宇宙みかん

みの あおば


〈プロローグ〉
 二〇XX年。人類は長い歴史の中で、この広い宇宙のうちでもかなり住みやすい土地にその身を降ろしていた。
 そう、ここは地球。あらゆる生命が大気によって守られている、美しく青き大地である。

◇

「ねえ、お兄ちゃん。あれなあに?」
 妹は白い息を吐きながら、マンションの壁面を指差す。
「なんだ、あれ? 兄ちゃんにもよく分からないな」
 僕たちの住むマンションは父の務める職場の社宅で、三階建ての小さなものだが、自然豊かな環境にあって住み心地は悪くない。
 妹が指差したのは、二階から三階へ上がる階段の踊り場に当たる部分で、踊り場は背の高さほどのコンクリート壁によって人が外へ落ちないよう配慮されている。そして、その壁の上辺に、何か得体のしれないものが見えるのだ。
「う〜ん。なんだろうな、あれ」
 午後の日差しが逆光となり視界をくらます中、僕はなんとか目を凝らしてその正体を探る。これは、あれか?
「もしかして、みかんかな」
「みかん? あ、ほんとだ。確かにみかんかも。でもなんであんなところに?」
 妹の疑問ももっともだ。みかんと言えば大抵、こたつの上に置かれているか、木になっているかのどちらかだろう。にもかかわらず、このみかんはマンションの階段に置かれているのだ。
 いや、よく見ると置かれてはいない……?
「あれ、ちょっと浮いてないか?」
「え、ほんとだ! お兄ちゃん、あれ浮いてるよ! みかんがちょっと浮いてる〜!」
 そのみかんらしきものは、踊り場の壁の上でひとりでに宙に浮いているように見えた。もちろんそんなことはありえないだろう。これは真相を確かめないといけない。
「上ってみようか」
「うん!」
 僕と妹は目の前の階段を駆け上がった。
 すぐ踊り場には到着したが、あいにく壁の上まで背が届かないのでみかんの状態が確認できない。
「どうしよ〜。お兄ちゃん、肩車して〜」
「いいよ」
 僕は壁に向かってしゃがみ込み、肩に膝がかけられるのを待った。しかし、妹は靴を脱ぎ始め、靴下で僕の両肩を踏みつけて来た。これでは肩車にならないし、なによりバランスを崩しやすくて危ないだろう。
「大丈夫?」
「うん。そのまま立って。ゆっくりだよ」
 僕は重心を少し前に持って来ながら、ゆっくりと立ち上がっていった。妹は壁に手を付いて安定を図り、両手でぺたぺたと壁を這っていく。
「もうちょっとで、全部見えそう」
 みかんはほとんど見えているらしいが、気になるその底面はまだ視界に入っていないらしい。
「どう?」
「あ、見えたよ! みかん全部見えた!」
 妹は背伸びしながら、少し声を震わせて発見の喜びを報告してきた。
「どうやって浮いてるか分かる?」
「ううん。これやっぱり浮いてなかったよ。なんか下に刺さってるもん」
 そうか。浮いているように見えたのは、下に刺さっているものが死角に入って見えていなかったからというわけなんだな。でも、いったいなにがみかんに刺さっているんだろう。
「なにが刺さってるんだ?」
「なんかね、ペンみたいなやつ。キラキラしてる」
「う〜ん、なんだろう。万年筆のことかな」
 ペンでキラキラしていると言えば、僕には万年筆しか思い浮かばない。前に塾で、高学年のお兄さんが『誕生日プレゼントにもらった』と報告していた高そうなペン。あれは、確かみかんに刺すようなものではないと思っていたけれど、違うのだろうか。
 果たして妹の見たものが本当に万年筆だったのか、今度は自分の目で確かめたいという欲求に駆られる。
「お兄ちゃん、もう降りる」
「分かった」
 僕は妹の足首を両手で掴み、膝を曲げて慎重に腰を下ろしていく。妹の脚が離れたところで、僕も立ち上がる。
「どんなペンだった?」
 そう訊きながら振り返ると、妹はこっちになにかをぐいと差し出して来た。
「ほら、取ったよ」
「うわ!」
 急に目の前に出されたため、驚いて後ろにのけぞる。のけぞりながらも、僕は差し出されたそれをしっかりと注視し続けていた。
「びっくりした〜。うん、これはたぶん万年筆だね。なんでみかんに刺さって置かれてあるのかは分からないけど」
「万年筆ってなに?」
「う〜ん、そうだな。まあ高級なペンみたいなやつのことだよ」
「ふ〜ん」
 妹は右手で万年筆を、そして左手でみかんを握り、それらを左右に引っ張った。すると、万年筆はみかんから引き抜かれ、一体化していた二つの物体は分離した。
 そのとき、僕の脳内に無数のイメージが流れ込んできた。
 暗闇の中でキラキラと輝く粒上の光。
 煙のように広がったカラフルな雲。
 ものすごい勢いで迫り来る巨岩石。
 圧倒的な量の闇。
 ぐらぐらと平衡感覚が揺らぐ中で、それらのイメージが目まぐるしく僕の脳内を駆け抜けた。
 飛べ!
 僕は飛ばないといけない。強い衝動に駆られて僕は大きくジャンプした。
「お兄ちゃん!」
 地上へと降りた僕は気を失った。

◇

「お兄ちゃん! お兄ちゃん、大丈夫?」
 階段を降りた妹が僕の元まで駆け寄って来てくれる。
「)) ‘#(={¥“%’!」
「え?」
 妹はすごい目で僕を見て来た。
「なんて言ったの? それより大丈夫なの? 急に飛び下りちゃって、びっくりしたよ」
「)) ‘&(={&*%’?」
「うっ。なにそのしゃべりかた。どうやってるの」
「)) ‘?’¥‘α(={。:。:。%’!」
「うあああ、もういや! なんかお兄ちゃん怖いよ!」
 妹は泣きそうになりながら、母のいる自宅へと走って行った。
「)) ‘U(={’U」
 やれやれ。


〈エピローグ〉
 生物たちにとって住みやすい環境を持った惑星、地球。そこは大気で覆われており、宇宙から飛来する危険な光線などといったものから守られている。
 しかし、時にその障壁をくぐり抜けてやって来る飛来物体があるという。それが、人類に宇宙の記憶を思い起こさせるという怪物質、『宇宙みかん』である。

おわり






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