卒業前カップルの日常的誠実

リリス




:二月四日 僕:

 彼女は回転していた。

 僕が彼女と出会ったのは大学二年の時。

 ある授業の、実験で使用した部屋に彼女がいた。

 一目惚れだった、と思う。

 彼女は大きなプロペラだ。よく、テレビの企画なんかで暴風を発生させる時に使われる巨大な扇風機が彼女だ。彼女の大きな体も。流曲した羽も。大胆な動作も。吐き出す風も。

 全てが愛しい。

 あの出会い以降、僕は何かある度にその実験室に出向いた。

 三年に上がり、卒論について考え始めようか、なんて皆が相談しだした時、僕はすでにその実験室でできる内容でテーマを決定し、それ以来、ほぼ毎日その部屋で過ごしている。卒論に手を付けだしてからというもの、下宿しているアパートで寝るよりも、彼女の横で寝ることが多くなった。今では僕のことを、この部屋の主と呼ぶ後輩もいる。

 僕としては主ではなく夫とか旦那みたいに言ってもらった方が嬉しいのだけれど。

 これだけ毎日熱心に卒論していると、きちんと卒論の提出期限に間に合うように完成するものだ。早々に提出してしまうとこの部屋から出なければいけなくなる。要は彼女から離れなければいけなくなるので、まだ提出はしていない。

 だけど、それもあと一か月もすると、提出期限がやってくる。あと少しで卒業ということだ。もうすぐ彼女と別れなければならない。

 僕は卒業できるのだろうか。

:二月二十一日 俺:

「え、本当に留年なの?」

「そんなに怒った風に言わないでよ。少し単位を落としただけ。君は一年早く社会に出る。俺は一年遅い。それだけだよ」

「ありえない......。あなたはいっつもそう。大してできもしないくせに、余裕ぶって」

「ごめんて。ちゃんと来年卒業するから。そしたら結婚しよう」

「......分かった」

 嘘だ。俺は結婚する気なんてない。誰がこんな面倒くさい女と結婚するものか。そもそも結婚自体が面倒くさいのに。

 でも、まあ相手には結婚する気でいてもらおう。結婚するって言っておけば、こいつから俺を捨てることは無いし、大事にしてくれる。俺のわがままを通せる。

 全く便利な女だ。

 それを見た女は席を立って台所へ行く。

 どうやら、夕食を作るようだ。

 特に料理が上手い女ではなかったが、黙っていても食事が出てくるので、文句を言ったことは無い。

 ぼんやりしながら待っていると、煙草を二本吸い切ったくらいの時に料理が出てきた。仕事が速いところは女の数少ない長所だ。

 今日はカレーか。

 匙ですくった一口。

 いやに甘口な気がした。













:二月二十日 私:

「主、相談があるんです」

「何かね、後輩君」

「六十キログラム程の生ゴミを人に気付かれないように処理するためにはどうするのが良いでしょうか」

「ふむ......。生ゴミというは、腐敗すると強烈な異臭がするので気付かれないようにというのは難しいですね。強い酸で溶かしてしまうとか、一か月程煮込んでスープにしてしまう、とか」

 その方法を具体的に想像した私は、さすがに少しばかり吐き気を覚えた。

 彼が私と結婚する気が無いのは感づいている。その割、私と別れる気が無いのだ。これまでも、何度か別れを切り出したが、結局彼はいつも、結婚などといった甘い言葉で私を繋ぎとめてきた。

 全くいい加減にしろってことだ。

 こんな話を私が尊敬する主に相談するのも失礼な気がするものの、主は嫌な顔一つせずに相談に乗ってくれる。

 主はいつも研究にひたむきに向かい合っている。主の研究は、すぐに世間に役立つようなものではないが、そのような研究こそいつか大きく実を結ぶ。

 主の浮ついた噂は聞いたことが無い。まさに研究一筋。

 彼も主みたいに何かに、一筋でまっすぐな人なら。欲を言えば、それが私だったら。

 こんな結末にはならなくて良かっただろうに。











:二月二十九日 僕:

 他の人より少し早めに卒論を提出した僕は、部屋の片付けをしていた。

 最近、後輩のやる気がすごい。おそらく、あの彼氏と別れたからだろう。六十キログラムの生ゴミの相談は冗句だと信じつつ。

 とはいえ後輩が彼を殺害しても何も不思議ではない。

 彼は、まあ、控えめに言ってもひどい男だった。

 これから社会に出たら、僕も、そういうひどい人に出会うこともあるだろう。

 僕は大好きな彼女を磨きながら考える。

 社会に出たくない。だけど僕は、彼女と別れたくない。いっそ、彼女と一緒に死ねたら、なんて素晴らしいことだろう。

 その閃きは、刹那僕の全身を支配した。

 僕は彼女の羽を回す。最大風力になるように。

 何故もっと早く気付かなかったのだろう。

 彼女の後ろに回り込み、動作中は決して開けてはいけない扉を開ける。

 僕がこの行動をして終わった時。

 きっと彼女は廃棄されるだろう。

 そうすれば僕は彼女と一緒に死ねる。

 ああ、素晴らしい卒業。

 誰にもさよならは言わずに。

 僕は彼女の中に飛び込んだ。



:三月一日 新聞:

 昨日、〇〇大学の学生が研究室で死亡していたことが判明しました。

 彼は卒業後の就職も決まっており、遺書も見つかっていないため、警察は事故死として捜査しています。

 大学側は原因を究明した後、会見を開くとしています。



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