迷い子は現に帰る きなこもち 「それは、わらわの客人ぞ。」 その声は俺のことを救ってくれたと同時に、俺を別の世界に引き込んでしまうものだった。 家に帰りたくなかった。特別な理由があるわけではなくて、ただ何となく帰りたくなかった。だから、高校から帰る途中にある神社でぼーっとして時間をつぶしてた。暗くなって、そろそろ帰ろうと神社の階段を下りた。やけに長い。上るときこんなに長かったか疑問に思った。怖くなって夢中で階段を駆け下りた。そしたら、誰かにぶつかった。 「こやつ招かれざる客か。」 明らかに人ではない何か。本能的に命の危険を感じる。このままではかなり危ない。そう思った瞬間に逃げ出した。あったはずの階段はなくなっていて、なかったはずの竹藪の中に逃げ込む。当然竹藪なんて走り慣れてなくて、割とすぐ転んだ。よく分からないものに囲まれた。 「やはり人間だ。御前様にお見せするわけにはいかないだろう。」 「捕えるか。我らの餌になるだろう。」 何を言ってるかよく分からなかったが、とりあえず餌になるっぽい。俺の人生短かったな。あー、もう死ぬのかあってぼんやりと思っていたら誰かの声が飛び込んできた。 「それはわらわの客人ぞ。丁重にもてなさんか。」 まさに鶴の一声ってやつか。色んな面をかぶった奴らが急に慌てだして、俺に謝ってきた。正直、俺もよく分かってないから謝られても困るんだ。そんな俺らの困惑を無視して、声の主は俺に歩み寄ってきた。髪が随分と長い美人だ。でも、よくよく見ると男か女か分からない。どっちでも驚かない。怖いくらい綺麗な笑みを浮かべて俺に話しかけてくる。 「こやつらが無礼ですまなかったのお。ほれこっちじゃ。ついてこい。」 ついて行かないなんて選択肢があるはずもなく、俺はその人の後について行った。 「さて、お主はどうやってここに来た? わらわは呼んだ記憶はないのじゃが。」 「俺も分かりません。ただ、神社でぼーっとしてて、帰ろうとしたらこうなったっていうか。なんか、すみません。助けてくれてありがとうございました。」 「助けたつもりはないぞ?」 そう嬉しそうに言う様子に背筋が凍る。おそらく、見返りを求められている。それだけは何故か直観的に理解できた。 「ああ、そう怯えるな。お主が気に入ったのでな、わらわの眷属になってもらうだけじゃ。頼むぞ、修也。」 名前を呼ばれた瞬間呼吸が苦しくなる。おそらく頷かないと殺されることは分かった。口をはくはくとしながら頷く。すると呼吸が楽になった。目の前のその人はいつの間にとったのか俺の生徒手帳を見ながら楽しそうに話す。 「名前はどうするかのお。わらわの名と合わせて、白也(はくや)にしよう。お主は今から白也じゃ。よろしくな。ちなみにわらわの名は白莱(はくらい)だ。呼び捨てで構わんぞ。」 俺は頷くしかできなかった。 白莱との生活は嫌なものではなかった。白莱の神域で生活してるから学校に行くことはできないし、家族に会うこともできないけれど、彼の眷属の動物と会話することはできたし、白莱も暇さえあれば話してくれたから退屈ではなかった。最初のときのように、名前で俺を縛るようなことも白莱はしなかった。 「なあ、白莱って女? それとも男?」 「別にどちらでもないぞ? 姿なんていいようにできるからな。お主の好む娘の姿になったってよいぞ。」 「それはやめてくれ。てか、俺、好きな奴なんていなかったしなあ。」 とかくだらない会話もできて、むしろ楽しかった。白莱は俺のことをたくさん聞いてきた。好きなもの、嫌いなもの、楽しいこと、面白いこと。俺にここまで興味を持ってくれたのは白莱が初めてだった。居場所ができたみたいな気分だった。別にいじめられていた訳でもないし、虐待にあっていたわけでもない。友達もいたし、家族も普通だったけど、ただ何となく虚しく感じて仕方がなかった。だから、怖かったけど嬉しかったんだ。気に入ったと言われて求められたことが。 「お主はこの生活が嫌ではないのか?」 俺は正直驚いた。俺を無理矢理ここに留めた張本人からそんなことを聞かれるとは思っていなかったから。 「白莱がそれ聞くのかよ。おかしな奴だなあ。お前が隠したくせに。でも、俺はこの生活嫌いじゃないよ。むしろ好き。気持ち悪いかもしれないけどさ、俺、白莱が俺のこと無理矢理隠してくれて嬉しいって思ってるんだ。そりゃ、最初は怖かったけど、生活してるうちに白莱が俺のこと必要としてくれてるように思えてさ。」 白莱は何も言わずに俺の話を聞いてくれる。 「なんていうかな。ずっと、俺じゃなくていい気がしてた。何につけても。俺がいなくても世界は何も変わらないし、みんなどうせ俺のこと忘れて日常に戻るんだろうなって。俺は何のためにいるんだろうって。そんな俺を助けてくれて、一緒に暮らしてくれて、わざわざ会話をしに来てくれて、俺に興味を持ってくれて。自惚れだって分かってるけど、それでも、俺以外の人間がここに来ないから、白莱にとって俺は唯一なのかなって思えた。だから、俺、ずっとここにいたい。帰りたくない。ずっと白莱と一緒にいたいんだ。」 「まこと、憐れな人の子よ。」 そう言って白莱は俺のことを抱きしめてきた。それが妙に安心できて、俺は少しだけ泣いてしまったんだ。白莱がそれに気づいたのかどうか分からないけど、抱きしめる力が少しだけ強くなって、俺の頭を撫でてくれた。 一体どれほどの月日が経ったのだろう。分からないけど、白莱は変わらずそばにいてくれるし、少し動物は増えたし、楽しかった。人間が俺の他に増えないのも少し嬉しかった。家族のことは少し心配だったけど帰りたくないっていう気持ちは変わらなかった。 そんな時、誰かが来た。白莱のお客さんらしいから、どこかの神様なんだろう。その神様に挨拶をしたとき、驚いたようにこちらを見たのが忘れられなくて、つい二人の会話を盗み聞きしてしまった。 「白莱。お主、あの少年をどうするつもりだ。」 「それはどういう意味だ?」 「あんな中途半端なままこちらに留めておくとはどういう了見だ。」 聞いてはいけない気がした。何かが崩れてしまうような気がした。でも、聞きたいと思ってしまった。 「あの少年、まだ眷属にしきっていないではないか。どうするつもりだ。早く現世に帰すなり、眷属にしてしまうなりはっきりしないか。」 「分かっておる。分かっておるのじゃ。」 「あれをこの状態のまま神域に留めておくのは、お主の力を大分削るであろう。どうしてこの状態にしておるのだ。」 どういうことだろう。力を削る? 俺のせいで? 白莱はどうして何も言わないんだ。そもそも眷属じゃないってどういうことだ。 「今までのは全部嘘だったのか?」 つい口から零れてしまったその言葉に、白莱ともう一人が慌ててこちらを振り向いた。 「なあ、白莱。俺、お前の眷属じゃないの? 今までの生活とか全部嘘だったってことかよ。全部、俺の自惚れだったのか? なあ、白莱。お願いだ。俺はお前の眷属だって言ってくれ。証明してくれよ。」 白莱は下を向いた。そして、申し訳なさそうに呟いた。 「そなたは、わらわの眷属じゃない。ただ......。」 「なんだよ、結局そういうことか。全部嘘だったのかよ。やっと、やっと、居場所を見つけたと思っていたのに。白莱の馬鹿、お前なんて大嫌いだ!」 俺は逃げ出した。俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど無視した。必死に走った。白莱の神域だ。どこにいても見つかってしまうのだろうが、とりあえず走った。そして、ふっと重力を感じた。長い階段があった。どうやら落ちたらしい。俺はそこで意識を手放した。 目が覚めたら真っ白な天井が見えた。泣きながら俺に抱き着いてきたのは白莱じゃなくて母親で。医者に問題ないと言われて、母親と二人になって、母親が色々と話してくれた。 「あなた、神社の階段の下で倒れていたそうよ。一週間も目を覚まさないんだもの。心配したわ。よかった、無事で。」 「一週間......?」 「そうよ。これからは気を付けてね。これ、お友達からお見舞いと授業ノート。お母さん、お父さんに電話してくるから。」 そう言って、母親は部屋から出て行った。一週間。おかしい。俺は白莱の神域で少なくとも数年は過ごしたはずだ。それに行方不明なら分かるが、目が覚めなかったってどういうことだろう。 「全部、夢だったのか......? 嘘だろ......?」 あんなにはっきりと記憶に残っている。白莱と過ごした日々全部覚えてる。一緒に笑ったのも、話したことも、不甲斐なく泣いてしまって白莱が慰めてくれたことも。全部全部ちゃんと覚えているのに。全部夢だったなんて、信じたくない。嘘だ。嘘だ。嘘だ。 「ああああああああ!」 あの後、半狂乱になった俺は鎮静剤まで打たれたらしい。らしい、というのはパニックになってて覚えていないからだ。とりあえず落ち着いた俺は退院して、白莱に会う前の生活に戻った。いや、そもそも会ってもないかもしれないけど。学校に行って、友達と話して、家に帰って。そんな生活だ。楽しくないわけではない。でも、会いたくて。せめて、最後に言ったことを謝りたくて。 「そういや修也さ。お前が怪我した神社あったじゃん? あの神社、ちょっとした噂があるの知ってる?」 放課後、そんな話をしてきたのは友人で。あの神社にはあれから何度も行った。でも、白莱に会うことは叶わなかった。それでも、いまだに通い続けてるのをこの友人は知っている。 「あそこってさ、年に数回、不思議なことがあるらしいな。」 「不思議なこと?」 「ああ。階段が長くなったり、あるはずのない竹林があったり、面を被った人が歩いてたりするんだと。それでな、そういうのが起こるのは新月の日が多いらしいぜ。」 俺は何も言わずにそいつの言葉を頭の中で反芻していた。すると、そいつは少しだけ目じりを下げる。 「ちょうど今日は新月だな。行ってみればいいさ。それにしても、お前ってそういうの好きだったんだな。俺さ、修也が入院してるとき、お見舞い持ってこうと思ったんだ。そしたら、俺意外とお前の好きなもの知らねえなって思ってさ。中学から一緒にいたのになあって。だから、こんな形でもお前の好きなこと分かって少し嬉しいんだ。」 それを聞いて、俺は白莱が俺を眷属にしなかった理由が分かった気がした。会わないと。俺は鞄を肩に引っ掛けて立ち上がった。友人は驚いたように俺を見ていた。 「俺、行ってくる、情報ありがとな! あと、俺もお前のこともっと知りたい。明日! 暇だったら遊んでくれよ!」 「お前のために、空けといてやるよ。」 俺はそいつに手を振って、走って教室を出た。 神社について、思いっきり叫んだ。 「白莱! いるんだろ! 俺、お前に会いに来たんだ! お願いだ、話を聞いてくれ!」 返事はない。それでも、俺は話し続ける。 「俺さ、誰にも必要とされてないと思ってた。でも、きっとそんなことない。俺が周りを見ようとしなかっただけだった。俺を大事にしてくれてる人はちゃんといたんだ。お前は、俺のために俺を眷属にしなかったんだろう? 俺がちゃんと帰れるように。違うなんて言わせない。お前は、俺を大事に思っていてくれた。それなのに、最後にあんなこと言ってごめん。俺、白莱のこと好きだよ。大事だ。大切だ。お前のこと一生忘れない。」 一気にまくし立てた。それでも白莱は現れない。会いたかったけど、仕方ないか。涙が溢れてくる。すると、どこからかクスクスと笑う声が聞こえた。声の方を向くと、木の上に腰かけながらこちらを見下ろす白莱がいた。ああ、やっと会えた。 「やはり、お主は修也として生きる方が似合っているなあ。もう、わらわに会いに来る必要もないとみた。ではでは、最後に、わらわの大事な人の子の門出を祝してやるとするかのお。」 すると、白莱が腰かけていた桜が満開になった。今は真冬だと言うのに。神っていうのは何でもありなのかよ。でも、花びらがはらはらと舞っているその光景は。今まで生きてきた中で一番綺麗だと思った。白莱と目が合って、俺は笑った。 「月のない夜の夜桜も、いいものであろう。」 「ああ、そうだな。」 「修也、もう、迷うでないぞ。お主はちゃんと必要とされておる。分かっておるだろう。」 そう言って、白莱が笑みをこぼす。その笑みに対して、初めて会ったときのように怖いとは思わない。むしろとても好きだと思う。次の瞬間、桜吹雪が舞った。思わず目を閉じた。目を開けると、そこにはもう白莱はいなかった。桜も咲いていなかった。もう会えないのかな。また泣きそうになるのをぐっと我慢したら、 「わらわはずっとここにいるさ。白也になってから、またおいで。」 と不意に声だけが聞こえた。俺は思わず微笑んだ。 「ああ、そうだよな。また来るよ。絶対。ありがとう。」 そういえば結局、白莱は俺のことを一度も『白也』と呼ばなかった。きっと、俺が白也になれるのは、人生をきちんと終えてからなのだろう。 「またな、白莱。」 俺は神社を後にした。クスクスと笑う声が聞こえたが、振り返らなかった。
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