魔法少女学校の異端者

水原ユキル








 魔法少女は無敵だ。

 正義の心さえあれば、守りたいと思うものがあればどんな困難だって怖くない。

 一人では無理でも、仲間と共にいれば、何でもできる。

   そう、信じていた。

 

  戦える魔法少女  魔法戦士をある理由により引退した山県実歩は、魔法少女とは関係のない平穏な人生を歩もうとしていた。

 だが"元"最強の魔法戦士であった彼女は未熟な後輩の魔法少女の指導員として雇われてしまう。不本意ながらも魔法少女学校の職員に採用された実歩。しかし、そんな彼女の担当する少女たちはあまりにも魔法少女らしくない魔法少女たちで    ?





2



 魔法少女が架空の存在でなくなったのは今からおよそ十年前。

 これまでのエネルギーの常識を覆すような効果を発揮する未知の力  想力(イマジン)に適性を持ち、異能である『スキル』を発動できる特異存在。

 幼い少女たちは誰もが仮想世界で活躍するような魔法少女を夢見て、想力の適性検査を受けた。

 想力に適性を示す確率は極めて低いと一時は考えられた。だが、実際に検査を行った結果、十歳以下の女性であれば実に三割の者が適性を示したのである。

 日本中に魔法少女を目指す少女たちが急増。中にはこれまでの科学や軍隊の力を軽く凌ぐ者まで現れるようになった。

 しかし、そんな者は当然一握りだ。適性を示したとしても、せいぜい身体能力を伸ばす程度でしか想力を行使できない者が大半である。単に想力を使えるからといって魔法少女と呼ぶべきなのか疑問視する意見が多数派になるのにそう時間はかからなかった。

 そして、未知のエネルギーである想力には当然リスクもつきまとう。想力の悪用や暴走の事例も増加していった。特に想力を悪用することで発生させられる、猛獣や猛禽にも似た怪物  ヴァーミンは人々に脅威を与え、怪物を行使する犯罪組織が結成された際には世界が崩壊するとまで危惧された。

 対抗できるのは、超人的な戦闘力を発揮できる魔法少女しかいない。

 そこで定められたのが『魔法少女学校制度』だ。

 未熟な魔法少女たちを教育し修練を積ませることで、戦える魔法少女  『魔法戦士』を育成することに主眼を置きつつも、まだ未解明な部分も多い想力の研究も行う特殊教育機関だ。北海道、東北、中部、近畿、中四国、九州のそれぞれの地域に一校だけ設置されている。当然、どんな名門の学校と比べても倍率は桁違いだ。

 入学の要項は想力への一定の適性値と高度な教養。今や正式な魔法少女を名乗るには魔法少女学校の卒業が不可欠といわれた。

 そして、魔法少女学校を卒業した者には『魔法戦士』としての資格が与えられる。かつて空想の世界で活躍していた魔法少女とは『魔法戦士』を指すようになった。戦えようと戦えまいと想力に適性があれば魔法少女を名乗れるのだから。

 普通の学校とは違い想力への適性が重要となるため、年齢に制限はない。ただし、想力を扱う能力は、ごく一部の例外を除いて加齢と共に低下した。想力を扱う力は、通常十二、三歳で全盛期を迎えるため、入学者は中学一年生程度の女の子が過半数を占めている。

 魔法戦士制度が定められてからは想力による事故や事件は激減した。それほど魔法戦士の力は強く、世界の均衡を守る役割を新たに担うようになった。想力のプロフェッショナルである彼女たちは常に必要とされている。

 過酷な受験を勝ち抜き、晴れて魔法少女学校への入学を果たした女の子は、誰もが憧れる魔法少女を夢見て学校の門をくぐるだろう。

 しかし、その先に待ち受けるものは  。

 

 飛翔(ひしょう)学園(がくえん)は中国山地の中央に穴をあけたような盆地に存在する都市  鳴夢(なるゆめ)市(し)に設置された魔法少女学校だ。その都市は絶壁の山で囲われ、まるで要塞に囲われた城下町のよう。

 山県実歩は飛翔学園の理事長室に呼び出されていた。

「理事長室......ここね」

 実歩は上に「理事長室」と書かれたプレートが貼られている扉の前に立っていた。校内の案内表を見ながら来たのだからここが理事長室で間違いないのだろう。

 実歩がノックをすると「入れ」と男の声が返ってきた。何となく理事長は女性だと思っていたので、少し意外だったがさほど驚くようなことでもないだろう。男性の一般職員も大勢いる。

「失礼します」

 ドアを開け、実歩の目にまず飛び込んできたのは  

「よく来たな。待ってたぜ」

 高級そうな椅子にふんぞり返り、三十代後半程度の男が不敵な笑みを浮かべていた。

 ホスト風のスーツを着崩しており、逆立てた金髪と浅黒い顔が特徴だった。目つきが鋭く、筋肉質な体躯も相まって高圧的な雰囲気を発している。

 悪役。やくざ。組長。

 実歩の脳内で、ならず者に関する単語が次々と浮かんでくる。

「............」

 瞬きを数回した後、

「間違えました」

 バタン。

 プレートをもう一度確認する。

 理事長室。確かにそう書かれている。

 では、さっきの男は? まさか学園がいきなり悪漢に乗っ取られたというのか?

 実歩の中で一気に緊張が高まる。今度は警戒しながら慎重に扉を開ける。

 さっきの男はいない。自分は夢か幻でも見ていたのだろうか?

 釈然としないものを感じながら扉を閉めて中に入ると  

「隙だらけだぜ、山県実歩」

「っ?」

 ドスの利いた男の声が背後から聞こえた瞬間、実歩は思わず前方に跳んで、距離を取った。

 男の身長は思ったよりも高く、実歩の身長だと若干見上げなければならなかった。男の全身から黒いオーラのようなものが立ち昇り、好戦的な笑みを顔に貼りつけて実歩を見下ろしている。

「あなた、誰なの?」

 身構えながら訊くと、男は犬歯を剥き出しにして笑った。肉食獣のような笑みだ。

「俺か? 俺はな藤堂(とうどう)勇(ゆう)我(が)ってもんだ。この学校の、いや世界の新しい支配者だ」

 実歩は目を剥いた。まさか初日から未知の敵と遭遇するとは夢にも思わなかった。

 彼女は腰のホルスターから変身用のスマートフォン型端末  トランスフォンを素早く取り出した。

「コネクト・《オレオール》!」

 実歩がそう声に出しながらトランスフォンのボタンを押すと、彼女の身体が白い光を帯びた。

 契約者の声を認識したトランスフォンが対となる戦闘魔装(コスチュームデバイス)の転送を開始。トランスフォンを高く掲げると、ふわりと全身が浮かび上がる。

 戦闘魔装(コスチュームデバイス)とはトランスフォンを起動することで呼び出され、魔法少女の想力と戦闘力を格段に上昇させる変身衣装。

 彼女の戦闘魔装《オレオール》は比較的スタンダードなもので、ブレザーの学生服を連想させた。

 チェリーピンクの頭には白い花飾り。濃い桃色のベストを着て、胸元には大きなピンクのリボン。フリルのあしらわれたプリーツスカートと、小さなリボンで彩られた白いブーツを履いている。

 正直、今(、)の(、)実歩は魔法少女への変身はあまり好きではないが、この非常事態にそんなことはいってられない。

 可愛らしい戦闘魔装を纏った実歩は腰を落として構えた。

 藤堂勇我と名乗った男は敵意の漲った目をこちらに向けている。

「戦闘魔装を扱えるとはな......少しは楽しめそうだ」

 実歩は藤堂を睨みつけながら冷静に敵の戦力を分析する。

 感じられるのは、並々ならぬ想力の気配。

 通常、男性で想力に適性を示す者は極めて稀である。想力に適合したとしても、精神疾患に似た病気を発症するか、想力の暴走により身体や精神に害を被る者がほとんどであった。

   だとしたら、この男も想力を暴発させた者?

 そうではない気がする。何の根拠もないが藤堂は実歩が知らない方法で大量の想力を操っているような気がした。

 何にせよ、油断して戦うには危険過ぎる相手  実歩はそう確信していた。

「さあ、楽しもうぜ《オレオール》!」

 その言葉を合図に藤堂が正面から突撃してきた。

「その名前で呼ばないで!」

 実歩も床を蹴り、迎え撃つ。

「ハアアアッ!」

 実歩は藤堂の胸部を狙って清冽な光を纏った掌打を繰り出す。その動作は目にも止まらぬ速度で、必殺の威力を秘めている。

「お、やるじゃねえか」

 だが、藤堂はそれを軽々と受け流すと、黒い炎を帯びた拳打を放つ。

「ッ?」

 咄嗟に左腕でブロックするものの、衝撃を抑え切れず、壁まで弾き飛ばされた。背中を強く打ちつけ、肺から空気が絞り出される。ブロックした左腕がじんじんと痛んだ。

 息つく間もなく藤堂が追撃。黒炎を帯びた拳を構えて一気に距離を詰める。

「おら、行くぜえええええ!」

 左右から襲い来る拳を実歩は横に転がるようにして回避。立ち上がりざまバックステップで間合いを取った。

(強い......!)

 心臓が早鐘を鳴らしているのを感じながら、敵の戦闘力に驚愕していた。まさか男でここまで想力を使いこなして戦える者がいるとは思わなかった。

 実歩は新たに戦略を組み直す。

 拳の打ち合いではこちらが不利かもしれない。ならば  

 実歩は次の一手を打つべく構えたその時だった。



「はーい。そこまでです」



 ちりん、という鈴の音と、戦いには似つかわしくない間延びした声がしたかと思うと  室内の空気が一変した。

「へ......?」

 実歩の身体から力が抜け、思わず倒れそうになるが何とか踏みとどまる。

「うふふ。理事長、おふざけもその辺にしときませんと、時間がなくなってしまいますよ」

 見ると、実歩と同じような女性用スーツを着たショートカットの二十代前半程度の女性が立っていた。

「いいじゃねえか。たまには息抜きしたってよ。事務仕事ばっかで疲れてたんだ」

 藤堂が肩をほぐすような動作をしながら唇を尖らす。いつの間にか藤堂の全身から発散されていた戦闘狂のような雰囲気は消え、想力の気配も激減していた。強面なのは変わっていないが。

「ふふふ。理事長? あれが息抜きとは寝言は寝てから言いましょうか?」

 女性が上品な笑みを浮かべながら、額に青筋を立てているのが実歩にもわかった。なぜか実歩は戦慄を覚えた。

「はい、すいません......」

 さっきまでの威圧的なオーラはどこへやら。藤堂は縮こまると小さく頭を下げた。

「わかればよろしい」

 女性は頷くと、未だ状況が呑み込めずぽかんとなっている実歩にふふっと微笑んだ。今度は自然な微笑だった。

「失礼しました。山県実歩さん、ですね? ようこそ飛翔学園へ」

「え、あ、はい......」

 実歩は曖昧に頷き、女性と藤堂の顔を見比べた。

「えっと......、じゃあ、この方は本当にこの学校の理事長なんですか?」

「おうよ」

 藤堂が一歩前に出た。

「改めて名乗るぜ。俺がこの飛翔学園の理事長、藤堂勇我だ。一年前に赴任したばかりだ。よろしくな」

 実歩は慌てた。びゅん、と頭を大きく下げる。

「ご、ごめんなさい! 私、勘違いして失礼なことしちゃって......」

「いえいえ。お気になさらずに。悪ふざけを仕掛けたのは理事長ですから」

「ま、ちょっとした余興みてえなもんだ。気にすんな」

 ゆっくりと顔を上げると、藤堂が笑った。チンピラにしか見えないような顔だが、笑うと人好きしそうなものになるのが不思議だった。

「自己紹介が遅れました。私は藤堂勇我理事長の秘書をしております西園寺(さいおんじ)汐音(しおね)と申します。以後お見知りおきを」

 西園寺が恭しくお辞儀をしたのに倣って実歩も再び頭を下げる。

「ちなみにさっき一時的に想力を無効にする結界を張らせていただきました。私の能力です。あのまま戦い続けたら理事長室が壊れてしまいそうだったので......」

「がっはっは、さすがはSランク魔法少女といったところか」

 魔法少女としての強さを示す指標としてランク制度が使われている。Sランクは最高の評価であり、名目上実歩は最強クラスの魔法少女ということになる。  もっとも、彼女はそのことをあまり歓迎していなかったが。

「それからですね、山県さん。その......」

 西園寺は一度目を逸らした後にじろじろと実歩を眺めた。

「もう変身は解いていただいて結構ですよ? 理事長はおふざけが過ぎるところもありますが、基本は真面目な方ですので......」

「あ............」

 言われてみてようやくまだ自分が魔法少女の姿のままであることに気づく。気恥ずかしさを覚えながら変身を解除した。顔が少し赤らんでいた。

 実歩が元のスーツ姿に戻ったのを確認すると、西園寺は柔和な笑みを作り、来客用のソファーを手で示した。

「どうぞ。おかけになってください」

「はい......」

 実歩が高級感の漂う黒いソファーにぎこちなく腰掛けると、藤堂は向かいに座った。西園寺は三人分のコーヒーをテーブルに置くと、藤堂の横に座った。

「それで、お話とは何でしょうか?」

 背筋を正しながら実歩が訊いた。

「おう。実はだな  」

 藤堂はコーヒーを一口啜ると、真っすぐに実歩を見た。

「山県に、一次実力試験の手本役をやってもらいたい」

 実力試験。

 魔法戦士志願者たちの実力を測り、生徒の力に最適なカリキュラムを定めるために行う実技試験。個人の部と団体の部があり、入学式の後に実施されるのは前者だ。

 魔法少女は仲間と力を合わせることが理念とされているが、それでも個人が弱すぎては話にならない。常に仲間が側にいるとは限らないからだ。

 だから、個人の力を試す実力試験があるのは当然だ。

   というのは表向きの話であって、その実あまりに多すぎる魔法戦士志願者をふるいにかけることが主な目的となっている。

 試験内容は、理事長の召喚する怪物と戦って勝つ、というシンプルなもの。

 しかし、その試験に合格できる者は一割に達するか達しないか。不合格な者は魔法少女に関する授業は大幅に減らされ、特に実戦の授業はほとんどなくなる。学校を退学になるわけではないが、魔法戦士としての資格は得られず、卒業しても普通科学校の卒業資格しか与えられない。

 無事に一次試験を突破できたとしても、その後も試験や試合は定期的に実施され、魔法戦士として相応しくないと判断されれば途端に講座の内容が変更される。

 夢見る少女たちには過酷ともいえるような現実。この厳しい実情を突き付けられて、およそ半数が普通科学校に転入している。

 だが、実歩はこの制度の厳しさを無理からぬことだと思っていた。

 そもそも、怪物一体を一人で倒せるような力もないのなら、魔法戦士を目指すべきではない。命に関わることだ。何より魔法戦士志願者に対して魔法少女を指導できる立場の者が圧倒的に不足している。魔法少女の育成にかかる費用も莫大だ。必然的に志願者を減らさなければ学校など成り立つわけがないだろう。

 実歩もその辺の事情は全て把握していた。こんな夢のない話を受け入れてしまっている自分に嫌気が差していないといえば嘘になるが  。

「わかりました。でも......」

「でも、何だ?」

 実歩の口から出かかったのは、自分なんかでいいのか、という疑問。

 彼女は魔法戦士としての免許は持っていたが、数年前に現役の魔法戦士を引退し、魔法少女とは何の関係もない大学に進学して平穏な人生を歩もうとしていた。

 だが彼女ほど想力への適性が高い者は他にいないという理由で、指導員として雇われたのである。お世辞にも裕福とはいえなかった実歩は受け入れざるをえなかった。

 そんな意欲のない自分でいいのか  。

「どうしました? 山県さんはSランクの魔法少女ですし、魔法戦士免許も持っていますよね? 戦闘魔装も戦闘スタイルも至って王道。魔法少女のお手本としてこれ以上ない逸材だと思ったのですが。まあ、山県さんがどうしてもというのなら代役を探しますが」

 不思議そうな顔をしながら西園寺が言った。

「免許は持っていますけど......いえ、何でもありません。失礼しました」

 これも仕事だ、と実歩は割り切った。仕事に私情を持ち込もうとした自分を恥じた。

「そうか? まあいい。言っておくがこれは手本なんだからなるべく瞬殺は止めてくれ」

「瞬殺したら手本にならないから、ですよね」

「話が早くて助かるぜ。その通りだ」

「体術で敵を痛めつけてから、派手な必殺技でフィニッシュ、が理想です」

 西園寺の言葉を聞きながら確かにアニメなどでよくあるパターンだな、と実歩は思った。

   その時ふと、実歩はある違和感に気づいた。

 視線を理事長室の扉に移し、実歩は眉をひそめた。

「どうした?」

「すみません。ちょっと失礼します」

 そう言って実歩は立ち上がると、迷うことなく扉に歩み寄り、勢いよく開けた。

「わわっ?」

「きゃあっ?」

 同時に二人の女の子が部屋に倒れ込んできた。

「あなたたち、どういうつもり? 盗み聞きとは感心しないわね」

 実歩が腰に両手を当てて威嚇するように言った。

「ご、ごごご、ごめんなさい!」

 長い、淡い青色の髪と藍色の髪留めが特徴の女の子が、慌てて立ち上がり、頭をぺこぺこと頭を下げた。

 もう一人の女の子と目が合った。

「あら、あなたは......」

「むー......、やっぱりお姉さんにはばれちゃいましたか」

 セミロングの薄い茶色の髪にしたくりくりとした瞳。間違いなく学校に着く前に出会った女の子だ。彼女は実歩の顔をまじまじと見つめている。

「何?」

「わたしたち、どこかで会いませんでしたか?」

「......?」

 実歩は首を傾げながら記憶に検索をかける。確かにどこかで見たような記憶はあるが、とても曖昧で、錯覚かもしれないと思った。

「れ、れいなちゃん。いつまでもいたら失礼だよ。戻ろうよ」

 横で薄青の髪の女の子が狼狽したように言った。茶髪の子に比べると目尻がやや下がっており、気弱そうな印象を受けた。

「れいな......?」

「そうです。わたし、池内励菜っていうんです!」

 池内励菜。その名前を聞いた途端、実歩ははっとした。

 その様子を見て、励菜と名乗った女の子が顔を輝かせた。

「おおっ! やっぱりわたしたち会ったことありますよね!」

 おぼろげだった記憶に光が差し込んだ。

 思い出した。確かに自分はこの女の子と出会い、助けていた。そして、魔法戦士だった、幸福感と充実感に満ちていたあの頃の記憶も鮮明に脳裏に甦ってくる。

 しかし  

「知らない」

「えっ?」

「他人の空似でしょ」

 実歩は冷たい顔で横を向いた。

「で、でも、お姉さんってすっごい強い魔法少女なんですよね? もしかして  」

「元(、)魔法少女よ。今は少女といえるような年齢じゃないわ。......ていうか、あなた、盗み聞きしたことは否定しないのね」

 実歩はわざとらしくため息をついた。女の子はなおも食い下がってくる。

「わたし、覚えてます! お姉さんみたいな魔法少女がわたしを助けてくれて! だからいつかわたしは強くて優しい魔法少女になりたいと思ったんです!」

「励菜ちゃん! 迷惑だって......! ほ、ほら、行こ!」

 薄青の髪の女の子が励菜の腕にしがみつき、引きずるようにして連れて行く。

「あ、ちょっと、ユウ! 引っ張らないでよ~!」

 別の女の子はユウという名前なのだろうか。半べそをかいたような顔で励菜を引っ張っていく。

「お、お邪魔しました~!」

 気弱そうな女の子が頭を下げながら励菜と共に出て行くのを確認すると、実歩は強い音を立ててドアを閉めた。

 実歩の表情は険しく、その肩は僅かに震えているように見えた。

 彼女の異変に気付いたように藤堂と西園寺が怪訝そうに顔を見合わせている。

「おい、どうした?」

「いえ......」

 実歩は首を振りながら、二人に向き直った。

「何でもありません」

 実歩の胸の中に到来していたのは、懐かしき日々の思い出を楽しむ気持ちでも、郷愁でもなく  

「っ............」

 

   胸が痛くなるほどの罪悪感(、、、)だった。



3

 

 場所は『第一訓練所』と呼ばれる飛翔学園の実戦訓練用の施設だ。

 飛翔学園は、一般的な国立大学と同じ程度の敷地の広さを持ち、他の訓練所も複数設置されている。

 第一訓練所に集められた新入生は百人程度だが、新入生の関係者や近隣住民が観客として詰めかけており、会場内はほぼ満員といった状態だ。

「よく来た。早速だが一次実力試験を始める」

 会場内に藤堂の低い声が響いた。彼は会場の特別観覧席に座り、淡い色のサングラスをかけていた。

「試験内容は簡単だ。  出てこい、ヴァーミン!」

 藤堂が指を高らかに鳴らすと、会場の中心に紫の気体が立ち込めた。黒い水晶玉が浮遊し、禍々しい輝きを放った次の瞬間、水晶玉はおぞましい変貌を遂げていた。

「この化け物を倒せ。勝つことさえできれば手段は問わねえ」

 会場内に降り立ったのは、胴体を黒い鎧で覆った、鋭利かつ巨大な刃を誇る戦斧を手にした、赤黒い皮膚の怪物。全長三メートルほどの巨躯である。その顔は角を生やした牛のようであるが、黄色の輝きを放つ目からは並々ならぬ殺気を感じる。

 闇の想力を行使することで召喚できる怪物《ヴァーミン》。通常、ヴァーミンの召喚は違法とされているが、藤堂は魔法少女学校の教育者だ。全国の魔法少女学校を統括している管理機構から特別に許可を与えられているのだろう。実際、ヴァーミンと戦わせて実力を測る、という形式の試験は他でも行われている。

 怪物が不気味な唸り声をあげると、場内が大きくどよめく。あちこちから悲鳴も聞こえてきた。

「心配はいらねえ。このヴァーミンは俺が十分にしつけてあるからどんなにへまをやっても死にやしねえさ。それに、いくら敵が強そうでも立ち向かう勇気ってもんが魔法少女には必要なんじゃねえのか?」

 藤堂は唇の右端を上げながら、わざと挑発するような口調で言った。

 ざわつきの収まらない会場を見渡して、藤堂は後ろ頭を掻く。

「まあ、いきなりやれ、と言われても無理か。じゃあ、今から手本を見せるから。よく見とけ」

 怪物の目の前にトランスフォンを持った実歩が立った。

 こちらに集中してくる無数の視線に実歩は少したじろいた。力を見せびらかすような真似は好きではないから、内心早く終わらせたいという思いでいっぱいだった。

 やれやれとばかりに溜息を漏らすと、トランスフォンを起動した。

「コネクト・《オレオール》!」

 彼女の身体を光が包み、《オレオール》との装着が完了する。

「おおぉぉ............?」

 それだけで会場内からは歓声があがるが、実歩はあまり気にせず一気に駆け出した。

 ヴァーミンも猛然たる勢いで迫ってくる。巨体からは想像できないほどにその動きは素早い。

   だが、それでも実歩から見れば遅すぎる。

 実歩の頭を叩き割らんと戦斧を振り下ろす。横に跳び、回避。

 怪物の一撃は強力だが、隙も多い。実歩はヴァーミンの横に回り込むと、大きく跳躍。鎧の繋ぎ目を狙って豪快な飛び蹴りを見舞う。

「ガァッ?」

 ヴァーミンは軽々と吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。憎々しげに目を細めながら体勢を立て直そうとするが、実歩は容赦なく追撃。

 一息に敵に肉薄すると、直角方向に跳んだ。

 ヴァーミンは実歩の疾風の如きスピードについていけない。ようやく実歩を視界に捉えて時、彼女は既に想力を腕に込めていた。

 実歩の腕が凄烈に輝き始める。精神を集中すべく一瞬だけ瞑目し、敵の弱点はどこか瞬時に計算。そして  

「ハッ!」

 腕を突き出すと同時に、光の刃がヴァーミンの顔面に炸裂。

 想力を物理的エネルギーの塊に変換し、発射するスキル  《ショット》は魔法少女の基本的技能だ。それでも、実歩が使えば敵を怯ませる以上の威力がある。

 ヴァーミンは顔を押さえて呻く。がら空きになった胴体目掛けて実歩は二発拳打を食らわせた直後にアッパーを叩きこんだ。彼女の三倍ほどはあろう巨体が紙切れのごとく空中に飛ばされる。

 場内が再び大歓声に包まれる。

(そろそろ頃合いね......)

 実歩は戦いを終わらせるために、手を天に掲げ  

「来なさい、《ホーリーエッジ》!」

 そう詠唱し、彼女の想力援(ブースタ)具(ー)《ホーリーエッジ》を呼び出した。

 想力援(ブースタ)具(ー)とはごく一部の戦闘魔装を着られて、なおかつ上位クラスの魔法少女のみが召喚できる特殊武器。使いこなせれば桁外れのスキルを発動し、想力援具を持たない相手など瞬殺できるほどの力を発揮できるだろう。だが、その分扱いも難しく、熟練には無二の才能と尋常ではない努力が不可欠となる。

 彼女のそれは、まるで白い光をそのまま刃にしたような聖剣。《ホーリーエッジ》を手にした実歩は全身に力が漲るのを感じ、体温が一気に上昇した。

 そして、《ホーリーエッジ》の刃先を怪物に向け  

「《イービル・ブレイク》!」

 とてつもない光の奔流が見えたのはほんの一瞬。轟音と共に放たれた光の波動は鎧で覆われた赤黒い怪物を豆腐のように貫いた。怪物は光の粒となり、虚空へと溶けた。

(ま、こんなもんね)

 観客が唖然としたように一瞬沈黙したが、すぐに拍手喝采に包まれた。しかし、実歩はそんな周囲の反応をまるで興味がないとばかりに髪をかきあげ、変身を解いて颯爽と去って行った。



「よお、お疲れさん。さすが最強の魔法少女。圧倒的だな」

 特別観覧席に戻ると、藤堂がにやにやと笑いながら迎えた。実歩は無言で会釈をすると、横に座った。彼女は藤堂を手伝って試験監督をすることになっている。机の上にはタブレットと受験生の名簿が置かれていた。

「理事長、これって......」

「ああ。山県には魔法戦士としての適性を検査してほしい。単に想力への適性という数値上のデータ以外の情報を、な」

 机の上に置かれたタブレットを起動すると、受験生のより詳細なデータを閲覧、管理できるソフトが立ち上がった。

 名簿の隣に書かれたランクそして生徒のデータをざっと確認した。大半がDランク以下だ。

「魔法戦士としてふさわしくない、と思ったら容赦なく×をつけておけ。それが本人のためでもある」

「はい」

「それから  」

 彼はそこで意味深な目つきで見てきた。

「うちの学校の理念は知ってるな?」

「徹底した実力主義......ですよね?」

「おう」

 藤堂は満足そうに頷く。

「とにかく勝てばいい。どんなに魔法少女らしくない手段や技を使おうが、ヴァーミンを倒すことさえできれば合格だ。それを忘れずにな」

 その言葉の真意がよくわからなかったが、実歩は頷いておいた。

 そして最初の試験が始まってから三十分後。

「............」

 実歩はただ黙々と、名簿に×印をつける作業を繰り返していた。すでに半分ほどの採点を終えたが、補欠合格である△印ですら数えるほどしかない。

 無理もない。大半の生徒は瞬殺されるか、戦わずして逃げるか、試験を棄権するか、のどれかだった。そんな者は問答無用で不合格だ。

 倒せなくても敵に立ち向かい、ある程度奮闘できれば△は与えるつもりだったが、それすらできない者が多すぎた。

 だが、実歩はそんな者たちに軽蔑も同情も抱いていなかった。自分は仕事で来ているのだから採点に私情を挟むのはお門違いであるし、合格率が極めて低いテストであることも十分承知している。自分が判断した成績を記録する、という作業を機械的に行えば良い、と彼女は割り切っていた。

 十分間の休憩の時に、藤堂がこんなことを訊いてきた。

「なあ、山県。魔法少女らしさって何だと思う?」

「魔法少女らしさって......。特にそんなのないと思いますけど」

「思ったままでいい。洒落た衣装を着て派手な技を使ってたら、そいつは魔法少女なのか?」

 実歩は首を横に振った。

「違うと思います。......強くて、優しくて、可愛くて......平和のために悪と戦う女の子  まあ、大半の人が抱いているイメージならそんなところだと思います」

 実歩も、それが魔法少女の理想の在り方だと思っていた。自分にそんな器はないと自覚しながら  。

「まあ、一般的なイメージはそうだな。大体のところは俺も同感だ」

「理事長は別の考えがあるんですか?」

「ま、少しな」

 休憩時間の終わりを知らせる合図が鳴った。藤堂の言葉が少し引っかかったが、深くは追究しないことにした。

 それから十分後。やはり休憩前と同じような状態が続いていた。

 戦闘魔装は誰もが魔法少女らしい華やかな衣装だったが、肝心の戦闘力や気力があまりに不足している。正直、こんな状態で魔法戦士を目指すというのは無謀としかいいようがない。

 なす術もなく怪物に蹴散らされる少女や敵前逃亡してしまう少女を見るのもいい加減苦痛になってきた。実歩がそんなことを思い始めた時だった。

「あら、この子って......」

 タブレットには淡い青髪の女の子の顔写真と彼女のステータスが示されていた。名前は『妹尾(せのお)優(ゆう)』というらしい。間違いなく励菜と一緒にいた女の子だ。実歩はそのステータスを見て目を見開いた。

(Aランク......? この子が......?)

 写真に写っている彼女は伏し目がちであり、臆病そうな印象が一層強くなった。綺麗な顔立ちをしていたが、初見で彼女がAランクだと思う者はほとんどいないように思えた。

「おっ。おいでなすったか。噂のAランク」

「ご存知なんですか?」

「まあ、そこそこ、な。本人はあまり歓迎してないみてえだが」

 優という女の子は怪物の前に立ってトランスフォンを手にしているものの、足は震え、自信なさげに俯いている。

「次の受験者だな。クラスと名前は?」

 声をかけられたことに驚いたのか優はびくっと身体を震わせた。

「は、はいっ......! 一年一組妹尾優、です! よ、よよ、よろしくお願いします!」

 顔を赤らめながら声を張り上げる。一度深呼吸すると、トランスフォンを起動。

「コネクト・《グリフォン》!」

 瞬間、空色の光が迸った。

 今までの生徒の中でも、群を抜いて強い光。思わず実歩は目を瞑った。

 そして、実歩が目を開けると、優はすでに魔法少女への変身を遂げていた。

 優の戦闘魔装《グリフォン》は水色を基調にしたコスチューム。淡い青色の髪は二つに束ねられていた。上はノースリーブと藍色のアームカバーと白い手袋を着用し、胸元にはチェック柄の青いネクタイ。下は藍色のスカートに、太腿まで届くような白い靴下にショートブーツを履いている。

 そして最も目を引かれたのは  彼女の背中から生える天使のごとき白い翼。

 場内は騒然となった。彼女から放たれる想力の膨大な気配に誰もが息を呑んでいた。実歩も全身の肌がびりびりと痺れるような感覚を覚えていた。

 戦闘魔装を纏ったことは準備完了の合図だ。戦闘開始のブザーが鳴り響き、ヴァーミンが動き出す。

 彼女は怯えたように一歩下がったが、その直後に光の球を床に叩きつけた。

 その刹那  会場内が白い霧に包まれた。

 場内にどよめきが広がる。実歩ですらぎょっとしていた。

 優の能力はおそらく敵の視界を妨害するスキルの一種だろうが、ここまで広範囲にスキルを発動させるのは余程想力の扱いに長けていないとできない技だ。

 実歩は両目に想力を込めた。視力を強化しないと戦況を把握できないからだ。

 だが、実歩はさらなる驚愕を受けることになる。

 優が身を低くしたのも束の間、天井を突き破るような勢いで跳躍  空色の光の粒を散らしながら、翼をはためかせて飛翔する。彼女が空中を華麗に舞う度に、水色の弧が宙に描かれる。

 ヴァーミンは戸惑ったように周囲を見回すが、優は目にも止まらぬ速度でヴァーミンの周りを旋回している。まるで水色に光るリボンが巨体を包んでいるかのようだ。

 実歩は背中にぞくりとしたものさえ感じていた。優を侮っていたわけではないが、あの不安げな面持ちからは想像もできないほどの高い技術に、完全に目を離せなくなっていた。

 やがて、優はヴァーミンの背後に移動。怪物は完全に優を見失っていた。

「おいで、《ガーンデーヴァ》!」

 彼女が声を張り上げたその刹那  掌が煌き、白銀の長弓が具現化していた。

 想力援具を展開できた生徒は他にも数人いたが、彼女の詠唱は遥かに短く、展開速度も相当に速い。

 優が頭部を狙って想力の矢を番えた時、ようやくヴァーミンが振り向いたが、何もかもが遅すぎた。

 膨大な量の想力を込めた矢が放たれた瞬間  雷鳴にも似た咆哮が場内を揺るがす。光の矢は敵目掛けて突進し、炸裂。耳をつんざくような轟音が轟き、衝撃波が嵐のごとく吹き荒れる。

 観客席には障壁が展開されているため被害はない。それでも実歩は優の圧倒的な強さに知らず興奮していた。

 激烈な風が吹き止んだ時、怪物は跡形もなく消え去っていた。

 優はほっと胸を撫で下ろした後に床に降り立って変身を解いた。それと同時に霧も晴れた。

 会場が実歩の時と同じように拍手喝采に包まれた。優はトマトのように顔を赤くしながら逃げるように退場した。

「これは、見事ね」

 実歩は素直に感心していた。

 先程の戦いで、優の動きを視認できていた者は、実歩以外に何人いただろう。想力を利用して飛行するという技術はそう珍しいものではないが、彼女ほど高い速度を維持しつつ旋回するというのは並大抵のものではない。他にもスキル、想力援具の展開速度、戦略、射撃の技術  どれを取っても優秀過ぎる。"想(イマジ)力量(ナント)"と呼ばれる体内に秘める想力の総量も郡を抜いていた。

 唯一引っかかっていることがあるとすれば、おどおどした態度だろうか。優は文句なしにAランクの名にふさわしい実力の持ち主だ。もっと胸を張って良いのではないかと思った。

「すげえよな。ま、数(、)値上(、、)なら妹尾がトップレベルだな」

 優のステータスをもう一度確認すると、ほぼ全てが最高レベルの評価を受けていた。「天才」の二文字が浮かび上がるまでそれほど時間はかからなかった。千人に一人いるかいないかの逸材だろう。

 だからこそ、あの自信のなさそうな態度への違和感が一層強まったが。

 実歩が深く考える間もなく、次の生徒が現れた。

 名簿を見ると、優の後はDランクとEランクの生徒で占められていた。

 そして、結果は優の前とほとんど変わらない。むしろひどくなっているようにすら見えた。妹尾優という桁外れの猛者の登場に気後れしてしまったのだろうか。

 再び名簿に淡々と×印をつける作業が始まったかと思ったが、受験者は残り数名となっていた。

「山県。どうやら残りの四人の受験者のうち前の三人が棄権したらしい。だから次で最後だ」

「はい」

 三人の名前の横に×をつけて、最後の一人の名前を確認すると、実歩は「あっ」と声を漏らしていた。

(この子は  )

 池内励菜だった。ランクはE。彼女の能力を確認してみて......実歩は言葉を失った。

「ひでぇもんだろ? 飛翔学園に入学できたこと自体が奇跡だなこりゃ」

 横で藤堂が苦笑していた。

「ここまで低いステータスだと厳しそうですね......」

 Eランクは魔法少女ランクとして最低の評価だが、励菜はその中でも最下位だった。常識的に考えて、合格の可能性は限りなく低いだろう。

「数値(、、)だけを見たらそうだな」

 藤堂が意味深な笑みを浮かべていた。さっきも優を数値上は天才だと言っていたが、彼が何を言おうとしているか今一つ釈然としなかった。

 どたどた、と足音を立てながら励菜が入場してきた。

 驚いたことに、彼女は全く臆している様子はなく、それどころかこれから始まる戦いが楽しみだとばかりに笑んでいた。

 励菜ほど低い能力となると、いくら試験とはいえ身の安全は保障できないと思った。彼女はそれすらもわかっていないのだろうか。

「理事長、彼女に試験は危険なのでは......」

「いや、棄権しないのなら試験は続ける」

 藤堂は笑っていたが、目は真剣だった。

「最後の挑戦者だな。名前は?」

「はい! 一年一組池内励菜です! よろしくお願いします!」

 元気よく右手を上げながら声を出すと、腰のホルスターからトランスフォンを抜いた。

「コネクト・《コーラルハート》!」

 励菜の戦闘魔装はまさに魔法少女というべきか、ピンクを基にしたワンピースにふんだんのリボンとフリルが施された華美な衣装。レース付きの長い靴下と濃いピンクのショートブーツを履いている。

 茶色の髪は鮮やかな桜色に変わり、白薔薇を模したようなヘアアクセサリーをつけていた。瞳は緋色に輝いている。

 励菜はその衣装をよほど気に入っているようでぴょんぴょんと飛び跳ねながら、

「う~ん! やっぱかわいい!」

 などと緊張感のない感想を漏らしていた。

 試験開始の合図が鳴り、容赦なくヴァーミンは襲い掛かった。

「わわわっ?」

 振り下ろされた戦斧を間一髪で回避したが、うまく受け身が取れず、派手に転倒した。

 すぐさま立ち上がり、反撃を加えようとした時には怪物の拳がすぐ頭上に迫っていた。

「  っっ?」

 横に身を投げ出して避けるも、その動作は見ていて非常に危なっかしい。

 何とか間合いを取った励菜は右の拳からエネルギー弾を放ったが、見当違いの方向に飛んでいった。

 原因は魔法力(マジカリティ)と呼ばれる想力の技術の巧さを示すステータスの不足。彼女は基本的な《ショット》すらコントロールできないほどにこのステータスが低かったのだ。

 その後も励菜は泡を食って逃げ回っている。隙を見てヴァーミンに攻撃を仕掛けるものの、想力が不足している彼女では怪物を怯ませることすらできなかった。

 一方的な展開に、観客席から笑い声が聞こえ始めた。誰もが励菜の敗北を悟っているのだろう。しかし  

(どういうことなの......これは......)

 特別席に座る実歩と藤堂だけはくすりともせずに、真剣な目で戦いを見守っていた。

 一見すると、励菜がただ押されているだけ。最低の能力である励菜が勝つ見込みなどどこにもない。

 だが、実歩は何かを感じていた。励菜から何かとてつもない力のようなものを感じる。ステータスでは説明できないような、何かを。実歩は肌がびりびりと痺れるような感覚に包まれていた。

 それは藤堂も同じのようで、恐ろしいまでに険しい顔で腕を組んでいた。

 だが励菜は徐々に追い詰められていた。

「きゃあっ?」

 横に振るわれた戦斧を避けようと、跳ぶも着地に失敗し、派手に転んだ。戦斧の衝撃を受けたらしくなかなか立ち上がれないでいる。

 励菜の眼前に迫ったヴァーミンが華奢な彼女を叩き潰そうと戦斧を振りかぶる。励菜は恐怖に身体を膠着させたように動けなくなっていた。

「ちょ、ちょっと理事長! さすがに試験を止めた方が......」

 危機感を滲ませたように言ったが、藤堂は相変わらず励菜を眺めていた。

 戦斧が容赦なく振り下ろされる。実歩は思わず目をきつく閉じていた。出会って間もないとはいえ言葉を交わした相手が傷つく姿は見たくなかった。

 ところが  

「え......?」

 異変を感じて、目を開けた。

 場内すらも揺るがすような破裂音が響き、怪物の巨体には大きな穴が空いていた。

 実歩は呆然となった。いつの間にか足ががくがくと痙攣していた。とてつもない強大な力を前にして本能的な恐れを抱いていたのだ。実歩は戸惑う。強い魔法少女となり、数多くの敵と戦ってきた実歩でさえ、これほどの力を感じたことはない。

 一体、誰がこの圧倒的なオーラを放っている? それは  

「う、ぐっ、ううっ............!」

 辛そうに顔を歪め、歯を食いしばっている魔法少女だと気づくのに実歩は数秒の時間を要した。

「う、くっ......、あぁあああああああああああああ?」

 直後、励菜が天に向かって咆哮した。魔法少女らしさなど微塵も感じられない勇ましい声。刹那、励菜の全身から菫色の光が溢れ出す。まるで紫の炎のように揺らめく、美しくもどこか不吉さを感じさせる輝きだ。

 感情などあるはずもないのに、ヴァーミンがおののいたように一歩退いた。その直後、けたたましいインパクト音と共に吹き飛ばされ、床を激しくバウンド。障壁に激突して、観客席から悲鳴があがるが被害はない。

 ヴァーミンは最期にびくびくと痙攣した後に塵となって消滅した。

 実歩は口を半開きにして凍り付いていた。理解が追いつかない。小柄な少女の放った飛び蹴りが、彼女の三倍はありそうな巨体を吹っ飛ばしたという事実が信じられなかった。

 いや、それもよりも  彼女に漲っていたあの力は何だ?

 想力とは違う気がする。だとしたら......

(まさか......"闇"の想力?)

 実歩は目を見開いていた。

 想力には"光"と"闇"の二種類があるとされ、魔法少女は圧倒的に前者への適性が高いと考えられていた。魔法少女ランクも基本的に光の想力への適性のみを考慮して評価されている。

 想力の正体は今でもなお無数の学会で星の数ほどの仮説が唱えられているが、中でも最も有力視されているのが『精神エネルギー説』だ。

 光の想力は、勇気、希望、愛、夢、利他、喜び  などといった善の概念や感情を源とする。

 一方、闇の想力は善とは逆  怠惰、嫌悪、嫉妬、利己、不幸といった悪の概念や感情が源となる。

 魔法少女は当然光の想力使いだと信じこまれていた。闇の力を使う魔法少女なんて聞いたこともないからだ。実歩だってそう思っていた。

 今、こうして池内励菜という例外さえ目の当たりにしなければ......。

(この身体が震えるような気配......どう考えても闇の力......。でも、どうして? どうしてこんな明るそうな子が?)

 驚いていたのは実歩だけではない。励菜が目をまん丸にして自分の掌を見つめていた。いつの間にか彼女を包んでいた菫色の炎と悪のようなオーラは消失していた。怪物を自分が倒したということがいまだに信じられないとばかりに目を瞬かせていた。

 が、徐々に驚愕の表情が理解へと変わっていき......最後には満面の笑顔に変わった。

「やった! やったやったやったああ! 合格だあぁあ!」

 ガッツポーズを作ると、その場で大きく飛び跳ねた。

「おめでとう。さすがだな」

 藤堂が満足げに笑いながら拍手をした。実歩は藤堂の顔を見た。まるでこの結果は最初からわかっていた、とでも言いたそうな表情だった。



 全ての試験の採点が終わる頃には、外は茜色に染まりつつあった。

 第一訓練所の受験者全ての採点を終えた実歩は、再び理事長室に呼び出されていた。結果は惨たる有様だった。合格者は一割にも満たない。しかし、魔法少女の指導員の不足を考えればこれでも多いくらいだ。実歩が採点を行ったのは第一訓練所のみだが、おそらく他の訓練所でも似たような状況だろう。

 藤堂は試験結果が表示されたディスプレイをざっと見た後に、実歩に視線を移した。

「ご苦労だった。早速で悪いが、山県にはGIになってもらう」

 魔法少女は個人での強さもそうだが、チームでの戦いも重要となる。『ギルド』と呼ばれる魔法少女グループの指導員  ギルドインストラクター(通称GI)として実歩は雇われたのである。

「はい。......それで私が担当する子というのは......」

「おう。実はそれなんだが......」

 藤堂はにやりと笑った。

「お前にはこの学校の中でも特に魔法(、、)少女(、、)らしく(、、、)ない(、、)魔法(、、)少女(、、)の指導をしてもらう」

「はい......?」

 実歩は首を傾げた。

「具体的にいうとな、山県に池内励菜の担当をしてもらいたい」

「私が......あの子の......?」

「嫌か?」

「違います。ただ、私で務まるのかな、と思って」

「どうしてだ? 山県の実力からしたらEランクの指導なんて簡単だろ」

「私が気になってるのはそれです」

 実歩は一歩前に出た。

「どうして彼女はEランクなんですか? 彼女から感じられた想力は並大抵のものではありませんでした」

「そうか? ランクは想力、それも光の想力への適性でほぼ決まる。闇の想力への適性なんざそもそも評価の対象外だ。お前も見ただろ? 池内は《ショット》すらうまくいかねえ。こんな奴はEランク以下でも文句は言えねえぞ。はっきりいうが池内ほど光の想力への適性が低い魔法少女は珍しいくらいだ」

 実歩は口ごもった。藤堂の言う通りだと思ったからだ。

 だが、藤堂はふう、と息を吐くとどこか虚しさを感じさせる笑みを見せた。

「  というのは建前上の話だ。実はな、池内がEランクである理由は単純だ。魔法少女らしくないからだ」

「魔法少女、らしくない......?」

 藤堂は苦い顔をした。

「言葉通りの意味だ。光でなくて闇の想力を強く持つ奴はそもそも入学すら許されなかった。池内励菜もその一人だ。つまりな、魔法少女らしくないと判断された奴は最初から門前払いってわけだ」

「なっ......」

 その事実を聞いた途端、実歩は形容しがたいショックを受けた。

「だけどな、魔法少女らしいとからしくない、ってのは誰が決めた? 平和のために悪と戦う......確かにそれは魔法少女の理想像だろう。だが、魔法少女だって人間だ。人を超える力は持っているが、それでも人間だ。人間である以上は悪と無関係な奴なんて存在しない」

 実歩はゆっくりと頷いた。

「だからな、闇を使う魔法少女がいたって不思議じゃないだろ。だが、組織の上の連中は光の想力ばかり注目した。その結果、闇の想力への研究は遅れ、闇の想力の評価システムすら作られなかった。だから、闇の想力に適性を持つ少女......『闇の魔法少女』は今まで徹底的に不当な扱いを受けてきた。どんな実力を持とうとな」

「ひどい......」

 実歩は憤りを覚え、拳をぎゅっと握った。

「俺が理事長に就任してからは、不当を働いていたクズどもは全員クビにしたが、それでも闇の魔法少女への差別がなくなるとは限らん。......俺が代わりに導入した『徹底した実力主義』も果たしてうまくいくかどうかは何とも言えねえ。だが、少なくとも『魔法少女らしさ』なんてふざけた項目や数値だけで魔法少女を判断する気はない」

 実歩は目を見張った。ここまで闇の魔法少女に深い思惑を持っている人間がいるとは知らなかったからだ。

「なあ、入学試験で魔法少女学校への志望動機も書かせるということは知ってるだろ? 池内は何と答えたと思う?」

 無言で首を捻った実歩を見て、藤堂は続けた。

「魔法少女が好きだから、魔法少女に憧れてるから......だいたいそんなことが書かれていたさ。池内は一度入学を拒否され夢を邪魔されようと、落ちこぼれだと馬鹿にされようと、魔法少女、そして強い魔法少女である魔法戦士になるという夢を諦めなかった。......大したもんだ」

 呆気にとられて、実歩は声が出なくなった。

 実歩には、才能があった。

 最高レベルの想力適性を持ち、周囲から『天才』だともてはやされた。

 想力の可能性は無限大。想力があれば何でもできる。

 実歩も、そう信じていた。魔法少女になれたことに誇りを持っていた。

 だが、実歩は逃げてしまった。

 自分の醜さに気づいてしまったのだ。

 あろうことか仲間(、、)まで(、、)裏切って(、、、、)しまった(、、、、)。

 脳裏に、嫌な記憶が蘇る。

 実歩はいつしか苦しみを堪えるように唇を真一文字に結んでいた。

 力があるにも関わらず逃げ出した自分。

 励菜とは、まるで対照的だった。

 励菜には光の想力がまるで足りていない。彼女を評価してくれる者すらいない。

 魔法少女らしくないなどという愚かな理由で道を阻まれた。

 それでも彼女は魔法少女としての道を歩もうとしている。

「どうして......彼女はそこまでして魔法戦士を目指すんでしょうか......」

「さあな。それは俺にもわからん。......だがな、俺の勝手な思い込みかもしれんが、池内は可能性を秘めているはずだ。数値や魔法少女らしさ、なんてものにとらわれない何か、をな......。そんな変わり者の魔法少女を、育ててみる気にはならないか?」

 知らず、実歩は首を縦に動かしていた。

 自分に励菜の指導が務まるかは自信がない。

 それでも励菜と向き合うことで何か変えられるかもしれない、と思うのもまた事実。それに魔法少女らしくない、という点は自分も同じだとも思っていた。

 藤堂は頷くと席を立った。

「じゃあ、決まりだな。詳しいことはまた晩頃に連絡が来るはずだ。色々不安はあるだろうがよろしく頼むぜ」

 彼は最後にニッと笑い、実歩の肩を軽く叩いて理事長室を出て行った。

 

「ふう......」

 今日の仕事を全て終えた実歩はシャワーを浴びて、一息ついていた。

 飛翔学園の職員寮の自室で、実歩は冷えた麦茶を飲みながらノートパソコンに向き合っていた。寝る前に生徒のデータを確認したかったのだ。

(池内励菜、か......)

 活力に満ちた、大きな瞳が実歩の脳裏に焼き付いていた。

 ステータスだけなら彼女は間違いなく学年最下位だ。実は圧倒的な力を秘めているなどと主張しても一笑に付されるだろう。

 だが試験を目の当たりにした実歩は確かに感じていた。全身から溢れる強大なオーラ。炎として現れた闇の想力。錯覚だったとは到底思えない。

 実のところ、実歩自身も闇の想力の知識は不足していた。闇の想力の発見例は少なく、研究も遅れているため無理からぬことだろう。

 だからこそ、励菜には丁寧に向き合う必要がある。未知の力を持った相手への指導がどれほどの苦労なのか実歩は想像もできなかった。

 パソコンを操作し、明日予定されている練習メニューを確認した。いつの間にか他者の指導に熱心になっている自分に気づいていた。

 実歩は一度魔法戦士を辞めてからは二度と魔法少女に関わらないつもりだった。家が裕福だったら絶対にそうしていただろう。ほとんど消極的な理由で指導員を引き受けたに過ぎなかった。

 それなのに、なぜここまで熱心になっているのだろう。それほどまでに励菜という少女に心を突き動かされたのだろうか。

 強いて理由を挙げるならば......励菜に、自分と同じ轍を踏んでほしくないから、だろうか。

   そこまで考えて、ふと実歩は自嘲気味に笑った。

(何考えてんだろ、私......)

 名簿にずらっと並んだ×印を実歩は思い出していた。

 一次実力試験を不合格にするという行為は「お前には魔法戦士になる資格はない」と宣告するに等しい。大勢の少女の夢をぶち壊しにしてしまった。その少女たちのことは切り捨てて、自分の担当する生徒のことだけを考えている。

 実歩は自己嫌悪に陥った。パソコンを閉じると、ベッドに倒れ込んだ。

 魔法少女から完全に手を引くはずだったのに、指導員を引き受けてしまった。

 仕事だと割り切って、情けなんて捨てたはずだったのに、こうして罪悪感に苛まれている。

 一体自分は何がしたいのだろうか  枕に顔を埋めながら実歩は思った。

 その時ふと何気なく横を見ると、机に置いていた写真立てが目に飛び込んできた。その写真には三人の中学生くらいの少女が写っていた。三人とも幸せそうに笑っていた。

 実歩の胸に疼痛が走った。実歩は中学生の頃を思い出させるような物はすべて処分していたが、これだけは捨てられなかった。今となってはただ昔の苦しみを甦らせるだけの写真であるにも関わらず。

 彼女はベッドから起き上がると、写真立てを手に取った。

 真ん中には、かつての自分。

 曇りのない、純粋な笑顔。

 もう自分はこの笑顔を取り戻せない。いつの間にか両手が震え始めた。

 実歩は写真立てを引き出しの奥に仕舞うと、再びベッドで横になった。

「ごめんね......」

 今の言葉は、誰に向けられた謝罪だったのか。

 実歩自身にもわからなかった。





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