白球の詩第四回

河嶋こずえ






前回までのあらすじ



・第一回

 野球が男女混合のスポーツとなった日本。高校野球は言うに及ばず、日本プロ野球界にも女性スターが誕生し始めていた。新時代を迎える野球の世界で、県立姫野高校に入学した上田(うえだ)晋(しん)志(じ)は肘に負った怪我と共に中学で野球から離れようとしていた。

 そんな五月晴れのある日、上田は幼馴染の森望未(もりのぞみ)からある依頼を受ける。それは、昨年の夏から休部状態だった硬式野球部の監督の就任依頼だった。

 その晩、森に誘われて訪れた近所の神社で二人は話し合い、もう一度、野球の世界に戻る事を決意する。

 そして翌朝。練習試合のために集まったのは女子ばかりの野球部。男女の壁がなくなった野球界とはいえ、女子のみのチームで挑むのは異例と言える県立姫野高校硬式野球部。彼女たちの挑戦心を受け入れて、新米の学生監督上田と一年生女子ナインは試合会場に向かった。





・第二回

 双子の二遊間や唯我独尊の左腕エースなど、ナインの個性とポテンシャルは上田が思う以上に高かった。

 近隣の県立塚原高校との試合は実力や試合経験の差から敗北を喫したが、相手校の監督からも称賛される基礎的な実力の高さ、そして明るく元気なチームカラーを見せつけた彼女たちにとって、収穫の多い試合となった。

 打力や投手のスタミナ、守備の連係など課題は多くあるが、新入部員の一年生たちで構成されたチームには、伸びしろしかない。上田と森は今後のチーム強化について、黒江ゆかも交えて話し合う段取りを立て洋々と家路につく。



・第三回

 黒江邸でチームの基本方針を話し合う上田、森、黒江姉妹。上田は自分が活躍すればよかった中学時代と、全く異なる野球との付き合い方を感じる。生徒の指導で多忙な水原部長からもチームの建設を託された。初めての全体練習中、厳しい指導を受けた影響で自発的な行動が難しくなっていた佐々木を見て上田。昔のような服従型の指導ではなく、共に課題を見つけて高め合うチームを作れないか、新米監督は考え始めた。



登場人物紹介



上田(うえだ)晋(しん)志(じ)  姫高の監督。中学時代、好選手として鳴らしたが故障で野球進学を諦める。姫高では控え野手も兼任する。守備は内野が主だがオールラウンダー。



森望未(もりのぞみ)   捕手。上田の幼馴染。朗らかな外見とは裏腹に野球にかける想いは人一倍。周囲と協調する姿勢は姫高ナインの頭脳に相応しい。



杉浦(すぎうら)あかね 左投げのエース。投手らしい(?)自らを恃む事でマウンドを守るタイプ。オーバーハンドから直球主体で攻めまくるのが本人の理想らしい。



中西(なかにし)百合子(ゆりこ) 一塁手。快活な性格の頼れるアネゴ肌で五人きょうだいの面倒を看ながら野球に打ち込む。一年生ながら打球の鋭さは男子に負けない。



黒江(くろえ)ゆか  町の名家の長女。非力ながら安定感のある守備で妹と二遊間を組む。悠然とした物腰はお嬢様のそれであるが、家に帰れば妹大好き少女。

黒江(くろえ)みか  ゆかの双子の妹。運動センスはチーム随一な天才肌。家では姉の過度な求愛をやり過ごす日々。妙なあだ名を考案するがナインに浸透はしない様子。



木塚(きづかし)忍(のぶ)   三塁手。無口で表情の変化に乏しく考えが読みつらい時も。自分の仕事を徹底的にやり抜く職人肌。結果で語るというヤツだろうか。



榎本(えのもと)舞(まい)   左翼手(レフト)。理想の打撃を求める求道者。ぼんやりしているように見えて意外と、......やっぱり天然。



広瀬(ひろせ)亜李(あり)寿(す) 中堅手(センター)。中学は米国にいたハーフ。誰とでも気さくに話せるフレンドリー少女。ちなみにミドルネームはウィンディ。今回から入れていく(後付け)。



佐々木(ささき)仁(ひと)実(み) 右翼手(ライト)。自信なさそうに振る舞う小動物系。でもソフトボールで厳しく鍛えられた実力者。チーム一小柄だが身体、精神共にスタミナ豊富。







大橋(おおはし)葵(あおい)   晋志とは小学校の時の同級生。学校中の生徒が一目置く可愛さで複数のファンクラブがあるらしい。上田の力になりたいと思い入部した正妻。なお、男子。



水原(みずはら)先生  世界史教員。野球部の部長。



姫野市 中国地方のH県南部に位置する地方都市。中国山地の入り口にあたる狭い盆地に、小さな市街地と金属や繊維の工場が並んでいる。姫野高校は旧市街の西外れ、盆地の山裾に建てられている。





















 第五章 手作り球場と......

 

 1



 県立姫野高校硬式野球部の監督を引き受けてから、二週間が経過した。暦は進み、六月になっている。爽やかな五月の風は、梅雨の訪れを感じる湿気を含んだ風に変わっていく。早ければ来週、本格的な梅雨入りだろう。少し練習するだけでじっとりと汗がアンダーシャツにしがみつく。決して心地よいものではない。

 狭い姫野盆地は特に湿気や熱気が溜まりやすい。夏は県下で最高気温を記録することもしばしばだ。屋外でスポーツをするには過酷な土地といえる。そんな盆地の端っこで姫高野球部は一日二時間弱の練習を短時間集中でやっている。

 そして六月初頭の今日、大きな出来事がある。部員が一人増えるのだ。まずはその話から。

 白い練習着の部員に囲まれて、彼はまだ学校の体操服姿だった。緊張の面持ちで、しかし明瞭な声で言った。

「えっと......大橋葵です。姫野二中ではテニスをやってました。野球は初心者だけど、皆さんの力になれるように頑張ります......。よろしくお願いします」

 やっぱり可愛い。愛す可(べ)しと書いて可愛いとは葵の為にある言葉ではないだろうか。小学校の同級生で、高校進学のお陰で再会できた大橋葵である。

 リスのようなつぶらな瞳と微かに上気した頬。それでも男子という罪深さ。まさにストップ! あおいくん!

 葵は高校で部活に入っていなかったが、俺が新入部員を募集していると伝えたら、本当に来てくれたのだ。本人曰く、テニス以外のスポーツをやってみたくなった、人が足りないなら手伝ってあげるよ、と。それを聞いた俺が卒倒しかけ、同席した森の介抱を受けた後、初心者の葵を全身全霊かけて指導すると誓ったのは言うまでもない。それに同じ男子同士、一人でもいてくれたら俺もやりやすい。

 葵の入部挨拶を歓迎ムードで聞いていたナインのなかで、杉浦が怪訝そうに口を開く。

「ホケ......いえ上田君、あなたの喜び方が尋常ではないのは何故かしら」

「何を言う。貴重な新入部員を迎えれば、笑顔になるのは当たり前だろ?」

 それより、おい、

「最初、なんて言いかけた」

「安心して。私は補欠君のことを上田君だなんて思ってないわ」

「あかねちゃん! 逆、逆!」

 森のフォローも虚しいだけだった。

「あら、補欠君ごめんなさい」

「直す気ゼロかよ」

 ついでに上田君とも思われないなら、俺の存在もゼロじゃねえか?

 部員たちはまた始まったかと野次馬気分で観戦している。トムとジェリーの追いかけっこくらいにしか思われていないのだ。森だけが俺を気にして小さく「ゴメン」とジェスチャーを送ってくれた。エースと監督の間にいるキャッチャーの森は気苦労が多い。

 姫高ナインは俺やチームの方針を理解して毎日練習に打ち込んでくれるのだが、問題はこの杉浦だった。概して俺の指示には従ってくれるのだが、本質的に男が苦手なのか、徹底して我が道を進みたいのか、大胆に監督しての俺を抹消しようと振る舞うことがある。

 俺の頭には杉浦に関して大きなプランがあり、近く森に相談しようと考えているのだが、どうも今ではないらしい。

「......えーっ、俺が補欠なのは間違いないからまぁいい。それより、部長が新しい練習試合を組んでくださった。その話も同時にしたい」

「!」

 ナインの気楽な雰囲気が一瞬で消えた。電流のように緊張が走り、俺をまっすぐ見つめる。

 相手は近所の滝本商業。今週末、土曜日午後から一試合。会場はここ。このチーム結成から初の本拠地試合になる。そして姫高には野球専用のグラウンドなど存在しないから、校庭を即席の球場に仕立てる必要がある。

「ねー、このままじゃヤバくない?」

 ここまで話したところで、黒江みかが校庭をぐるりと見渡した。もちろん、この校庭のままでは試合が出来ない。レフトの壁際には背の高い針葉樹が数本、等間隔で並んでいる。打球が幹に当たればありえない方向に転がってしまうし、野手がぶつかっては危険だ。センターの右寄りにはゴミ捨ての小屋がある。あれも放置してはいけない。

「確かに平日は内野しか使えないし、休日もそのままにして練習してきた。だから当日はネットを動かして外野フェンスを即席で用意する」

 野球部や陸上部が共用する緑色のネットが大小合わせて二十枚ほどあるので、邪魔な木々や構造物を隠すようにネットを並べる。

「それに両チームのベンチ設営、相手の監督や部長をもてなすスペースの支度。詳しくは水原部長が昔のやり方を覚えておられるそうだから、俺も指示に従うつもりだ。普通に練習するよりやることは多いからな」

 一気に喋り終えて、もう一度ナインを見渡した。入部直後の葵がキョトンとして、いまいち中身を呑み込めていないのは仕方ない。それ以外のメンバーはどうだろう。

 どうやら大丈夫なようだ。無駄な言葉を挙げる奴は一人もいないし、瞳に闘志が宿っている。前の敗北を引きずる必要はない。しかし、今度はもっと良いプレーをしてやろうと、良いところをみせてやろうと、欲求がふつふつ湧き上がってきている様子だ。

「よし、今日の練習に入る。昨日確認した通り、柔軟体操と坂道ダッシュからのボール回し。榎本、ボール回しで意識することは?」

 ナインの中で唯一、少しぼーっとした雰囲気の榎本に質問してみた。練習の前に、その内容に取り組む意義を明確にして、それをチームで共有するようにしている。「えーとね、ダッシュで疲れた後だから......」

「そうそう」

「おーちゃくしちゃダメ、的な?」

「......要点は抑えてるな、うん。いいだろう」

「やったぜ」

 ドヤ顔で小指を立てる程の回答ではない。詳しくは小手先の技術に走らず、体全体を使ってスローイングが出来るように、わざと足腰が疲れた状態でやるんだが......横着しちゃ駄目とは簡にして要を得ている。

「それとボール回しは四十メートル四方。相手の肩より低い球でワンバウンド送球だ。スピンの利いたキレのある球を捕球したら素早く放るんだ、いいな?」

「「はいっ!」」

 打てば響く威勢の良い返事。試合が決まったせいか、いつもより更に覇気があるような気がする。

「今日は俺も選手と同じメニューでやる」

「えぇー! ボス、バテない? 大丈夫なの?」

 すかさず広瀬が冷やかしてくる。いつの間にか、この帰国子女は俺をボスと呼んでいる。願わくば「監督」と呼んでもらいたいが、蔑称でもなし、いいか別に。

「これくらい余裕だよ。お前こそ音(ね)を上げたって置いてけぼりにするからな。覚悟しとけ」

「ノー・プロブレム!」

「葵はダッシュまで一緒にやる。部長がすぐに来るから、後はマンツーマンでキャッチボールや素振りだ。よし、指揮は森、お前に頼む」

「はいっ!」

 俺と広瀬の不毛な応酬を微笑みながら見ていた森の表情がキュッと締まった。

「整列! みんないくよ、姫高ォ、ファイト!」

「「おぉー!」」

「お願いします!」

「「お願いします!」」

 素早くグラウンドに向かって整列し、森の号令に合わせてナインの声が響く。最初はサッカー部や陸上部が珍しがってこちらを見ていたが、すぐに慣れてしまってもう振り向くこともない。意外とあっさりグラウンドに溶け込めたようだ。

 週末の試合に向けて、姫高ナインは上々のスタートを切った。人数は相変わらずギリギリだが、元気の良さでは他の部活にだって負けない。

 2



「女ばっかのチームかよ......」

 滝本商業のユニフォームを着た連中で、誰が言ったのか分からない。しかし間違いなく俺の耳に届いた。あんま痛めつけてやんなよ、と誰かが囁いている。聞こえていたが、俺は無視した。そのまま、校庭に近い空き教室へ案内する。週末、土曜日の正午過ぎ。太陽はほぼ真上に上っている。夏至が近いな、などと、関係のないことを俺は考えていた。

 午前九時に集合した姫高へ集合した俺たちは、体操服で会場設営に務めた。梅雨入り直前、おそらく最後の快晴だ。透き通る青空とは裏腹に、今日も姫野盆地は湿気が多い。肌にまとわりつくジメジメした風だ。時折、乾いた風が流れる。姫野盆地を取り囲む山を乗り越えて、中国山地の涼風が学校の裏山を滑り降りてくるのだ。梅雨が明ければ、この涼風ともお別れだ。日が昇る間は熱風が吹き付ける夏が来る。

 そんな環境だから、特に体調管理には気を付けなくてはいけない。水分と着替えのシャツを多めに用意して、熱中症は当然、体を不必要に冷やさないよう気を配る必要がある。

 ネットの移動やベンチの設営、相手校の控え部屋の清掃、グラウンド全体の整備など、少ない人数で球場を作るのは意外と難儀な作業だ。結局一時間もかけて、いびつな部分はあるが即席の姫野高校球場が完成した。

 裏山に面した左翼(レフト)が多少狭く、制約のない右翼(ライト)は普通の球場より明らかに広い。中堅(センター)の奥は補充用の土盛りや廃棄された鉄屑が散乱しているから、ここからゴミ捨て場をまで、人の背丈ほどの低いネットを張って扇形になるよう工夫してある。もちろん、この柵を打球が飛び越えたらホームランだ。レフトの校庭に生えている木々の手前には大きめのネットを一列に張って、衝突防止としている。もともとレフトの奥には畑や民家に学校の物が飛ばないよう、十メートルほどの高いネットが築造してあるから、二枚の柵が張られたことになる。

 外野のネットを設置し、額に流れる汗をぬぐいながら、黒江姉妹の長女ゆかがレフト方向を指さした。

「あちらには、グラウンドルールを設けますか」

 衝突防止用の柵のせいで狭いレフトが余計に狭い。少し打力があれば、簡単に策越えホームランが出てしまうだろう。この場合は主催者の都合で特殊ルールを設けることが出来るから、適用しようと考えている。

「手前のネットを越えたらエンツー、奥のネットを越えて畑まで飛べばホームラン、この辺が妥当だろう」

「森さんに伝達してきましょうか?」

「悪いな、滝本商業へは俺が説明するから、森を通じてみんなへ伝達しておいてくれ」

「すぐ行ってきますわ」

 エンツーとはエンタイトルツーベースの略だ。ホームランを除く、ヒットの打球が何らかの理由で捕球出来ない場所へ飛んだ時は自動的に二塁打となる、という規則だ。今回は二枚の柵の間に打球が入った場合に適用する。

 他にも生垣にボールが入って見つからない、柵の手前でバウンドした打球が観客席に飛び込んだ、など時々このルールは適用されている。

 ルール伝達のついでに、少し休憩した後ウォームアップを始めるように連絡した。すぐに内容を理解したゆかが、本塁で白線引きを転がす森を見つけ小走りで去って行った。無駄のない動きだ。もはや既成事実と化しているが、近いうちに森とゆかを野球部の幹部に任命しようと思う。たぶん、異論は出ないだろう。

 しかし、学校では聡明な令嬢にしか見えないあの姉が、家では過剰に妹大好きお姉ちゃんだから、人は見かけによらない。

 まだ人前では露骨な猫可愛がりはしないようだが、練習でみかが好プレーをした後などに、用具倉庫の中で慈愛に満ちた目付きで頭を撫でているのを発見したことがある。妹は適当にあしらって逃げ出していたが......。

 デリケートな情報には、深入りしないようにしよう。

 なにはともあれ、これでお客を迎える支度はひと段落。十時十五分。試合開始予定の午後一時に照準を合わせ、たっぷり練習に打ち込める。

 白地の上着に濃紺でHIMENOと大きく刺繍されたユニフォーム。俺が着る服も今日までに調達した。人数不足の野球部だから一応、選手兼任監督(プレイングマネジャー)。背番号は10。紺色で統一された帽子、シャツ、ストッキングを身にまとうと、いやが上にも気持ちが引き締まる。

 俺は野球部の小さな部室で、女子は体育館の更衣室で着替え、校庭......いや、球場に集まった。

「おっ、ウエさん似合ってるー」

 一番に飛び出した黒江みかがニッと笑みを浮かべた。

「それはどうも。......? お前は色が違うぞ?」

「あーこれ? アップは古いのを使うのさ! リサイクル精神だもんね!」

 と言って彼女はえんじ色のシャツをつまんだ。

 みか以外にも、シャツに中学のお古を当然のように使いまわす選手がちょくちょくいる。えんじ色、水色、黒などモザイク画のように色が混ざり、さらに中西と広瀬は半袖を着ているから肌色もあり、もはやカオスだ。しかし初試合の試合までに統一してくれたら構わないし、これもご愛敬というものだろう。

 柔軟体操にショートダッシュ、肩慣らしとアップが進む。最初は俺が入る予定はなかったが、森の誘いで入ることになった。

「シーちゃんだって背番号があるんだから。一緒にやらなきゃ?」

「ハーイ! 私(わたくし)、広瀬・ウィンディ・亜李寿もさんせぇでありまーす! みなさんは?」

 広瀬も同調し、肯定の拍手が起きる。

「......時間はあるしな」

「決定!」

ということで俺も汗を流した。久しぶりの練習も良いものだと思ったが、試合前の緊張感も、また良いものだ。

 十一時過ぎ。アップの掛け声を聞いたのか学校に隣り合う民家からお爺さんが出てきて「試合かい?」などと塀越しに訊く。一時からですと返事をすると、婆さんを誘って観戦に来るとのこと。来客用の椅子を用意して、姫高球場を少しグレードアップさせるのは俺の仕事だ。

 

  3

 

 先発メンバーを発表した後、選手は練習に専念させて、相手校の出迎えは俺が引き受けた。水原部長から、予定通り到着しそうだと滝商の部長から連絡を受けたと聞き、俺はグラウンドを離れて校門に立つ。校舎の向こうからコーン、キーンと金属音が聞こえる。せっかくグラウンド全面が自由に使えるなら、思い切り打撃練習をしておこうと満場一致で決まった。詳しい指示はしていないが、彼女たちは打撃投手と球拾いを上手に割り振って、全員が均等に打てるよう考えている。

 正午。細い道の向こうからマイクロバスがやって来た。どう見ても野球部員が乗っている。俺は帽子を取って合図した。二十人ほどを乗せたバスが俺の目の前で向きを変え、校門をくぐった。体育館のそばへ誘導する。バスの横腹には「滝本商業高校」と書いてある。学校か、野球部の持ち物のようだ。

 滝商の監督は、クマを思わせる大柄で髭を蓄えた人だ。バスから一番に降りて「出迎えありがとう」と帽子を取った。この監督は姫高に来た経験があるらしく「水原先生はあちらかな?」とグラウンドを指さす。

俺が「はい。グラウンドに出て左です」と答えると一つ頷いた。

「水原さんに挨拶をしてくるから、君はアイツらを案内してもらえるか」

 その為にいるのだから、当然だ。すぐに

「お前らは姫高さんに付いて行って、荷物を置いたらグラウンドに集合」

 と選手へ号令をかけた。「姫高さん」とは言うまでもなく俺だ。仕方ないことだが、俺が監督とは全く気付いていないらしい。クマ監督を見送って、バスから荷物を取り出す彼らを観察する。

 体格は俺達より一回りは大きい。見たところ、今日のメンバーに女子はいないようだ。野郎ばかりで、みんな頭を丸刈りにしている。

 しかし、コイツら、妙にヘラヘラしてやがる。

 揃いのジャージの着こなしは雑だし、試合前の臨戦態勢とはとても思えない。ユニフォームに着替えたら少しはマシになるのだろうか。そう思いながら連中を案内していたら、後ろから女ばかりの新米チームと試合をさせられる不満が聞こえてくる。

 ......なるほど、そういことか。

 滝商の部員に舐められていることを彼女たちには伏せておこうと決めた。不必要な苛立ちや力みを彼女たちに与える必要はない。

 グラウンドに戻ると相手の到着を察した姫高ナインが打撃練習を切り上げるところだった。最後に葵がみかの投げたスローボールを空振りして、一斉に片づけに入る。荒れたグラウンドを急いで整備している。

 たとえ相手に舐められようと、俺たちは俺たちのやりたいように野球をやるだけだ。

 頭の中で格好良くセリフを決めて、クマ監督のところへ挨拶に行こうと走り始める。

「あっ」

 ......レフトのグラウンドルールを説明していない。

 俺は慌てて引き返し、滝商のキャプテンを探した。

 十二時五分。湿度は高いままだ。



  4

 

 十二時三十五分。

 足に着けた防具をカチャカチャ鳴らして、森が俺の隣に腰かけた。あのさ、と前置きしてから俺に尋ねる。

「どうなんだろう......?」

「どうって」

「......向こうの、さ......」

 森は人を悪く言うことに慣れていないから、どうしても歯切れが悪い。それでも口に出したくなるほど、

「......見りゃ分かるだろ」

 俺はグラウンドの方向を目で示した。

 覇気のない、ダレ切った、怠慢な試合前のノックが続いている。

「お世辞にも、良いとは言えませんね」

 ゆかの呟きに中西が反応した。

「ってか、ヒデェんじゃねぇか」

「......正直、そうですね」

「まーたあのセンター、山なりに返球してら」

 やる気あんのかよ、と中西が吐き捨てた通り、左中間へ飛んだ打球に追いついたセンターが、やる気のないフラフラな球を内野に投げ返していた。その前の打球も同じようにさばいているのを、彼女は見逃していなかったようだ。そして急に悪戯っぽい笑みを浮かべ

「ウチの鬼カントクなら怒鳴ってるぜ? なっ?」

 と人をいきなり鬼呼ばわりした挙句、広瀬に同意を求めた。

「わかるー! ボスならバット投げそーじゃん?」

「だよなぁー!」

 投げねぇよ。バットが折れたらどうする。

「むしろ卓袱台投げそう!」

「ンなわけあるか。俺は星一徹か」

 なんで帰国子女が巨人の星のネタを振ってくるんだ。

 俺のツッコミが何故かツボに入ったらしく、二人はひぃひぃ笑っている。先に呼吸を整えた中西が尋ねた。

「でもさ、カントク嫌いだろ? あーゆーの」

 あーゆーの、と言いながら左手にはめたファーストミットを軽く振る。ミットの先で散漫な練習が続く。

「お前、よく理解してるな」

「まぁな」

 短く返事をした中西は胸を反らして得意気だ。

「まだ付け入る隙はありそうだぜ。よく見とかねーと」

 中西が指摘するように、穴はまだまだある。探すまでもなく、ポイントはすぐに見つかった。幸いすぐ近くで黒江みかもノックを観察している。

「......みか」

「なーに?」

「あのセカンドの動き、気付くことはないか」

 ノックはライトの番になった。ライト線の深い位置に球が飛ぶ。追いかけるライトの動作は緩慢だ。外野の端近くまで球が転がった。それだけでも問題なのだが、それに加えて、

「んん......? 入る位置がおかしいよね?」

 さすがセカンドを務めるだけはある。すぐにみかが眉をひそめた。

「その通り、カットの位置が悪いだろ」

 外野の捕球点からボールを送るべきベースが遠い場合、内野手が間に入ってボールを中継する必要がある。これをカット・プレー、または中継プレーという。二遊間は守備範囲が広く外野手と多く接するぶん、カットも大切な仕事になる。

「基礎的な内容だが、早くボールを送るには、カットマンはどこにいればいい?」

「一直線!」

 言いたいことは分かるが究極に一直線で言葉足らずな妹の回答を、すかさず姉が補足する。

「外野手と送球先を最短で結ぶ線の上、ですわ監督さん」

「正解」

「おねーちゃん! これから言おうと思ってたのに!」

 激しく姉に抗議するみかは置いといて、もう少し続けてみる。

 さっきのセカンドはゆかの言う「線の上」に入れていない。その証拠にライトの返球を見ればいい。ライトがカットマンを無視して強引に投げたボールは、セカンドの遥か頭上を越えていった。(言うまでもなくこれも連携不足、イージーミスだ)その送球は彼の真上ではなく、かなり右手側を通過して、結果的に二塁ベースまで届いた。彼の頭上(・・)以外(・・)を(・)越えた(・・・)球(・・)が本来投げるべき場所に届く。セカンドが正しい中継位置にいればありえない。

「ついでに、ライト線を破る打球でふたつ(二塁まで返球すること)ってのもありえねえんだがな......」

 呆れている俺に森が相槌を打った。

「私でもみっつ(三塁まで返球すること)にするね」

「ここのライトは距離があるんだから、よっつ(本塁へ返球すること)でもいい。順番の決まりきったシートノックだから、ルーティンで適当にやってんだろう」

「......完全に舐められてるわね」

 突然、会話に杉浦が参加した。ウォームアップで汗ばんだシャツを着替えてベンチに帰ってきたのだ。

「やっぱりそう思う?」

 森の問いに対し、杉浦が首肯で答えた。

「こんなふざけたノック、見たことないもの」

 横から伺う限り、彼女の吊り目は普段より険しく、青白い敵意が揺れている。

「上田君はどう、見たことある?」

「ないな」

「そうよね。......あの連中、上田君の母校と試合する前はちゃんとやるのでしょうね。きっと」

 彼女の皮肉は恐らく正解だ。確かに、俺が中学で所属した鷹(よう)瑛(えい)学園(がくえん)の高等部と試合をするなら、真面目な準備をするのだろう。

「つまり、姫高みたいな弱小なら、これでいいってこと」

 はっと短くため息をついて、エースは言葉を漏らした。

「......醜いわ」

 このゲームは取れる。悪手を踏まなければ、勝てる。

 ......むしろ、勝たなくちゃいけない。

 先日の塚原高校は、言い方は悪いが負けても問題のない相手だった。姫高に対し集中して、礼を尽くしてくれた。終盤から塚原の一年生がテスト出場したが、練習試合では別に珍しくない。最後まで手を抜いていなかった。

 今回はどうだ。最初から舐め切られている。

 勝たなくちゃいけない。

 最後まで滝商のシートノックは締まらない雰囲気で進んでいった。内外野の連携不足、雑な送球、それを厳しく指摘する人もいない、弛緩したナイン。一年ばかりの女子チーム相手なら、こんなもので構わないと決めつけているのがはっきり見て取れた。

 最後の本塁送球も、外野手のダッシュは緩く送球は逸れ気味だ。これなら二塁ランナーは多少暴走気味でも本塁突入させればいい。

 相手のノックにこれ以上見る価値はないと判断して、俺はベンチに視線を移した。全員がグラブを用意して、まだ相手のノックを観察している。

「......」

 口を真一文字に結んだ木塚が俺に気付く。相変わらずの仏頂面で、隣人の肩をつついた。

「ひっ!」

 不意につつかれた佐々木が小さく悲鳴を上げて、二つ結びの髪がピクッと震えた。

「どっ、どうしたの......ボクになにか......」

 言い切る前に木塚が口を開く。

「......用があるのはそっち」

 そして指さした先にいるのは、もちろん俺だ。

 佐々木の悲鳴を引き金に、全員の視線が俺に向いた。

 滝商のノックは最終盤にかかった。手早く済ませなくては。

「みんなよく聞いてくれ」

 十八の瞳が俺に注がれる。

「見れば分かるが、あんな雑な連中の球遊びに付き合ってやる暇なんかねぇんだ。たとえ短い時間でも、みんな基礎練習を集中してやってきた。俺たちを舐めきった隙だらけの滝商ごとき、ガツンと一発ブン殴っちまえ」

「..................」

 しんと、誰も口を開かない。

 それでも、分かる。

 口を険しく結んで、俺を刺し殺すような鋭い視線。誰一人、気の抜けた表情の奴はいない。

 滝商の内野バックホームは最後の一人になっていた。ファーストが正面のゴロを捕球しキャッチャーへ返球する。案の定投げ損じたボールはバックネットの基礎部分、緑に塗られたコンクリートブロックで跳ね返った。

「おいおーい! しっかり!」

「なにやってんだよ」

 と滝商のナインに冷やかされて、そのファーストはニヤニヤ笑っている。反省している様子はない。

 入れ替わりに姫高ナインがベンチの前に並んだ。バットと持ち、ボールの詰まった袋を肩に掛けた俺は最も本塁寄りで直立している。その隣から森を筆頭にナインが中腰に構えている。

 誰もいない本塁側に人が立った。水原部長だ。試合前ノック前半の、外野だけのノックを担当してもらう。内野だけのノックと最後のシートノックは俺がやる。

「いい訓示だった」

 俺に目を合わせずに先生が言った。

「......ありがとうございます」

「さあ、やろうか」

 森に目で合図する。彼女が一回、顎をひいた。

「みんな! 締まっていこう!」

「「おぉー!」」

 鋭い叫びに呼応してナインの声が響いた。

 そして弾け飛ぶように全力で駆け出していく。

 頼もしいナインだ。

 内野がそれぞれのポジションに着いたら間髪を入れずにノックを始める。俺はバットでサードの木塚を指し示した。

「ボールひとつ(一塁へ送球の意味)! 準備はいいな!」

「......!」

 無言の木塚が返事の代わりにグラブの捕球面を右手の甲で叩く。パシーン! と快音が発された。

 ノック開始だ。

 

 5



 先日の塚原戦と違い、今日の試合は守備の時間でも独りきりではない。控えに葵がいて、スコアは水原部長にお願いしてある。前の試合より、格段にやりやすい。

 先発するナインはベンチの周りでストレッチや素振りに取り組みんでいる。対して滝商の連中は椅子に腰かけて雑談だ。先発投手だけは外野で投げ込みをしている。せっせと投げている彼だけが、逆に浮いて見える。

 即席の姫高球場は相手の控え室が近い一塁側ベンチが滝商に、部室や倉庫に近い三塁側ベンチが姫高に割り当てらた。水原先生によると姫高が三塁側で相手が一塁に陣取るのは昔から変わらないそうだ。

 バックネット裏に急遽立てたテントと十脚ほど並べたパイプ椅子には、アップ中に話しかけたお爺さんとそのお婆さん、午前で部活を切り上げたどこかの運動部がやって来た。様子を見ると姫高ナインの誰かの友人もいるらしい。今日の試合を宣伝した人がいるとすれば......広瀬あたりだろうか?

 本来はホームの姫高が審判や球拾いを出さなくてはいけないのだが、それは人数に余裕のある滝商が出してくれる事になった。これはちゃんと感謝しなくてはいけないだろう。

 そして姫高には得点板(スコアボード)がない。水原先生が社会準備室から持ってきたベニヤ板に模造紙を貼り、バックネットの裏側から立て掛けた。この簡易スコアボードに極太のマジックペンを使って毎回の得点を記入する。手作りの、質素な球場である。これで、俺たちのお手製球場の出来上がりだ。

 先発は以上のようになっている。

 一番 二 黒江みか 

 二番 右 佐々木仁美

 三番 中 広瀬・ウィンディ・亜李寿

 四番 一 中西百合子

 五番 左 榎本舞

 六番 三 木塚忍

 七番 遊 黒江ゆか

 八番 捕 森望未

 九番 投 杉浦あかね

 控    大橋葵  

 控兼監督 上田晋志

 先攻は滝商と決まり、ナインがグラブを持ってベンチの前に整列した。練習の合間に全員が濃紺のアンダーシャツに着替えている。見栄えも問題ない。

 さて、試合が始まる。言いたいことはノックの前に言ってしまい、もう言うこともない。ナインの背中を見守るだけだ。

 やがて集合の声が掛かり、姫高野球部は一斉に本塁目掛け飛び出していった。

 (第四回終わり 第五回へ続く)

 ・亜途我奇

 みなさんこんにちは。あとがきが書きたくて今回のさわらびに投稿しようと決意するも本編に時間がかかって結局あとがきが普通な感じになってしまった河嶋です!

 今回は姫高のメンバーが一人増える回です。本当は部員を増やして試合の結末も見届けて、もう二人くらい新キャラも出そう! と決めていたのですが、やりたいことの半分も書けない不本意な回になってしまいました。全ては私の遅筆が原因でありまして、情けないやら、次はもっと書いてやりたいと思うやら......。

 さて、今回の校庭を即席球場に仕立てる話はそのまま私の高校時代の思い出になります。試合の結果や野球そのものよりも、こういう準備や支度の記憶が深く残るものですね。私の母校も姫高と一緒で決して恵まれたグラウンドではありませんでしたが、こうして手間暇かけて世話をすると、愛着が湧いてくるものでした。

 そんな感じで今回の「白球の詩」とあとがきは平凡におしまいです。おまけに姫高の鳥瞰図をつけておきます。本作の世界を深める一助になれば、作者としてこの上ない喜びです。

 それでは皆さん、また次回でお会いしましょう。



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