神様のお告げ

クロ太郎




					クロ太郎



 突然だが、俺は納豆というものが嫌いだ。

 あの鼻につくきついにおいが嫌いだ。

 混ぜる時くちゃくちゃ音がするのが嫌いだ。

 食べた時のあのねばねばとぬるぬるが嫌いだ。

 食べた後なのに口の中に残るねばつきが嫌いだ。

 においは歯磨きしたって残り続けるから更に嫌いだ。

 とにかく納豆が嫌いだ。食べたくないし、食べ物だとも思えない。

 だから、定期的に食卓に納豆を出す母親の気持ちもわからないし、納豆を好き好んで食べる幼馴染の気持ちも全くわからない。

 そうだ。生まれてこの方十数年、同じ年に生まれて、隣の家同士でずっと一緒に育ってきた、互いになんだってわかる幼馴染だが、そこだけはどうしても理解ができない。

 一度、なんで納豆が好きなのか聞いてみたことがある。返答は「え? おいしいし、体にいいじゃん」だった。やっぱりわからなかった。

 

 だが、そんな俺でも、少しだけ。ほんの少しだけ納豆が好きになることが、いや嫌い度が少し減る出来事があったのだ。

 それを、少し話そうと思う。



           ???



――なさい、起きなさい――

――起きなさい、起きるのです、雄太よ――

 なんだようるせーな......こっちは気持ちよく寝てるっていうのによ......

――早く起きなさい――

――これは神からのお告げです――

 ......は? 髪のお告げ? ...俺は親父みたいにはげねぇぞ!? はげたくねぇ!

 がばり、と体を起こして見渡したそこは――真っ白くて何もない、広い広い空間だった。

 えっと、なんだったっけ。俺は確か、普通にベッドに入って、そのまま寝て......

「なんだ、ただの夢か」

 おやすみ、と言ってもう一度横になったところで、スパンッと頭を叩かれた。

「起きなさい、と言っているでしょうに。......さっさと起きろ、この納豆嫌い男!」

 叩かれた頭をさすりながら振り返ると、そこに居たのは、なんか神々しい、けれど片手にハリセンを持った女だった。

「早く起きなさいと言ったのに起きてこないから、わざわざ出てくる羽目になったじゃない。全く、神に対する敬意がなってないわね」

「......はぁ?」

 腰に手を当て、座っている俺を見下ろすこの神を自称する女は、どうやら怒っているらしかった。

「その、女っていうのをやめなさい。こちとら本物の神よ、神。まごうことなきゴッド。哀れなあなたに救いのお告げをしに来てあげたのだから感謝しなさいな。感謝してひれ伏して、お礼の言葉を述べなさい。捧げものをしてくれてもいいわよ?」

 どうやら俺の心を読んだらしい女......神は、ペシペシとハリセンで俺の頭を叩く。

「叩くのやめろよな......それで、カミサマっていうからには、ものすっごいお告げでもしてくれるんだろうな? たとえば宝くじの一等があたるくじ番とか」

 半信半疑で尋ねた俺に、おn...神は誇らし気にふんぞり返って答えた。

「まさか。神のお告げをそんなもの程度に使おうとするなんて、罰当たりね。正真正銘、神のお告げよ? もっと凄いに決まってるじゃない」

「へーへー。じゃあ、どんなお告げをしてくれるっていうんだ?」

 じとり、とした俺の視線を気にもしないお...神は顎に手をやり、なにやら考えている様子。

「そうね......焦らしたって意味無いし、さっさとお告げしますか。あなたにとってはショッキングなお告げだと思うけど、心して聞くように」

 ぴしり、とハリセンを俺の眼前に突き付けた神は、出てきて一番厳かな雰囲気で、後光を背負って言い切った。

「あなたはこの夏、死にます」

と。



「......はぁ!? いやいや、なに言ってんの? 俺が死ぬ!? まじで!?」

「まじよ、まじ。大真面目にそう言ってるの」

「信じられるか、そんなこと!」

「あら、私(神)の言うことが信じられないの? じゃあ死ぬしかないわね。」

「信じても信じなくても結局死ぬんじゃねぇか!」

 ぷかり、とその辺に浮いた神は、退屈そうに手に持ったハリセンをいじっている。

「だって、仕方がないもの。あなたはそういう運命なの。残念でした」

「やだよ、死にたくねぇよ!」

「あら、じゃあ人らしくあがくしかないわね。がんばりなさい。方法は無きにしも非ず、よ」

「本当か! じゃあ、ど、どうやったら死ななくて済むんだ!?」

「あら、それを私(神)に聞く? けど、いーやーよ。今のままじゃ答えてあげないわ」

 こちらを見もせずに、くすくすと意地悪く笑う神を横目で睨んでおきながら、今のままから脱却する方法を必死で考える。答える気がないわけじゃなく、だけど、今のままじゃ答えない。何かが足りてないか、変わらなきゃいけないんだ。その何かはまだ分からないが、少し違和感が残る。えっと、さっきは聞き流したが、なんだか大事なことをこいつは言ってなかったっけ......

 ――そうだ!

「あんたはさっき確かに言ったぞ、『救いのお告げ』って! それなら、助かる方法まで教えるのが道理じゃないのか!?」

「そこに気づいたのね。でも、それじゃまだ教えてあげられないわ。神に、っていうかそもそも人に対するものの頼み方すらなってないんじゃないかしら?」

 やっとこっちを見た神だが、その口元からあの意地悪い笑みは消えないままだ。

 人にものを頼むときの方法、か。

「...どうか、助けてください。お願いします」

 床に座り込んだまま、ぺこりと頭を下げてお願いする。

「あーらー? 言葉だけ? 不敬じゃない? 行動で示す誠意ってものはないのかしら」

けれど、それではご不満な様子。

 じぃ、と俺を見つめる神。その視線が何を意味しているのかぐらい、俺だってわかる。

 神の口元に浮かんだままの笑みが「さっさとしなさいよ」と急かしてくる。

 足を折りたたんで正座の形に。

 手を膝の前、地面につけて、そして頭を下げる

「......お願いします」

 いわゆる、土下座。

 そして、その体勢を保ち続ける。

 待つこと十数秒。

 なんだか、夢の中に出てきた神に土下座って、何やってんだよ、俺......って気分にもなってくる。ほんと、何やってんだろ......

 だけど、神はお気に召したようで、うれしそうな声をあげた。

「ふふ、あはは! いいわ! まさかそこまでしてくれるなんて思いもしなかったけど、きちんと誠意を見せてもらったからには、救いを与えに来た神として応えなきゃね!」

 すとん、と俺の前に降りてきた神がしゃがみ、そして白い手が土下座したままの俺の頬を優しく包んで、そっと持ち上げた。

 真剣な顔をした神と正面から目があう。

「では、改めてお告げを与えます。

 あなたはこの夏、死にます。

けれど、私の与える試練を乗り越えたならば、その命、助かるでしょう」

 神が、ふわりとほほ笑む。その笑みには、暖かな慈愛と――

「私があなたに与える試練の内容は『出された食事は必ず残さずに食べる』よ。いいこと? 自分で用意する分には別にいいけれど、出されたものは必ず、何があっても、何が出されようと完食するように。そうでなくちゃ、試練を乗り越えたとは言えないもの。私(神)が見ているのだから、一日でも、一回でもお残ししたら試練失敗と考えなさい」

 人を手玉に取って楽しむ愉快さが込められていた、ことに俺は気が付けなかった。



            ???



「......なんだ、もう朝、か。......あの神、死因を教えてくれればよかったのに......」

 朝日が射す、自分の部屋のベッドの上。足元の邪魔なタオルケットを蹴飛ばしながら、先ほどの夢を思い返した。

「ご飯を残すな、か」

 夢を信じるっていうのもなかなかにオカルトで馬鹿らしいけど......でもまぁ。ご飯を完食する程度だしな。この夏ぐらいは夢の通りにしようかな、とも思う。夢の中で土下座までしたわけだし。

「でも、あの神。どっかで見たことがある気がするんだよなぁ......」



            *



「おいババア! また納豆かよ! 毎晩毎晩、夕食に納豆を出しやがって!」

「文句言うなら食べなくてよろしい! 母さんが食べるから! あ、こら天気予報から番組変えないで!」



            **



「なー、なんでまた納豆なわけ? 納豆に目覚めたの? 毎日暑いし、毎晩納豆だし、俺バテそうなんだけど......ちくしょう、あの夢がなかったらな......」

「誰だって暑いのよ、文句言わない!」

『――今年は日本全土で記録的な猛暑となっております。熱中症に気を付けてください――』

「ほら、あんたも気を付けるのよ! ニュースでも言ってるけど、水分補給にしっかりとした休憩! 夜中にゲームばっかりして夜更かしとかダメだからね」

「ハイハイ」



            ***



「あら雄太。あんたも文句言わずに納豆を食べるようになってきたじゃない。やっと納豆のおいしさがわかったのかしら」

「わかるかよ、納豆のおいしさなんて。毎日出されるから、文句言うのも面倒になっただけだっつの」

「そうなの? 祐樹ちゃんに報告できると思ったのに」

「はぁ? あの納豆好き女にそんなこと言ったら、毎日納豆を差し入れられるじゃねぇか。そんなのごめんだね」



            ****



「――ぅた、雄太っ! よかった、目を覚ましたのね......母さん、もう目を覚ましてくれないかと、ずっと心配で...ほんとよかった......」

 ピッピッピッ......と電子的な音の響く、ほとんど白で埋め尽くされた部屋で、俺は目を覚ました。

「母さん、お医者様呼んでくるから。待っててね」

 微かな物音がして、母さんがこの部屋を出ていったのだとわかった。医者......ここは、病院なのだろうか。



 母さんに連れられてやってきた先生に話を聞いたところ、俺は重度の熱中症で搬送されてきたらしい。

 原因は、クーラーの利いてない部屋で寝て、脱水症状になってしまったことだ。前日夜を徹して新作ゲームを遊んだ俺は、昼間の勉強中に寝てしまった。けど、その時にはクーラーをきちんとつけていた。どうやら計画停電があったらしく、クーラーが停止してしまい、部屋が蒸し風呂状態になってしまったそうなのだ。

 部屋が暑すぎて我慢できず、プールに遊びに行こうと俺に連絡した幼馴染が、どれだけ待っても返信が来ないから直接俺の家に突撃してきたところ、倒れている俺を見つけてくれたそうだ。母さんに「あとで祐樹ちゃんにお礼言っておくのよ。祐樹ちゃんがいなかったら、あんた死んでたかもしれないんだから」と言われた。うん。流石にそれは、お礼を言わないとならない。期せずして、俺の幼馴染は俺の命の恩人になってしまったようだ。

 

 今の俺は、沢山の管に繋がれて、何とか栄養やら水分やらを体に入れている状態だ。食欲なんてないし、だるいし、めちゃ寒い。先生には、「今は自分で体温調節できない状態なので、ある程度は我慢してください」と言われた。

 退院できるまでは、まだかかるらしい。けど、先生によると、俺はまだ若いし、日ごろの食事もしっかりとっていて、発見された後の処置もよかったため、経過は良好なのだそうだ。

 

「雄太。あんたが元気なのは納豆のおかげかもしれないわよ?」

 先生が出ていったあと、そう俺に言ったのは母さんだった。

「なんでだよ」

「だって、納豆は熱中症の予防に効果があるのよ?」

「は?」

 初耳だった。あのネバネバが体にいいことは知っていたけど、熱中症にも効果があるなんて聞いたことがない。

「どこで知ったんだよ、そんなこと」

「雑誌で読んだのよ。大豆製品は熱中症の予防になるって。だからあんたに文句を言われても、納豆を毎晩出してたの」

 大豆製品が予防に効果があるなら、別に納豆じゃなくて豆腐や豆乳でもよかったじゃねぇか。そんなぼやきは、今回だけは胸の内に留めておいた。

 はぁ、とため息をついて、脱力してベッドに全体重を預ける。ここのところ中々寝ていなかったが、なんだか今夜はぐっすり眠れそうだ。

 ――そういえば、俺、どうしてあんなに嫌いな納豆をこの夏毎晩毎晩食べ続けたのだったか......

 薄れてゆく意識の中、ある女の笑顔を見た気がした。



        *****



「よかったね、元気になって」

 夏休みが終わり、二学期の始まり。家の前で俺を待っていた幼馴染は、開口一番、そう言った。

「うるせぇな。......助けてくれて、ありがとよ」

 唐突なお礼に、さすがの幼馴染も面食らったようで、ぱちぱちと目を瞬かせている。が、すぐに得意そうな笑顔になって、

「ふふ、どういたしまして!」

と答えたのだった。

 その笑顔を、俺はどこかで見たことがあるような気がして――

「ほら、早くしてよ納豆嫌い男! 二学期初めから遅刻するつもり?」

「うるせーな、納豆好き女。今いく!」

 微かな違和感を振り払って、俺はカバンを背負い直し、駆けだしたのだった。



       *

           *



             *

              *

                  *

*【完】



「神に頼み込むだけはあるわね。まさかあんなに熱心にお願いされるなんて。大事な人を助けてくれ(・・・・・・・・・・)、ですって。ふふっ。全く、人間ってものは可愛いんだから」



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