ひび

藩荷原課








 隣の席の山中くんはすごく変な人だ。

 まず、なぜか学ランを着て学校に来ている。うちはブレザーの制服なのに。

 ぼさぼさのちぢれっ毛を無理やり後ろに流したような変な髪型だし、切れ長の三白眼でかなりの強面。

 見た目もすごく周りから浮いてるけど、山中くんのほんとうに変なところは性格だ。

 一年前の入学式の日のことだった。

 学ランを着ていた山中くんは、とうぜん浮いていた。

 そんな彼を見て、そのときの二年生のやんちゃな人たちが山中くんに絡みにいった。

 その先輩たちに対して、山中くんは丁寧な、とても礼儀正しい敬語で、こんな意味のことをいった。

 うっとうしいから、あっち行け。

 新入生の慇懃無礼なことばに、先輩たちはムカッときたようで、彼の襟をつかんだ。掴まれた瞬間、山中くんはぶるっと体を振って先輩の手を振りはらった。

 それがきっかけになって、先輩たちは殴りかかった。山中くんは初日からケンカをふっかけられたのだ。

 結果だけいうと、誰もケガしなかったし、山中くんは殴り返したりしなかった。

 ただし、その時の彼の対応は、とてもじゃないけどまともとはいえなかった。

 山中くんは向かってくる拳をよけるだけだった。

 よけるだけで、逃げたり助けを呼んだりせず、攻撃してくる先輩たちをただやり過ごした。

 攻撃してくる先輩たちに、面倒くさい以外何も思っていないように見えた。

 そんな態度に先輩たちはよけいに怒り、結局先生たちにとり抑えられるまで暴れ続けた。

 この事件で、学校内での山中くんの評価は「ヤバい奴」になった。

 そんなだから山中くんに話しかける人はほぼいない。本人も自分から話しかけたりせず、グループ学習とか、人と話さなきゃいけないときくらいにしか口を開かない。

 何より山中くんから人を遠ざけているのは、その目だ。

 山中くんは人と向かい合ったとき、必ずその人の目を見て決してそらさない。それがすごく怖いのだ。

 山中くんに目を除き込まれると、何だか後ろめたいことを見透かされているような、なあなあでごまかしていることを責められているような気分になる。

 お前、それでいいのか。本当に現状に納得しているのか。別に口に出して言ったりしないけど、山中くんの鋭い目はそう言っているように見える。

 こう感じるのは私だけではないらしく、本当にいろんな人が彼を苦手としている。

 それはきっと、山中くんの堂々とした態度から生まれるものだと、私は思う。

 山中くんを嫌っている人は多いから、陰口も多い。彼もそのことは多少知っているだろうけど、だからといって周りに敵意を向けたり、卑屈にふるまったりはしない。

 良くも悪くも他人に興味がないのだろう。だからどんな時でも堂々としている。

 そんな生き方が褒められるものとは思えないけど、きっと私のそんな価値観なんて山中くんにはどうでもいいことで。

 私にはまねできないような自由が、少し妬ましかった。

 

 

 

 その日はバイトがいつもより早く終わり、少し寄り道しようと思った。

 駅ビルの地下で、ツイッターで話題のワッフルを買い、駅に向かう人の流れに沿って歩いていた。

 地上に出て歩いていると、人が何かを囲むように立っている場所があった。

 路上ライブかなと思ったが、何も音楽は聞こえなかった。並んでいる人たちは、おもしろいものでも見ているのか、笑いながら歓声をあげていた。

 腕時計を確認すると、電車を一、二本遅らせても問題のない時間だったので見てみることにした。

 人の流れを少しかき分けるのが、ちょっぴり申し訳なかった。

 人の輪に近づいてみると、なんだか気温が暑くなったような気がした。

 よく見てみると、輪にいるのはほとんど男性で、しかも筋肉質な人たちばかりだった。そんな人たちが集まって騒いでいるのだから、暑苦しいのも当然である。

 人の壁は高くぶ厚いようで、輪の中心で何が起こっているのかは、背伸びしても見えなかった。

 まわりを見渡すとベンチを見つけたので、ちょっとお行儀が悪いが、そこに立って見ることにした。

 輪の中は目を疑うような状況だった。二人の男の人がいて、ケンカをしていたのだ。

 一人は、周りにいる人と同じくらい筋肉質な男性で、もう一人の人にパンチを繰り出している。

 もう一人は、男性より少し細身で、プロレスラーがつけるような覆面をしている。

 覆面の人は自分に向かってくる拳を紙一重でよけている。だけど自分からは殴り返さない。男性から距離をとらずに、まるで闘牛士みたいだ。

 男性はこわいくらい真剣な顔をしている。太い腕が信じられないような速さで突き出されるたびに、私は自分が殴られるわけでもないのに、あのパンチが当たるところを想像して怖くなってしまう。

 それでも覆面の人は焦った様子もなくパンチをさばいていく。

 身体をひねったり、拳の下をくぐったり、滑らかで余裕がある動きだ。

 覆面の人がかわすたびに歓声があがる。覆面の人と男性、どっちを応援する声も楽しそうだった。

 私は今ここで行われているものがどういったものなのか知りたくなり、となりで観戦していた人の良さそうなサラリーマン風の人に尋ねてみることにした。

「あの、すみません」

「え?ああ、はい。なんですか?」

「あの、これって何をしているんですか」

「これは殴られ屋さんですよ。ここらでは有名なんです。」

 サラリーマンの人は、いきなり話しかけてきた私を怪しむこともなく、親切に教えてくれた。

 なんでも、あの覆面の人はお金をもらってああいう風に殴られている(実際にはギリギリでよけている)らしい。

 最初は仕事帰りの人たちがストレス発散で殴っていたらしいけど、まったく当たらないと噂になり、今では、格闘技の選手やケンカに自信がある人が腕試しに来ているらしい。

「今挑戦している人は空手で国体選手に選ばれたこともある人らしいですよ。強いんです」

 国体出場がどれほどすごいことなのか、私にはわからなかったけれど、二人の動きはアクション映画で出てきそうなほど鋭く、かっこよかった。

 生き生きと動く二人は、照明の下で輝いていた。

 拳は風を切り、二人の放つ熱気が観客にも届き増幅されているようだった。

 サラリーマンの人は、誰かに話したかったのだろうか、とても饒舌に解説してくれた。

 だけど私の耳にはまったく入ってこなかった。覆面の人の動きに見とれていたから。

 殴られ屋なんて普通じゃない。常識とかまともとか、そういうみんなが外れないように気を付けているものからずっと遠くにあるものだ。非難されることが、普通の人生よりもずっと多くなるようなお仕事だ。

 それでも覆面さんは選んだ。自分で自分のレールを敷いたのだ。

 選ぶまでにどんなプロセスがあったのかはわからない。もしかしたら不本意なお仕事なのかもしれない。

 だけど、どちらにしても、平均から外れたやり方で、こんなにも多くの人を楽しませられるなんて。

 それはきっと、すごくすごく、すごいことだと思う。

 眩しかったのは、たぶん照明だけのせいじゃなかった。

 

 

 

 いつのまにかサラリーマンの人はいなくなっていた。

 私が、何も言わなくなったからか、用事があったからなのかはわからないけれど。

 殴り合い、いや『殴られ』も終わったのか、覆面さんと男性は握手をしていた。男性は悔しそうに苦笑いをしていて、覆面さんにはケガ一つなかった。

 見物客は喝采をあげていた。中には投げ銭をしている人もいた。

 覆面さんは深々とおじぎをしながら、地面に散らばったお金を拾っていた。

 その態度が、大道芸人のようで少しおかしかった。

 今日はもう店じまいなのか、人もバラバラに解散していった。その中で、私は駅に向かう流れに乗った。

 駅に近づいたところで、なんとなく後ろをふりかえった。

 あの覆面さんは荷物をまとめて立ち去ろうとしていた。

 私はふと、あの人がどこへ帰るのか気になってしまった。

 あの変な人は、あの普通じゃない人は、どんな生活を送っているんだろう。やっぱり不良っぽい生活をしているんだろうか。それともあれは素性を隠してやっていることで、普段はマジメに生きているのかもしれない。

 もしかしたら、

 自由に生きているのかもしれない。

 気になりだすと止まらなかった。色んな想像が溢れだしてきた。

 腕時計を見ると、門限の時刻がせまっていた。

 次の電車を逃せば帰りが遅くなってしまう。

 迷っている暇はない。電車も覆面も逃してしまう。

 私は意を決して、

 人の流れに逆らう方向に走りだした。

 

 

 

 覆面さんは人気のない公園の公衆トイレに入っていった。

 あの後、私は覆面さんを尾行した。まるで探偵ドラマみたいで楽しかった。

 あの人はどんな人なんだろうかと想像すると、胸がドキドキした。門限のことなんかちっとも気にならなかった。私はちょっぴり自由だった。

 覆面さんが入った公衆トイレは出入口が一つしかない。だから少し離れたところで見張っていれば出てくるところも見えるはずだ。

 たぶん彼は着替えに入ったのだろう。あの覆面のまま帰ったら目立つし、家も見つかってしまうから。

 私は覆面さんの素顔が見たくてしかたなかった。

 だからここで根気よく待って、必ず暴いてやると決意した。

 

 

 

 スマホの画面から顔を上げてトイレの入り口を見る。何の動きもない。

 あの人がトイレに入って三十分が経ったけど、まだ誰も出てきていなかった。

「はあ...」

 ため息が漏れ出た。私は何をしているんだろう。

 ちょっと見かけただけの人を付け回して、こんなに時間を無駄にして。バカそのものだ。

 お母さんからは何件も着信が来ている。知らない人を探して遅くなったなんて、帰ればきっと叱られるだろうな。

 今日のドラマも見逃した。明日ともだちと何を話せばいいんだろう。

 ため息をついて私は立ち上がった。

 今日はもう帰ろう。これ以上時間をムダにできない。

 少し名残惜しくなり、そっとトイレを覗き込んでみようと思った。どうせ期待するようなことは何もないだろうけど、なんとなく。

 そっとトイレに近づいた。中からは何の音もしない。

 ドアのくもりガラスを覗こうとした瞬間、ドアが開いて中から人が出てきた。

「きゃあ!」

「え、うわ」

 出てきたのは男の人らしかった。たぶん覆面の人

 待ちに待った人の登場だったけれど、私は自分の行動の恥ずかしさでそれどころじゃなかった。

 異性の入ったトイレを覗きこもうとする。完全に変態行為だ。

 いやほんと何してるんだろう。バカじゃないだろうか。疲れで頭が回らなかったなんて言い訳はできない。痴女そのものだ。恥ずかしい。どうしよう怒られる。警察に通報されたらどうしよう。この人も傷ついたかもしれない。どうやって償えばいいんだろう。刑務所かな。

 羞恥や焦りで頭がぐるぐるする。うまく考えられない。

 私が何も言えずにいると、突然男の人が私の苗字を呼んだ。

「なあ、小川か?」

「え...?」

「やっぱり。何してるんだ」

 私は顔をあげた。すると、

 山中くんの仏頂面がみえた。

「何してるんだよ」

 私は何も答えられなかった。混乱している頭がさらにぐちゃぐちゃになった。

 どういうこと?山中くんが覆面の人なの?

 他にも何かを考えようとしたけど、何を考えればいいのかわからなかったし、うまく言葉にできなかった。

 私がうつむいたまま黙っていると、山中くんは私の顔を覗きこんできた。

「おい、小川。大丈夫か」

「あ、えっと、その」

 何か言わなきゃ。答えなきゃ。

 そう思って、困惑したまま私はとっさに口を開いた。

「山中くんなんで殴られ屋なんかしてるの!?危ないよ!」

「......見てたのか」

「あ...」

 今確かに、山中くんは殴られ屋をしていることを認めた。覆面の人は山中くんだった。

 彼は少し黙ったあと、いつもみたいに、重たそうに口を開いた。

「知ってどうするんだ」

「.........」

 何も。

 何も答えられなかった。

 私もどうしたいかなんて考えていなかった。

 ただ、堂々とした姿がかっこよくて。ギラギラした自由さが羨ましくって。

 知ったところで、私はどうするんだろう。自由になる方法でも教えてもらうつもりだったんだろうか。

 そんな生き方、私にはできないのに。

「さっきから黙ったままだな」

 山中くんは低い声で言った。その言葉からは感情を読むことができなかった。

 気まずさだけが積もっていった。時間が経つごとにしゃべりにくくなっていく。

 彼は私の目をじっと見ていた。

 鋭い目だ。まるで人の本質を抉り出そうとしているようだ。曖昧なごまかしを許さない目だ。

 その目が、なんだか私を責めているようで、たまらなく逃げ出したくなった。

 どうしよう。どうしようどうしよう。

 たまらなくなって叫びだしそうになったとき、山中くんが話しかけてきた。普段からは想像もできないような優しげな声で。

「なあ小川、もう晩飯は食べたか?」

「え、まだ、だけど...」

「そうか。俺もだ。こんなところで立ち話もなんだし、どっかで一緒に食べないか」

「あ、いい、よ?」

「じゃあ行くか」

 そう言うと彼はのっそりと歩きだした。

 私はちょっとためらって、山中くんを追った。







 ファミレスの席につくなり山中くんは頭を下げた。

「悪かった、怖がらせるようなことをして。すんませんでした」

「え、あの、なんのこと?」

 謝罪の意図がまったくわからなかった。謝るようなことをしたのはこっちの方なのに。

「いや、殴られ屋やってるようなろくでなしと人気のないところにいるとか、怖いよな」

「あ...」

「そんなの何も言えなくなるだろうし、俺は言い方がキツイから、その、余計に大変だったろう?」

「えと、ううん、そんなことなかったけど」

 意外だった。

 私はてっきり後をつけてた事を責められるのかと思っていた。

 私の思い描いていた山中くん像は、こんなふうに申し訳なさそうに縮こまる人じゃなかった。もっと自分の正当性を信じて毅然とした態度をとる人だと思っていた。

「詫びといっちゃなんだが奢るよ。好きなもの頼んでくれ」

「い、いいよ、悪いよそんなの」

 私は山中くんの普段とはかけはなれた態度にとまどいながら、本題に踏み込むことにした。

「...山中くんはどうして殴られ屋なんかしてるの?」

「......金が要るんだ。どうしても」

 ぽつりぽつりと、山中くんは話し始めた。

 山中家は父親がいなくて、あまり裕福ではないらしい。だから彼はバイトをして家計を助けていると言う。

 さらに、今度山中くんの妹さんが中学校に進学するらしく、ちょうど妹さんの誕生日と時期がかさなっていてかなりのお金が必要なのだそうだ。

「殴られ屋は確かに危ないけどな。そのぶん商売敵もいないし、相場とか無いからかなり儲かるんだ」

 そこで山中くんは子供の頃から続けている空手を活かしているのだと。

 語っている内容は、決して人に話しやすいような話しではなかったけど、山中くんは特に力むこともなく淡々としゃべった。

 語り終えてのどが渇いたのだろうか、彼は一気にウーロン茶を飲み干した。

「...褒められた事じゃないのはわかってるつもりだ。それでも恥を忍んで頼む。学校にはチクらないでくれないか」

 そう言った山中くんのまっすぐな目は、いつものように怖くはなかった。

 鋭さが消えて、ただ私に真剣さを訴えようとしているように見えた。

「...すごいね、山中くん」

「俺が?」

「うん。すごいよ。だってちゃんと自分の人生に向き合ってるんだもん」

 私よりずっと大人だよ。

 そう呟いた私の声は、思っていたよりもずっと弱々しかった。

 そうだ、私が彼を苦手にしていた理由がようやくわかった。

 私は山中くんが羨ましかったんだ。

 常識とか。空気とか。流行とか。

 そういう私以外の誰かが作った物に必死でしがみつくのに疲れて、そういうしがらみがなさそうで気楽そうな山中くんに嫉妬していたんだ。

 そんな考えは的外れで、蓋を開けてみれば山中くんだって自分にはどうしようもない事で苦労していた。

 それでも彼は自分の境遇に文句を言わずに、ただ黙々と向き合ってあがいていた。

 私は何をしただろう。いや、目を逸らすのはやめよう。私は何もしてこなかった。

 ただ心の中で不平不満を漏らすだけで、少しでも良くしようと行動することを最初から諦めてた。

 とんだ逆恨みだ。私は上を見てやっかみを言うだけの怠け者だった。

 自己嫌悪でいっぱいだった。

 もうご飯も食べ終わったし、これ以上みじめになる前に帰ろう。そう思って立とうとしたときだった。

「小川が何を感じてるのかはわからないけど、俺は小川のことを尊敬してるよ」

「へ...?」

「だって、小川はちゃんと人の話を聞くじゃないか」

 そんなこと、と言おうとしたけど、山中くんは私の言葉を遮るように言った。

「一学期のグループ学習覚えてるか、あの時同じ班だったろ」

「...うん、そうだった、ね」

 たしか、流れで私が司会をすることになったんだった。私は人が出したアイデアをまとめるだけで、自分の意見はなにも言わなかった。

「あの時、俺は適当にすればいいかと思ってたんだよ。俺が発言しても、場の雰囲気が悪くなるだけだろうなーって」

「そうなの...?でも、ちゃんとまじめに参加して、意見も言ってたでしょ?」

「小川が促してくれたんじゃないか」

「そうだったっけ?」

 本当に覚えがなかった。私はただ、自分の意見を言うのが怖くって。

「俺だけじゃなくってさ、他の班員にも発言しやすいようにしてたろ。どんな事言ってもさ、小川は絶対に無視しないってわかってたから、だからみんなあんなに熱心に話し合えたんだよ」

 何を、何を言っているんだろう。

 少しつかめたと思ったのに、山中くんのことがまたわからなくなった。

「小川はさ、他人を蔑ろにしない奴だよなってずっと思ってたんだ。人の意見を聞いて、尊重してさ。いい奴だなって」

「...買いかぶり過ぎだよ。私のはただの八方美人」

「かもな、でもそれって意図せずに人に優しくできるってことじゃないか?」

「そういう生き方しか知らないし......」

「じゃあ俺と一緒だ」

 はっとして顔をあげた。

 山中くんは笑っていた。いたずらが成功した子供みたいに。

「俺がふてぶてしくしてるのはさ、そうするのが一番良いって経験してるからだよ。そういうやり方しかできないんだ」

 言葉を切り、少しウーロン茶を飲んだ。

「......何というか、生き方に都合の良し悪しはあっても、優劣はないんじゃないか?小川は俺のことをすごいって言ってくれるけど、俺からしたら小川はちゃんとした、真っ当な人間に見えるよ」

「......」

「まあ、小川からしたら色々満たされないのかもしれないけど、だったらこれから改善していけばいい」

 しゃべり過ぎたな。山中くんはそう言ったきり、黙ってしまった。

 私は、ただ嬉しかった。気を緩ませれば涙が出そうなほどに。

 我ながら単純だ。ちょっと優しい言葉をかけられただけで舞い上がるなんて、ちょろい女だ。

 それでも、頭で理解していても、心から溢れてくる喜びは止められなかった。

 私はずっと自分が嫌いで。

 誰にも肯定してもらえないと思ってて。

 ずっとずっと、息苦しくて

 山中くんは、そんな私が勝手に作った殻に、いとも簡単にひびを入れてくれた。

 ほんのちょっとしたひびだけど、それがすごく嬉しくって、がんばろうって勇気が湧いてきた。

 今度は私が自分で、自分の力で殻を破るんだ。

  山中くんがそのきっかけをくれたんだから。

 

 

 

  そのあと、山中くんといろいろな話しをした。

  入学式の時のこと。私が尾行した理由。趣味、交友関係、勉強、本当にいろいろなことを。

 話しを聞くたびに山中くんの印象が変わっていった。彼は不器用な、普通の、おもしろい男の子だった。

 私が門限を破ってると聞いた時、私より焦っていたのは悪いけど笑ってしまった。

 山中くんと駅で別れたあと、家に帰ると当然??られた。まあ私が悪いから言い返したりはしなかった。

 こんな遅くまでなにをしていたのかを聞かれて、

 私は、友達と話していたと答えた。

 

 

 

 翌朝、私は寝不足の頭で登校した。

 来る途中で友達にあった。ドラマの話しはできなかったけど、別に気まずくなることはなかった。

 教室に入ろうとすると、山中くんの背中が見えた。いつもみたいにぽつんと一人でいた。

 その背中がなんだかかわいくって、いたずら心がむらむらと湧き上がってきた。

「えいっ」

「うへあっ!?」

 私は背後からこっそりと近づき、わき腹にすばやく指を這わせた。

 山中くんの奇声に教室の注目が集まる。隣の友達は私に奇行に目を丸くしている。

 ちょっと恥ずかしいけど、まあいいか。

「山中くん、おはよう」

 びっくりしたのか、彼は黙ったままだった。そんな様子が面白くて、自然と顔がにやついてしまう。

「......小川ってそんな奴だったっけ?」

「ふふ、騙されたね」

 山中くんは諦めたように苦笑いをした。

「おはようさん」

 クラスのみんなは山中くんの笑顔に驚いていた。

 私だけが笑顔を返すことができた。





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