個人情報を盗み見るようなことはしない。何故、何故、今日に限って覗いたのか。何故、私はこんなにも動揺しているのか。荒い息が唇から漏れ、不快な音を拾う。異常に流れる思考の中で唯一浮かび上がった考えが、鏡野健人は人間ではないのかもしれないということだった。

 考えてみると違和感は日常の中、常に潜んでいた。彼は私の目の前で食事を取らない。私自身がもう既に自らの力で食べ物を口にする事が出来なかったがために、彼が気を遣っているのだろうと考えていた。しかし、中身が機械で構成されているのなら食べ物などそもそも必要ないのだ。他にも、水の使用を控えたり、計算が異常なほどに得意であったりと、考えれば考えるほどに色々な疑惑が浮かび上がり、ようやく私は彼が人造人間であるということを受け入れた。

 私が持った確信を叔父に話すことはなかった。私がそれに気づいたことで、彼が処分されてしまってはたまらない。彼が指示された通りに私に優しく接しているのだとしても、彼は私の思い人であることに変わりはないのだから。私はこの秘密を闇に沈めることで、『幸せ』を守り通すことを誓った

「優美さん、そろそろ眠る時間ですよ。これ以上は体に障ります」

「ん......もうそんな時間か。なんだか最近眠ってばかりな気がするわ」

「あはは、昼寝ばっかりしてますもんね。もう冬は明けたっていうのに、遅めの冬眠ですか?」

「どうせ土の中で眠るのなら蝉にでもなりたいわ」

 長い間を土の中で眠り続け、最後には空を自由に飛び回って人生を終える。時間のほとんどを狭い部屋の中で過ごす私にはぴったりに思えた。それでも、未来のために何かを遺せる蝉の方が幾分も有意義な存在なのだけれども。

「......ねえ、健人」

「はい」

「私はいつ外に出られるの?」

 彼は口を開かず、困ったように笑った。

 

?   ?   ?



「外に出たい」

「......」

「ねえ、お願い。少しの間だけよ」

「......」

「きっと叔父さんだって気づきはしないわ」

「......優美さん」

 彼はたれ目がちな瞳を少しだけ釣り上げた。まるで私の無知を非難するような、我儘な子どもを宥めるような雰囲気。

 あなたのためを思って言っているんですよ。過去に聞いたセリフが耳の奥で響いた。治ってから自由に動けばいいじゃあないですか。治るっていつですか。教えて下さい。あなたは私のお医者様なんでしょう?

 

「外に出たい」



 何かを遺したいと思うことは、生物の本能なのだから。



?   ?   ?



 私が目を覚ました時に見えるものはいつも同じだった。シミ一つない純白の天井。それを目にすることで私の一日は終わり、そして始まる。最近では心電図モニターが一日中鳴っており、単調な音が耳を離れない。音も、景色も、それらは今後、変わることはないだろうと考えていた。

 しかし今、濁流のように飛び込んできた風景はそんな『当たり前』を一気に押し流した。

「おはようございます、優美さん」

 青、白、緑、赤、黄。それらを背景にして、彼が視界に映り込んだ。いつもの困った顔ではなく、どこか吹っ切れたような、あきらめたような、そんな顔をしている。そのことに違和感を感じたが、彼を心配する気持ちはすぐに霧散してしまった。それほどまでに余裕がなかった。

「長くお待たせしました」

 あなたの望んでいたものをご用意しました。

 そう言って微笑んだ彼は静かに私の隣りに座った。絵本で見たような木製のベンチに私たちは初めて同じ目線で座ったのだ。あまりのことに何かを叫びだしそうになったが、なぜだか声が出ない。声帯は震えているはずなのに音がでない。空気だけが静かに喉を通り抜けていく。その時初めて、自分が人工呼吸器を着けていないことに気が付いた。そのことに不安を覚えるよりも先に、今まで自分を縛っていた何かから解放されたような、そんな気がして、ひどく安心した。

 大きな風が吹き、伸ばしたままだった髪が舞い踊った。木々が、花が、丘が、視界の全てが揺れ、足が地面に上手く着かない。座っているはずなのに、どこか浮いているような感覚。右手が彼の手のひらと静かに重なり、彼の体温を伝えてくる。ああ、なるほど。彼は暖かかったのか。まどろむ意識のなかでそう思った。機械の彼よりも私の方が冷たいだなんて、ひどく可笑しい。

「綺麗ですね」

 先程起きたばかりなのに眠たい。それとも、起きていたつもりなだけで、私はまだ夢の住民なのだろうか。頭がふわふわして何も考えられない。

「もっと早くに見せてあげたかったです」

 自由な左手を空に伸ばした。ふらふら、ゆらゆら。揺らす度に、彼が握る右手に力が込められる。まるで、逃がさない、なんて言っているみたいだ。まあ、彼はそんなこと言うような人じゃないから、全部私の妄想なんだろうけど。

「優美さん」

 気持ちがいい。眠りたい。

「他になにかして欲しいことはありますか?」

 花の香りがして、草を裸足で感じ、風の音を聞いて、最後に彼と目が合った。



「私のこと、忘れないでね」



 多分、それでおしまい。聞こえてると、いいなあ。



?   ?   ?



「ありがとうございました」

 俺は、背後に近づいてきた人物に向かってそう言った。

「最期まで待ってくれて」

 『叔父さん』と呼ばれていた男を見やった。男は俺にもたれかかったまま動かない彼女を見つめ、もう動かないのかい、と呟いた。その声は尋ねているというよりは事実を受け止め、惜しんでいるかのような寂しさを纏っていた。それは、『家族』であった彼女を悼む寂しさなのか、それとも『叔父』という自らの役割が必要でなくなったことへの寂しさなのか。どちらが彼の本心か、なんて、きっと彼自身にも分からないのだろうけれど。

「その子は最期まで『私』のことを人間だと思ったままだったね」

 そう言いながら、彼は手に持ったリモコンを操作し、今まで目の前に存在していたはずの幻想郷を跡形もなく消した。ポリゴンの欠片を伴った消滅は、あまりにもあっけなかった。残ったものはベンチ一つを除いては何も存在しない真っ白な部屋。

「そして、君のことを人造人間であると信じたまま逝ってしまった」

 『叔父』は俺の目の前に進み出ると、彼女の頭をそっと撫でた。

「私はずっと不思議だった。なぜ、君は彼女の勘違いに気づいたとき、その間違いを訂正しなかったのか。なぜ、この『叔父』である私こそが人造人間であり、君はその製作者であると告げなかったのか。確かに彼女にとって『叔父』は唯一の肉親で、唯一彼女を見捨てなかった人物だった。その『叔父』がすでに数年前に亡くなっているという事実は彼女をいたく傷つけただろう」

 結果的に、その悲しみは寿命を縮ませることになっただろう。

 彼はそう言って、彼女の髪を一房手に取った。プラスチックで出来た人工の髪は、やせ細った彼女の体には似合わない程の輝きを発していた。

「しかし、それは君という恋人を見つけるまでの話だ。彼女は君に出会い、恋をし、そしていつしか『叔父』よりも恋人の存在の方へ愛情を注ぐようになった。この時点で、彼女の安定のためという理由は成り立たなくなる。君が彼女の気持ちに気づかないほど鈍感な朴念仁だった、という仮定はここではナンセンスだろう。では、もう一度仮定しなおそう。彼女をなるべく傷つけないという目標はそのまま。気になるのは彼女の口癖。彼女は事あるごとに『何かを遺したいと思うことは、生物の本能である』と繰り返していた。この言葉が彼女の口から頻?に出るようになったのは、丁度君に好意を抱き始めていた頃から。彼女は自身の限界を、寿命をどこか悟っていた。しかし、愛した男は人造人間であり、彼女のために造られたものである。人間ではない恋人は何かを遺すために、彼女ではない他の誰かを愛する、といったことは起こらないだろうと考え、安心した。君はそんな彼女の心を正しく理解し、そして傷つけないための最善の道を選んだ」

 そうだろう、と締めくくったその言葉もやはり尋ねているような声音ではなく、答えの分かり切った問いに解答したというような、そういった雰囲気を纏っていた。その様子は、俺に手帳を託して逝ってしまった科学者の姿によく似ていた。彼が手放した金髪が宙に舞う。

「......これからどうするつもりですか?」

「それは私が決めることではないよ、健人君。設計者であり、製作者である、君が決めることだ。私としては君がこれからどうするつもりなのかを聞きたいところだ」

「......」

 これからの、未来のこと。彼女のいなくなった世界のこと。その問いは今、一番俺を困らせるものだった。いつか来るこの日のために温めていた計画が、何故か急にしっくりこなくなったのだ。どうしたものかと考えを巡らせながらも、同時に失敗した、とも思った。自分が認識していたよりも、俺は彼女に深入りをしすぎていたらしい。恋をした瞬間から、彼女の行き着く先は予測出来ていたというのに。それは割り切れない俺の弱さ故か、それとも生きた証を残そうとした彼女の強かさ故か。

「今はまだ」

 まとまらない思考で、それだけ告げて口をつぐんだ。



?   ?   ?



 彼女がいなくなり、何十日か後。

 以前とたいして変わらない日々を過ごすなか。

 

 私はね、健人君。

 彼女はとても幸せな人生とは言い難かったけど。

 不幸ではなかったと思うよ。

 

 彼からの、その言葉を聞いて、意味を咀嚼して。





 その時初めて、俺はみっともなく泣き喚いた。





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