快楽中毒者 内藤紗彩 甘ったるいクラシックで目が覚める。やけに白い天井。どうやら、昨夜の私はあの後すぐに眠ってしまったらしい。 ぬるりと身体を撫でる悪寒に身震いして、暗闇の中やけに軽い布団を手繰り寄せる。徐々に暖かくなってきたとはいえ、一糸纏わぬ姿で夜を明かすには些か早かったようだ。 睡魔に身を委ねようとするも、一度眼が冴えてしまえばもう夢は見られない。 とりあえず耳障りな音楽を消し、体を起こしたついでにんんっと手足を伸ばす。ベッドは一人で使うには十分すぎるほど広かった。 「別に先帰んなくても払えなんて言わないのに。」 ぽつりと口を突いて出た言葉が無性に寂しくて、慌ててスマホを探す。 ない。ない。あれ、確かこの辺にあったはず。やっぱり、ない。 勝手にばたばたしていると代わりに何か紙切れを掴んだ。 ランプシェードの僅かな明かりに晒して見てみると、雑に千切られたメモの端に「ごめん、仕事で朝早いから」と書き殴られていた。 はて、これで書き置きのつもりなのだろうか、と疑問に思ったが、都合のいい人扱いとしては上出来だと、一人で納得する。 「こんなに暗いうちからお仕事なんてあいつも大変ねぇ」 と可笑しくもないのにクスリと笑った。 「ごめん、君は僕から見ればまだ子供だから」 今でもふとあの時の彼の言葉を思い出す。 私は早く大人になりたかった。解らない何かが判るような気がして。 そう願う一方で私はずっと子供のままでいたかった。でもどうやら「少女」と呼ばれるには些か年を取りすぎたみたいだ。 私は大人になれたのだろうか? その問いに答えてくれる人はいなかった。 やれやれ、一人になると必要のない感情が湧き出してきて困る。 自分で蒔いた種。身から出た錆。相手に期待するなんてお門違いも甚だしい。情緒不安定はいつものことなのだ。 いけない、いけない。えぇっとスマホは? やっとのことで壁との隙間に落ちていたスマホを見つけアプリを開く。 「今夜空いてる?【22:07】」 「ばおわー【22:29】」 「電話しよ♪【23:46】」 「今から飲みに行こうぜ【0:15】」 寝起きのせいか画面が眩しい。 あぁ気持ち悪い。彼氏でも、友達ですらない人からの空虚な文字の配列。一体この人達は空っぽの会話の先に何を見てるんだろう。 正直、全てに飽きていた。つまるところ遊びの種類なんてたかが知れていて、ましてや男女の仲なんて突き詰めれば結局同じだ。 いつからか感情に疲れそれを悟ってからは、熱した鉄が冷めるように、過度な期待はしなくなっていた。そして、やがてそれは不安に変わる。他人に期待していないということはつまりは、他者からの信頼がないことの裏返しでもあった。自分に価値が見いだせなくなり、焦って身体を重ねるほど深く、色濃く影を落とした。 それでも、人は人を求めてしまうのだろう。必要とされることにどこか安堵してしまっている自分がいた。 一人一人に違った返信を考えることすら煩わしくて、全部「寝てた」とだけ返信した。 都合がいいだなんてお互い様、でしょう? 軽くシャワーを浴びて、適当に体を拭いて、昨日と同じ服を着た。何の気なしにテレビをつけて、すぐに消す。 部屋を出る直前、蛇口を少し捻っておいた。無駄に滴る水を横目にばたんとドアを乱暴に閉める。何だか楽しかった。 特に予定のなかった私は、さて今日は何をしようかなと考える。このままどこかへばっくれようかと少し迷ったが、怒られるのは嫌なので仕事には行くことにした。 結局、いつもと似たような一日だったけれど。 権力を誇示したいがために怒鳴る上司にも、薄いプライドすら捨てて無意味に頭を下げる自分にも、偽善で取り繕って上辺だけの笑顔を浮かべる友達にも、もう慣れた。 「疲れたなぁ」 夜の街で物憂げに呟く。 「大丈夫? おねーさんひとりー?」 予想して無かったと言えば大嘘になるが、声を掛けるにしては少し軽いんじゃないのか、なんて思ったりもする。中の上。ありよりのなし。お酒を飲むくらいなら相手なんて正直誰でもよかった。 「友達と来てたんだけど先帰っちゃって」 「マジ? なら楽しいとこ行く?」 「えーどうしようかな」 「いいじゃん今日くらい羽目外しても」 私にそんな枷があるのかは甚だ疑問ではある。でも断るという選択肢など持ち合わせていなかった。 そもそも正常な判断を下せるくらいなら始めからこんなところには来ない。 ただ今日も漠然とした不安を中身のない快楽で塗りつぶす。たとえそれが一炊の夢であったとしても。他の遊び方なんてとっくの昔に忘れたから。 「そういえば昨日もこんな感じだったっけ」 こうして私の日は暮れる。 人生にドラマなど起こりはしない。全ては必然たる運命なのかもしれない。
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