愛しきわたしの堕天使(一)

竹原桜姫






 昔々、神や天使が住む天界に美しいお姫様がいました。お姫様は心優しく、多くの人たちから好かれていました。そんなお姫様の隣には、いつも一人の青年がおりました。白い翼をもったその青年は、お姫様のことを愛しておりました。お姫様も青年のことを愛し、結婚の約束をしました。

 しかし、幸せは長く続きませんでした。結婚の約束からしばらくして、青年が突然闇の中に姿を消してしまったのです。お姫様は懸命に捜しましたが、見つけたのは一枚の白い羽のみ。彼女は嘆き悲しみました。彼女は青年を捜し続けているそうです。胸に白い羽を付けたまま──。



「キョウ様」

「なあに?」

「その、こんなこと、言う立場にはないのですが......」

「?」

「ずっと、傍に、いたいのです」



「フェル!」

 そこでわたしの夢は途切れた。もう叶うことがない夢。わたしの隣にはフェルがいて、二人で笑いあったり支えあったりする。あの時は、それがずっと続くものだとばかり思っていた。天界だからといって不幸がないわけではない。

 窓の外を見ると、黒い空に星々が輝いていた。まだ夜なのか。こんな日に夢でうなされるなんてたまったものじゃない。明日は冥界に行って会談に参加する日なのに。わたしは傍に置いてあった白い羽に手を伸ばし、キスをした。

「悪い夢から私を守って、フェル」



 そして朝、少しぼんやりとはするものの起きることはできた。悪い夢は見なかった。ちゃんとあの人はわたしを守ってくれたんだろう。目を覚ますために、パチンと頬を叩く。のんびりする暇はないのだ。今日は会談がある。初めてだからといって、へまをするわけにはいかない。どことなく重い体を引きずって、準備に取り掛かった。

 部屋の外に出ると爺やがいた。どこか心配そうな様子だ。

「おはようございます、キョウ様。本日は会談ですな」

「ああ」

「初めてで不安ではありませぬか? 心配ならば少しぐらい仰っていただいても構いませんよ。聴くだけならできますので」

 爺やはいつも以上に早口だった。そんなに心配しなくてもいいのに。何も怖くないから大丈夫、ありがとうと返した。本当は少し不安だけれど、周りの人にまで心配をかけるわけにはいかない。

「さすがキョウ様! 王国の跡取りとして着実に成長しておられますな。私も嬉しゅうございます」

 爺やの目がキラキラと輝く。あまりにも興奮したのか、白い壁にもたれかかりゴホゴホと咳込んだ。あまり興奮しすぎるのもよくないのに。わたしが背中をさすると、爺やはようやく落ち着いた。

「ああ、女王が部屋でお待ちです。早く行かれた方がよろしいかと」

 そうだった、遅れるわけにはいかない。私はお母様のところへ急いだ。



 お母様はどことなく緊張しているように見えた。いつもの笑顔はどこにもなく、沈んだ様子だった。わたしが部屋に入ってきたことに気が付くと、ようやく顔を上げた。

「キョウ。これが初めての会談ですね......。私がついているとはいえ、率直に言って、心配です」

 お母様は茶色の瞳を私の方に向けた。お母様も同じような心配をしていた。心配だなんて口に出して言うなんてことは今までになかったから。

「大丈夫です。無事にやり遂げます。決して邪魔になるようなことは致しません」

 だから心配しないでください、と笑顔で答えた。お母様はニコリとも笑わない。それを見て少しだけ不安になった。

「そうですか。なら、大丈夫そうですね。安心しました」

 そうこうしているうちに出発の時間が近づいてきた。部屋を出る直前、お母様はどこかぼんやりとしていた。何かをつぶやいているようにも見えたけれど、聞き取ることはできなかった。



 数か月前──。豪勢だがどこか薄暗い部屋に、美しい女王と「闇」が座っていた。

「お久しぶりですね」

「久しぶりだな、女王。何の用だ?」

 女王は一呼吸おいて切り出した。

「いつまで天使を封じているつもりでしょうか?」

「......何のことだ?」

「とぼけないで! あの人を幽閉していることは知っているの」

 「闇」の返答に腹が立ったのか、口調が強くなった。「闇」は何も話さない。

「警告しておくわ。もう時間がないの。解放しなさい」

 闇はニヤリと笑った。まるで彼女を嘲るかのように。その時、地下深くから音が鳴った。音は次第に大きくなっていく。耳を塞ぎ音に耐える二人の前に何かが現れた。その姿を見て、闇が絶句する。

「だから言ったのに......」

 声を震わせながら、女王は呟いた。



 会議の主催国である冥界へは、ペガサスの馬車でも数時間かかる。その間に、付き添いの家臣からいくつか報告を受けたり、確認をしたりした。

「冥界が今まで以上に暗くなっているのか?」

「そのようです。幸い宮殿周辺には影響がないようですが」

 冥界には初めて行くからよくわからないが、外を見ると真夜中のように真っ暗だった。お母様に聞いてみると、数か月前からそうなのだという。

「キョウ、あなたは暗いのが苦手でしたよね。怖ければいつでも言いなさい」

 わたしははい、とだけ答えた。こんな時にフェルがいれば、きっと私にお任せください、といって過保護なまでに世話をしてくれたはずだ。わたしはネックレスにつけた白い羽を触った。思い出にばかり浸るのもよくないとはわかっていても、どうしようもない。

 お母様は暗闇から少しでも気を逸らそうと会議の話を持ち出した。

「ところで、会談は大丈夫そうですか?」

「大丈夫です、準備もしていますし」

 大丈夫とは言ったものの、不安点が全くないわけではなかった。

 まず一つ目。今回の会談の議題が全く分かっていないのだ。天界と、魔物が住む魔界、それから死者の国冥界の代表が集まり開かれる三界会談。そこでは様々なことが議論される。普段なら数週間前までには議題が書かれた書簡が送られてくるはずなのに、今回はなかった。何かありそうだ。......最も、本当に怪しいのならお母様がわたしを出席させないはずだけど。

「お母様、魔界の王がどのような方か、本当に分からないのですか?」

 お母様は頷く。これが二つ目の不安点だった。数か月前、魔界の王が亡くなってしまった。そこまではまだいいのだが、新しく即位した王がどのような人物なのか、全くわからないのだ。天国からも数回使者は送ったのだが、何も分からずじまいだった。いい人ならいいけれど。

「前の王は豪快な悪魔だったわ。言葉遣いは乱暴だけどいい方だった。最近は病気で床に伏した状態だったらしいけれど、お見舞いになんかくるんじゃねえって、お見舞いも断られたの。一度ぐらいは挨拶出来たらよかったのでしょうけれど。」

 お母様の口調はどこか寂しそうだった。

 時間が経つにつれ空気が寒くなっていく。けれども景色ははっきりしてきた。周りには墓標のように何かが立っていて、地面には草一本生えていない。天国では見たこともない景色がどこか怖く感じた。

「そろそろ到着の時間よ、キョウ」

 お母様が言った。遠くに黒一色の宮殿が見えた。



「ようこそお越しくださいました。メイ女王、キョウ王女。私共が広間まで案内いたします。」

 城門にいた兵士が恭しく挨拶をする。わたしたちも会釈をした。ランプを持った兵士たちに案内され、城の中に入る。

 冥界の宮殿は中も薄暗かった。灯りはなく、ランプの光だけが頼りだ。壁も床も黒一色で、絵画や彫刻は一つもない。まさに死の国の城にふさわしいものだった。城の兵士がじろじろとこちらを見てくる。闇に浮かぶ眼が睨んでくる。怖い。わたしはお母様のドレスの袖をつかんでいた。

 お母様は大丈夫、と慰めてくれたけれど、わたしは怖かった。あの日から、闇は嫌いだ。闇はあの人をさらっていったから。早く明るいところへ行きたい。

「ここでお待ちください」

 案内された広間に入って、わたしは息を吐いた。ここも明るい、とは言い難いけれど、さっきまでよりはずっとましだった。広間にはすでに二人の人物がいた。奥の方に座っているのは冥界の王。肖像画で見たことはあるが、実際に会うのは初めてだ。闇に覆われて姿をはっきりと見ることはできない。隣には副官と思わしき人物が立っている。ふと視線を感じると、すぐ近くに冥王が立っていた。顔はよく見えないが、どこか歪んでいるように感じた。

「数か月ぶりですね、王。こちらは娘のキョウです」

 お母様が前に出てきて挨拶をする。わたしも冥王にお辞儀をした。

「初めまして。キョウと申します。」

 声こそ出さなかったけれど、フン、と鼻で笑われた気がした。一瞬の後、気配が消えた。どこに行ったのか、冥王の姿を探した。王は何事もなかったかのように座っている。

「大丈夫よ、キョウ」

 お母様が小声で言った。

 会談まではまだ一時間ほどある。その間に冥王と軽く会話をした。とは言っても、冥王は何も話さなかった。会話はすべて副官を通じてしていたからだ。それにしても、場の雰囲気がピリピリしている。特にわたしが何かをしたときは。正直、会談まで耐えられそうになかった。と、その時。

「遅れて悪いな」

 近くにいた兵士が慌てるのを無視し、一人の少年が入ってきた。ぼさぼさの銀髪に金色の瞳、顔の入れ墨が、とても印象的だった。

「お前が魔界の新たな王か?」

 副官が尋ねる。その少年は首を縦に振った。

「ああ。名前はリベド。よろしくな!」

 場違いなまでに馴れ馴れしい彼の姿にわたしはきょとんとしてしまった。お母様はそれほどでもなかったみたいだけれど。そんな様子を見たのか魔界の王、リベドはこっちを向いた。その顔には笑みが浮かんでいた。

「よろしくな、姫様」

 わたしは何も言わずに、頭を下げた。どうも馴れ馴れしい人は苦手だ。それよりも、そろそろ会談の時間だ。気持ちを切り替えないと。一方のリベドはほかの人たちに挨拶をしていた。

「血は争えないわね」

 お母様は呟いた。



「本日は緊急招集であったにも関わらず、お集まりいただき、誠にありがとうございます。冥王に代わり、厚くお礼申し上げます」

 副官が始まりの挨拶をする。やっぱり緊急会談だったか、とわたしは思った。あの違和感は正しかったんだ。わたしは気を引き締めた。絶対に何かある。

「今回の議題は早急に解決しなければならぬ問題であります。というのも......」

「本日の議題って何なの? 何にも聞いてねえんだけど」

 リベドが話の途中で割り込んだ。話を聞くこともできないのかと、少し苛立った。副官が何か言う前に、冥王が睨みつける。それをまるで気にせず話を続けようとする彼を何とか制止して、副官が続ける。

「今回の問題は世界を崩壊しかねないほどのものです。冥王も解決に尽力されてはいましたが、どうにもならずに皆様に協力を仰ぐことに決めました」

 副官がそこまで言ったところで、部屋に兵士が入ってきた。何か話をしている。場の空気がますます重苦しくなった。それと同時に、お母様の目つきが鋭くなる。もう既に何が起こっているか知っているのだろうか。その目線の先にいる冥王も、どこか落ち着かない様子だった。平気そうなのはリベドだけだった。わたしもできる限り平静でいようとした。しかし、その努力は無駄であったことを、わたしは後で知ることになる。

「まずは見ていただきたいものがあるのです。皆様、私に付いてきてください。」

 副官は席を立つように言った。またあの通路を歩くのか、とわたしは少し憂鬱になった。その様子を見たのか、リベドが言った。

「怖いのか? 大丈夫だって」

 わたしは余計なお世話だ、と言い返してやった。リベドはまだブツブツ言っていたけれど、無視することにした。

漆黒の通路を通ったかと思ったら、今度は地下に下りる。もっと暗くなってよく見えないが、どうやら地下牢らしい。周りからは囚人らしき唸り声がひっきりなしに聞こえてくる。渡されたランプだけを頼りに、何とか進み続けた。何度も何度も白い羽を触りながら。

 地下牢からさらに会談を降りたところにある牢屋の前で、ようやく先頭を歩いていた副官が足を止めた。ゆっくりと振り返り、わたしたちに言った。

「こちらになります」

 暗闇の中だったけれど、それが誰か一瞬で分かった。震えが止まらない。目の前の光景を信じたくなかった。

 全身を鎖で縛られ、目の光は失われ、うつろな表情をしている。重力に負けて垂れ下がった白い翼がなければとても天使だとは思えないだろう。かつて、一緒にいたころとは似ても似つかない姿になっていたけれど、紛れもなくあの人だった。

「フェル......?」

 隣にいたお母様は微動だにしない。冥王は私の言葉に反応して、首を縦に振った。

「こちらにいるのはルシファー。かつて天界の第一側近で、最強の強さをもつ天使」

 お母様が話を続けるように促す。周りが冷静に見えた。なんでこんなに落ち着いていられるのかと聞きたかった。

「色々と事情があって冥界が捕らえておりました。しかし、数か月前から暴走を始めています。そのせいで冥界に多大な被害が出ています。このままでは世界全体に影響が出てしまいます。どうか力を貸してほしいのです」

 そんなことになっていたなんて。わたしはその場にへたり込んだ。



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