誰が追憶は誰がために第二部

きなこもち






~昔昔の神様の気まぐれのお話~

  面白い人間がいるものだと巳月はとある少年を見て思った。明らかに人ではないと分かる自分を見てもニコニコと腹の中を見せない、食えない少年だった。巳月とて、地上の神を統べる者として生まれた時から父神に育てられていたので、その少年が心からの笑みを浮かべていないことは分かっていた。何を言っても、何をしても笑っている。仕事をしなくても笑顔で注意をしてくるだけ。

  少年は力のある娘(後に桜梅家と呼ばれる家柄の本家筋)と、とある神様の間にできた子どもなのだと巳月は父神に聞かされていた。しかし、人の子の血が濃く神として生まれなかった。人との混ざりものとして神からは邪険にされ、神の血が混ざっているとして人には忌み嫌われた。少年の親である神は力のある神だったからか、ある程度力の強い神でなければ少年の存在を認識できない。そのため巳月の元で守護をすることになった。

  そんな生い立ちのせいなのか、ニコニコと笑うのは処世術なのだろう。しかし、巳月はそれが気に入らなかった。神の血が混ざっているといえど、人の子だ。もっと感情を出さねば面白くない。そう思って色々なことを試したが、少年は表情を変えなかった。眷属にしたのもちょっとした悪戯だった。

「お主が気に入った。眷属になれと言ったら、お主は我に名を渡すか?」

  少年は目を見開いた。その表情だけで巳月は若干満たされた気がした。初めて作り物の笑顔ではない表情が見られたのだ。満足したので、冗談だと言おうとして少年を見て巳月は固まった。とても嬉しそうな、人の子らしい笑顔だった。

「僕の名前は  と言います。巳月様、よろしくお願いします」

  あっさりと少年は名を巳月に渡したのだ。巳月は驚きつつも、少年を眷属にしたのだった。

  少年は優秀だった。眷属としての働きを十分こなした。いつの間にか、巳月の手伝いまでするようになっていた。少年のおかげか巳月の神としての評判はどんどん上がっていった。しかし、巳月にとって自分の評判なんてどうでもよかった。正直なところ、神の頂点に立ちたいと思っていない。適当にやって、ふさわしくないという評判を得て、その立場を捨てたいと思っていた。そのため、少年のせいで計画が崩れたとさえ思っていたのだ。しかも、少年は眷属になってから一度も表情を見せなかった。ニコニコとした作り笑顔だけ。それも巳月を苛立たせていた。

  少年に眷属をやめるか聞いたのはただの八つ当たりだった。

「お主、眷属をやめようとは思わぬか?」

  巳月はその時の少年の顔を忘れることはないだろう。絶望に満ちた、色の失った瞳を。

「巳月様、僕、何か気に障ることをしたでしょうか......」

  今にも泣き出しそうな震える声で問うてきた。巳月は少年の初めてみる表情に言葉を失っていた。少年は続けた。

「僕は、巳月様の眷属になれたとき嬉しかったんですよ。あなたの特別になれたと思って。でも、僕の他にも眷属はいましたし、特別でないことは分かっています。だからこそ、あなたのお役にたてるよう努力したつもりです。それでも、あなたのそばにいられないようなことをしてしまったのでしょうか......」

  初めて聞く少年の心に巳月は自分を恨んだ。何も知らずに少年を傷つけてきたのだろう。そして、先ほど自分がした発言が少年の心に深く突き刺さってしまったのだと理解した。

「巳月様。僕を消してください。ご存知の通り、僕には神の血が混ざっているので、輪廻転生しても記憶が残ります。辛い記憶が増えていくだけ。生まれ変わっても誰にも愛されず、忌み嫌われる。元々、あなたに頼もうと思っていたんです。ですが、眷属にしてもらえたので、少しでも役に立とうと思って。でも、もう用済みでしょう。この魂ごと消滅させてくれませんか?」

  巳月はこの時決意したのだ。この少年を守ろうと。そして、この少年に神になってもらおうと。

「お主は優秀だ。お主を消してしまうのはちと惜しいなあ」

  くつくつと笑う巳月を、少年は不安げに瞳を揺らしながら見つめる。

「お主、神になって我を支える気はないか?」

「え......?」

  少年は理解ができないといった顔をする。

「お主は優秀だ。眷属として十分働いたし、我の仕事の手助けまでしてくれている。おかげで我の評判は鰻登りだ。まったく、我は適当にやってこの立場を捨てたいと思っていたというのに。このままでは神の頂点に立たねばならぬ」

  少年は静かに巳月の話を聞いている。しかし、その瞳に先ほどの色濃い絶望はなくなっていた。それに巳月は少しだけ満足して、言葉を続ける。

「だから、お主、責任をとれ。我はこの立場を全うしよう。そなたは我のそばで我を支えよ。それができぬと言うなら、望み通り消してやろう。どちらがよい?  選ばせてやる」

  答えの分かりきっている質問。巳月は何故自分がここまでこの少年に入れ込んでいるのか分からなかった。先ほどの会話は少年といた時間の極々僅かな時間しか使っていない。それなのに、少年は確かに巳月の心を動かした。

 少年は、瞳に光を戻していた。そして、花が綻ぶように笑ったのだ。

「巳月様の許す限り、おそばにいたいと思います」

「決まりだな。名はどうするか。我を支えるのじゃ、『陽』なんてどうだ? 月と対になろう」

「あなたと対にしてくれるというならば、『巳陽』と名乗ることをお許しください」

「そこまで我と対にするか。我と完全に名を対にすることの意味、分かっておるのか?」

「分かっているつもりです。地上の神を統べる巳月様のお側を許された身として、その責を全うすべく覚悟を持った上です」



  そうして、新たな神が巳月によって生みだされた。





~とある神様の思い出~

  自分と同じくらいの力の神が生まれたと自分の父神から聞かされた。なんでも、地上の神を統べる神の子である巳月様(次の地上の神を統べる神)が直々に神になさったらしい。新しい神の名前は『巳陽』と言うらしく、巳月様がよほど気に入っていることが分かる。わざわざ巳月様が神にして、対の名まで与えるとはどれほどの者なのか、という噂で持ちきりだった。

  力も年も同じくらいだということで(年が同じとはどういうことかいまいちよく分からないが)、巳月様の許可が下り、巳陽(様はつけなくていいと巳月様に言われた)と対面することになった。

  巳月様の御前なのでとても緊張していた自分の前に現れたのは、とても綺麗な魂からなる神だった。一番美しい女神であると言われる巳月様と並んでも、劣ることのないほど美しい男神だ。巳月様のお気に入りという噂がたっても仕方がないと思える。

  うっかり見惚れていると、困ったように目尻を下げて、巳陽が声を発した。

「お初にお目にかかります、音葉様。本来ならばこちらから向かわねばならないはずなのに、わざわざ足を運んでいただき、大変申し訳ありません。私の名は、巳陽、と申します。以後、お見知りおきください」

  丁寧に三つ指を揃えて頭を下げた。惚れ惚れするほどの美しい所作だった。自分も慌てて頭を下げた。

「いえいえ、こちらこそお招きありがとうございます。年も力も近いとのことで仲良くしてくれると嬉しいんだけど......。えっと、口調は崩してもいいですか?」

「あ、是非お願いします!」

「ありがとう。じゃあ、巳陽も僕のこと呼び捨てでいいし、口調も崩して構わないから」

  自分の発言に対して、巳陽は驚いたような顔をした。でも、すぐにふわりと笑って、

「ありがとう」

  と言った。

  この時、巳陽の笑顔と声に懐かしさを感じていた。その正体に気がついていれば、今みたいなことにはならなかったのだろうか。

 もう、過ぎたことではあるが。





~誰かの一人語り~

 俺の話? あまり聞いても楽しくないと思うんだが。まあ、君にはいつか話さないといけないとは思っていたからな。丁度いいか。知らないと困ることもあるかもしれないからな。じゃあ、俺が物心ついた当たりから話そうか。

  別に自分の扱いなんてどうでもよかったんだ。自分がただの人の子ではないというのは散々聞かされて分かっている。どっかの神の子、というのが本当かどうかは知らないが、確かに普通の人間ではないと思っていた。神社の神と話せたり、見えないはずのものが見えたり。母親の霊力が強かったのもあるだろうが、それだけじゃない。ある程度力のある神でないと俺のことを認識できないらしい。だから、大分強い神のもとに追いやられるのも仕方のないことだった。

  働くことになった神は巳月というらしい。なんでも、次の地上の神を統べる神だそうだ。要するに、地上の神の頂点ってことか。まあ、適当に働いていればいいかと思った。どうせ、誰にも必要とされていないことなんて分かっていたから。

「お前が例の少年か。我は巳月という。よろしくな」

「よろしくお願いいたします、巳月様。僕のことは、好きに呼んで頂けると幸いです」

  ありきたりな挨拶。俺は今までで培ってきた作り物の笑顔で対応した。それにしても、地上の神の頂点と言われるだけあってとんでもない美人だ。世の男......、いや、男神が放っておかないだろうなと思った。でも、正直どうでもよかった。早く消えてしまいたかった。

  そんな俺に巳月はある日唐突に言った。

「お主が気に入った。眷属になれと言ったら、お主は我に名を渡すか?」

  神に容易に名を渡してはいけないとここに来る前に言われた。しかし、眷属になれと言われるということは、自分が求められているということだ。嬉しかった。ずっと、邪険にされて生きてきたから、必要とされていることが嬉しかった。普通の人間であれば、恐怖するだろうに、俺はつい頬が緩んでしまった。そして、あまりにあっさりと名前を教えて、逆に巳月が驚いた。あの時の巳月の驚いた顔は傑作だ。今思い出しても面白い。

  それが勘違いだったのは容易に分かった。いや、俺を必要としてくれたのは事実かもしれないが、俺だけではないというのが面白くなかったんだ。眷属は俺以外にもいたのだ。まあ、あれだけ力の強い神だから、当たり前なのだけれど、俺は正直嫌だった。俺だけを必要として欲しかったんだ。だから必死に働いた。巳月の補佐をした。唯一じゃなくても、一番になれるように。

 そう思って必死に頑張っていたのに、巳月の奴はひどいんだ。俺に、眷属をやめるかどうか聞いてきた。今考えれば、俺のせいで巳月の評判があがって、期待が高まったからイライラして八つ当たりしただけなんだろうけど、大分辛かった。その後のことは、恥ずかしいからあまり思い出したくないんだ。君なら巳月本人にも聞けるだろう。巳月から聞いてくれ。

 それで俺は巳月に神にしてもらったわけだが、しばらくはその噂で持ちきりだったな。なんたって、地上の神の頂点に立つ巳月が、自ら一柱生みだしたんだ。その生まれた神は巳月の寵愛なのか、とか、実は巳月の隠し子じゃないか、とか色々な憶測が飛び交っていて面白かったな。

 巳月は俺にとある神様を紹介した。それが音葉だ。力も年齢も近いから音葉を選んだと巳月は言っていたが、俺はあいつを見た瞬間に分かったよ。あいつは俺の兄弟だって。

 ん? なんで分かったかって? そんなの直観さ、直観。俺は元々人間だしな。まあ、神にされてそういう力が宿ったのかどうかは知らないが、そんな気がしたんだ。間違ってないからいいだろう。音葉は気が付かなかったみたいだけどな。

 でも、俺は、まさかと思って音葉には言わなかった。そんなはずはないと、自分の心に言い訳ばかりしていた。

音葉と親しくなるにつれて罪悪感はどんどん増していった。だって、音葉はそういった事実を知らずに俺を一番の友だと言ってくれるんだ。俺は神になった時から、いや、巳月に眷属にされた時から巳月が一番で全てだと思っていた。いや、今でも巳月が一番だと思っているんだが、当時は巳月以外どうでもいいと思っていたんだ。そんな俺の中に音葉は入ってきた。あまりにもあっさりと、自然に。巳月のことは大事だが、音葉も同じように大事に思い始めていた。だからこそ、兄弟だという、音葉を苦しめるであろうことを信じたくなかった。

 そして、音葉に本当のことが言えないまま月日は経ってしまった。そんな中、巳月によって、神に序列がつけられることになった。俺が提案して手はずを整えていたことではあるが。序列を決めるのは地上から高天原に行った神々だから、特に反対が起こることもなかった。まあ、巳月の提案に歯向かえるのは俺くらいだしな。序列は妥当に決まっていった。巳月が一神は当たり前のことだが、俺が二神になるとは思っていなかった。神としては若い方だったし。音葉は八神だった。

音葉は俺に言ったんだ。

「おめでとう! さすが、巳陽だな。俺も五神になれるように頑張るよ。そうしたら、お前の手助けもできるんだろう?」

 俺は何も言えなかった。ただ、頷くしかできなかった。

 俺はどうしようもなくなって、巳月に聞いたんだ。俺と音葉の関係を。巳月は俺の憶測を否定しなかった。そして、俺の父親である神のことも教えてくれた。会いたいかどうかも聞いてくれた。会いたいなら会わせてやると言ってくれたが、俺は断った。だって、自分を見捨てた奴と会って何を言うか分かんないだろう? 大事な友の父親に悪いことを言いたくなかったんだ。この時きちんと向き合っていればよかったんだよなあ。

 その後、俺は冷を見つけたんだ。音葉が六神になってすぐくらいだったかな。君も知っているように、俺は次の一神にする存在を探していたんだ。そこで目をつけたのが冷だ。いや、君には悪いことをしたと思っているさ。まさか、君が輪廻転生の後も共にと約束した相手だとは思っていなかったからな。それに君が俺と同じ存在だってことにも驚いた。でも、どれだけ約束したって向こうは覚えてはいないだろう? 冷は俺や君と違って本当にただの人間だったわけだしな。冷を神にしたことで君たちは本当に永遠に共にあれるんだ。許してくれよ。

 冷を神にして、東に置いたのはもちろんわざとだ。東にも五神を、という話が通じやすくなるからな。そして、東と西の境にいる音葉に冷の面倒を頼んだ。そのとき冷が音葉に聞いてしまったらしいんだよ。

「あなたも俺の兄上ですか?」

 音葉はその時に気付いてしまったんだ。でも、音葉は優しかったからな。冷をいじめたり、蔑んだりしなかった。本当の弟のように接してくれた。音葉には感謝してもしきれないな。

 だが、その少し後くらいから音葉は変わってしまった。堕ち始めたんだ。俺や父に対する不信感で不安定な時に大量の瘴気に触れてしまったらしい。平常時は今まで通りだが、自制が利かない時間が増えていったんだ。狂いかけているときにあいつは俺に言ったんだ。

「父様は、お前をずっと案じていた。それこそ、そばにいた俺よりも。父様は力が弱くなり消滅したと聞いている。高天原に行くことはできなかった。お前は、どうして父様に会わなかったんだ。父様は自分の力を削り、お前が低俗な神に見つからないように加護し続け、巳月様にそばにおくように頼んだんだぞ。全てお前の力と運のおかげだとでも思っていたのか? 馬鹿馬鹿しいな。父様はお前のことをずっと護っていたというのに。どうして、父様に会ってくれなかったんだ。どうして俺に言ってくれなかったんだ。どちらかでもしてくれていたらこんなことにはならなかったのに」

 俺は自分の弱さを悔いた。自分が過去から目を背け続けたことで、父親は消え、友が堕ちかけているんだ。そんな俺に正気を取り戻した音葉は涙を流しながら言うんだ。

「すまないな、巳陽。君のせいじゃない。僕が気づかなかったのが悪いんだ。君の笑顔が父様に似ているとはずっと思っていたのにな。巳陽。頼みがあるんだ。僕が完全に堕ちたら、君のその手で消してくれ」

「なんとかする。何とかするから。絶対にお前を助けるから」

「僕も、なんとか堕ちきらないように頑張るよ」

 って音葉と約束したのさ。

 なんだいその目は。俺と音葉の友情話はいいから本題に入れって? 君が俺のことについて聞いてきたんじゃないか。そもそも君はとっくに俺の望みに気が付いているだろう。どうしてわざわざ俺の身の上話なんて聞いたんだい? ああ、睨まないでくれ。話すから。

 はっきり言うと、君という存在は俺からすると誤算だったわけだ。冷は優秀だが、人間のときの記憶は一切ないというのに君との約束があってか元々眷属をとろうとしなかったんだ。

 ん? どうして人間の時の記憶がないかって? あいつは俺らと違って純粋な人間なんだ。転生した時に記憶がないのと同じさ。

 話を戻すぞ。元々眷属をとろうとしないのに、あいつはいつからか余計眷属をとらなくなってしまった。正直、俺も音葉を救うことに意識が向きがちで冷のことをしっかり見てやれなかった。冷に君のことを聞いて、君だったら冷は眷属にするのではないかと安直に思ってな。

 だから、君が音葉の眷属にされたと知った時は背筋が凍ったぜ。何故、どうしてってな。しかも、よりにもよってどうして音葉なのだと。音葉が堕ちきったという報告はなかったし、悪化したという報告もなかったが心配だった。堕ちた神の眷属がどうなるかは定かではないからな。でも、音葉の神域での君を見て、どうして音葉が君を攫ったのか分かった。

 君のおかげで音葉は堕ちきらずに済んでいるんだって。数百年もあいつを護ってくれていたこと心から感謝している。

 君が時間を稼いでくれたおかげで、音葉を助ける方法も見つけ出せたんだ。

 俺の願いを聞いてほしい。音葉を完全に浄化しきってくれないだろうか。君に桜梅家の本家として新たな生を与え、冷の守護になるようにする。冷の嫁になってくれ。そうすれば、桜梅家本家の能力と、神の嫁としての力が君に加わる。その力をもって音葉を救ってくれ。

 頼む、厄除けの神と浄化の巫女から生まれた魂よ。俺は知恵の神として君を全力で支え、護り、君の願いを叶えると誓う。

 ああ、ありがとう。冷のこともよろしく頼む。今度こそ、ずっと一緒にいてやってほしい。



 では、転生の儀を始めようか。





 ~とある少女の回想~

 私には多くの記憶がある。一番古いものは、私が厄除けの神と浄化の巫女から生まれたところから。要するにこの魂が生み出された時だ。私の魂というのは、神と人から生まれてしまったものなのだ。でも、悪い記憶はあまりない。巫女であった母は優しく、たくさんの愛を注いでくれた。神である父も、神社に行けば会ってくれたし、彼が地上を離れ高天原に行くまで、何度生まれ変わっても彼のもとで神事につけるようにしてくれた。生まれ変わって新たな生を得ても、優しい両親に恵まれた環境がついてきた。父神の加護のおかげなのかもしれないが、私は恵まれていたのだ。

 そんな私には、どの生を得ても、切っても切れない関係になる家系があった。それが今の私が属する家系でもある桜梅家だ。この魂を生んだのが厄除けの神と浄化の巫女だったからか、私の魂には浄化の能力が植え付けられていた。何度生まれ変わっても浄化の能力を持っているから、当然神と繋がりの深い桜梅家には目をつけられて、堕ちた人間や神の浄化の手助けを頼まれていた。神の浄化なんて神がしろよと思ったが、厄除けをすることや、前もって堕ちることを防ぐことはできても、いざ堕ちてしまったら浄化をすることはできないらしい。難しいものだ。

 繰り返される輪廻転生の中で出会ったのが、随分と恵まれない運命を課せられている魂だった。堕ちても仕方のないくらい恵まれない人生だった。堕ちたら浄化できるように接触をした。しかし、その魂は屈しなかった。眩しかった。懸命に生きるその姿に感動を覚えたことは今でも忘れない。

 普通の人間の言うような恋ではなかった。何度生まれ変わってもその生き様を見たいと思った。魂が惹かれてしまったのだ。

 その魂に出会ってから五回目の生の時に、私は最低な約束をその魂としたのだ。輪廻転生の後も共に、と。私は神ではない。しかし、神の血が混ざっているのだ。これくらいの約束であれば簡単に為せてしまう。その魂は何も知らずに私と約束を交わしてしまった。それから、私は約束の力でその魂のそばにいられるようになった。関係は様々だった。家族、親友、恋人といったところだ。その魂は恵まれなかった。事故にあったり、病気になったり、事件に巻き込まれたり。それでも、諦めずに生きていた。それをそばで見ているのは私にとって至福だった。私は全て覚えているのに、私のことは一切覚えていてくれないことに苛立ちを覚えたこともあるが。それでも、そばにいられるだけでよかったのだ。

 何回目か覚えていないが、その魂がそばにいなかった。それどころか、その魂を探すこともできなかった。神に眷属にされたのかと思った。桜梅家に浄化の力を貸すことを約束して、眷属を増やした神を教えてもらったが、どの神もその魂を眷属にはしていなかった。途方に暮れた時、桜梅家の人間が教えてくれたのだ。最近、地上で一番偉い神の右腕ともいえる神の助言で一柱生みだされたと。その神は東の神社に就いたと。それを聞いて、私はすぐにその神社に行った。そこには、確かにその魂がいた。人ではなく神の姿で。しかし、随分と変わってしまった。退屈そうだった。予定がないから暇だ、といった感じはなくて、ただただ存在していることが退屈で仕方がない、生きていることが退屈だとでも言った感じだった。それは私が惹かれた様ではなかった。絶望した。

あの眩しいほどの魂に自分が覚えてもらえないことは悲しいと思うことは何度もあった。神になった彼は死なないのだから今会えば忘れられることはないと思う反面、あんな風になってしまった彼に覚えられることが怖かった。私は終ぞ、その生の時は彼に話しかけなかった。

 それから二回ほど転生をして、意を決した。

「相変わらず随分とつまらなそうにしていますね」

 と言って話しかけた。驚いたような顔をしていた。そうだ、魂は変わらないはずなんだ。私があの眩しさを取り戻そうと思った。

 彼は私と過ごすうちに眩しさも感情も取り戻していった。あの眩しさが再び見られて嬉しかった。しかし、彼がどうして神になったのか分からなかった。あんなに強く眩しく生きていたのに、神になって、一時でもあの眩しさも感情も失くしたことが許せなかったのだ。だから、思わず言ってしまったのだ。

「永遠に生きることがいいことだとは思えません」

 全ての生の記憶を引き継いで、永遠に生きているようなものなのによく言えたものだと自分でも思うが、許せなかったのだ。神に対して随分なことを言ったと思うが、彼は怒るでもなく微笑んだ。

「確かに怜斗を見ているとそう思う。俺はどうして神なんだろうな。神として生まれたのか、兄上によって神にされたのか定かではないんだが、後者だと思っている。俺は、誰かのことを忘れないために神になった気がするんだ。たまにな、誰かが泣きながら、どうして覚えていてくれないのか、と問う姿が浮かんでくるんだ。誰かは分からないし、俺の記憶なのかも分からないんだけどな」

 それはきっと私のことだ。幼く、熱で意識が混濁していた時に、当時家族だった彼に対してそう言った記憶がある。彼が神になったのは私のせいだということだ。どうしたらいいか分からなかった。それなのに彼と永遠に一緒にいたいと思った。しかし、あんなことを言ってしまった手前、眷属にしてくれと言い出すことはできなかった。

 そんなときに桜梅家から連絡がきた。堕ちかけている神の元へ行ってくれないかと。前の生では力を貸すと約束していたが、今の生では約束はしていないので、断ろうかと思っていたが、神の名前を聞いて気が変わった。音葉様。彼を随分と可愛がり、兄代わりをしていた神様。彼にとって大切な神様だった。音葉様が堕ちたら、彼が悲しむだろう。そう思った私は、桜梅家の頼みを受けることにした。

「忘れてください。それでも、また会いに来ますから」

 別れ際に私は言った。忘れていいんだと伝えたかった。私が一方的に覚えているだけなのだから。昔の私の言葉に引きずられる必要なんてないのだと言いたかった。

 音葉様の神社に行き、音葉様の様子を見て驚いた。いや、驚いたでは済まなかった。あんなに堕ちているとは思っていなかった。しかし、あれほど堕ちていても、自我を保てている時間があるのが信じられなかった。音葉様の自我が保たれている間に、直接交渉して眷属にしてもらった。眷属としての力を得ることも目的ではあったが、神域からの方が浄化しやすいからだ。

 神域で真っ先に向かったのは、神域内にあるはずのご神体、つまり神の魂。神社でのご神体は鏡だが、それは神域と私たちの世界を繋ぐものであって、本当のご神体とは神の魂のことだ。そのご神体は随分と瘴気にまみれてしまっていた。完全に浄化するのは無理だと思った。私はご神体がこれ以上瘴気にまみれないように、少しでも浄化できるように力を注ぎながら、自我を保っている眷属に堕ちてしまった他の眷属を連れてくるように頼んだ。少しずつ、少しずつ浄化を進めた。神域内の眷属は全て浄化することができた。しかし、ご神体を浄化しきることがどうしてもできなかった。ご神体に纏わりついていたのはただの瘴気ではなかったのだ。

「  様、ご神体の様子は......」

「すみません、僕ではこれを浄化することはできません。これ以上堕ちないようにすることで精いっぱいで......。僕では力が足らない......」

 他の眷属たちも不安げだった。それもそうだろう。ご神体が堕ちきったら、眷属がどうなるかなんて分からないのだから。これ以上どうしたらいいんだろうと絶望に明け暮れた。私が浄化を止めたらどうなるか分からないから逃げることもできなかった。

 先が見えなかった。かと言って、見捨てることももうできなかった。

 私の浄化のおかげか、音葉様が自我を保てる時間が増えた。その時に会話をすることもあった。たくさんの話を聞いた。音葉様と父神のこと、音葉様と巳陽様のこと、神になってからの冷のこと。音葉様はとても優しい神様だった。この神様を見捨てて逃げるなんて考えることもできなかった。

 でも、私もそろそろ限界だった。数百年も浄化を続けていたのだ。いくら神の子であり、神の眷属とはいえ仕方のないことだった。

 音葉様は何度も何度も、お礼と謝罪を私に繰り返していた。その姿に涙した。どうしてこんなにいい神様が堕ちなければならなかったのかと思った。でも、巳陽様が悪いとは微塵も思わなかった。誰かが悪いとするなら、巳月様も巳陽様も音葉様も音葉様の父神も皆々悪い。相手を大切に思っているのに、それを言葉にしない。分かっているのに、信じたくないから口にしない。人間みたいに不器用な神様たちだ。この神様たちが地上の神の上位にいるって神様界大丈夫なのかなって少し思った。いや、今でも思う。

 音葉様は少しずつ眷属を解放していった。私の限界を感じていたからだろう。音葉様の神域に残ったのは私ともう一人いた。私が音葉様の神域に来た時に自我を保っていた眷属であり、私に一番協力してくれた少女だった。

「僕は最後までここに残りますが、君も残るのですか?」

 そう聞くと、彼女は花が綻ぶような優しい笑みを浮かべたのだ。

「ええ、堕ちるときは共にと誓っていますので」

 その顔は、私の最初の母が父神を見るときの表情にそっくりだった。愛しい人を見る目だった。

「そうですか。では、僕も力尽きるまで共にいましょう」

「君に力尽きられてしまったら困るんだ、  君。いや、怜斗(れいと)君と呼んだ方がいいだろうか」

 それはまさに神の助けだった。

「冷のためと思ってここまで来たが、まさか君が音葉を救ってくれていたとは」

 そう言って綺麗に頭を下げる姿に惚れ惚れした。

「あなたは......」

「ああ、俺は二神だ。巳陽という。音葉の友人で、冷の兄だ」

「巳陽様。お話はお二人からよく伺っております。どうしてここに?」

「君を探しに来たんだ」

「僕はここを出るつもりはありません。例え、あの神様のためだとしても」

「俺も、今すぐ君をここから連れ出そうとは思っていない。いや、思っていたんだが、考えが変わった」

 私は巳陽様が何を考えているのかよく分からなかったから、静かに聞いていた。

「君に俺の力を渡そう。その力を使って、音葉が堕ちきらないように時間を稼いでほしい。俺はその間に、音葉を完全に浄化できるように準備を進める。協力してくれないか?」

「音葉様を救えるのですか?」

「君が協力してくれるのなら」

 私は即座に頷いた。巳陽様はほっとしたような顔をした。私が断るとでも思っていたのだろうか。

「では、もう少し耐えてくれ。いや、少しではないかもしれない。だが、頼んだ。俺も、音葉を救いたいんだ」

 その目に嘘はないと思った。だから、信じることにした。

「あなたを信じます。絶対に迎えに来てください。僕は神ではないですが、神の血が混ざっています。ただの人間との約束だとは思わないでください」

「分かった。一神、巳月の生みだした一柱、知恵の神巳陽の名のもとに誓いをたてよう。音葉を救う手はずを整え君を迎えに来ると」

 そう言うと、私の中に心地よい力が満ちるような気がした。巳陽様が与えてくれた霊力だった。随分とたくさん分けてくださった。これなら今までと同じくらいの期間浄化を続けられると思った。でもそれは、巳陽様が迎えにくるまでにそれくらいの期間がかかるということを意味していた。それでも、音葉様を救うためなら待てると思えた。

「君は、眷属からの解放を望まないのかい?」

 巳陽様が少女に問うた。望むなら開放してやろうという意味を込めた質問なのだろう。

「ふふっ。  様と同じことをお聞きになるのですね。望んでいませんよ。堕ちるときは一緒がいいので」

「そうか、わかった。なら、彼を支えてやってくれ。それでは、俺はこれで一度戻るとしよう。音葉のことよろしく頼む」

 彼はそう言い残して戻って行った。

 私たちはそこで巳陽様を待った。

 巳陽様は来てくれた。彼に貰った霊力が尽きるよりもずっと前に。

 巳陽様は再び私に霊力を渡したうえで、その力を全て使って可能な限り浄化してほしいと頼んできた。どうしてかと聞くと、

「君がしばらくここを離れることになるからだ」

 と簡潔に教えてくれた。要するに、人間の一回の寿命分くらい保てるようにしろということなのだろう。私はもらった霊力を全部使って浄化をした。それでも浄化しきることはできなかったが、私がいなくても少しは堕ちきらずに保てるだろうと思えた。

「彼は一時ここを離れる。君はここに一人になってしまうがどうする? 付いてくるかい?」

 巳陽様は彼女に最後の確認をしていた。彼女は前と変わらずに微笑んだ。

「音葉がいるから大丈夫です。お気遣いいただきありがとうございます、巳陽様」

 それを聞いて巳陽様は呆れたように笑ってから腕輪を渡した。

「そう言うと思ってな。旧知の厄除けの神に頼んで作ってもらった。常に身につけていろ。共に堕ちると誓っているなら、あいつが堕ちきってからそれを外すといい。音葉より先に堕ちるなよ。あいつが堕ちるまで、君があいつの名前を呼んでやってくれ」

 少女は頷いてから腕輪を付けた。

「では、俺たちは一度ここを出る。音葉には話してある」

 私たちは音葉様の神域を後にした。



 私がこれらを思い出したのは七つの時だった。

 七つまでは神の子、とは未だに言われているがまさにその通り。人は七つまでは魂も、魂の記憶も神に握られているのだ。

 全てを思い出した上で父である桜梅家の当主に話した。父はそれを聞いて、すぐに巳陽様に仕えている二番目の兄に連絡を取ってくれた。そして、兄に連れられて巳陽様に会いに行った。そして、私は巳陽様の元で修業をすることになったのだ。

 私は巳陽様の元で多くのことを学んだ。守護として必要なことだけではない。浄化の力の効率的な使い方、神の嫁になるときの覚悟、神の嫁となった時のその力の使い方。桜梅家の力の使い方とその代償も。たった十年。音葉様の神域で浄化し続けていた年月の何十分の一の月日で、今までの癖も何もかもを叩き直した。それでも、弱音は吐かなかった。自分で決めたことだから。

 十七になった時に冷に会いに行った、らしい。

 私の記憶は今の生で冷に出会ってから巳陽様に貰った名前を忘れるところまでが抜け落ちている。音葉様に奪われたからだ。奪われたというと響きが悪い。奪ってもらったのだ。



 そう、全ては、巳陽様と私の計画だ。



 冷は音葉様と仲が良すぎた。音葉様が堕ちかけていることを言えば彼も協力したいと願い出るのは分かり切っていることだ。しかし、極力音葉様には会ってほしくない、というのが巳月様の見解だった。冷は元々完全な人間なのだ。私や巳陽様のように半分神の血が入っているならまだしも、冷にはそれがない。巳月様と巳陽様の加護があろうと、瘴気が魂に触れてしまったら抵抗する術がない。つまり、普通の神よりも堕ちやすいのだ。加えて、仲が良かったことで音葉様の霊力に馴染んでいる。瘴気の混ざった霊力を容易く受け入れてしまうという危険もあった。

 だから、冷には何も言わず、私と巳陽様で事を進めていたのだ。まあ、そのせいで冷があそこまで苦しむとは思っていなかったけど。私たちはやっぱり大切な人に対しては不器用みたいだ。生まれ変わりだって気づいていない冷がここまで私を大切にしてくれたのは、嬉しいことではあるが、少し計算外だった。問題は何一つないのだが、やはり大切な人の悲しい顔は見ていて堪えた。何度も、本当のことを言ってしまいたかった。でも、言ってはいけないと、自分に言い聞かせた。

 音葉様に記憶を奪ってもらったのも計画の一環だ。巳月様と巳陽様が奪うのでは、冷に気づかれてしまう。それに比べて、音葉様であれば、最高術式を冷の前で使ったことはないから気づかれないと考えた。最高術式に用いる神楽鈴は見せたことがあったようだが、それを使う神は他にもいるし、大丈夫だろうということになった。音葉様が奪った記憶は巳陽様が大切に保護してくれている。万が一にも、自制の利かなくなった音葉様が勝手に使ってしまわないようにだ。

 それに加え、巳月様と約束もしたのだ。冷にも巳陽様にも言わない、二人だけの賭け事。勝っても負けても音葉様を救うことには変わらない。だからこそ引き受けた。

 この神在月で巳月様と巳陽様が冷を煽ってくれたはずだ。冷が帰ってきて、巳陽様から準備が整ったとの合図がきたら決行だ。



 ようやくここまで来た



*



 神在月の集いが終わり、自分の神社に戻った冷はずっと悩んでいた。鈴が兄の眷属になるのは嫌だが、記憶が戻らないのも嫌なのである。冷は、自分の欲深さに内心ため息をついた。あれから必死に調べた。聞いて回った。それでも、鈴の名前を知る術は分からなかった。

「鈴は記憶を戻すことを望んでいるんだろうか......」

 冷の心の中にずっと燻っている不安。鈴は記憶がなくてもいいと言うのだ。

「どうしたもんかなあ」

 一人呟いた冷に返事をする者が一人。

「僕が力を貸してあげますよ、神様」

 鈴の姿。鈴の声。それでも確かに鈴以外の誰か。この人のことを冷はよく知っていた。

「怜斗......。どうして......」

「どうしてって、この子の魂は僕のものでもあるからですよ。鈴は僕の生まれ変わりです。その様子だと全然気づいていなかったようですね。驚きました?」

  冷は静かに微笑んだ。

「ああ、驚いた。また会えて嬉しいよ。ずっと君に会いたかったんだ」

 怜斗と呼ばれた鈴は少しだけ意地悪そうに口角をあげて、

「知ってますよ。彼女と共にあなたを見てましたから」

 と言った。



「僕は神様の元を離れた後、音葉様の神社に行くことになったんです。音葉様にも事情があったみたいで」

「それでよく眷属にされなかったな......」

 これまでの事情を聞きながら、冷は意外そうに鈴の姿の怜斗を見た。すると、怜斗はさも当然だというように言い放った。

「え、眷属にされましたよ」

 状況が状況ですしね、という怜斗の言葉は冷の耳には届かなかった。

「じゃあ、なんで生まれ変わったんだ? そもそも、生まれ変わりにしては月日が経ちすぎている。どういうことだい?」

「簡単に言うと、巳陽様が神様のためにしたことです。巳陽様は神様に五神になって欲しかったのは知っていますよね。そのためには人を眷属にする必要があるのに神様は人を眷属にしたがらないでしょう? だから、巳陽様は必死に僕を探したみたいです。神様が『たった一人だけ眷属にしたい人間がいた』って言ったかららしいんですけど、それって僕なんですか?」

 少しだけ嬉しそうに答えの分かりきっている質問を投げ掛ける。ばつの悪そうな顔をして冷は答える。

「そうだよ。お前以外いないの、もう知ってるだろう?」

「よかったです。これで僕じゃないって言われたら困っちゃいますからね。巳陽様がわざわざ音葉様の神域に来て僕に色々と教えてくださいました。そして、僕に相談を持ちかけてきたんです。神様の眷属になってくれないかって。僕は巳陽様の提案にすぐに賛同しました。そして、巳陽様は特殊な方法で音葉様の眷属から解放してくれたんです。僕がここにいられるのはそういう理由です」

 冷は頷く。それを見て怜斗は続けた。

「次にどうして今生まれ変わったのかですけど、これは簡単ですよ。巳陽様が僕を見つけて、眷属から解放できたのが今だったってだけです」

 怜斗は話し終えると、冷に微笑みかける。鈴の姿だが、冷は確かに怜斗を見ていた。

「ねえ、神様。僕も一つ聞いていいですか?」

「ん、なんだ?」

「神様は今、『冷』って名乗っていると聞きました。冷たいって書いて『冷』。どうしてですか?」

 冷はまさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったため少し驚いた。そして、その答えを言うことは躊躇われ何も言わず、怜斗から目をそらして黙っていた。その耳が少しだけ赤くなっているのを怜斗は見逃さなかった。

「ねえ、神様。その名前の意味、半分は期待してもいいですか?」

 それを聞いて冷は怜斗を見た。そして、躊躇いがちに口を開く。

「ああ、お前を忘れたくなくて、お前の名前から『れい』という音をもらったんだ。漢字も同じにしようかと思ったんだがな......。できなかった。あっさりお前を手放した自分は冷たいと思って、冷たいという漢字は自分にふさわしい気がしたんだ」

 すると、怜斗は冷に抱きついた。

「嬉しいです、神様。僕のこと大事に思っていてくれていたんですね。でも、その漢字は全く相応しくないですよ。神様はとっても優しくて温かい人じゃないですか。落ち着いたら神様の名前、一緒に考えましょう。色々と落ち着いたらね」

 怜斗の最後の言葉に冷は固まった。悔しそうに唇を噛む。怜斗はため息を一つついた。

「僕が力を貸してあげると言ったじゃないですか。まあ、神様が望むような結果になるかは別なんですけどね」

 その言葉に冷は訝しむ。

「どういう意味だ」

「桜梅家が五神に護られているのはただ彼らと会話できるからではありません。神であるあなたたちの力になることができるからです」

「力になる?」

「ええ。桜梅家に伝わる能力は二つ。一つは神を見て触れて話すことのできる能力。もう一つは神の持つ力を大幅にあげる能力です。一つ目の方は桜梅家の分家にも伝わる能力ですが、もう一つは本家にしか伝わっていません。と言っても、滅多にこの能力は使われません。どうしてか分かりますか?」

 冷は少しだけ考える。そして、真剣な顔で口を開いた。

「何かを代償にするのか。髪だったり、視力だったり、代償によって神に与えられる力が違うといったところだろう。一番は、その人間の命ということか?」

 真面目な冷に対して、怜斗はさも面白いといった風に答える。

「九割正解です。というか、間違っているところはありません。不足部分を挙げておきますね。命の次に強いもの。何だと思いますか?」

「霊力か?」

「残念ながら不正解です。正解は記憶です」

「記憶......」

「五神と本家の人間は、共にあるうちに強い信頼関係を結ぶのが常です。信頼に一番必要となるのは記憶です。だから、あまりこの能力は使われないんです。信頼が消えるのを普通の神様は嫌がりますからね。五神以外に仕えないのもこの能力が理由ですね。低俗な神に仕えてしまったら、命がいくつあっても足りませんし」

 そこまで聞いて、冷は一つの考えに辿り着いた。そして、真実を知りたくない気持ちを押し殺して尋ねる。

「俺に力を与える際に代償にするものは一体何だっていうんだ......?」

「なんだと思いますか?」

 分かっているでしょう、とでも言いたげな怜斗の顔は何故か楽しそうで、冷はやはり自分がまだ知らないことがある、知らなければならないことがあると察した。それでも、信じたくないという思いから口を開かなかった。

「そういう、信じたくないことを口にしないところ、本当に巳陽様に似ていますよね。現実を見ないと後悔しますよ? 僕や巳陽様のように」

 怜斗の鋭い声と眼差しに冷はひるんだ。

「鈴は、神様に力を与えるために記憶を失ったんですよ」

「だが、鈴の記憶は音葉様が消したはずだ! 彼女の意志では」

「音葉様が、神様の力を高めるために鈴の記憶を奪ったんですよ」

 怒ったような、絶望したような怜斗の声。彼がここまで感情を露わにしたことはかつてなかった。冷の驚きをよそに怜斗は先ほどの声色が嘘だったかのように冷静な声で続けた。顔は笑みを取り戻している。

「鈴の記憶は今、音葉様が所持しているはずです。貰いにいきましょう。話はそれからです」

 怜斗は思った。一神である巳月も二神であり彼の兄である巳陽も、そして自分も彼に対して甘すぎる、と。冷がとても大事にされていることは分かっている。冷を守るためであることも分かっている。それでも、ここまで何も知らされていないというのは逆に可哀想に思えて仕方がないのだった。

「音葉様の元で知らされることは全て真実です。受け入れる覚悟をしておいてください」

 怜斗であれば絶対にしない鋭い口調で鈴は言い放った。



 冷と鈴は、音葉の神社に向かった。しばらく神諸共神社を空けるので、桜梅家には連絡をいれてある。おそらく、その連絡で巳月も巳陽も音葉の神社に向かうので、着くのはあちらの方が早くになるはずだと鈴は思っていた。

「神はずるいなあ。神社同士だったら瞬間移動みたく即座に移動ができるんですから」

「俺もこうして一緒に移動しているんだからいいだろう」

「ありがたいですけど、神様と話してると、見えない人からしたら変人扱いなので」

「見える人間も大分減ってしまったからなあ。仕方ないな」

 会話が終わった拍子に、怜斗の振りをするのも疲れるな、と鈴は冷に気付かれないように息をついた。魂が同じで記憶があろうと、別の人間なのだ。

「私は私なんだけどね」

 鈴は小さな声で呟いた。鈴は怜斗の振りをした自分に向ける冷の嬉しそうな笑顔を見た時、おもわず泣きたくなったのだ。そんな笑顔を今の自分は向けてもらったことがないと思った。本当は記憶がないだけで何度も同じような、それ以上に甘い表情を向けられていたのだが、鈴は冷がこれから鈴をどういう風に見るかが心配で仕方なかった。『怜斗の生まれ変わり』という風にしか見てもらえないのは嫌なのだ。

「私も人のこと言えないなあ」

「ん、何がだ?」

「何でもないですよ、神様」

「なあ、鈴、なんで」

「神様。僕は怜斗ですよ?」

「ああ、まあ、そうなんだが。すまない、何でもない。気にしないでくれ」

 鈴は冷の言葉に頷いて、言及しなかった。冷がそんな鈴を見て、寂し気な顔をしていることに鈴が気付くはずもなかった。



 鈴と冷が音葉の神社に着くと、そこには既に巳月と巳陽がいた。二人とも揃いの和服に身を包んでいた。巳月の首には鏡が下げられており、巳陽の腰には刀が帯びてある。そして、巳陽は白い布に包まれた何かを手にしていた。

「巳月様、巳陽様、お久しぶりですね」

「鈴、そこまで久しぶりじゃないだろう」

「僕は怜斗なので、久しぶりですよ」

 鈴のその言葉を聞いて、巳月も巳陽も冷を見る。冷は少しだけ困った表情を浮かべた。その表情を見て、二人は鈴の勘違いと、冷の気持ちに何となく気が付いて、そのすれ違うさまに二人の現状の厳しさと同時に微笑ましさを感じた。それにいち早く対応したのは巳月だった。

「そうかそうか。久しいな、怜葉」

「その名前で呼ばないでくださいよ。今は違うんでしょうし」

「すまんなあ。怜葉」

 クスクスと楽しそうに笑う巳月に、冷は驚いていた。冷は、巳月は人間にとって崇拝する相手でしかなく畏怖の対象の姿勢を貫いていたはずだったと認識しているからだ。冷は何も言わずにその様子を眺めていた。巳月が鈴の思惑に乗ったので、巳陽も同様に乗ってやる。

「怜斗、どうして急に?」

「音葉様を救うなら、僕の方がふさわしいと思って」

 少しだけ付き合ってください、と言わんばかりに人差し指を口元に当てる鈴に巳陽は内心苦笑する。

「素直になればいい」

 巳陽は年長者として、鈴をずっと見てきた者として、鈴には幸せになってほしいと思うのだ。その気持ちを知ってか知らずか、

「本当ですよね」

 と鈴は眉を下げるばかりだった。



「これから音葉の神域に入るぞ。冷はこれをつけておけ」

 巳陽が冷に渡したものは厄除けの腕輪。それを見て、冷はさっと青ざめる。

「どうして厄除けの腕輪なんて......」

 答えがなくとも、この状況なら嫌でも腕輪の意味は分かってしまう。冷の質問に答えることもなく、巳陽は鈴に、白い布で包まれていた、巳月の神社の神事で用いられる神楽鈴を手渡した。

「鈴の音は、厄除け、浄化、幸福を呼ぶ効果がある。持っているだけでお守りになる。しかも、その鈴は一神様の元で神事に使われる物だ。かなり効果があるだろう」

 鈴がそれを一振りすると、心地よい音色が響いた。

「とても綺麗ですね。ありがとうございます」

 巳陽は頷いた。

「では、行こうか」

 巳陽を筆頭に、音葉の神域に入った。



さわらび116へ戻る
さわらびへ戻る
戻る