言えなかった言葉はキャンディーとともに

アリス




                     アリス



 じゅん、と溶けて、染みこんでいく。

 私は飴が好きだ。口の中に入れると優しく広がり、そして混ざり合っていく。他にも透き通るようなきれいな色をしているなど例を挙げればキリがない。

 私が飴を好きになったのは、祖母のせいであろう。私の祖母は町外れに住んでおり、飴を作って売っていた。学校の帰り道の近くにあったものだから、よく飴をねだったものである。その度に祖母は優しく微笑み、私にいくつかの飴を差し出したものだ。

 懐かしい。そんな優しかった祖母はもういない。私が

小学校の二年生の時に亡くなった。あの日は今でも鮮明に思い出すことができる。その日、私は祖母に呼び出されたのだ。今まで祖母に呼び出されたことがないのでびっくりしたのを覚えている。







「おばあちゃーん、来たよー」

 小学生持ち前のテンションで私はドアをくぐり抜けた。そこにはいつもと変わらず出迎えてくれる祖母がいた。

「よく来たね、あーちゃん」

 私を抱き寄せるために祖母は腕を広げた。私はそこに躊躇わずに飛び込んだ。

「えへへー。あーちゃんね、おばあちゃんに呼ばれたことないからね、びっくりしたの」

 自分でこういうのも恥ずかしいが、この時の私を表現する擬音として『にぱー』以上にしっくりくるものはないだろう。

「そっかー、びっくりさせちゃってごめんね?」

「いいよ、許したげる」

 祖母はそう言いながら飴を差し出してくれた。私はそれをすぐに口に放り込んだ。いつも通りの優しい味がした。それから祖母は私を膝に乗せて、色んなことを聞いてくれた。

 祖母は私が話すたびに温かい手のひらで撫でてくれた。たくさんのことを話したが、その中でも特に記憶に残っているものがある。

「ねぇ、あーちゃんは将来は何になりたい?」

「んー、パティシエとお花屋さんとアイドルと......」

「そっか、いっぱいなりたいものがあるんだね」

 祖母はクスッと笑った。私もそれが嬉しくて、つられて笑った。

「  あ。でも、お母さんみたいにもなりたいな」

「ん? どうして?」

 今まで具体的な職業だったので少し気になったのであろう。

「だって、お母さんはあーちゃんとかお父さんを笑顔にしてるんだよ? あーちゃんもね、お母さんとお父さんを笑顔にしたいもん」

「あーちゃんは優しい子だね。でも、お母さんみたいになるのは大変だぞ?」

「うん。だからね、あーちゃん頑張る」

 祖母は私をそっと抱きしめた。普段の祖母からは考えられないくらい力強く抱きしめた。

「おばあちゃん......ちょっと痛い」

「あ、あぁ。ごめんね?」

 そうは言うものの祖母は私を放さなかった。私は祖母に抱きしめられたままあることを聞いてみた。

「ねぇ? おばあちゃんはどうして飴や......さん? になったの?」

 今まで一度も聞いたことがなかった。祖母に将来の話を振られてなんとなく聞いてみたくなったのだ。祖母はゆっくりと私を引き離し、目を合わせて言った。

「ねぇ、あーちゃん。知ってる? キャンディーにはね、魔法の力があるんだよ?」

「そうなの!?」

「そう、食べた人を笑顔にする魔法がかかってるんだよ」

 ほら、と言って祖母は私の口に飴を運んでくれた。

「ね、笑顔になったでしょ?」

「ん、おいしい」

 私は膝の上から降りて、祖母に差し出された飴を舐めながら歩き出した。祖母はいきなり歩き出した私の様子を伺っているようだった。

 私は自分の欲しいものを見つけると、早足で祖母のもとに戻っていった。そして、私はおもむろに手を差し出した。

「ん? どうしたの?」

「おばあちゃんにも元気の魔法あげるね」

 私はそう言って飴を差し出したのだった。おばあちゃんは喜んで飴を食べてくれた。

「どう、笑顔になった?」

「うん、笑顔になったよ。ありがとう、あーちゃん」

 私はなすがまま祖母に撫でられた。今、考えると店の商品なのだから、風情もあったもんじゃない。それでも祖母が喜んでくれたのでよかったとは思う。

「あーちゃん。今日、呼んだ理由なんだけどね? あーちゃんにあるものをプレゼントしようと思って」

「!? ほんとに!? 何くれるの?」

 祖母は裏に行って、あるものを持ってきてくれた。

「なーにかなー。なーにかなー」

「お待たせ」

「わーい、ちょうだいちょうだい!」

「はい、どうぞ」

 そう言って差し出してくれたのは赤色の飴がいっぱい入った瓶だった。まるでルビーのように澄み切った綺麗なイルミネーションに心を奪われた。

「  きれい......。ありがとう、おばあちゃん」

 私はぴょんと飛び跳ねて喜んだ。祖母はそれを優しく見守り言った。

「それはね、おばあちゃんの自信作なの。きっと、あーちゃんは優しいから壁にぶつかることもあると思う。でもいつか、あーちゃんが困ったときに魔法の力で笑顔にしてくれる。だから大切に持っといて。絶対に何にもないときに食べちゃ駄目よ? あーちゃんがどうしようもないときに食べてね」

「うん、ありがとう。大切にする」

「うん、そろそろいい時間ね。おばあちゃんが家まで一緒に帰ってあげるね」

「ほんとに? じゃあ、帰ろう。おばあちゃん」

 差し出した右手にそっと温もりが重なる。これが私が感じた最後の祖母の優しさ。もう感じることのできない優しさ。もし、この日に戻れるのなら私の想いを、あなたへの想いを伝えることができるのに。







 いけない。飴を見て、思い出していたらずいぶんと時間が経ってしまった。時間というのは非情なものである。どんなに覚えていようと思ったものでも風化させてしまう。

 私はそんなことを考えながら、着替えに手を伸ばす。やっと着慣れてきた制服。そこに袖を通そうとしたときに下から声が聞こえてきた。

「あかりー。起きてる?」

「起きてるよー」

「はーい」

 確認を取るとお母さんは戻っていった。こうなるから早く着替えて一階に行きたかったのに。食器の音が聞こえてきたので、今は朝食の準備といったところか。待たせるわけにもいかないので、さっさと着替えて一階に降りることとする。

「おはよう」

 一階のドアを開けると同時に挨拶をすると、すでに朝食の準備は終わっていたらしくお母さんは座って待っていた。

「おはよう、灯(あかり)」

 お母さんは挨拶をしながら、座るように促す。私はそれに従う。今日の朝食はご飯・味噌汁・ほうれん草のおひたし・卵焼き・のり、そしてデザートとしてヨーグルトが置いてある。

「いただきます」

「いただきます」

 朝食はいつもお母さんと一緒に食べている。お母さん曰く、お父さんも仕事で早くなければ、一緒に食べさせているとのことだ。私の家族は一般的な家庭よりも仲がよいと思う。お母さんはいつも朝早くから私とお父さんの弁当を作っているし、お父さんも土日休みには家族サービスを惜しまない。

「灯。もう高校生なんだからきちんと起きてこないと。まだ夏休み気分でいるの?」

「ごめんって。明日から気を付ける......」

 それからお母さんは少しの間悩んで、私にかける言葉を決めたようだ。

「はい。明日からはきちんと頑張ってね」

「え、怒んないの?」

 私のお母さんは優しいとはいえ、言いたいことはきちんと言う人だ。正直、何か言われると思っていたのだが。

「なに? 怒ってほしいの?」

「いえいえ、滅相もないです。寛大な処遇に感謝いたします」

 私が軽く頭を下げると、お母さんも少しだけ笑った。それから会話もほどほどにしながら、食事を進めていくのだった。

「ごちそうさま」

「お粗末様でした」

 お母さんもちょうど同じタイミングで食べ終わったので、席を立つ。私は身支度を調えるため、お母さんは後片付けをするため、それぞれ動き出す。

「あ、灯。弁当箱は机の上に置いてるからね」

「はーい」

 私は適当に返事をして、洗面所に向かう。準備が終わった後はどうしようか? いつも出発する時間には早いから、携帯でも触って暇を潰していよう。そんなことを考えながら、いつも通り身支度を始めた。

 身支度もほとんど終わったところで洗面所に顔を出し、お母さんが話しかけてきた。

「そういえば昨日、自転車がパンクしたって言ってたけどいつも通りで間に合うの?」

「うぇ?」

 我ながらすごい間抜けな声が出たとは思う。でも許してほしい。だって私は昨日のことすら忘れてしまう間抜けなのだから。お母さんは私が理解していないと思ったのか、その恐怖の言葉をもう一度告げる。短く尚且つ、端的に。

「遅刻するよ」

「え、え。な、何で何で何で。お母さん、もっと早く言ってよ」

 私は身支度をぱっと切り上げ、学校に行く準備をする。この時間で家を出れば、歩いて行ってもギリギリ間に合うだろう。こういう微妙な優しさには感謝せざるをえない。私も朝から走ることはしたくない。二階に行ってすぐに準備を終わらせて、学校へ向かう。

「行ってきます」

「はい、気を付けて行ってらっしゃい」

 笑顔で見送ってくれるお母さんを背に学校へ向かうのだった。

 歩いて少しして気付いたのだが、このままでは私の今日のお昼は抜きのようだ。

「お弁当持ってくるの、忘れたー」

 そうは言っても財布は持っているので、学校で何かを買って食べればいいのだが。しかし、弁当を作ってもらっているので、もちろん自腹である。現在はお金かお腹か自問自答しているところである。

 そんなこんなで家から二十分経ったくらいであろうか。後ろからお母さんがやってきたのである。大分距離もあるので大変だっただろうに。しかも、私の家には私の自転車以外ないので、わざわざ走ってきてくれたのである。

「灯の夏休みはまだ続いてるのかな?」

 息を切らしながらお母さんは私に弁当を差し出す。

「心意気は年中夏休みです」

「馬鹿。今後は気を付けなさい」

「はい、申し訳ありませんでした」

 今回は百パーセント私が悪いので何も言えない。わざわざ弁当箱の場所まで教えといてくれてたしね。

「じゃあ、今日も元気に頑張ってらっしゃい」

「行ってきます」

 そう言ってお母さんに背を向ける。お母さんも歩き出したようなので、私も学校へ向かうことにする。これでお金とお腹の両方が守られた。

 突然に甲高い音が耳を支配した。次に耳を支配したのは先ほどとは正反対の鈍い音だった。まるで脳が揺さぶられているようだった。しばらくすると、何もなかったのように小鳥のさえずりが聞こえだした。

 私はヒヤリとした後に、すぐに音のした方向に向き直る。そっちは駄目だ、振り向いてはいけない。直感がそう告げるのを押し殺した。

「なに............これ?」

 赤。赤。赤。

 増えていく人。

 近いのに、ずっと遠い。

 何か話しかけられる。

 聞こえない。

 そうだ、あの赤はなんだろう。

 ぴちゃ、ぴちゃ、

 ぴちゃ、ぴちゃ。

 あ、

 お母さんじゃないですか。

 弁当が落ちる音が私の聞いた最後の音だった。







「起きたかい? 灯?」

 私の頭にそっと手を乗せてくれる。

「あ、うん」

 私はそれにおぼろげに返事をする。

「灯。何があったのか、覚えているかい」

 何がって。一体何を言ってるんだろう。私は思い出してみる。

 お母さんじゃないですか。

「あ、あ」

「覚えてるんだね」

「  」

 私は言葉が出せず、ただ泣くことしかできなかった。

「ごめんね、無神経だったね。今日は、もうゆっくりお休み」

 お父さんはそう言って、私を撫でて部屋から出て行った。

 お母さんが死んだ。その事実が胸に突き刺さる。ひとりになったことで落ちる滴はより一層激しさを増した。

 どうしてどうして。どうしてお母さんなんだ。なんでお母さんがこんな理不尽に死ななきゃならないんだ。

 私はあることに気付いてしまった。お母さんはどうしてあそこにいたのか。

「お母さんが死んだのは私......のせい?」

 もし私が弁当を忘れていなければ。もし私がもっと話していれば。もし私がお母さんの方をきちんと振り返って見ていれば。

 お母さんは死ななかったのかもしれない。

 全ては結果論だ。そんなことが分かってる。だけども、そんな考えがまるで煙のように私にまとわりついてくる。払っても払っても、再びまとわりついてくる。

でも、

「でもそんなのどうしようもないじゃないか」

 私なんか力ではどうしようもないじゃないか。その時、ある言葉が私の脳裏を掠めた。

『あーちゃんがどうしようもないときに食べてね』

 私は微かな希望を繋ぐように、その飴がある場所へと向かった。飴は基本的には砂糖でできており、冷暗所に置いておけば腐ることはない。そのため、あの飴は冷蔵庫に大事に入れてある。

 私はすぐに冷蔵庫へと向かい、扉を開けて飴を一つ取り出す。飴なんかで何かが変わるわけがない。だけどこうでもしないと、心が持たないくらいに疲弊していた。

 私は飴を口に入れる。するといつも以上に優しい味がした。祖母が自信作といった理由も分かる。

「だけど、こんなのじゃ笑顔になんてなれないよ」

 私が望んでいたような奇跡は起こらなくて、ただおいしいだけだった。優しさなんていらない。私は自分の部屋に戻り、ベッドの上に寝そべった。

「お母さん、おばあちゃん」

 もう私に縋るものなんてない。

「誰か助けてよ」

 この声に耳を澄ますものも。

「助けて......」

 奇跡なんて起きない。

 私は闇の中へと落ちていった。



????????????????????????????????????



 目覚ましの音は私を呼び覚ます。その体を叩き起こせと。私は目覚ましをすぐに止める。そしてそのまま横になる。もう何もしたくない。

 ああ、昨日の朝から何も食べてないんだ。いや、飴は食べたな。お腹はすいているが、動く気には毛頭なれない。このまま、私も  

 あかりー、起きてる?

 起きてないの?

 もう、あの子は!

 ドアが開く音がする。

「灯、起きなさい。学校に遅刻するよ」

 揺さぶられる。

「まだ起きないの?」

 ほっといてよ

「もうお母さん、ご飯作って待ってるんだけど」

 ............。少しだけ目を開ける。そして、それが覗き込んでいた母と目が合う。

「はい、おはよう」

「えっ......?」

「おはよう。もう一体どうしたの?」

「お母さん、死んだんじゃ......」

 お母さんは少し考えて言った。

「学校............休む......?」

「いや......行くよ」

 反射的に学校に行くと答えてしまった。どうしてだか分からないがお母さんが生きている。これは夢か? お母さんが一階に戻った後で軽くほおをつねってみる。痛い。これは多分夢じゃない。

 これは飴の力なのか? お母さんを生き返らせたのか? まぁ、何でもいい。お母さんが生きているのならば何でもいい。

 私はさっさと着替え、一階に行くことにした。

「おはよう」

「おはよう、灯」

 お母さんは挨拶をしながら、座るように促す。私はそれに従う。今日の朝食はご飯・味噌汁・ほうれん草のおひたし・卵焼き・のり、そしてデザートとしてヨーグルトが置いてある。

 これは昨日と全く同じメニューじゃないか。もしかして私は一日前に戻ったのか? お母さんに今日の日付を聞いてみた。

「今日って何日だっけ?」

「十月九日の金曜日よ。何、土曜日と勘違いしちゃったの?」

「あ、うん......。そんな感じ」

 あぁ、そうか。私はお母さんが死ぬ前に戻ってきたことを確信した。そして、もうお母さんを殺させないことを決意した。

 おばあちゃん、ありがとう。私はあの飴のおかげで、笑顔になることができるかもしれない。だから私は奇跡を起こしてみせるよ。

 そのために私がしなければいけないことは弁当を持って行くこと。そうすれば、お母さんが交通事故に巻き込まれることはない。今日は自転車がパンクしているので、早くに家から出る必要がある。

「私の自転車ってパンクしてたよね?」

「昨日、自分で言ってたじゃない? 忘れちゃったの?」

「いやいや、遅刻しないために確認しただけ」

「それならいいけど......」

 私は少し急いでご飯を食べ、身支度に取り掛かる。それが終わると、すぐに学校の準備を始めた。

「あ、灯。弁当箱は机の上に置いてるからね」

 一階からお母さんが教えてくれた。これも変わらない。でも、今回は確実に忘れてはいけない。

 私は前回の時間よりも少しだけ早く家を出た。もちろん弁当を持って。

 そして前回、交通事故が起きた場所で様子を伺うことにした。ここでお母さんが轢かれなければ、おそらく大丈夫であろう。

 前回の事故の時間になっても、それより後になっても、交通事故は起こらなかった。

 ここから私が考えなければばらないのは、母の死亡を止めたことで起こる影響。前回とは違う行動を取ることで、それに起因した未来が大きく変わるというものである。

 だけど、どうでもいい。お母さんやお父さんが死ななければどうでもいい。私の知らない人が代わりに死んだって別に構わない。私はすべてを救うヒーローなんかじゃなくていい。ただ、目の前の大切な人さえ救えさえすれば。

 これ以上、見ていても何も変わらないだろう。さっさと学校へ行くことへとしよう。

 学校へ着くと妙に騒がしい。どうしたのだろうか? 代わりに学校の誰かが死んだのか? まぁ、別に構わない。私はもう覚悟を決めた。たとえ悪魔と罵られたってその屍を踏みつけていく覚悟を。

「見つけた、藤堂!」

 息を切らして、現れたのは私の担任の先生だ。ずいぶん忙しなく動いたようで、その額には汗がにじんでいる。

「藤堂、詳しいことは後で話す。だからここで少し待っといてくれ」

 嫌な予感がする。予感なんていうものじゃない、ほぼ確信だ。だけど、信じたくなくて。先生が車を回すまで短い時間なのに永遠のように感じられた。

「藤堂、乗れ!」

 体が動かなかった。もし、その言葉を聞いてしまえば、心が理解してしまうから。どれだけ認めたくなくても、分かってしまうから。

「藤堂!」

 先生は手を無理やり引っ張って、私を車に乗せる。先生は運転席に乗り、エンジンをかける。

「藤堂、落ち着いて聞いてくれ。お前のお母さんな」





「交通事故にあったそうだ」

「お母さんは、生きてるんですか?」

「今、お医者さんたちが頑張ってくれているらしいが......」

 望みは薄いか......。私は大きく一呼吸をして、気持ちを切り替える。。大丈夫。私はまだやり直すことができる。ここで一番やってはいけないのは、ただ取り乱すことだ。できるだけ多くの情報を次に。私は絶対に殺させなんてしない。

「藤堂......大丈夫か」

「はい......なんとか大丈夫です」

「そうか、とりあえず病院に急ぐな」

「はい、お願いします」

 私は先生と話しながら、次のループですべきことを考えていた。今回、お母さんは交通事故にあったらしい。しかし、前回と同じ場所では事故が起きなかったことは確認済みだ。

 となると、死因は別に交通事故に固定されていないのかもしれない。これに関しては現時点ではよく分からないが。

 次に時間帯だが前回とあまり相違ないため、情報としては少なすぎて分からない。

 分からないことばかりで嫌になる。だけども、一つだけ確かなことは、このままではお母さんは死ぬ。どうにかして、私は解決策を見つけなければならない。

「着いたぞ、病院だ」

 先生はドアを開けてくれる。考えている間に病院に着いてしまったらしい。

 私は微かな望みを持って、病院へと急いだ。

 だけども、結果なんて分かりきっていて。

 奇跡なんて起こせるのなら起こしてみろよって。

 まるで運命に嘲笑われている気がして。

 もう動くことない体へと体は動かなくて。

 持っていた覚悟なんてどっかにいっちゃって。





「手は尽くしたのですが、残念ながら」





「お母様は亡くなられました」





 分かっていた。分かっていたはずなのに。私には受け止めることができなかった。私の口から息が漏れる。まるで肺を押し潰そうかとせんばかりに。言葉は意味もなく垂れ流される。

「●●、●●●●。●●●」

 もはや、そんな私に意識を保つことなんてできるわけがなかった。







 今は何時だろうか? 思ったよりも真っ暗で。真っ暗......? いけない、早く起きなきゃ。携帯を確認する。十月九日の二十二時。よかった、何とか、その日のうちに起きることができて。

 私は情報を整理する。お母さんは交通事故で死んだ。私は今からあの飴を使って、今日をやり直す。

 もし、あの飴によって戻れるのがその日だけなら、過ぎてしまっては元も子もない。今はそれを確認する余裕もない。

 私は冷蔵庫に向かう。机の上には手紙が置いてある。お父さんからの手紙だ。簡単に言うと、手続きなどで今日は遅くなるから、一人で先に食べてくださいとのことだ。

 私はそんなことは気にも介さず、前回と同じ場所を開ける。飴は確かにそこにあった。これを食べれば戻ることができる。

 瓶を見て、気付いたことがある。飴が確実に一つ分減っているのだ。普通ならば元通りになっているはずなのに。これから考えられるのは、このループの制限回数である。私は限られた中でお母さんを救わなければならない。

 ふたを開け、飴を放り込む。救う、救わないじゃない。もう、決めたんだ。私は迷わない。



????????????????????????????????????



「なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで」

 結論からいうと、私はまだ助けることができていない。

 しかし、何回も挑戦することで分かってきたことがある。死因は交通事故に限らない。また、時間は十月九日中に起こるが、特定の時間というわけではない。前と同じモーションを取ったときは同じ結果となる。開始地点は私が朝起きた時点である。このように様々なことが分かったが、どうにもなっていない。

 今回のループからは学校に行かないつもりだ。今までは学校に行く前や後に様々なモーションを起こしていたが、仮病を使って学校を休んでみようと思う。

「今回こそは絶対いける......絶対にいける」

 私は自分に言い聞かせる。もはや私に残っているものは数少ない。私が今まで持っていたものはすべて打ち砕かれた。でも、今回こそは  

「あかりー、起きてる?」

 今回は仮病を突き通すためにあえて、返事をしない。いつも通り、お母さんは起こしに来てくれた。

「あかりー、起きなさい。遅刻するわよ?」

「うぅん、おはよう」

「おはよう、じゃなくて」

「ごめん、頭痛くて。ちょっと......響くから少し静かにして......」

「大丈夫?」

「いや、ちょっと......厳しいかな」

「そう......学校......休む?」

「そうしてくれると助かるかな」

「はいはい、後で食事持ってくるから食べるんだよ?」

「うん」

 そう言うと、お母さんは下へと降りて行った。上手にいったらしい。さて、ここからだが看病のためにお母さんを家から出させないことが必須となる。

 もし家から出させてしまうと、今まで通り交通事故などで死んでしまう。私はそのために一芝居打つことにした。

 私は一階に降りることにした。口実としてはトイレに行くためである。階段を一歩一歩とゆっくりと降りていく。残り三段くらいになったときに私は足を踏み外すことにした。

 私は激しい音を鳴らして転がった。正直な話、体が痛い。けれども効果は覿面だったようで、お母さんは駆けつけてきた。

「あかり! 大丈夫?」

「う、うん。大丈夫。でも、思ったより体調悪いみたいで......」

「お母さん、今日はずっと家にいるから。何かあったら呼んでね」

「うん、ありがと......」

 何とか計画通りに運ぶことができた。私はお母さんに肩を借りながらトイレへと向かい、部屋まで送ってもらった。

 私はベッドの上で考えていた。今回、死ぬとすれば何が要因となるだろうか? 家の中でそう簡単に死ねるものはない。

 家の中で危険なものは何だろうか? 少し考えて、一つだけ思いつくものがあった。今回、私が利用した階段である。もし高いところから転落すれば、死ぬ可能性があるだろう。

 これを防ぐにはどうしたらいい? 階段を使うなというのは余りに意味が分からなすぎる。そんなことを考えてると、部屋にノックがこだました。

「あかりー、入るよー?」

 私は返事をしなかった。寝てる風に装ったほうが信憑性が増すと思ったからだ。

「灯、ごはん持ってきたけど食べれそう?」

 私はその声にゆっくりと振り向く。盆に載せられていたのはお粥だった。本来は今まで通りのメニューだったのを、体調が悪くなった私のためにわざわざ作ってくれたのであろう。

「ありがとう......」

 その時、私はあることを思いついた。

「さっき、階段でこけたとき、階段のどっか、ヌメッとしてたよ。階段には気を付けてね」

「あら、そうなの? 後で拭いとかないとね」

 これで少しは階段にも気を使ってくれるだろう。私も怪しまれない範疇ではあるが、できる限りお母さんを呼ばないようにして、階段を使わせないようにしようと思う。

「じゃあ、食べ終わったらお盆は床に置いといてね? 後で回収に来るから。あとこれは、スポーツドリンク。きちんと水分補給もしてね」

「うん、ありがと」

「じゃあ、下に戻るね」

「うん」

 ゆっくりと階段を降りる音がする。少しは気にかけてくれているみたいだ。他に死因も見当たらないし、今回は上手くいくかもしれない。

 怪しまれないために私もお粥を食べだす。口の中で蕩けて、ほんのりと効いた塩味がちょうどよかった。手間暇かけて、こんなものを作ってくれる母の愛情を感じた。それゆえに助けなければと強く思うのだった。

 とはいうものの、家の中の危険性を考えても全然出てこないし、お母さんに対しても外に出る様子はなく至って安全である。

 このまま上手くいけばいい。そう切に願う。だけども、自分の考えが何か甘い気がして怖かった。

 それからしばらくして、お母さんが階段を上ってくる。一段一段慎重に上っている。これならば転ぶことはないだろう。お母さんは何しに来たのだろうか? きっとお盆を下げに来たのだろう。

 ん、私の部屋には来ずに隣の部屋に行ったぞ。隣の部屋で一体、何をするつもりだろうか?

 洗濯物をはたく音が聞こえてくる。そうか、洗濯物を干しているのか。......洗濯物! 駄目だ。ベランダは危ない。

 病人のふりをしている場合ではなく、私は隣の部屋へと駆け込む。そして、私の目が捉えたのは何かの物体だった。それがフッと見えなくなった。お母さんの悲鳴が耳を突き刺す。

 私はベランダへと駆け寄る。ベランダの柵が壊れていた。私は急いで一階へと降りた。お母さんはまだ生きているかもしれない。二階から落ちた程度では、余程の打ちどころが悪くない限りは死なない。

 楽観的思考は楽観的でしかない。このループにおいて考えるべきは常に最低である。

 やはりというべきか。お母さんは死んでいた。私は専門ではないから分からないが、おそらく首の骨が折れていたと思う。

 はじめと違って、いくつもの死体を見てきたせいか、顔には出なくなってしまった。しかし、その分、心の中はグチャグチャにかき混ぜられていく。

 大丈夫。私はまだやれる。私にはまだ飴が残っている。まるで本物の病人のようにフラフラとした足取りで冷蔵庫に向かう。

 ゆっくりとゆっくりと進んでいく。水回りにお粥を作るために使った洗われていない調理器具を見つけた。まだ救えていない自分に包丁を突き立てられているようだった。変わらないやさしさがただ痛かった。

 私は冷蔵庫に辿り着くと、いつものように冷蔵庫を開けた。飴の数もはじめと比べると半分以下になって大分少なくなってしまった。いつもように作業を行う。後はベッドに行って眠るだけだ。次こそは必ず  





????????????????????????????????????



 今回のループの時点で残っている飴は九個である。もはや両の手で数えられるほどになっていた。何回も何回も繰り返し、得られたのは夥しい数の死。

 危険の可能性をほとんど考慮したにもかかわらず、思いがけないもので死んでしまう。私は後、たった九回で救うことができるのだろうか?

 いや、成功させる。そうでなくちゃ、今までしてきたこと全てが無駄になる。

「あかりー、起きてる?」

 今回も仮病のパターンでいく。お母さんが起こしに来るのももはやおなじみだ。

「あかりー、起きなさい。遅刻するわよ?」

「うぅん、おはよう」

「どうしたの? 大丈夫?」

「ごめん、頭痛くて。もしかして......今日って雨降る?」

「んー、どうだろう? 天気予報を見てないから分からないな......」

 私は携帯で天気予報を確認するふりをする。

「あー、やっぱり雨が降りそう......」

 雨の日には気温や気圧の急激な変化に体調を崩す人もいるらしい。私は今回、それを演じようと思う。うまくいけばベランダの危険性をつぶすことができる。

「学校は行けそう?」

「いや、ちょっと......厳しいかな」

「はいはい、後で食事持ってくるから食べるんだよ?」

「いや、なんだかお腹は減ってないかな。ちょっと......ご飯はいらないかな?」

「そう。何かあったら呼ぶのよ?」

「はいはい」

 そう言うとお母さんは下へと降りて行こうとする。そこで私は注意することにする。

「湿気で階段とか湿るから、気を付けてね」

「ほんとにどうしたの? まぁ、気を付けるわ」

 少し怪しまれたが、何とか注意することができた。朝ごはんが完成しているので、しばらくは包丁と火の元を気にする必要もない。お昼は出前を取るように提案するし、夜はお父さんにお母さんの体調が悪いといって弁当でも買ってきてもらおう。

 他にも今まで起きたケースから考えうる危険に対しては様々なアプローチを行い、何とかお母さんに意識させることができたと思う。

 後は何だ。緊張感を張り巡らせろ。あらゆることに対して備えろ。もう、家の中で危険と思えるものはほとんどない。なら、大丈夫。とはならずに頭を動かせ。

 家の中の危険性がなくなったのなら、家の外からの危険性は? 今まで起こったことがなかったが、十分にあり得ることだ。

 トラックが家に突っ込んでくる? もし宅配便の人が強盗だったら? はたまた、地震で何かの下敷きに? こんなことまですべて考えてたら間に合わない。地震に対しては初期微動の段階で注意をする。それ以外、やりようがない。他のものに対しては私が窓から外の状態を見ておくことで対処したいと思う。

 そう思うや否や、窓の前に噛り付くように立っていた。どんな小さな異変も見逃さない。見逃してはいけない。そう、自分に言い聞かせて、外を見続けた。

 行き交う人。すれ違う車。その全てに気を使った。もちろん体力はすり減っていったが、精神力で何とかカバーした。

 今のところ、何も起きていないはずだ。一階はとても静かである。とても  静か? もしかして......。

 私は一階へと向かう。どうか、生きていてほしい。だって、こんなの、こんなの。

 一階に着く。だけども、お母さんの姿は見当たらない。テレビが暗い部屋を明るくしている。きっと、ソファでテレビを見ているんだろう。

 私はソファへゆっくりと近づく。角度がついたことでお母さんがいるのが見えた。なんだいるじゃないか。

 私はソファの後ろに行き、お母さんへと声をかける。

「何して......る......の?」

 体が半身になって見えないが、でも、確かに見慣れたものがある。その赤が私に教えてくれる。

  お母さんは殺された。

「っはは」

 可笑しすぎて笑ってしまう。こんなことってあるのか。窓が都合よく開いていて、強盗が入ったとき、都合よくお母さんが寝ていて、、包丁で刺されたところが都合よく肺でお母さんが言葉を発することもできずに死んだ。通帳がなくなっており、金銭目的の犯行だと分かる。

 お母さんを殺すために全てが都合よく働く。こんなの止めようがないじゃないか。だが、これで確信できた。お母さんは死の因果に囚われている。

 私はお母さんに突き刺さっていた包丁を抜く。堰き止められていた血が溢れ出る。もう、死んでしまおうかな。お母さんと一緒のこのナイフで。

 いや、やめだ。どうせ、死ぬのならくれてやろう。こんな物語の終わりなんて決まっている。代わりに私が死ねばいいんだ。それで、もうお終いだ。

 もう、私にできることはこれしかない。私が死んだ後で、お母さんが死のうにも生きようにも私には関与するすべがない。生きてほしいとは思うが、もうこれが私にできるベストである。

 どうして、こんな簡単なことに気付けなかったんだろう。二人まとめて死ねば、私はこれ以上苦しい思いはしなくていいし、お母さんが助かれば、それは当初の目的の達成である。

 私は冷蔵庫へと向かう。最後のループへと向かうために。いつも通り飴を食べ、ベッドに戻る。今日はなんだかよく眠れそうだ。



????????????????????????????????????



 最後は一番最初と同じ方法で行こうと思う。正直、もう何回もやり直したのでよく覚えている。交通事故に遭う前にお母さんを跳ね除ける。

「あかりー、起きてる?」

 このフレーズだけはいつも同じである意味安心を覚えた。

「起きてるよー」

「はーい」

「おはよう」

「おはよう、灯」

「いただきます」

「いただきます」

「灯。もう高校生なんだからきちんと起きてこないと。まだ夏休み気分でいるの?」

「ごめんって。明日から気を付ける......」

「はい。明日からはきちんと頑張ってね」

「え、怒んないの?」

「なに? 怒ってほしいの?」

「いえいえ、滅相もないです。寛大な処遇に感謝いたします」

「ごちそうさま」

「お粗末様でした」

「あ、灯。弁当箱は机の上に置いてるからね」

「はーい」

「そういえば昨日、自転車がパンクしたって言ってたけどいつも通りで間に合うの?」

「うぇ?」

「遅刻するよ」

「え、え。な、何で何で何で。お母さん、もっと早く言ってよ」

 これで最後だ。ありったけの感謝を込めて。

「行ってきます」

「はい、気を付けて行ってらっしゃい」

 この時の母の笑顔は余りにも儚くて、どこかに消えてしまいそうだった。私がすべてを知っているせいか、余計にそう見えた。だけど私にとってそれは、今までの最高の笑顔に映った。

 もうお終いだ。すべてを終わらせよう。

 私は自分の心を落ち着かせながらゆっくりと歩く。この辺だ。この辺でお母さんに追いつかれる。

「灯の夏休みはまだ続いてるのかな?」

 息を切らしながらお母さんは私に弁当を差し出す。

「心意気は年中夏休みです」

「馬鹿。今後は気を付けなさい」

「はい、申し訳ありませんでした」

 今はこんな何でもないやり取りが心地いい。だけど、もうお別れの時間だ。

「じゃあ、今日も元気に頑張ってらっしゃい」

「いってきます」

 そう言ってお母さんに背を向ける。お母さんも歩き出した。私は大きく深呼吸する。振り返る。あの車が脱線する車だ。

 私はお母さんに向かって飛び込む。トラックも母に向かって飛び込む。

 ここでお母さんを押しのければ! すべてを終えることができる。願うならば、どうかお母さんを助けてください。命ならあげますから。そして私は目を閉じる。

 衝撃がする。

 思ったよりも軽い。

 だけども実際に死ぬときはこんなものかもしれない。

 お母さんはどうだ?

 生きてるのか?

 ゆっくりと目を開く。

 私が見たのは車に近づいていくお母さん。

 私は車から遠ざかっていく。

 あれ、こんなはずじゃなかったのに。

 どうして、私が生きてるの?

 お母さんの顔はこんな状況だけど笑っていた。

 そんなわけないのに、声が聞こえた気がしたんだ。





「灯」







「ありがとう、大好きだよ」







 私は押し出されたことで尻餅をつく。何も変わらなかった。何も変えられやしなかった。

 私の目に映るのはあの日と同じ赤だった。

「どうして、どうして」

 ぴちゃ、ぴちゃ。

「どうして。ねぇ、どうして」

 返事がないのなんて分かってる。それでも止まらなくて。その肌に触れる。まだ少し温もりが感じられた。

 私は脇目も振らずに走り出した。こんなのは駄目だ。お母さんを死なせてはいけない。あんな優しい人を殺させてはいけない。

 きっと、何かあるはずだ。私もお母さんも生き残れる何かが。探せ、探せ。頭をフル稼働させろ。私は残り九回で絶対に助けてみせる。

 家に着くとすぐに冷蔵庫を開ける。飴を口の中に入れる。これで残りは八個。数少ないので慎重に使っていきたい。

 私が死ぬなんて、そんなのただの逃げだ。もう覚悟を決めた。

 辿り着いてみせる。誰も悲しまないハッピーエンドへ。







 私は起きた。大丈夫、やれる。前回、ベッドの上でやれることを考えた。後はそれを試していくだけだ。

 正直、不安なところはいっぱいある。だけども、あきらめちゃいけない。前に進むと決めたのだから。

 いつものように階段の下まで移動する音がする。今回も仮病のほうで行こうと思う。

 だが待てども、お母さんの声は聞こえてこない。まさか、もう......。私は心配になって一階に降りた。

 やっぱりというべきか、そこにお母さんはいなかった。代わりにいたのはお父さんだった。

「あぁ、灯。起きたか? あと少ししたら、お通夜だけど、大丈夫か?」

 状況の整理が追い付いていない。確か、私は飴を食べて十月九日の朝に戻ってきたはずじゃ?

「お父さん、お通夜って?」

 お父さんは苦い顔をして告げる。

「覚えてないのか? お母さんが交通事故で  」

 どうし......て? いや、まだだ。私はお父さんの話に適当に話を合わせ、冷蔵庫に向かい、飴を食べる。まだ、戻れるかもしれない。

 すぐさま、私はベッドに向かう。

 だけども、もう戻らなくて。

 ただ時間が過ぎるだけだった。

 こんな力ならないほうがよかった。期待させるだけさせて、結局は何にもできない。救うための力はあっても、何もすることができなかった。

「灯、入るぞ」

 お父さんがノックして、私の部屋に入ってくる。

「そろそろ、お通夜の時間だ。これ、持っとけ」

 そう言って、お父さんは私に数珠を渡してくれた。私にはお母さんのために祈る資格なんてあるのだろうか? 

 その日のお通夜は何事もなく行われた。

 私はただ、自分の小ささを思い知っただけだった。





 よく言われるように生きている限り、誰にだって平等に朝は来る。もちろん、私にもだ。飴がどうして効力を失ったかは分からないが、もう完全にタイムオーバーだ。もう私には母を助けることはできない。

 胸に何ともいえないモヤモヤの塊みたいなものが残り、私を侵食している。

「灯」

 お父さんがノックする。私はそれに返事をして、入ってもらう。

「今日は昼から告別式だ。準備をしといてくれ」

「うん」

「それとな、色々整理してたらこんなものが見つかった。灯宛への手紙だ。字から見るとおそらくお母さんが書いたものだろうな」

 お母さんが......? 私に......?

「まぁ、渡しとくから落ち着いたら読みなさい」

 お父さんは私の部屋から出て行った。私は受け取った手紙を見つめ、読むことにした。手紙に書かれていることは端的で。

『灯の部屋の押し入れ』

 ただそれだけしか書かれていなかった。押し入れを開くと、あからさまにおかしいものがあった。

「クーラーボックス?」

 クーラーボックスを開けると、そこには九個の飴と手紙が入った瓶があった。

 私は瓶を開け、手紙を取り出した。

『灯へ』

『この手紙を読んでいるということは私は死んでいるのでしょう』

『簡単に説明をし	ようと思うけど、いらなかったら読み飛ばしてください』

『私は灯が頑張っていたことを知っています』

『灯が私を生かすために試行錯誤していたことを』

『私はおばあちゃんに飴の効果について聞きました』

『あの飴の力は一日を巻き戻すことと飴を食べている人の記憶の残留です』

『正直な話、これは書くか迷いましたが書いておきます』

『最初は灯が交通事故に遭いました』

 ちょっと待ってほしい。ということはきっと。

『もう分かったかもしれませんが、灯よりも前に私は何回もやり直しています』

『そして一つの結論に辿り着きました』

『死の因果は私に収束させる』

『一人の命の代償は、一人の命であるべきです』

『正直に灯に話せば、よかったのかもしれません』

『だけど私は灯に死んでほしくなかった』

『これは私のエゴです』

『灯は悲しまないでください』

 そんなの、

「............無理だよ」

『冷蔵庫の飴は別のものにすり替えています』

『もっと早くにすり替えればよかったと思います』

『そうすれば、もっと灯にこの飴を残すことができたのに』

『灯と話すのが、いるのが楽しくて先延ばしにしている自分がいました』

『こんな自分勝手な母親を許してください』

 許すも何もはじめから怒ってなんて............。

『さて、灯に二つのお願いがあります』

『まず一つ目はあなたらしく生きてください』

『社会には今回起きたような嫌なこと、理不尽なことがいっぱいあります』

『決して優しくなくてもいい』

『決して強くなくてもいい』

『決して正しくなくてもいい』

『ただ灯は私が愛した灯らしく生きてください』

 うん、分かったよ。

『二つ目は自分を恨まないでください』

『どうせ優しいあなたのことだから力があっても救えないとか考えてるのでしょうが』

『もう一回言います』

『これは私のエゴです』

『それに私はこの力があってよかったと思います』

『この力があったから』

『いろんな灯に会えた』

『いろんな灯と話せた』

『そしてこうやって手紙を残すこともできた』

『最後になりますが、きっとあなたに言うことはできないから書かせてください』

『灯』

『「ありがとう、大好きだよ」』

 どこかで聞いた声が耳を通り抜けていく。私の中にあったモヤモヤがまるで飴玉のように  

「私も大好きだよ」

 やっと言うことができた。

 きっともう、忘れない。私は私らしく前に進んでいきたいと思う。







 奇跡なんか起こらなかった

 でも、まだ奇跡の願っていいのなら

 あなたにこの祈りが届きますように

 冷蔵庫の瓶に入れて、二つ並べて置いておこう

 私の想いを

 いつかあなたのもとへ







『私はあなたみたいになりたい』



さわらび116へ戻る
さわらびへ戻る
戻る