とある勇者の話 竹原桜姫 かつて、邪神が幾千もの怪物を連れて世界を滅ぼさんとしたとき、精霊の加護を受けた勇者が立ち上がった。彼は世界中を旅して仲間を集め、幾多もの怪物を倒していった。遂には邪神をも倒し、世界に平和を取り戻した。その後、仲間たちは表に出ることもなくひっそりと暮らしているのが発見された。しかし、勇者は未だに見つかっていない。世界中に残る邪神の残党を倒すために旅に出たという噂もあるが、本当かどうかはわかっていない。 世界から魔物の気配が消えてから一週間後。まだ壊れた建物の残骸が残る広場の一角で、市場が開かれていた。薬屋とパン屋、八百屋の三件しかなかったが、人が絶えることなく訪れており、平和を取り戻したことを示していた。夕方、人がまばらになったころ、薬屋の女主人がパン屋の女主人に話しかける。 「ようやく町もにぎやかになってきたねぇ」 「ええ。勇者様たちが邪神を倒してくれたから」 「でも、あの時空を何万もの怪物が覆っていたでしょう? 怖くて怖くて......。よくあんなのを倒せたもんだよ」 「勇者様に不可能はなかったってことだ」 そこに八百屋の主人が割り込んだ。 「でも、今勇者はどこにいるかわからないっていうじゃないか。世界中の王が必死になって探しているのに何にも見つかってないっていうし」 「死んだんじゃないのかしら」 「馬鹿言うな! 勇者だぞ。今頃世界中を旅して残党狩りの真っ最中さ」 「確かに。昨日も小さいのを見かけたよ。ここも人がいっぱい死んでたから、怪物からすれば住みやすい所なんだろうね」 三人が勇者の話で盛り上がっているところに、何かの泣き声が響いた。か細く、しかし美しい歌。店の主人たちが振り返っても、何もいない。 「さっきのは気のせいだろう」 八百屋の主人は言った。 そこに、旅人と思わしき二人組が来た。一人は十歳ごろの少女、もう一人は長身の若者。二人ともフードを深くかぶっている。二人は薬屋の前で立ち止まった。小さいほうの旅人が恥ずかしそうにこんにちは、と声をかける。 「いらっしゃい。今なら傷薬も解毒剤もおまけしとくよ」 「えぇと、傷薬を五個下さい」 「はい、四十ゴールドね。二個おまけしといたから。それにしても小さいのに旅をしているのかい? 大変だねぇ。そっちはお兄ちゃん?」 薬屋の質問に、少女は戸惑ったそぶりを見せた。少女の代わりに、若者は嫌そうに答える。 「いや、兄ではない」 「そうかい。二人旅も大変だろうに。魔物に気を付けるんだよ」 「はい。ありがとう、ございました」 そうして二人の客は広場を後にした。彼らは何事も無かったかのように商売を続けた。 これは、まだ俺が幸せだったころの思い出。父と母、そして妹のカタリナの四人で暮らしていたころの思い出。 「マティア、カタリナ。もう寝ないといけないというのに、何をしているんだい?」 「そうですよ。夜更かしはだめ、といったじゃありませんか」 俺の部屋に両親が入ってくる。部屋の時計を見ると、もう十時になろうとしていた。カタリナはにこにこ笑いながら、両親にノートを見せる。 「あ、お父様、お母様。あのね、お兄ちゃんが勉強を教えてくれていたの」 「カタリナが、古代文字を教えてって言ってきたんだ。それで教えてみたらあっという間に理解して。ビックリしたよ。」 そうだ。あの日、古書を読んでいたらカタリナがやってきて、私も読みたいって言ってきたんだ。これは古代文字で書かれているから読めないぞ、って言ったらカタリナが古代文字を教えてくれって頼んで、俺が教えることになったんだ。 「あら、そうだったの。すごいじゃない」 母上がカタリナの頭をなでる。 「私、もっと勉強したいなぁ。まだ全部教えてもらってないもの」 「気持ちはわかるが、もう夜遅い。今日は休んで、また明日教えてもらいなさい」 「はーい」 妹はピンクのポンポン帽子をかぶる。大好きなピンクの寝間着とおそろいで、気に入っていたんだっけ。 「お父様、お母様、お兄ちゃん、お休みなさい!」 「お休み、カタリナ」 そうしてカタリナは自分の部屋へと戻っていった。俺も、両親に挨拶して、電気を消した。 カタリナに残りの古代文字を教えることはできなかった。 勇者が邪神を倒してから一月 。世界中の王が彼を捜していた。勇気ある若者に褒美を取らせるためである。 「勇者はまだ見つからんのか!」 「ええ。捜索からひと月立ちますが、何一つ情報は入っておりません」 家来の報告に、王は苛立ちを隠せなかった。 「彼の仲間からは聞き出せんのか?」 「三人とも見つかりましたが、わからない、と述べております」 「彼らでもわからぬのか」 「ええ。どうも邪神を倒す直前に城の崩落があり、彼以外全員落ちたのだ、と」 「わかった。引き続き捜索を行ってくれ」 「わかりました」 「......勇者、いや、王子よ。今、どこにおられるのだ...... 」 異変に気付いたのは夜中に目を覚ました時のことだった。外を見ると、遠くに赤い点が見えた。と思ったら、いきなり強い風が吹いて、壁にたたきつけられた。これはまずい、と直感した。けれど、それと同時に気を失ってしまった。 目を覚ますと、瓦礫に埋もれていることに気が付いた。日が昇っていて、瓦礫の隙間から光が差し込んでいる。やっとの思いで抜け出すと、辺り一面焼け野原だった。俺はその場に崩れ落ちた。目の前の光景が信じられなかった。 「誰か無事なのか捜さないと」 どれぐらいたったか、ようやく立ち上がり、皆を捜して歩き出した。 皆はすぐに見つかった。父は下半身が無くなっていた。母は体を真っ二つにされていた。妹は串刺しで見つかった。親友のトマスは両手足と首が無くなっていて、捜しても見つからなかった。結局、俺以外皆死んでいた。怪物が、邪神が俺の全てを奪っていった。国、民、親友、家族。残されたのは、邪神への復讐だけだった。 空には、昨日までなかった黒い城が見えた。 僕が勇者マティアと再会したのは、実に二月ぶりの事でした。勇者の旅に僧侶として同行したのですが、邪神との戦いの最中、いや、とどめを刺す直前に城が壊れてしまい、勇者と邪神を残して皆地上に落とされてしまったのです。何とも情けない。邪神の気配は消えたのですが、勇者は一向に現れない。だから、僕は神に祈ってきたのです。彼の無事を。そしてそれは見事に叶ったのですが......。 「心配をさせてすまない」 目の前にいる彼の姿は、まるで抜け殻のようでした。きちんとやり取りはできるし、時折笑顔を見せていました。しかし、何か、変なのです。 「勇者様? ......無事だったのですね。今まで何をされていたのですか? 精霊は?」 僕は、矢継ぎ早に質問をしてしまいました。勇者もさすがに戸惑っています。 「まだ、言える状況にない」 ......本当は、分かっています。貴方には言ってなかったけれど、実は、仲間に加わるときに透視の力を授かっていたから。精霊はもう存在しないことも、貴方が、まだ邪神への復讐に囚われていることも。そして、今の旅の同行者のことも。 「そうですか。ところで、何か用事でもあったのですか?」 「いや、ただ寄ってみただけだ。すまなかったな、邪魔をして」 彼はそれだけ言うと、早々に立ち去ってしまいました。入り口にいる同行者も、きっと待ちくたびれているでしょう。 勇者マティスに神の祝福があらんことを。 あの日以来、俺は怪物を殺し続けた。幸いなことに怪物は何万といたから、どれだけ殺してもいなくなることはなかった。奴らを殺しているときが、一番幸せだった。あの日のことを、死んだ皆のことを思い出さずに済むから。 精霊に出会ったのは、いつものように怪物たちを殺した後の事だった。 「醜いものだな。人間の憎しみは」 肩口にできた傷を手当てしていると、すぐ近くから声が聞こえた。姿はどこにも見えない。 「顔も出さないような奴に言われたくない」 俺の言葉を、精霊は鼻で笑った。 「我は『精霊」として崇められておる。お前のような復讐鬼の前にやすやすと姿を見せるものか」 「貴様に何がわかる! 家族を、国を、民を失った気持ちなど!」 精霊は何も言わない。 「俺はすべてを失った! 奴らのせいでな。この手で皆殺しにしてやるんだ......」 「そうか。では邪神も倒すつもりなのだな?」 「当たり前だ。」 ほう、と精霊が答えると、俺の目の前に姿を現した。腰まである金の髪、くりくりとした青い瞳、整った顔立ちに、思わず吸い寄せられそうになる。 「なぜ、姿を見せた?」。 「あんな奴を倒そうとする命知らずを初めてみたからだ」 「俺も、こんな変な精霊は初めて見た」 精霊はそこで初めて顔をしかめた。面白くない、といった表情だ。 「まあいい。こんな奴に死なれては気分が悪い。我が特別に同行してやる。感謝するがよいぞ」 「え、ちょっと待て。何故 」 「何故付いてくるんだ、か」 「なぜわかった?」 「心を読むぐらい造作もない。......最も、今のは読まなくともわかったがな」 こうして彼女との旅が始まった。誰かと話すのは久々だった。 私は、人間の魂を糧に生きてきた。生まれた時から、ずっとだ。犠牲がないと、生きていけなかった。私は人間のことが大好きなのに。いつしか人間は、私のことを「邪神」と呼ぶようになった。けれど、私には力がなかった。魔法も使えないし、腕力も人間の子供と同じぐらい。できることといえば、大嫌いな怪物に命令することと、殺した人間の体を魔物に変えることだけ。 苦しかった。人間と遊びたいだけなのに、近寄るだけで死んでしまう。周りの怪物が殺してしまうからだ。人間は殺すな、と言ってもそれだけは聞いてくれなかった。仕方ないから人間の死体を魔物に変えて遊んでいたけれど、お人形遊びと何も変わらない。すぐに飽きた。何で私は生まれてきたんだろう。お姉さまみたいに、皆から崇められる「精霊」になりたかった。そうすれば人間とも仲良くなれたのに。 死にたい、死にたい、死にたい。考えに考えて、ようやくいい方法を思いついた。人間に殺してもらえばいいんだ。たくさんの人間を殺せば、きっと誰かが殺しに来るはず。今までは同時に十人ぐらいしか殺さなかったから誰も来なかったんだ。たくさん人間が死んじゃうのは嫌だけど、私が死んだら問題ない。まずは人間を殺すでしょ。そしたら、大きな大きなお城を作って、そこに逃げ込むの。そうすれば、見つけやすいでしょ。さてと、どの国の人を殺そうかな。 邪神を倒したらどうしよう、ということは全く考えていなかった。あの時の俺は本当に愚かだったのだ。冒険の最中、仲間たちは口々に自分の夢を語っていた。戦士は、殺された王の仇を取った後、元の国に戻って国を立て直したい、と言った。魔法使いは、孤児院を作って親を殺された子供たちを育てたい、と言った。僧侶は、教会に戻って死者のために祈りを捧げたい、と言った。俺は何もない、とは言えなかった。漠然と、故郷を復興させたいとは思っていたが、今はその資格すらない。 「邪神を倒せば、怪物たちをみんな倒せば、お前は空っぽになるな」 冗談か本気かわからないような口調で、精霊はこう言ったものだった今ではその言葉の意味がよくわかる。 結局、俺は罪を償うことにした。家族を、みんなを殺した罪を。精霊を殺した罪を。そして、自分のために邪神を殺さなかった罪を。永遠にみんなと会わないことで。 「貴方は聖なる石に生命が宿ったもの、でしたよね」 邪神を倒す旅の最中、仲間に加わった僧侶が精霊に尋ねた。 「ああ、その通りだ。我は元々邪悪なものを苦しめる石だった」 精霊は自慢げに答える。それを聞いた魔法使いが何かを思い出したようだった。 「そういえば、精霊が宿った石は不老不死の力を持つ、と私の一族では言い伝えられていましたわ。だから、かつての人々は精霊を殺して、その石を手に入れようとしていた、と」 その一言に精霊の表情が変わる。 「余計なことを言いおってからに。お陰で昔のことを思い出したわ! あんな人間どもに二人で追いかけまわされて......。昔は力が弱かったから大変だったのだぞ」 「二人......? ほかにも精霊がいたのか?」 そう呟いたのは戦士だ。しばしの間、精霊はうっ、と言葉を埋まらせた。 「......あやつが勝手に我のことを姉呼ばわりしただけだ。種族も、力も全く違う。似ているのは姿だけだった」 それだけ言うと、精霊は姿を消してしまった。 ごめんなさいごめんなさいたくさんの人を殺してごめんなさい。勇者様、許してください。お姉さま、殺してごめんなさい。苦しいです痛いです。 私は毎日謝っています。勇者様も毎日謝っています。だから助けてください。殺してください。あの人に安らぎを与えてください。 空中に浮かぶ邪神の城で、ついに邪神との戦いになった。その姿は精霊を髣髴とするものだった。彼女の方が幼い姿だったが。攻撃も怪物を呼んで攻撃させるだけ。俺たちは戸惑いながらも、奴を追い詰める。 「これで終わりだな。邪神も、我らの旅も......。全く、面倒だったわ」 精霊の文句とも、もうすぐお別れか。俺は最後の一匹を片付け邪神の元へ向かう。 と、その時、何かが現れた。幾千もの魔物たちだ。 「まだ残党がいたとは!」 「奴らを倒さないと、何があるかわからないわ」 「ここは僕たちに任せて、貴方たちは邪神にとどめを!」 仲間たちに言われて俺と精霊が邪神の元へと急ぐ。そこに、目の前に魔物が現れた。よく見ると、上半身しかない。父の姿を思い出し、一歩後ずさる。その隣には二体の魔物。よく見ると、そのうちの一体はフリルのついたピンクの布と、ポンポン帽子を身にまとっていた。俺は気づいた。あの布は、あの日カタリナが着ていたものだ。まさか、あれは、あの魔物たちは 。 俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。家族を殺すなんて、俺には、無理だ。父だった魔物が剣を振りかざしているのは分かったけれど、避ける気力もなかった。 次の瞬間、目の前に精霊が来た。その体に剣が突き刺さり、彼女はその場に崩れ落ちる。彼女はそれきり動かなくなった。 そこに魔物が大量に襲い掛かってくる。家族だったものも容赦なく殺そうとしてくる。俺は反射的に武器を握った。そこから、しばらくは記憶がない。 気が付くと、城の半分が崩れていた。仲間の姿も、魔物の姿もない。そこにいたのは、俺と邪神、そして、精霊の亡骸だけだった。邪神はどこか嬉しそうに歌を歌っていた。俺は奴には目もくれず、精霊のところへと駆け寄る。もう、雪のように冷たくなっていた。すると、彼女の亡骸がいくつもの石に変わった。 これが、彼女の、形見。聖なる石。あそこにいるのは、彼女とそっくりな邪神。そうか、俺がすべきことは......。 とりあえず、俺は石を一つ拾い、胸に入れ込むことにした。 勇者様は現れた。仲間たちと精霊 お姉さまを連れて。あの人はあっという間に私を倒したわ。あとはとどめを刺されるだけ。けれどもその時、魔物がたくさん出てきたの。私は懸命にやめてと叫んだ。けれど、誰一人聞いてくれなかった。皆必死に闘った。勇者様以外は。彼だけは茫然と魔物たちを見つめていた。きっと気づいていたのでしょうね。魔物が自分の家族たちだってことに。そんな彼に魔物が容赦なく襲い掛かった。けれど、死ななかった。お姉さまがかばったから。お姉さまは崩れ落ちて、そのまま動かなくなった。それを見た勇者様は狂ったように暴れ始めた。あっという間にみんな倒し終わって、私の前に来た。と思ったら、全身に激痛が走った。 体を見ると、石のようなものが埋め込まれていた。勇者様の仕業だ。石からは絶え間なく歌が聞こえる。彼は何かを言っていたけれど、私は何も聞けなかった。 「勇者、様。私を、殺して......」 「断る。死ぬには罪が重すぎる。殺された民が、俺の家族が、そして精霊が貴様を許さないだろう。救いはないと思え」 嫌だ! 許して、殺して! もうしないから! どれだけ叫んでも勇者様は剣を抜かなかった。 俺は邪神を殺さなかった。奴には永遠に苦しんでもらわねばならない。そして、家族たちを殺した、この俺も。 もう奴に邪悪な力は感じない。邪神としての力はこの戦いで失われてしまったようだ。俺は、残された石を彼女の顔と体に埋め込む。耳障りな悲鳴が上がり、殺して、殺してと子供のように泣きじゃくった。 「俺に着いてこい。償いのためにな」 石だらけの醜い顔になった邪神は、ピクリとも動かなかった。服の襟元をもって、引きずるように連れていく。城はまだ空に浮かんでいて、落ちる気配はなかった。大地は遥か下の方。俺は邪神を抱え、飛び降りる。あっという間に地上についた。傷一つなかった。 これで良し。俺はニヤリとした。これで永遠に苦しみ続ける。邪神も、俺も。邪神を倒さなければ俺の旅は、復讐は永遠に終わらない。償いも、永遠に終わらない。だから、これで、いいんだ。俺の心は償いと復讐で満たされている。もう空っぽじゃない。 俺は邪神と共に歩き出した。行き先は決めなかった。時間は腐るほどあるのだから。
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