人の子と厄除けと幸福と きなこもち 僕たちはよく三人だった。神社の巫女である彼女と、人ではない彼と僕だ。僕たちは誰一人として名前を名乗っていない。だから、僕たちは彼女の名前を知らないし、彼女も僕たちの名前を知らない。それでも、特に問題はなかった。僕は黒い髪だから黒=A彼は白い髪だから白≠ニ彼女は呼ぶ。僕は紅い瞳、彼は白い髪、という時点で、幼い彼女でも僕たちが人ではないことに気づいていたのだろう。人ではないだけでなく、僕たち二人と彼女の関係も知っていたはずだ。それでも、彼女はいつも僕たちと神社の境内で遊んでいた。 彼女は強かった。いつでも笑顔を絶やさず、人のために怒ったり、喜んだりできる子だった。でも、何年も一緒にいたのに、彼女が泣いたのを僕は一度しか見たことがない。彼女はいつもどこか一線を引いていて、それは僕たちが人じゃないからではなく、誰にでもそうなのだと、彼女が友達といる様子を見て知ったのは何年も前のこと。 彼女はたった一度だけ、目を腫らしていたことがある。それは、白≠ェ急にいなくなったときだ。僕たちの単なるイタズラで、彼が姿を見えなくして、僕は見えない振りをした。彼女は一生懸命彼を探していて、僕はずっと、彼女に探してもらえるのが羨ましい、今度は彼と立場を交換しようと軽く考えていた。夕日が沈みかけて、そろそろ種明かしをしようと、彼が姿を現して、 「よっ、驚いたか?」 と笑いながら言った。彼女は彼にすがり付いて大泣きした。 「もう、会えないのかと思った。よかった、無事で。」 と。それから、僕たちはそういうイタズラをするのをやめた。 それ以来、僕は彼女が泣くのを見ていない。いつか彼女の引いている一線を越える人がいるのだろうか。僕が最初に越えたいと思っていた。でも、実際は違った。 「黒ー。白ー。」 彼女が僕らを呼んでいる。制服を着ているから、高校のあとすぐここに来たのだろう。 「どうしたの?」 僕はすぐに彼女に駆け寄る。 「あれ?白は?」 その声に合わせたかのように彼が出てくる。 「わっ!」 「きゃあああ!」 彼女が彼に驚いて前に転びそうになるのを僕はさっと抱き止める。 「大丈夫?」 「大丈夫大丈夫。ありがとう、黒。もー、びっくりするからやめてよ、白。」 白≠ニ呼ばれた彼は笑いながら答える。 「いやあ、みこ≠ヘ驚かしがいがあるなあ。どうだ、みこ=B生きた心地がしたか?」 「あー、したした。生を実感したよ。」 彼は、彼女のことをみこ≠ニ呼ぶ。おそらく、巫女からきてるんだろうけど。もう一つの意味も含まれている。 「ところでどうしたの?僕らから出向くことはあっても、君が呼ぶなんて珍しいね。」 彼女は、えへへっとはにかむ。 「ちょっと会いたくなっちゃって。」 「なんだあ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか、みこ=B」 あ…。彼女の瞳が少しだけ変わった。いつからだろう。彼女の、彼を見る瞳が少しだけ変わるようになったのは。そのことに、彼女自身は気づいていないのだろう。 「おいみこ=B今日、俺の社に寄ってくか?」 「うん、お邪魔してもいいかな?白、大丈夫?」 「おう!」 たまに、彼女は彼の社に行くことがある。僕も付いていきたいのはやまやまだけど、彼の社に入るのはどうしても畏れ多くて遠慮してしまうんだ。 「じゃあ、僕は帰るよ。白=Aちゃんと彼女を送っていってよ。」 「まあ、ここは俺のテリトリーだから、悪さするやつはいねえと思うがな。まかせとけ、黒=B」 「あ、黒、待って。」 帰ろうとした僕を彼女が引き留める。学校指定の鞄から何かを取り出した。 「これ、今日学校の授業で作ったの。黒、よく私に魔除けをくれるからそのお礼。よかったら食べて?」 それはクッキーと呼ばれるお菓子だった。以前、彼女にもらって食べたときにとっても気に入ったもの。覚えていてくれたのか。 「ありがとう。僕、君のお菓子好きなんだ。社に戻って大事に食べるね。」 「うん、じゃあ、またね、黒。」 僕は手を振りながら、隣の境内に向かった。 白≠フ社の隣の社。それが僕のだ。どちらの神社も、彼女の家系が代々管理をしているが、白≠フ方が、少し大きめで歴史もある。だから、彼は普通に僕の社に入るけども僕は彼の社に入るのは憚られる。彼が入っていいって言ってるから、入ることは可能だけどどうしても入れない。仕方ない。僕たちにとって、歴史と信仰の差は身分の差なんだから。 今日も今日とて、僕たちは三人で話している。今日は、僕の境内だ。彼女はランダムでどちらかの境内に来て、彼女の気配で僕たちがよってくる。 「ねえ、君、よくここに来るけど、学校大丈夫なの?」 「んー、まあ、多分。成績は自分で言うのもなんだけど優秀だし、家系の問題で将来を考える必要はあまりないし。私、二人のおかげで人の感情の機微には敏感だから、上手いことやってるし。」 「まあ、みこ≠セもんな!俺は心配してないぜ!」 彼が褒めると、嬉しそうに笑う。そんな顔、僕には向けてくれないのになあ。 「なあ!今日さ、三人で月見しねえ!?今日、満月だよな!」 「白=Aなんで今日なの?満月だけど、十五夜なわけでもないよ?」 「黒の言うとおりだよ〜。今日の必要ないじゃん!普通に黒の社で煎餅食べようよ。」 「別にちょっと外に出て、月見ながら煎餅食うだけだろ!?なんで、二人してそんな批判するんだ!?」 彼女と僕は、慌てる彼を見て、お腹を抱えて笑った。 「私なんかより、白の方がよっぽど面白いよね。うん、黒の社で煎餅食べながらみんなで月を見ようか!戌の刻に黒の社に集合でいいかな?」 「さすがみこ=Iよっしゃ、そうしよう!みこ=A黒の社に行く前に、俺のこと呼んでってくれよ!絶対、寝過ごすから!」 「自分が言い出したことなんだから、ちゃんとしてよ、白=B僕はじゃあ、社の準備をしておくよ。」 「黒、私たちのわがままに付き合わせちゃってごめんねえ。私、黒の好きなお菓子持っていくよ。」 「謝る必要ないよ。僕も、三人で過ごせるのは嬉しいからね。」 そこで、僕たちは一旦解散した。 戌の刻の少し前。普段だったら、彼女が、彼を引きずってくるはずなのに来ない。何かあったんだろうか。心配になって、彼の社に向かうと、彼女を抱き締めている彼の姿が目にはいった。 「なあ、みこ=B無理強いはしない。お前が望んでくれたらでいい。俺に、お前の名前をくれないか?」 「え…?それって…。」 「ああ。そういうことだよ。」 「でも、白は私の名前知ってるよね?それに知らなくても無理矢理、しようと思えばできるでしょ?元々、どちらかに嫁ぐことにはなるんだし。」 「ああ、知っているさ。それに、確かに俺の力をもってすれば、無理矢理にすることは可能だ。でも、お前は人の子で、人として生きる権利がある。俺にそれを奪う権利はない。お前が俺たちから離れて人として生きたいと願うなら、俺はこの名をもってお前の願いを叶えると誓う。だから、お前が選んでくれないか。人として生きるか、あいつをとるか。それとも…。」 「ーー」 彼女がつい彼の本当の名前を呼んだ。それに答えるように彼の声が聞こえた。 ―俺の嫁になるか― 僕は驚いて、つい気配を消し損ねてしまった。それに気づいた彼は、白い髪から見える耳を真っ赤にしながら走り去っていった。随分人間臭くなったものだ。僕も彼のことは言えないけれど。彼女は、その場に立ち尽くしている。僕が彼女に声をかけると、彼女はゆっくり振り向いた。顔を手で覆ってはいるが、耳が真っ赤だから、顔も真っ赤なんだろう。彼女は小さく息を吸って震える声で言った。 「どうしよう、黒…。私、白の…ことが好きかも…。」 ああ、自覚してしまった。もう、勝ち目はないなあ。 「僕は、君の彼を見る目が違うことにずっと前から気づいていたよ。」 彼女は、そっかあ、と呟く。 「お月見しようか?白≠ヘ来ないだろうけど。」 彼女は頷く。僕たちは、二人で社に向かう。きっとこれが、最後の二人っきりだ。 「黒、さっきの聞いてたよね?あはは、びっくりしちゃった。」 「どうするかは決まってるんでしょう?」 僕の問いかけに彼女はゆっくりと頷く。 「元々、決まっていたことだし、未練もない。ただ、家族も分かっているとはいえ、家族を置いて行ってしまうことになる。それに黒のことも…。」 僕は首を横に振る。 「白≠ウえ許してくれれば、現世と繋がることはできるよ。げんに僕たちだって、こうやって現世で遊んでいるんだし。白≠ヘ君を大切にしているから、きっと許してくれるよ。そうじゃなかったら、君はとっくに彼に無理矢理娶られているよ。」 そういうと、嬉しそうに微笑んだ。僕に対して微笑んでいるのに、僕には向いていないその微笑みがひどく苦しくて、つい口から漏れてしまった。 「二人とも名前知ってたんだね。」 「え…?」 ああ、もう、格好悪いなあ。もう、いいや。全部言ってしまえ。 「僕は、ずっと君を見てきた。なのに、名前すら僕は知らなかった。君はーーのどこが好きなの?」 彼女の瞳が揺れる。笑っているのに泣いているかのような。そんな顔初めて見た。ずっと一緒にいたのに。 「好きなところっていうとよく分からないけれど、白はね、私の泣き場所なの。いつだっけ。二人が意地悪して、ずっと白を探してたことがあったでしょう?私、どんなに苦しくても泣くことが嫌だったの。小さいときからずっとそう。泣くことが怖いの。だから、辛いときもずっと無理して笑ってた。なのに、白を見つけたとき号泣しちゃったじゃない?私、びっくりしちゃった。泣くことができたことに。それからかなあ。一人でも、誰かの前でも泣けないのに、白といると泣けるようになったの。白が私を社に呼ぶときは、大体私が辛いとき。私を甘やかすときなの。」 泣くことが怖くなくなったのは白のおかげ、と思い出すように目を細める彼女は、きっと、今までで一番きれいで。彼女のことを何も分かっていなかった僕には入る隙間なんてなかったんだ。 「無理矢理にでも奪っておけばよかったかな。」 自嘲気味に、望んでないことを言ってみる。彼女は、目を見開いたが、すぐに微笑んだ。 「黒はそんなことしないよ。」 自信があるようにはっきりと言い切った。 「確かに、僕の力は彼には到底及ばないからね。」 「そうじゃない、黒がずっと私のこと見ていてくれたの知ってる。私が、変なものに憑かれないようにいっつも魔除けをくれるから私は毎日元気だし。私が今元気なのは、半分は黒のおかげだよ。だから、ごめんね。でもね…。」 ―私、黒の名前ちゃんと知ってるよ― 彼女の細い指が僕の頬を撫でる。僕は年甲斐もなく泣いていたらしい。まったく、情けないったらないな。 「ごめん、じゃなくてさ、もっとふさわしい言葉があると思うんだけど。それにさ、君には笑っていてほしい。」 彼女は初めて本当の微笑みを僕に向けてくれた。 「ありがとう、ーー」 それから、二人は人間で言うお付き合いを始めたらしい。自分の社からそんなに離れることできない白≠ニ彼女のデートはもっぱら白≠フ社。あんた、高位の神様なんだから、多少融通聞くだろ、どっか行け、と何度も思ったことは二人には黙っておこう。そういえば、白≠ヘいつ彼女を娶るんだろう。 「やっほー、黒=B今、暇?」 「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」 彼は躊躇なく僕の社に侵入してくる。 「なあ、黒=Bお前、今、幸せ?」 僕は答えに窮した。正直、まだ吹っ切れていないが、彼女のことも彼のことも大切だから祝福しているのも事実。そんな僕を見て彼は言う。 「俺はなあ、今、とても幸せなんだ。祀られて、一体何年経ったかは分からないが、いつの間にか、心を得て、愛しいという感情を知った。俺は、あいつのことが堪らなく愛しいと思う。でもな、俺にとっては、お前もとても大切なんだ。」 白≠ヘ、今にも泣き出しそうな笑顔、あの日の彼女の横顔にとてもよく似た表情で僕に問うた。 「お前の幸せに俺は邪魔か?」 そして、一つの白色の玉を僕に差し出した。 「これは…?」 僕は、彼の質問には答えずに聞いた。彼は静かに答えてくれた。 「これは彼女の真の名だ。これを壊せば、彼女が真の名を呟く様子が記憶となって頭に入ってくるようにしてある。」 僕はそれを聞いた瞬間、彼を思い切り殴っていた。自分より高位の神への暴力は、場合によっては身を滅ぼしかねないが、知ったことか。 「白=c。いや、ーー。君さあ、それ本気?」 そのときの僕の声はとても低かったように思える。 「僕は、確かに彼女が好きだ。欲しい。でも、彼女は君に欲されることを望んでる。それなのに、僕に渡そうとするってなんなの?ふざけんな!お前は何の神様だ!?幸福の神様じゃねーのか!気に入った人の子一人幸せにできずに、幸福の神名乗ってんじゃねえ!」 彼は僕の怒声に口を開けてポカンとしていたが、すぐに顔を腕でおおった。 「ははっ、こりゃ驚いた。驚かしてくれるねえ、厄除けの神よ。今ので、憑き物が落ちた気分だよ。」 そう言って顔を上げた彼は、涙を流しながらも表情は穏やかだった。それは僕がずっと兄として慕っていた幸福の神の笑顔だった。 「黒=Aいやーーよ。ありがとな。俺は、幸福の神ーーの名をもって、この身が朽ちるまで、彼女を愛そうと誓おうじゃないか。」 彼は涙を拭いながら、僕に誓いをたてた。 「僕も、厄除けの神ーーの名をもって、あなたたち二人の幸せを厄から守ると誓うよ。」 その後、彼女は白≠フ嫁、眷属、僕たちのいうところの「神嫁(みこ)」となり、隣の社で幸せの神にふさわしい生活を送っているのはまた別の話だ。
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