魔法少女学校の異端者(ヘレスティック) 著:水原ユキル プロローグ 灰色の空を背景に墨を塗りたくったかのような黒い怪物が咆哮を上げた。 猛虎のような獰猛な頭部、漆黒の翼、鋼鉄の鱗で覆われた足、巨人のような無骨な腕。それはまるでおとぎ話に登場するドラゴンのよう。 六歳になったばかりの池内(いけうち)励(れい)菜(な)は耳を押さえて蹲った。怪物の発する咆哮に鼓膜が破れそうになった。 励菜はその日、母親と買い物に出かけていた。途中、母親とはぐれた彼女はこの広い公園に行き着いていたのだ。人に話しかけるのが苦手だった励菜はどうしたらよいかわからず立ち尽くしていると 突然、空が灰色に覆われ、あの怪物が姿を現したのであった。 「ヴァーミン! 街を闇に染めろ!」 ベレー帽を被り、黒い軍服を着た三十代程度の男が命じた。彼はまるで重力の存在を無視したかのように空中に浮遊していた。 男が口早に命じると、ヴァーミンと呼ばれた怪物は、上空に向かって大蛇の如き炎を吐く。 「ひっ……!」 励菜は尻餅をつき、両目を眦が裂けんばかりに見開いていた。目の前の光景に理解が追いつかない。恐怖で両足ががくがくと震え、その場から一歩も動けなくなった。 男は励菜を見つけると、にやりと笑った。 「ヴァーミン、あのガキを捕まえろ」 その声を合図に怪物が励菜に向かって滑空してくる。 励菜は動けない。恐怖のあまり声を上げることもできずにいた。異形の怪物を前に六歳の幼女はあまりに無力だった。 励菜が両目をきつく瞑った その時だった。 突然、身体が温かい何かで包まれたかと思うと ぐい、と横に身体を持っていかれるような感覚。 「間に合った……!」 聞こえてきたきたのは優しそうな、自分よりも年上だと思われる女の子の声。 恐る恐る目を開けて、自分は見たこともない女の子に抱きかかえられていることに気づく。 女の子は励菜を庇うように抱いたまま受け身を取った。彼女はぽかんとする励菜を抱え、走る。やがて公園の隅にある茂みの陰にそっと励菜を置いた。 「後はお姉ちゃんたちに任せて。あなたはここに隠れてて」 「う、うん……。あの、おねえちゃんたちは……?」 女の子はその問いに答える代わりに、にっこりと微笑むとくるりと背を向け、自分の何倍もの体躯を誇る怪物相手に恐れることなく、ヴァーミンに向かって駆け出していった。 よく見ると、女の子の服装は風変わりなものだった。学校の制服かと思ったが、違った。紺色のブレザーの学校制服を大きくアレンジしたかのような、華やかな衣装。白いブーツを履き、スカートはフリルで縁どられ、胸元には大きなピンク色のリボン。長く、濃いピンク色の髪は、女の子が駆けると美しく靡き、まるで彼女自身が桃色に輝いているかのよう。 魔法少女。 励菜の頭の中に、浮かんできた単語がそれだ。 励菜は呆然とした。怪物と魔法少女 どちらもテレビの中でしかいないと思っていた空想上の存在が、今確かに目の前にいる。 女の子たちは全員が似たような衣装をしていた。違うのは基調にしている色と髪型だ。一人は栗色の髪をツインテールにまとめ、黄色をベースにした衣装を身に纏っている。もう一人は青色の髪をサイドテールに結い、水色を基調にした衣装だ。そして、励菜を助けたピンクの少女。 彼女たちは、励菜なら見ただけで震え上がりそうな怪物相手にも全く臆することなく対峙している。 「くそっ、邪魔が入ったか。ヴァーミン! そいつらを片付けろ!」 男の声は苛立っていた。闖入者の出現に怒りを見せているようだ。 ヴァーミンが天に向かって吠え長ける。それだけで周囲に風が吹き荒れ、木々が激しく揺れる。励菜は太い木にしがみつき、耐えた。 ヴァーミンの口から紅い光が迸る。励菜がぎょっとするのも束の間、怪物が巨大な火球を放った。ごう、という音を立てて火球は魔法少女たちを呑み込まんと凄まじい勢いで迫る。が 「――?」 励菜は仰天した。 黄色の魔法少女が両手を上げたかと思うと、少女たちを薄い翡翠色の燐光が包んだ。瞬間、火球が明後日の方向に弾かれる。 即座に魔法少女たちは反撃に転じる。ピンクと青の少女が素早く敵の背後に回り込み、ほぼ同時に飛び蹴りを浴びせた。ヴァーミンは吹き飛び、地面を一回バウンド。地響きが起きる。 負けじとヴァーミンも体勢を立て直すが、少女たちの方が速かった。黄色の少女が素早く敵の懐に飛び込むと、強烈なアッパーカット。 励菜は口をあんぐりと開け、少女たちの戦いぶりに見とれていた。彼女たちは闇雲に戦っているのではない。時に後退や回避を交ぜながら敵の隙を突いて的確に攻撃。強靭な体躯を持つ怪物が中学生程度の少女たちに見事に翻弄されている。彼女たちの体術は華奢な体つきからは想像もできないほどに豪快で、それでいて淀みがない。演武めいた洗練された動き。励菜は戦いを見守る中、知らず興奮していた。 そして、戦いに終わりが訪れる。 「グアアァアアーーーーーーッ?」 青色の少女の放った衝撃波がヴァーミンの腹にクリーンヒットし、大きく空中に飛ばされた。 三人の少女たちは頷き合い、片手を上空に伸ばすと 「「「マジカル・ホーリーバースト?」」」 そのかけ声と同時に目も眩むような閃光が手から溢れる。刹那、虹色の光の波動がとてつもない勢いで敵に直撃。 ヴァーミンは地も揺るがすような末期の絶叫を上げた後に、光の粒となって雲散霧消した。 励菜はしばらく固まっていた。空中に浮かんでいた謎の男はいつの間にか姿を消している。 「怖い思いさせちゃったね。大丈夫?」 ピンク髪の少女の声でようやく励菜は我に返った。三人の魔法少女がしゃがんで目線の高さを合わせてくれている。 こくり、と励菜が頷くと魔法少女たちは安堵したように微笑んだ。 「もしかして、迷子?」 ピンクの少女の背後にいた青髪の女の子が訊いた。 こくこく、と再び頷く。 「お、おかーさんとはぐれ、ちゃって……」 「じゃあ、お姉ちゃんたちがお母さんの所まで連れていってあげる! お名前、教えてくれる?」 ピンク髪の少女が明るい口調で言った。 励菜は面食らっていた。あれほど恐ろしい敵に敢然と立ち向かっていたのが嘘のように今の彼女たちは女の子らしい柔らかな笑みを見せて自分を助けようとしている。これほどまでに強さと優しさを併せ持った人がいることを励菜は知らなかった。 「? どうかしたの?」 「あ、えーと……い、いけうち、れいなです」 「いけうち……いけうちれいなちゃんね。ちょっと待って」 ピンク髪の少女が仲間を振り向く。「知ってる?」「……もしかして駅近くかな?」「あ、駅で子供を探してる人がいたからもしかしたら!」などといった声が聞こえてくる。 ピンクの女の子が再び励菜を見た。 「お母さん、見つかるかもしれないよ! 一緒に行こっか!」 「う、うん!」 魔法少女は励菜の手を握った。魔法少女の手は柔らかくて温かかった。 無事に母親を見つけた時、励菜の表情がぱあ、と明るくなるのを彼女たちは覚えていた。 励菜もまた魔法少女という存在を記憶に焼き付けていた。 恐ろしい怪物に立ち向かう勇気。弱者に手を差し伸べる優しさ。見ているものを幸せにするような笑顔。そのどれもが励菜の心を掴んで離さなかった。 人と話すのが苦手で、弱虫だった励菜にとって、彼女たちには心の底から羨望の念を抱いていた。 ――わたしも、おねえちゃんみたいになれるのかな。 今は無理かもしれない。それでも、どんなに時間が経っても、魔法少女みたいに強く、優しい人になりたい。 幼い励菜は、胸が高鳴るのを感じながら心にそう誓ったのであった。 その後。 魔法少女たちは人目につかない所で変身を解いた。 元の姿に戻った彼女たちは、どこにでもいそうなごく普通の女の子だった。ブレザーの学生服に身を包み、楽しそうに笑っている。 人助けをして、返してくれる笑顔や「ありがとう」の言葉に彼女たちは胸の奥が温かくなるような満足感を覚えていた。 この三人は最高の仲間だと、信じて疑わなかった。 だけど。 だけど、だから教えて欲しい。 ――わたしはどうして、この日々がずっと続くと思っていたのだろう……? ? 第一章 魔法少女学校 1 「いつつつ……」 「…………」 魔法少女学校への道のりを歩いていると、突然空から女の子が降ってきた。その女の子を山県(やまがた)実(み)歩(ほ)は驚きと呆れの混じった目で見ていた。 いきなり「きゃあああ〜〜〜〜〜っっ?」という悲鳴が聞こえて振り向くと、女の子がすごい勢いで回転しながら突っ込んできた。咄嗟に横に飛び退いて回避した実歩だったが、そのおかげで女の子は派手な音を立てて地面に激突。常人であれば、大怪我では済まないような事故だったが、女の子はかすり傷程度で済んでいた。彼女の身体にうっすらと光の膜ができている。それでもやはり痛かったようで、涙目で鼻を押さえていた。 「ちょっと、あなた。大丈夫?」 実歩は女の子に手を伸ばした。実歩は目の前で辛そうにしている人を放っておけるほど薄情ではなかった。それに、さっきは咄嗟に避けてしまったが、今思うと彼女を受け止めてやればよかったかもしれない。そのことに少なからず責任を感じていた。 「あ、うん……大丈夫」 女の子は実歩の手を掴んで立ち上がると、制服に付いた埃をぱんぱんとはたいた。胸元の赤いスカーフが特徴の、ベージュ色を基調にしたセーラー服だ。 「あなた、新入生?」 実歩が訊くと、女の子はぱあっと顔を明るくした。肩より少し短い程度の髪と、くりくりとした大きな瞳が特徴の子だった。その容姿から初々しさと、これかの学校生活に大きな期待を寄せる躍動感が見て取れた。 「うん! もしかしてあなたも新入生なの?」 「違うわよ」 「あ、ごめんなさい。じゃあ、先輩でしたか?」 「違う。服で気づきなさい」 実歩は着ているスーツを軽く叩いた。 「私は学校のスタッフではあるけど、生徒ではないの」 「スタッフって………………ええええっ?」 女の子は目を丸くして仰け反った。 「……そんなに驚くようなことなの?」 実歩はため息をつきながらも、内心では無理もないと思っていた。 原因は実歩の容姿にある。 腰まで届くようなチェリーピンクの長い髪。ぱっちりとした瞳は宝石のように澄んだスカイブルー。配置されるべきに配置された完璧に整った顔立ち。 だが、実歩自身はその容貌をあまり快く思っていなかった。今年で二十歳になるにも関わらず童顔で、中高生に間違えられることがしばしばだったからだ。今はそのことで怒ったりはしないが、また間違えられたのか、とうんざりした。 実歩は髪をかき上げながら「まあいいわ」と話題を変える。 「あなた、空を飛んでたわよね? スピードの出し過ぎは危ないわ」 実歩に注意されると、女の子は苦笑しながら、額をこつん、と軽く拳で小突いた。 「ご、ごめんなさい。入学式に遅れると思っちゃって……」 「入学式……?」 実歩は腕時計を一瞥した。 「式の開始までまだ三十分はあるわよ。歩いても十分間に合うわ」 「えっ……?」 女の子は学校の案内書と思しき書物を学生鞄から取り出すと、ページをパラパラとめくった。そして、「あ」と小さく声を漏らした。案内書をしまい、顔を赤らめながらばつが悪そうに笑った。 「ま、間違えてました……」 「そう。とにかくスピードの出し過ぎは気をつけて」 「実はまだわたし、想力(イマジン)を上手く使えなくて……」 想力(イマジン)。 それは魔法少女のエネルギーであり、異能を発動させるための源。これに適性を示さない者は魔法少女になることは絶対に不可能である。 実歩は女の子の言葉を聞きながら推測していた。彼女の身体を覆っていた膜 障壁の薄さ。空中飛行の失敗。感じられる想力の量。そして、彼女のさっきの言動――これらから実歩は女の子の魔法少女としての力は大体予想できる。無論、口には出さなかったが。 「まあ、これから上手くなればいいわ。それよりも学校なんでしょ? 行きましょ」 「あ、はい。ありがとうございます!」 女の子はぺこりと頭を下げると、軽やかな足取りで歩き出した。 その背中を見て、実歩は本日二度目のため息をついて「ちょっと」と呼び止めた。 「はい! 何ですか?」 事故に遭ったのを忘れたように女の子の顔は明るかった。 実歩は女の子が向かっていた方向とは逆の方を指差した。 「学校はあっちよ?」 女の子が明るい顔のまま固まった。 魔法少女学校での日々。第一日目はこうして幕を開けたのであった。
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