再会の雨音

みのあおば








 おはよう。今日もいい目覚めだ。身体が軽く、すっくと起き上がれる。海外の観光地で買った分厚い枕がほんのり湿っている。

 掛け布団を捲って三つ折りにする。敷布団も畳んで、その上に掛け布団を載せた。万年床を避けカビの繁殖を防ぐ知恵だ。

 朝目覚ましをかけると身体のリズムを無視して無理やり起きることになるため、健康上よくないと考えている。そのため何のアラームも用意せず就寝しているが、これが案外問題なく起きられる。ポイントは、毎日の就寝時間と起床時間を一貫させること。加えて、眠りにつく前に「明日は七時半に起きるぞ」などと自己暗示をかけることだ。アラームよりも暗示をかけた方が、時間通りに、そしてすっきりと目覚められる。高三の受験期から実践している私なりの起床法だ。

 顔を洗いトイレに行って、食パンをトースターに入れて服を着替える。テレビをつける気分にはならなかったので、画面は真っ暗のままで炬燵に入る。テレビ画面に反射する自分の姿を見てふと落ち着かなくなり、とりあえず入学時に買ったパソコンを開く。今度はパソコンのディスプレイに反射する自分と目があったが、気にせず電源を付けた。

 左手で食パンを持ちながら、右手でマウスを操作する。メールの受診ボックスをチェックして、ファイル共有サイトから授業で使うレジュメをダウンロードし、印刷して鞄に突っ込んだ。

 寝ぐせのついた髪を整え、歯磨きを始める。歯磨き粉はあまり好きではないのだが、慣れてしまえばそれほど嫌なものでもない。ただ口に残ってしまうとやはり気になるので、しっかりうがいをして洗い流す。教科書や折り畳み傘など持ち物を確認してから、靴を履いて玄関を出た。

 家を出ると同時に、近くの踏切を通る電車の音が聞こえた。うちのアパートは目と鼻の先に線路が走っており、電車の走行音と踏切の警報は結構な騒音だが、どちらも慣れてしまえば大したことはない。扉にちゃんと鍵をかけ、自転車に乗って学校へと向かう。



◇



 空は重々しく灰色の雲を広げ、アスファルトは色濃く湿っている。昨晩少し降ったのだろう。

 家を出た後、何か忘れ物をした気がして一度戻った。時間には余裕をもって登校していたのだが、戻ったせいで遅刻が危うい時間帯だ。鍵を開けて部屋の中に入り、何か忘れていたものはないかと探しまわってみる。しかし、結局何も忘れていなかったようだ。部屋を出て、改めて自転車をこぎ出したが、そのときふと線路の方から視線を感じた気がした。しかし、思春期特有の自意識過剰だろうと一蹴し、振り返りもせず再度学校へと出発した。



◇



 お昼を過ぎたあたりから雨は激しさを増していった。教室の中にいても、屋根に打ちつける雨音が気になって授業に集中できない程で、今日の雨は一日中やみそうになかった。



◇



 帰りは歩くことにした。それほど学校から遠い住居ではない。自転車は大学の駐輪場に停めておいて、また晴れた日にでも回収すればいいだろう。

 どうやら徒歩で帰るといつもとは違うものが見えてくるらしい。そもそも自転車に乗っている時には景色なんて見ようともしていなかったのだろう。雨粒を垂れ流す傘越しに見えるいつもの通学路は、今の私にとっては初めて見る景色のように感じられた。

 ふと気づくと、そこにはお墓があった。百から二百基はあるだろうか。少し盛り上がった土地に密集して置かれてある。この下で眠る者たちは、長い年月をかけて土地を開発し、ここで生活してきた人たちなのだろう。いつの時代の人びとも、それなりにがんばって生きているはずだ。私もまた、ある時代をそれなりにがんばって生きている者の一人である。同じ土地で、異なる時を生きた人びとに多少の親近感を覚える。うーん、私もあのような石の下に入るその時まで、精一杯できることをやって過ごしたいものだな。

 下校時の道すがら、墓に着目することで何かいいものを感じ取れた気がする。雨の中、歩いて帰るのも悪くない。

 住宅地を歩いている間、たくさんの自転車が私を抜き去った。ほとんどが片手で傘をさして運転する者たちで、彼らが墓石に入るのは私に比べてどれほど早いのだろうかと考えた。しかし、案外そう変わらないのかもしれない。人が木箱の中で焼き葬られるその時を、少しでも早めるためにできることと言えば、危険な道路交通を行うとか高いところから飛び降りるとかいろいろな方法があると思う。しかし、一番多い要因は悪性新生物や心疾患といった内的な病気だろう。私たちは、死に向かって多少の駆け足をすることなら可能であるとは言え、ただ普通に生きているだけでも着々と死に近づいているのだ。特別な人などそういない。自転車をこぎながら、スマホと傘で両手を塞ぐ彼女も、両耳をイヤホンで塞ぐ彼も、そして私も。終わりの時までに過ごせる時間は、大して違いないのかもしれない、とも思う。

 家に帰り着く直前、踏切を横断するとき、向こうの線路上に子どもたちの姿が見えた。傘をさしていないのでおかしいなと思ったが、そもそもあそこには踏切がないのでかなりおかしい。どうしたものかと思ったが、前を見ずに歩くのも危ないと思い一度視線を外す。そして再び線路の方を確認すると子どもたちは姿を消していた。走る電車によって消されてしまうよりよっぽどましだが、なんだか私にだけ見えていたような気がして、少し胸騒ぎがした。他の人たちは皆自転車で走行していて、周りなど見ていない。私だけが今、この世界を観測しているのか。別に望んでもいないことだ。

 もはや余所見することはやめ、揺れる自分の傘と雨粒の跳ねるアスファルトだけを見て私は歩き続けた。



◇



 下宿のアパートに帰り着くと驚いた。玄関のドアノブに鍵が刺さったままになっているのだ。いつも鍵を入れている財布の中をまさぐってみたが目当てのものは見つからない。朝に家を出てから今はとうに夕刻。やはり鍵を刺したままにして一日過ごしていたということか......。しかし鍵がなくなっていなくてよかった。予備を持っておらず、鍵はこの一つしか作っていないため、これが紛失すると非常に困るのだ。合い鍵を一つでも作っておいた方がいいかもしれない。

 自分の間抜けさに唖然としながらも鍵を抜き取り、扉をそっと開ける。鍵は誰にも抜き取られていなかったわけだし、まさか空き巣に入られてはいないと思うが  。

   ここで再び私は驚くこととなる。玄関に自分のものではない靴があったのだ。そして部屋の奥からは自分のものではない足音が聞こえてきた。私はその場に立ち尽くすことしかできない。玄関から続く廊下の先、部屋の扉が開かれ、それは姿を現した。何か、口から音声を発しているようだ。

「久しぶりだね。ねえところで、その右手に持っているの、何だっけ?」

 私は右手に鍵を持っていた。先ほど玄関のドアノブから抜き取ったこの部屋の鍵である。

「これ、何か分かるかな」

 そう言って見せられたのは、私が今持っているものと瓜二つの形状をした銀色に輝く人工物だった。

 目の前の人間は、高三の受験期に入る前に別れたはずの、かつての恋人。なぜここにいるのか、大学も土地も違うはずだ。そしてなぜ鍵を持っているのか、私は一つしか作っていないはずなのに。

 彼(か)の存在は、自身が持つ鍵と私が持つ鍵とを見比べて、こう言った。

「  同じだね」

 私の部屋ではある存在が笑顔を見せて直立している。生きている間に見てはいけないものを見てしまった気がした。





おわり



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