時計錠(clock rock) 内藤紗彩 正直、これを私の作品として記すのはあまりにおこがましい気がする。私がやったことと言えばただ彼が面白おかしく話した事件を、記憶を頼りに文字に書き留めただけなのだから。でも彼に文才は無いし、なにより脚色された文章なんぞに興味すら抱かないだろう。よって何も問題は無いわけだ。 彼。名を難方(なんぽう)禄舎(ろくしゃ)という。なんでも咄嗟に思いついた偽名だそうだ。彼はそれをひどく気に入ってずっと使い続けている。以前、私が呼びにくいと言うと笑いながら、ロックでいい、そのほうがかっこいいだろ? と得意げな顔をしていたのを覚えている。 彼とは家がお隣ということもあり、なんだかんだ一緒にいることが多い。よって思い出も事件も多いわけだが、ここに書くのは、いつだったか私が彼を万国時計博覧会に連れて行った時のことだ。最も、私はその日のほとんどをベンチで寝て過ごしたようであり、何も覚えてはいないのだが。 やっちまった。手に付いた真っ赤な汚れを洗い落としながらこれからのことを考える。正直に話すか。いや、それは嫌だ。怒られるどころではすまないだろう。なら、ばらしてどこかに隠そうか? それも難しい。なにせあれは自分の体より大きいのだ。それに目撃者だっていないとは限らない。あぁ、今迷っているうちに誰かが見つけて人を呼んだりしたら! 流れる水が紅から桃色へ、次第に透明に変わるにつれて段々と気持ちも落ち着いてきた。よし。一旦戻ろう。あれをそのまま放置しておくのは危険だ。とりあえずブルーシートでも掛けて隠しておけばいい。ハンカチはさっき使って汚れていたので、ズボンで念入りに手を拭いた後、パチンと頬を叩いて公衆トイレを出る。途端に誰かに呼び止められた。 「ねぇ、ちょっといいかな?」 警官の笑顔とは対称に俺の表情は凍りつく。 「もしかして、あそこにあったペンキ塗りたての時計台に触っちゃったの君?」 しまった。服についた染みまでは気が回らなかった。俺は罪を認め自首することにした。 話し始めて分かったのだが、どうやら警官は俺を捕まえに来たのではないらしい。要約はこうだ。時計台の近くの花畑で人が倒れていた。手掛かりと言えば現場に不自然に残された懐中時計のみ。指紋は無し。針が二時を指して止まっていることから、それが犯行時刻と予想された。事件は難航し警察もほとほと手を焼いているようだ。何か知っていることはないか、と。まぁ、俺には何の関係もない。ただただ徒に時間を無駄にしただけだった。こういう時は素直に謝っておくに限る。 「時計に触っちゃってごめんなさい。僕それ以外は何にも知らない」 「そうか。正直に言ってくれてありがとう。次からは触っちゃだめだぞ」 「分かった」 「じゃあ気をつけてな」 「はーい」 ふう。とりあえず疑いは晴れたようだ。きちんと謝ったし、一件落着ってとこか。戻ったらおじさんに話してあげよう。きっと許してくれるはずだ。いや寧ろ褒められるかもしれないな。 なかなかどうして面白かった。本人は解決したつもりだろうが、警察にとってはいい迷惑だったに違いない。まぁこの子に悪気は無いだろうし、確かに正直に謝っている。警察がその言葉をどう捉えたかは知らないが。きっと鍵かなんかが付いていてうまく開けられなかったのだろう。精密ゆえに無理にこじ開けようとして止まってしまった。彼はペンキの付いた手で触ってしまい、汚したことを悪く思って咄嗟にハンカチで拭いたようだが、まさかそれが犯行時刻を狂わせるなんて思いもしなかったろう。 全く、ガキってやつは何をしでかすか分かったもんじゃないな。今頃どこかで誰かが感謝してるだろう。
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