荷が、重いでしょう

クロ太郎






 突然、こんなことを言われたって困惑するだけかもしれないけど、私には魂の声が聞こえる。あぁ、待って待って。私がおかしいとか、幻聴が聞こえているとかでなく。もちろん、14歳のころに発病しがちなあれでもなく。本当に、実際に、現実に。確かに聞こえるの。今だって、耳元でほら。



『助けて...助けて...助けてほしいの、お願い...助けて......助けて...もうつらいよ、いやだよ。助けて...』

『許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない』

『あ、あぁぁあ、ぅあ、ぁ▲※〇■▽×□――!!』



 ね?

 そして、今日もまた一つ。慟哭する魂が生まれる。

           ?

 朝の混雑した駅。たくさんの人々が狭いホームで窮屈そうに電車を待っている。日常の一コマ。何てことない、いつもの朝。

 けれど、突然それは崩れ去る。

 ドンっ! という大きな音のあと、

「きゃぁぁぁあああ!」

「女の子が電車に飛び込んだぞー!」

「警察と救急車だ!」

と大声が響き渡る。その声により、情報がだんだんとホーム全体に広がっていく。ホーム全体に喧騒が広がっていく。

「なんでこんな忙しい日にわざわざ飛び込むの!」

「高校生なんだって? かわいそうに」

「電車が遅れるじゃないか!」

「自殺かしらねぇ。悩みを誰かに相談出来たらよかったのに」

 不確かな情報と憶測が広がっていく。

「遺書があったんだって?」

「こんな時に電車に飛び込むなんて、非常識な子供だ。親の顔がみてみたい」

「やっぱり自殺なのよね」

「全く迷惑な人間だ! 地獄行きだな」

 そして、私の脳内に反響する。

『こっちは朝から会議があるっていうのに。何してくれてるんだ、まったく』

『本当に自殺だったら...つらかったのでしょうね......』

『なんか少し前もこんな飛び込みの話を聞いたのに...怖いな』

 怒り。心配。不安。生きた人間の魂の声は、いつもは聞き取りづらいのだが、こういう感情がむき出しになる場では聞こえるようになる。

『いいいいいたあああいいいいい、いたいいたい、痛い痛い痛い! 身体がバラバラに、バラバラにっ』

『がぁあああぁあああぁあ憎い憎い憎いにくいにくいニクイニクイニ■■ニク■■■■■■――!!』

『あいつさえ、あいつさえいなければ...あいつさえいなければこんなことにならなかったのに......』

 苦痛。憎悪。怨嗟。魂だけになってしまった者たちの声は、いつも私の耳元で聞こえ続けている。彼らの声はいつだって感情にまみれている。むしろ、感情が強すぎるからこそ、こうやってこの世に残っているのだろう。

 そういった魂の声たちが、脳内で響き続ける。いい。別に辛くはない。いつだって聞いてきたから、慣れてる。ただ少し、今日みたいに声が大きい日は気分が悪くなってくるだけ。

 よいしょ、と学校のカバンを肩にかけ直し、次の電車が来るのを待つ。このあたりの電車事情は優秀だから、二時間もすれば運転を再開するだろう。大して対策もしてない一時間目の小テストに心の中で別れを告げて、私はカバンから読みかけの小説を取り出す。

 遠くから、救急車とパトカーのサイレンが聞こえた。



            ?



 日も高く昇ってしまった頃に電車が動き出し、やっと学校についた。私の周りには、私と同じように電車の遅延によりやっと学校に到着した生徒がちらほら。

 これは、同じクラスの子に、授業を合法でサボれてうらやましーとか言われるんだろうな。



「ねぇ、あなたのそれ、重くないの?」



 不意にかけられた声。後ろを振り返れば、そこにいたのは同じ学校の制服を着た女の人だった。

「それ、ずいぶんとたくさんだけど」

 そういって、女の人は私の肩のあたりを指さす。

 そんなにたくさんだろうか、このかばんの中身は。確かに膨らんではいるし重たいが、いつも通りだ。ほかの人が持ってるカバンと大差ない。

「別に、いつものことですよ?」

「......そう。それならいいの。呼び止めてごめんね」

 納得はしていないようだった。けれど、それ以上私を引き留めるつもりもないらしく、軽く会釈をして私の隣を通り過ぎていった。

「けれど、辛くなったらいつでも下ろしていいと思うよ」

 その一言を残して。



            ?



 三時間目の途中という中途半端な時間に教室についた私は、それでも普通に授業を受け、そして普通に友達と弁当を食べていた。

「ねーえー、聞いてる?」

「あぁ。ごめんごめん。なんだっけ?」

「だからー、授業を合法で休めてうらやましーって言ってるんじゃん。こっちはくそだるい小テスト受けてたのに」

「そんなことないよ。いつ電車が動くかわかんないから、ホームから離れられないし。小テストだって、今日の放課後うけることになったし」

「え、まじで? 放課後に受けるの? やっぱり植公って面倒だわー。がんばー」

「やだよ。まじで踏んだり蹴ったり」

 少しぼんやりしてしまった。今日も、いや今日は特に魂の声が大きいから、そっちに気を取られてしまったのだ。

 彼らの声が止まることはない。なにせ、彼らにはこっちが見えていない。こっちの声も聞こえていない。だから、私から話しかけることもできない。彼らは、ただ誰にも聞かれぬ呪いを、誰とも知られず振りまき続けているだけ。

 私はそれを、たまたま聞くことができるだけ(・・)なのだ。



            ?



 今日の授業がすべて終わり、終礼が始まる。いつも通りのことを一通り喋った担任の先生が、一枚の紙を取り出し読み上げた。

「皆さん知っていると思いますが、本日、電車に飛び込み自殺が起きました。同じ市内でおきた、とても悲し事件です。警察により調査が続けられていますが、まだ原因がわかっていません。

皆さんも、学校内でなにか不安に思うこととか、いやなことがあったら先生に相談してください。一人ではため込まないように。また、夜は危険ですから、女子も男子も一人では帰らないようにしてください」

 それでは終礼を終わります。という先生の一言で、教室内に喧騒が戻ってくる。いや、私の脳内はいつだって魂の声で溢れているのだけれども。

「おーい、部活に行こーー」

「ごめん、今日は私、用事があるから帰るんだ」

「あれ? そーなの? じゃあ仕方ないか。また明日―」

「うん。また明日」

 手を振る友達に、じゃあね、と手を振り返して教室を後にした。

 予定の時間までは、あともう少しある。それまで少し時間つぶしをするのと、それから、覚悟を決めなければならない。ほとんど決まっているけれど。いや、もう引くに引けないところまで来ているけれど。それでも。



            ?



 多くの人が家に帰り始める時間帯。人の多いスクランブル交差点では、すれ違いざまに肩と肩がぶつかる。

「本日早朝、女子高生がホームから線路に転落する事件が起きました」

 ビルに設置された巨大な液晶から、夕方のニュースが流れている。今日の朝のことを言っているようだ。

「女子高生はホームに入って来た電車と接触。病院に搬送されましたが、間もなく死亡が確認されました。転落したのは市内の高校に通う女子高生で、遺書等は残されておらず、未だ事故か自殺かわかっていません。警察は事故、自殺、他殺のすべての方向で捜査を進めています。また、この事件により起きたダイヤの大幅な遅れは、すでに解消されています」

 その声を背に、帰宅する人々の雑踏の間をぶつかりながらでも通り抜けていく。

 別の液晶からワイドショーの声が聞こえる。

「いやー、怖いですね、飛び込み自殺」

「まだ自殺か事故かわかっていませんよ」

「あれ、そうでしたっけ。ですが、最近よく聞きませんか、こんな物騒な話」

「そうですね。このところ多いですね。電車への飛び込みで言えば、先々月にも女子高生の飛び込みがありました。その前はサラリーマンが」

「はー、物騒ですねぇ。これはなにかしら関係があるのでしょうか。ということで、今日は現代の心理学に詳しい〇〇先生をお呼びしています。どうぞこちらへ」

 その声も背に、私は進む。そして、ビルの間さえ抜けて、とある住宅地にたどり着く。

 そして私は、日も暮れるころ。人通りの少ない道で、とある人を待ち構えた。



           ?



「ねぇ、おじさん。私と少し、遊ぼう?」

 夕暮れ時、職場からの帰り道で私に話しかけてきたのは、近くの高校の制服に身を纏った少女だった。

「おじさんも時間があるでしょ。夜はこれから、だよ?」

「何をいってるんだ。もう日が暮れる。早く帰りなさい」

 ごく一般的な大人の選択として、少女に家に帰るように促す。耳を貸してはいけない類の誘いだ。

「遊んでくれないの?」

 そう言って首をかしげる少女の髪は黒くきれいで、私好みの長さ。身長は私の肩に届かないくらいと、これまた私好み。顔も程よく整っており、思わず誘惑に乗ってしまいそうだった。

「他の子も、会いたがってるんだよ?」

 だがしかし、見知らぬ大人に話しかけるような、その性格だけはいただけない。やはり、少女は可憐で貞淑であるべきだ。夕暮れ時は急いで自分の家に向かい、自分から男に声をかけたりせず、名も知らぬ影におびえ、そして最後は恐怖に顔を染めて落ちていくのがいい。

 そうだ、今日の少女はなかなかに良かった。その余韻を今夜も感じたいのだ。だから、見た目は好みでも、性格が好みではない少女となんか、関わっている余裕はないのだ。

「親御さんか警察に連絡を――」

 もう一度強く言って追い払おうと少女を見て、そして、こちらを見つめる少女と目が合った。

 その目は、奔放な軽やかさを感じさせる目でも、新しい遊びにふけろうという目でもなかった。いうならば、そう。やっと見つけた獲物を逃すまいと、一瞬たりとも視線をそらさずに睨んでくる肉食獣の眼光、といったところだろうか。

「それともおじさんは、もっと楽しいことを知っているのかな? たとえば、そう――」

 そう言って、だんだんと近づいてくる少女から目を離すことができない。夕闇の中。少女の目が怪しく輝いた。

「可愛い女の子を付け回して怖がらせること(・・・・・・・・・・・・)、とか」

「どこでそれをっ!!!」

 気が付いたら少女につかみかかっていた。衝動的な行動だった。ただ、なんとしてもこの少女の口を封じなければならない。その一心だった。

 どこから知られたのか分からない。けれど、この少女は知っているのだ。私が今までしてきたことを。私の秘密の趣味を。

 自分よりずっと小さい体。腕をつかんで強く引き寄せれば、少女はいともたやすくバランスを崩した。こちらに倒れこむ少女。けれど、その視線が私から外れることはなかった。

「あなたに会いたがってた子、連れてきたよ。......あぁ、あなたには見えないのか。なら、私の目を貸してあげる。耳も貸してあげる。だから、見て。聞いて」

 キーン、という耳鳴りのあと、視界に影が映りこんだ。聞こえる音にノイズが入る。そして影とノイズがだんだんと鮮明になっていき――



『助けて......つらいよ、こわいよ......でも、誰に相談したらいいのかわからないよ......わからなかった、から、私は......私はそのまま......だから』

『許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない』

『あ、ぅあぁああ、ぃゃぁあ●△×■□*▼――!!!!』

『いだいっ、いだいいだいっ。いたいよぉぉぉおおおおお!! 体が、体がバラバラにっ』

『憎いにくいニクイニクイニ■■ニク■■■■■ク■■■■■■■■■■■■――!!』

『あいつさえいなければこんなことにならなかったのに......どこに行った、あいつはどこに行ったの...許せない......必ず追いかけて捕まえて、それで』



 たくさんの声と鮮やかな赤が脳を揺さぶった。

 影は確かな形を得て、少女の背後を浮遊していた。

 少女の周りに浮かぶモノたち。それは実にいろんな形をしていた。腕が変な方向に曲がっているもの。足のないもの。腰から上と下が分かれているもの。頭が半分削れているもの。ただわかることは、もとは人間の形をしていたモノで、黒く長い髪を持つということ、そして、すべて真っ赤に染まっているということだけだ。

「違うでしょ。知ってるくせに」

 自分の前に立つ少女が、こちらの目をのぞき込む。

 そうだ。自分は知っている。どれだけ形が変わろうと。どれだけ赤く染まろうと。

「目をそらさないで。耳をふさがないで。知らない振りをしないで」

「ち、ちがっ。私は何も、何もしてない!」

「嘘を、つかないで」



『あぁ、お前が。お前が私のことを突き落としたんでしょう。そうでしょう。忘れもしない。あの時笑っていたお前を。そうよ、お前だ、お前がお前が、おっまえがおまえがおまえがおmeggggggggggggg』



「あなたが突き落としたんでしょう、彼女たちを。付け回して、怖がらせて、そして最後には殺した。違う?」

「ひぃ、あ、あああ、」

 宙を見つめる虚ろな瞳が。そもそも瞳をどこかへ落としてきた眼窩が。大きく裂けた口が。ねじ曲がった腕が。太ももからばっさり先のない足が。別れた体からこぼれる肉が。少女たちの体を染め上げる赤が。

 全てが全て、自分を責めていた。

 許されないことと知っていながら、自分の快楽のためだけに他人をないがしろにした罪を。いや、他人の命すら消費した大罪を責めていた。

「ああ、あああああああああああああああああ!!!」

 そして、次はお前だ、と。次にあの鉄の塊に飛び込むのはお前だ、と呪っていた。



            ☆



「速報です。本日午後六時ごろに、一人の男性が警察へ出頭しました。男性は『今朝のホームで、女の子を線路へ突き落とした』と主張。しかし錯乱状態にあり会話の続行が不可能であったため、取り調べを取りやめ病院へ搬送されました。また、男性の言動から今回の事件だけでなく、ほかの事件にも関与している可能性があり、警察が捜査を開始しました」



            ?



 掴まれた腕をさすりながら家への帰り道を歩く。袖をまくってみれば、既に青あざになっていた。どうりで痛いわけだ。親や友達に見つかった時、なんて言い訳しよう。

 よいしょ、と声をかけカバンを肩にかけなおす。いやに肩が重い。その理由を私はすでに、ずっと前から知っていた。

 だって、私が連れてきたのだ。憑かせてきたのだ。

 私から話しかけることはできない。けれど、引き寄せることはできる。そうやって、いろんな駅から引き寄せてきたのだ、苦しみの声を上げる彼女たちを。

 ただの自己満足だとはわかっていた。だって、私の目は時たま彼女たちの姿を映すけれど、彼女たちの目に映ったことはない。無理やり男に彼女たちを見せても、彼女たちには男がわからず、彼女たちが報われることなんてないとわかっていた。自分が報われないことぐらいわかっていた。

 それでも。何かをしてあげたかった。

 誰にも聞こえない声を上げ続ける彼女たちを。聞くことしかできない私だけど、助けてあげたいと思ったのだ。

 だから、後悔はしてない。たとえ、頭の中が彼女たちの声でいっぱいになっても。一歩ごとに足が重くなっても。



 見上げた空の月は、いやに赤かった。





            ●





 日も完全に沈み、街灯もなく暗闇に包まれた路地で、一人の少女がたたずんでいた。

「抱えきれなくなるのならどこかで下してしまえばよかったし、おろす方法を知らないのなら背負うべきではなかった。完全に自業自得。自分がしたことなのだから、最後まで責任を負いなさい。――と言いたいとこだけど」

 ざわざわと木々が揺れ、通りすがりの野良猫が逃げ出した。月明かりの下、少しずつ少女の姿が変わっていく。

 黒い髪からは色が落ち、空に浮かぶ月のように白く。

 黒い瞳は、今まさに沈む夕日のように赤く。

 着ていた高校の制服さえも形を変え、紅葉した紅葉が躍る着物へ。

「あの男はいつか払うことになっていた対価を少し早く支払っただけだし。彼女たちの呪いも果たせたようだし。あなたの『何かをしてあげたい』という善性の発露に。自己犠牲もいとわない優しさに免じて、今回は大目に見ましょう」

 真っ赤な月の下。少女から姿を変えた何かは薄く微笑む。

 月明かりしかない夜に、驚くほど黒くはっきりとできていた影が、次の瞬間。ゆらりと蠢き、伸びた。影は驚くほどの速さで路地を駆け抜け、近くの道を歩いていた少女の背後に襲い掛かる――

 ざわりと木々が揺れた。

 するすると影が持ち主のもとへ帰ってくる。

 少女は変わらず夜道を歩いていった。影に気付いた素振りもない。

 影の持ち主は、影の中からいくつかのものを拾い上げた。それは青白く自ら発行していて、不定形にゆらゆらと揺れていた。

「よしよし。長く苦しい時をお疲れ様。彼のしたことは廻り廻って彼のもとへ。あなたたちは、戒めから解き放たれ、あちら側へ。案内人は私が勤めましょう」

不意に月が雲に隠れ、あたりが暗くなる。

雲が晴れるころ。そこには誰も、何もいなかった。





            ?





 あれ、彼女たちの声が突然聞こえなくなった。肩も軽くなって......。

 振り返ってみても、すでに彼女たちの姿を映さなくなっていた目は、彼女たちを見つけることはできなかった。

 空の白い三日月が、じっとこちらを見つめている。



					【終わり】





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