少年と魔女 随二 とある村では、古来よりこう言い伝えられている。 ――村外れの森には近づいてはいけない。そこには不老不死の魔女が棲んでいるから―― 1 真夜中、少年は駆けていた。魔女の森へと続く道を。少年はひどく痩せて、傷だらけであった。 魔女の森の入り口で、少年はついに力尽きた。そこへ、一つの影が近づいてきた。 森に棲む魔女であった。 少年が目を覚ますと、そこは小さな山小屋のようであった。大きな薬棚があり、草の匂いがしている。 「ああ、気がついたかい」 そう言って声をかけてきた女性は、すらりと背が高く、足下まである丈の長いワンピースを身にまとっていた。 しばしぼんやりとしていた少年であったが、ここに至るまでの経緯を思い出し、はっと女性の顔を見上げた。 「あなたが、魔女......?」 女性はふうっと息を吐く。 「魔女、ね。まあ、確かにそう呼ばれているようだね。名前はナターシャ。お前は?」 「......フィル」 「そう、フィル。それで......」 すっと顔から笑みが消え、声音が低くなる。 「何がお望みだい?」 その顔は、人々に恐れられる魔女そのものであった。 「......ぁ」 本物の魔女を前にして、少年は息をつまらせる。するとその様子がおかしかったのか、魔女はふっと顔を緩ませた。 「ははっ! 別に取って食いやしないよ! 内容によっちゃ、聞いてやらんでもないから、ほれ、言ってみな?」 少年はしばし黙ったままうつむいていたが、意を決したように、魔女の目を真っ直ぐに見つめ、言った。 「お母さんを......死んだお母さんを、生き返らせてほしい......!」 魔女は、静かに少年を見つめ返した。そして、少年の真剣な眼差しを受けながら、悲しげに告げる。 「すまない。それは、できないんだ」 「......どうして?」 「私は、魔女なんて呼ばれちゃいるが、おとぎ話に出てくるような魔女ではない。魔法だとか、魔術だとかが使えるわけではないのだ......。ただ、人より長く生きているだけ。だから、すまない」 少年は黙って立ち上がり、小屋の外に出た。ただ、その場に立ち尽くしていた。 魔女はただその背中を見つめていた。 「ナターシャ、ぼく......」 少年は魔女の方を振り向きながら、何かを言いかけて、また地面を見つめた。 その目は涙で濡れて、光を反射していた。そのまま、再び魔女に背を向けようとした少年の手を、魔女は思わず握った。 「なあ、お前、行くとこがないんだろう? うちで暮らしたらどうだ?」 少年はあまりの驚きに、目を丸くして魔女を見上げる。魔女の方も、ぱっと手を離し、バツが悪そうに目をそらす。 「いや、その、あれだ。ちょうど助手がほしかったというか......そういうやつだ。だから......」 「あの......」 今度は少年が、魔女の手を両手で、控えめに握った。 「ありがとう、ございます。よろしく......お願い......しま......」 緊張が解けたのか、少年は魔女の方へ倒れ込んでしまった。魔女はそれを優しく受け止め、小屋の中へ連れて入った。 それはまるで、子を抱く母のようであった。 2 翌朝、少年がいた屋敷では、彼の行方を巡り騒ぎになっていた。 「アレはどこに行ったんだ! 屋敷中を探せ!」 「まったく、やっと引き取り手が見つかったというのに、どうして今日に限って......!」 周りに当たり散らしながら屋敷を闊歩しているのが、この屋敷の主人と、その夫人である。夫人は、少年の叔母にあたる。 「面倒ごとを押しつけて、勝手に出て行って勝手に死んだ親が親なら子も子ね」 ぼやく夫人を尻目に、使用人たちによる捜索は続いた。しかし、見つからない。 「本日午後にはお見えになる予定なんだぞ。いくらアレを引き取ろうっていう物好き夫婦でも、実物がないなんてことがあっては我々の面目が立たない! 屋敷の外まで範囲を広げてなんとしてでも見つけろ!」 「だ、旦那様!」 うろたえながら、使用人の一人が駆け寄ってきた。 「その、ご夫妻なのですが、本日、予定よりも早く着きそうだとのご連絡が......」 「なんだって!」 「いやあ、悪いね。妻が早く早くと急かすものだから」 「ちょっと、あなただってずっとそわそわしていたじゃない。......はっ、失礼いたしました」 予定よりもずっと早い、午前中にたどり着いてしまった彼らは、ミラー夫妻である。夫・アランは屋敷の主人と親戚関係にある。 「ああ、本日は遠いところからわざわざ......」 「ところで、早速だけど例の子に一目会いたいのだが」 時間稼ぎのためのささやかな努力もむなしく、本題に入らざるを得なくなった。 「それが......大変申し上げにくいのですが......」 「まさか、亡くなって......」 ミラー夫人が割って入った。 「いや! 生きてはおる、はずなんだが」 「行方不明、といったところか?」 今度はアランが続ける。 「そう、いうことになりますな。いやはや、いったいどこに行ったのやら......」 「笑っている場合ですか」 ぴしゃり、とミラー夫人が言い放つ。 「......これは失礼をいたしました。こちらの管理責任であったのに、まずはそれなりの誠意を、ということで......?」 「そういう問題ではありません。子供が一人いなくなっているんですよ?」 「まあベティ、気持ちはわかるが落ち着きなさい」 アランはすかさずミラー夫人をなだめつつ、屋敷の主人を責める。 「お前のことだ。子供だろうが何だろうが、使えるか使えないか、そんなことしか考えていなかったんじゃないか?」 「......確かに、アレはとことん使えなかった。だからいなくなったところで私たちに直接の損失は......」 がたん、と音を立て、ミラー夫人が立ち上がった。 「失礼、いたします」 ミラー夫人はそのままその場を後にした。 「ベティ! ......悪いが、私もこれで失礼する」 アランも彼女を追ってその場から去って行った。 「ベティ、待て......」 「噂通りのひどい人物だったわ! 一人の子供を物みたいに......!」 「ああ、すまない。不快な思いをさせてしまった」 「それはあなたが謝ることではないわ。ただ......」 「そうだな、放っておく訳にはいかない」 「あんな人には、任せておけない」 こうして、ミラー夫妻らによる捜索が始められた。しかし、魔女の森まで捜索が及ぶのは、もっと後になってからであった。 3 森の外では少年を探すための捜索部隊が結成されているとはつゆ知らず、少年と魔女は穏やかな時を過ごしていた。 「ふふっ」 「どうしたの?」 「いやな、こうして人と一緒に暮らすというのは、久しぶりだなあと思ってな。幸せをかみしめているのさ」 明るく話す魔女であったが、そこに含まれた気持ちを、少年は察知していた。 「寂しかった?」 「寂しかった、かもね。私は、人より長く生きている。正確に言うなら、人より年をとるのが遅いんだ。だから......って、何その顔」 魔女の顔を凝視していたのを指摘され、少年は照れくさそうに笑う。 「えっと、ごめんなさい。あの......ナターシャは、ほんとはいくつなのかなって」 魔女も、少年につられるように笑った。 「歳は、忘れてしまったなあ。二十歳くらいまでは、普通の人と同じように年をとっていたから、ちゃんと数えていたんだがなあ」 「じゃあ、人間の歳でいうと、そうとうおば」 少年が言い切る前に、ぺん、と頭をはたいた。 「ともあれ、長く生きてると、いろんなことを経験するし、いろんな知識を得る。そんで、こんな暮らしをしているというわけさ」 魔女は、森の中で自給自足の生活をしている。そして、様々な薬草から、薬を調合している。その薬を街に売りに出て、生活に足りない物を買い足すこともあるという。 「ふうん......。じゃあ、みんなから離れて暮らしているのは......?」 「考えてもみてごらんよ。周りは普通に年をとっていくのに、私だけ若いままなんだよ? 周りの人にとっては気味悪いし、私だっていやだよ。......だから、ひとりが調度いいのさ」 さて、と魔女が立ち上がる。 「今日も働きますかね。フィル、お前は草取りを......じゃなくて、家の周りの落ち葉を集めといてくれ」 「......」 何か言いたげな少年の表情を見て、魔女は意地悪そうに言った。 「また、育てていた薬草やら野菜やらを引っこ抜かれては、困るからねえ」 「あっ......それはその、ごめ......」 少年は先日の草取りでの失態について、慌てて釈明をしようとする。 「冗談だよ。フィルはフィルのできることをやればいい」 そう言って、魔女は少年の頭をそっとなでた。 「さあ、頼んだよ」 「うん!」 少年は自信に満ちた表情で頷いた。 * 「聞いたぞ。かの少年の目撃情報が出たってな」 「ああ、何でも、深夜に魔女の森に入っていく所を見たとか......」 「魔女の森だって? そんなところに......」 「しかしどうする? あの魔女の森だろう? むやみに立ち入ることはできないぞ」 「魔女なんてどうせ眉唾ものだろう。平気さ」 「しかし......!」 「静まれ。......ならばこうしよう。一週間、魔女の森の外で張り込みをする。もし少年が森の外に出てくれば、そこで保護する。仮に一週間で一度も少年が森から出てこなかったら、我々が突入する。いいな?」 「はっ」 4 「なあフィル、たまには森の外に出てみたいとは思わないか?」 「どうして?」 少年は窓ふきの手を止めて、訝しむように聞き返す。 「私自身、ずっと森にいるのは、さすがにちょっと飽きてしまうことがあるんだ。だからフィルも、そろそろ飽きてくるころかなーと思って」 少年は窓ふきに戻りながら、ぼそりと言った。 「まだまだ飽きないよ。ナターシャがいるし」 「ん? 何か言った?」 「なんでもない」 少年が頬を赤らめているのを、魔女は見逃さなかった。思わず頬が緩む。 魔女も自分の仕事に戻ろうとしたとき、あっと何かを思い出したように少年のほうを振り返った。 「フィル、やっぱり、お使いを頼まれてくれない? 街で買わなきゃいけない物があったんだ」 「街......それって、村のほうへ出ないといけない?」 出会った当初のぼろぼろの姿を思い出し、その不安は納得した。 「大丈夫、街へは村の反対側から行けるから。それに......」 「それに?」 「いや、なんでもない。買い物リストと、地図を渡そう」 買い物の支度を調えながら、魔女は考えていた。 (それに......あれほどひどい扱いを受けていたようなら、今更、しかも村の反対側まで、少年を探しにくるなんてことはまずないだろう) そのようなことは、少年には言えなかった。 「はい、じゃあこれを持って。途中まで送るよ」 街までの道すがら、少年は無言であった。 「どうしたの。緊張しているのかい?」 「......うん。久々の外だし、それに......お使いも、まともにできた例しがないから......」 「そうかい......」 魔女は歩みを止め、少年も同じく止まった。そして、優しく少年の手を取った。 「大丈夫さ。できる。万が一できなくったって、無事に帰って来さえすれば、それでいい」 少年は、じわりと目頭が熱くなっていた。 「ほら、もう森を出るよ。行っておいで」 「行ってきます」 魔女に手を振りながら、勢いよく飛び出していった少年。それを、魔女もまた手を振りながら見送った。 風で、森がざわついていた。 * 「ふあ......ああ。今日で何日目だ」 「六日目だな、あと一日だ」 「ほんとに出てくるのやら......いくら街方面とはいえな」 「しょ、少年の姿を確認! 森から出てきます!」 「何、確かか」 「確かです!」 「総員、位置につけ! ......確保―!」 * 少年はあっという間に男たちに囲まれた。何が起こったかわからない少年は、ただ叫ぶしかなかった。 「助けて......ナターシャ! ナターシャあああ!」 森の出口付近にいた魔女は、異変を感じ取り、少年の向かった先へ急いだ。 「フィル......フィル!」 魔女が目にしたのは、まさに少年が男たちにさらわれようとする光景であった。 「フィル!」 「ナターシャ!」 少年は大柄な男に抱えられ、身動きが取れない。魔女は男たちのもとへ走る。 「フィルを......かえせえええ!」 「な......! この女、もしや」 「ああ、きっと魔女だ! かまわん、撃て」 「やめ......!」 パァン 少年の願いはむなしく、乾いた銃声が響き渡った。 魔女はその場に倒れ込んで、動かない。 あたりに血だまりが広がる。 「あ......あああ......」 「おい、さっさと行くぞ。目標は達成した」 男たちは少年を連れてその場から立ち去る。 「ああああああああ!! ナターシャ、ナターシャああああ!」 少年の叫び声だけが、いつまでも響き続けた。 凶弾に倒れた魔女と、魔女を失った少年に、容赦なく雨が打ち付けた。 5 少年はその後、ミラー夫妻のもとに引き取られることとなった。村から離れ、都心近くの郊外にたたずむ、静かな屋敷だった。 「君が、フィルだね? 私はアラン。こっちは妻のベティだ。つらかったろう、もう大丈夫だよ」 ミラー夫妻は心優しい人たちであった。それ故に、ときに発せられる悪意なき言葉に、少年はひどく傷つけられた。 ある夜のことであった。 「前の屋敷ではひどい扱いを受けていたようだし、その上魔女にさらわれるなんて、あまりにかわいそうな子――」 そんな話をしているのを、部屋の外で聞いてしまった。思わず、飛び出していった。 「ちがう! ぼくが自分で、ナターシャ......魔女の所に行ったんだ! ナターシャは悪い魔女じゃない!」 ミラー夫妻は驚いて、お互いに顔を見合わせた。 「そう......そうなのね。ごめんなさい。ほら、今日はもうお休み......」 少しはわかってもらえたかと思い、いったんはおとなしく寝室に戻ることにした。しかし、ちゃんと誤解が解けたか確認したいと思い、引き返しかけると、再び声が聞こえてくる。 「やっぱり、魔女に洗脳されていたというのは本当みたいね」 「そうだな。私たちにできるのは、少しでも一緒にいて、つらい思い出を忘れさせてやることくらいだろう......」 少年は、今にも叫び出しそうだった。ちがうんだ、そうじゃないんだと。だが、どれだけそう主張しようと、信じてはもらえないだろう。悔しくて、たまらず逃げ出した。 「......今の足音、もしかしてフィル?」 「さっきの話も、聞いていたということか......」 「ねえ、何か言いたいことがあるんじゃないかしら。わざわざ引き返してきたんだもの」 「ああ、そうだな。明日、きちんと話をしよう」 少年は、ひどく疲れていた。前日の夜に聞いた話をきっかけに、魔女と離ればなれになってしまった日のことがフラッシュバックしていた。全く眠れず、胸が押しつぶされそうになっていた。そこへ、ミラー夫妻が話を聞かせて欲しいとやってきたのであった。 「無理にとは言わない。別に今でなくてもいい。ただ、知りたいんだ。君が見てきたもの、生きてきた軌跡を」 少年は話したくないと思った。今話したところで、すべて否定されてしまう気がしていた。それを夫妻もわかっていたのだろう。それ以上の追求はなかった。 「いつか、君のいた魔女の森に行こうと思っているんだ。もし噂が本当なら、魔女は不老不死だというではないか。また会えるかもしれない」 アランの放った言葉に、大きな衝撃を受けた。ばっと顔を上げて言った。 「今っ、今すぐ行きたい!」 噂が本当なら。本人の口から、不老不死であることは聞いたことがない。ただ、言わなかっただけかもしれない。ゆっくり年をとる。長く生きている。少年が知っているのは、そこまでであった。わずかでも希望があるなら―― 6 こうして、少年は魔女の森に戻ってきた。 森は何一つ変わっていなかった。ただ、魔女だけが見当たらなかった。 少年は森の中を駆けた。最後に別れた場所にはいなかった。だとしたら、治療のために家に戻ったか。一緒についてきていたミラー夫妻のことは忘れて、ただ走った。 家にたどり着くと、あたりに血の跡が点在していた。あの日のことが思い出されて、頭痛がする。 中に入って一番に目に飛び込んできたのは、床に座り込み、ベッドにもたれかかっている、魔女の姿であった。あの頃と全く変わることなく、ただ眠っているように見えた。 「ナターシャ......!」 少年はすぐに駆け寄り、声をかける。 「ナターシャ、ぼくだよ、フィルだよ」 肩を揺さぶるも、反応がない。 「ナターシャ? ナターシャ......」 魔女はただ、静かに眠っていた。呼吸も、心音も、体温も感じることはできない。 少年は魔女の亡骸を抱きしめた。そして、声を押し殺して泣いた。 その様子を、ミラー夫妻は黙って見つめていた。少年はひとしきり泣いて、ようやく彼らの存在を思い出したようであった。 「ぼく、ここに残ります。連れてきてくれて、ありがとうございました」 ミラー夫妻の顔は見ないまま、そう告げた。 「フィル......」 夫人は困ったようにアランの顔を見る。 「いいだろう。好きなだけいさせてやろう」 「また、迎えに来るから」 ミラー夫妻が帰った後も、少年は魔女の亡骸から離れなかった。幾度迎えが来ようと、変わらなかった。 それ以降、少年がミラー夫妻のもとに戻ることはなかった。 * その後、村人の間ではこう噂された。 ――魔女の森に近づいてはいけない。魔女に魅入られた狂人が、今もあたりをうろついているから――
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